【茨木童子(いばらきどうじ)】

酒顛童子(酒呑童子)の参謀・右腕としても知られる鬼。様々な人間の姿に変身することが出来る能力に長けている。大江山に籠もった際、酒顛は茨木に命じて数百の手下を集めたとあり、この頃から酒顛童子に従っていたようである。

茨木童子の出生地は摂津国の茨木の里である。酒顛童子とおなじく分娩時には髪も歯も生え揃っており、体格*1はとても良かったと言われる。その結果、山の中に捨てられ、天涯孤独の身の上となった。髪結床*2で働いていたときに客のヒゲを剃っているときに誤ってつけてしまった傷口の血をなめているうちに、人間の血の味をおぼえ、ついには鬼になってしまったという*3。鬼に変貌してしまった茨木童子は、そのまま里から出て自ら山に入り、再び孤独な無縁の鬼となった。

生まれたばかりの頃に山の中に捨てられているが、鬼になった後の時代に、摂津の故郷で病に臥せっていた父親の独居を「東寺羅城門に住む者」と称して訪れ、その最期を看取った*4ともされる。

貌見橋(すがたみのはし)

茨木にある貌見橋は、血をなめているうちに鬼に変わってしまった茨木童子が、水に映った自分の顔を見て、その変貌を知った場所だと語られている。髪結床で働いていた時に茨木童子の使っていた櫛(くし)は、そのまま店に残されており、後に埋められ「櫛塚」としてまつられた。茨木童子の櫛塚の木や土は不用意に触れると祟りがあると言われる。

【渡辺綱との対立】

渡辺綱(わたなべのつな)に討ち取られたという話が多く語られる。綱は平安京の羅生門で人々を襲っていた茨木童子の片腕を斬り落として鬼退治の証拠として持ち帰るが、茨木童子は綱の伯母の姿に化けて屋敷にやって来て、片腕を取り返して逃げ去った。

茨木童子は、腕を持って逃げ去る際に屋根の烟出しの穴を使ったとされており、それからは綱の子孫たちは家の屋根に烟出しを設置しない決まりを持っていた。

最終更新:2025年07月23日 21:40

*1 百井塘雨『笈埃随筆』には、三歳ほどの大きさをしていたとある

*2 生地は水尾の里で、髪結床のあったのが茨木の里だとも語られる

*3 大橋忠雄『茨木童子の素顔に迫る』、明石書店、2011年

*4 『笈埃随筆』