【アマビエ】
アマビエは、弘化三年に熊本県の海に出現したとされる妖怪。海中から光を輝かせるなどの現象を起こし、豊作や疫病などに関する予言をしたと伝えられる。 いっぽう、アマビエと呼ばれている存在は実際はアマビコであり、人間側の誤記によって生じた名称でもある。
【疫病退散】
令和二年から令和三年にかけて、新型コロナウイルス(COVID-19)感染症の拡大の中、アマビエの絵画に注目が集まり「疫病退散」の妖怪として広く語られるようになった。
【アマビコ】
アマビコには海彦という表記も見られる。これはイザナギ・イザナミの間に生まれたが海へ流された恵比寿(蛭子、ヒルコ)や淡島(アワシマ)と関係が深くあると考えられる。ヒルコとアワシマは国生みの中では子として列せられておらず、不祥の子であるとされている。
ヒルコと海へ流される存在
蛭子(ヒルコ)が海に流されたのは、
和西(なごし)の考え方による西解祓除である。
アマビコ(アマビエも含まれる)が現われ、予言をしたと語られる海が熊本県の海であるというのも、西の海に現われた存在ということを示している。『越前国主記』など北陸地方(福井県や新潟県)にも結び付きが見られるのは淡島(アワシマ)信仰の広がりと関係があると考えられる。
イザナミが死んだ際の葬り方と異なっている事は言うまでも無い。正しく幽界(あの世・常夜)へと送る行為と異なる事によって、その魂が容易に明界(この世)に戻って来られるようにしているのである。海の浪間は
端境(はさか)であり、その水の行く先は西の海である。水子という言葉に「水」という字が用いられているのも、このような蛭子(ヒルコ)や淡島(アワシマ)の信仰に基づいている。明確な形の存在しない再び戻り来るもの(水・霞・露)に魂の乗せることに由来しているのである。
アワシマ
神話には、医薬の神である少彦名(すくなひこな)が淡島で粟茎(あわがら)に弾かれて常夜国に去ったという話が見られるが、これも「アワ」と海とを強調して繋がっている。
淡島明神は、住吉明神の妃の女神だったが、病になりうつろ舟に入れられて流され、三月三日に加太の地に流れ着いて祀られたと語られるようになった。「我頼む人の悩みをなごめずば、世に淡島の神といはれじ」という神詠と共に安産や婦人病気平癒の女神として信仰されている。(和歌山県)
淡島明神が住吉明神や女性と結びつけられたのは、加太の地が住吉の領地だった事を反映して創られた部分で、本来は少彦名の信仰であったと考えられる。北陸地方(福井県や新潟県)には、「淡島講」が広くあり、婦人病や安産の守り神として広く民間の信仰を集めていた。戦国時代末から江戸時代初期にかけて、淡島願人たちによってこの地に広められたと推定されている。
淡島(アワシマ)様には、猿の形を写した「くくり猿」という布製の人形が祈願のために供えられる習俗がある。アマビコが猿の形をしていると語られていた事との関係がうかがえる。
葦(あし)
イザナギは、ヒルコが足の立たなかったのを見て、葦で造った舟に乗せて海に流したとされる。アマビコやアマビエの姿の特徴に異常な脚が見られるのも無関係では無い。
最終更新:2021年04月22日 13:46