【黒忌(くろひ・くろいみ)】

黒不浄などとも称される。死別に関する穢れ。家庭に死没者が出た場合、黒忌が生じるとされ、四十九日の間は神社や寺院に参詣することや、鳥居をくぐりぬけることは忌まれていた。


農村ではシボク(黒忌)、漁村・山村ではチボク(赤忌)を重くみていた*1など、赤忌よりも黒忌を重要視していた地域もあり、これはそれぞれの産業形態の違いなどの地域差がある。

  • 赤忌・黒忌のときは鳥居をくぐってはいけない。
  • 赤忌・黒忌のときは井戸や竈を使った仕事をしてはいけない。
  • 赤忌・黒忌をしている家で調理したものを別の家の者は口にしてはいけない。

黒忌にあたる葬家で調理した食事を食べた参列者も、三日~七日は神への参拝が忌まれた*2という地域もある。これを避けるために参列者などのために別の竃を屋外につくって、別火にすることで忌が他者に及ばなくする措置もとられている。

  • 黒忌のときは直接におふだを授かることは出来ない。百箇日が過ぎてから改めていただく。
  • 赤忌のときは橋を渡ってはいけない。
  • 赤忌のときは建築・工事の現場へ行ってはいけない。
  • 赤忌のときは山へ仕事に行ってはいけない。

山から石を切り出す石工たちは赤忌のほうを重くみていた*3。炭焼き竃なども、不浄があると神が怒るとされ、竃が落ち崩れて駄目になってしまうと言う*4

【赤忌(あかひ・あかいみ)】

赤不浄などとも称される。産生や狩猟に関する血の穢れ。

出産に際しては最低三日間は産屋に近づくことを忌み、また七日は忌みの期間とされた。産婦は産後の二十一日間は体を大事にすることが心掛けられ、仕事もしてはいけないとされており、神に対して姿を見せることは固く忌まれていた。そのため不要の外出をどうしてもせねばならないときは菅笠などをつけた。これは太陽の陽光(ひあし)を避ける行為だとされていた*5。出産の場所をなるべく日光のささない部屋にしていたことも、その習わしである。産前産後は髪は「麻」で結うのみが望ましいとされていた。楽に過ごせるようにというものだが、魔よけの意味合いも強い。

生まれた子も同様で、忌が明けるまでは極力屋外に出すことを避けた。男子と女子ではその後の人生に赤忌がないことから男子のほうが誕生時の穢れが多いとされ、各地で女子のほうが男子よりも忌明けまでの日が一日乃至二日早く設定されていることが多い。

出産のときに出る胞衣(えな)などは、米・鰹節・胡麻・麦・小豆の五品と*6共に焙烙(ほうろく)を二つ合わせたものに入れて縛って紙で包み、日の照らさない場所へ埋められた。これがきちんと処理されていないと妖怪になるとされていた。胎内での子供の毒が胞衣には集まっていると考えられており、毒袋(どくぶくろ)*7とも呼ばれる。

めぐり(月経)によって生じる経血・月水についても古くは赤忌とされることが習わしとされていた。

山犬

赤忌のある家の者が山に入ると山犬に遭遇することが多かったという。(高知県)

【穢れと物忌みと赤気黒気】

静かに物忌み・忌みごもりをしていれば、穢れは肉体を離れて行くとされる。忌みの期間が設けられ、端境へ近づくことが止められるのは、人間そのものに必要以上に赤気・黒気がついており、均衡を乱すためである。

 赤気   明、陽   妖怪たちが盆血として欲しがる   清浄   赤気(陽、日) 
 黒気   暗、陰   妖怪たちの受肉の原動力となる   汚穢   黄気(陰、月) 

妊婦は、火事と葬式を見てはいけないと言い習わされて来た。火事を見れば赤い痣、葬式を見れば黒い痣が新生児の体に生じると言い伝えられており、これも黒忌・赤忌の信仰に由来している。

最終更新:2023年12月07日 16:53

*1 神奈川県企画調査部県史編集室『神奈川県史 各論編 5 民俗』、1977年

*2 北九州大学民俗研究会『美川の民俗 愛媛県上浮穴郡美川村』、1977年

*3 神奈川県企画調査部県史編集室『神奈川県史 各論編 5 民俗』、1977年

*4 坂本正夫『土佐泉川民俗誌』、土佐民俗学会、1965年

*5 小林存「越後人の生涯風景 3」、1943年

*6 土地によって「塩」だけの場合もあるほか、「ごまめ」などの場合もある。

*7 『愛媛県史 民俗・下』、1984年