「……んー……、眠い。寝かせてくれ。あんただったら分かってくれるだろ、この私めは貴女様のご協力ゆえにすっかりすっきりさせていただいたためもはや寝ることの他に何も考えたくないのです。警戒心だァ? そんなものは内戦中にスオラで捨ててきた。――だからこそ、の、ここ、だろう? 信頼しているんだ。冗談じゃない、俺は本気でそう思っている。現に俺だけでなく、各国要人が同じことを思ってここを訪れているはずだ。そうして、どいつもこいつも、腑抜けてあんたにべらべらと国家機密を喋っていくんだろうな――今の俺みたいに。俺が知る限りではあんたよりツヴァイター大陸を喰って生きている女はいない。ひょっとしたら死楽辺りには匹敵する女がいるのかもしれんが、少なくとも俺が知る限りではだな、あんたがもっとも大陸のアタマの情報を握り締めている。これからの時代で大陸を制するのはあんたらに違いない。ところがどっこい今宵はたいへん残念なことにございますが、俺から取れる情報なんざ大したことはないぞ。つまらん客で悪かったな。俺にある権限というのは、動くか動かないかを決めること、それだけだ。俺の目の前を素通りしていく国家機密はいくらでもあってな。エーデマルクという国は、分業がそこまで進んでいる。最悪俺が今ここで消えても、エーデマルク連合王国は生き続ける。これが俺たちエーデマルク人の目指した国家の最終形なんだ、だから俺はこれ以上の権限を求めない。それに……、まあいい、俺は自慢話をするのが好きじゃない。陸軍時代の武勇伝ならいくらでも聞かせてやれるけど、そんなのお求めじゃないだろ?」
「招待状、あんたのところにも来たのか。あのスオラが慈亞に声をかけるというのは意外だな、あいつらものすごい潔癖だろ。ああ、あいつら知らないのか、ここがどういうところか。ん、つまり、式典に直接招待されたのはあんたじゃない、と。なるほどな。いいんじゃないのか? 来れば。記念式典以外にも、スオラ料理の出店が出たり、舞台ではスオラの民族舞踊を見られたりするらしい。俺? もちろん行く、主賓だからな。特等席に座らせてくれるらしい、敗軍の将、という。入れ知恵をしている奴がいるんだ、本来のスオラ人はそんな嫌味なことをする連中じゃない。もしかしたら普通に歓迎してくれるのかもしれないし――そんな酷いこと言うなよな、俺よりスオラ人に愛されているエーデマルク人はいないと思うぞ、本当に、本当だって、もう本当――はいはいもう好きに言ってくれ」
「三周年――か。あっと言う間だったな。あの内戦が終わってから、もうすぐ三年になるのか。でも、あっと言う間だったと思っているのは、エーデマルク側だけだろうな。だってあいつらは、同じだけ――三年間、戦い続けた。戦争と平和がようやく同じ長さになる。しかも元を辿っていったら、だ、さらに長い間あいつらは忍従を強いられてきたんだ。その上戦場になったのはほとんどが今のスオラ自治州の中でな。あいつらからしたら、三年間の内戦の方があっと言う間で、そこからこっちの三年間の方が、復興の道のりの長さを感じた三年だっただろう。それでもようやくスオラ議会が開けるようになる――その祭だ。そこで祝辞を、この俺が述べてやらないでどうする。他の誰でもなく、この俺が、スオラ議会を作れるように動いてやったんだからな。俺はあいつらを最後まで見守ってやりたい」
「俺はあんな内戦、やる必要があったのか、と、今も思っているけれどな。屍の山を築かなくても、今の平和を、創り出すことは、できたのではないか。――過去のことを言っても、仕方がない、が。……そうか? まあ、そうかもな。俺が親父や兄貴の二の轍を踏んだらまずい。たまには過去を振り返ってみることにするか。苦手なんだがなぁ、終わったことを掘り返していつまでも引きずるのは、俺の性分じゃあない。そういうのは得意な奴に任せて、俺は今だけを見つめていたいんだが――そう、もう、夜中だしすっきりしたから、寝たい、とか。……いじわるー」
「俺が思うに、親父は、王としての適性がまるでない奴だった」
「父親としては、良い父親だったと思う。俺は今でも自分が家庭を持つことになったら親父は良い手本になるだろうと思っている。親父は俺にとって威厳の象徴だった。強さと、たくましさ。親父のもの言わぬ背中を、俺はいつも追い掛けていた。親父のようになりたかった。頑固親父ではあったけれどな、俺やマックスなんかはいたずらが過ぎてたまに殴られたけれど、それは、父親と息子ならではのご愛嬌だろう。同時に、妻にも――俺たちの母親にも敬意を払っていて、お袋が子供たちに楽器を習わせたり勉強の褒美に小説や衣服を与えたりすることに対しては、口を挟まなかった。子供に対しても、だ。テレサやハンナやイェルダのことは、物心がついたばかりの小さい頃から淑女として扱っていた。ロビンの吃音やエディの奇行も、しょっちゅう困ってはいたけれど、それを理由に当人たちを叱って傷つけるような真似をすることはなかった。俺とマックスは、ほら、その、ちょっと元気が良過ぎて――おい、笑うんじゃない、ここは笑うところじゃない。まあとにかく、親父がただのエーデマルク男で、俺もただのエーデマルク男だったら、それで良かった」
「親父は、エーデマルク連合王国すべての父親であろうとしたんだ、と、思う。自分の子供たち――エーデマルク王国だけでなく、ノルフェルトやインレ、そしてスオラも、自分の下で統制されていなければ気が済まなかったんだろう。俺たち兄弟は、親父が俺たちに愛情をもって接してくれていることを感じ取っていたから、親父に従うことに異存はなかった。俺やハンナ、マックスやエディは、親父に対して反発したこともあったが――うるさいそうだ性格の問題だ俺は反発したかっただけだった、……そう、反発したかっただけなんだ、俺たちは親父に恨みつらみなんてない、子供の成長として健全な範囲での反抗心しか抱かなかったから、そのうちみんなが親父に従順な若者に成長していった。だが、スオラは違う。スオラは親父の子供じゃない。まったく違う言葉を話し、まったく違う出自をもつ、つい最近まで異なる歴史の流れの中で生きてきた連中だ。それを、親父は認めなかった。親父はスオラにも自分への服従を求めた。庇護を与える代わりに、同化を求めた。親父はスオラにエーデマルク語を強いてスオラの伝承にまつわる書物を焼いた。スオラは同じ国の中にいる他の人間だ、それを何ら分かっていなかった。あの大人しいスオラがなぜあそこまで怒り狂って親父を糾弾したのか、親父は何にも分かっていなかった。親父からしたら、スオラのエーデマルク王政への批判とハンナのドレスのおねだりの区別がつかなかったんだろう。最終的に、親父はスオラをこらしめることにした。マックスに拳骨を喰らわせるのと、まったく同じ態度で。動いてはいけない時に動いてはいけない方向へ親父は動いた」
「動かざるべき時に動く王は国を滅ぼす」
「開戦当時俺は陸軍在籍四年目で、肩書きだけの尉官という立場に、形ばかりの小隊の指揮権を与えられていた。腐ってもレーヴ家の王子だ、当初は内地で後方も後方の補給だの何だのと戦闘とはまったく関係のないところで大人しくさせられた。しかし、前線から帰ってくる兵士たちの話を聞いているうちに思ったんだな。ああ、親父は馬鹿だ、と。大義のないエーデマルク兵が死に物狂いで自由を求めるスオラ人たちに勝てるわけがない。最初からこちらは士気の面で劣勢だったんだ、数だけはいたからどうにか持ち堪えていただけだ。しかも聞けば、親父は反抗的な町や村から女子供ごと潰しにかかっているという。女子供を殺されたスオラの男たちが怒り狂って復讐しに来る。俺は陸軍の若い衆を代表して親父に異議を申し立てた、この戦争はすぐやめるべきだと。そうすると親父は、反抗的な態度を取ったとして、俺たちを前線送りにした。この時俺は親父を見限った。親父は俺に、実の息子だからと言って特別扱いはしない、と言ったが、俺には逆に聞こえた。俺は八つの時のことを思い出していた――どんな悪さをしたのかは忘れたが、たぶん、兄弟喧嘩をしてヘンリクか誰かを怪我させたんだと思う、一晩罰として馬小屋に閉じ込められたことがあってな。親父は俺をあの時の悪ガキのままだと思っているに違いないと確信した。だから、親父がイルタ・ヴァルコイネンに殺されたと聞いた時、仕方がない、と思った。親父はそれだけのことをした、と。息子として父を悼む気持ちより、エーデマルク人としてエーデマルク王を恥じる気持ちが勝った」
「そこで白旗を上げれば良かったのに、親父の取り巻きたちは親父の遺志を継いで戦闘の継続を望んだ。一部のエーデマルク兵が弾薬や糧食の不足を理由に投降しても捕虜にはしてもらえずスオラ人たちに殺害された事件もあってな、当時はまだ、上層部のスオラ許すまじという気運の方が強かった。テレサは内戦が始まる直前にノルフェルトへ嫁いでいて王位継承権を放棄していたから、順番で、ヘンリクがエーデマルク王に即位した。エーデマルク軍は頭をヘンリクにすげ替えただけで、それまでどおりの戦闘を続行した」
「ヘンリクも、王としての適性がまるでない奴だった」
「俺はヘンリクのことも嫌いじゃなかった。むしろ尊敬していた。ハンナを筆頭に下五人はヘンリクを口汚く罵るが、俺とテレサは今でもヘンリクをそこまでの害悪だったとは思わない。ただし、兄としては、だ。兄弟としてのヘンリクは、俺は、好きだった。親父はヘンリクを弱腰だと叱っていたけれど――親父としては、テレサを早く嫁にやってヘンリクを自分の後継者にするつもりだったんだろうから、自分のように強い指導力で軍を率いることのできる王子に育ってほしかったんだと思う。ヘンリクは、小さい頃から穏やかで、争いごとを嫌っていた。あと、座学と芸術文化については、誰よりも良くできた。ヴァイオリンが上手かったな。俺か? 俺は家庭教師の話を右から左へ流していたからいわゆる帝王学なんてものは知らん。ヘンリクは、その辺を真面目にこなしていたから、俺は、ヘンリクはすごいな、と、単純に思っていた。ガキの頃はマックスやロビンが言うことを聞かなければぶん殴っていたしな、ヘンリクはそんな野蛮なことは一切しなかったし。何より、妹たちにとても優しかった――俺なんて何度ハンナに平手打ちを喰らったことか分からない。最初は、ヘンリクみたいな男を紳士と言うのだと思っていた」
「座学は座学だ、実践経験じゃない、実戦経験じゃない。ヘンリクが身につけていたのは机上の空論で、俺が生で体感し実践してきた戦闘ではなかった。俺は形ばかりの上少人数とは言え一応一小隊の隊長だったから、ヘンリクの命令がどれだけ遅くてもどかしいものだったか、毎日のように悩まされていた。ヘンリクに背いて勝手に撤退命令を下したこともある、そうでないと死ぬのは俺の部下たちだ。ヘンリクは、動かないでくれ、その場でどうにかしてくれ、と言っていたけれど、俺は最終的に俺の独断で何度か転戦した。陸軍の上の連中にどれだけ叱られようがどれだけ殴られようが関係なかった、俺は親父の始めたこのくだらない戦争で俺の部下たちを死なせたくなかった。俺たちは殺すか殺されるかのところにいて、俺は殺したくも殺させたくもなかった。けれどそれが、ヘンリクには、届かなかったんだな。ヘンリクは、エーデマルク軍が追い詰められているのを俺からの報告で知っていたというのに、決断しなかった。ヘンリクにとって戦争は遠いスオラの地で起こっていることで、自分が参加していることではなかった」
「動くべき時に動かない王は国を滅ぼす」
「スオラに武器弾薬を流している連中がいる? 背後に何かがいる? そんなこと、前線にいた俺にはとっくに分かっていた。内戦は、とっくに、巨大な父であるエーデマルクと矮小な娘であるスオラの戦いではなくなっていたんだ。ヘンリクはそれを実感していなかったんだろう。自分の父親やその取り巻きたちはばたばたと斃れていたのに、ヘンリクはずっと宮殿の中にいたからな。目が覚めたのは、エーデマルク海軍の誇る無敵艦隊が沈没した時のことだったらしい。命からがら帰ってきた、当時海軍のぺーぺーだったマックスが、スオラに軍艦を沈められるような爆薬を持たせている連中がいる、とヘンリクに伝えたんだそうだ。血相を変えたヘンリクは、その連中に対抗し得る同盟国を探し始めた――その結果が、イェルダのクォーテラ行きだ。ところが、イェルダという巨大な代償を支払っておきながら、戦況は何にも変わらない。むしろ悪化の一途を辿るばかりだ。しかも俺はちっとも宮殿に帰ることができずにいた、何せ兄弟で一番宮殿から遠くにいたのが俺だった。俺は、実は、ヘンリクとマックスがどんなやり取りをしたのか、イェルダが何を思ってクォーテラ行きを決めたのか、生で見ていない。全部後で弟妹たちから聞いて知ったことだ。申し訳なかったが、俺は俺の部下を死なせないために必死だったので、その時には、弟妹たちをなだめてやる余裕はなかった。そう、余裕がまったくなかった――その後のヘンリクがどんな風に追い詰められていったのかも把握できなかったし、ヘンリクを殴ることも抱き締めることも一切できなかった。ヘンリクを支えてやれる者は、誰ひとりとしていなかったんだな。ヘンリクは、孤独だったんじゃなかろうか。いまさら同情しても仕方がないけれどな――王というものは孤独なものだと、ヘンリクは、本当は、もっと前から知っていなければならなかったんだから。大勢の家臣たちにかしずかれて育ったヘンリクには、動くか動かざるかをひとりで決める力が、なかったんだろう。そんな王に用はない。俺が、ヘンリクが逃げたことを知ったのは、ヘンリクが失踪してからもう一ヶ月以上経ってからの話だ。ハンナたち弟妹はみんな憤っていたが、俺は、逆に、良かった、と思った。これでエーデマルクは無能な王に滅ぼされなくて済むし、ヘンリクもエーデマルクという重荷から解放されて何かと楽になったろう」
「残念ながら、ヘンリクの次は俺だ。赤ん坊を抱えたテレサが、ようやくノルフェルトの田舎から出てきて、瀕死の重傷でよれよれだった俺の頭に、冠を載せた。俺は王様なんて柄じゃあないとは思ったが、親父やヘンリクよりは俺の方がマシかもしれないと思って、大人しく受け入れることにした」
「俺は、いつが動くべきでいつが動かざるべきか、親父やヘンリクよりは分かっているつもりだ。そして、その、決断することこそが、エーデマルク王の唯一の義務と権利だ」
「俺はすぐに動いた。今動かなければエーデマルクはスオラとノルフェルトに引っ掻き回された挙句クォーテラとビス連の食い物にされると思って、すぐにベッドを出た。まずテレサと姪を連れてノルフェルトに行き、シモンに頭を下げて金を借りることに成功した。その金をスオラにばらまいて、スオラの動きを止めた。あいつらの怒りが金で解決するとは思っていなかったが、あいつらも食い詰めているのは分かっていたからな。ノルフェルトの金で腹が満ちて少しだけ冷静になったスオラの上層部が、俺との話し合いの席に着いてくれることになった。俺はもう、譲れるものは何でも譲ってやるからスオラの森に帰ってくれ、と頼んだ。なりふり構わず。情けないと思うか? だがそれで戦争は終わったんだ。スオラはエーデマルクから欲しいものだけを取って森に帰った。出版や言論の自由と、信仰の自由と、政治的な団結の自由と、それから、もう少しの金と飯と着替えだけだった。スオラ人というのは、本来はそういう、大人しくて慎ましやかな連中だ。親父やヘンリクはいったい三年も何と戦っていたんだと思うと、俺は馬鹿馬鹿しくて仕方がなかった。もっと早くこうすれば、こんなに大勢の人間が死なずに済んだのに」
「以後、俺は動いていない。もはや俺が動くべき事案はない。だから、俺の前で重要な情報が留まることはない。残念でしたぁー」
「――左腕は、まあ、おかげさまで、先ほどもご覧のとおり。右足は――もう、だめだろうな。切断しなくて済んだだけありがたく思った方が良さそうだ。最近は馬に乗るのも自分を騙し騙しだ、急ぎの用件はロビンに書類を持たせて出掛けさせることが増えた。まあ、いいだろう。俺はもう陸軍将校ではない。前線で小隊を指揮するのではなく、宮殿でエーデマルク王国軍全軍を指揮する立場にいる。俺が宮殿から気軽に出ていったらまずいだろう、今回みたいに、どこに行って何時に帰るかちゃーんと報告して出ないと。こっそり宮殿を抜け出す悪ガキの時代は終わった、もう壁を登ったり下町を走ったりするようなことに足を使うことはない」
「ま、俺が在位している間に、本当にエーデマルク軍を指揮することがあるのか――もっと言えば、エーデマルクを戦争へ導くために動くことがあるのか、という話もあるが、な」
「最近な、俺が足を引きずっているとルスカがあからさまな心配をするようになって、な。それがちょっと心苦しい。あいつは何にも悪いことをしていないのに。俺の体が傷ついた分だけあいつの心が傷ついたんだと思うと、俺の方が悪いことをした気分だ」
「あの時ルスカが俺を撃たなかったら――エーデマルク軍に、俺がスオラ軍に狙撃され重傷を負った状態で拉致された、という報せが行き渡らなかったら、もっと酷いことになっていただろう。エーデマルクに帰れるエーデマルク兵たちは、ヘンリクがもう宮殿にいなくて、次の――いや、その時点ですでに、今の、王が、俺になっていることを、知っていたんだから。その俺の指示なしに動くべきでないと判断した陸海軍の両将軍には感謝しないといけない。それにルスカは、自分で撃っておきながら、誰にも手当てされずに冷たい石の牢の床へ転がされていた俺にパイを焼いて持ってきてくれたんだ、可愛いだろう? ルスカだけが捕虜を人間らしく扱おうとしていた。だから俺は安心してルスカにエーデマルク軍人の籍を与えることができた。他のスオラの連中は、エーデマルク人を人間だと思っていなかったみたいだ。仕方がないだろう、だってエーデマルク人の方がスオラ人を生き物だと思っていなかった時代もあったんだ、やられたら嫌なことはひとにするなとはよく言ったものだな」
「俺たちは、もっともっと早く、エーデマルク人とスオラ人は、違う人間であり、同じ生き物であることを、知っていなければならなかったんだ」
「ルスカの笑顔を、一回も見たことがない」
「ルスカは感情をほとんど見せない。喜怒哀楽が薄過ぎる。いや、この三年で少しずつ口数も増えたし感情の欠片みたいなものをぽろぽろこぼすように見せてくれることも増えたが――笑っているところだけは、一度も見たことがないな。泣いているところだけは、数回、見たことがあるんだが、なぁ」
「ルスカは、内戦で両親を喪ったらしい。故郷の村はぼろぼろで、帰っても家がないらしい。唯一の肉親は『死神』イルタ・ヴァルコイネンなんだそうだ。そのイルタ・ヴァルコイネンはスオラの誰よりもエーデマルクを嫌っていて、会うたび、エーデマルク軍にいるルスカを酷く罵るんだそうだ。エーデマルクなんかに養われて恥ずかしくないのか、と」
「戦争というものは、そういうものだ。だから俺は、俺が王位にいる限りは、もう、エーデマルク軍を戦争に使う方向へ動かない。絶対に、動かない」
「軍備を縮小する気もないが、な。攻撃する気はなくても、攻撃されることはあるかもしれない。必要なのは防衛だ。俺はおそらく、近々、エアスター大陸から、エーデマルク陸軍に銃と大砲を、エーデマルク海軍に新しい軍艦を、買う。今はちょっとノルフェルトに借金を返しながらスオラに金を貸してやるので手いっぱいだから何も買えないが、いざという時に守りたいものを守れないようではお話にならない。笑顔もクソも、死んだら、何もかも、終わりだ」
「攻撃されることは、あるかもしれないぞ」
「マックスが言っていた。死んだ海軍提督の息子がスオラにいて、そいつがどうもビス連と内通しているようだ、と。ビス連だ。エーデマルクは最悪、ビス連とクォーテラを敵に回すはめになりそうだな。そうならないように、俺が腰を低くして渡り歩くつもりではいるけれど。俺は毎日民衆にあいつにはエーデマルク王としての威厳も尊厳もないと嘲笑われているらしいが、結構、結構。けなすことも許されない王のいる国なんて息苦しいだけだ。みんな楽しくやってくれ、俺も適当にやる。俺に本気を出させるような非常事態はもう二度と起こさないでくれ、俺もそんな事態は二度と起こさせないようにてこでも動かない覚悟を決めてある」
「――ルスカの笑顔を見たい、と、いうのは。単純に、ルスカが元気になってくれれば、というものある、が。ルスカが笑えるエーデマルクが出来上がったら――その時こそ、本当の意味での、スオラ内戦の終結、エーデマルクとスオラの共存、が、成し遂げられた時なんだろう、と、思ってだな――」
「そういう意味では、俺の最終目標は、イルタ・ヴァルコイネンをも救ってやることかもしれない、な」
「……眠くなってきた」
「…………だいぶ、喋ったな。そろそろ、寝かせてくれても、いいだろ?」
「オヤスミナサイ」




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最終更新:2015年10月28日 01:04