私の名はリティーア・セトルラーム。レクネール家の従者だ。
私が生まれた家は、セトルラームでは有名な大公家で、代々優秀な人材を輩出してきた名家である。
そんな家柄に産まれた私も、幼い頃から英才教育を受けていた。
そして17歳を迎えた頃、その才能を買われてレクネール家で採用されることが決まっていたのだけれど……
ある事情があって私は難題に直面してしまった。
「さてと……。今日の仕事は終わったし、そろそろ寝ようかな」
夜になり、自室でベッドに入った私はそう呟く。するとその時だった。部屋の扉がノックされ、外から声がかけられたのは。
「失礼しますわね。お嬢様、起きていらっしゃいますか?」
「え?あ、はい……」
聞こえてきたのはこの屋敷の
女主人の声だった。返事をするとその人は部屋に入ってくる。
「あら、もうお休みになるところでしたかしら?ごめんなさいね」
「いえ、大丈夫ですけど……」
彼女は
文明共立機構の議長で、レクネール家の当主を務めている人だ。
ちなみに年齢は3000歳を超えているはずなのだけれど、とても元気な人である。
「あの、何か用事でしょうか?」
「実はですね……あなたには明日からしばらくの間、別の仕事をして貰うことになったの」
「別の仕事ですか?」
「えぇ。まぁ仕事と言っても簡単なものなのですが……ちょっとお願いしたいことがありましてね」
「それは一体何なんでしょう?」
私が尋ねると、彼女は少し困ったような顔をする。どうやらあまり言いたくないことらしい。
でもここまで来た以上、聞かない訳にもいかないだろう。
「分かりました。教えてください」
「ありがとうございます。それじゃあお話しましょうかね……」彼女は軽く咳払いをして話し始めた。
「実はですね、明日、
例の大統領がいらっしゃるんですよ」
…………はい?大統領って、今は確か
帝国にいるはずだよな。それがどうしてここに来るんだろう?
「それでですね、一応こちらからも出迎えないといけないじゃないですか。だからあなたに行って欲しいんです」
……なるほどそういうことだったのか。確かに従者として働いていればいつかは行くことになると思っていたけど、まさかこんな早くに来るとは思わなかった。
「分かりました。いつ行けばよろしいのでしょうか?」
「そうねぇ……朝10時くらいからが良いんじゃないかしら。その頃なら他の使用人も準備をしていると思うし」
……朝10時から!?︎いくらなんでも急すぎない?もう8時間しかないじゃない!
「とりあえずよろしく頼みますよ。それと、くれぐれも粗相の無いように気をつけて下さいね!」
……というわけで翌日になったのだが、私は今、大統領の乗っている車の前に立っている。
周りを見てみると、そこには同じように侍従官の服を着た女性が何人もいた。
彼女達は皆緊張しているようで、表情が強張っていた。
……にしても、やっぱりすごい車だな。大統領が乗るだけあってかなり大きいし、装飾も凝っていて見る者を圧倒させる雰囲気がある。
ただでさえ高級感溢れる車内なのに、それを守る人達も只者ではなさそうな感じだし……。
「おい、お前達!何をぼーっと突っ立っているんだ!!︎さっさと中に入れないか!!」
……なんてことを考えていると、突然車内から怒鳴り声が聞こえてくる。
よく見てみると、そこには威厳たっぷりといった風貌をした中年の男性がいた。
彼が大統領だろう。その証拠に、彼の後ろには秘書らしき女性がいるし。
「申し訳ございません。大統領閣下。すぐに準備をいたしますので少々お待ちくださいませ」
「ふん、分かっているのならばいいのだ。だが、私のことは待たせるんじゃないぞ」
……なんか偉そうだな、このおじさん。見た目といい態度といい、まるで王様みたい。
まぁ実際、国の民意で選ばれた人なんだから、ある意味では間違ってはいないんだけど。
それにしても、この人がセトルラームの大統領であるという事実にめまいを覚えてしまう。
正直、信じたくないというか……。
「では、お入りになってお寛ぎください」
「あぁ、分かった」
大統領は運転手の人に促されて敷地の中を歩いていく。そして扉を閉めると車はゆっくりと動き出した。
その様子を見て私は思わず息を吐く。なんとか無事に乗り切れたようだ。
「ふぅ……」
「お疲れ様です、リティーア様」
「あ、ありがとうございます……」
私に声をかけてきたのはこの屋敷の侍従長だった。名前はリリアナ・ラナン。年齢は300歳前後で、とても綺麗なお姉様だ。
「あの、ところで、わたくしはどこに行けば良いのでしょうか?」
「あ、はい。まずは応接室に向かって頂きたいのですが……」
「あ、分かりました」
「ではこちらへどうぞ」
……そして私は侍従長に連れられて部屋に向かう。その間に色々と話を聞いていた。
「いつ見ても、豪華ですね……」「はい。ここはお客様がよく使う場所になりますので、それなりに豪華にしてあります」
レクネール家と言えば、いまや共立機構を代表する名家で、しかも代々優秀な人材を輩出してきた名門だ。
そんな家柄なのだから、応接する客をもてなす為の部屋もそれ相応のものを用意しなければならないのだろう。
「あ、着きましたね」「えぇ……。それじゃあ失礼します」
扉を開けると中には既に男性が座っており、私達が入ってくると立ち上がって挨拶してきた。
「初めまして。私は共立連邦の大使を務めております、ジョルスと申します」
「ご丁寧にありがとうございます。わたくしは当家の侍従官を務めさせて頂いている、リティーアと申します」
私も頭を下げながら自己紹介をする。公女としてではなく、あくまでも侍従官として、だが。彼は少し驚いたような顔をした。
「ほう……随分と謙虚な方ですね。普通ならもっと自分の立場を主張するものですが」
……確かにそうかもしれないけど、別に私は自分が偉いとは全く思っていないし。むしろ従者として働いている方が性にあってると思っているくらいだ。
だからあまりそういうことを言われると困ってしまう。
「いえいえ、滅相もないことでございます……」
私が黙っていると、今度は向こうから話しかけられた。
「実は、折り入ってお願いしたいことがありまして」
「お願いしたいことですか?」
「はい。実は……公女殿下にはしばらくの間、帰国して頂きたいのです」………………え?何それ?どういうこと?
「えっと、それは一体何故なんですか?」
「それはですね……今、我が国で内乱が起きようとしているからですよ」…………はい?何言ってんのこの人?
「内乱って、つまり戦争って事ですよね。どうしてそれが分かるんですか?まさか誰かから聞いたとかじゃないですよね」
「いいや違いますよ。これはちゃんとした情報です。つい最近、我が本国においてウラジス様が動かれたのですよ」
……はい?ちょっと待ってよ。どうしてここでその名前が出てくるのよ。まさかとは思うけど……
「……もしかして、例の大統領閣下がここに来られたのは、その関係があったりするのでしょうか」
「そうです。彼がこちらに来るのも、全てはレクネール様と対策を講じる為の訪問というわけです」
「……なるほど。そういうことだったのですね」
「先程も述べたように、我々は今、国内で内乱が起きるかどうかの瀬戸際に立たされている状態なんですよ。そこで、殿下に一つお願いの義があるのです」
「お願い、ですか……」
「はい。我々としては、今すぐにでもこの乱心を止めたいと思っています。その為に、是非とも殿下の力をお貸りしたいのです」
……うーむ、いきなり言われてもねぇ。まぁ話を聞く限り、この人は本気で言っているんだろうな。
「あの、わたくしに何か出来ることがあるとは思えないのですけれど」
だって今の私はただのメイドだし。そもそも私に何をして欲しいのかもよく分からないし……。
「あなたにしか出来ないことがあります」……はい?私にしかできないこと?そんなのあるかなぁ……。
「あの、具体的に何をすれば良いのでしょうか?」
「簡単な仕事ですよ。実は、今回の件で、ウラジス様を説得する為に、殿下に来て頂きたいのです」……はいぃ!?な、なにそれ!!
「ちょっ!それ無理でしょ!」思わず大声で叫んでしまった。
い、いくらなんでも無茶苦茶すぎる。私とお母様の関係を知らないわけではないでしょうに。
「大丈夫。きっと上手くいきます」……いやいやいや、絶対嘘だよねそれ。こんなんで成功するなら誰も苦労しない。
「あの、わたくしでは母の説得は難しいと思うので、アリウスおばさま……いえ、陛下にお願いしてください」
「そう言わずに、どうかお願いしますッ!!」……いやいやいや、絶対に嫌だよ。あの人が素直に聞く訳ない。
「あ、あの……やっぱりわたくしは行かない方が良いと思うんです」
「いえ、是非とも行ってください!そして、あの方にこう伝えて頂きたいのです」
……え?何?なんか凄く真剣そうな顔してこっちを見てるんだけど。
「『もしこのまま内戦が起きたら、私はあなたと縁を切ることになりそうで怖い』と」
……いやその言葉の意味は分かるけど、それをお母様に言うの?そんなの通じるわけがない。
ていうか、そんなの伝えた時点で殺されるんじゃ……。
「えっと、それは流石に伝えられないような気が……」
「お願いします。本当にお願いします」……いやまぁそこまで頼まれたら仕方ないか。
私がアリウスおばさまのご寵愛を受けていることを利用したいのだろうから。
「分かりました。では、その通りにします」
「ありがとうございます」
「それでは、わたくしはこれで失礼します」
刹那の沈黙。私はこの慇懃無礼な大使がくつくつと笑いを堪えているのを見逃さなかった。
「最後に一つだけ伺っても良いですか」
「あ、どうぞ」
「どうして、わざわざわたくしに頼むのですか?その、今はスカイユおじさまもいらっしゃいますし、わたくしよりも、よっぽど適任だと思えるのですが」
「……我々は、殿下の方が、あの方に対して影響力があると見ているんです。それに、あなたは、セトルラーム公家の公女殿下でしょう?ならば、きっと分かってくれると、そう思ったんです」
……やっぱりね。確かに、私が公女だということは、その辺の公族よりかはずっと説得力がある。
あるのかもしれないけれど。
「分かりました。確かにその通りかもしれませんね。では、これからよろしくお願いいたします」
「何卒、よろしくお願い致します」
……こうして、私の長い一日が終わった。これから面倒な仕事をこなさなければならない。
私は深い溜息をつくと、母親の行動の早さを密かに呪った。
それほどまでに陛下が、いや、アリウスおばさまが憎いのか、と。