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リーサルアッシュ作戦
作戦計画の模式図
戦争 リーサルアッシュ作戦
場所 旧大坂市
年月日 共立公暦978年1月
結果 地域間の合意を経て中止
地域同盟の成立
交戦勢力
相模原連合軍
旧相模原市
在日米軍
旧チェンナイ市
大坂市域臨時防衛諸団体
大坂市
指導者・指揮官
若松御園
ジョン=レイ=シュヴァートスミス
アリヴ・M・K
酉野玲奈
戦力
在日米陸軍第1軍団
在日米陸軍第311軍事情報大隊
在日米陸軍第78通信大隊
在日米陸軍第35補給大隊
在日米陸軍航空大隊
インド海軍南部艦隊
陸上自衛隊第102施設直接支援大隊
陸上自衛隊第105基地システム通信大隊
陸上自衛隊第129地区警務隊
大阪府警察・大坂市臨時公安委員会所属の武装組織
市民グループによる自警団
リーサルアッシュ作戦(英:Operation Lethal Ash)とは、ベルリン戦争末期時の相模原自衛隊と相模原米軍やチェンナイインド軍を主力とする相模原連合軍による旧大坂市(現アケノミヤ)侵攻計画の作戦名である。作戦実施前に大坂市との地域同盟(地域安全保障協力同盟)が成立したため、この計画は中止された。
 リーサルアッシュとは、英語で「致命的な灰」を意味する。


概要

相模原連合側の思惑

 リーサルアッシュ作戦は、ベルリン戦争末期に計画された作戦であり、その主な目的を旧大坂市の「集団的抵抗力の無力化」(Neutralization of collective resistance)「政治的併合」(Political annexation)とした。この計画が立案された背景には以下の理由がある。
  • 大相模原主義に基づく若松御園の指導によって、ベルリンに抵抗する相模原連合軍はチェンナイを少なくとも相模原の勢力圏に収めたかった。チェンナイの同意を得るためには戦果を得るのが手っ取り早かった。
  • ベルリンが相模原の勢力圏に収められるのはほぼ確定的だった。このため政府は大坂側からの賠償請求を危惧した。賠償請求を受けて、長らく復興の障害になるのであれば、併合して総合的に発展したほうが大相模原主義的にも、経済的にも、政治的にも良いと判断した。
  • 外部勢力によって彼我の勢力が必ずしも通用するとは限らない。このため、残留する全武力を用いて、制圧し、その状態を保全せんとする。
 作戦は、座間キャンプに駐在する米軍司令官ジョン=レイ=シュヴァートスミス大佐によって計画され、陸上自衛隊との協議の上で若松御園に提出された。
 最終的には、作戦実施前に大坂市との「地域同盟」(地域安全保障協力同盟)が成立したため、この計画は中止された。

大坂市内の情勢・酉野市長の対応

 当時の市長である酉野玲奈は、依然として猛威を振るう市内北側の「特定武装勢力」*1に手を焼いていた。そのため、自発的に結成されて久しい市民グループの力を求めたとされる。具体的には、有力な商工会をはじめとする複数の任意団体と連携。地域住民への呼びかけを強化しつつ、大規模な警察組織の再編も図った。該当する市民グループの中には非合法な組織も含まれており、多方面からの反発も想定されたことから、難しい決断を迫られていたのが実態とされる。そこで酉野市長は、残る市議会メンバーとの協議の上、異例の「専決処分」を連発。転移後、1年あまりが経過している極限状況下にあって、もはや国の増援も見込めない中、事実上、市行政による臨時独裁の様相を呈していた。市の拡大解釈のもとで広範な執行権を認められる、時の治安当局は、緊急事態を名目に際限なく実力行使に出るなど多くの不祥事を重ねていた。酉野市長率いる臨時政権は、そうした問題の早期解決を模索したという。

 周辺地域全体が魔女の釜の如き情勢に陥っている以上、むしろ相模原サイドの武力干渉に期待する声も上がった。当時の大阪府警を中心に戦力強化を続けるには相当の調整努力を要するものと見られ、市内外を問わず、有力な自治集団との協力が不可欠とされた。共立公暦978年1月X日。戦後体制を巡る大手市民グループとの交渉が決裂すると、酉野市長は抵抗勢力を抑えるための奇策として自ら相模原連合との会談に赴いた。そこで将来的な懸念事項の払拭を約束。包括的な地域同盟の締結(大相模原主義への協力)と引き換えに、一定の支援を求めるなど終始ギリギリの交渉を試みた。同年1月X日。以上の合意内容が報じられると、一部の市民団体から全面的な降伏を意味するものと非難され、酉野市長は日々の説明に追われたという。しかし、結果的には大坂市の独立を保つ流れとなり、酉野市長を中心とする強固なトップダウン体制の完成へと繋がった。この体制は、同985年。アケノミヤ学区の成立に至るまで継続。この間、当の酉野自身は多方面にわたる組織改革を断行しつつ、今日へと続く対サガミハラ外交の基本指針を定着させた。

戦闘計画

 ベルリンからの攻撃により、疲弊している大阪府警及び自警団は基本的には北部に集約されていた。大坂を侵攻するに当たり、基本的には東側からの侵攻を計画したが、相模原市の西方部(足柄、津久井地方)には山岳地帯があり、軍の輸送に問題があった。このため、基本的には南方からの侵攻が計画された(A計画)。一方で、ベルリンからの侵攻を受けても相模原の支援があって強靭な大東区及び鶴見区の制圧は同時に行われるべきであり、西北部からの侵入は必要性があった。このため、航空支援部隊を付けた侵攻計画が立てられた(B計画)。戦略的優位に発つために南部の抵抗勢力を殲滅するために、A計画の侵攻がある程度行われた時点で大坂市の南部海岸へ海軍及びそれに輸送された陸軍が上陸し、強襲する作戦を実行し、最終的に大勢を付けて北部を占領するという計画であった(C計画)

戦闘計画の破棄

 計画を受け取った若松市長は、戦闘の苛烈化により、将来に残る禍根が発生すると考え、これを拒絶しようとした。しかしながら、米軍などの意見をこの状況で市長権限で破棄することは、軍事クーデターの発生も考えられたために即断実行することが出来なかった。しかし、酉野大坂市長の交渉により、軍部を押し止める理由が思いも寄らず発生した。このためにリーサルアッシュ作戦は破棄されたのだった。

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歴史
最終更新:2024年09月13日 22:52

*1 何をもって特定武装勢力なのかって?そうですねぇ。ドイツ軍の残党?からなる新手のテロリスト集団もそうですけど、奴らの物資を片っ端からアレして急成長してるという……特定地域の方々ですとか、身体に闘争を求める公務員さんの不祥事もね。色々ですよ、色々。ああ、昨日もなんか右寄りの極道さんがお怒りになられてて、左の皆さんとの刃傷沙汰に発展したりと楽し……痛ましい事件もありました。私?形成外科の医者で部長ですけど、それが何か?……うるせえな。この酒瓶で貴様の頭をブチ割るぞ