この設定は純粋に創作上のものであり、現実の団体や個人を貶める意図は一切ありません。
本作は、架空の世界を舞台にしたフィクションであり、実在の人物、団体、場所、出来事とは一切関係ありません。この創作物が提供する情報や設定は、あくまで物語の一環として楽しんでいただくためのものであり、現実のいかなる団体や個人を中傷する意図は全くありません。
| 基本情報 |
| 主な言語 |
日本語 共立英語 |
| 所属 |
ユピトル学園主権連合体 |
| 政府 |
新大坂総合市役所 行政総局 |
| 長の称号 |
市長(学区長・学園総務) |
| 長の名前 |
金坂憲二(改革維新の党) |
| 成立 |
共立公暦985年4月16日 |
| 主な宗教 |
仏教(神道) キリスト教 |
| 通貨 |
ユピトリー・ルム |
| 総人口 |
約308万人 |
概要
アケノミヤ学区は、
ユピトル学園主権連合体に属する学園学区である。
旧世界の日本国にあった大坂市が、
事象災害によって市域ごと
共立世界に運ばれ、学区として編入された都市を指す。
正式名称を明ノ宮学区新大坂市とし、市名の新大坂も通称として広く用いられている。
名称
明ノ宮学区新大坂市の名は、旧世界の行政区画であった大阪府大坂市の市名を土台に、転移後の再出発を示す語を重ねて成り立った。元の世界では、府の名に近代以降の「大阪」の字が用いられる一方、市の名には江戸時代以前に由来する「大坂」の表記が残っており、市民は一字を違える二つの地名を使い分けて暮らしてきた。古い表記を市名に保った経緯は、過去と現在の歴史的な繋がりを重んじる気風として語り継がれ、転移後も「大坂」の字はそのまま受け継がれている。新たに冠した「アケノミヤ」は「明けの宮」とも書き表せる語で、物事の始まりを意味する。「大坂」の字は市の公文書と駅名標に統一され、旧世界の地図に残る「大阪」の字は、府の名を示す場合に限って用いられる。市の教育機関と行政機能を一つの学区に統合する再編を経て、
ユピトル連合の一員となった事情を映し、共立世界の暮らしに馴染もうとする市民の意志を込めて、市名には「新」の一字が加えられた。
歴史
旧世界の大坂市は、日本国の政令指定都市の一つとして大阪府に属し、西日本の商業の中心地として発展してきた。
転移直後
転移の起点となった
事象災害について、市の記録は西暦2017年1月7日、共立公暦977年の出来事として日付を残している。転移の瞬間には市域の内側で時計や端末の示す日付が地区ごとにずれ、住民の記憶する日付とも合致を欠いたことから、市は市役所の記録を公式の転移日に定めた。運ばれたのは大坂市の市域のみで、大阪府そのものは旧世界に残っており、府知事も市外に出ていた折に転移が起きたため、市は府の長を欠いたまま新たな世界に置かれた。市域の内側に建っていた府の庁舎と府警の本部は職員ごと運ばれ、指揮系統の頂点を失った府の組織が、市の中に取り残される格好となった。淀川は上流と河口の双方が海に開いて海水の水路に変わり、川から水を引いていた浄水場が止まると、給水の列は日を追って長くなる。物資の配分を巡る争いは暴動に発展し、旧世界との関係を断たれた市は、
共立世界の一角で社会の崩壊に直面した。
市政の再建
市長の酉野玲奈は、災害対策基本法に基づく市の災害対策本部長として、府の後ろ盾を欠いた市政の立て直しに着手した。警戒区域の設定で危険な地区への立ち入りを制限する一方、建物と物資を一時使用する権限を行使して、避難所と配給所を市内の各地に確保している。配給の網は市営の中央卸売市場と水道局を軸に組み直され、臨海部の火力発電所には、港で動きを止めた船舶の燃料が回された。食料と水の配分を条例で定める必要が生じても、議会を招集する暇のない日々が続き、市長は地方自治法の定める専決処分を重ねて補正予算と配給条例を成立させた。専決処分には次の議会で承認を求める決まりがあり、議場は承認の可否を巡る駆け引きの舞台に変わる。市長は会派の代表者を集めた会議で日々の決定を報告し、新設する公安の機関に議会から委員を推す権利を約して、多数を占める与党に加え、野党の一部からも承認を取り付けた。決定の経緯を逐一つかめる仕組みが議会の側に整っており、専決の連発を独裁と難じる声は、時とともに静まっていった。
治安の崩壊
府警では、任免を担う国の機関を失った幹部が組織の頂点に居座り、職を解く権限の持ち主を欠いたまま転移後の数か月が過ぎた。府公安委員会は委員の多くを欠いて機能を止め、警察の指揮は市長の権限の外にあった。幹部の一派は自らを国の治安権限の継承者と称し、緊急事態を名目にした令状抜きの拘束と、暴力を伴う取り締まりを重ねている。住民は略奪者に加えて警察からも身を守る必要に迫られており、町会と商店街を単位とする自警団が各地に生まれた。武装した集団の中には半グレに近い若者の集まりが紛れ込み、信者の勧誘を兼ねる宗教団体や、暴力団の息のかかった組織まで名を連ねていた。市長は自警団を災害対策基本法の従事者として登録する制度を設け、配給の優先と負傷時の補償を登録団体に与えている。登録には地元の二団体による推薦を要し、府警の暴力団排除の記録との照合によって、暴力団の構成員は名簿の段階で登録を拒まれた。推薦人を得られなかった半グレの集まりは制度の外に置かれ、隊内での勧誘を禁じる条件を嫌った宗教団体は自ら手を引いた。従事者の身分は警察の恣意的な拘束から構成員を守る盾にもなり、制度を疎む幹部と市長の対立は深まった。
ベルリン戦争
共立公暦978年に
ベルリン戦争が始まると、北の海を渡ってきたドイツ軍の部隊が市の北岸に上陸を繰り返し、残り少ない備蓄物資の供出を市民に強いた。略奪部隊は淀川以北の三区を占拠し、海水の水路と化した淀川の橋梁を挟んで、府警の部隊と登録した自警団が北部に集められた。中央区に駐在していた自衛隊の地方協力組織は丸腰の事務機関であり、正規の戦力を欠いた市にとって、橋上の攻防は人員を削り合う消耗戦となる。都島区の住民は占拠地区に近い前線でドイツ軍と激戦を繰り広げ、反攻の主力となる力を蓄えていった。当時は独立した自治体であった大東も戦場と化し、多くの住民が難民となって周辺の地域に逃れている。戦後の体制を巡る大手の市民グループとの交渉が決裂すると、酉野は自ら
相模原の指導部との会談に赴き、地域安全保障協力同盟の締結と引き換えに支援を取り付けた。合意が報じられると、一部の市民団体は全面的な降伏と非難し、市長は連日の説明に追われたものの、市は独立を保ったまま市長を頂点とする指揮の体制を固めていく。
反攻
同盟に基づいて相模原の自衛隊と米軍が市内に入ると、規律の行き届いた部隊を前に府警の強硬派は鳴りを潜め、令状抜きの拘束は目に見えて減った。警察の装備と許可を受けた猟銃に加え、撃退した略奪部隊から鹵獲した旧式の小銃と機関銃が自警団に配られており、市内では量産の担い手として市内工業連絡会議が組織された。鉄道の車輪を鍛える此花重鍛が銃身と砲身の素材を打ち、築港船渠工業が迫撃砲と艇載砲の組み立てを引き受けている。砲弾の設計には天満冷機の技術陣が加わり、薬莢の打ち抜きには、貨幣を打つ造幣施設のプレス機が回された。部品の下請けを生野と平野の町工場に割り振った会議は、小銃を鹵獲品の単純な複製に絞り、口径を鹵獲弾に揃えて弾薬を融通できる設計を選んだ。市内での製造が最後まで滞った発射薬は、相模原の部隊が貸与する現代火器とともに外から補われる。北部を奪還した市の部隊は、南港に足止めされていた長距離フェリーに人員と車両を積み込み、相模原の部隊を主力とする対岸のベルリンへの渡海作戦に加わった。
戦後の対立
戦時中に積もった警察への憎悪は戦後になって噴き出し、警察官を狙う襲撃が相次いでおり、現場の殉職者は増え続けた。犠牲の重みは組織の内側から姿勢の見直しを迫り、市長と議会の圧力も重なって、区ごとの署長と中堅の改革派が強硬派の幹部と袂を分かっている。市の条例で設けられた臨時公安委員会は国家公安委員会の役割を代行し、幹部の人事を握って、強硬派を順に職から解いた。登録から漏れた武装集団は復興計画を巡って市と衝突し、暴力団を含む勢力による大規模なテロ事件が繰り返される。市長は緊急事態宣言を発令し、臨時公安委員会の指揮のもとで市内に規制線が張り巡らされて、事実上の都市封鎖が敷かれた。戦時に登録した自警団の大手連合も武装の継続を求めて市と争ったが、全体の和解を探る住民の声に押され、市議会では新たな法案の策定が進んだ。同982年、より高度な防災と自衛の組織を創設する必要を当事者双方が布告で認め、自警団の連合は新組織に編入される形で停戦に至った。
学区の成立
同985年に成立した新暴対条例は、暴力団の資金の流れと活動の拠点を断つ規定を備え、戦後の混乱を引きずった武装集団の多くは市内から姿を消した。同じ年、市議会の決定に基づく住民投票が行われ、ユピトルの学生理事会による統治を受け入れる案が支持を集めて、市は学区として
ユピトル学園主権連合体に加わっている。編入の交渉では
文明共立機構の仲裁が功を奏し、府と市の一本化を目指した旧世界の都構想に手を加える形で、市の制度とユピトル法の整合が図られた。旧世界に府を残してきた市にとって、府の名を冠した組織の行き先は長く懸案となっており、府の庁舎に残された機能は市の部局に引き取られた。府警は新大坂市警に改められて市長の所管に移り、転移から続いた指揮系統のねじれは、学区の成立をもって解消を見た。戦時から続いた市長を頂点とする指揮の体制にも区切りが付き、市政は議会との合議を重んじる平時の運営に戻っていった。
作:Midjourney×えんたーちゃん:
金坂憲二現市長
市民
新大坂の市民は大坂で生まれ育った日本人が大半を占め、転移の当日に市内に居合わせた外国人の旅行者と就労者も、帰る道を失ったまま市民として暮らしを築いてきた。転移の瞬間に市外にいた家族と離れ離れになった市民も多く、旧世界に残した肉親の消息を確かめる術を失った家庭のために、区役所には相談の窓口が今も設けられている。編入された大東の住民が市民に加わり、戦後は同じ世界線から流れ着いた
転移者が、言葉の通じる街を求めて市内に住まいを構える例も増えた。学区となって以降は、学業を目的に渡ってくる留学生が大学の周辺に住み着き、下宿の表札は新学期のたびに掛け替えられる。転移以降の条例改正を経て、13歳以上の男女には学生議員となるための被選挙権が与えられた。中学生の段階から選挙に名乗りを上げられる仕組みのもと、各区の学校では生徒会の延長として選挙活動が根付いており、街頭で演説の練習に励む制服姿が、選挙の季節の駅前に並ぶ。
文化
新大坂の芸能は、人形浄瑠璃の文楽を筆頭に、旧世界から持ち込まれた演目を地元の劇場が守り継ぐ形で盛んに上演されている。寄席では落語と漫才が昼夜を通して高座にかかり、歌劇を看板とする宝劇場には、字幕付きの公演を目当てに異星の旅行者が列を作る。祭礼の季節には区ごとに地車を曳く行事が続き、旧世界から運ばれた地車の修繕を請け負う職人の工房が市内に残る。一時は廃れて久しかった公衆浴場は再び数を増やしつつあり、湯上がりの客を当て込んだ商店が浴場の周りに軒を連ねる。市が誘致した外資系の複合商店は大通りに大型の店舗を構え、昔ながらの商店街と客を奪い合いながら、品揃えの違いで住み分けを進めてきた。共立公暦1000年には、地域の商工団体を含む有志の活動が実を結び、大坂万国博覧会が開かれた。通称の大坂万博は市の内外から来場者を集め、観光都市としての政策に力を注ぐ総合市役所は、会期後も会場の施設を観光の拠点として使い続けている。
政治
新大坂の市政は住民投票を重んじる直接民主制の仕組みを備え、住民の直接選挙で選ばれる市長が内政権を担う。立法権は市議会に属し、司法権は、市行政総局との合意のもとに設けられた市立裁判所が持つ。住民投票は重要な政策の可否を問う場として頻繁に用いられ、投票の結果は議会の議決に先立つ判断の材料に据えられる。
ユピトルの学区となった当初は、大学の自治権を高める狙いから学区長の職を設ける試みがあったものの、学生が主体となる体制に不信感を抱く市民が多く、市長の率いる行政総局の設置に落ち着いた。学区の長を兼ねる市長は学生理事会の決裁を仰ぐ立場にもあり、市の開発計画は市議会の議決を経た後、理事会の審議に回される。学生理事会との兼ね合いから、市の機関が諸大学を支える構造が採られており、住民投票を通じて学生議員を選出している。学生の成績が市の力に直結することから、市役所はあらゆる行政サービスで学生を優待する制度を設けた。
主な政党
旧世界から議席の大多数を占め続ける
改革維新の党は、新大坂の市政を長く率いてきた地域政党である。党の支持は旧世界の頃から市内の商店主と勤め人の層に厚く、転移後の混乱期を通じて市政を担い続けた実績が、党の地盤をいっそう固めた。長谷川代表のもとで党は時代とともに姿を変え、共立世界との新たな調和を掲げる中道政治に舵を切っている。転移後の議場には、学園社会党と自由運動党を中心とする共立系の政党が加わり、市政に関与して久しい。続く勢力として自由国民党と聖価党が一定の党勢を保ち、旧世界から持ち込まれた政党と共立系の政党が議席を分け合う構図が出来上がった。学生議員を選ぶ選挙では、大学ごとの学生団体が独自の候補を擁立し、政党の推薦を受けた候補と議席を争う。旧世界の記憶を抱える年長の市民と、共立世界で育った若い世代の票の行方は、選挙のたびに各党の戦略を左右する。
主な公共施設
市の公共施設は、市政の中枢を担う機関から区ごとの学校まで、新大坂の各地に分かれて置かれている。
新大坂総合市役所
全区の区役所を束ねる市政の本庁であり、市の最重要の行政機関が集まる北区に庁舎を構える。行政総局を率いる市長のもと、多くの公務員が窓口業務から都市計画に至る行政サービスを担っている。区役所が住民に身近な手続きを受け持つ一方、本庁は区をまたぐ事業と予算の配分を扱い、両者の役割を分ける線引きが条例で定められた。三つの校区を抱える学区の事情を映して、本庁には大学との調整にあたる専用の窓口が置かれており、学生の優待に関わる制度の運用もここで取りまとめられる。転移の直後に設けられた配給の窓口は平時の生活支援の部署に引き継がれ、物資の受け取りに並んだ記憶を持つ年配の市民には、今も馴染みの深い窓口となった。転移後に集めた旧世界の行政文書は本庁の書庫で管理され、旧制度と現行制度の照合を求める市民の問い合わせに、専任の職員が書類を繰りながら答えている。
新大坂市警
大坂市警の通称を持つ市の警察組織であり、旧世界から引き継いだ数々の逸話を背景に、オーサカの名で恐れられてきた。取り締まりの厳しさは共立世界でも健在で、酔客の喧嘩から無許可の露店に至るまで、通報が入れば複数の署員が即座に駆け付ける。路上の小さな揉め事にも人数を割く運用が採られており、厳しすぎる対応を危ぶむ一部の市民団体は、行き過ぎを監視する活動を続けている。市警の本部は各区の警察署を束ね、特別機動保安隊の指揮もここで執られる。署員の採用では、旧府警から移った警察官に加えて、学区の大学で治安を学んだ卒業生が多く迎えられ、旧世界の流儀と学区の規律が同じ署の中で混じり合う。観光客の多い繁華街には多言語の案内板を掲げた交番が置かれ、道案内と落とし物の受け付けが業務の多くを占める。強面の署員が流暢な外国語で道順を説く姿に、初めて訪れた旅行者は二度驚かされる。
外国人転移者「財布落としただけやのに、なんで三人がかりで囲まれてんの!……え、拾って届けてくれただけ?ほな最初からそう言うてや!」
新大坂市議会
住民の直接選挙によって議員が選ばれる、新大坂の立法機関である。旧世界の市議会を前身とする市民院を下院とし、総合大学から選出された学生議員による学務院を上院に据えた二院制を採っている。議場は旧世界の議事堂を改修して使われており、学務院の新設に合わせて、学生議員の席を収める第二の議場が隣に増築された。市民院では旧世界の市議会以来の会派の構図が受け継がれ、学務院では、大学ごとの代表が学生の利害を背負って論戦に臨む。法案は両院の議決を経て成立し、二院の判断が割れた場合には、両院の代表による協議会で歩み寄りを探る手続きが設けられた。学務院の議員には在学中の学生が就くため、本会議の日程は講義の時間を避けて組まれる。本会議の日には傍聴席を制服姿の学生が埋め、学務院の議員に向けて手製の応援札を掲げる光景が、議場の名物となっている。
大坂城聖学院明ノ宮大学(第一校区本校)
第1校区の中核をなす大学であり、鶴見緑地を含む広大な敷地に、学生寮の並ぶ住宅街とアットモールをはじめとする複合施設を抱えている。敷地の内側には鶴見緑地線の明ノ宮大学駅が設けられ、南門の近くには大坂城聖学院前駅が置かれており、通学の足は二つの駅で賄われる。学区の成立後、第1校区では大学を軸とする各校の再編が進み、付属校と系列の研究施設が大学の運営のもとに組み込まれた。今日では学区の中枢拠点の一つに数えられることから、大坂市警特別機動保安隊の分署も敷地内に整備されている。鶴見緑地の園地は学生と市民が共に使う公園として開かれ、週末には芝生の広場で学生のサークルが催しを開く。寮の食堂も近隣の住民に開放され、昼時には学生と市民が同じ卓を囲む。学生寮の住人は講義の合間にモールで食事と買い物を済ませ、一日の用事を敷地の内側で片付ける学生も多い。
新大坂市立鶴見図書館
転移の際に崩壊した市立図書館を、新大坂市が再建した公共の図書館である。現在は大坂城聖学院本校の敷地内に含まれ、最寄駅は鶴見緑地線の大坂城聖学院前駅にあたる。再建にあたっては、瓦礫の中から回収した蔵書を修復して書架に戻し、旧世界の資料を収める専用の書庫を設けて、故郷の記録を後の世代に引き継ぐ体制を整えた。専用の書庫には転移の当日の新聞と市の広報誌が保存されており、転移の経緯を調べる研究者と学生が閲覧を申し込む。近年は
ビルド・ネットワーク・システムを導入し、蔵書の検索から映像の配信に至るまで、情報と娯楽のサービスを多くの市民に提供する。子供向けの読み聞かせの会も週ごとに開かれ、旧世界の絵本を読み継ぐ催しが親子連れを集める。大学の学生と一般の市民が同じ閲覧室を使うことから、試験の前には席を求める学生の列が、開館前の玄関に伸びる。
大坂城聖学院大学付属桃越高等学校
大坂城聖学院大学の付属校にあたる高等学校で、最寄駅は大大坂電鉄アケノミヤ環状線の桃越駅である。環状線の沿線から通う生徒が多く、朝の桃越駅では、制服姿の列が改札から校門までひと続きになる。校舎は環状線の線路に面して建ち、教室の窓の外を市電と環状線の車両が行き交う。付属校の立場を生かして、大学の教員が出向いて講義を受け持つ先取りの課程が設けられており、成績の優秀な生徒は在学中に大学の単位の一部を修める。大学の図書館と体育施設の利用も認められ、放課後には大学の敷地まで足を延ばす生徒が多い。学生議員の被選挙権を得る年齢に達した生徒も多く、校内の生徒会選挙は、市議会の選挙を見据えた予行演習の場となってきた。放課後の教室では、演説の原稿を互いに添削し合う生徒が、下校の放送が流れるまで机を囲む。駅前の商店街には生徒向けの軽食の店が並び、下校の時間には店先が制服で埋まる。
大坂市立七上中学校
城北連絡線の七上公園駅を最寄駅とする、市立の中学校である。
闘争競技に参加して以降、ブラッドレースで大きな活躍を収め、スポーツの名門校の一つに数えられた。競技への参加にあたって部活動の枠が広げられ、生徒は放課後の練習時間を確保したうえ、駅の名にもなった七上公園を走り込みの場に使っている。校庭の一角には競技の練習に使う走路が整えられ、朝練の時間帯から部員の掛け声が近隣の住宅地に響く。名門の評判を聞いて区外から入学を望む家庭も増え、遠方から通う生徒のために、保護者の間で送迎の当番を回す取り決めが結ばれた。卒業生の中には闘争競技の選手として名を上げた者も多く、休みの日には母校を訪れて後輩の指導にあたる。校内の大会には近隣の住民も観戦に訪れ、校庭の柵の外まで声援が届く。大会の前日には、通学路の商店が店先に応援の幟を掲げ、学校までの道が一夜にして応援の通りに変わる。
交通
転移によって市外と結ぶ路線を断たれた新大坂では、市域の内側で完結する交通網を一から組み直す必要に迫られた。
アケノミヤ市電
新大坂の路面電車は、市の総合交通課が運営するロードシステム(アケノミヤ市電)の手で運行されている。転移後の混乱の中、交通の混雑からバスの事故が相次ぎ、市内を走れる車両の数は日を追って減っていった。
ベルリン戦争の終結から8ヶ月後、解決策として、都市部の主要道路に線路幅1435ミリ(標準軌)の架線式路面電車を敷く計画案が浮上する。共立公暦989年には酉野市長の主導で計画の精査が進められ、廃車となった電車の部品を流用して簡易型の電車を量産する方針が示された。架線と変電の設備も、統廃合で役目を終えた鉄道会社の部材を転用して整えられ、新たな資材の調達を抑えた工事が短い期間で進んでいる。以来、市電は都市部を中心に運行を重ねており、黒字化を見込める空白地帯では路線の延長工事が続く。延伸の進展は現市長の掲げる先進的レトロ文化
(※1)の発展にも繋がり、現在は新大坂電鉄の1435ミリ区間に加えて、現ベルリン州域との渡航便に乗り入れる運行も定着した。財政上の理由から、市は架線式による運行を当面続ける意向を示している。
※1.「先進的レトロ文化」って何?あんな道楽にも等しい古すぎるもの使いまわして。ふざけてんのか?市民の税金を(以下略。某市民の声)
これに対し、市の公式見解(総合市役所ホームページ)では以下の回答が示された。
「市民の皆様からのご意見、特に「先進的レトロ文化」に関するご指摘について、私たち大坂市は真摯に受け止めております。現行世界の技術や方式に切り替えることは、多くの利点をもたらす一方で、倫理的および財政的な課題をクリアする必要があります。また、輸入に伴う安全性の確保も重要な懸念事項です。特に市民の皆様の生命や財産に直接関わる事案については、安易な妥協を排し、慎重に対応する義務があります。現在、私たちは周辺地域との連携を強化し、関係各所との交渉を継続的に行っています。こうした取り組みを通じて、安全で持続可能な発展を目指しています。また、「先進的レトロ文化」は観光資源としても重要であり、現行政策の中に位置付けられています。このような文化の保存と活用は、大坂市の歴史と魅力を国内外に発信するための大切な要素です。市民の皆様からのご意見を真摯に受け止め、今後もさらなる改善に努めてまいります。ご理解とご協力をお願い申し上げます」。
901型(低床型)
転移の時点で市域の内側を走っていた4編成のみが残り、堺市電の路面電車をロードシステムが引き継いで運用している形式である。3両で1編成を組む連接車体を持ち、転移前の堺市電では最新型の電車として、乗降口の段差を取り払ったバリアフリー対応の設計が採られた。全部で15編成が造られたうち、転移に巻き込まれた4編成は、引き続き901号から904号の番号で運用されている。旧世界の車庫と部品の供給元を失った車両は、廃車となった鉄道車両の部品を流用して手入れが続けられており、市電の工場では、堺市電の図面を頼りに交換部品の削り出しが重ねられてきた。4編成のみで回す運用では一編成の故障が系統の運行に直結するため、点検の日程は他形式の予備車と組み合わせて組まれる。低床の車内は車椅子とベビーカーの利用者に重宝され、病院の集まる区間を結ぶ系統に優先して充てられる。
1001型(復興型)
アケノミヤ市電の最初の形式として、解体された関急電鉄の車両の部品を流用して造られた電車である。転移後、市内の鉄道は2社に統合されたものの、梅田ターミナルを拠点とした関急電鉄をはじめ、市域の内側に残る区間が短かった路線は、統合された2社と道を分けて廃止に至った。戦後、黎明期の混乱から立ち上がる期待を託され、復興型電車の通称が市民の間に定着している。車体はステンレス製で、生産性を考慮した箱型を採用し、モーターは種車によって複数の種類が混在する。製造は市電の工場に市内の町工場が協力して進められ、種車ごとに寸法の違う部品を箱型の車体に収める工夫が、車両ごとに少しずつ違う床下の機器の並びに表れている。本格的な鉄道車両の部品を流用している関係で、路面電車としては高速での走行も可能とされた。最終的には現市長の公約(何が大相模原主義ですか!あっちがその気なら、こっちはオーサカ舐めんな交通網を広げてやるだけです!うん、これからの地域経済の主導権は大坂市が握るってこと!分かりましたか?この野郎!)もあり、計画時を上回る期間にわたって大量に製造された。あの~、ちょっとすんません。新しい鎮静剤を処方してもろてよろしおまっか?(82歳。大坂市大東区在住男性市民の談)
新大坂電鉄
旧世界から現在に至るまで市内で最大の規模を保つ地方鉄道であり、転移後に市内の鉄道が2社に統合された際、統合の受け皿となった一社にあたる。市域の外に延びていた路線は転移の境で断ち切られ、残された区間を市内の需要に合わせて繋ぎ直す工事が、統合の直後から続けられた。旧大坂メトロの系列にあたるアケノミヤ高速軌道とは提携を結んでおり、多くの路線を共有して直通運転を行っている。自社が所有する東西新線は高速軌道の車両の乗り入れを受け入れ、線路幅1435ミリの区間では、市電の車両とも線路を分け合う。統合で引き継いだ車両は出自の違う形式が入り混じり、整備の現場では、旧世界の各社の流儀を一つの手順書にまとめる作業に長い年月が費やされた。主要な駅には統合前の各社が建てた駅舎が今も使われ、改札の意匠と駅名標の書体に旧社ごとの面影が残る。社員の制服も、旧社の色を残したまま一つの記章を付ける形で揃えられた。
アケノミヤ高速軌道
旧世界では大坂市営の地下鉄として運行され、旧大坂メトロの系列を引き継いだ鉄道事業者である。新大坂電鉄と大規模な提携を結んで久しく、市内4校に繋がる多くの路線を共有している。南北の幹線では御堂筋線と谷町線が都心を貫き、四ツ橋線と堺筋線がこれに並行して利用客を分け合う。東西方向は中央線と千日舞線が受け持ち、小型の車両を用いる鶴見緑地線と今里筋線が、市の東部の住宅地と大学を結ぶ。新大坂電鉄が所有する東西新線にも乗り入れが可能となり、利用客は乗り換えの手間を減らして、市内の端から端まで移動できるようになった。転移によって市外に延びていた区間を失った各線では、終点の駅が折り返しの設備ごと造り替えられ、行き止まりの線路の先には車止めと退避用の留置線が設けられている。旧世界で市の交通局が運営していた経緯から、運賃と路線の計画には今も市の意向が強く反映され、市電との乗り継ぎにも共通の運賃制度が敷かれた。
アケノミヤ高速軌道700型電車
西暦1990年に鶴見緑地線に導入された、小型車体の電車である。トンネルの断面を小さく抑えた鶴見緑地線に合わせて車体が小ぶりに設計され、同2006年には、同じ規格で建設された今里筋線でも運用を開始した。2年後に次世代の800型が試験走行を始めると、後継の登場を機に700型の改装が計画され、現代の共立世界における目玉商品として内外装を一新する工事に繋がった。旧世界から持ち込んだ編成は部品の供給元を失っており、改装の工事では、市内の工場が台車と制御装置の交換部品を作り直している。改装の工程は工場の技術者を育てる教材にもなり、作り直した部品の図面は後続の編成の改装に引き継がれてきた。改装後の客室には座席と案内表示の刷新に加えて、大学の行事と講義の変更を知らせる画面が設けられ、乗客の大半を占める学生の暮らしに合わせた車内が整えられた。大学の最寄駅を擁する鶴見緑地線では、通学時間帯の主力として走り続ける。
アケノミヤ高速軌道800型電車
西暦2008年から今里筋線用に造られた、小型車体の電車である。700型の運用経験を設計に反映した次世代の車両として、試験走行を経て今里筋線の主力に収まった。車体の規格は700型と揃えられており、鶴見緑地線への乗り入れも可能となって久しい。両線を跨いで運用できる柔軟さから、利用客の多い時間帯には、鶴見緑地線の応援に回される編成もある。運転台の機器の配置も700型と共通化され、乗務員は両形式を同じ手順で運転できるため、応援の編成を組む際の乗務員の手配が容易になった。省電力の制御装置を備えた800型は、電力の確保に苦しんだ転移直後の時期にも、今里筋線の運行本数を保って走り続けている。今里筋線は市の東部を南北に貫く路線で、沿線の住宅地から大学と繁華街を目指す客を運ぶ。旧世界で造られた最後の世代の地下鉄車両にあたり、700型の改装では部品の互換性を頼りに、800型と共通の機器が流用された。
アケノミヤ高速軌道100型電車
西暦1973年から、小型車両の二線と東西新線を除く高速軌道の路線に大量配備された、多軌条式の大型電車である。転移以降は共立世界の車両技術との差が際立ち、一気に旧式化した。堅牢な設計に裏付けられた長年の安定した運行実績から、更新工事を幾度となく重ねており、現在も主力車両の一つとして運用される。更新では旧世界の部品に代えて、市内の工場で作り直した機器が順に組み込まれ、外見は昔の姿のまま、機器の大半が新造の品に置き換わった。集電に用いる第三軌条の設備も更新の時期に合わせて取り替えが進み、車両と線路の双方を少しずつ新しくする工事が、営業運転の合間を縫って続けられている。旧世界の頃から乗り続ける年配の利用客には、更新を重ねても昔のままの走行音を懐かしむ声が多い。御堂筋線をはじめとする幹線で長い編成を組み、通勤の時間帯には、高速軌道の車両の中で最も多くの乗客を運ぶ。
アケノミヤ高速軌道3000型電車
新大坂市の成立から1年後に誕生した、多軌条式の大型電車である。明ノ宮学区の成立後に初めて設計された車両で、緩やかな流線形の前面が、旧世界から続いた地下鉄の硬い印象を一新した。前面の意匠は市民から募った案を設計陣が取りまとめたもので、運転台の窓を大きく取って前方の見通しを広げている。設計にあたっては旧世界の規格に合わせた車体の寸法を保ちつつ、共立世界で調達できる機器を前提に組み立てられており、部品を市外から取り寄せる割合を下げることが開発の狙いに据えられた。車体の製造は市内の工場が手がけ、学区の成立後に初めて地元で造られた新造車として、最初の編成が車両基地を出る日には沿線に見物の市民が並んだ。100型の置き換えを担う後継として、幹線から順に投入が進んでいる。車内には転移後の市民の要望を受けて、多言語の案内表示と広い車椅子の区画が設けられた。
経済
新大坂の経済は観光政策に重心を置いており、古典芸能の興行と、旧世界の街並みを生かした娯楽産業が成長を続けている。転移の直後には、旧世界との取引を断たれた既存の産業が軒並み赤字に転じ、新たな世界との交易で黒字を計上した運輸企業が発言力を強めた。途絶えた外貨の稼ぎ口は、観光と交通の二つの事業が埋める形で回復してきた。市を挙げた路線改革のもとで鉄道会社の統廃合が繰り返され、市内のあらゆる地域で交通の事情が様変わりしている。当面の政治的課題として、市は自前のインフラ技術に頼る方針を掲げ、先端の技術者を段階的に育てる計画を、共立世界での生存戦略に据えた。市内を走る路面電車の増産にも外貨獲得の狙いがあり、旧世界の様式を残す車両は、観光客の乗車を当て込んで運行の本数が組まれる。銭湯と駄菓子屋を含む旧世界の小商いは新しい形の事業として息を吹き返し、旧世界の魅力を伝えたい市民の協力を得て、市役所と商工会議所は古物を事業に生かす取り組みを呼び掛けて久しい。
民間船舶
・山池丸(さんちまる)
大坂湾で原油を満載して航行していた、西日本商船所属の333メートル級の大型タンカーである。転移によって船主を失い、湾内で錨を下ろしたまま漂っていたところを、たかさき型巡視船きのさきに救出された。現在は行政総局の管理のもとで、液体燃料の輸送に使われている。船内のタンクは区画ごとに使い分けられ、精製前の原油と精製を終えた燃料を積み分けて、一隻で複数の燃料を運ぶ運用が組まれた。巨体を横付けできる岸壁は市内でも数が少なく、沖合に錨を下ろした船体から小型の船に燃料を移し替え、港の貯蔵施設まで運び込む方式が採られている。船体の大きさが港の乾ドックの寸法を上回ることから、船底の手入れは潜水の作業員による水中での補修で賄われる。船主を失った船の乗組員は市に雇われる形で船に残り、旧世界の航海の経験を生かして、新たな海域の潮流と水深を測る作業にも加わってきた。
地方行政区分
市域の輪郭は転移の前の姿を保っており、旧世界で内陸にあった区の一部は、転移を境に海に面する土地となった。
- 現:明ノ宮学区新大坂市の地図。従来の地域単位(通常区)に加えて、三つの校区と一つの市管理区から構成される。近隣に接する他の学区と提携し、越境路線を整備した。
市管理区
市管理区は行政総局の直轄に置かれた区域であり、市内では北区のみがこの扱いを受ける。
北区
市の最重要の行政機関が集まる北区は、戦時の教訓から要塞化が進められ、全域が行政総局の直轄下に置かれた区である。旧市役所の建物は区の象徴として今も残り、周囲には官庁の庁舎が肩を寄せ合う行政の街並みが続く。三つの校区に繋がる交通の要でもあり、紫蘇田ターミナルをはじめとする交通拠点の拡張が重ねられて、市の内外への移動は年ごとに便利さを増してきた。紫蘇田ターミナルには商業施設と文化施設が併設されており、乗り換えの合間に買い物と観劇を済ませる客で終日賑わう。アケノミヤ高速軌道は本社機能を市庁舎の中に移し、行政と交通の機能が重なり合う市庁舎の周辺は、新たな商談と交流の拠点となった。旧梅田ターミナルの一帯は高速軌道の巨大な車両基地に姿を変え、留置線に並ぶ車両の列が、かつての駅前の喧騒に代わる区の新しい眺めを形づくる。官庁の庁舎と駅を結ぶ地下通路も区内に張り巡らされ、雨の日の通勤客は地上を歩く手間を省ける。
第1校区
第1校区は市の北部から東部にかけての区で構成され、大坂城聖学院明ノ宮大学を中心に各校の再編が進む。
鶴見区
市の東側に位置する鶴見区は、旧世界では便利な交通網と落ち着いた住環境を備えた住宅地であったが、転移後の開発によって街の姿を一変させた。古い住宅地は再開発で一掃され、超高層ビルが林立する通りには、先進的な技術を取り入れた公共のインフラが張り巡らされている。今福鶴見交差点の周辺には商業施設が集中しており、市の内外から訪れる観光客とビジネスマンで賑わう繁華街をなす。区内に広い敷地を構える明ノ宮大学の周辺では特別機動保安隊による要塞化が進み、
ユピトルの軍事委員会と風紀委員会が保安隊と連携を図るほか、治安維持アライアンスの各隊も警備に加わる。学術の街と繁華街が隣り合う区の性格から、通りを行き交う人の多くは若い世代とビジネスマンで占められ、講義の終わる夕方には、学生の群れが交差点の信号待ちを埋め尽くす。大学の正門から交差点に至る大通りには学生向けの飲食店と書店が並び、昼時には学生証を見せて割引を受ける客が列を作る。
城東区
城東区は交通の要所として発展した区で、オフィス街と商業施設が立ち並び、旧世界の頃から大規模な成長を重ねてきた。病院と福祉施設が多く、高齢者を対象とするサービスが豊富に揃っており、転移後は異世界の空気を纏った高齢者の楽園に姿を変えた。区内には元気の有り余る高齢者が数多く暮らし、朝の公園から夜の寄り合いまで、街の活気を年長の住民が引っ張っている。区内の病院の一部は異能による治療を研究する施設を併設し、魔法と医療を組み合わせた診療を求めて区外から通う患者も多い。名の知れた異能使いを数多く輩出してきた区でもあり、魔法とオカルトの研究と活動が盛んに営まれる。
闘争競技の盛り上がりにも大きな影響を与え、魔法に関わる競技のイベントと大会が区内で定期的に開かれるようになった。異世界の特異な環境に合わせた特殊な施設も多く、そこから芽生えた新しい産業が注目を集めている。
旭区
旭区は千林商店街と城北公園を抱え、観光の名所と文化施設が点在する区として知られる。千林商店街は旧世界の頃から安さで知られた商店街で、転移後も値札の数字を競い合う店主の気風が健在である。旭区音楽祭は第1校区でも指折りの人気行事で、市の内外から集まる観客が地域を活気づける。住民による地元の活動が盛んで、音楽と美術が地域振興の取り組みと結び付き、区独自の文化が根付いた。新大坂電鉄の関目鷹殿駅とアケノミヤ高速軌道の城北公園通駅が交差する位置にあり、二つの駅は乗客の流れが集中する交通の要所となっている。両社による乗客の争奪戦も繰り広げられており、通勤時間帯の駅の周辺は人波で埋まる。北縁の土地が海に面して以降、城北公園から続く河川敷は潮風の通る水辺の散歩道に変わり、音楽祭の野外舞台も水辺に組まれるようになった。城北公園の菖蒲園は初夏の名所で、花の季節には区外からの見物客で園路が混み合う。
都島区
都島区には、西日本電信社を再編した明ノ宮通信社の本社が置かれ、通信に関わる施設が区内の各所に集まっている。近年は宇宙空間での小型通信基地の建設に成功し、通信社の技術陣は区の産業に新たな柱を加えた。京橋駅は新大坂電鉄とアケノミヤ高速軌道の2社を中心に多くの鉄道会社が連結する駅で、乗り換えの客が一日を通して行き交う。市の象徴の一つとして名高いグランサトービルは転移後も健在で、相当の規模で事業を展開してきた。戦時中に多くの難民と移民を受け入れた区の街並みは、昭和の頃を上回る混沌を抱えたサイバー都市に変わり、路地の奥まで多国籍の屋台がひしめく。京橋の歓楽街では客引き同士の呼び込み合戦が夜ごとに過熱しており、刺激を求める観光客には、市内でも指折りの賑やかな夜の街として人気を集める。かつて治安当局の監視下に置かれた
テロリストの拠点は閉鎖され、跡地は更地のまま再開発を待っている。
西淀川区
西淀川区は、かつて大規模な工場地帯として知られた区で、旧世界の頃には工場の撤退が相次ぎ、跡地の目立つ街並みが広がっていた。転移後に四つ美交通株式会社が産業エンジンの大規模工場を建設すると、区は工業地域としての重要性を取り戻し、アケノミヤで使われるエンジンの大半がここで造られるようになった。荒れ地となった土地の再開発では重工業から軽工業への転換も進み、商業施設と高層マンションが増えて、生活圏と職場が近接する街に変わっている。区に本社を置く製菓業のエリーコ株式会社は、転移後に発売したアケノミヤチョコ(クレープ味)で、浪速区を中心とする一大ブームを巻き起こした。大坂市立西淀川高校は、同地域にあった西淀川商業高校と淀女子学園が合併して誕生した多目的の高等学校で、女子のスポーツに強い。区の西と北はいずれも海に面しており、工場の岸壁には原料を運ぶ船が横付けされる。
此花区
此花区は港湾業務と海上運送の中心地として栄えた歴史を持ち、海に浮かぶ埋立地を区域に抱えている。埋立地には新しい観光地区と商業施設が立ち並び、レジャーと娯楽の拠点として人気を集める。大型のショッピングモールと遊園地が週末の家族連れを呼び込み、海辺の公園では、観光客が芝生に腰を下ろして沖を行く船を眺める。埋立地と本土を結ぶ橋とトンネルは区の交通の要で、休日の夕方には遊園地帰りの車列が橋の上に連なる。旧来の工業施設と貨物ターミナルは順に再開発され、新しいオフィスビルと住宅地に生まれ変わりつつある。鉄道の車輪と車軸を鍛える此花重鍛の製鋼所は今も操業を続けており、再開発の進む街の一角で、鍛造の槌音が昼夜を問わず響く。埋立地の一角には市の清掃工場が建ち、ごみの焼却で得た熱を近隣の施設に送っている。沿岸部の再開発は、埋立地の緑地と都市の機能を組み合わせる形で進められ、海沿いの遊歩道は区の端から端まで延びている。
港区
港区は大坂港を中心に発展してきた区で、物流と観光の両面で市の要所を占める。港湾施設が多く、市の内外から集まる貨物を捌く物流業が区の経済を支えており、埠頭の倉庫街では荷役の作業が夜通し続く。近年は埠頭と倉庫の一部が再開発され、ビジネス地区と高層マンションの建設が進んで、港町の顔に都市の顔が加わった。旧世界から使われてきた岸壁は、新たな世界の船の寸法に合わせて延長と補強の工事を受け、異星の貨物船も横付けできるようになっている。観光施設も充実した区は、大型のクルーズ船が寄港する港として知られ、客船が着く日には岸壁に土産物の露店が並ぶ。倉庫街を改装した市場と飲食店は観光客の人気を集め、港で水揚げされた魚介を店先で味わえる。運河を巡る小型の観光船も運航され、水上から倉庫街を眺める周遊の便が日に何度も出る。埠頭の先端には港を一望できる展望の広場が設けられ、出入りする船を眺める市民の憩いの場となった。
福島区
福島区は市の中心部に位置し、商業と住宅の機能に文化の彩りが加わった区である。長い歴史を持ち、旧世界では大坂の商業の一翼を担った土地柄から、老舗の店舗と昔ながらの飲食店が今も数多く暖簾を掲げる。再開発に伴って高層ビルとマンションが立ち並ぶようになり、市の中心部に近い便利さから、居住地としての人気を集めてきた。区内には市営の中央卸売市場の本場が置かれており、早朝の場内では競りの声が飛び交い、仕入れを終えた料理人が市場の食堂で朝食をかき込む。鉄道の高架下には居酒屋と立ち飲みの店が軒を連ね、仕事帰りの勤め人が店をはしごする。古い長屋を改装した雑貨店とカフェも路地に点在し、若い世代の散策の場となっている。アートギャラリーと博物館が点在する区は、文化的な活動が盛んな地域としても知られ、週末には画廊を巡る客が路地を行き来する。区内には大学の附属病院が置かれ、市内の各区から専門の診療を求める患者が通う。
淀川区
淀川区は市の北端に位置し、淀川沿いに広がる区である。主要な高速道路と鉄道が区内を通り、物流とビジネスの拠点として重みを増してきた。市内でも広大な住宅地を抱える区で、ファミリー層が暮らしやすい環境が整っている。住宅地の中には旧世界から続く商店街が残り、区内の工場街では、金属加工と印刷を営む中小の企業が操業を続ける。区の北縁は転移を境に海岸線となり、淀川の水も海水に変わったことから、広い河川敷の緑地は潮の香る水辺の公園として住民に親しまれている。北の海岸には小さな漁港が整えられ、朝の水揚げを目当てに買い付けの業者が集まる。旧世界の高速鉄道の駅舎と高架橋は転移後も区内に残っており、標準軌の線路を受け継いだ高架は、市内の鉄道網に組み込まれて新たな役目を得た。駅前のビジネス街には朝夕に通勤客が行き交い、高架の下に連なる飲食店は、仕事帰りの客で夜遅くまで席が埋まる。
東淀川区
東淀川区は市の北部に位置し、住宅地と商業地が釣り合いよく混在する区である。駅の周辺には商業施設と飲食店が立ち並び、閑静な住宅地と賑やかな駅前が通り一本を隔てて隣り合う。公園と緑地が点在し、教育機関も豊富に揃っており、子供を育てる家庭にとって暮らしやすい街として評判が高い。区内の大学と専門学校に通う学生も多く、下宿の並ぶ一角では、安価な定食屋と古書店が学生の財布を支える。区の東部には古くからの農村の名残を留める集落が点在し、旧家の門構えが住宅地の中に残る。通勤と通学の便にも恵まれ、区内の駅からは都心に向かう列車が頻繁に発着する。淀川から水を引いていた区内の浄水場は、川の水が海水に変わった後、海水を淡水に変える設備を加えて稼働を続けている。北の海岸線に沿って築かれた堤防の上は遊歩道として整えられ、沖を行く船を眺めながら歩く住民の姿が朝夕に並ぶ。
東成区
東成区は焼肉屋をはじめとする古い商店が軒を連ねる区で、路地を歩けば炭火の煙と商いの声に迎えられる。転移後の一時期には闇市が進出したものの、混乱が落ち着いた後は、そのまま通常の店舗として看板を掲げ直した店も多い。闇市の名残を留める店では、店主との掛け合いで値を決める商いが今も続き、常連客の楽しみとなっている。旧世界から続く商店の多くは家族で店を営み、店主が客の名前を覚えて声を掛ける付き合いが残る。今里駅を中心とする交通の主導権はアケノミヤ高速軌道が握り、駅前から延びる商店街は乗り換えの客を取り込んで賑わう。駅の周辺には仕事帰りの客を当て込んだ屋台が夕方から並び、広場には夜遅くまで人の声が響く。住宅の合間には小さな町工場が点在しており、金属を削る音と焼肉の匂いが、同じ通りの上で混じり合う。商店街の外れには古い長屋を改装した貸し工房が並び、若い職人が工芸品の制作に励む。
大東区
大東区は、元は大坂市の外にあった一つの自治体で、転移後の混乱を経て新大坂市に編入された区である。戦後、空いた土地の有効活用が進むとニュータウンの造成が始まり、成人した学生のための格安住宅が立ち並んだ。ニュータウンの街区は学生の住まいと企業の事務所が区画ごとに整然と分けられ、区の中心に設けられた広場では、週末ごとに学生の企画する市が開かれる。造成の手が及んだ範囲の外れには雑木林が一部残され、学生の散策と野外の実習に使われている。大鉄バスを吸収合併した大坂中央バスは、区内に巨大なターミナルと車両基地を建設して久しく、バス路線を軸とする交通網が区の発展を牽引している。ターミナルには市内の各区と結ぶ路線バスが発着しており、朝の便は大学に向かう学生で混み合う。共立世界における貿易の要所として認知されて以降は、多くの企業が次々と進出し、かつての街並みを知る住民が道に迷うほど、未来感あふれるモデル都市に変貌を遂げた。地方再生しすぎだろ(
第2校区
第2校区は市の中央から南東部にかけての区で構成され、都心の商業地と南の港町を一つの校区に抱える。
中央区
中央区は市の中心地に位置し、商業とビジネスの機能が集積する区である。心斎橋と難波の繁華街が近接し、経済の面でも市の中枢を占める。商業施設と高層ビルが立ち並ぶ一方、歴史的な建造物と文化施設も多く、旧世界から受け継いだ街並みと再開発で生まれた景観が隣り合う。観光地としても知られ、大坂城の天守を目指す観光客が城の公園を埋める。大坂城の周りには堀と石垣が残り、外堀に沿った散策路は朝の走り込みに励む市民で賑わう。道頓堀では川沿いの遊歩道を食べ歩きの客が埋め尽くし、アメリカ村は古着と雑貨の店が集まる若者の街として人波が絶えて久しい日もない。繁華街の地下には各地を結ぶ地下街が延び、市の中心に位置する区の性格から、各区に向かう地下鉄と市電の路線の多くが区内を通る。大企業の本社が集まるほか、旧世界の府の庁舎も区内に残っており、現在は市の部局が庁舎を引き継いで使っている。
天王寺区
天王寺区は新大坂電鉄が本社を置く区で、転移の前から電鉄の主導による地区の整理が進められてきた。転移後は従来の動物園が拡張を重ね、異世界の生物を含む多くの種を保護する巨大な生物種保存エリアが形成されている。保存エリアの中心には、旧世界をモチーフとする超高層のアースタワーが建設され、塔を目当てに訪れる旅行者で、区は新市内有数の観光地となった。保存エリアでは旧世界から運ばれた動物と共立世界の生き物が区画を分けて飼育されており、両方の世界の生き物を一日で見て回れる。周辺には研究施設も置かれ、異世界の生物の生態を調べる学生が飼育員と並んで観察に励む。電鉄の本社に近い駅前には百貨店と商店街が広がり、沿線の各地から集まる買い物客で週末は通りが埋まる。寺町の一角には旧世界から続く寺院が集まり、門前の坂道には石畳と土塀の町並みが残る。
生野区
生野区は、生野中華街に代表される観光と、ロイド製薬の本社を核とする産業が、釣り合いよく根付いた区である。中華街の大通りには料理店と食材店が軒を連ね、点心の湯気が立つ店先では、食べ歩きの客が列を作る。中華街の一角では食材の卸売を営む店が早朝から荷を捌き、市内の料理店の仕入れ先となっている。祭りの季節には獅子舞が通りを練り歩き、爆竹の音が路地に響く。区内を走る市電の停留所は中華街の入口に設けられ、観光客の多くはここから散策を始める。ロイド製薬は区内に研究所と工場を構えており、製薬に関わる中小の企業と町工場が周辺に集まって、区の産業の裾野を広げてきた。武道による更生を促す施設の刀生塾も区内にあり、竹刀の音が響く道場の付近は、不良学生が遠巻きに避けて通る一角となっている。塾生が早朝の通りを走り込む姿は、通勤の住民にとって見慣れた朝の風物となった。
阿倍野区
阿倍野区は東部と西部に分かれる地理的な特徴を持ち、発展の途上にありながら、市内で注目を集める区である。高さと存在感で区の象徴となった阿倍野ハルカスを中心に、高層ビルの建設が進む。ハルカスの上層には展望台が設けられ、市の全域と周囲の海を見渡せる眺めが観光客を集める。商業と住宅の機能が混在し、高層ビル群の足元には住宅地とオフィス街が広がる。近年はショッピングモールと飲食店が増え、カフェの並ぶ通りが若者と観光客を引き寄せている。地下鉄とバスの便がよく、都心への移動も容易で、区内を走る路面電車の停留所では、買い物袋を提げた客が乗り降りを繰り返す。古い商店街は停留所を軸に延び、八百屋と金物屋の並ぶ通りを日々の買い物客が行き交う。東部には旧世界から続く住宅地の落ち着きが残っており、西部の再開発地区の賑わいとは街の表情が大きく違う。
東住吉区
東住吉区は市内の食品が集まる集散地であり、明ノ宮の台所の異名を持つ。区内の東部市場には青果と鮮魚が日々運び込まれ、仲卸の店が並ぶ場内は、未明から競りの声で活気づく。市場の周辺には料理人向けの道具店が集まり、包丁と鍋を求める客が早朝から店を訪れる。転移を境に区の南縁が海に接すると、新たに築かれた岸壁に漁船と貨物船が着くようになり、区は新市内有数の港町に姿を変えた。転移の前から存在する東部市場前駅は、現在の市内で最大規模の貨物駅となって久しく、明ノ宮ターミナル輸送社の貨物列車とトラックが昼夜を通して行き交う。港に揚がった魚が市場を経て駅から市内の各地に送り出される流れが出来上がっており、水揚げから店頭に並ぶまでの道のりは、区の中で完結する。区の北部には陸上競技場を備えた広い運動公園があり、市民の大会と球技の試合が週末ごとに催される。
平野区
平野区は市の南東部に位置し、住宅地の広がる落ち着いた区である。もとは農業地帯として発展した土地で、都市化の進展とともに住宅と商業施設が田畑に取って代わった。区の西部には大学の実習農場が置かれ、農業地帯の名残の畑で学生が作物を育てる。旧世界の頃から続く古い町並みの一角には、堀を巡らせた町の名残を伝える寺社と町家が残る。区内には広い公園と緑地が多く、近年は若いファミリー層の移住が増えて、地域の活気が増している。小学校と中学校が数多く置かれ、通学路の見守りには地域の住民が当番を組んで立つ。鉄道とバスの路線が整い、市の中心部への移動も容易である。南縁の土地は海に面して以降、土手が海沿いの遊歩道に整えられ、散歩と釣りを楽しむ住民が集う。区の東の境には市の外に通じる陸路の玄関口が設けられており、物資を積んだトラックが朝夕に検問所を出入りする。
第3校区
第3校区は市の西部から南部にかけての区で構成され、旧世界から海に面してきた港の区を多く含む。
西区
西区は市の中心地から西に進んだ位置にあり、アケノミヤ高速軌道の阿座ターミナルと藤壺公園を抱える区である。転移の前はマンションと集合住宅が密集していたが、再開発が進んで、商業施設とオフィスビルの並ぶ現代的な街並みに変わった。阿座ターミナルは市の内外を結ぶ交通の要所で、物流の拠点としても区の経済を支えている。ターミナルの周辺には大型のショッピングモールと飲食店が集まり、観光客とビジネスマンを迎えるホテルも駅前に軒を並べる。藤壺公園は都心に残された広い緑地で、遊具の並ぶ広場と噴水のある散策路が、住民の気分転換の場として親しまれている。昼休みには近隣のオフィスで働く人々が弁当を手に芝生に集まり、木陰のベンチは早い者勝ちで埋まっていく。区の西端は運河に面しており、倉庫を改装した工房と飲食店の並ぶ一角が、若い世代の足を運ばせる。
浪速区
浪速区は通天閣タワーを中心とする区で、塔の足元には新アケノミヤの名を掲げた飲み屋街が軒を連ねる。酒を飲める年齢の学生に加えて、第二の人生を謳歌する『高齢者』が昼夜を問わず暴れており、路上の飲み比べに挑んで散財した異星人の旅行者が、無一文で宿に戻る騒ぎは年々増えて社会問題となった。不定期に始まる酒瓶投げは、
闘争競技にも通じるストレス解消法として地元で推奨されている。区の一部は有数の電気街となって久しく、オタクの聖地として知られてきたが、復興の過程で陽キャ天国に様変わりした。推しの解釈を巡る半グレ同士の抗争も続く中、近年はナマモノを扱う違法な商品が出回り、歴代の代表理事と学生理事会の要人を題材にした過激すぎる同人誌が店頭を賑わせた。とりわけ、公の場で昂ぶる癖の知れ渡った
エレイナ・フィルトヴァール当代代表を描いた一冊は版を重ねていたものの、大坂市警によって無事摘発された。
西成区
西成区はアケノミヤの南寄りに位置する区で、転移の前には花街と低所得者層の住む地域を一部に抱えていた。色々あって大規模な発展を遂げた現在は、かつての姿を知る者が目を疑うほど、富裕層を中心とする世界観が街を覆っている。花街の名残を留める木造の建物は改装されて料亭と宿に生まれ変わり、高級住宅の並ぶ通りの合間に、旧世界の下町の面影を伝える小さな飲み屋が点々と挟まる。昔ながらの値段で串カツを出す店も残っており、高級住宅の住人が普段着のまま列に加わる。区内の公園は住民の出資で整え直され、手入れの行き届いた花壇が朝の散歩の客を迎える。区の南部では新しい住宅地の造成が続き、洒落た店舗の並ぶ通りが年ごとに延びていく。過去の文化の名残から、成人した学生が夜の店に通う姿もたびたび目撃されており、地域経済の巡りを良しとする地元の住民が、学生の客を店に案内しているのが実態らしい。
大正区
大正区は昔ながらの工業地帯として発展した区で、今も工場の並ぶ一角に往時の名残を留めている。区の外縁を川と運河が巡る土地柄から、対岸との往来には橋に加えて渡し船が使われ、市営の渡し船は通勤と通学の住民の足となっている。旧世界の頃から沖縄にゆかりを持つ住民が多く暮らし、区内の商店には南の島の食材と料理が並ぶ。近年は工場跡地の再開発が進み、住環境と商業施設の整備によって暮らしやすさが高まってきた。大正駅の周辺は交通の便に恵まれ、商業施設の増加に伴って、地元の住民に加え近隣の区からも買い物客が集まる。区内には歴史的な建造物と公園が点在し、地域の歩みを伝える場所として散策の客を迎える。再開発で誕生した新しいショッピングモールと住宅地が若い世代の住民を呼び込む一方、工業地帯としての顔も保ち続けており、運河沿いの工場から響く機械の音が区の個性となっている。
住之江区
住之江区は市の南西の端に位置する海沿いの区で、もとは漁業と港湾関連の工業が盛んな土地であった。住之江公園と海辺の一帯は住民の憩いの場となっており、観光とレジャーの施設も集まっている。人工島の南港にはフェリーのターミナルが置かれ、長距離の航路に就く船が岸壁に並ぶ。南港にはオフィスと展示場の集まる一角も設けられ、旧世界から続く水上の競走場は、今も週末ごとに観客を集める。臨海部では火力発電所が市の電力を賄い、造船とプラントを手がける築港船渠工業も本社を構えて、海に面した産業の拠点が区の経済を支える。区内には多くの住宅地が広がり、近年の再開発で商業施設とオフィスビルが増えて、海と街の距離が近い暮らしが人気を集めてきた。海沿いの住宅地では、潮の干満に合わせて釣り客が岸壁に並ぶ。大和川の流れていた南縁にも海が迫り、護岸を固める工事が今も続く。
住吉区
住吉区は住宅地としての性格が強い区で、近隣には観光地と文化施設も多い。住吉大社をはじめとする歴史的な名所を抱え、境内を訪れる参拝客と観光客で門前は年中賑わう。地域の住民に深く親しまれた社であり、祭礼の日には区を挙げて神輿の巡行を支える。区内を走る路面電車は大社の門前を通り、境内に架かる反り橋は参拝客の写真の名所となっている。大社の周りに残る古い屋敷町には、生垣と板塀の続く静かな通りが延びる。駅の周辺には商業施設が多く、ショッピングモールと飲食店の集まる一角が活気に満ちている。住宅地が広がる一方で昔ながらの商店街も残っており、旧世界から続く店と転移後に開いた店が同じ軒先に並ぶ。商店街の和菓子屋では、参拝の土産として昔ながらの菓子が売られる。区の南縁は新たな海岸線に接し、海から吹く風が、商店街の奥まで潮の香りを運ぶ。
国際関係
新大坂は学区としての立場から、市単位の提携を通じて他の地域との交流を重ねている。
姉妹都市
軍事
新大坂の軍事力は、大坂市警特別機動保安隊が擁する陸上、海上、航空の3保安隊からなる。海上の戦力は、催事の対応で偶然に市内の港を訪れていた小型巡視艇すずつき型5隻と大型巡視船きのさき1隻を起点とし、これらを主力とする臨時戦隊が戦時の海上作戦を担った。航空保安隊は臨海部の飛行場を拠点に、沿岸の監視と救難の輸送を受け持つ。転移後、国からの増援を見込めない状況のもとで市は自前の戦力の育成を迫られ、共立公暦982年に創設された防災と自衛の組織が、後の保安隊の母体となっている。アケノミヤ学区の成立以降は、皆無に等しかった正規の戦力を大幅に増強し、府警から改めた新大坂市警の隷下に保安隊を創設して、転移前と比べて相当の重武装を遂げた。保安隊の隊員は警察官の身分を持ちながら、重火器の扱いと部隊での行動の訓練を受け、平時には災害の救助と市内の警備に動員される。
海上艦艇
海上保安隊の艦艇は、旧世界から運ばれた巡視船艇を改修した船を中核としている。
すずつき型巡視艇
旧世界の西暦1992年に、前級のそよかぜ型の代船として建造された巡視艇である。建造の途中で安全法上の問題に対応するため、急遽船体を延長し、20メートル級として就航した。西暦2016年までに160隻が造られたうち、大坂湾海上警察に所属していた5隻が転移に巻き込まれている。新大坂市の成立以降は主にユピトル製の機材を取り入れ、不審船への対処能力を向上させた。旧世界の部品に代えて市内の造船所が船体の補修と機関の換装を引き受けており、就役から長い年月を経た船体を現役に保つ。小回りの利く船体は港内と沿岸の哨戒に向き、5隻は港区の岸壁を母港として、交代で沖に出て昼夜の哨戒を続ける。市の港を出入りする船の臨検と、海岸線に沿った巡回も日々の任務に含まれる。船体の塗装は旧世界の頃のまま残され、船首に記された船名と番号は、市民にも見慣れた姿である。操船を学ぶ新人の隊員は、すずつき型での乗務を経て大型の船に移る。
- すずつきCL11
- てるつきCL40
- はるつきCL137
- よるつきCL138
- まんげつCL165
たかさき型巡視船きのさき
周辺海域での領海侵犯を警戒する目的で設計された、大型の巡視船である。西暦2012年から建造が始まり、当初は7隻が存在した。転移の直前、母港の那覇から大坂の港で開かれた催事に参加するために訪れており、停泊中に市とともに運ばれている。主な武装として20ミリ機関銃と30ミリ単装機銃を1基ずつ搭載し、救難艇1隻と警備艇2隻を船上に積む。船上の救難艇と警備艇は市内の造船所で整備を受け、搭載の機材にはユピトル製の監視装置が加えられた。転移後の混乱期には単独で支援活動を実施し、旧ドイツ軍との海戦においても、対応できる唯一の軽武装艦として重用された。現在は海上保安隊で最大の船体を生かして沖合の警戒を受け持ち、積載する艇を使い分けて、救難と警備の任務を一隻でこなす。大型の船体は荒天の日にも沖合に留まれるため、悪天候の際の警戒は本船が一手に引き受ける。
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最終更新:2026年10月04日 13:50