ユピトル学園主権連合体 > 学園学区 > アケノミヤ学区

この設定は純粋に創作上のものであり、現実の団体や個人を貶める意図は一切ありません。
本作は、架空の世界を舞台にしたフィクションであり、実在の人物、団体、場所、出来事とは一切関係ありません。この創作物が提供する情報や設定は、あくまで物語の一環として楽しんでいただくためのものであり、現実のいかなる団体や個人を中傷する意図は全くありません。

明ノ宮学区新大坂市
基本情報
主な言語 日本語
共立英語
所属 ユピトル学園主権連合体
政府 新大坂総合市役所
行政総局
長の称号 市長(学区長・学園総務)
長の名前 金坂憲二(改革維新の党)
成立 共立公暦985年4月16日
主な宗教 仏教(神道)
キリスト教
通貨 ユピトリー・ルム
総人口 約308万人
 アケノミヤ学区(正式名称:明ノ宮学区新大坂市)は、転移後、ユピトル連合において成立した学園学区の一つ。転移以前は旧大坂府を構成する自治体であったが、西暦2017年1月7日(共立公歴977年)、事象災害による転移現象によって当共立世界に飛ばされた。いわゆる大坂時震とも言われる、一連の大震災によって旧世界との関係は全て断絶。物資の供給が滞り、暴動が起こるなど転移後社会は深刻な崩壊の危機に直面した。同2018年(978年)にドイツ軍部隊が襲来して以降は残り少ない備蓄物資等の供出を強いられ、時の有志連合会(指定暴力団)を母体とする抵抗戦線の構築に繋がったとされる。一方、警察法を独自に解釈した大坂市長が市内北部の奪還に乗り出すと、これまで境界の維持に徹していた周辺地域も動き出し、ともに反攻していく流れを辿った。混乱の収束以降は、ユピトル政府(学生理事会)による保護のもとで大規模な復興を推し進め、一大観光地域としての発展を遂げた。


概要

 当記事ではユピトル学園主権連合体、アケノミヤ学区(新大坂市)に関する記録を纏める。

名称

 転移後の新たなスタートを象徴するため、この都市名は通常の「大阪市」ではなく「明ノ宮学区新大坂」となった。「アケノミヤ」は「明けの宮」とも解釈でき、新しい日の出、新しい始まりを意味する。転移という大きな変化を乗り越え、新しい未来を切り拓く都市としての再出発を強調している。転移後、元々の正式名称「大阪府大坂市」がそのまま維持されるのではなく、新たな行政区画として「アケノミヤ学区(明ノ宮学区新大坂)」が設立され、元の教育機関や行政機能が統合され、より効率的な運営が可能となった。ユピトル連合の一部として成立したことを反映し、「新大坂」として新たな都市名を採用し、共立世界でのアイデンティティを確立し、他の地域との連携や交流を強化している。また、「新大坂」という名称は、元の大坂市の歴史と文化を尊重しつつ、新しい環境に適応する姿勢を表している。転移によって変わった環境や新しい文化との融合を図り、住民たちの誇りと絆を保ちながら、未来志向の都市として発展していく意志が込められている。さらに、元の世界から「大阪」を「大坂」と呼び続けているのは、歴史的な意図が込められているからだ。「大阪」という表記は近代以降に使われるようになったものであり、「大坂」という表記は江戸時代以前のものに由来する。この表記を使用することで、過去の時代と現在との歴史的繋がりや伝統を重んじ、古き良き時代を思い出させる意図がある。また、異なる時空域での再出発を強調するために、あえて古い表記を採用することで、新たな環境におけるアイデンティティと歴史的背景を融合させている。

歴史

 元は共立世界とは異なる時空域に属し、『日本国』における政令指定都市の一つとして発展してきた。しかし、西暦2017年(共立公暦977年)。事象災害による大規模な転移現象を受け、都市ごと共立世界に飛ばされてきた歴史を持つ。同2018年(978年)に至るまでの1年間は、少ない物資を巡って市民同士が争う極限状況が続いた。一部の繁華街においてはアウトロー集団による違法行為が公然と繰り返され、より大規模な武装集団が生まれるなど、大坂史上において類を見ない最悪の様相を呈したとされる。一方、第二次世界大戦相当のドイツ・ベルリン軍に対して、有効な戦力を持たない大坂市長は残る警察部隊を呼び戻し、特定市民グループ(背後に暴力団)との防戦協定を結ぶという決断に至った。これにより、事実上、公認の自警団となった暴力団組織は秘密裏に準備していた重火器の使用を市に認めさせ、SAT他、有力な警察部隊と合流。道中に多くの入隊志願者を引き入れつつ、各地を占拠するドイツ軍の締め出しにかかった。この間、市の総力を尽くして量産(または周辺地域によって貸与)された現代火器が多くの市民に行き渡ると、時の有志連合部隊は更に北上を続け、対岸のベルリン市内に突撃したという。戦後の復興計画を巡っては市と有志連合が再び衝突する流れとなり、暴力団主導による大規模テロ事件が頻発した。それでも多くの地域住民が全体の和解を模索し、大坂市議会における新たな法案の策定へと繋がった。同982年。有志連合所属組織に関する議題で、早期改革(より高度な防災・自衛組織の創設)の必要性を認めた当事者間の布告から、一応の停戦に漕ぎ着けたとされる。同985年に新暴対条例が成立。時の市議会決定に基づく住民投票が実行され、学生理事会の統治を受け入れる流れとなった。この間、時の大坂市長による緊急事態宣言の発令から、多くの規制線が設けられ、臨時公安委員会による事実上のロックダウン体制が敷かれていた。最終的には文明共立機構の仲裁が奏功し、従来の都構想に手を加える形でユピトル法との整合性を合わせてきた経緯がある。
作:Midjourney×えんたーちゃん:金坂憲二現市長

市民

 一部外国人も含まれているが、大坂生まれの日本人が大多数とされる。転移以降の条例改正を経て、13歳以上の男女に学生議員となるための被選挙権が与えられた。

文化

 地域独自の文楽を始め、落語や漫才、宝劇場など様々な伝統芸能が盛んとされる。また、一時は廃れて久しかった公衆浴場が再び増加の兆しを見せており、外資系の複合商店なども多数誘致された。
地域商工団体を含む有志の活動から、共立公暦1000年・大坂万国博覧会(通称、大坂万博)を実現。金坂市長率いる総合市役所は観光都市としての政策に力を入れている。

政治

 住民投票に基づく直接民主制を採用。住民の直接選挙により選出される新大坂市長が内政権を有する。
前身の旧市議会(現:市民院)に学務院を加えた新大坂市議会が立法権を有した。市行政総局(内閣に相当)との合意からなる市立裁判所が司法権を持つ。
学生理事会(ユピトル中央政府)との兼ね合いから自治体機関が諸大学を支援する構造となっており、住民投票を通じて学生議員を選出している。
学生の成績は市の力に直結するため、新大坂市役所はあらゆるサービスにおいて学生を優待する制度を設けた。

主な政党

 前世界から引き続き、『改革維新の党』が議席の大多数を占める。
これに共立系の政党(学園社会党や自由運動党など)がコミットして久しく、続いて自由国民党、聖価党が一定の党勢を保った。
長谷川代表率いる改革維新の党は時代とともに変遷し、中道政治による新たな共立世界との調和を掲げた。

*1

主な公共施設

新大坂総合市役所
 エリア内(北区)に存在する全ての区役所を統括する組織。行政総局を率いる大坂市長以下、多くの公務員が行政サービスを担った。

新大坂市警察
 通称、大坂市警。転移前における数々の伝説からオーサカの名で恐れられる。当世界においても取り締まりに容赦がなく、一部の市民団体から危険視された。

外国人観光客「」

大坂城聖学院明ノ宮大学(第一校区本校)
 鶴見緑地を含む広大なエリアを有し、主に学生寮からなる住宅街や、アットモール等、数多くの複合施設が存在する。
また、鶴見緑地線の明ノ宮大学駅が敷地内にあり、南門付近には大坂城聖学院前駅が設置された。
今日では中枢拠点の一つに収まっていることから、大坂市警特別機動保安隊の分署もエリア内に整備されている。

新大坂市立鶴見図書館
 最寄駅は鶴見緑地線の大坂城聖学院前駅。現在は大坂城聖学院本校の敷地内に含まれている。転移時に崩壊した市立図書館を新大坂市が復興させた。
近年はビルド・ネットワーク・システムを導入しており、多くの市民に高度な情報と娯楽サービスを提供する。

大坂城聖学院大学付属桃越高等学校
 最寄駅は大大坂電鉄のアケノミヤ環状線の桃越駅。

大坂市立七上中学校
 最寄駅は大大坂電鉄の城北連絡線七上公園駅。闘争競技にコミットして以降のブラッドレースで大活躍し、スポーツ名門校の一つに数えられた。

新大坂市議会
 住民の直接選挙によって構成された。旧世界由来の市民院(下院)に加えて、総合大学選出の学生議員からなる学務院(上院)の二院制を採用する。

交通

アケノミヤ市電

 路面電車は新大坂市の総合交通課、「ロードシステム(アケノミヤ市電)」によって運用されている。転移後、混乱の渦中にあった大坂市では交通混乱によってバスの事故が多発し、車両が足りなくなっていた。ベルリン戦争の終結から8ヶ月後、その解決策として、都市部の主要道路に架線式線路幅1435ミリ(標準軌)の路面電車を敷設する計画案が浮上。共立公暦989年。酉野市長主導による内容の精査とともに、廃車となった電車の部品を流用し、簡易型電車の量産化を図る方針が示された。以上の経緯から、今日も都市部を中心に運用される。その他、黒字化を見込む空白地帯において路線の延長工事が続いており、金坂憲二.現市長による先進的レトロ文化(※1)の発展にも繋がった。現状としては新大阪電鉄の線路幅1435ミリ区間をはじめ、「現ベルリン州域」との渡航便に乗り入れ可能となって久しい。財政上の理由から、今後も暫く架線式路線による運用を続ける意向も示された。

※1.「先進的レトロ文化」って何?あんな道楽にも等しい古すぎるもの使いまわして。ふざけてんのか?市民の税金を(以下略。某市民の声)
 これに対し、市の公式見解(総合市役所ホームページ)では以下の回答が示された。
「市民の皆様からのご意見、特に「先進的レトロ文化」に関するご指摘について、私たち大坂市は真摯に受け止めております。現行世界の技術や方式に切り替えることは、多くの利点をもたらす一方で、倫理的および財政的な課題をクリアする必要があります。また、輸入に伴う安全性の確保も重要な懸念事項です。特に市民の皆様の生命や財産に直接関わる事案については、安易に妥協することなく、慎重に対応する義務があります。現在、私たちは周辺地域との連携を強化し、関係各所との交渉を継続的に行っています。こうした取り組みを通じて、安全で持続可能な発展を目指しています。また、「先進的レトロ文化」は観光資源としても非常に重要であり、現行政策の中に位置付けられています。このような文化の保存と活用は、大坂市の歴史と魅力を国内外に発信するための大切な要素です。市民の皆様からのご意見を真摯に受け止め、今後もさらなる改善に努めてまいります。ご理解とご協力をお願い申し上げます」。

901型(低床型)
 転移時に4編成のみ残っていた。堺市電の路面電車をロードシステム(アケノミヤ市電)が引き継いで使用している。
連接車体で3両1編成。転移前における堺市電の最新型電車で、バリアフリーに対応するデザインを採用した。全部で15編成が作られ、転移に巻き込まれた全4編成が引き続き901号〜904号として運用されている。


1001型(復興型)
 移転後、大坂市の鉄道は2社に統合されたものの、梅田ターミナルを拠点としていた関急電鉄を筆頭に転移後の残存路線が非常に短い区間は2社に統合される事なく廃止となった。この形式はアケノミヤ市電の最初の車両として廃止となり、解体された関急電鉄の部品等を流用して作成された。戦後、黎明期の混乱から立ち上がるという期待から「復興型電車」の呼称も定着している。車体はステンレス製で、生産性を考慮した箱型車体を採用。モーターは種車により複数の種類がある。元が本格的な電車に使われる部品を流用しているため、高速走行も可能とされた。最終的に現.金坂市長の公約(何が大相模原主義ですか!あっちがその気なら、こっちはオーサカ舐めんな交通網を広げてやるだけです!うん、これからの地域経済の主導権は大坂市が握るってこと!分かりましたか?この野郎!)もあり、計画時よりもさらに長期間大量に製造された。あの~、ちょっとすんません。新しい鎮静剤を処方してもろてよろしおまっか?(82歳。大坂市大東区在住男性市民の談)


新大坂電鉄

 旧世界から現在に至って、なお最大規模を誇る。地方鉄道。旧大坂メトロ系列のアケノミヤ高速軌道と提携し、多くの路線を共有した。

アケノミヤ高速軌道

 旧世界においては、大坂市営地下鉄(旧大坂メトロ)として存在していた。現在は新大坂電鉄と大規模な提携を結んで久しく、市内4校に繋がる様々な路線を共有する。
鶴見緑地線、今里筋線、谷町線、御堂筋線、中央線、四ツ橋線、堺筋線、千日舞線などに加えて、新大阪電鉄が所有する東西新線への乗り入れも可能となった。

アケノミヤ高速軌道700型電車
 西暦1990年から鶴見緑地線に導入された。小型車体の電車。同2006年には今里筋線でも運用開始となった。その2年後には次世代型の800型が追加で試験走行し、現代共立世界における目玉商品としての改装へと繋がった。

アケノミヤ高速軌道800型電車
 西暦2008年から今里筋線用に作られた。小型車体の電車。鶴見緑地線にも乗り入れ可能となって久しい。

アケノミヤ高速軌道100型電車
 西暦1973年から鶴見緑地線、今里筋線、東西新線以外の路線に大量配備されている。多軌条式の大型電車。転移以降は一気に旧式化した。
堅牢な設計による長年の安定性(実績)から幾度となく更新を続けており、現在も主力車両の一つとして運用される。

アケノミヤ高速軌道3000型電車
 新大坂市の成立から1年後に誕生した多軌条式の大型電車。
明ノ宮学区が成立後に初めて設計された列車。緩やかな流線形で地下鉄の硬いイメージを一新した。

経済

 現在は観光政策に力を入れており、伝統芸能を始め、各種娯楽産業が目覚ましく発展している。
転移直後、前世界との断絶によって元の産業が軒並み赤字となる中、新世界との交易で黒字を計上した運輸企業の発言力が高まった。
市を挙げた徹底的な路線改革から多くの鉄道会社が統廃合を繰り返し、あらゆる地域において交通事情が様変わりした。
当面の政治的課題として自前のインフラ技術を頼り、段階的な先端技術者の育成を定めるなど現世界における新たな生存戦略を掲げた。
今日、大坂市内を走る路面電車も外貨獲得の一環として増産されたものである。また、銭湯や駄菓子屋などを含む新しい形の事業も発展を遂げた。
前世界の魅力を伝えるために多くの市民が協力し、大坂市役所を始め、商工会議所による古物の有効活用が叫ばれて久しい。

民間船舶
 ・山池丸(さんちまる)
 大坂湾にて原油を満載し、航行していた西日本商船所属の333メートル級大型タンカー。
移転後は船主を喪失してしまい大坂湾で停泊中だった所をたかさき型巡視船きのさきによって救出された。
現在は明ノ宮学区自治政府によって液体燃料の輸送に使われている。

地方行政区分

 第1校区:大坂城聖学院明ノ宮大学を中心に各校の再編が進んでいる。転移以降、各地の交通路線と断絶し、鉄道、バス、運送と関連企業の再編が進んだ。ベルリン戦争の教訓として、一部地域においては大坂市警指揮下の特別機動保安隊が常駐。軍事委員会を始め、風紀委員会、治安維持アライアンス各隊との連携を図っている。大学自治権の向上も兼ねて、当初は『学区長職』を設ける試みがあった。しかし、学生主体の体制に不信感を持つ市民も多く、行政総局の設置に繋がった。
  • 現:明ノ宮学区新大坂市の地図。従来の地域単位(通常区)に加えて、三つの校区と一つの市管理区から構成される。近隣に接する他の学区と提携し、越境路線を整備した。
*2

市管理区

北区
 北区は、ベルリン戦争の教訓を受けて、戦争による影響を最小限に抑えるための要塞化が進められた地域である。旧市役所はその象徴的な建物であり、戦後の北区のシンボルとも言える存在だ。現在では、市の最重要行政機関が集まる場所として、全域が行政総局の直轄下に置かれている。このため、北区は一種の「行政都市」と化し、その他の区と異なる特別な役割を担っている。
北区は、三大校区へ繋がる交通のハブとしても機能しており、その重要性は年々増している。紫蘇田ターミナルをはじめとする交通拠点の拡張が続けられ、国内外の移動がますます便利になった。このターミナルは単なる鉄道駅にとどまらず、商業施設や文化施設も併設されるなど、地域全体の発展を支える大規模なインフラ施設となっている。
また、大坂市庁舎の中にアケノミヤ高速軌道の本社機能が移転して以来、アケノミヤ高速軌道は北区の一部としてその拠点を強化した。市庁舎周辺は行政機能と交通機能が重なり合う中心地として、新たなビジネスや交流の拠点となっている。さらに、梅田ターミナル周辺はアケノミヤ高速軌道の巨大車両基地に変貌を遂げ、交通網の中心としても多くの人々が行き交う重要な場所となった。これにより、北区は単なる行政区にとどまらず、交通、経済、文化の中心地としての顔も持つ、多機能なエリアへと進化を遂げている。
このような発展により、北区は他の地区とは異なる一種の「中枢都市」として、都市全体を支える重要な役割を果たしている。

第1校区

鶴見区
 鶴見区は、アケノミヤの東側に位置し、元々は便利な交通網と住環境を備えた地域であったが、転移後に一変した。転移により急速な発展を遂げ、現在では未来感あふれる都市景観が広がっている。特に今福鶴見交差点周辺は商業施設が集中し、国内外からの観光客やビジネスマンで賑わい、繁華街としての機能を果たしている。
転移前の古き良き住宅地が一掃され、超高層ビルが林立し、先進的な技術が活用された公共インフラが整備されている。これにより、都市の機能性が一層向上し、住民の生活環境も格段に向上した。さらに、特別機動保安隊による要塞化が進んでおり、明ノ宮大学の敷地内にも強固なセキュリティが施されている。このため、治安面でも安心感があり、繁華街や商業施設が集まる一方で、学術的な要素も加わり、知識や文化の中心地としても注目されている。都市の最先端を行く地域であり、特に若い世代やビジネスマンが集まる場所となっている。

城東区
 城東区は、交通の要所として発展し、多数のオフィス街や商業施設が立ち並び、大規模に成長した地域である。病院や福祉施設などの公益事業所が多く、特に高齢者を対象としたサービスや施設が豊富に揃っており、住民の生活の質を高める環境が整っている。転移により街全体が異世界的な空気を纏うようになり、高齢者たちの楽園のような地域へと変貌した。元気すぎる高齢者が数多く住んでおり、そのエネルギーが地域全体に影響を与えている。
また、城東区は多くの著名な異能使いを輩出しており、魔法やオカルトに関する研究や活動が活発に行われる地域でもある。闘争競技の盛り上がりにも大きな影響を与え、区内では魔法に関連した競技イベントや大会が定期的に開催されるようになっている。さらに、区内には特殊な施設も多く、異世界での特異な環境に適応した新しい産業や活動が芽生え、注目を集めるようになった。

旭区
 旭区は、千林商店街や城北公園など、観光スポットや文化施設が点在する地域として知られ、特に旭区音楽祭は第1校区でも有数の人気イベントとなっている。音楽祭には国内外から多くの観客が集まり、地域活性化にも寄与している。また、旭区は地域住民による地元活動が活発で、音楽、アート、地域振興などが融合した独自の文化が根付いている。
旭区内の交通インフラも充実しており、新大坂電鉄の関目鷹殿駅とアケノミヤ高速軌道の城北公園通駅が交差する位置にあり、この二つの駅は乗客の流れが集中する交通の要所となっている。そのため、旭区内では乗客争奪戦が繰り広げられることもあり、特に通勤時間帯には駅周辺が混雑することが多い。区内は観光地と住民の生活が密接に結びついており、訪れる人々にも地元の温かみを感じさせる場所となっている。

都島区
 西日本電信社を再編した明ノ宮通信社の本社が存在し、通信関係の施設が多数存在する。近年、宇宙空間での小型通信基地の建設に成功した。現在の京橋駅は、新大坂電鉄とアケノミヤ高速軌道の2社を中心に、多くの鉄道会社が連結する。市の象徴の一つとして、グランサトービルが有名であることに変わりはなく、転移後に相当規模の事業を展開した。戦時中に多くの難民や移民を受け入れ、昭和時代以上に混沌としたサイバー都市へと変化している。転移前における暴対法の施行から、勢力を縮小させていた暴力団(現:京橋自警団)が息を吹き返し、大坂市警による黙認のもとで地域貢献という名の治安維持活動を展開した。近年、新たに台頭しつつある半グレ系列グループと暴力団組織の抗争が風物詩となり、刺激を求める観光客を大いに喜ばせているという。通念的には、ガルグ街に匹敵する危険地帯として認識された。なお、この地域の住民はドイツ軍を相手に激戦を繰り広げ、反攻作戦の主力となった伝説を持つ。そうした功績から、組事務所の隣にテロリストの拠点が建設されて久しく、常時、治安当局の監視下に置かれた。

西淀川区
 かつては大規模な工場地帯として知られていたが、近年、工場の撤退後に荒れ地となった場所が新たな産業エリアに再開発されている。特に、重工業から軽工業への転換が進み、都市としての機能が強化された。
現在では、商業施設や高層マンションが増え、生活圏と仕事の場が密接に結びついている。若年層の人口が増加しており、活気に満ちたエリアとなっている。
また、交通網の発展も著しく、地域内外へのアクセスが向上したことが、商業活動の拡大に寄与している。

此花区
 この区は、かつて港湾業務や海上運送の中心地として栄えた歴史を持つ。近年では、埋立地に新しい観光エリアや商業施設が立ち並び、レジャーやエンターテイメントの拠点として注目を浴びている。
観光地としては、大型のショッピングモールや遊園地、そして海辺の公園などがあり、週末には多くの家族連れや観光客が訪れる。
また、旧来の工業施設や貨物ターミナルが次第に再開発され、新しいオフィスビルや住宅地として生まれ変わりつつある。沿岸部の再開発により、自然環境と都市機能が調和した新しい地域として、今後ますます発展が期待される場所。

港区
 港区は、大阪港を中心に発展してきた地域で、商業・物流・観光の要所となっている。港湾施設が多く、国内外からの貨物が集まるため、物流業界が盛んである。
近年では、港周辺の埠頭や倉庫の一部が再開発され、ビジネスエリアや高層マンションが建設されるようになり、都市の顔としても注目されている。
また、観光施設も充実しており、大型クルーズ船が寄港することでも知られ、大阪港の周辺は観光地としても賑わっている。

福島区
 福島区は、大阪の中心部に位置し、商業・住宅・文化の融合したエリアである。長い歴史を有し、元々は大阪の商業の一翼を担っていた地域でもあり、現在でも老舗の店舗や伝統的な飲食店が数多く存在している。
近年では、再開発が進み、高層ビルやマンションが立ち並ぶようになり、居住区としても非常に人気のあるエリアとなった。
また、福島区には文化施設も充実しており、アートギャラリーや博物館が点在し、文化的な活動が盛んなエリアとしても知られている。

淀川区
 淀川区は、大阪市の北部に位置し、淀川沿いに広がるエリアである。特に、交通インフラが整備されており、主要な高速道路や鉄道が通っているため、物流やビジネスにおいても重要な拠点となっている。
区内には、大阪の中でも特に広大な住宅地が多く、ファミリー層にとって住みやすい環境が整っている。また、公園や自然が豊富で、特に淀川河川敷の広さとその周辺の緑地は、住民や訪れる人々にとって憩いの場となっている。

東淀川区
 東淀川区は、大阪市の東部に位置し、住宅地と商業地がバランス良く混在しているエリアである。特に、駅周辺には多くの商業施設や飲食店が立ち並び、賑やかな雰囲気が漂っている。また、住宅地も充実しており、閑静な場所が多いため、住民にとって快適な生活環境が提供されている。
地域には公園や緑地が点在しており、自然との調和が取れたエリアとしても知られている。教育機関も豊富で、子供を育てる家庭にとっては魅力的な地域となっており、さらに、交通の利便性も高いことから、通勤や通学においても非常に便利な立地である。

東成区
 東淀川区は、大阪市の東部に位置し、住宅地と商業地がバランス良く混在しているエリアである。特に、駅周辺には多くの商業施設や飲食店が立ち並び、賑やかな雰囲気が漂っている。また、住宅地も充実しており、閑静な場所が多いため、住民にとって快適な生活環境が提供されている。
 地域には公園や緑地が点在しており、自然との調和が取れたエリアとしても知られている。教育機関も豊富で、子供を育てる家庭にとっては魅力的な地域となっており、さらに、交通の利便性も高いことから、通勤や通学においても非常に便利な立地である。
 焼肉屋を始め、古い商店が軒を連ねる。転移後は一時的にヤミ市が進出したが、落ち着いた後はそのまま通常店舗になる事もある。今里駅を中心にアケノミヤ高速軌道が交通の主導権を握った。

西淀川区
移転前は工場の大規模撤退により工場跡地が目立っていたが、移転後四つ美交通株式会社が産業エンジン工場を建設したことを契機に再び工業地域としての重要性が増している。
  • エリーコ株式会社
西淀川区に本社を置く製菓業、移転後に発売したアケノミヤチョコ(クレープ味)は浪速区を中心に一大ブームを引き起こした。
  • 四つ美交通株式会社
移転後、西淀川区に大規模工場を建設しアケノミヤで使われるエンジンの大半を製造した産業エンジン製造企業。
  • 大坂市立西淀川高校
移転前に同地域にあった西淀川商業高校と淀女子学園が合併して誕生した多目的高校学校。女子スポーツに強い。

大東区
 元は大坂市とは異なる一つの自治体として独立していたが、転移後の混乱を経て新大坂市に編入された。対ベルリン戦争において激戦地と化した結果、多くの市民が難民となって周辺地域へ逃れた黒歴史を持つ。戦後、空いた土地の有効活用が進むと、必然的にニュータウンとなり、成人した学生のための格安住宅が立ち並んだ。更に大鉄バスを吸収合併した大坂中央バスの巨大ターミナルや車両基地が建設されて久しく、関連の交通網が発展している。共立世界における貿易の要所として認知されて以降は、次々と多くの企業が進出。旧時代とは全く異なる街並みを形成し、原型を留めないほど未来感あふれるモデル都市へと変貌を遂げた。地方再生しすぎだろ(

第2校区

中央区
 大阪の中心地に位置し、商業、ビジネス、文化が集積した地域である。心斎橋や難波、梅田といった繁華街が近接しており、経済的にも非常に重要なエリアである。
商業施設や高層ビルが立ち並ぶ一方、歴史的な建造物や文化施設も多く、伝統と現代が調和する地域。近年では再開発が進み、街の景観が大きく変化している。
また、観光地としても知られ、大阪城や道頓堀、アメリカ村などが観光名所となっている。中央区には大阪の行政機関や大企業の本社が集まり、政治・経済・文化の中心としての役割を果たしている。

天王寺区
 新大坂電鉄の本社があり、移転前から電鉄主導による地区整理が進んでいた。
転移後は従来の動物園を更に拡張し、巨大な生物種保存エリアを形成。その中心地に旧世界をモチーフとする超高層アースタワーが建設されると、更に多くの旅行者を惹きつけ、新市内有数の観光地となった。

生野区
 生野中華街やロイド製薬本社があり、観光や産業が均等に入った地区。刀生塾という武道による更生を促す施設の付近は不良学生達があまり近付づかない場所でもある。

阿倍野区
 阿倍野区は、東部と西部に分かれる地理的な特徴を持ち、発展途上の地域でありながらも、大阪府内でも注目されるエリアである。特に阿倍野ハルカスはその高さと存在感で、地区のシンボルとなっている。
阿倍野区は商業と住宅の両方が混在する地域であり、高層ビル群が建設される一方で、住宅地やオフィス街も多く見られる。
最近ではショッピングモールやレストラン、カフェが立ち並び、若者や観光客にとって魅力的なエリアとなっている。また、地下鉄やバスの交通アクセスが非常に便利で、都心部へのアクセスも良好である。

東住吉区
 明ノ宮の台所と言われる程の食品が集まる場所。現世界へ転移し、海と接して以降は新市内有数の港町となった。
移転前から存在する東部市場前駅は現大坂市内で最大規模の貨物駅となって久しく、明ノ宮ターミナル輸送社による貨物列車やトラックが行き交う。

平野区
 平野区は、大阪市内の東部に位置し、住宅地が広がる静かなエリアである。もともとは農業地帯として発展していたが、都市化が進む中で、現在では主に住宅や商業施設が多く見られる。
区内には広い公園や自然が豊富で、住民にとっては落ち着いた生活環境が整っている。特に、近年は若いファミリー層の移住が増えており、地域としての活気も増している。
また、平野区には多くの小学校や中学校があり、教育環境も充実している。鉄道やバスなどの交通インフラが整備されており、大阪市中心部へのアクセスも良好である。

第3校区

西区
 アケノミヤ高速軌道の阿座ターミナルや藤壺公園が存在する。移転前はマンションや集合住宅が密集していたが、現在では再開発が進み、商業施設やオフィスビルが立ち並ぶ現代的な街並みが広がっている。
西区は、大阪市の中心地から西へ進んだエリアに位置し、経済的にも重要な場所であり、特に物流や交通の要所となっている。阿座ターミナルは、市内外へのアクセスが良好で、商業の中心地とも言える。このターミナル周辺には、大型ショッピングモールや飲食店、ホテルなどの施設が多く集まり、観光客やビジネスマンにとって重要な拠点となっている。
また、藤壺公園は都市の中のオアシスとして機能し、市民の憩いの場として利用されている。公園内には広大な緑地や遊具、噴水などがあり、地域住民のリフレッシュスポットとなっている。
西区は、その多様な顔を持つ地域で、商業と住宅、そしてレジャー施設がうまく共存している場所である。

浪速区
 通天閣タワーを中心に新アケノミヤと呼ばれる飲み屋が軒を連ねた。呑める年齢の学生は元より、転生し、元気になりすぎた『高齢者』が昼夜を問わず暴れている。路上で身ぐるみを剥がされ、無一文となった異星人旅行者のボルテージが年々上昇し、社会問題となった。不定期に発生する酒瓶投げは闘争競技に通じる至高のストレス解消法として推奨される。一部のエリアは有数の電気街となって久しく、オタクの聖地として知られた。移転後の復興過程において陽キャ天国となり、サブカル志向に目覚めた半グレ同士の抗争が続いている。近年、ナマモノに触れる違法な商品(東雲前代表をアレした過激すぎる同人誌を含む)が流通し、大坂市警によって無事摘発された。

西成区
 アケノミヤの南に位置する地区。転移前は一部で花街や低所得者層のエリアも存在した。色々あって大規模に発展し、今では見る影もなく富裕層中心の世界観を形成している。
過去文化の名残で、学生と思わしき若者が夜の店に入り浸る光景も度々目撃された。地域経済の巡りを良しとする地元住民によって誘導されているのが実態らしい。

大正区
 大正区は、昔ながらの工業地帯として発展した地域であり、現在もその名残が残る場所である。近年では工場跡地の再開発が進み、住環境や商業施設の整備が行われ、住みやすさの向上が図られている。特に大正駅周辺は、交通の便が良く、商業施設が増え、地元住民だけでなく、近隣エリアからも集客があるエリアとなっている。
大正区内には歴史的な建造物や公園も点在しており、地域の歴史を感じることができる場所も多い。近年の再開発で新しいショッピングモールや住宅地が誕生し、若い世代の住民も増加している。しかし、依然として工業地帯としての一面も持ち続けており、その特色が地域のアイデンティティに影響を与えている。

住之江区
 住之江区は、大阪市の南端に位置し、海沿いの地域である。もともとは漁業や港湾関連の工業が盛んな地域だったが、現在では観光地としても注目されるスポットが多く存在する。特に住之江公園や海辺のエリアは、住民にとって憩いの場となっており、観光やレジャー施設が集まっている。
また、住之江区内には多くの住宅地が広がっており、都市生活と自然環境がバランスよく共存している。近年では再開発が進み、新しい商業施設やオフィスビルも増加しており、都市と海の間で絶妙な調和を見せている。住之江区は、生活の利便性が高いだけでなく、海との接点が多いため、住民にとって魅力的な場所となっている。

住吉区
 住吉区は、住宅地としての側面が強いものの、近隣には観光地や文化施設も多く、バランスの取れた地域である。住吉大社をはじめとする歴史的な名所が多く、観光地としても親しまれている。地域住民にとって、住吉大社は地元のシンボル的存在であり、また、文化活動が盛んな地域としても知られている。
住吉区内には駅周辺の商業施設も多く、特にショッピングモールや飲食店が集まっているエリアが活気に満ちている。住宅地が広がる一方で、昔ながらの商店街も残っており、地域の伝統と新しい文化が融合している。住吉区は、住宅地と観光地、商業地がバランスよく調和しており、生活の質の高いエリアとして注目されている。

国際関係

姉妹都市


軍事

 陸、海、空の3保安隊(大坂市警特別機動保安隊)を保有。元は中央区駐在の地方協力隊しか存在せず、旧ドイツ軍(略奪部隊)の侵攻を許してしまった。一方、たまたまイベント等の対応で訪れていた『小型巡視艇すずつき型』5隻と『大型巡視船きのさき』1隻の支援を受けており、これが後に成立する臨時戦隊の主力として活躍した。転移後、国からの増援が見込めない中、時の大坂市長の方針により大坂府警の権限が大幅に強化された経緯がある。また、新世界における周辺地域との連携を図って治安を回復させた。アケノミヤ学区が成立して以降は、皆無に等しかった正規戦力を大幅に増強。大坂府警を新大坂市警と改め、新たに保安隊を創設するなど転移前と比べて相当の重武装を遂げた。

海上艦艇

すずつき型巡視艇
 前級の巡視艇とされる「そよかぜ」型の代船として、旧世界における西暦1992年に建造された。
その間、安全法上の問題に対応するため、急遽船体を延長し、20メートル級としての就航を迎えた歴史を持つ。
転移後、新大坂市が成立して以降は主にユピトル製の機材を取り入れ、不審船への対処能力を向上させた。
同2016年までに160隻が存在したが、そのうち大坂湾海上警察に所属していた5隻が移転した。
  • すずつきCL11
  • てるつきCL40
  • はるつきCL137
  • よるつきCL138
  • まんげつCL165

たかさき型巡視船きのさき
周辺海域での領海侵犯警戒用に設計された大型巡視船。2012年から建造され当初は7隻存在した。転移以前、大坂の港で開催されたイベントに参加するため、母港とされる那覇から訪れていた。
主な武装として、20ミリ機関銃と30ミリ単装機銃を1機搭載。これに加えて、救難艇が1隻と警備艇の2隻を積んでいる。
移転以降の混乱期に単独で支援活動を実施し、旧ドイツ軍との海戦においても唯一対応できる軽武装艦として大いに活用した。

  • きのさきPL10

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地域
最終更新:2025年01月18日 19:29

*1 作:えんたーちゃん

*2 作:@Freeton2