鉄と血の残響


大戦終結後の連合帝国とガルロ派の暗躍

 大戦終結後、連合帝国各地には初代皇帝一党(通称「ガルロ派」)の影響が根強く残っていました。戦後、第二代皇帝ガルーネ・ヴィ・ユミル・イドラム二世を頂点とする帝国は、事実上の敗戦を経験した教訓から、対話による平和外交路線を打ち出しました。この方針転換は、厭戦感情を訴える民主派の上奏に応えたものであり、諸外国の干渉を最小限に抑えるため、段階的な制度改革(民主化)が試みられました。しかし、依然として巨大な勢力を誇るガルロ派の抵抗により、改革は失敗に終わります。この数世紀にわたる泥仕合の中で、臣民の処遇改善はほとんど進まず、貧困、汚職、差別問題が堆積。権威主義体制でありながら、衆愚政治の様相を呈する状況が生まれました。イドラム二世のもとには真実の報告が届くことは稀で、有力貴族の争いに翻弄された彼女は、諸外国との関係修復に注力せざるを得ませんでした。一方、隣国セトルラームは帝国との関係改善を装いつつ再戦を目論み、軍事挑発を繰り返すなど、緊迫した情勢が続きます。さらに、ギールラング海賊をはじめとする敵性艦隊の襲来が相次ぎ、危機感を募らせた皇帝は、ツォルマリアに支援を求め、独立保障の約束を取り付けました。同時に、ガルロ派への配慮から、オクシレインにも支援を求める体裁を整えます。この結果、帝国領は一時的な安定を得ましたが、その代償は大きく、皇帝自らが大規模な軍縮を断行するに至りました。この政策は多くの帝国諸侯にとって屈辱的であり、半ば内戦状態を引き起こします。指揮系統は形骸化し、治安が悪化。労働者のストライキが頻発する中、さらなる混乱が帝国を襲いました。それは、惑星統括AIによる大規模な反乱です。

AI反乱と帝国の動揺

 反乱の直接的な原因は、指揮権の継承が正常に行われなかったこととされていますが、一部では統括AIがイドラム二世の統治能力に「失格」の判断を下したとの説も有力視されています。いずれにせよ、この致命的な事件をきっかけに、民主派は信用を失い、責任を問われて凋落。中道政治を掲げる皇国派が台頭します。一方で、外国との対決を目論むガルロ派は、主張が受け入れられないと見るや、帝室に弓を引く暴挙に出ます。しかし、ツォルマリア人やテルスヴィネルの民など、これまで虐げられてきた臣民による妨害と、帝都を守る近衛騎士団の奮戦により、一旦は収束。しかし、一定の武力を持つガルロ派諸侯の失脚には至らず、この問題は後のトローネ皇帝の時代まで燻り続けることとなりました。

イドラム二世の最期と帝国の暗黒時代

 偉大なる祖国の主権を守るため尽力してきたイドラム二世でしたが、重い病(毒殺の疑惑あり)に倒れ、志半ばで伏せります。日々やせ衰えながらも公務を続けた彼女に敬意を表したのは、近衛騎士団や一部の側近、支持者に限られました。彼女がどれほどの困難に立ち向かい、国を建て直そうとしたのか。その苦悩を知らない多くの臣民を焚き付け、復権を目論むガルロ派にとっては「些細なこと」に過ぎなかったとされます。後に拘束された有力貴族の一人は「国のためだった」と供述しています。イドラム二世は最後まで笑顔を絶やさず、崩御。その場に立ち会ったトローネ皇女(当時)や、皇国派の代表である宰相パヴェル・クロキルシ大大公は慟哭したと伝えられます。幼い新皇帝の周辺は、腐敗した民主派(実質的にはガルロ派の息がかかった側近)で固められ、衰退して久しい連合帝国は一時的な暗黒時代に突入します。もし彼らの計画が成功していれば、帝国は再び世界を相手に戦争を挑み、ユミル・イドゥアムの名誉は地に堕ち、歴史上「キューズトレーター」に匹敵する絶対悪として刻まれたことでしょう。

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最終更新:2025年03月09日 00:02