灰と届かぬ声


共立公暦1008年7月28日。王都コルナンジェは灰色の空の下で息絶えていた。
焼け焦げた大地からは硝煙と血の臭いが立ち昇り、崩れた建物が風に呻くような音を立てている。
アリウス・エルク・ヴィ・セトルラーム=レミソルトインフリーは、墜落したレミソルト級スイートクルーザーの甲板に膝をつき、目の前の廃墟を見つめていた。
短い金髪が乱れ、白色の軍服は泥と血にまみれて鈍く光を失っている。すぐそばには副官ミリアの遺体が横たわり、冷たくなった手がアリウスの膝に触れていた。

「陛下、どうかお許しを!まだ戦えます。私たちが命を賭けてお守りいたします!」

甲板の端で、サンリクト公国のグラウストラ元帥が剣を握り締め、叫んだ。
掠れた声は風に掻き消されそうで、額には汗と血が混じって滴り落ちている。
アリウスはゆっくり立ち上がり、グラウストラを見据えた。深い青緑色の瞳は疲れ果て、涙の跡が頬に薄い線を刻んでいた。

「グラウストラ、もう十分です。剣をお納めください」

元帥の顔が歪んだ。「何!?コックスがまだ生きています!奴を討つまで終わりません!」

アリウスは一歩近づき、静かだが鋭い目で彼を制した。「私が申し上げます。戦いはここまでです」

グラウストラが反論しようとした瞬間、アリウスの手が素早く動き、彼の剣を叩き落とした。金属音が甲板に響き、虚しく風に散った。

遠くで、文明共立機構の特異存在たちが放つ異能の光が空を切り裂いていた。
ゾラテス級事象界域制圧艦が炎に包まれ、爆発音が地響きのように轟く。アリウスは唇を噛みしめ、ミリアの手を握った。

「ミリア、申し訳ありません。貴女を死なせてしまいました。私には…もう何も誇れませんね」

声が震え、涙が甲冑に落ちて小さな染みを作った。風が冷たく頬を撫で、彼女の呟きを誰も聞かぬまま運び去った。

その時、遠くからかすかな叫び声が聞こえた。「おばさま!」

アリウスが顔を上げたが、瓦礫と煙の向こうに姿は見えない。それは愛しき継娘リティーア皇女の声だった。
アリウスは立ち尽くし、風に混じるその声を追いかけるように目を細めた。「リティーア…貴女の声がこんな遠くまで届くなんて」

だが、その声は再び爆発音にかき消され、アリウスの耳には届かなかった。

8年前、王都でクーデターを決意した夜が脳裏に蘇る。コックスの圧政に耐えかね、民を救うと誓ったあの瞬間。
あの時の熱い決意は、今や冷たい灰に埋もれていた。
アリウスは甲板の端に進み、眼下を見下ろした。生き残った王党派の兵士たちは疲れ果て、武器を握る手さえ震えている。

「皆様、お聞きください」

アリウスの声は風に揺れ、かすかに震えていた。

「私はロフィルナの公王、アリウスです。この戦争を終わらせます。武器をお捨てください。私にはもう…これ以上皆様を死なせるわけにはいきません」

兵士たちの間に沈黙が広がり、やがて剣や銃が地面に落ちる音がぽつりぽつりと響いた。グラウストラも膝をつき、顔を伏せて肩を震わせた。

その夜、アリウスは一人、コルナンジェの焼け跡に立った。風が灰を巻き上げ、遠くで瓦礫が崩れる音が寂しく響く。
彼女の耳に、リティーアの声が幻のようにこだました。

―――「おばさま、ロフィルナを再生してください。私、信じてますから……」

アリウスは空を見上げ、涙をこらえた。

「リティーア、私は誓います。貴女に届かぬこの声で、ロフィルナを再び光ある場所にいたします。たとえ私が…ここで終わるとしても」

灰色の空に光はなく、ただ冷たい風が彼女の髪を揺らし、届かぬ誓いをどこか遠くへ運んでいった。

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最終更新:2025年03月30日 22:58