「ある元高校球児の回想」
●1
「ねぇ。キミが、ボクのこと可愛いって、本当に思ってくれてるなら……」
あの日、四畳半の質素な部屋の真ん中で、あおいちゃんは俺の手を握ってきた。
彼女の手は、痛いほど力が入っていたが、同時に、触れ合った肌を通して、彼女の細かい震えが伝わってきている。
彼女の表情は、泣き出しそうになるのを、必死に抑えているようだった。
あの日。高校生活三度目の夏休みの、その最後の日を、俺は今でも忘れられない。
●2
長くバッテリーを組んだ投手と捕手の間には、特別な絆が生まれる、なんて話があるらしい。
小学生の頃から捕手をやっていた俺にとっては、この話は半信半疑ってところだろうか。
18.44メートル先のマウンドでサインを交わす。投手が首を縦に振ると、俺はミットを構え、
投手は片足を上げながら身体を捻る。腰の回転と共に、腕が振られる。放たれた白球が、こちらに迫ってくる。
俺は高速道路のクルマよりも速いその白球をミットに収めるべく、軌道を睨みつける。
手のひらにじんと響く、重い痺れを待ちながら。
俺たちバッテリーは、相手チームとの攻防戦の中で、何千回もこの動作を繰り返している。
確かに、そういう経験を積み重ねていれば、同じチームでも、投手との関係は特別に深くなるだろう。
それに、マウンド上の投手の姿は、キャッチャーボックスから見上げるのが、絶対に一番格好いい。
ただ、俺が今まで組んだ投手の中でも、早川あおいはやっぱり別格だった。
マウンドで左足を上げた後、身体をひねりながら上体を沈めていく。そしてリリース。下手投げ独特の軌道を描く直球。
男でもそうそう投げられないエグい高速シンカー。あんまり頼りにならなかったカーブ。
普段は滅多にミットを外さないコントロールだが、打ち込まれてカッカし出すと、こっちは球を止めるだけでもう一苦労。
俺が組んでいた当時から、あおいちゃんはある種の象徴に祭り上げられていた。
二年生の夏だった。県大会でなんとか勝ち進みながら、女子選手不可の規約によって甲子園出場を阻まれた。
その後、署名運動やら何やらで、数カ月がかりで規約を変えさせ、最後の夏で甲子園出場を果たした。
署名運動の言い出しっぺは俺たち野球部だったが、まさかここまで上手くいくとは予想していなかった。
こんな背景を持ってるせいで、彼女は甲子園の――いや、野球界の時の人と化していた。
俺の目に一番鮮やかに焼き付いていた、マウンド上のあおいちゃんも、その偶像に似ていたと思う。
●3
部屋の中のあおいちゃんは、白地に淡い桃色の花を散らした浴衣姿だった。
“まだ一回しか着てないから、家の中でだけでも、もうちょっと着たいんだ”なんて、彼女は呟いた。
その一回目のお披露目も、俺は見ている。野球部引退の打ち上げで、チームメイトで地元の夏祭りに行った時の話だ。
あおいちゃんは、いつも結んでいる髪を下ろして、件の浴衣を着て、歩く度にからんころんと下駄の音を立てていた。
これ以上ないほど夏祭りに合った装いに、俺は勿論、その場の全員――彼女の親友であるマネージャーでさえ――目を奪われた。
彼女自身も、全身から“女の子らしく決まった!”という自信に溢れていて、眩しさに拍車を掛けていた。
が、俺たちは満足に夏祭りを楽しめなかった。あおいちゃんは最早全国区の有名人だった。
そんな彼女が、人の集まる祭りの会場に来てしまったことから、ちょっとした騒ぎになってしまった。
結局、彼女の浴衣お披露目も野球部の打ち上げも、不本意な形で終わってしまった。
●4
「二人だけで、打ち上げのやり直しをしたかったんだ。誘う時、すごく緊張しちゃったよ。
でも……キミが家まで来てくれて、本当に嬉しい」
“二人だけで”なんて誘い文句を、あおいちゃんから言われたら、もう行くしかないだろう。
電話でそんな台詞を言われて、俺は一も二も無くなった。彼女の家に行くのは、初めてだった。
「ごめんね、女所帯なのに、むさ苦しいところで」
あおいちゃんの家は、小さくて古い一戸建てだった。表札から、彼女が母子家庭だというのが察せられた。
彼女の四畳半の部屋は、教科書や鞄などの、学校で使うような代物と、あとは野球道具が置かれているばかり。
女の子らしい物と言ったら、ハンガーにかかっている恋恋高校の制服ぐらいのものだった。
そんな地味な部屋の中で、夏祭りと同じように、女の子らしさを目一杯出したあおいちゃんが佇んでいる。
現実感の薄い光景だった。
「あの時は、キミから感想を聞けなかったけど……似合ってる、かな」
似合ってるに決まっていた。後は、ものすごく可愛い、ぐらいしか言えなかった。
「ホント? あはは、嬉しいな、ホントに……」
俺の拙い褒め言葉を聞くと、あおいちゃんは柔らかく微笑した。
●5
「今まで、さ。ボクは、野球ばっかりやってて、女の子らしいことなんか、してなかったから、
可愛い、なんてお世辞ぐらいでしか言われたこと無かったよ。
それが、甲子園出たらさ、いきなりアイドルみたいな扱いになっちゃって」
普通、男所帯の野球部の中で、あおいちゃんのルックスの女の子が居れば、それだけでチヤホヤされるはずだ。
けれど、いくつかの条件が重なって、彼女はそういう扱いをされていなかった。
「だから、可愛いなんて言葉が、あっちこっちから飛んできて、もう信じられなくなっちゃったよ。
前は、ボクが女の子じゃなかったら、もっとのびのびと野球ができるのに、何て思ってたのが、分からないものだよね」
まず、俺たちの通う恋恋高校は、もともと伝統ある女子校であり、共学化もごく最近。未だに生徒の大半が女子だった。
おかげで俺たち野球部男子は、普段から気圧されるほどの女っ気に囲まれている。
また、野球部の顧問の先生とマネージャーも一因だろう。顧問の加藤先生は、妙齢の色気滲み出る素敵なお姉さん。
そしてマネージャーのはるかちゃんは、清楚とか可憐という言葉に相応しいお嬢様。
そうした女性たちが部内にいるせいで、あおいちゃんの女の子としての魅力が過小評価されてたフシがある。
特にはるかちゃんは、あおいちゃんとの付き合いが長いと聞いている。
あのはるかちゃんと並んでいたせいで、以前から自身の女の子らしさに疑問を持っていたのかもしれない。
最後に、あおいちゃんは、高校球児として常に男子と対等に渡り合おうと、懸命に努力していた。
それを俺たちは間近で見ていたから、彼女を女の子扱いするのが軽々しく思えて、何となく憚られた。
「でも、ボクは、キミの言うことなら、信じられるよ。ボクは、ずっとキミを信じてマウンドに立って、
それで、約束通り甲子園まで行けた。だから、キミから、可愛いって言われるのが、嬉しくて……」
あおいちゃんの肌は、顔どころか首まで真っ赤になっていた。白い浴衣が、その赤さを引き立てている。
もう俺は興奮していた。あおいちゃんの潤んだ眼差し。髪の毛あたりからいい匂いがして、肺や心臓まで動揺しそうだ。
「ねぇ。キミが、ボクのこと可愛いって、本当に思ってくれてるなら……」
あおいちゃんの艶姿は、マウンド上の彼女とは、大きく趣が異なっていた。
無性に、彼女に触れたいと俺は思った。だが、俺の身体は動かなかった。
俺の中には、彼女と交わした幾千もの投球が、彼女との深いつながりとして刻まれていた。
そしてその中で俺と彼女は、18.44メートルの、決して触れ合えない距離に隔てられていた。
「キス、して。ボクのことを抱いて。初めては、キミであって欲しいから」
俺が、おずおずと腕を伸ばすと、あおいちゃんはその腕を取って、俺の懐に飛び込んできた。初めてのキス。
県大会決勝で勝った時も、ホームベースに駆け寄る彼女をこうやって受け止めたな、なんてことを、俺は暢気に思い出した。
●6
慣れないキス。あおいちゃんのくちびるの感触。舌に微かな甘酸っぱさが沁みる。彼女が身体を寄せてくる。
距離が近くなって、彼女の女の子の匂いが、ますます濃厚になってくる。
浴衣の薄布越しに感じられる、暖かく柔らかい手足。夏の終わりは、セミの声も収まった静けさで、唾液や衣擦れの音が響く。
息苦しくなってくちびるを離す。少し乱れた浴衣から、じわりと汗の浮いた彼女の肌が見える。
五感が全て彼女に占領されて、頭までいっぱいになってしまう。
「きゃっ……ふ、ふぁ、ああっ」
堪らなくなった俺は、帯を解くのももどかしく、浴衣越しにあおいちゃんの胸を揉んだ。
手のひらで彼女の膨らみを覆った瞬間、俺は気づいた。彼女は、なんと下着をつけていない。
俺の豹変に、彼女は身体を強張らせる。口から出てきた声は、戸惑いの色が強かった。
「ひっ、ひあぁ、ああっ! そ、そこ、だめ、だめぇっ」
そんなあおいちゃんの声に、俺はますます興奮して、手のひらに収まる程度の膨らみを弄った。
程なく、浴衣越しに彼女の乳首の場所がわかるようになって、俺はその突起を指先でころころと転がした。
「だめだって、そこ、声、出ちゃう、でちゃうからっ」
その声が、可愛いんだ、と俺はあおいちゃんに囁いた。そうすると、彼女は幾分大人しくなった。
また俺は彼女の乳首をつねった。浴衣の中に手を突っ込んで、ピンと立った感触を手のひらで堪能した。
「そこ、だめぇ、ちくび、擦れて、すれちゃう、ひ、あ、ひああっ」
またあおいちゃんの声が高くなっていくと、俺は彼女を撫でながら、可愛い可愛いと繰り返し囁く。
浴衣は完全にはだけて、汗に濡れた彼女の膨らみが晒された。先端の突起は、わずかにくすんだ薄紅色。
「や、やぁっ、おっぱい、可愛いなんて、言わない、で、ひ、ひぁああっ」
あおいちゃんは、胸の膨らみは控えさに対して、乳首の自己主張は目立っていた。
小指の先ぐらいに勃ったそれを、三本指で摘まれて軽く擦られるのが、どうやらお好みのようだった。
彼女の反応も、だんだん強く大きくなっていった。最初は乳首を抓られても、鎖骨や肩口のあたりをびくつかせるだけだった。
どんどん彼女の胸を責めていく。すると彼女は、次第に反応を変えていった。首を左右に振るようになった。
引き締まったお腹は大きく引っ込んだり戻ったりするようになった。ぎゅっと閉じていたくちびるが、開きっぱなしになった。
腕は、もう俺の手を払おうとせず、すっかり着崩れた浴衣をぎゅっと握っているばかりになった。
「は、はあぁっ、ボク、なんか、これ、おか、おかしく、なっちゃって、ひ、ひあっ!」
あおいちゃんの下半身、特にお尻が、弛緩と緊張を繰り返す。鍛えられてるから、その動きのリズムがよく分かる。
脚は膝を曲げたり伸ばしたり、足裏やかかとが床を擦る。足の指が猫の手のように丸まっている。
そうやって不規則に脚を動かすものだから、浴衣はずり上がり、膝頭が顕になり、太腿までがちらつく。
「いあ、ひあっ、あ、な、なんか、あ、は、はあぁ――ひあぁっ」
あおいちゃんは、プツンと声を途切れさせると、ひゅうひゅうとした発作のような呼吸音を漏らした。
そのまま苦しげに身体を喘がせ、ぐっしょりと濡れた肌に、汗の筋がいくつも垂れ落ちた。
肩口あたりには、下ろしていた彼女の髪が乱れて張り付いていた。それが、たぶん彼女の初めての絶頂だった。
●7
俺は、あおいちゃんと交わるつもりだった。
なので、朦朧としている彼女の浴衣を、苦心しながら脱がせた。
彼女の一張羅を汚すわけには行かなかったから。
あおいちゃんを部屋の畳に寝かして、脚を開かせた。彼女の陰毛までが、肌にべったりと張り付いていた。
十分に厚みのある下半身に対して、彼女の女性器は細く控えめで、頼りない風に見えた。
それで幾分冷静になった俺は、視線を上げて彼女の顔を見た。彼女は上目遣いの覚束ない視線で、かろうじて俺を見つめ返した。
俺は彼女の頬を手で撫でながら、もう一度彼女に、今度は自分からキスをした。
「いいよ……さっき言った通りだよ。初めては、キミであって欲しい」
俺は自分のソレを、彼女にあてがおうとした。俺も初体験だったから、なかなか上手く行かなかった。
するとあおいちゃんは、少し動かないで、と呟くと、自分から腰を浮かせてきた。
彼女のアシストのおかげで、俺たちはなんとか挿入を果たした。
あおいちゃんの表情は、明らかに痛みを堪えていた。それで俺が深入りを躊躇うと、彼女は手を広げた。
「抱きしめて、もっと近くに……このままじゃ、泣いちゃうから」
俺は腰をかがめて、あおいちゃんの背中に腕を回した。彼女も俺の背中に手を回してきた。
その動きの拍子に、挿入が深くなる。もう完全に処女は失われただろう。童貞であった俺には、判断できなかったが。
彼女は俺の首元にかじりついていた。痛みを堪える泣き顔を見せたくなかったのか。
入れた俺の方の痛みも馬鹿にならなかったから、彼女のそれは相当だったはずだ。
あおいちゃんの苦しげな呼吸が、耳に響いてくる。俺はしばらく身体を動かせなかった。
彼女の中の締め付けは勿論、彼女の手足が、一挙手もさせないほど完全に俺の身体に絡みついていた。
彼女が愛おしくて、俺は彼女の頭と背中を、おそるおそる撫でさすった。少しでも彼女を楽にしたかった。
「……ごめんね、いつも、ボクの、我儘、聞いてくれて……甘えて、ばっかりで……」
あおいちゃんの言葉を聞いて、性欲に浮かされていた俺の頭が、若干冷えてきた。
今、彼女に感じている愛おしさが、いわゆる彼氏彼女の間に抱くような感情なのか、それとも、
掛け替えの無い戦友が、たまたま可愛らしい女の子だったから生じた感情なのか。俺はどちらとも判断できなかった。
あおいちゃんが彼女になってくれたら、間違いなく嬉しいと思う。
でも、マウンドとキャッチャーボックスの間で、あおいちゃんと過ごした時間を思い返すと、
普通の彼氏彼女がするデートだとか、そういう経験がひどく俗っぽい、底の浅いものに感じられた。
「こんな時に、可愛い、なんて言っちゃ……そんなの、反則だよ……」
あおいちゃんにきつく抱き締められているので、彼女の顔は直接見えなかったが、彼女は泣いているらしかった。
彼女の涙らしき雫が、俺の肩を伝っているのが分かった。
今まであおいちゃんと過ごしてきた日々――まずマウンド上に悠然と佇む彼女の立ち姿が浮かんだ。
次に、教室で笑ったり怒ったりする彼女が、部室ではるかちゃんとおしゃべりする彼女が、
野球のできない歯痒さを抑えながらマネージャーの仕事に打ち込む彼女が、
選手に復帰出来た時に涙ぐみながら笑った彼女が、次々と現れては消えていった。
俺も、腕に力を入れ直してあおいちゃんを抱き直した。俺までもらい泣きしてしまいそうだったから。
●8
高校卒業後、俺は大学に進学した。今も大学の野球部に所属し、捕手として投手たちの球を受けている。
一方彼女は、ドラフトで指名を受け、千葉ロッテマリーンズに入団。
ルーキーイヤーから一軍での登板を果たし、中継ぎ陣の一角を担っている。彼女は、まだまだ時の人だ。
今は、ちょうど登板直前らしい。マリンスタジアムのマウンドで投球練習をしている姿が、テレビ中継に流れている。
彼女の投球を受けている捕手は、マウンド上の彼女を見て、何を思っているんだろうか。
投手早川あおいは、俺以外の捕手からは、どう見えるんだろうか。逆に彼女は、何を思っているんだろうか。
モニター向こうのバッテリーの姿を見ながら、俺は二人の心境を思わずにはいられなかった。
(おしまい)
●1
「ねぇ。キミが、ボクのこと可愛いって、本当に思ってくれてるなら……」
あの日、四畳半の質素な部屋の真ん中で、あおいちゃんは俺の手を握ってきた。
彼女の手は、痛いほど力が入っていたが、同時に、触れ合った肌を通して、彼女の細かい震えが伝わってきている。
彼女の表情は、泣き出しそうになるのを、必死に抑えているようだった。
あの日。高校生活三度目の夏休みの、その最後の日を、俺は今でも忘れられない。
●2
長くバッテリーを組んだ投手と捕手の間には、特別な絆が生まれる、なんて話があるらしい。
小学生の頃から捕手をやっていた俺にとっては、この話は半信半疑ってところだろうか。
18.44メートル先のマウンドでサインを交わす。投手が首を縦に振ると、俺はミットを構え、
投手は片足を上げながら身体を捻る。腰の回転と共に、腕が振られる。放たれた白球が、こちらに迫ってくる。
俺は高速道路のクルマよりも速いその白球をミットに収めるべく、軌道を睨みつける。
手のひらにじんと響く、重い痺れを待ちながら。
俺たちバッテリーは、相手チームとの攻防戦の中で、何千回もこの動作を繰り返している。
確かに、そういう経験を積み重ねていれば、同じチームでも、投手との関係は特別に深くなるだろう。
それに、マウンド上の投手の姿は、キャッチャーボックスから見上げるのが、絶対に一番格好いい。
ただ、俺が今まで組んだ投手の中でも、早川あおいはやっぱり別格だった。
マウンドで左足を上げた後、身体をひねりながら上体を沈めていく。そしてリリース。下手投げ独特の軌道を描く直球。
男でもそうそう投げられないエグい高速シンカー。あんまり頼りにならなかったカーブ。
普段は滅多にミットを外さないコントロールだが、打ち込まれてカッカし出すと、こっちは球を止めるだけでもう一苦労。
俺が組んでいた当時から、あおいちゃんはある種の象徴に祭り上げられていた。
二年生の夏だった。県大会でなんとか勝ち進みながら、女子選手不可の規約によって甲子園出場を阻まれた。
その後、署名運動やら何やらで、数カ月がかりで規約を変えさせ、最後の夏で甲子園出場を果たした。
署名運動の言い出しっぺは俺たち野球部だったが、まさかここまで上手くいくとは予想していなかった。
こんな背景を持ってるせいで、彼女は甲子園の――いや、野球界の時の人と化していた。
俺の目に一番鮮やかに焼き付いていた、マウンド上のあおいちゃんも、その偶像に似ていたと思う。
●3
部屋の中のあおいちゃんは、白地に淡い桃色の花を散らした浴衣姿だった。
“まだ一回しか着てないから、家の中でだけでも、もうちょっと着たいんだ”なんて、彼女は呟いた。
その一回目のお披露目も、俺は見ている。野球部引退の打ち上げで、チームメイトで地元の夏祭りに行った時の話だ。
あおいちゃんは、いつも結んでいる髪を下ろして、件の浴衣を着て、歩く度にからんころんと下駄の音を立てていた。
これ以上ないほど夏祭りに合った装いに、俺は勿論、その場の全員――彼女の親友であるマネージャーでさえ――目を奪われた。
彼女自身も、全身から“女の子らしく決まった!”という自信に溢れていて、眩しさに拍車を掛けていた。
が、俺たちは満足に夏祭りを楽しめなかった。あおいちゃんは最早全国区の有名人だった。
そんな彼女が、人の集まる祭りの会場に来てしまったことから、ちょっとした騒ぎになってしまった。
結局、彼女の浴衣お披露目も野球部の打ち上げも、不本意な形で終わってしまった。
●4
「二人だけで、打ち上げのやり直しをしたかったんだ。誘う時、すごく緊張しちゃったよ。
でも……キミが家まで来てくれて、本当に嬉しい」
“二人だけで”なんて誘い文句を、あおいちゃんから言われたら、もう行くしかないだろう。
電話でそんな台詞を言われて、俺は一も二も無くなった。彼女の家に行くのは、初めてだった。
「ごめんね、女所帯なのに、むさ苦しいところで」
あおいちゃんの家は、小さくて古い一戸建てだった。表札から、彼女が母子家庭だというのが察せられた。
彼女の四畳半の部屋は、教科書や鞄などの、学校で使うような代物と、あとは野球道具が置かれているばかり。
女の子らしい物と言ったら、ハンガーにかかっている恋恋高校の制服ぐらいのものだった。
そんな地味な部屋の中で、夏祭りと同じように、女の子らしさを目一杯出したあおいちゃんが佇んでいる。
現実感の薄い光景だった。
「あの時は、キミから感想を聞けなかったけど……似合ってる、かな」
似合ってるに決まっていた。後は、ものすごく可愛い、ぐらいしか言えなかった。
「ホント? あはは、嬉しいな、ホントに……」
俺の拙い褒め言葉を聞くと、あおいちゃんは柔らかく微笑した。
●5
「今まで、さ。ボクは、野球ばっかりやってて、女の子らしいことなんか、してなかったから、
可愛い、なんてお世辞ぐらいでしか言われたこと無かったよ。
それが、甲子園出たらさ、いきなりアイドルみたいな扱いになっちゃって」
普通、男所帯の野球部の中で、あおいちゃんのルックスの女の子が居れば、それだけでチヤホヤされるはずだ。
けれど、いくつかの条件が重なって、彼女はそういう扱いをされていなかった。
「だから、可愛いなんて言葉が、あっちこっちから飛んできて、もう信じられなくなっちゃったよ。
前は、ボクが女の子じゃなかったら、もっとのびのびと野球ができるのに、何て思ってたのが、分からないものだよね」
まず、俺たちの通う恋恋高校は、もともと伝統ある女子校であり、共学化もごく最近。未だに生徒の大半が女子だった。
おかげで俺たち野球部男子は、普段から気圧されるほどの女っ気に囲まれている。
また、野球部の顧問の先生とマネージャーも一因だろう。顧問の加藤先生は、妙齢の色気滲み出る素敵なお姉さん。
そしてマネージャーのはるかちゃんは、清楚とか可憐という言葉に相応しいお嬢様。
そうした女性たちが部内にいるせいで、あおいちゃんの女の子としての魅力が過小評価されてたフシがある。
特にはるかちゃんは、あおいちゃんとの付き合いが長いと聞いている。
あのはるかちゃんと並んでいたせいで、以前から自身の女の子らしさに疑問を持っていたのかもしれない。
最後に、あおいちゃんは、高校球児として常に男子と対等に渡り合おうと、懸命に努力していた。
それを俺たちは間近で見ていたから、彼女を女の子扱いするのが軽々しく思えて、何となく憚られた。
「でも、ボクは、キミの言うことなら、信じられるよ。ボクは、ずっとキミを信じてマウンドに立って、
それで、約束通り甲子園まで行けた。だから、キミから、可愛いって言われるのが、嬉しくて……」
あおいちゃんの肌は、顔どころか首まで真っ赤になっていた。白い浴衣が、その赤さを引き立てている。
もう俺は興奮していた。あおいちゃんの潤んだ眼差し。髪の毛あたりからいい匂いがして、肺や心臓まで動揺しそうだ。
「ねぇ。キミが、ボクのこと可愛いって、本当に思ってくれてるなら……」
あおいちゃんの艶姿は、マウンド上の彼女とは、大きく趣が異なっていた。
無性に、彼女に触れたいと俺は思った。だが、俺の身体は動かなかった。
俺の中には、彼女と交わした幾千もの投球が、彼女との深いつながりとして刻まれていた。
そしてその中で俺と彼女は、18.44メートルの、決して触れ合えない距離に隔てられていた。
「キス、して。ボクのことを抱いて。初めては、キミであって欲しいから」
俺が、おずおずと腕を伸ばすと、あおいちゃんはその腕を取って、俺の懐に飛び込んできた。初めてのキス。
県大会決勝で勝った時も、ホームベースに駆け寄る彼女をこうやって受け止めたな、なんてことを、俺は暢気に思い出した。
●6
慣れないキス。あおいちゃんのくちびるの感触。舌に微かな甘酸っぱさが沁みる。彼女が身体を寄せてくる。
距離が近くなって、彼女の女の子の匂いが、ますます濃厚になってくる。
浴衣の薄布越しに感じられる、暖かく柔らかい手足。夏の終わりは、セミの声も収まった静けさで、唾液や衣擦れの音が響く。
息苦しくなってくちびるを離す。少し乱れた浴衣から、じわりと汗の浮いた彼女の肌が見える。
五感が全て彼女に占領されて、頭までいっぱいになってしまう。
「きゃっ……ふ、ふぁ、ああっ」
堪らなくなった俺は、帯を解くのももどかしく、浴衣越しにあおいちゃんの胸を揉んだ。
手のひらで彼女の膨らみを覆った瞬間、俺は気づいた。彼女は、なんと下着をつけていない。
俺の豹変に、彼女は身体を強張らせる。口から出てきた声は、戸惑いの色が強かった。
「ひっ、ひあぁ、ああっ! そ、そこ、だめ、だめぇっ」
そんなあおいちゃんの声に、俺はますます興奮して、手のひらに収まる程度の膨らみを弄った。
程なく、浴衣越しに彼女の乳首の場所がわかるようになって、俺はその突起を指先でころころと転がした。
「だめだって、そこ、声、出ちゃう、でちゃうからっ」
その声が、可愛いんだ、と俺はあおいちゃんに囁いた。そうすると、彼女は幾分大人しくなった。
また俺は彼女の乳首をつねった。浴衣の中に手を突っ込んで、ピンと立った感触を手のひらで堪能した。
「そこ、だめぇ、ちくび、擦れて、すれちゃう、ひ、あ、ひああっ」
またあおいちゃんの声が高くなっていくと、俺は彼女を撫でながら、可愛い可愛いと繰り返し囁く。
浴衣は完全にはだけて、汗に濡れた彼女の膨らみが晒された。先端の突起は、わずかにくすんだ薄紅色。
「や、やぁっ、おっぱい、可愛いなんて、言わない、で、ひ、ひぁああっ」
あおいちゃんは、胸の膨らみは控えさに対して、乳首の自己主張は目立っていた。
小指の先ぐらいに勃ったそれを、三本指で摘まれて軽く擦られるのが、どうやらお好みのようだった。
彼女の反応も、だんだん強く大きくなっていった。最初は乳首を抓られても、鎖骨や肩口のあたりをびくつかせるだけだった。
どんどん彼女の胸を責めていく。すると彼女は、次第に反応を変えていった。首を左右に振るようになった。
引き締まったお腹は大きく引っ込んだり戻ったりするようになった。ぎゅっと閉じていたくちびるが、開きっぱなしになった。
腕は、もう俺の手を払おうとせず、すっかり着崩れた浴衣をぎゅっと握っているばかりになった。
「は、はあぁっ、ボク、なんか、これ、おか、おかしく、なっちゃって、ひ、ひあっ!」
あおいちゃんの下半身、特にお尻が、弛緩と緊張を繰り返す。鍛えられてるから、その動きのリズムがよく分かる。
脚は膝を曲げたり伸ばしたり、足裏やかかとが床を擦る。足の指が猫の手のように丸まっている。
そうやって不規則に脚を動かすものだから、浴衣はずり上がり、膝頭が顕になり、太腿までがちらつく。
「いあ、ひあっ、あ、な、なんか、あ、は、はあぁ――ひあぁっ」
あおいちゃんは、プツンと声を途切れさせると、ひゅうひゅうとした発作のような呼吸音を漏らした。
そのまま苦しげに身体を喘がせ、ぐっしょりと濡れた肌に、汗の筋がいくつも垂れ落ちた。
肩口あたりには、下ろしていた彼女の髪が乱れて張り付いていた。それが、たぶん彼女の初めての絶頂だった。
●7
俺は、あおいちゃんと交わるつもりだった。
なので、朦朧としている彼女の浴衣を、苦心しながら脱がせた。
彼女の一張羅を汚すわけには行かなかったから。
あおいちゃんを部屋の畳に寝かして、脚を開かせた。彼女の陰毛までが、肌にべったりと張り付いていた。
十分に厚みのある下半身に対して、彼女の女性器は細く控えめで、頼りない風に見えた。
それで幾分冷静になった俺は、視線を上げて彼女の顔を見た。彼女は上目遣いの覚束ない視線で、かろうじて俺を見つめ返した。
俺は彼女の頬を手で撫でながら、もう一度彼女に、今度は自分からキスをした。
「いいよ……さっき言った通りだよ。初めては、キミであって欲しい」
俺は自分のソレを、彼女にあてがおうとした。俺も初体験だったから、なかなか上手く行かなかった。
するとあおいちゃんは、少し動かないで、と呟くと、自分から腰を浮かせてきた。
彼女のアシストのおかげで、俺たちはなんとか挿入を果たした。
あおいちゃんの表情は、明らかに痛みを堪えていた。それで俺が深入りを躊躇うと、彼女は手を広げた。
「抱きしめて、もっと近くに……このままじゃ、泣いちゃうから」
俺は腰をかがめて、あおいちゃんの背中に腕を回した。彼女も俺の背中に手を回してきた。
その動きの拍子に、挿入が深くなる。もう完全に処女は失われただろう。童貞であった俺には、判断できなかったが。
彼女は俺の首元にかじりついていた。痛みを堪える泣き顔を見せたくなかったのか。
入れた俺の方の痛みも馬鹿にならなかったから、彼女のそれは相当だったはずだ。
あおいちゃんの苦しげな呼吸が、耳に響いてくる。俺はしばらく身体を動かせなかった。
彼女の中の締め付けは勿論、彼女の手足が、一挙手もさせないほど完全に俺の身体に絡みついていた。
彼女が愛おしくて、俺は彼女の頭と背中を、おそるおそる撫でさすった。少しでも彼女を楽にしたかった。
「……ごめんね、いつも、ボクの、我儘、聞いてくれて……甘えて、ばっかりで……」
あおいちゃんの言葉を聞いて、性欲に浮かされていた俺の頭が、若干冷えてきた。
今、彼女に感じている愛おしさが、いわゆる彼氏彼女の間に抱くような感情なのか、それとも、
掛け替えの無い戦友が、たまたま可愛らしい女の子だったから生じた感情なのか。俺はどちらとも判断できなかった。
あおいちゃんが彼女になってくれたら、間違いなく嬉しいと思う。
でも、マウンドとキャッチャーボックスの間で、あおいちゃんと過ごした時間を思い返すと、
普通の彼氏彼女がするデートだとか、そういう経験がひどく俗っぽい、底の浅いものに感じられた。
「こんな時に、可愛い、なんて言っちゃ……そんなの、反則だよ……」
あおいちゃんにきつく抱き締められているので、彼女の顔は直接見えなかったが、彼女は泣いているらしかった。
彼女の涙らしき雫が、俺の肩を伝っているのが分かった。
今まであおいちゃんと過ごしてきた日々――まずマウンド上に悠然と佇む彼女の立ち姿が浮かんだ。
次に、教室で笑ったり怒ったりする彼女が、部室ではるかちゃんとおしゃべりする彼女が、
野球のできない歯痒さを抑えながらマネージャーの仕事に打ち込む彼女が、
選手に復帰出来た時に涙ぐみながら笑った彼女が、次々と現れては消えていった。
俺も、腕に力を入れ直してあおいちゃんを抱き直した。俺までもらい泣きしてしまいそうだったから。
●8
高校卒業後、俺は大学に進学した。今も大学の野球部に所属し、捕手として投手たちの球を受けている。
一方彼女は、ドラフトで指名を受け、千葉ロッテマリーンズに入団。
ルーキーイヤーから一軍での登板を果たし、中継ぎ陣の一角を担っている。彼女は、まだまだ時の人だ。
今は、ちょうど登板直前らしい。マリンスタジアムのマウンドで投球練習をしている姿が、テレビ中継に流れている。
彼女の投球を受けている捕手は、マウンド上の彼女を見て、何を思っているんだろうか。
投手早川あおいは、俺以外の捕手からは、どう見えるんだろうか。逆に彼女は、何を思っているんだろうか。
モニター向こうのバッテリーの姿を見ながら、俺は二人の心境を思わずにはいられなかった。
(おしまい)