目次
Part21
その1(≫93)
≫了船長23/01/26(木) 01:01:08
「あー! 寒い!」
「今日は一段と冷えるやっちゃな」
「エアコンとストーブつけましょうって~」
「アカン、電気代勿体ないやろ」
「ゼッタイつけたほうが幸せになりますって。費用対効果ってあるじゃないですか」
「元が少なければ、いっちゃん効果が高いと言えるなぁ」
「ゼロだったらどうやったってゼロになっちゃうんですけど」
「足し算と引き算で考えればええねん」
「……」
「納得いかんちゅう顔やな」
「いかないっす。絶対暖房付けたほうがイイもん」
「ほれ、着込み着込み。でんち、貸したる」
「うーーん……」
「着ないまま寒い言うんも筋が通っとらんやろ。ほい」
「……えいッ」
「わわわ、何するん、降ろせ降ろせ」
「タオルケットも持ってこよ」
「なんやっちゅうねん!」
〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●
「これでよし……なんですか、納得いかないって顔して」
「……くっつきたいって素直に言うたらええやん」
「身体が小さい動物って、体温が高いらしいですよお」
「やかましいわ」
「イヤでしたか」
「……ま、悪い気はせえへんわ」
「良かった」
了 (保守)
その2(≫131)
了船長23/01/29(日) 22:13:02
「うー、寒い……」
「おはよう、イチ。今日はとても冷えるな」
「よく朝トレーニングする気になるわよね」
「冷たいほうが走りがいがあるんだ」
「確かに、あったまった身体でする深呼吸は気持ちいいもんね。はい、これ」
「今日も貰えるのか! いつもありがとう、イチ」
「なっ、べ、別に……ほら、寒いから、中で食べましょ」
「うん。寒いキッチンで作るお弁当は、辛くないのか?」
「お水がちょっとだけ冷たいくらいよ」
「確かに、普段よりも冷たそうだ」
「まあ、毎日手を流していればそこまででも……くしゅん!」
「あっ、大丈夫か、イチ。ほらっ、ジャージを羽織ってくれ」
「いいわよ、オグリが寒いじゃない」
「走ってきたからあたたかいぞ。ほら」
「……ありがと」
「……イチ」
「わッ、何よっ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「これでよし……イチ、顔が赤いぞ」
「なっ、なんで急に、手なんか」
「手が冷えると言っていたから、暖めたいと思ったんだ」
「……もう、ムカつく」
「イヤだったろうか」
「そんなこと言って無いじゃない」
「良かった。暖かいところまでこうしていよう、イチ」
了 (保守)
Part22
(≫158)
了船長23/02/20(月) 18:05:26
シニア、彼女にとってはじめての3勝クラス戦、福島、曇り。雨の予報あり。気温は低く、吐息が白く曇る。芝もしっとりと湿度を含み、パワーの必要なバ場になりそうだった。
私は左腕にかけた、一番の手前のビニール袋に右手を傾けないよう注意深く差し込んだ。
ポリエチレンの器の感触を探りながら、一番最初に取り出したのは「鶏きん」のもつ煮だった。早速くわえていた割り箸をゆっくりと二つに開けて、小さな声でいただきます、と唱える。パキっ、と小気味よい音が立つ。
ゴロゴロと大きく切られた大根に、色どりとアクセントを加えてくれるネギ、主役のもつ、そして赤く載せられた七味唐辛子。私は迷いなく湯気をたてる大根に箸を伸ばし、口に含む。
熱い。歯を差し入れると、まず最初に熱が、それに続いて香りと甘味が私の鼻孔に広がる。はふ、はふ、と外気と混ぜながら食べ進める。
いつ、だれが食べても、きっと美味しいと感じられる素敵なもつ煮だ。少し噛み応えを楽しめるくらいのもつが、レース場にはちょうどいい。
夢中になって箸を動かし、時折お出汁を飲んでいたら、もう無くなってしまった。お鍋いっぱいに作られたこれを食べたいところだが、致し方ない。
とても美味しかった。ごちそうさまでした。
次に取りかかったのは、「鳥風慶」の天ぷらそば。『大根おろしは2杯まで!』という注意書きが印象的な売店だ。
醤油で味をつけた関東風の黒いお出汁の中に、お蕎麦と山菜の水煮、なめこが盛り付けられている。その横には、きちんと2杯頂いた大根おろし。
このお蕎麦が印象的なのは、先の注意書きだけではない。具の上に載っている天ぷらも一役買っている。
この天ぷら、その名も「会津まんじゅう天」と言う。饅頭の天ぷらだ。
お店の人によれば、「ここいらではお蕎麦と一緒にまんじゅうを食べるのよ」とのことらしい。
はやる気持ちを抑えて、まずはお出汁を一口。先ほどのもつ煮で食べたお味噌ベースのものとは違う、ツンと塩気がきいた醤油のお出汁。しょっぱくて美味しい。
お蕎麦はモチモチとしているが、山菜の水煮は対照的にコリコリとしており、感触がとても楽しい。つるりと光るなめこがの粘り気が、温かさをそのまま運んでくれる。
最後にとうとう、まんじゅう天の番だ。少しお出汁を吸って柔らかくなった衣をかじると、噛み切れなかった両端がもっちりと伸び、口の中にあんこの甘さが現れる。
ううむ、これは、まさしくまんじゅうだ!
口が驚く。サクサクとした上半分の衣と、真ん中のまんじゅう、下半分のふわりとした衣。衣の油の香りに挟まれた甘さが際立つが、香ばしさも負けていない。
噛んでいても味わっていても、とても楽しい。飲み込んだあと、お出汁をまた一口すすった。
お醤油の香りがふわりと広がったその瞬間、頭の中で何かを閃いた。
まんじゅう天を食べ、甘さを感じたところに、すぐお出汁を飲む。甘さとしょっぱさ、あんこと醤油の香りが口の中で混ざる。
不思議な食べ合わせだが、とてもおいしい。お互いの尖っている部分をきれいに打ち消し合って、もう一度体験したくなる味になっている。
レースが終わった後に伝えたら『何よそれ』と言われるかもしれないけど、これは大発見だぞ――
もつ煮と同じように、気が付けばもうお出汁まできれいに食べきってしまっていた。
次のパックに取り掛かろうとした直後、耳の先にぽつっ、と冷たい衝撃を感じる。
もしやと思い空を見上げると、黒い雲が立ち込めてきていた。慌てて右腕に下げていた傘をさそうとする。
しかし両手に下げたビニール袋がかさばり、中々うまくきまらない。ご飯を食べられるように支えたいのだが、柄にどうしても干渉してしまう。
どうしようか――
「あの、お手伝いしましょうか」
背後から男性の声がする。振り返ると、傘を小脇に抱えた30代くらいの、長いコートと帽子を被った人が私に話しかけてきていた。
「おお、ありがとう。ぜひ頼む」
「ええと、どっちを持ちましょうか」
男性は私の傘とビニール袋を交互に見比べて、どちらを持とうか考えているようだった。
「そうしたら、傘を頼む」
「はい。分かりました」
私の傘を手に取って静かに開き、腕を伸ばしてスペースを作ってくれた。ポツポツと傘に雨粒が当たる音が響く。
「大丈夫そうですか、濡れていませんか」
「ああ、ありがとう……すまないが、冷める前に食べてもいいだろうか」
「ええ、どうかお気になさらず。ところでそれ、すごい量ですね」
好意に甘えて焼きそばのパックを取り出し、新しく割り箸を開けて食べ始めた。
「すごい勢いで食べますね」
「ほうはほうは」
「あはは、食べ終わってからで結構ですよ」
うん、とだけ頷いて素早く食べる。重たかったビニール袋も随分軽くなり、私の目の前では次のレース、ジュニア級未勝利戦に出場するウマ娘たちが、誘導ウマ娘の指示に従って真っすぐ列を作って本バ場入場をしていた。
焼きそばを食べ終わり、空になった容器を手早くまとめて次のご飯に手を伸ばす。あんことカスタードの大判焼きが入った袋が現れる。デザートにちょうどいい。
「そうだ、良かったらどうだろうか」
私ばかりが食べていることに気付き、感謝の気持ちを込めて大判焼きの袋を差し出す。男性は、えっ、と目を丸くした。
「いいんですか。あなたの大事な食事なんじゃ」
「いや、傘を持ってもらっているのに、気づかなくてすまない。あんことカスタード、どちらが好きだろうか」
「ありがとう。そうしたら、あんこを」
あんこの入っている袋を彼に向ける。取り出すために中を見た彼が、ギョッとした顔になる。
「これ、全部食べるんですか」
「そうだ」
「まさか、カスタードも同じ数だけ?」
「うん」
「ひい、ふう、みい……全部で24個も食べるつもりだったんですか?」
「ああ。売店のおばちゃんに、これ以上はダメだと断られてしまった」
「えっ。今までの食事に加えて、まだ食べられるんですか」
羨ましいなあ、と彼はつぶやいて大判焼きを手に取る。ありがとう、いただきますと言って、一口かじる。私もカスタード味を取り出して、同じように食べ始めた。
「おいしいです。ありがとうございます」
「いいや、私の方こそありがとう」
「今日はレースを見に来たのか?」
「はい。実は、娘が走るんです」
そう言うと、男性はかじりかけの大判焼きを持ったまま、頭の後ろに手を回す。
「いつもは中々見に来てあげられなくて、その子も普段、レースを見に来てほしいとは言ってこなくて。でも、今日だけは絶対直接来てほしいと」
「そうだったのか。何か、特別なレースなのか?」
「ええ。初めての3勝クラスなんです」
男性はとても嬉しそうに話す。そのままでも優しい目元が、さらに柔らかくなる。上気したような面持ちで話す姿に、私も思わず嬉しい気持ちになる。
「おめでとう。きっと娘さんは、とても頑張り屋のウマ娘なんだな」
「ええ、ええ! それはもう本当に。昔から我が強いというか、信念がありすぎるというか……でも、根性のある子です。トレセンに行く、と決まったときには全寮制なこともあって心配な気持ちにもなりましたけど、持ち前の頑固さが前向きに働いてくれたのかな、と安心しています」
先ほどよりも少しだけ早口で言い終わると、あっ、と何かに気付いたように話すのを止め、ぺこりと頭を下げる。
「すみません、見ず知らずの方に、つい」
「いいや、気にしないでくれ」
顔を上げた男性は、申し訳なさそうにしつもも、どこか誇らしげ表情をして少しだけ遠くの方を見る目になっていた。
私のお母さんも、カサマツで私の話題が出たときに、こんなふうに話していたのだろうか――
私もいつか、家族を持ったときには、こんなふうに話すのだろうか――
私は、普段レースを見るときには考え付かないようなことで、しばらくの間は頭がいっぱいになっていた。
「ただ、問題が一つあって」
「問題?」
「ずいぶん久しぶりにレース場に来たものですから、奥さんとはぐれてしまって」
「それは大変だ! 迷子の館内アナウンスをしてもらおう」
私の提案に、男性は慌てたように傘の雨粒を飛ばす。
「いやいや、それは嫁が困ります」
私たちが話しているうちに、後ろでは未勝利戦のレースが始まっていて、もう勝負の中盤に差し掛かっていた。
『ミニリリー、レースを引っ張ります。その後ろに1番ローカルストリーム追走、そこから1バ身ほどの差をつけて……』
レースに目を向ける。先頭を走るミニリリーと言う子は緊張のせいだろうか、走りが固い。
「『今、レースを見ています』と……」
「連絡は取れるだろうか」
はい、と男性が頷く。
「嫁も学生の時レースで走っていたので、私よりもここには詳しいはず」
男性はそう言って、キョロキョロと周りを見回して、その度に傘が揺れる。どんなに見回しても他の人の傘とカッパで視界が悪く、遠くまで探すのは難しそうだった。
思わずつられて周りを見ているうちに目の前のレースは終了し、コースチェックが行われる休憩時間になる。観客席に詰め寄せていた人たちも一度温まるためだろうか、屋内に向かって歩いていく。
相変わらずの雨模様と傘で暗さは変わらないものの、先ほどよりも遠くまで見通せるようになった。すると、遠くの方から一人だけ、人の流れとは違う方向に――私たちの方へ向かって小走りで近づいてくる人影があった。
「貴方、ここにいたの」
「ああ、良かった。貴女、耳が濡れてしまうよ」
雨に濡れるのも構わず、女性が傘を下ろして手を伸ばす。どうやら奥さんのようだ。男性はサッとポケットに手を伸ばし、彼女の手にハンカチを載せた。
私は彼の言葉に、彼女がウマ娘であることにようやく気付いた。同じウマ娘の私でも見惚れてしまうほど、仕草も姿も綺麗で美しい方だ。
傘を空いた方の手で器用に取り回し、奥さんの分のスペースも作る。
そのスペースを自然に分け合う彼らを見て、なぜか私は、雨の日に二人で歩いたスーパーの帰り道を思い出した。
「こちらの方は? 貴方、二つも傘を持ってきてはいなかったでしょ」
「先ほど声をかけたんだ。両手が埋まっているのに雨に降られて困っていらしたから、手助けを」
女性は私の両腕に下がるビニール袋――今はもうだいぶ軽くなったが――を見て、あらまあ、と驚いたような仕草を取る。
「これ全部、あなた一人で?」
「ああ。旦那さんには大変助けてもらった。改めてありがとう」
男性は、いいんですよ、と緩やかな笑みを浮かべる。
「ずいぶん食べるのね。でも、お若いウマ娘なら元気が一番だし、素敵よ」
そう言って、口を手で隠すように笑う。
『まもなく、次のレース、3勝クラスのパドックが開かれます』
会場アナウンスが、パドックの時間を告げた。先ほどよりも人がまばらになった観客席で、私は二人に尋ねる。
「パドックは見に行かないのか?」
はい、と旦那さんが答えた。
「娘から直接見える場所に立って、緊張させてしまっては良くない」
旦那さん――もう、お父さんと呼ぶべきだろうか。彼は心を決めたように話す。
「小さいころから、平気な顔して緊張しいな子なの。きっと今も変わってないわ」
奥さん――お母さんが、呆れているが優しい笑顔を浮かべながらお父さんの方を向く。
「ぐっと唇を噛み締めながら帰ってきたと思ったら、聞いても何も答えてくれないこともあったね」
「ええ。平気だから、大丈夫だから、って言って聞かなくて。そういう時は静かにハグしてあげると素直になったのよ」
知らなかった、とお父さんが驚く。
「今日は必ず行くよと伝えていますし、到着した連絡も入れてありますから、これ以上プレッシャーをかける必要はないかな、と」
二人はすこし遠くに目線を移して、息を整えるように空気を吸っている。彼らの言葉は私に説明するようにも、自分たちに語り掛けるようにも聞こえた。
本当は見に行きたいけれど、ぐっとこらえて娘の雄姿を見守る。
私にもしも子供がいたら、同じような気持ちになるんだろうか――
「実は、私はつい二月前に引退したばかりなんだ」
彼らの身の上話を聞いているうち、私も自分のことを打ち明けなければいけない気がした。
「実は、今はここに居るんだが、関係者席も用意してもらっているんだ。二人の席も用意できると思う。こんな雨だし、一緒にどうだろうか」
荷物を持ってもらった借りを返したい気持ちと、どういうわけか近い距離を感じる二人には、せめて暖かいところでレースを観戦してほしいと思った。
私の提案に、二人は顔を見合わせてまた、静かに笑みを浮かべる。
「ご親切にありがとう。それと、レース、お疲れ様でした。嬉しいご提案ですけど、お気持ちだけいただくわ」
「娘をより近いところで見てあげたいし、彼女が頑張っているのに親が見下ろしているだけというのは、なんだか忍びないから」
「でも、本当に嬉しいわ。本当にありがとう」
お父さんは敬服するように帽子を取り、首を軽く下げる。お母さんは首を軽く横に傾け、会釈をする。この二人の所作はとても綺麗で、会話の途中でも考えが横に逸れ、こんな大人になってみたいと思ってしまう。
「分かった。すまない」
私も二人に真っすぐ頭を下げた。
「そんな、謝らないで。私もレースを引退したときは、名残惜しくてこの人と一緒によくレース場に行っていたわ。後輩や引退していない同期の応援で」
そうだったねえ、とお父さんが相槌を打つ。
「自分はお付き合いの特権でレースが見れて、嬉しかったですよ。懐かしいね」
「一歩離れたところから見るのもいいものなのよ」
「私もそう思う。なんだか、現役のころよりも少し落ち着いた気持ちで感じられるんだ」
うんうん、とお母さんが何度も頷く。
「二人のウマ娘が勝てるように、私も応援している」
「あら! ご親切にありがとう。ところで、お名前はなんていうのかしら」
お母さんの質問に、私はいくばくか驚いてしまった。私はまだ自己紹介もしていなかったことをすっかり忘れていて、それでいて二人が私のことを知っているものだと思い込んでいたのだ。
自分のうかつさが少し恥ずかしい。彼女のレースを見に来れたことに、浮かれ過ぎていたのかもしれない。
「私の名前はオグ……わっ!」
名前を言いそうになって、思わず大きな声を出した。『外出するときはまだ周りに気を付けてくださいね』と学園の広報の人たちから言われていたのをすっかり忘れていた。私が声を上げたから、驚いて二人とも目を丸くしている。
「……あなた、大丈夫?」
「食べ過ぎて、お腹壊しちゃいましたか」
心配してくれる二人の言葉も頭の中を素通りする。何か、それらしい名前を思いつかなければ。
何か、名前らしい響き。すぐには思いつけない。何かから借りてこよう。
私の脳裏には、最近の朝トレーニングから帰ってきたときに、ベンチに座る彼女と一緒にいることの多い一匹の猫の姿が現れていた。
「私の名前は、キンギョハツラツ、だ」
「そうしたら、ハツラツちゃんかしら」
私は胸がドキっとした。まるで自分のお母さんから呼ばれたように感じたからだ。気持ちを落ち着けるつもりでワザと強めに頷く。わざとらしすぎたのか、お父さんがぽかんとしている。
「ハツラツさんは、どのくらいレースに出られていたんですか」
「わ、私は――」
答えようとするたび、広報の人たちの顔が浮かぶ。全部で32戦走ったとか、昨年の有マ記念で引退をしました、とは素直には言えなかったが、すらりと自然なウソを思いつくこともできなかった。つくづく私は、ウソが苦手だ。
どうしたらいいだろうか――と追い詰められた矢先、ぽつっ、と鼻先に冷たい水滴が落ち、それを合図にしたかのようにして、場内にアナウンスが響き渡る。
『お知らせします。次のレース、三勝クラスの本バ場入場が、間もなく始まります。繰り返します――』
「ああ、もうすぐ次のレースが始まるようだ!」
私はわざとらしく、先ほどよりも大きな声を出した。二人だけではなく、周囲の人たちの視線も感じる。
「もうそんな時間でしたか。もうすぐだよ」
「あっ、本当。話し相手になってくれてありがとう、ハツラツちゃん」
まるめ込めたわけではないだろうが、二人の気を逸らすことには成功したようだった。ほっ、と胸をなでおろす。
「こちらこそありがとう。私も、応援席に行ってくる」
「また会いましょう、ハツラツさん」
「またね、ハツラツちゃん」
ほぼ同時に二人は別れの言葉を発し、バ場が良く見えるスタンドの前を目指して、人ごみの中に紛れていった。
雨が少しずつ降り始め、お客さんが傘を差し始める。少しずつ強くなる雨の中後ろを振り返り、二人の傘が見えなくなるまで彼らを目で追っていた。
関係者席に戻ると、モニーが大張りになったガラスに顔を近づけていた。
「すごいっすねここ、コースから見上げたことはあるけど」
「ま、ウチらが見に来たい言うたらこんな席だって用意してくれるっちゅーこっちゃな」
タマが誇らしそうに胸を張り、モニーの側に立っている。
「イナリちゃん、そんなに食べて大丈夫ですか?」
「おう、クリークも食べるかい?」
「本当ですか? そうしたら一ついただきますね」
二人がおいなりさんを食べているところを見ると、私もお腹が減ってきて、私の気持ちに賛成するようにぐぅ、と音が鳴った。
その音を聞いて、クリークがこちらを振り返る。
「おかえりなさい、オグリちゃん」
「うん、ただいま」
「イチちゃんに会ってきたんですか?」
「いや、素敵な夫婦と一緒にレースを見てきた」
クリークが水筒から注いでくれた温かいお茶を受け取って、一口飲む。外にいるあの夫婦も、何か温かいものを飲んでいて欲しいと思った。
袋に残った大判焼きを食べようとしたその時、レース開始を知らせるラッパの音が聞こえた。
「おうオグリ、帰っとたんか。もう始まるで」
「みんなほら、こっちこっち」
タマとモニーの呼びかけで、私たちは席を立った。目を細めて、トラック上に設置された発バ機の1番のあたりを全員で見つめる。
私たち5人は、誰も喋らなくなった。息をのんでゲートが開くのを待つ。
「頑張れ、イチ」
私の口からひとりでに漏れだした言葉が終わるのと同時に、レースは始まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『第4コーナーを回って直線、内1番、レスアンカーワン好位置につけています、4番ジュネルガーネット伸びない』
「さぁ行っちまえ、イチぃ!」
『1番レスアンカーワン早めの抜け出しを図る、さぁ先頭だ、その後ろコルスカンティ追走』
「頑張って、イチちゃん!」
『最奥からコンフュージョン追い上げてくる、スゴイ脚だ、届くか』
「いや、これは届かん。イチちゃんの脚も残っとる。勝てるで」
『レスアンカーワン、コンフュージョン、いやレスアンカーワンだ』
「マジで過去一の走りじゃん、イチ!」
『今ゴールイン! レスアンカーワン、見事優勝を飾りました! 2着コンフュージョン、3着にはコルスカンティ』
私たちの目は、彼女にくぎ付けになっていた。全員が一丸となって、彼女の勝利を願っていた。
彼女が先頭でゴール板を駆け抜けたあと、私たちは、まるで自分たちがレースに出走して1着を取ったかのように喜びあった。建物の4階にある関係者席からは彼女の姿が小さくしか見えなかったが、彼女を大きく映すモニターに目もくれず、私たちの視線はガラス越しに見える本物の彼女に注がれていた。
「ひっさしぶりのウィナーズ・サークルで記念撮影や。気ん持ちええやろなあ」
「イチのやつ、月にエラい回数走ってるからなぁ。たまには勝てないと面白味がねぇってもんよ」
「最近ほとんど休みが合わないんだよね。ずっと出走してる感じ」
イチとモニーのメイクデビューは、確かに遅かった。ちょうど私がGⅠレースを走るようになったくらいの時期からレースに参加しはじめ、モニーは比較的少ない回数で勝ち抜いたが、イチは少しばかり苦労していた。
その遅れを取り戻すかのように、イチはデビューを飾ってから今日まで、猛烈な勢いでレースに登録している。トレーナーさんから無理やり休みを取らされてしまうくらいに。
「イチちゃん、良かった」
「うん。おめでとう、イチ」
少しばかりふらつきながらも、スタッフの人に支えられてイチが歩き出す。ウィナーズ・サークルには、イチのトレーナーだろうか、スーツを着込んだ男性が迎え、その横には傘が二つ並んでいた。
「よく見えねーけど、トレーナーも嬉しそー」
「せやな。やっと勝てたから安心したやろな」
「隣の傘は誰でぇ、あれ」
イナリが顎に手を当てている。私はその模様から目が離せなかった。どこかで見覚えがあるような。あれは――
「あっ!」
私の大きな声で、全員が不思議な顔でこちらを振り返る。イナリはびっくりしすぎて少し飛び上がっていた。
「いきなり大きな声出すんでねぇ!」
「どしたんや、オグリ」
「オグリちゃん?」
「あの傘、あの夫婦は、まさか――」
私は知らぬうちに聞いたイチの話と、とっさに考えたウソの名前を思い出して、どうしようもなく恥ずかしい気持ちになってしまった。
了
Part23
その1(≫16)
了船長 23/02/22(水) 01:48:08
(前スレの供養します)
200なら大人になったイチちゃんとオグリが福島レース場へ一緒に出かけ、まんじゅう天のお蕎麦を一緒に食べる
「わ、なにこれ、ふしぎ。おいしい」
「そうだろう! 一緒に食べれて嬉しい。もう一杯注文しようか?」
「あはは、ありがと、キャップ」
「この後はイチのお弁当を食べて、モツ煮、大判焼き、唐揚げに、焼きそば……」
「レース見るの、忘れてないでしょうね?」
「もちろんだ」
「良かった。忘れてなくて安心したわ」
「……その、イチ」
「なに?」
「おすすめの観戦スポットがあるんだ。そこまで行こう」
「……あ、うちのお母さんも言ってた」
「お義母さんも?」
「うん。『キンギョさんってステキな子に出会った思い出の場所なの』って」
「なっ……」
「……箸止まってるけど、平気?」
「さ、先に行っているからな!」
「あっ、キャップ! どこなのか私は知らないから、案内して、って、はやっ!」
了
Part24
(≫182)
了船長23/04/01(土) 22:10:21
『オグリキャップ特集!』
『あの有馬記念を優勝したウマ娘、オグリキャップが誕生日にご当地グルメを食べつくす!』
今日も今日とて、私たちはテレビや雑誌のどこか一瞬で、必ずオグリの姿を見ていた。
画面の中に映るオグリの表情は、私がいつも見る彼女のものとは少し異なるような顔つきをしていた。仕事の顔、とでもいうべきだろうか。ずっと近くで彼女の顔を見てきて、モニター越しの彼女はちょっとだけ頑張っているように見えた。
『オグリキャップさんももうすぐお誕生日ですよねぇ。好きな食べ物とかあるの?』
タレントの一人が発した質問にそうか、と思う。
だから不自然だったのかと合点が行った。この番組が収録されたのは今よりももっと前のことだろうけど、誕生日を祝うという体で撮影していたようだ。
素直なオグリのことだから、きっと色々と考えながら喋っているんだろう。台本を頑張って頭に入れたに違いない。
『私の誕生日はもう少し先だぞ』
何の疑念も抱かないような表情で返事をするオグリに、タレントさんが全員、大げさにずっこける。やっぱりダメだったみたい。
『ごはんならなんでも食べるぞ。まだ食べたことのないものは分からないが』
『なるほどねえ。じゃあ、好きな味とかは。甘い、辛い、しょっぱい……』
『うーん……おいしいものが好きだ』
『それは誰でもそうでしょ! 調味料とかでは』
ややズレた会話を繰り返すオグリ。テレビに出演するようになってそれなりに経つけれど、まだまだ慣れていないようで、それがかわいらしくも皆の目に映り、人気を得ている。
「葦毛の怪物」の名にふさわしい走りと復活劇でその競走生活に幕を閉じた彼女からは考えられないギャップもまた、その人気を後押ししているようだ。
私から言わせたら、可愛いなんて通り越して、ちょっとムカつくところまであるんだけどな――
そんなことを考えているうち、意外な言葉が私の耳に飛び込んできた。
『調味料か……にんにく味噌が好きだな』
『ほう! にんにく味噌』
『ああ。そういえば、最近はあんまり食べていないな』
『夏場とかによさそうですねぇ。夏バテ防止とか』
にんにく味噌。そんなものがあるのか。手元のスマホで検索してみる。すると、手作りのレシピがずらりとヒットする。
合わせ味噌や、ふきのとう味噌なら知っていたけど、にんにくを混ぜても美味しいのか。
私がニンニクをあんまり好きじゃないから、触れて来られなかった食材だった。ニンニクを使うと、料理がまとめて強い香りに染まってしまうというか、言葉通り大味になってしまうのが苦手だ。
食べた後の口臭も、すっごく気になるし。
――でも、たまには。
1年に1回くらいだったら、にんにくを使った料理を作ってみてもいいかもしれない。
好きな誰かのためになら、普段は食べない食材を使っても、その誰かが食べきってくれると思うし。
それに、オグリをごはんに誘うちょうどいい理由にもなる。
最近あんまり一緒に居られることも少なくなってしまったし。オグリは在学しながらのお仕事が忙しくて、私はレースに出なければいけない。
たまには、と言うほど期間が長く空いたわけでもないし、エンキョリって言うほどの距離でもない。
それでも、以前のように顔を二人で合わせられなくなったのは寂しい。
オグリに手早くメッセージを送る。
『オグリ』
『やあイチ』
『明日、寮にいる?』
『うん』
『取材とか撮影とか無いの?』
『無いぞ明日はお休みだ』
文章を打つのが遅くて、不慣れ。一生懸命打ち込んでいるのが簡単に想像できた。
『それなら、明日の朝に寮のラウンジ集合ね』
『どうしたんだ』
『最近どっちも忙しくて一緒にご飯食べてないでしょ』
『うん』
『作ってあげるから』
『分かった楽しみだ』
最後に、可愛らしいレタリングとで「わくわく」と書かれたスタンプが送られてきた。
オグリ、意外と可愛いもの好きだよね、と思う。この間お出かけしたときも、可愛らしいデザインをあしらったシューズの前で耳をピコピコと動かしていた。
プレゼントは……明日、一緒に何か選んであげよう。
メッセージを見終わった私は、次にクリークさんに連絡をする。
『クリークさん、今大丈夫?』
『こんにちは。どうしましたか?』
『まだスーパーにいますか?』
『ちょうど、お肉を選び終わったところです』
『一つだけおつかいを頼みたくて』
「OK!」と書かれたスタンプが返ってくる。
『にんにくを一株お願いします』
『にんにく! イチちゃん、珍しいですね』
『少し使ってみようと思って』
『わかりました、買っていきますね』
沢山の食材を持ったままお肉コーナーから戻ってもらうことになり、申し訳なく思う。
クリークさんが戻ってくるまでに、ざっと作り方をまとめておこう。
私はまだ台所に立ってもいないのに、つい腕をまくった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
主役のにんにくに取り掛かる前に、お味噌、お砂糖、みりんをボウルに合わせて、味噌だれを先に作っておく。
刻んだ香辛料や食材――今回のにんにくをはじめとして、ふきのとうとかも――を刻んだ後、全部手早く炒めて仕上げたほうが美味しくなるからだ。
カチャカチャ、とかき混ぜる音がキッチンの中に響く。ここは別に早くやらなきゃいけないワケじゃないけど、なんだか手が自然に動いてしまう。
にんにくの皮を剥き、3つほど取り出したかけらをみじん切りにする。包丁の刃を一回一回入れるたびに、ツンと主張するにんにくの香りが強くなっていく。
刻み終われば、刃にくっついたかけらを指で落として、軽く手を洗う。にんにくって、いつまでも手に残るような気がしてやっぱりちょっと、苦手だ。
これを使うのは、それこそ一年に一回だけの大事な日がぴったりだし、十分じゃないかな。
手の湿気をしっかりタオルに吸わせて、換気扇をつける。フライパンにごま油を垂らして火にかけ、香りが立つのを待つ。
換気扇に吸われてしまうのがもったいないほど、いい香りが部屋を満たしていく。贔屓するようで申し訳なく思うけど、香りが強くともごま油なら許せてしまう。
十分に香りが立ってきたら、まな板からにんにくを丁寧に落とし入れ、料理酒を加えて炒めていく。にんにくは特に焦げやすい香辛料だから、少しだけ火を弱める。
柔らかくなってきたら、作っておいた味噌だれを加えて炒めていく。3分くらい回しながら炒めたら火からおろして、粗熱を取る。
冷めたところを見計らって、小さいスプーンの先端で少しだけ味見。
……なるほど、オグリはこういうのが好きなのね。おいしい。
私はマイルドなお味噌とパンチの効いたニンニクの残り香を感じながら、にんにく味噌を入れた小さなガラスボウルにラップをかけた。
お誕生日当日。私はいつも通りに目が覚めた。
はやる気持ちを抑えて、朝の身支度をする。震えるスマホのアラームを止めて、寝間着から制服に着替え、まだ眠っているルームメイトの顔を一目見る。
スリッパをつっかけて静かにキッチンへ向かう。昨日の時点でももう美味しかったけど、一晩寝かせたにんにく味噌は果たしてどんな味わいだろうか。
もし変な風味になってしまっていたとしても、すぐに作り直せば大丈夫だという保証があるから、だいぶ気持ちが楽だった。
薄く朝日が差すキッチンの扉を開けて、畳んであるエプロンを広げ身体に通す。片手で背中の紐を結びながら、冷蔵庫のドアをもう片方の手で開ける。
思えば、エプロンを巻くのもすっかり慣れたなあ。こんなことをするのも、あと数えられるくらいなのかな。
ロケや取材のお仕事で寮を空けがちになったオグリのことがチラチラと脳裏に思い浮かぶ。
前は疑うことも無く、毎朝会えると思っていた。お弁当を作れば、作っただけ食べてもらえる。私の中で意識こそしないけれど、確実なモチベーションだった。
今では寮にいるかどうか、あらかじめオグリに聞かなければいけない。もしくは、オグリの方から『明日はいないんだ』と直接伝えられる。
仕方ないと思っていたけど、少しだけ寂しくもあった。
だからこそ、今から作るメニューにも気合が入る。
久々に作れて、食べてもらえるから。
さあやるぞ、と顔を上げると、私は冷蔵庫のドアを開けっぱなしにしてしまっていたことにやっと気が付いた。慌てて必要なものを取り出してしっかりと閉め戻す。
いの一番ににんにく味噌ボウルを取り出して味見をする。昨日と同じく、小さいスプーンの先端に少しだけ取る。
お味噌がなじんで、昨日よりもさらに食べやすくなった。私がにんにくを使うのに引け腰だったから、にんにくがちょっと隠れてしまっている気もするけど、朝ごはんに使うからこのくらいでちょうどいい、ということにする。
それでも、朝から食べるにんにくの風味は、私の眠気を一気に吹き飛ばしてくれた。
味の加減が分かったところで、手を動かしていく。
まずはたっぷりのお米を炊くところから。冷蔵庫から洗い米をたっぷり取り出して、炊飯器にセットして急速炊飯モードにセットする。
私たちウマ娘はどんなに用意しても、食材を一瞬で食べきってしまう才能だ。だから、当番制で常に洗い米をたくさん用意している。
オグリに食べさせるならなおさらで、保存してあるそれらのほとんどの袋を取り出してしまった。
昨日のうちにクリークさんが用意しておいてくれた食材を取り出す。
豚バラ、にんじんとれんこん、いんげん。その隣に、たまねぎ、パプリカ、ピーマン。あっ、ブロッコリーの芯が残ってる。どうせだから入れてやろう。
玉ねぎを食感が残るくらいに大きめのざく切りにして、パプリカとピーマンは種を取り除いて開き、くし切り。
これから作るのは炒め物だから、火を均一に、素早く通すのがコツ。くし切りなら均一に熱が通りやすくて、おいしく仕上がりやすい。
次ににんじんとれんこんを半月切りにして、いんげんのヘタを落としてから斜めに切る。ブロッコリーの芯は食べやすいように切ればいいけど、私は細く切り揃えるのが好き。
フライパンとお鍋を取り出してコンロにセット。両方にごま油を大さじ1ほど垂らし、火にかける。換気扇も忘れちゃいけない。
ふわりとごま油の香ばしい香りが立ったら、具材をすべて炒めていく。
フライパンには玉ねぎ軍団を入れる。玉ねぎは炒め過ぎないように注意しつつ、少し透明感がついてきたらピーマンとパプリカを後から加えて、軽く火が通ったら味噌だれを和える。
お鍋にはにんじん軍団。こっちは硬い順番に炒めていき、2分くらいしたらお肉をほぐしながら入れる。火を少しだけ弱めて、混ぜるように熱を加える。
味噌だれを加えたプライパンの表面が泡立ち、湯気が立ち上る。野菜から水分がしみ出して来た合図だ。
ふたをせずに火もそのまま。軽く全体をゆすりながら、3分ほどかけて水分を飛ばす。
玉ねぎを一つ取って、味見をする。
……うん。お肉を入れてないのに、にんにくがとっても良い味付けになってる。少し薄いから、お塩を足そう。
同じころ合いで、お鍋には具の全部が浸るくらいにだし汁を加える。火を強めて、沸騰するのを待つ。
沸いてくる頃にはアクが出てくるから、お玉とお水を張ったお茶わんを片手にすくいとっていく。実は、料理の中でも結構好きな作業の一つ。きれいにしていく感じが楽しい。
大体のアクをすくいあげたら、お味噌を溶き入れる工程だ。
『豚汁のポイントは、二回に分けてお味噌をとくこと。お野菜がお味噌の味を含むから、美味しく仕上がるの。お味噌だけに、話のミソよ』――私の言葉じゃない。お母さんのアドバイスだ。お父さんは後ろで笑ってる。
ダジャレは置いておくとしても、このレシピは冗談じゃなく、とっても美味しく仕上がる。
私は、分量の半分のお味噌を溶き入れた。
一回目のお味噌を入れてからは、火を弱めてじっくり煮る。
去年の今頃は、炒める時間や煮込む時間、火の加減なんかを全部しっかりと測っていたなあ。ちゃんとできるか不安で、レシピ通りに作っていたものだった。
今では色んな食材や調理法に慣れてきて、なんとなく身体が理解してきている感じがする。悪く言えば、ズボラになっちゃったのかな。
でも、おいしくできていると思う。お夜食で寮のみんなに振る舞うときはおいしそうに食べてくれるし、自分で食べていてもおいしいと思う。
にんじんに菜箸を刺し、レンコンを一つかじって火の通りをチェックする。
……うん。オッケー。私は、コトコト音を立てるお鍋にいんげんを加えた。
「おはよう、イチ」
扉が静かに開く音と一緒に、オグリがキッチンに入ってきた。後ろ手で扉を閉めて、真っすぐ私の方まで歩いてくる。
私は振り返って、オグリを見る。歩幅が、少しだけ大きいように見えた。
「おはよう、オグリ」
カーテンの隙間から漏れる朝日を、灰色の髪が透き通るように反射して、輝いていた。
「食器の場所、分かる?」
「うん。用意する」
オグリに食卓を作ってもらう間に、豚汁の仕上げ。
もう半分のお味噌を溶き入れて、一口分だけすくって味見をする。あつっ。
……うん。おいしい。
「私にも味見させてくれないか」
「もうすぐできるから、いい子で待ってて」
「今日の朝ごはんの献立は何だろうか」
「オグリの好きなにんにく味噌の野菜なべしぎと、豚汁よ」
「にんにく味噌か! 私の好きな味だ、誰かに聞いたのか、イチ」
「……アンタのことなら、なんでも知ってるのよ」
「イチはすごいな、エスパーみたいだ」
何言ってるのよ、バ鹿。
「イチと二人で会うのは久しぶりだな」
「引退したオグリと違って、レースで忙しいの」
「次はまた、再来週にでも走るのか」
「うん」
「何か困ったことがあったらいつでも言ってくれ。イチが助けてくれたように、私もイチのことを手伝いたい」
「……うん。でも、頑張りたいから。あ、オグリのお茶碗はもう一つ奥の大きいやつよ」
「こっちか?」
「そう。お茶碗の底、見てごらん」
「……これは恥ずかしいな」
「いいと思うわよ? はい、貸して」
「大盛りで頼む、イチ」
「知ってるってば」
「ふふ、ありがとう……もう、いいだろうか」
「どうぞ、召しあがれ」
「いただきます」
「いただきます」
「美味しい!」
「わっ、びっくりした」
「この、ピーマンと玉ねぎの……」
「なべしぎ、ね」
「とってもおいしいぞ、イチ」
「……ありがと。食べながら喋らないの」
「すまない。どうしても伝えたかったんだ」
「……そ」
「おかわりはあるか?」
「誰のために作ってると思ってるのよ」
「冷める前に、早く次を貰わないと」
「まだ盛り付けてから5分も経ってないと思うから、焦らなくても逃げないわよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
「イチも、にんにく味噌が好きなのか?」
「にんにくはあんまり。でも、にんにく味噌は作ってもいいかなって、ちょっとだけ思ったわ」
「そうだったのか。次は、いつ作る予定なんだ?」
「今年の分はもうおしまい。また来年よ」
「そ、そんな」
「分かりやすくショック受けないの……ねえ、オグリ」
「ああ」
「……お誕生日、おめでとう」
「ありがとう、イチ」
「欲しいものとか、無いの」
「今しがた、貰ったばっかり……あっ」
「何よ」
「一つだけッ、ある」
「誕生日だからその一つだけ、欲しいもの、用意してあげる」
「なっ、本当か」
「……もちろん、私が用意できるものだけね」
「そ、それは、できると思う」
「言ってみて」
「その……」
「言わないと分からないって」
「イチはエスパーだから、伝わらないだろうか」
「なんでまだ信じてるのよッ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「イ、イチのッ」
「……私の?」
「イチに、してほしいことが、あるんだ。久しぶりに二人で会えたから、その……」
「……えっ、オグリ、アンタまさか」
「すまない、にんにくの料理を食べた後にお願いするものではないと、分かってはいるんだが」
「そっちの理由じゃないわ、バ鹿ッ」
「だから、これは大丈夫だ、いらない」
「い、いらない、って何よ!」
「どうしてイチが怒るんだ!?」
「……ムカつく」
「すまない、せっかく祝ってもらったのに」
私はチリチリと焦げ付くような胸の中を抑え込んで、空のお皿からお箸が机の上に落ちるのも気づかず、ちょっとだけ乱暴に席を立った。
「……目、閉じて」
「イチ?」
「いいから、早く目閉じてってば」
「こう、か?」
オグリが素直に目を閉じる。
……まつ毛、長いな。あんなに食べるのにあごのラインは細くて綺麗だし、薄い唇も整ってる。
見ないように私もぎゅっと目を閉じて、オグリの頬をめがけて、軽く口づけをした。
「イ、イチ」
「……まだ、目開けないで。見ないで」
「……分かった」
「いらないって言ったの、オグリだからね。文句言っても受け付けないから」
「……すまない、ありがとう。」
鳥のさえずりが窓の外から聞こえる。私たちはしばらくの間少しも動かず、寮の敷地の向こう側を通るトラックの音が聞こえるくらい、キッチンは静かだった。
「……イチ」
「何よ」
「……おかわりが、欲しい。できれば、大盛りで頼む」
「バ鹿ッ……エプロン取るから、ちょっと待ってて」
了
Part25
(≫127)
了船長 23/04/09(日) 21:02:01
「モニちゃん、起きぃ」
「……」
「モニー、朝やってん起きや」
「……」
「エイジセレモニー!」
「……んぁ」
「休みやからっていつまでも寝とったらあかんで!」
「……ぇえ〜」
「えーもヘチマもない、今日はどんなに眠い言うても起こしたるからな」
「……昨日遅かったじゃないすかぁ」
「それはモニちゃんがゲームしとったからや! あと一回、あと一回言うて2時間は経っとった」
「一緒に寝直しましょうよ〜」
「せっかく部屋を交換したっちゅーんに、いつまでもゲームしとってからに」
「でも、タマセンパイも楽しそうにみてたし、すごいアドバイスくれたじゃないすか」
「確かにおもろかったけど、それはそれや! ウチは怒っとるで、モニちゃん」
「えー……」
「……えいっ」
「なんやっ、引っ張って取り込もう思てもムダやで」
「いや、取り込む」
「やめえ、服が伸びるやろ勿体無い、わ、鼻くっつけるなや、一張羅が汚れるやろ」
「……まだ寝巻きじゃないすか」
「目ぇ開けぇ、匂いで判別すな」
「起きたばっかなの、バレてっすから……いい匂い」
「……騙されんで、ほだされるワケにはいかんのや」
「昨日、寝るの遅くなってスンマセン。だから遅れた分、今から取り戻します」
「起きんとアカンっ」
「そんなこと言って、センパイもまだ着替えてないじゃん。ちょっと寝過ごしてもオグリは許してくれるって」
「……そうかもしれんけど」
「あっちの二人だって今頃ゆっくり朝メシ食べてますよ。だから、ね」
「……」
「しゃーないなあ、っすよ」
「……次はちゃんと早う寝るで、ゲーム禁止や」
「うん……タマセンパイ、あったけー……」
「……しゃーないやっちゃな」
了