黄巾の乱


[おもな登場人物]

 劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)
 曹操(そうそう)・孫堅(そんけん)

 張角(ちょうかく)

[おもな地名]

青洲(せいしゅう)

[勢力]

 正規軍: 後漢(ごかん)政府&義勇軍
 反乱軍: 黄巾賊(こうきん)=太平道 (たいへいどう)


184年

後漢(ごかん) 時代末期
三国時代のきっかけとなっていく 最初の戦い・反乱が黄巾(こうきん)の乱です。

日本で戦国時代のはじまりが 応仁(おうにん)の乱であったように三国時代のはじまりが
黄巾(こうきん)の乱といってもよいでしょう。

太平道の教祖 張角(ちょうかく)を中心として

”蒼天すでに死す 黄天まさに立つべし
 歳は甲子に在りて 天下大吉”
(分かりやすくいえば 朝廷に変わって太平道が天下を取る)

をスローガンに腐敗政治への不満から中国各地でその信者と
農民を中心に黄色い布を頭にまいて一斉蜂起を起こし官府を襲いました。
いつの時代も腐敗政治はつきものです。

この蜂起を静めるべく”黄巾軍討伐”の名のもとに 三国志の群雄が登場し力を蓄えていきます。

この時、後に魏呉蜀の三国の礎となる
曹操(そうそう)29歳、孫堅(そんけん)27歳、劉備(りゅうび)23歳 でした。

そしてこの時、劉備は後に死ぬまで共に戦うこととなる
文武両道の関羽(かんう)、一騎当千の張飛(ちょうひ)と意気投合し「義兄弟」となるのでした。
これを「桃園の結義(とうえんけつぎ)[桃園の誓い]」とよびます。

太平道は数十万の信者をしっかりとした軍隊に組織しました。
3月5日を蜂起の日と計画していましたが計画が漏れて2月に蜂起を早めます。

黄巾軍は初め優勢でしたが、正規の軍隊に長期間対抗することが出来なくなったことと
張角自身が病にかかり亡くなってしまったこともあり
年内には主力は鎮圧されました。
しかし、以後残党が20年余りも残っていたといわれています。

この戦いにおいて青洲(せいしゅう)で討伐した精鋭の黄巾軍を
曹操は配下におさめることで ”青州兵”として今後大きな力としていくのでした。
最終更新:2011年01月27日 18:52