姜維・孫峻北伐



[勢力]
蜀(しょく) 呉(ご) 魏(ぎ)

[おもな登場人物]

蜀(しょく)
 姜維(きょうい)、夏侯覇(かこうは)

呉(ご)
 諸葛恪(しょかつかく)、孫峻(そんしゅん)

魏(ぎ)
 司馬懿(しばい)、司馬師(しばし)
 トウ艾(とうがい)、陳泰(ちんたい)
 母丘倹(かんきゅうけん)、文欽(ぶんきん)
 王経(おうけい)、諸葛誕(しょかつたん)

[おもな地名・場所]
 天水(てんすい)、狄道(てきどう)、
 寿春(じゅしゅん)



255年2月
呉では諸葛格(しょかつかく)を暗殺して政権
を握った孫峻(そんしゅん)が
母丘倹・文欽の反乱に乗じ
寿春(じゅしゅん)に攻め入ります。

しかし呉軍が到着したときには
時すでに遅くすでに反乱軍は鎮圧されていました。

呉軍は寿春で諸葛誕(しょかつたん)率いる魏軍と
あいまみえますが
反乱軍が敗れていることから
呉は早々に撤退をきめなんら成果をあげることは
ありませんでした。

反乱に失敗し逃げていた文欽は
呉の襲来時に収容されて亡命することとなりました。

その翌年には孫峻が病で亡くなります。

255年9月

また呉の出兵と同年遅れながらも
蜀も動きます。

諸葛孔明の軍事的後継者である
姜維(きょうい)が内戦と呉の遠征の報と
司馬師の死の報をきき侵攻を決断します。

姜維の第三次北伐です。

姜維の元には相談役・参謀として
魏より亡命した歴戦の勇 夏侯覇(かこうは)がいました。

魏の地理に詳しい夏侯覇を味方につけ
天水(てんすい)の西に狄道(てきどう)へ出撃します。

魏の王経(おうけい)を野戦でみごと打ち破り、
圧倒的な勝利を得て狄道城を包囲しますが、
魏の援軍トウ艾(とうがい)・
陳泰(ちんたい)の兵が到着したため
山間で迎撃されて敗れ
姜維軍は退りぞかなければならなくなります。

蜀の被害は少なかったものの
序盤の局地的な勝利しかえることができぬまま
姜維の今回の北伐は終わりとなりました。

この後も
姜維とトウ艾のライバル対決と
各国ともに泥沼の政局と紛争が
しばらく続いていくこととなります。
最終更新:2011年01月27日 18:59