[勢力]
晋(しん) 呉(ご)
[おもな登場人物]
晋(しん)
羊[示古](ようこ) 杜預(とよ)
呉(ご)
孫晧(そんこう) 陶濬(とうしゅん)
呉の反乱軍
郭馬(かくば)
[おもな地名・場所]
広州(こうしゅう)
276年10月、278年6月
晋(しん)では呉(ご)への全面攻撃を
前線の指揮官
名将 羊コ[示古](ようこ)
が二度にわたり上奏しますが、
朝議の理解を得ることが出来ぬまま
却下となります。
278年11月
その羊コが病で亡くなります。
そのあと、前線には
杜預(とよ)が任命されます。
279年
杜預が羊コ同様に呉への進軍を上奏します。
しかし、今回はその願いがすぐに受け入れられます。
それは、前回の時と違い
この時、呉では内乱が起きていたためです。
呉の皇帝孫晧(そんこう)の悪政のために
不満が充満していたことに加えて
呉の南方では世襲制兵士部隊が存在しており
太守脩允(しゅういん)の死により
呉政府より世襲制をやめて部隊を解散するように
命じられた事がきっかけとなり
脩允の配下であった郭馬(かくば)らが
広州(こうしゅう)を中心に軍事暴動をおこしました。
最初、反乱の規模は大きくはなかったものの
孫晧への反発の気運もあって、規模を増して
収拾もつかないほどに膨れ上がっていきました。
呉の対応は遅いながらも
兵力の半分近くをもって陶濬(とうしゅん)
を南方へ派遣します。
鎮圧は長期化し
一時、広州全土はほぼ反乱軍の手に落ちるほどでした。
そんな中での杜預の請願だったわけです。
279年11月
ついに晋は20数万という大軍を持って
準備していた大船団を中心に
6方向からいっきに呉へ攻め入ります。
呉での反乱は鎮圧されたもののすでに時は遅く。
攻撃してくる晋への対応は後手に回ります。
そして遂に呉も終焉への道へ向かっていきます。
最終更新:2011年01月27日 19:01