呉普西陵大戦



[勢力]
晋(しん) 呉(ご)

[おもな登場人物]

晋(しん)
 羊[示古](ようこ) 楊肇(ようちょう)

呉(ご)
 陸抗(りくこう) 孫晧(そんこう)

呉の反乱軍
 歩闡(ほせん)

[おもな地名・場所]

 荊州(けいしゅう) 西陵(せいりょう)

[おもな配置]

[晋]

 楊肇援軍↓    羊[示古]軍↓
——————————————–
   ↑          江陵
  陸抗軍⇒西陵(歩闡)

          [呉]
————————————————-
272年1月

晋(しん)では呉(ご)への攻撃には水上戦での
勝利が必要不可欠との判断から
三国志史上稀に見る大きさの大型戦艦を2隻つくり
戦さに備えます。1隻で二千人収容すると言うこの艦は
あの日本の戦艦大和ですら2800人だったことを
考えるとそのすごさに圧倒されます。

立案者は魏の最後の名将 羊[示古](ようこ)
です。

戦艦を作る木屑が呉に流れ着いても
呉の皇帝孫晧(そんこう)は気にも留めません。

そんな中、

273年4月

呉で荊州(けいしゅう)防衛の最前線 西陵(せいりょう)
にいた歩闡(ほせん)が孫晧の乱心ぶりに
嫌気がさして晋へ土地ごと寝返るという事件が発生します。

そこで動いたのが呉最後の名将といわれる
陸抗(りくこう)です。
彼は陸遜(りくそん)の次男で、その行動力と名将ぶりから
「呉の諸葛亮」といわれる人物でした。

ちなみにこの陸抗は
羊コとは前線でにらみ合う時期が長く続き
お互い好敵手として酒や薬を送りあうなど敵ながらも
厚い信頼関係がありました。

反乱がおきてから、陸抗の動きは早く西陵を包囲し
瞬く間に西陵からの攻撃と晋の援軍からの攻撃に
二重に耐えるように柵をめぐらした陣を作り上げました。

晋は楊肇(ようちょう)に10万の兵をあたえ
西陵ヘの援軍をだし、
羊コには陽動作戦として江陵(こうりょう)を
攻めさせました。

陸抗は羊コの攻撃が自分を
江陵へ援軍して向かうようにするための
陽動であることを悟ります。
部下の反対をよそに江陵は堅固であり
今、西陵が落ちれば南方の異民族が反乱を起こして
手が付けられなくなるのでどうしてもここを死守すべし
と江陵へはいきませんでした。

そして、自らは西陵包囲に残り
晋の江陵への進撃ルートにある堤防を壊すようにと
指示しました。
これにより進撃できなくなった羊コ軍は
江陵攻撃に失敗して退却。

西陵ではそれから数ヶ月にらみ合いが続く事となります。

273年12月
完全な防衛のために攻め手にかける
楊肇は撤退を決意して退却します。
陸抗はここぞとばかり追い討ちをかけて
晋に多数の死者が出ました。

晋の援軍のいなくなった西陵は陥落。
歩闡は一族共に斬られ反乱は失敗します。

274年夏
無能な君主の中ひとり奮戦した陸抗でしたが
孔明同様、前線での多忙がたたり、
翌年48歳と言う若さで前線にて病没しました。

彼は死にあたり孫晧に呉の将来の方策として
西陵と建平の防備を怠らないように
上奏しますが孫晧は捨てられてしまいます。

彼の死で遂に人材豊富といわれた呉に
有能な人材がほとんどいなくなりました。
最終更新:2011年01月27日 19:01