下ヒの戦い



[おもな登場人物]

 劉備(りゅうび)、曹操(そうそう)
 呂布(りょふ)、陳宮(ちんきゅう)
 袁術(えんじゅつ)、張繍(ちょうしゅう)
 高順(こうじゅん)

[おもな地名・場所]

 徐州(じょしゅう)、沛(はい)
 下ヒ(かひ)

[おもな位置関係]

 曹操 劉備 呂布
    袁術

196年秋
徐州(じょしゅう)を劉備(りゅうび)から奪った
呂布(りょふ)でしたが
劉備が曹操(そうそう)の元へ逃げ込んでしまいます。

曹操は劉備を厚遇します。

このあと
劉備と曹操の会食があり
「青梅、酒を煮て、英雄を論ず」
の名シーンが展開されます。
(詳しくは英傑群像「名言・格言・ことわざ」コーナーを
御覧ください)

曹操は、呂布に対するために
劉備に沛城(はいじょう)を与えました。

198年
呂布をつぶしたい曹操は
呂布の出陣を誘発すべく一計を講じます。

別の戦いで負けて戦力がダウンしていると
呂布軍に思わせようとしたのです。

曹操が、呂布とは別に戦っていた張繍との戦いで
夜 適当に退却し
その際、被害が大きく出たと触れ回ったのです。

198年10月
これを聞いた呂布は動きます。

劉備のいる沛城を攻撃。
高順(こうじゅん)や張遼(ちょうりょう)などには
かなわず劉備は敗退し、劉備の妻子を人質に取ります。

劉備は退却し曹操と合流します。

曹操の反撃が開始されると
呂布軍はただちに篭城に移ります。
曹操軍の疲労を狙ったのです。

しかし、呂布軍の目論見ははずれます。
曹操軍は準備万端整えた精鋭でした。
また、呂布陣営では寝返りも起こります。

そのため
篭城した彭城(ほうじょう)はすぐに陥落します。

呂布は下ヒ城へ撤退し、
曹操も呂布をおって下ヒ城へ向かいます。

呂布は袁術へ援軍を求めるも
呂布の娘と袁術の息子との縁談話を
棚上げにしていた事で
袁術は援軍を拒否します。

これにより呂布は下ヒ城で孤立無援となります。

呂布の軍師 陳宮(ちんきゅう)は
呂布軍の戦闘力の高さから
撃って出る事を進言します。

呂布は了承したものの
いざ出撃の段になったところで
呂布の妻が反対します。
呂布が城を出てしまうと城が守れないというのです。
その言葉に呂布は出撃を取りやめてしまいます。

そうしている間に
曹操は呂布との白兵戦を避けるために
川を堰き止め、水を城の回りに引き入れて
”水攻め”を行ったのです。

時を逃してしまった呂布は
篭城するしかなくなり酒におぼれます。

士気の低下した城では
クーデターが発生します。
クーデターにより
呂布や陳宮など幹部は生け捕りにされました。

こうして
三国一の武力を誇る武将 呂布は
篭城陥落という屈辱的負け方で
陳宮や高順などともに
処刑されました。
最終更新:2011年01月27日 18:53