[勢力]
魏(ぎ) 呉(ご) 蜀(しょく)
[おもな登場人物]
魏(ぎ)
トウ艾(とうがい) 鍾会(しょうかい)
司馬昭(しばしょう) 胡烈(これつ)
羅憲(らけん)
呉(ご)
孫休(そんきゅう)
陸抗(りくこう)、歩協(ほきょう)、
留平(りゅうへい)、盛曼(せいまん)
旧蜀(しょく)
姜維(きょうい) 黄皓(こうこう)
[おもな地名・場所]
寿春(じゅしん) 永安(えいあん)
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263年10月
魏(ぎ)の蜀(しょく)侵攻が始まったとき
呉(ご)は蜀との同盟どおり蜀への救援として
魏の領土 寿春(じゅしん)に出兵しました。
しかしまもなく蜀が滅び撤退。
264年2月
蜀が魏により滅ぼされて3ヶ月
そして鍾会・姜維の反乱&トウ艾処刑より1ヶ月
呉は攻撃の方向を換え旧蜀の地へ進軍します。
蜀が滅んだばかりで人心が安定しない所を
衝こうとの戦略だったようです。
しかし、既に亡きトウ艾は
蜀の降伏者には寛大な処置を行い
元と同じの仕事を約束したため
蜀において大きな動揺はおきませんでした。
呉の孫休(そんきゅう)は
陸抗(りくこう)、歩協(ほきょう)、
留平(りゅうへい)、盛曼(せいまん)ら
大軍を擁して送り込み長江をさかのぼり始めます。
その最初にあたる
永安(えいあん)の地を守るのは
もと蜀将の羅憲(らけん)。
彼は蜀の宦官(かんがん)黄皓(こうこう)に
媚びなかったために左遷されます。
その後、蜀が滅びそのまま永安城を
守る任務についていました。
鍾会・姜維の反乱で
周りの太守は逃げてしまう中、彼だけは
この地を守ろうとしました。
僅か二千の兵で呉の歩協
擁する大軍に対して、
(蜀亡きあと滅び行くであろう)
呉につくのを良しとせず
歩協と一回は戦って破り、
その後、呉の援軍の陸抗が到着すると
篭城を決意します。
魏に援軍を求めるも半年が経過。
依然、援軍は来ず、病人も出る中
降伏や逃亡も考えない彼は
城と共に討ち死にする覚悟でした。
そんな時ようやく魏の
司馬昭(しばしょう)が送った胡烈(これつ)
の援軍が到着し呉は撤退します。
こうして呉の旧蜀領への進軍は
一人の将の抵抗による
思わぬ誤算で失敗に終わりました。
最終更新:2011年01月27日 19:00