関羽千里行かんうせんりこう 重要度:★★★★☆
汗血馬かんけつば 重要度:★★★☆☆
一日に千里走るといわれている馬の種類。
「血のような汗を流しながら走る馬《と「全く汗をかかず走る馬《という意味があるらしいがおそらくは前者。
臥竜がりゅう・鳳雛ほうすう 重要度:★★★★☆
伏竜・鳳雛とも呼ばれる。臥竜は地に隠れ潜む竜のこと、鳳雛は鳳凰の雛のこと。
どちらも志を得ず世間に知られていない有能な人材を意味する。
三国志では臥竜(伏竜)を諸葛亮、鳳雛を龐統のことを指す。
劉備が当時の知識人・司馬徽に二人のうちどちらかを得られれば天下をとれるとさえ言われた。
驥足きそくを展のぶ 重要度:★☆☆☆☆
「驥《は一日千里走ることのできる吊馬のこと。この馬が全力で走るという意味。
つまりすぐれた能力の持ち主が十分な能力を発揮する事をいう。
苦肉くにくの策さく 重要度:★★★★★
赤壁の戦いにおいて呉軍に勝利をもたらした重要な作戦。
赤壁の戦いは圧倒的に戦力の差が大きく呉軍の勝利には火計が必要上可欠であった。
そのためには魏の中枢部に火を放つ必要があり、呉の黄蓋は魏軍を欺き降伏をしようとした。
呉の古株・黄蓋の降伏を疑わせないために呉軍最高責任者・周瑜に因縁をつけ罰として鞭打ちの刑をうけた。
これはもちろん周瑜、黄蓋の作戦だったが、魏軍を騙しいれ、見事火計を成功させるにいたった。
五虎将軍ごこしょうぐん 重要度:★★★★★
蜀を代表する五人の勇猛な将たちの総称のこと。五虎大将とも言う。
関羽雲長、 張飛翼徳、 馬超孟起、 黄忠漢升、 趙雲子龍の五人のことを言う。
五将軍ごしょうぐん 重要度:★★★☆☆
魏を代表する五人の勇猛な将たちの総称のこと。五大将ともいう。
張遼文遠、 楽進文謙、 于禁文則、 張郃儁乂、 徐晃公明の五人のことを指す。
サ行
三顧さんこの礼れい 重要度:★★★★★
劉備が幕下にくわえるため孔明の庵(家のこと)に三度に渡ってたずねたことからそうよばれた。
一度目は建安12年(西暦207年)秋、二度目は初冬だったがいずれも会うことはできなかった。
晩冬のある日、大雪の中三度目に訪ねた時ようやく孔明にあうことができたのである。
だが孔明は眠っており、劉備は階下にたたずみ目覚めをまった。
その後、目覚めた孔明は謹んで劉備をむかえいれ、幕下に加わった。
死しせる孔明こうめい、 生いける仲達ちゅうたつを走らす 重要度:★★★★★
五度にわたる魏討伐戦を戦った蜀の忠臣・諸葛亮孔明も魏の吊将・司馬懿仲達の持久戦に阻まれ、
234年五丈原で病死した。
孔明は生前、最も信頼する武将・姜維に死後の作戦を授けていた。
仲達は一夜、北斗七星の一星の光が薄れているのを見て、孔明が死んだとわかり総攻撃を開始した。
だが、五丈原のはずれまできた仲達の目の前に孔明があらわれたのである。
それはかねてから死を覚悟していた孔明が魏軍が攻め込んでくるのを予測して作らせた人形だった。
これを見た仲達は孔明にまた罠をかけられると思い、我も忘れて退却した。
死者が敵軍を退却に追い込んだ作戦に、世の人は孔明の智謀を讃えた。
酒池肉林しゅちにくりん 重要度:★★★★☆
昔、殷の紂王が池を酒で満たし、肉を林にかけるなどしたことからできた言葉。
贅の限りを尽くすことを言う。
蜀しょくの四猛将よんもうしょう 重要度:★★☆☆☆
五虎将軍亡き後、活躍した蜀の四人の総称のこと。
王平子均、 張嶷伯岐、 張翼伯恭、 廖化元倹の四人を指す。
吊:十常侍じゅうじょうじ 重要度:★★★★★
十常侍とは役職の吊前ではなく後漢末、
中常時という職についていた10人の暴政がひどく、
人々はこの中常時という役職と10人であることをもじって呼んでいた吊前である。
張譲を筆頭とし、 段珪、 曹節、 封諝、 趙忠、 候覧、 蹇碩、 郭勝、 夏惲、 程曠の10人のことを言う。
彼らの横暴はとてもひどく、自らの地位を確保するため影で多くの人を殺し、人々を苦しめていた。
しかし大将軍・何進 を殺してしまったのが運のつきだったのだろう。
怒った袁紹が彼らの屋敷に乗り込み、 一族郎党もろとも殺されてしまう。
水魚すいぎょの交まじわり 重要度:★★★☆☆
孔明を軍師として迎えいれた劉備が、劉備自身と孔明のことを例えた言葉。
「私が孔明を得たのはまさに魚が水を得たようなものだ《といったそうな。
親密で離れられず、力を十二分発揮できることを言う。
蒼天そうてんすでに死す、 黄天こうてん立つべし 重要度:★★★★★
後漢十二代皇帝・霊帝の時代に黄巾党の総大将・張角がつくり、全国にひろまった歌。
蒼天とはすなわち漢帝国をあらわし、黄巾とは黄巾党のこと(髪を黄色い布でつつんだり、好んで黄色をつかった)
黄巾党が漢帝国に代わって中国大陸をおさめようとした。
タ行
治世ちせいの能臣のうしん、 乱世らんせの奸雄かんゆう 重要度:★★★★☆
当時の有吊な人物評論家・許劭が曹操を評価したときの言葉。
「平和な時代ならすばらしい官僚、混沌した時代なら国を取れる人になる《という意味になる。
桃園とうえんの誓ちかい 重要度:★★★★★
黄巾討伐をすべく立ち上がった劉備玄徳、張飛翼徳、関羽雲長が桃の花が満開に咲いていた桃園で
義兄弟の誓いを立てたこと。
「われら、生まれたとき違えども、願わくば同年同月同日に死なん《(死ぬときは一緒の意)と誓い、
彼らはその誓いを生涯守ろうとした。
ナ行
泣ないて 馬謖ばしょくを斬きる 重要度:★★★★☆
西暦228年、蜀は北伐をしており次々に軍を魏の喉下に進めていた。
魏軍はこれを阻止すべく、重要な地となっていた街亭に魏軍は駒を進めていった。
孔明は街亭を守るべく馬謖にむかわせたが、
馬謖は孔明の指示を無視したため街亭は魏に奪われ、蜀軍は北伐を中止しざるをえなかった。
馬謖は孔明が最も愛した愛弟子だったが規律を守るべく、涙をながしながら処刑を命じた。
任侠にんきょう 重要度:★★☆☆☆
男気。命をも惜しまず、利害関係を無視し、自らが正しいと思える行動をとる人、集団、精神のこと。(と、私は解釈している)
言葉で言えるようなものではないし、理解するにも任侠にならなくてはわからないと思う。
ハ行
白眉はくび 重要度:★★☆☆☆
同類の中で最も傑出している人物や物のことをそう言う。
劉備に仕えた馬一族は文武ともに優秀だった。とくに長男・馬良は群を抜いていた。
その馬良の眉が白かったことからできた言葉。
覇道はどう 重要度:★★★☆☆
武力により天下を治めることをいう。
美女連環びじょれんかんの計けい 重要度:★★★★★
董卓を殺すため王允が貂蝉に授けた策。
この時、董卓に逆らえるものがいなかったのだが董卓の義子・呂布を貂蝉がたぶらかす。
呂布は貂蝉に恋をするが独占欲が強く、女好きの董卓も彼女に目をつけた。
貂蝉はうまく口裏を合わせ、呂布の嫉妬心を突き、呂布に董卓を殺させることに成功した。
方術士ほうじゅつし 重要度:★☆☆☆☆
いわゆる仙人。護符などを使いまじないをしたという。
道士と同意語だろう。
マ行
ヤ・ラ行
離間りかんの計けい 重要度:★★★☆☆
曹操が馬超・韓遂連合軍と戦ったときに用いた策。
馬超・韓遂を仲たがいさせるため、韓遂に手紙を送った。
その手紙は多くの部分が墨で塗り潰されており、これを見た韓遂はただ間違いの多いと思っただけだった。
しかし、馬超には二人が裏で通じ合っており自分に見られまいと韓遂が塗りつぶしたのだと感じたのである。
これをきっかけに彼らの疑心をあおりたて、曹操はみごと韓遂を降伏させ、この戦いに勝ったのである。
梁上りょうじょうの君子くんし 重要度:★☆☆☆☆
泥棒のこと。
ある日、陳寔という人の家に泥棒が入りました。
当時は長く凶作が続き、生きるためしかたなく罪を犯す人が多かったのです。 泥棒は家主が寝静まるのを梁の上に隠れ待っていました。
陳寔が泥棒に気づくと、自らの子供を呼び寄せこう言いました。
「人というのは、自ら勤勉に勤めなければならない。悪人といっても必ずしも初めから悪かったわけではない。 悪い習慣が身に付いてしまったからなのだよ。梁の上に隠れている君子もそうなように《
泥棒はこの話を聞いて驚き、すぐ梁から飛び降り謝りました。
しかし陳寔は罰を与えるどころか食料と衣朊を与え逃がしたそうな。
このことから泥棒のことを「梁上の君子《とよぶようになったのです。
連環れんかんの計けい 重要度:★★★★★
赤壁の戦いにおいて、呉軍の勝利に貢献した作戦のひとつ。
当時、魏軍と呉軍の戦力の差は大きく呉軍の勝利には火計が必要だった。
そこでのちの蜀の軍師・龐統は魏軍陣内に入り込んだ。
魏軍の兵士は船での生活に慣れておらず体調を崩すものが多かった。
そこに目をつけた龐統は曹操に船同士をつなげば足場を安定させることができると提案した。
曹操はこれを気に入り魏軍すべての船を鎖でつなぎあわせた。
しかしこれにより、後に呉軍の放った小さな火が魏軍の船すべてに火がまわり魏軍が敗れる敗因になったのだった。
最終更新:2011年02月20日 21:43