祁山侵攻戦



[勢力]
呉(ご) 魏(ぎ) 蜀(しょく)

[おもな登場人物]

蜀(しょく)
姜維(きょうい)、張嶷(ちょうぎょく)
劉禅(りゅうぜん)

魏(ぎ)
 トウ艾(とうがい)、鍾会(しょうかい)
 司馬望(しばぼう)

魏(ぎ)反乱軍
 諸葛誕(しょかつたん)

[おもな地名・場所]

 祁山(きざん) 段谷(だんこく)
 南安(なんあん)上ケイ(じょうけい)
 武城山(ぶじょうざん)  長城(ちょうじょう)
 駱谷道(らくこくどう)

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蜀と魏の戦いで
諸葛亮(しょかつりょう)が司馬懿(しばい)が
ライバルであったように
蜀の新たな軍事指導者
姜維(きょうい)にはトウ艾というライバルが
いました。

256年
 三度目の北伐も大きな戦果を得ない蜀の
姜維は勝機有りと判断し改めて魏に対して出陣します。

しかし魏の名将トウ艾はすでに
必ずまた姜維が出撃してくるとよんでいました。

理由は以下の5点
  • 蜀は1度の勝利で士気が高い
  • 孔明が鍛えた精鋭がそろっている
  • 蜀は船で移動、魏は陸路で兵の疲労度が違う
  • 魏にとって守るべき地が分散している
  • 祁山(きざん)周辺の豊富な穀倉地帯がある

そのため、周到に用意したトウ艾(とうがい)に
姜維は祁山や南安(なんあん)の
武城山(ぶじょうざん)でも
先回りされてしまいます。

蜀軍は安南をあきらめ方向転換して
上ケイ(じょうけい)をめざします。
しかしすでにその行動も予想されており
途中の段谷(だんこく)では
待ち伏せにあい魏に挟撃され
味方の到着も遅れ大敗します。

姜維もすんでのところで、援軍で現れた
歴戦の将 張嶷(ちょうぎょく)が奮戦して
姜維の身代わりとなり戦死。
姜維はなんとか生き延びますがその責任をとり、
(孔明に例にならい)自ら降格しました。

この敗北における部隊の減少は今後の蜀にとって
大きなポイントとなります。

257年
姜維に新たな機会が訪れます。

魏の諸葛誕(しょかつたん)が反乱を起こします。
この機に乗じて彼は兵4万を率いて挙兵。

姜維は駱谷道(らくこくどう)を経て秦川に出ようとします。
途中、兵糧豊富な長城(ちょうじょう)を狙いますが
司馬望(しばぼう)・トウ艾が積極的に戦おうとはせず
堅く守り続け、こう着状態。
魏の反乱軍諸葛誕(しょかつたん)の敗北の報が入ると
蜀軍は退却することとなります。

258年
姜維は呉の孫休(そんきゅう)より出陣を促す手紙を
うけて出撃します。

祁山でまたもトウ艾と対峙します。
魏からの夜襲と伏兵に持ちこたえた蜀軍は攻勢にでます。
姜維はトウ艾の動きを封じて本陣を奪取し勝利します。

しかし、トウ艾は一計を案じていました。
姜維に対するデマを広めたのです。

それにより優位に進めていた戦いの中
デマに惑わされた
君主劉禅(りゅうぜん)から召還命令が出てしまいます。

こうしてまたもすんでのところで
姜維の侵攻はうまくいきませんでした。

万全な準備のままならぬままの毎年にわたる出撃は
蜀の国力を確実に疲弊していました。

しかし姜維の孤高の戦いはまだ続いていきます。
最終更新:2011年01月27日 18:59