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第11話「空へ…」の元ネタ解説翻訳

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目次

Fairey Swordfish


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The Fairey Swordfish was a torpedo bomber built by the Fairey Aviation Company and used by the Fleet Air Arm of the Royal Navy during World War II.
Affectionately known as the Stringbag by its crews, it was outdated by 1939, but achieved some spectacular successes during the war, notably the destruction of the Regia Marina (the Italian Navy) in the Battle of Taranto and the famous crippling of the Bismarck.
It was operated primarily as a fleet attack aircraft, however, during its later years it was also used as an anti-submarine and training craft.
Designed in the 1930s, the Swordfish outlived several types intended to replace it and remained in frontline service through to the end of the war in Europe in 1945.

フェアリー ソードフィッシュ
フェアリー ソードフィッシュはフェアリー・アビエーション社が開発した雷撃機で、第二次世界大戦中に英国海軍航空隊(the Fleet Air Arm)が使用していた。
クルーには「買い物カゴ(Stringbag)」の愛称で知られていた。
1939年時点で既に時代遅れの機体だったが、第二次世界大戦中にいくつかの目覚しい成功を収めている。
特筆すべき戦果としてはターラント空襲(訳注:ソードフィッシュ21機で戦艦1隻沈没、戦艦2隻大破、重巡洋艦1隻・駆逐艦1隻小破の大戦果)でレジーア・マリーナ(イタリア海軍)の滅亡の遠因を作り出したことと、ビスマルク追撃戦において戦艦ビスマルクに致命的な損害を与えたことが挙げられる。
この機体は主に対艦攻撃機として使用されたが、後期には対潜哨戒機や練習機としても使用された。
設計は1930年代だが、ソードフィッシュと交代予定だったいくつかの機種(訳注:後継機はフェアリー アルバコアだったが、アルバコアは不評でソードフィッシュに戻す部隊すら現れる始末だった。アルバコアは44年退役)よりも長く前線に残り、欧州戦線が終結する1945年まで軍務に残っていた。


Sir Arthur William Tedder


Marshal of the Royal Air Force Arthur William Tedder, 1st Baron Tedder of Glenguin, was a senior officer in the Royal Air Force and a significant British commander during the Second World War.
He became air commander in the Middle East in 1940 and played an important role in the defeat of Erwin Rommel in the Desert War.
After the successful conquest of Tunisia and Sicily he was appointed as deputy Supreme Allied Commander under General Dwight Eisenhower.
The two men worked closely together in planning the D-Day landings in the summer of 1944.
Tedder was responsible for providing tactical air support and was a strong advocate of destroying Germany's communication system during the invasion.
Tedder's views brought him into conflict with Arthur Harris, Trafford Leigh-Mallory and Carl Spaatz.
The British prime minister, Winston Churchill, who considered Tedder to be too much under the influence of the Americans, also had doubts about the wisdom of carrying out heavy bombing raids on France before the invasion.
In January 1945 Tedder met Joseph Stalin to discuss the war against Germany and on 8th May 1945 he led the Allied delegation to Berlin that accepted the surrender of the government of Nazi Germany.
Tedder became Chief of the Air Staff in 1946.

サー・アーサー・ウィリアム・テッダー
英空軍元帥アーサー・ウィリアム・テッダーは初代Glengin男爵である。
第二次世界大戦中の英空軍の最高位の指揮官の一人であり、また英国にとって重要な司令官の一人でもあった。
1940年に中東に展開した英空軍の指揮官になると、北アフリカ戦線においてのエルヴィン・ロンメルの敗北に一役買っている。
テッダーはチュニジアとシチリアの占領を成功させた後、ドワイト・D・アイゼンハワー将軍の下で連合国副総司令官の地位に付いた。
二人は1944年の夏に実行されたノルマンディー上陸作戦において、密接な協力関係を築いている。
テッダーは戦術航空支援においてドイツ軍の通信システムの破壊を強く主張したが、それに反対するアーサー・ハリス、トラッフォード・リー=マロリー、カール・スパッツらと論争を引き起こした。
しかし英国の首相であるウィンストン・チャーチルは、テッダーが米軍の影響を過大に受けていると感じていたが、ハリスらの提案するフランスにおける空襲(訳注:おそらく市街地への大規模な絨毯爆撃)には懐疑的であった。
そして1945年1月には対独戦争において議論するためにソ連のヨシフ・スターリンと会談し、ナチス・ドイツが無条件降伏した5月8日には連合国の代表団を率いてベルリン入りをしている。
1946年からは英空軍参謀総長に就任した。

(翻訳を修正してくれる有志求む)





Scherenfernrohr SF-14 / SF-54



The Scherenfernrohr (scissors periscope) was an improved model of its predecessor,
the "Hypoplast" which did not allow stereoscopic mode.

This has been achieved by a new constellation of central joint which allowed to bring
the eyepieces in interpupillary distance in both modes.

SF-14 was built by Zeiss for the foot artillery. Its specifications, 10 power and 50 mm
objective, were kept for most of the later models until the end of W.W.II, but the
short design was not retained. The distance from the middle of the ocular to the
middle of the objective is only 220 mm in the SF-14 for foot artillery.

The advantages of this short construction are less weight and a handier form, but
these do not make up for the disadvantage of an insufficient capacity for the observer
to maintain cover.

Scherenfernrohr SF-14 / SF-54
シェーレンフェルンロール

シェーレンフェルンロール(鋏型ペリスコープ)砲隊鏡は、立体視が出来なかった旧型の「Hypoplast」を改善したモデルであった。
これは中央部に新しい構造のジョイントを配置したことで、両方のモードで接眼鏡を瞳孔間距離に合わせたままの使用が可能になっている。
(訳注:開いた(視差のある)状態 = stereoscopic modeでは立体視のできる測距儀として、閉じた状態(視差のない)状態 = periscopic mode では通常の双眼鏡と同様に使用することができた)

SF-14は砲兵隊のためにツァイス社によって作られ、第二次世界大戦が終わるまで10倍の倍率と50mmの対物レンズという仕様が変わることはなかった。
しかし、当初の接眼鏡から対物鏡までの長さが220mmという短めの設計は変更されている。
短い構造は軽く、持ち運びもしやすいという利点があるのだが、観測兵による支援が不十分になってしまうという短所を補うものではなかった。


(翻訳を修正してくれる有志求む)
補足:遠くにあるものの距離を測るためには、両目の間隔が広い方が良い。
トゥルーデはあんまり広げてる感じがしないから、単なる双眼鏡扱いなのかな?




AUSTIN K2



The Austin K2 was introduced in 1939. and remained in production until 1945.

The K2/Y was the most common British Heavy Ambulance in WWII, known as the
"Katie", used by all services. The body was of simple construction, a wood frame
covered with leather-cloth, insulated and accommodating four stretchers or eight
sitting patients. The body, known as the No. 2 Mk I/L, was developed by the Royal
Army Medical Corps and produced by Mann Egerton. It accommodated an attendant
and four stretchers or ten sitting casualties. The truck/body combination was
occasionally used as van for other roles.

More than 13,000 produced at Austin's Longbridge works where production was
almost continuous from 1940 until the war ended.

オースチン K2

オースチンK2は1939年に発売されて以来、1945年まで製造が続けられた。
中でもK2/Yは第二次世界大戦でもっとも有名なイギリス製の重救急車であり、「ケイティ」の愛称で知られていた。
荷台は木のフレームを合成皮革で覆っただけのシンプルな構造で、ストレッチャーなら4台、座った患者ならば8名を収容することが出来た。
また他にもNo.2 Mk I/Lとして知られていた荷台があり、王立陸軍医療軍団により開発され、Mann Egerton社によって製造されていた。
そちらでは付添い人と4台のストレッチャーか、座った状態の10名の負傷者を収容することが出来た。
トラックと荷台の組み合わせを変えることで、他の運搬用途に使われたものも多い。

ロングブリッジにあるオースチンの工場で1940年から終戦までほとんど継続して製造され、生産台数は13,000台以上に上る。



(翻訳を修正してくれる有志求む)






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