海外紳士元ネタ解説2 > 10話-2


第10話「500 overs」の元ネタ解説翻訳(その2)

このページは常に有志の翻訳を募集中です。翻訳の修正はお気軽にどうぞ
  • 原文(英文)には手を加えないこと
  • 訳文への補足説明、誤認の指摘、修正などは注釈にて行うこと


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目次-2


Malta

The target is Malta Island, which has been taken over by the Neuroi.

The Siege of Malta was a military campaign in the Mediterranean Theatre of World War II.
From 1940—1942, the fight for the control of the strategically important island of Malta pitted the air forces and navies of Fascist Italy and Nazi Germany against the Royal Air Force and the Royal Navy.
In February 1941, the Deutsches Afrikakorps (German Africa Corps, or DAK) commanded by Generalfeldmarschall (Field Marshal) Erwin Rommel was sent to North Africa to prevent an Axis rout.
Malta became a strategic and logistically vital base which could influence the outcome of the North African Campaign.
From Malta, British air and sea forces could attack Axis ships transporting vital supplies and reinforcements from Europe. Rommel recognised its importance quickly.
In May 1941, he warned that "Without Malta the Axis will end by losing control of North Africa".
The Axis resolved to bomb or starve Malta into submission by attacking its ports, towns, cities and Allied shipping supplying the island.
Malta was one of the most intensively bombed areas during the war.
The Luftwaffe (German Air Force) and the Italian Regia Aeronautica (Italian Royal Air Force) flew a total of 3,000 bombing raids over a period of two years in an effort to destroy RAF defences and the islands' ports.
In the end, Allied convoys were able to supply and reinforce Malta, while the RAF defended its airspace, though at great cost in material and lives.
By November 1942, the Axis had lost the Second Battle of El Alamein and the United States of America landed United States Army forces in Vichy French Morroco and Algeria under Operation Torch.
The Axis diverted their forces to the Battle of Tunisia, and attacks on Malta were rapidly reduced.
The siege effectively ended in November 1942.
In December 1942, air and sea forces operating from Malta went over the offensive.
By May 1943, they had sunk 230 Axis ships in 164 days, the highest Allied sinking rate of the war.
The Allied victory played a major role in the eventual Allied success in North Africa.

マルタ
「目標は、ネウロイによって占拠されているマルタ島。
マルタ包囲戦は第二次世界大戦の地中海戦域で実施された軍事作戦である。
1940年から1942年にかけて戦略的要衝・マルタ島の支配をめぐって、ファシスト・イタリアとナチス・ドイツの空軍・海軍が、英国王立空軍・海軍を相手に戦闘を繰り広げていた。
1941年2月、陸軍元帥 エルヴィン・ロンメル麾下のドイツ アフリカ軍団(DAK)は、枢軸国軍の潰走を防止すべく北アフリカに上陸した。
マルタは兵站上 重要な戦略拠点となっており、北アフリカ戦線の勝敗を左右しかねないほどだった。
マルタから出撃したイギリスの空軍・海軍は、ヨーロッパから重要な補給物資や増援を輸送してきた枢軸国艦艇に攻撃をかけることができた。ロンメルはすぐにその重要性に気づいた。
1941年5月、彼は『マルタがなければ、枢軸国軍は北アフリカの支配を失って敗退するであろう』と警告を発した。
枢軸国軍はマルタを爆撃するか兵糧攻めにして、降伏に追い込む方針を決した。そのためにマルタのあらゆる港、市街はいうにおよばず、マルタ島に補給物資を運んできた連合国軍の艦艇船舶を攻撃しようというのだ。
英国王立空軍の防衛力を削ぎマルタの島々の港湾を破壊するため、ドイツ空軍とイタリア王立空軍は2年でのべ3,000回もの空爆を加えた。
最終的に連合国軍の輸送船団は、マルタに補給物資と増援を送ることには成功したが、それも英国王立空軍がマルタ空域を確保していたからである。だが、多くの命と器材がその代償として失われた。
1942年11月までに枢軸国軍は、第二次エル・アラメイン会戦に敗北を喫し、アメリカ合衆国はトーチ作戦で陸軍をビシー政権下のモロッコやアルジェリアに上陸させた。
枢軸国軍は戦力をチュニジア作戦に転用したので、マルタへの攻撃は急速に弱まっていた。
マルタ包囲戦は1942年11月、事実上 終了した。
1942年12月、マルタから出撃した(訳注: 英国)海・空軍は、攻勢に転じた。
1943年5月までの164日間で、連合国軍は230隻の枢軸国軍艦船を沈め、連国軍艦船の彼我損耗率は大戦中、最良の数値となった。
マルタで連合国軍の得た勝利は、北アフリカで連合軍が最終的に勝利するのに大きな影響をもたらした。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注1: 元になっている文章は英語版Wikipedia・Siege of Malta です。「第二次マルタ包囲戦」に関する記述です。
大戦後のマルタは英国領から脱して、現在は独立の共和国になっています。イギリス連邦(コモンウェルス)と欧州連合(EU)に加盟しているミニ国家です。)
(訳注2: マルタ島の要塞遺構については、History of Malta (Wikipedia(en))や、マルタの港湾要塞群 The Harbour Fortifications of Malta(個人サイト)をご覧ください。
また、首都バレッタ(Wikipedia(jp))にも稜堡などが遺されています。ネウロイのドームは、バレッタを覆うようになっています。)





Chandelle

She tried to cut her off with a chandelle, ...

The chandelle (which is the French word for candle) is a precision aircraft control maneuver, and not strictly speaking an aerobatic, dogfighting, or aerial combat maneuver.
It is rather a maneuver designed to show the pilot's proficiency in controlling the aircraft while performing a minimum radius climbing turn at a constant rate of turn (expressed usually in degrees per second) through a 180 degree change of heading, arriving at the new reciprocal heading at an airspeed in the "slow-flight" regime, very near the aerodynamic stall.
The aircraft can be flown in "slow-flight" after establishing the new heading, or normal cruise flight may be resumed, depending upon the purposes of the exercise or examination.

シャンデル
「シャンデルで頭をおさえようとしたのを・・・
シャンデル(フランス語で ロウソク を意味する)は、精確に航空機を制御しておこなう機動のことで、厳密に言うとアクロバット飛行や、ドッグファイト、あるいは空中戦闘機動ではない。
むしろ、航空機を操縦するパイロットの実力を計るためにある機動といってよい。180度方向転換するあいだ一定の旋回率(通常はdegree/s [度/秒]の角速度で表す)を維持したまま、最小旋回半径で上昇旋回する。当初と逆方向に方向転換すると、対気速度は『低速飛行』の領域にまで落ち、空力的に失速の一歩手前となる。
方向変換終了後の航空機は、『低速飛行』状態となるが、通常の巡航飛行にも戻れる。どうするかは、訓練または試験の目的次第で変わる。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注1: 元になっている文章は英語版Wikipedia・Chandelleです。日本語版Wikipediaでは空中戦闘機動の中に説明があります。)
(訳注2: マルセイユと正面から銃撃を加えあって すれ違ったのち、エーリカが画面の左奥へ行ってから手前へ上昇しながら戻って来る際の機動です。速度つまり運動エネルギーを方向変換することで高度に変える、らしいです。)





Barrel roll

..., but she did a high-G barrel roll and got behind her!

A barrel roll is an aerial maneuver in which an airplane makes a complete rotation on its longitudinal axis while following a helical path, approximately maintaining its original direction.
It is sometimes described as "a combination of a loop and a roll".
The G-force is kept positive (but not constant) on the object throughout the maneuver, commonly not more than 2-3 G, and no less than 0.5 G.

バレルロール
「・・・ハイGバレル・ロールで 逆に背後をとった!
バレル・ロールとは、航空機が らせん軌道を描きながら、前後軸*1で完全に一回転する空中機動である。もとの方向をほぼ維持する。
ときとして『宙返りと横転を組み合わせたもの』と表現されたりする。
この機動をしている物体にかかるg力*2はプラスをキープする(しかし一定ではない)。普通、2Gや3Gを超えることはないが、0.5Gは下回らない。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注1: 元になっている文章は英語版Wikipediaです。日本語版Wikipediaの説明はバレルロール (マニューバ)です。High G Barrel Roll - CombatAircraft.comも参照してください。)
(訳注2: 画面上、俯瞰になって海面に近い位置にいる(ように見える)エーリカに対して、マルセイユが追いすがってグリンと回る機動。「横倒しの樽(バレル)の内壁をなぞるように螺旋を描きながら飛行する。」ように見えると思います。)





Adolf Galland's Nose Art

Seen among the piles of junk in Erica’s side of the room, the cover of this book is a reference to Adolf Galland’s nose art.
Luftwaffe aircraft did not often display nose art, but there were exceptions.
For example, Mickey Mouse adorned a Condor Legion Bf-109 during the Spanish Civil War and one Ju-87A was decorated with a large pig inside a white circle during the same period.
Adolf Galland's Bf-109E-3 of JG 26 also had a depiction of Mickey Mouse, holding a contemporary telephone in his hands, in mid-1941.
(アニメ2期の放送終了後、version3で追加されました。)

アドルフ・ガランドのノーズアート
エーリカ(とトゥルーデ)の部屋で、エーリカ側に堆積したガラクタの山のあいだに見えたのがこれ。この本の表紙に描かれているのは、アドルフ・ガランドのノーズアートが元ネタになっている。
ドイツ空軍ではノーズアートを描くのは一般的ではなかったが、例外もあった。
たとえば、スペイン内戦のとき、コンドル軍団のBf-109はミッキーマウスを描いていたし、同時期の或るJu87A*3が、白い丸のなかに大きな豚の絵を描いていた例もあった。
アドルフ・ガランドが第26戦闘航空団に在隊していた1941年中ごろ、彼のBf-109E-3にも、その当時の形の電話機を手に持ったミッキー・マウスの絵柄がかかれていた。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注1: この文章の後半・ドイツ空軍のノーズアートに関する例を述べた部分は、英語版Wikipediaのnose artからの引用です。
ノーズアートについて日本語の説明はこちら(Wikipedia(jp))から。また、アドルフ・ガランド(ガーランド)の説明はこちら(Wikipedia(jp))です。)
(訳注2: アドルフィーネ・ガランドのノーズ・アート*4は、世界的に有名な黒いネズミではなく、キャプ画の「マジックキャット」が彼女のパーソナル・マークとして描かれています。
画像の上のほうに見切れているのは、サウナの妖精・トントのようです。)





その他

Orange氏のchartではありませんが、元ネタとして指摘があったものです。
せっかくページ分割したので、参考としてあげておきます。




A fleet of many ships is seen in this episode most noticeably the battleships Bismarck, Prince Of Wales and Loritto*5as well as a large number of destroyers of various classes a Fletcher Class Destroyer is seen in close proximity to the Prince Of Wales and a Japanese I-400 class submarine is also seen carrying Hartmann and Hanna.

今回・第十話には多数の艦艇が 一つの艦隊を組んで登場している。もっとも目立つのは、ビスマルク、プリンス・オブ・ウェールズ、リットリオといった各戦艦である。さらに様々な艦型の駆逐艦が数多く見られる。戦艦プリンス・オブ・ウェールズのすぐ近くにいたのは、フレッチャー級駆逐艦である。日本の伊400型潜水艦も、ハルトマンとハンナを輸送する任務で登場している。


(訳注1: リットリオは第2期「第2話「伝説の魔女達」の元ネタ解説翻訳・リットリオ」で解説されています。ネウロイのビーム攻撃によりこうむった艦の損傷は、修理したようです。)





Fletcher Class Destroyer

The Fletcher class (named for Admiral Frank F. Fletcher) was the largest class of destroyer ordered, and was also one of the most successful and popular with the destroyer men themselves.
Compared to earlier classes built for the Navy, they carried a significant increase in anti-aircraft (AA) weapons and other weaponry, which caused displacements to rise.
Their flush deck construction added structural strength, although it did make them rather cramped.

Throughout the course of World War II, the number of AA weapons increased resulting in five twin-40 mm Bofors plus seven 20 mm weapons by 1945.
Fifty-one were further modified beginning in 1945, replacing the forward torpedo tubes and midships 40 mm twin Bofors with quad mounts for a total of 14 barrels, and the seven 20 mm singles with six 20 mm twins.
Three (Pringle, Stevens, Halford) were built (six planned) with aircraft catapults, resulting in the deletion of one 5-inch mount and the after set of torpedo tubes. This alteration was not a success in service and was not repeated.
The three destroyers were later converted to the normal Fletcher-class configuration.

Nineteen were lost during World War II; six more were damaged and not repaired. Postwar, the remainder were decommissioned and put into reserve.
(Orange氏ではないが、元ネタとして指摘があったもの。)

フレッチャー級駆逐艦
― 奥に見える艦 ―
米国海軍・フレッチャー級駆逐艦(フランク・F・フレッチャー提督*6にちなんで命名された)は、発注されたなかでも最大級の駆逐艦であった*7。同時に最も成功し、駆逐艦乗員の間で最も人気のあった艦型の一つだといわれている。
本級以前に米海軍が造らせた駆逐艦とくらべると、フレッチャー級は明らかに対空(AA*8)兵装と、その他の兵装類が強化されていた。その結果として、排水量が増加した。
本級は平甲板*9で、艦体構造を強くするのに役立っていた。しかし、平甲板にしたことで、本級駆逐艦を狭隘なものにしていた。

第二次世界大戦中が進むにつれて*10対空兵装の数は増やされ、1945年までに2連装ボフォース40ミリ機関砲5基に、20ミリの武装が7門にもなった。
1945年にはそれ以上の改装が51隻に加えられた。前部の魚雷発射管と艦中央部のボフォース連装40ミリ機銃が撤去され、4連装の銃座に換装されて合計14門になり、単装20ミリ機銃7基は連装20ミリ機銃6基に換装された。
3隻(プリングルスティーヴンスハルフォード)は航空機のカタパルトを搭載した(計画では6隻の予定だった)。カタパルトを装備するために、単装5インチ砲1門と 魚雷発射管の次発装填装置が取り外された。このように換装してはみたものの、運用に成功したとは言えず、同様の改装は行われなかった。
この3隻の駆逐艦は、のちに通常のフレッチャー級の装備に戻された。

19隻が第二次世界大戦中に失われ、6隻が損傷し修復されなかった。戦後、本級の残存艦は解役され、予備役にまわされた。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注1: 元になっている文章は英語版Wikipedia・Fletcher class destroyerです。日本語版Wikipediaの説明はこちら・フレッチャー級駆逐艦です。
第二次世界大戦を生き残った本級駆逐艦は、朝鮮戦争において再就役するなどして、活躍した艦ではありました。)
(訳注2: 第十話でKGV級戦艦(HMS KGVまたは HMS POW)の右舷側の直近を並航していた艦が、フレッチャー級駆逐艦ではないかと推測されています。画面ではKGV級の左舷側に視点が回り込んだ際、KGV級戦艦の特徴的な前部第一砲塔に半分隠れて見える艦が、フレッチャー級だと目されています。同級の特徴の一つとして、後部に5インチ38口径単装砲を3門装備している点です。たしかに画像でも砲塔が3基 見えるようです。)
(訳注3: フレッチャー級駆逐艦に詳しい日本語のサイトに、U.S. Warships(個人サイト)があります。)





Battleship Prince Of Wales

HMS Prince of Wales (pennant number 53) was a King George V-class battleship of the Royal Navy, built at the Cammell Laird shipyard in Birkenhead, England.
The King George V-class battleships (KGV) were the penultimate battleship design completed for the Royal Navy (RN).
Five ships of the class were commissioned: King George V (1940), Prince of Wales (1941), Duke of York (1941), Howe (1942), and Anson (1942).

The Washington Naval Treaty limiting both the quantity, size (in tonnage), and armament of post First World War battleship construction had been extended by the First London Naval Treaty, but the treaty was due to expire in 1936.
With increased tension between the various major naval nations, it was expected by planners that the treaty might not be renewed and the King George V-class was designed with this loss of restriction in mind.

All five ships served in the Second World War.
Prince of Wales was the only one lost when she, along with the battle cruiser HMS Repulse were sunk by Japanese air attack near Singapore.
The surviving ships were broken up in the late 1950s.

The Prince of Wales had a brief but active career, helping to stop the Bismarck and carrying Winston Churchill to the Newfoundland Conference; however, her sinking by Japanese land-based bombers in the South China Sea on 10 December 1941 was the primary event that led to the end of the battleship being considered the predominant class in naval warfare.
(Orange氏ではないが、元ネタとして指摘があったもの。)

戦艦プリンス・オブ・ウェールズ
― フレッチャー級の手前に見えている艦 ―
英国海軍艦艇HMS プリンス・オブ・ウェールズ(艦艇番号53)は、英国王立海軍のキング・ジョージ5世級戦艦である。イングランドのバーケンヘッドにあるキャメル・レアード社の造船所で建艦された。
キング・ジョージ5世級戦艦(KGV)は、英国王立海軍(RN)が完成させた戦艦のうち、最後から2番目の設計である*11
本級は5艦が就役した。キング・ジョージ5世(1940年就役)、プリンス・オブ・ウェールズ(1941年)、デューク・オブ・ヨーク(1941年)、ハウ(1942年)、アンソン(1942年)の5艦である*12

ワシントン海軍軍縮条約の制限は、艦艇の数と大きさ(排水量)の双方に及んだ。第一次世界大戦後の戦艦建造に関する軍備は、第一次ロンドン海軍軍縮会議で討議された。しかし条約は1936年で失効した。
主要海軍国の間では緊張が高まっていた。それを受けて、軍縮条約は更新されないだろうとの期待が、艦戦設計の企画担当者に広まり、キング・ジョージ5世級は条約による制限が撤廃されることを念頭に置いた設計がなされた。

同型艦5艦すべてが第二次世界大戦に参加した。
戦艦プリンス・オブ・ウェールズは、唯一 戦没した艦となった。プリンス・オブ・ウェールズは巡洋戦艦HMSレパルスとともに、シンガポール近海で日本の航空攻撃により沈没した。
戦争を生きのびた他の艦も、1950年代末に廃棄処分された。

戦艦プリンス・オブ・ウェールズの艦歴は短いが活躍に満ちていた。戦艦ビスマルクの足を止めるのに協力し、ウィンストン・チャーチルを(訳注:大西洋憲章を協議した)ニューファンドランド島会談に送り届けたりもした。しかし、プリンス・オブ・ウェールズは1941年12月10日、南シナ海で日本海軍の陸上攻撃機で撃沈された。それは、従来、海戦を支配すると考えられてきた戦艦の時代に終焉をもたらす 最初の出来事になった。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注1: 元になっている文章は英語版Wikipedia・HMS Prince of WalesKGV級戦艦です。日本語版Wikipediaの説明はこちら・プリンス・オブ・ウェールズです。)
(訳注2: Orange氏の作成したchartでは、HMS POWではなくHMS KGVとされています。レパルスが帯同していたとすれば、KGVよりもPOWのほうがふさわしいのかも知れません。第十話の画面からうかがえる海洋迷彩が、POWではなくKGVだとする手がかりとして有効かどうか、その他にも見分けるポイントがあるか……アニメ製作スタッフの言を俟ちたいところです。)
(訳注3: )



4chanの或る海外紳士の分析によると、下記のような艦隊構成と推測されています。
(上掲画像内には、各艦艇の艦型名が記入されています。)
KGV級とビスマルク級の間、左右に1隻ずつ並航している艦に疑問符(?)がつけられていますが、その2艦がフレッチャー級ではないかと指摘されています。

海外紳士の推測によれば、第十話の艦隊のうち画面に登場した艦艇は下記のとおりです。
ロマーニャ ブリタニア カールスラント 扶桑皇国 リベリオン
戦艦 ヴィットリオ・ヴェネト級(1) キング・ジョージ5世級(1) ビスマルク級(1)
巡洋艦 ザラ級重巡(1)
駆逐艦 ナヴィガートリ級(5) 秋月型(8) フレッチャー級(2) 15
合計19
地中海には このほかにもカールスラントのアドミラル・ヒッパー級巡洋艦なども来ていましたから、これで全艦とは限りません。





Humikane's twitter

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島田 フミカネ
10話みた 世界の艦船大集合
(2010/09/08 22:00)
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島田 フミカネ
#10お船がいっぱい出てきました 
今後大和以下、扶桑艦隊と合流し、連合艦隊ならぬ連合国艦隊の威容に
(2010/09/11 20:16)
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今後ますます期待できそうです。


最終更新:2010年10月10日 21:39
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ヘルプ / FAQ もご覧ください。

*1 longitudinal axis: 機首と機尾を結んだ線で、水平直進飛行する方向の軸。この軸を中心に横転する。

*2 加速度の単位。

*3 ユンカースJu87急降下爆撃機は、シュトゥーカ[スツーカ]として知られる機体。

*4 機首に限らず垂直尾翼や胴体に描かれたものも「ノーズ」アートと称する。

*5 Littorioのtypoである。てゆーか、"ろり"ってゆーな!

*6 1855年11月23日-1928年11月28日。第一次世界大戦の提督。

*7 基準排水量2,050t、満載排水量2,500t

*8 anti-aircraftの頭文字で、逐語訳すれば 対航空機用 となる。

*9 艦の前部から後部までが一面に平らな甲板。米駆逐艦の特徴でフラッシュ・デッカーと呼ばれた。

*10 本級は 1942年から1944年にかけて175隻が建造された。

*11 次級のヴァンガードが最後の一隻となった。

*12 就役はハウよりもアンソンのほうが2ヶ月ほど早い。