GRETE M GOLLOB
- フルネームはグレーテ・マクシミリアーネ・ゴロプ(Grete Maxmiliane Gollob)等であると推測される。
- 所属 オストマルク空軍
- 階級 少佐
- 誕生日 6月16日
- 使用機材
- その他
- オストマルク中央に近いグラーツに生まれる。幼少時からウィッチとしての力が発現していた為、兵学校生徒としてオストマルク空軍へ入学。
- 優秀な成績で飛行訓練を完了し、少尉任官の上、教育中隊の指導官となった。
- 優秀だが尊大かつ冷酷で、ユーモアを理解しない面白みのない人物だと評価されていたが、その教育中隊ではスパルタ教育で多くのウィッチが飛び方を学び、また戦場における生き延び方を身につけたと言われている。
- 中尉昇進と共にカールスラントから供与されたをBf110を使用する駆逐隊に配備され、オストマルク国境防衛の任に就く。
- 防衛戦の中でBf109に機種転換。
- ネウロイ襲撃時から多くのスコアを稼ぎ、リヴォフ方面での防衛の要となった。
- ダキアの戦況悪化に伴い、トランシルヴァニア南方の都市アルトラントの防衛任務に就く。防衛の要地でもあるこの地で次々と撃墜数を増やしていった。
- 戦況の悪化に伴い首都ブカレストが陥落、次いでオストマルク南方の要地である鉄門を突破され、ネウロイがオストマルク国内に侵入するが、部下の多くの撤退進言を退け防衛を続行。
- この働きによって結果的にトランシルヴァニアはオストマルク、ダキア、モエシア陥落後に最後に残された人類の版図となるが、補給が無い状況での部隊や難民の維持は困難であり、苦渋の決断の末撤退を決断。
- ネウロイの主力がいる西方への撤退は困難であり、逆にネウロイの根拠地である黒海方面へ撤退する計画で、これが後に「最も長い撤退戦」と呼ばれる激戦の始まりであった。
- イメージモデル ゴードン・ゴロプ (1912-1987)
- フルネーム ゴードン・マックス・ゴロプ
- 撃墜数 150(ドイツ空軍24位)
- その他
- ドイツ空軍初(=人類初)の150機撃墜を達成した大戦初中期のエース。
- メルダース、ガランドに続く、全軍で3人目の宝剣付き柏葉騎士鉄十字章授章者。
- オーストリアのウィーン出身。グラーツで機械工学を学んだ後、砲兵としてウィーナー・ノイシュタットの士官学校に入校。卒業後は初め少尉でオーストリア空軍に配属され教官を務めていたが、ドイツによるオーストリア併合に伴いドイツ空軍に中尉で転籍、3/ZG76に配属された。乗機はBf110。
- ポーランド空軍との戦闘で初撃墜を記録、以後バトル・オブ・ブリテン、バルバロッサ作戦等でスコアを伸ばす。
- 1942年8月29日、史上初となる150機撃墜を達成。柏葉騎士鉄十字章を授与されると、以降は飛行任務を禁止され本国に召還、様々な要職を歴任。大戦末期には罷免されたアドルフ・ガランドを継いで最後の戦闘機隊総監となる。
- ユーモアを解さない堅物で、競争心強く尊大。ガランドとは対立しており、ドイツ空軍には少なかったナチストでもあった為に同僚や部下からの人望に乏しかった。
- 中世の騎士的な人気のあるルフトヴァッフェのエースの中でも、ヘルマン・グラーフと並び、珍しく悪役・憎まれ役的な印象の強い人物。
- 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集
最終更新:2021年07月02日 20:58