カルラ・バウア
KARLA BAUR
- 所属 メッサーシャルフ社テストウィッチ
- 誕生日 11月13日
- 使用機材
- メッサーシャルフ Me262HG1(V9号機)
- Me262の原型9号機を改造したユニット。
- 主翼の後退角を増加させ、空気抵抗を減少させて高速性能を上昇させた。
- 開発中の新型エンジンHeS011Aを搭載する計画もあったが、バルクホルン大尉のテストで同エンジンの不具合が発覚した為、HG2、HG3のテストはJuma004Cで行われている。
- イメージモデル カール・バウア (1911-1963)
- 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集
W・ブルーメ
W BLUME
- 所属 アロド航空機製造
- 誕生日 1月10日
- その他
- 先の大戦のエース。
- 退役後に航空工学を学び、技術者としてアロド航空機製造に入社。
- バイエルン天空工場社に移籍したレテル博士の後を引き継ぎ、練習機Ar66の設計を継続させ32年に無事初飛行させた。
- 良好な成績を収めた為、カールスラント空軍の基本練習機として大量採用が決定。
- イメージモデル ヴァルター・ブルーメ (1896-1964)
- 撃墜数 28
- その他
- 第一次世界大戦時のドイツのエースパイロットで、後年は航空機設計技師として活動した。
- 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集
G・フィルゼン
G FIESEN
- 所属 フィルゼン
- 誕生日 4月15日
- その他
- 前の対戦で活躍したウィッチで、航空機会社フィルゼン社を設立。
- 退役後、当初は曲技飛行で生計を立てていたが、従来の機体に不満が生じ、自ら曲技飛行機を設計、開発を行った。
- うち1機がRK-26で、自身が同機を使用してアクロバット飛行競技会で優勝した事で注目を浴びた。
- RK-26はバルトランド空軍によって練習機として採用され、この時の売却益や競技で集めた資金を元に、1930年に自らの会社を立ち上げた。
- イメージモデル ゲルハルト・フィーゼラー (1896-1987)
- 撃墜数 19
- その他
- 第一次世界大戦時のドイツのエースパイロットで、印刷業・曲技飛行パイロットを経て航空機設計者となりフィーゼラー飛行機を創立。
- 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集
ペトラ・ゴットハルト
PETRA GOTTHARD
- 所属 ハインツェル社
- 使用機材 ハインツェル He162V1(200001号機)
- その他
- ハインツェル社のテストウィッチ。He162V1(200001号機)のテストを行った。
- 2度めの試験飛行で接着剤不良が判明し、ブリタニアへの協力要請が出された。
- イメージモデル ゴッドハルト・ペーター(Gotthard Peter、?-1944)
- その他
- He162の飛行試験にあたったが、デモ飛行時に接着剤の不良からエルロンが脱落し墜落、殉職した。
- 出典 第一独立特殊作戦航空団全記録
エルネスタ・ニールマン
ERNESTA NIERMANN
- 所属 ノイエ・カールスラント 「魔女の世界」新聞社
- その他
- 「魔女の世界」新聞社の女性記者でウィッチ。
- ウィッチの養成学校を出ているが、実戦経験はない。
- 騒がしくおっちょこちょいなところがあるが、意外な根性を持つ。
- 1941年、配属一年目にしてハンナ-ウルリーケ・ルーデル大佐の取材のためオストマルクの前線に派遣。
- 「特等席」として航空ストライカーユニットを用意され、ともに出撃するはめになる。
- ルーデル大佐による陸上超大型ネウロイの撃破を目の前で取材し、その理解者となる。
- イメージモデル エルンスト=アウグスト・ニールマン(1914-?)
- その他
- ハンス・ウルリッヒ・ルーデルの後方機銃手のひとり。
- もとは従軍記者だったという。
- 出典 『ワールドウィッチーズ 魔女たちの航跡雲』
ギュンター姉妹
GUNTHER SCHWESTERN
- 所属 ハインツェル社
- 誕生日 12月8日
- その他
- 設計者かつウィッチであり、ハインツェル社に招聘された。
- 招聘後の1931年、直ちに高速郵便機のHe70を設計、翌32年には初飛行に成功し、8個の速度記録を樹立。
- この機体の一部は軍用機として採用され、爆撃機や偵察機として使用されている。
- He70を拡大強化した高速輸送機のHe111を開発。
- 同機は後に爆撃機となったが、ストライカーユニットの開発に注力する必要があった為、爆撃機型の完成は遅れ、ネウロイ侵攻時にようやく配備が始まった。
- ハインツェル社最初のストライカーユニットであるHe49を設計、32年に初飛行させた。
- カールスラント空軍としても初の国産ユニットであり、テストと改良の後にHe51として正式採用されている。
- 高速であったが扱い難く、同時期の諸外国のユニットと比べると、取り立てて特徴のある機体ではなかった。
- 形状自体も宮藤理論が導入される前で、エンジン背負い式の凡庸な物だったが、他の国産ユニットが完成していなかった為、主力機の地位を獲得した。
- 36年にヒスパニア戦役が勃発すると、同機はヒスパニアに供与され、後には義勇軍であるコンドル軍団が使用して参戦した。
- 怪異が強大化するに従って対抗が難しくなり、Bf109が完成すると直ちに主力ユニットの座を奪われ、地上攻撃型ユニットへ、更には練習用ユニットへと改変されている。
- イメージモデル ギュンター兄弟 (1899-1969(兄) -1937(弟))
- 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集
K・タンク
K TANK
- 所属 フラックウルフ航空機製造設計主任
- 誕生日 2月24日
- その他
- 1931年にフラックウルフ航空機製造に吸収合併されたアルケミスト社の主任設計者で、合併と同時にフラックウルフ社の設計主任となった。
- Aシリーズ軽輸送機等の開発を続け、32年には複葉複座のA44を徹底改修し、操縦性能に優れ曲技飛行も容易な機体として完成。
- 高等練習機Fw44としてカールスラント空軍に採用され、民間のパイロット学校やエアスポーツ連盟等でも使用された。
- 欧州各国やリベリオン等多数の国家で採用され、1,500機以上が生産されている。
- 自ら設計した単葉のFw56高等練習機は、33年に初飛行、35年に他社との競争審査を受けた結果、カールスラント空軍に採用された。
- 約1,000機の生産が行われ、フラックウルフ社だけでは生産が間に合わず、他の会社でもライセンス生産が行われた。
- ヒスパニア戦役等によってストライカーユニットの生産拡大の必要が生じた際、エンジン供給の不安から異なるエンジンを使用したユニットの開発指示が38年に同社に下され、これを受けてFw190を開発し翌39年に初飛行。
- 自らも過去に騎兵科のウィッチであったタンクの「戦闘用ユニットはサラブレッドではなく軍馬であるべき」との持論から、同ユニットは空戦性能や速度性能も優秀で、その上自動操縦も備えて操縦し易く、メンテナンスも修理も簡単で、大量生産も可能と理想的なユニットに仕上がった。
- その優秀な性能からBf109に代わって主力戦闘ユニットにとの声もあったが、ノイエ・カールスラントへの疎開とその後の工場再立ち上げに手間取った為、量産が遅れて主力の座を勝ち取る事はできなかった。
- しかし大量生産は行われ、頑丈な構造から戦闘爆撃ユニットとしても使用されている。
- イメージモデル クルト・タンク (1898-1983)
- その他
- 1931年から1945年までフォッケウルフ社の設計部門を指揮し、Fw190をはじめ第二次世界大戦における重要な航空機を設計した。
- 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集
フリーダ・ヴェンデル
FRIDA WENDEL
- 所属 メッサーシャルフ社テストウィッチ
- 誕生日 2月21日
- 使用機材
- メッサーシャルフ Me262V1(PC+UA機)
- 試作1号機。噴流式エンジンの開発に手間取っていた為、従来の魔導エンジンも搭載されている。
- 試作噴流式エンジン完成後に搭載してテストを行ったが、故障でエンジンが停止。通常エンジンを稼動させて着陸した。
- イメージモデル フリッツ・ヴェンデル (1915-1975)
- その他
- 空軍で飛行教官を務めた後、メッサーシュミット社の主任テストパイロットとなった。
- 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集
最終更新:2021年05月04日 23:13