海外紳士元ネタ解説 > 3話


第3話「一人じゃないから」の元ネタ解説翻訳

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目次

Sir Wiston Leonard Spencer Churchill (1874 -1965)


Was a British politician known chiefly for his leadership of the United Kingdom during
World War ll. He served as Prime Minister of the United Kingdom from 1940 to 1945 and
again from 1951 to 1955. A noted statesman and orator. Churchill was also an officer in
the British Army, a historian, a Nobel Prize-winning writer, and an artist.

ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル

英国の政治家であり、第二次世界大戦を通じて英連合王国で指導力を発揮したことで知られている。
彼は1940~1945年と1951~1955年の二度、英国の首相を務めた。著名な政治家、演説者である。
またチャーチルは英国陸軍の将校、歴史家、ノーベル賞作家、芸術家でもあった。


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Sir Hugh Dowding (1882-1970)


Air Chief Marshal Hugh Caswell Tremenheere Dowding, 1st Baron Dowding, was a
British officer in the Royal Air Force. He was the commander of RAF Fighter Command
during the Battle of Britain.

ヒュー・ダウディング

空軍大将ヒュー・キャズウェル・トレメンヒーア・サー・ダウディング(初代ダウディング男爵)は、英空軍の士官である。彼はバトルオブブリテンの際の英空軍戦闘機軍団の指揮官であった。


訳注:第9話で名前が判明し、モデルはダウディングではなくトラッフォード・リー=マロリー(Trafford Leigh-Mallory)である事が判明していますが、ダウディングの説明も残しておきます。
なお彼は、ストライクウィッチーズの世界ではヒューゴ・ダウディングの名で登場します(小説版『乙女の巻』)。ブリタニアウィッチ隊総監であったダウディング空軍大将は、ブリタニア首相に統合戦闘航空団の設立を進言、その実現のため積極的に尽力しました。
統合戦闘航空団の生みの親とも言えるダウディングですが、その強情な性格は上層部から嫌われ、統合戦闘航空団の増員のために取った強硬な態度は関連各国に敵を作り、これが原因となりダウディングは失脚します。
この失脚劇でダウディングを罷免に追い込みその後任に就いたのが、反ウィッチ派の急先鋒であり、トラッフォード・リー=マロリーがモデルのマロニー空軍大将でした(『第五〇一統合戦闘航空団全記録 第ニ集』p83~85)。

マロリーの説明はこちらで和訳済。
ちなみに海外紳士のマロリー説明文は英文Wikipediaのものと同じでした。


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Erich Hartmann scored his 200th kill...


Erich Hartmann scored his 200th kill on Feb 26th of 1944 at 14:40
(Shoot down: P-39 || Unit: 9./JG 52 || Location: 29 552: at 2,500m)

At the time Gerhard Barkhorn had 251 kills
(Date: 25.2. 1944 || Time: 12:00 || Shoot down: Pe-2 || Unit: Stab II./JG 52 || Location: PQ 4641?)

Wolf Dietrich Wilcke last kill at this time was the 153th
(Date: 24.2. 1944 || Time: 14:30 || Shoot down: B-24 HSS || Unit: Stab/JG 3 || Location: Koblenz)

"note: some dates are not sure...other hisrorians said different dates...

カールスラント三人組の撃墜数

エーリヒ・ハルトマンは1944年2月26日14時40分に200機撃墜を記録した
(Shoot down: P-39 || Unit: 9./JG 52 || Location: 29 552: at 2,500m)

同じ頃ゲルハルト・バルクホルンは251機撃墜
(Date: 25.2. 1944 || Time: 12:00 || Shoot down: Pe-2 || Unit: Stab II./JG 52 || Location: PQ 4641?)

ヴォルフ・ディートリッヒ・ヴィルケはその頃153機目を撃墜したところであった
(Date: 24.2. 1944 || Time: 14:30 || Shoot down: B-24 HSS || Unit: Stab/JG 3 || Location: Koblenz)

注:いくつか不確かなデータがあります。別のデータを主張する歴史家もいます。

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