ウェーラとアリアとノイナのスケッチ

 歌劇「聖インガヌスの冒険」の一連の騒動の始まりである。まずは主役である聖インガヌス役をノイナさんが承諾させられるところから。


「ノイナ、君に決めた!」
「人のことを召喚獣みたいに呼ばないで下さい。意味が判りません」

 夕食時、食堂に皆より少し遅れてやってきたウェーラが開口一番ノイナを指差したのを、じと目で見つめ返したケイロニウス・レオニダス家の姫君は、先輩の後ろにフェイトがついてきているのを見てそごうを崩した。
 フェイトはぺこりとおじぎをすると、立ったままウェーラとノイナのやり取りを傍観することに徹する様子である。

「というわけで聖インガヌス役は任せたから」
「お願いです。さすがの私もそこまで説明を省略されると何も判りません」
「それでは私から御説明いたしましょう」

 いつの間にかウェーラの隣にはアリアが立っていて、丸めた紙の束を突き出している。そういえば同じケイロニウス一門でありながら、入学初日に挨拶を交わしたきりだったな、と、ノイナはそんな事を考えていた。この皇女殿下がこういう性格であったとは寡聞にして知らなかったのだ。

「……という訳で、歌劇の主役である聖インガヌス役を是非ノイナさんにお願いしたいのです」
「何故歌劇かという疑問はおいておくとして、状況は把握させていただきました。ですが、私はまだろくに発声もできない素人です。主役を張るには役者が足りないのはありませんか?」
「それについては問題ありません。ソロパートは別の方にお願いいたしますから。歌に合わせて口を動かして下さるだけで結構です」

 これまで自習室などで見ていた限りでは、大層おしとやかで気品に満ちた淑女であるかと思っていたのであるが、今この瞬間目前にいるアリアはやる気が覇気となって燃え上がらんばかりに見える。なんというか、この勢いというかノリはウェーラにそっくりなのであるが、それが二人もそろうと、その気迫だけで周囲の空間を塗り替えんばかりとなる。つまり、ここが食堂で、そして今が夕食時であるということ忘れかねないくらいに。

「それに、戦士をクラウディア先輩が、吟遊詩人をアルブロシア様がおやりになるのでしょう? 何故私がインガヌス役なのです?」

 ノイナは、「学院」内での他者から見た自分の魅力が、女性的というより男性的なものであるとみなされている事を自覚している。背は一期生も含めて上から数えた方が早いし、色黒でくっきりとした目鼻立ちの上、髪を短くしているせいで中性的に見える容貌をしている。それは、将来レオニダス家の家長となる事が定まっているが故に自らかくあらんとしているためであるが、それだけに女性としての魅力において他に優れた学生が数多くいるということでもあるのだ。
 その上で、人格的厚みというか貫禄でクラウディアには及ばず、女性的な美貌と容姿でアルブロシアに及ばないということも判っているつもりである。ついでに付け加えるならば、二人ともノイナよりも背が高かったりする。

「だって、他に似合う人がいないんです。ノイナさんは、美人で格好良いから、すごく舞台で栄えると思うんです」
「お褒め頂けるのは光栄ですが、私よりも男性的な魅力に溢れた方は他にもいるでしょう。例えば、そう、モリフォリアとか」
「あー、うん、あの子は綺麗だし、男の子らしいんだけれど、ちょっと……」

 つつつーっと視線をそらしたウェーラが、非常に言いにくそうに言葉をにごした。ついと視線を動かしてみれば、アリアもあえて目を合わせないようにしている。
 そしてふとフェイトと視線があってしまい、きょとんとした様子でこちらを見つめている彼女の様子に、なんというかこうしてごねている自分が悪い事をしているような気になってきた。

「そうですね。この際ですからはっきりと申し上げますと、モリフォリアさんには身長の問題があるのです。お顔がアルブロシアさんの胸元あたりにきてしまうくらいに」
「つまり、背が低すぎる、と」
「有り体に申し上げるならば」

 気品に満ちた貴婦人たるアリアの口から、はっきりとチビだから駄目と言われてしまうと、なんというかあの小生意気なモリフォリアのことが可哀想に思えてくるから不思議である。

「つまり、クラウディア先輩とアルブロシア様と並んで見劣りしない程度に背が高く、そこそこ見れる容姿をしているから、と、そういう理解でよろしいのでしょうか」

 ちょっといじけた言い方になったな、と、口にしてから後悔したが、二人の先輩の言っていることはつまりそういう意味である。

「そこそこ見れる容姿、の部分を、中性的な魅力、に置き換えて頂ければ仰る通りかと」
「中性的、ですか?」
「はい。お二人とも、その魅力は女性的な方に向いていらっしゃいます。まがりなりにも主人公をお願いする以上、お二人に存在感で負けない方でいらっしゃいませんと」
「まがりなりにも女の身としては思うところもありますが、それでも魅力的と認めていただけた事は嬉しいですね」

 さらりと流したアリアの言葉で、二人とも自分の事を魅力的と認められていることが判って、悪い気はしない。そういうところは、やはりノイナも女の子ということである。

「そしてですね、ヒロインのルイズ姫役は、フェイトさんにお願いしているんです! フェイトさんですよ、フェイトさん!」
「つまり?」

 ばばーん、と効果音が響き渡りそうな勢いでウェーラが身を乗り出し、アリアと二人でノイナの前にフェイトを押し出した。

「聖インガヌス役を引き受けてくださるとですね、フェイトさんと一緒に歌ったり踊ったりもふもふしたり抱っこしたりできるんです! それはもう練習中も本番中も思う存分!! どうです、すごいでしょう!?」

 ウェーラとアリアの間で、ちんまりと立っているフェイトが、わずかに小首をかしげてノイナの事をじっと見つめている。
 じっと見つめてくるフェイトの視線に、ノイナは、思わずぐらりと気持ちが傾いてしまった。

「抱っこ、ですか?」
「はい。俗に言うところの「お姫様抱っこ」というのを想定しています!」

 どどーん、と効果音が響き渡りそうな勢いでアリアが身を乗り出し、ウェーラと二人でノイナの前にフェイトを押し出した。

「お姫様抱っこ、ですか?」
「お姫様抱っこ、です」

 わずかの間、沈黙が場を支配する。

「判りました。若輩の身ではありますが、できる限りの事をなさせていただきます。是非ともよろしくお願いいたします」

 食堂の長机の上で重ねられた四人の手が、事が本格的に動きはじめた始まりであった。

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最終更新:2012年06月21日 22:05