クラウディア古人化する、の回。そして「帝國」の古人もインモラルなことでは他の国の古人とそう変わりはしなかった、と。ぶっちゃけ古人の下が緩いのは万国共通なのである。
ゆらゆらとたゆとう中で、ぼんやりと意識が覚醒してゆく。我という存在が曖昧化してゆきつつ、もう一人の我が重ね合わされることで我という存在が明確化されていく。曖昧さと明確さの狭間で、相反する存在が一つの存在である我へと融合し昇華されてゆく感覚。我を我として認識するために必要なもの。それは境界。
まず最初に戻ってきたと感じたのは、柔らかな光を発している天井を認識する視界であった。ぼんやりとした明るさの中で、徐々に自分の肉体の感覚が戻ってくる。肌に張り付く服地、背中を支える寝台の布団、身体を覆っているシーツ、後頭部がうずまっている枕。記憶に無い薬品の臭い。しんとした無音の中で聞こえる心臓の鼓動。それらの感覚を統合させ、結び合わせる。ここに在るのは、わたし。
「意識は覚醒したようね。あなたの名前は?」
「クラウディア。クラウディア・セルウィトス・セルトリア」
右耳に聞こえる声に反応して自動的に言葉が口からつむぎ出される。そう、わたしは、クラウディア。
「自我は順調に確立中ね」
「……施術に問題は?」
「身体的には問題は確認されていないわ。精神的には今精査中。自分という存在に違和感は?」
「……視力が戻るという事はないのですか?」
その問いにクラウディアの右側の空間がゆらぎ、紺色の身体の線を浮き上がらせるような上着とスカートを着用し、白い前掛けを垂らしたアヴェナエ医師が顕現する。
「近眼の事? 戻せなくはないけれども、あなたは無意識的に「目が悪い」と自己認識しているから、今の段階では戻すわけにはいかないのよ。それはあなたという存在を確定するための認識の整合性を乱すから」
「わたしが認識できないわたしが存在し、そのわたしは、自分を「目が悪い」と認識しているから、その認識を乱すわけにはゆかない、ということでしょうか?」
「ええ、その理解で正しいわ。今はあなたという存在を改変された肉体に確定することが最優先事項だから、それ以外のことは全て後回しなの」
乳白色の何も無い部屋の中央に置かれた寝台の上で横になっているクラウディアは、この部屋もそのための装置なのだろうな、と思った。何も無ければ、それだけ五感から入ってくる情報は少なく、まだ安定化していないわたしという存在が、この肉体に馴染みやすくなる。今アヴェナエ医師が現れたのも、彼女という存在を脳が認識できるくらいまで、この肉体にわたしという存在が定着したからなのだろう。
「身体を起こしてみて」
アヴェナエ医師の指示に従って、クラウディアはゆっくりと頭を枕から上げ、両腕を後ろにそらし肘をついて、膝を立て、腹筋に力を入れた。はらりと身体を覆っていた掛け布が落ち、乳白色の木綿の服一枚をまとった上半身があらわになる。肉体の感覚はあっても、まだふわふわとしていて、何か現実感にとぼしい。目の前に持ってきた右手を握ったり開いたりして、この身体が自分のものなのだと理解し納得しようとした。
「では、また横になって」
言われるままに身体を寝台の上に横たえる。全身から力を抜いても身体が浮遊し落下してゆく感覚を感じずにいられる安心感。このまままぶたを閉じて眠りにつく事ができたならば、とても楽になれそうで。
「駄目よ。意識をはっきりさせて」
すかさずアヴェナエ医師の声が飛び、落ちかけたまぶたが上がり、意識が覚醒する。
そう、クラウディアは、眠るためにここにいるのではない。
「さあ、また身体を起こして」
今度は、先ほどよりもずっと意識せずに身体を起こすことができた。
何度も寝台の上で身体を起こしたり横たえたりしてゆくうちに、ようやく全身の隅々まで感覚がゆき渡ってゆく。右手の人差し指を唇にあて、そして歯を立てる。柔らかい。痛い。
「そろそろ大丈夫なようね。では今日はここまでにしましょう。転移するわ」
「はい」
軽く目を閉じ、意識を空っぽにする。そうした方が転移しやすいのだそうだ。
次の瞬間、無数の薬品の攪拌されたような臭い、流れてゆく空気の感触、部屋の外を複数の人間が行き来する音に全身がかき乱される。この感触は、何度やっても慣れることができない。クラウディアは、わずかに意識を緩ませて、五感の感度を鈍らせた。
「慣れつつあるようね」
「いえ、何度感じても慣れることはできそうにありません」
「そういう意味ではないわ。自分で自分の感覚の感度を調整したでしょう? そういう形で環境に適応してゆくことを覚えていることを言ったのよ」
「……そういえば、人間は自分の五感を操作なんてできませんでしたっけ。ここにいると、そんな当たり前の事すら忘れてしまいます」
「仕方が無いわ。だってここは、そういう場所なのだもの」
今日はもう帰っていいわよ。そうアヴェナエ医師に言われたクラウディアは、下着肌着を身に付け、黒い詰襟の服を着ると、アヴェナエ医師に一礼して部屋を出て行った。
正直、下着を穿く時から股間のものの感触に違和感を感じなくなっていることに気がついて、自分も随分と慣れたものだと思う。今こうして歩いていても、前ほど歩きにくいということもなくなった。自分が身体に慣れたのか、身体が自分に慣れたのか。
ようやく自分が喉が渇いていることに気がついて、クラウディアは、部屋に戻る前に一度食堂に寄ってゆくことにした。
アヴェナエ医師の診察室は、モリアの地下都市の中では比較的上層にある。彼女の研究室そのものは、ここモリアのはるか深いところにあるのだそうだが、そこへは転移することでしか入ることができないそうである。導師達は自分の研究室を物理的にも魔術的にも外界と隔離する事で、魔術行使の際に邪魔な雑音が混ざることを防いでいるらしい。
クラウディアを女性から双性へと変化させる措置も、そうした隔離された空間で行われているようである。断言できないのは、施術が行われている間は、彼女の意識は眠っていて、転移した先については一切判らないからである。施術の前後は、必ずあの乳白色の空間に転移して事前措置を行ってから眠りにつき、覚醒してから自分自身を再認識してから元の診察室へと転移して戻る。その繰り返しの毎日。そういえば、ここもリアに来てから何日経ったのだろうか。
「おつかれさま。今日はどうだった?」
「うん。昨日と同じ。でも、段々と慣れてきている気はする」
適当にあいている席につくと、その向かいにお茶の入ったマグカップを二個載せたトレイを持ってカインが座る。食堂の時計が示す時間は14時。昼食時が大体終わったあたりのようで、食堂には人影もまばらであった。
「カインは?」
「課題として出された本を読んでる。ここの図書館はすごいね。学術魔術関係なら「帝都」の元老院図書館よりも充実していると思う」
「そっか。いいなあ、わたしもずっとここで本を読んで過ごしたい」
両手をマグカップをはさみ、湯気があごにあたる感触を楽しみつつ、二人でお茶をすする。
「クラウディアは本当に本が好きだね」
「君も本は読むよね?」
「僕は、読まないといけないから。正直に言うとね、読みたいと思って読んだ本って、数えるほどしかないんだ」
「それは、多分かなり損をしているんじゃないかな? でも、機会はくると思うよ」
自分より歳下なのに、宗主として傾いた一門を支えねばならなかったのだ。他の子供たちよりも少し早く大人にならなければならなかった。そういう子は「学院」にもいた。あの背の高い綺麗な彼女は、今はどうしているのだろう?
「そうだね。……北方が安定すれば、落ち着ける時間も持てるだろうし」
お茶で唇を湿らせたカインが、そう少し寂しそうに笑う。その笑顔に胸がしめつけられるような気持ちになって、そして、身体がうずく。そんな自分を気づかれたくなくて、クラウディアは話題を変えた。
「そういえば、カインは、趣味は持ってるの?」
「趣味? うん、楽器を弾くのは好きかな。音楽も好きだよ。……演奏会か、ゆきたいな」
「そうなんだ。ちょっと残念かな」
「どうして?」
「わたしは、歌も楽器も全然駄目だったから」
クラウディアは、「学院」時代の友人らの顔ぶれを思い出して、少し寂しそうに笑った。歌が好きで、音楽が好きであった彼女達。その輪に入れず寂しさを覚えていたのも、今では懐かしい。
「そう」
少し困った様子で微笑んだカインが、それ以上は言葉を続けなくて、それは自分を気遣ってくれたからだと判るから、それが嬉しい。そして、その嬉しさが身体をうずかせる。なんてはしたない身体になってしまったのだろう。自分を想ってくれている皆も、いつもこんな気持ちを押し隠していたのだろうか?
「……部屋、戻ろう」
「……うん」
二人はマグカップに残ったお茶を飲み干すと、食器を戻して食堂から出ていった。
さらさらと服を脱ぐ衣擦れの音を背中に聞いて、カインは心臓がひときわ大きく鼓動を打った感覚に唾を飲みこんだ。互いに相手の着替えは見ない、という約束になっているから、振り返りはしない。だが、それだけに脳内ではクラウディアが服を脱いでゆく姿がありありと想像されてしまう。
カインは、急いで詰襟の服を脱ぎ、シャツも脱ぐと、下着姿になって寝台のシーツの中にもぐりこんだ。そしてクラウディアに背中を向けたまま、彼女がシーツの中に入ってくるのを待つ。彼女がシーツの中に入ってきたのは、すぐあとであった。そのまま互いに背中を合わせて呼吸を整えた。
「クラウディア?」
「……うん」
かき消えそうな声が返ってくると、カインはもぞもぞとシーツの中で身体の向きを変えてクラウディアを背中から抱きしめた。彼女も薄布の肌着と下穿きだけで、互いの体温と体臭がはっきりと感じられる。彼女の身体に回した両手を、彼女の手の平に重ねて、しばらく互いに互いの温もりを感じあう。
「……もっと背が低かったらよかったのに」
「すぐ、僕が伸びるから」
「ううん、そうじゃなくて、その、もっと可愛くなりたかった」
恥ずかしさを隠そうとして、そんな事を口にする彼女が限りなく愛おしい。彼女を抱きしめる腕の力を強めると、彼は互いの腰を密着させ、彼女のうなじに鼻先をすりつけた。
「今でもこんなに可愛いのに」
「……でも、背が低い方がもっと可愛いと思う」
「僕は、背の高い女の子が好きなんだ。それに、年上で、眼鏡が似合うなら、もう完璧なんだけど」
「……本当に?」
「うん。実は、今すぐにでも結ばれたいくらい。早く許しが出ないかって、そればっかり考えてる」
「……もう」
クラウディアの身体から緊張が解けたのを感じると、カインはそっと両手を動かして彼女の身体を布越しになでた。
「……ん」
「女の子って、柔らかいよね」
「筋肉、ついてるけど」
「でも、こんなに柔らかいよ?」
下げた手の平で、クラウディアのへその上あたりを少し強めに押す。彼女が少し力を込めたのか、カインの手の平は弾力で押し返された。
「……莫迦」
「うん」
身体をなでられるたびに、もぞもぞと動く彼女の感触がカインの熱く硬くなったものを刺激し、彼の体温を高めてゆく。互いの息がだんだんと荒くなっていって、それにあわせて彼の手も遠慮がなくなってゆく。
二人はそうやって互いをまさぐりあいながら、夕食までの時間を過ごした。
「……古人って、いつもこんな感じを我慢しているんだ」
「人によると思うけど、でも性欲が強いのは確かだと思う」
クラウディアは、シーツの中から右手を出してそこに粘りついている淫液をしげしげと見つめた。それが何か気がついたカインは、真っ赤になって彼女をにらみつけた。
「……ふきとりなよ」
「男の子って、大変だよね。こんなにべたべたなんだ」
「恥ずかしいなあ、もう」
真っ赤になっているカインのことをにやにやしながら見つめると、クラウディアは右手の白濁した粘液を丹念になめとり始めた。唖然としてそれを見つめている彼の前でそれを舌できれいにしてしまうと、彼女は彼の鼻先を舌でなめた。
「変な味」
「仕方ないだろ、その、……そういうものなんだから」
「でも、カインのなら、平気かな」
真っ赤になってもにょもにょしているカインを、クラウディアはそっとその豊かな胸の中に抱きしめた。肌着越しにも彼の呼吸を感じられて、こそばゆさと気持ちよさで嬉しくなる。
そっと彼の頭をなでながら、クラウディアはささやいた。
「わたしのはどんな味なのかな?」
「そんなの、わかんないよ」
クラウディア自身のは、まだ用を足すのにしか機能していない。触れられても気持ちよいが、だがそれだけである。
「わたしは、これからもっといやらしくなってゆくと思う。それでもカインは許してくれる?」
「そうなったら、これまで我慢してきたのをやめるだけだから」
「女の子、苦手じゃなかったんだ」
「苦手なだけで、嫌いじゃない。もう、すごいいやらしいこととかするから。ごめんなさいって言ってもやめないよ?」
「うん。……楽しみにしてる」
カインもクラウディアの背中に手を回してきて、抱きしめ返してくる。
二人は、そうやってずっと互いを感じあっていた。
「さて、お二人に来てもらったのは、多分予想通りです」
カインとクラウディアがモリアに来てから二十日間が過ぎた。その間にカインは魔道や魔導といった魔術についての造詣を深め、クラウディアは双性者である自分に慣れていった。そして、とうとう二人がそろってアヴェナエ医師の元呼び出される日がきた。
「カイン君が魔導の相に覚醒しなかったのは残念ですけれども、まあこの短期間で覚醒されていたら、逆に大問題になったでしょうからそれはそれでよしとしましょう。その「石」は差し上げますから、これからお教えた通りに認識を深めていって下さいね」
「はい」
「クラウディアさんは、よくこの短期間で双性者としての自己を確定しました。正直、予定よりも十日近く早かったわ。お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
書類挟みをぱたんと閉じたアヴェナエ師は、あらためて二人に向き直った。
「さて、二人とも身体と心の準備はよいかしら? 一応双性者同士の性交渉について、一通りの事は教えましたけれども、実践してみないと判らないことがほとんどです。性交渉は、その通り互いの身体をつかったコミニュケーションよ。言葉で会話する時にも、表情や手振り身振りを交えるように、性交渉も、身体だけのものではないから」
「「はい」」
「最初の一週間は、二人で色々試行錯誤してみてください。その経験を元に私からアドバイスしますから。それから私も実践で色々と教えてあげます。ま、三人でというのも恥ずかしいでしょうけれど、すぐに慣れるわ」
「「え?」」
「言ったでしょう? 貴方達の性教育の実践も、私が担当するって」
いたずらっぽく微笑んだアヴェナエ医師に、カインもクラウディアも、ぽかんと口を開いてその言葉をなんとか理解しようとしている様子である。さすがにこれは二人とも想像の埒外であったようである。まあ、普通はそうであろう。いくら未経験者同士とはいえ、婚約者同士の交わりに割って入ろうというのであるから。こんな無粋な真似は普通ならばありえない。
「大人の古人というものがどれほどのものか、しっかり勉強していってね。「古人娼で城が建つ」というのは、伊達ではないってこと」
だが、魔導師であるアヴェナエ医師にとっては、そうした一般常識を通用しないようである。片目をつむった彼女は、本当に二人と関係を持つ事を楽しみにしている様子であった。
最終更新:2012年07月25日 23:01