ゴーラ帝国のスケッチ その1

 とりあえずゴーラ帝国の雰囲気をつかむために試し書き。なんというか大北方戦争を書くための下準備的なものというか。


「ひ弱でか細く、上辺を取り繕う事で汚わいを隠したる者共よ。もはや己の脆弱を糊塗することすら出来なくなったか」

 金色の河原毛の馬にまたがった老年に達しているように見える男が、背後に控える群臣らに聞かせるともなく声を発した。みっちりと筋肉のつまった前後に分厚いその巨躯の上の容貌は、遠目には眠れる獅子の如く、近づけば目覚めし魔王の如き威容をもっている。その何もかもが濃いつくりの男は、眼下にて一糸乱れぬ運動を行う艦隊を見やりつつも、発する言葉は遠く南の地を見据えてのものであった。

「ナグナル、バルタス、カルマル、オスミナ。我がゴーラの膝下に這い蹲るしか能の無い者共よ。かつてユスティニアヌスに敗北してより、ただ無為の日々を送ってきたのか」

 優に一〇〇隻は超える艦隊が、帆に風をはらんで北の清爽なる海を波を蹴立てて走っている姿は、まさに雄渾と呼ぶほかにない。

「北の凄愴なる大地と海洋こそが、この美しい民族を育てたのだ。その出自を忘れ「帝國」の武に脅えるしかないのであれば、いっそ我が暴をもって滅ぼすのが慈悲というべきか」

 その言葉に群臣らは瞬時身体を震わせつつも、しかし誰も言葉を発しようとはしない。否、発する事ができないでいる。
 だがその中から一人の文官が、駒を前に進めて男のすぐ後ろに留まった。

「バーテルの息子ビヨルンよ。述べよ」
「はっ! 今やオスミナが抜け、残る南岸三ヶ国も己の去就をいかにするか迷いが生じているのは確実。しかして同時に「帝國」の軍威に脅え、身の置き所すらない心地でおりましょう。ゴーラの宰相といたしましては、今一度帝国の武威を示してその緩んだ性根を据えさせるべきかと愚考する次第」
「示すのはゴーラの武であって、我が暴にあらずか」
「はっ。近々「帝國」はオスミナでの敗北を糊塗すべく軍を発しましょう。それを叩き潰してこそ、ゴーラ帝国の緩んだ箍を締め直す絶好の機会。陛下の御力を振るわれるのは、それでもなお弛緩した惰弱を打つ時かと」

 割れたあごと高い鼻梁の下に黒々とした髭をたくわえ、悪相といっても良い容貌に薄い笑みを貼り付けたビヨルン・バーテルソン・ノルテンショルド宰相は、まがまがしい口調でそう策を述べた。
 身じろぎすらせず宰相の言葉に耳を傾けていた老皇帝は、二人の武官を呼びつけた。

「ステンの息子エルンスト、アレクの息子ヨハンよ。述べよ」
「「はっ!」」

 福々とした温厚そうな相貌をした男と、分厚い唇に切れ上がった目の凶相をした男が、馬上前に出て、同時に左手を右手で包むようにして握る敬礼をもって老帝の言葉に答える。

「まず「帝國」軍が攻め寄せるは、ヨーテボルイ海峡を扼する位置にあるバルタス王国に相違なし。故に彼らが王都ゼーガペインの攻囲に入ったところでこれを叩いて潰すが最初の一手」
「続いて、野戦軍を動かせなくなった彼らの隙を突き、ゴーラ海軍の艦隊をもって南岸河川を遡上、「帝國」の街という街を焼き払い、後手に回る彼らを奔走させ疲弊させまする」
「最後に我が陸海軍の全力をもってヴェルミヘ河を遡り、もって候都トゥール・レギスを攻略、これを塵芥へと戻しまする」

 二人の将軍の提示した戦略は、すなわち疲弊した「帝國」北方辺境に対する焦土作戦である。「内戦」によって最早独力にて自らを守ることさえできなくなった北方辺境にとって、焦土戦は文字通り致命的な痛手をもたらすことになるのは確実であった。

「欲しい数の兵を言え」
「「精兵三万にて!!」」

 エルンスト・ステンソン・スヴェルスガルド将軍とヨハン・アレクソン・ハルムスタッド将軍の答えに、ゴルム皇帝は派遣軍の指揮権を預ける証となる長剣を、振り返りもせずスヴェルスガルド将軍に放り与えた。それを両手で受け取った将軍は、長剣を捧げもってゴーラ湾南岸派遣軍司令官たるの任についたことを受令した。


「などというやり取りが為されているのでしょうね、今頃」
「楽しそうだな、ブリュンヒルド」
「まあねぇ。一見、オスミナ海軍は弱体、連合王国は返還された領土の復興で手一杯、私達が楽して暴れられるように見えるでしょ」
「一見すると、だがな。だがその事を最も良く理解しているのは「帝國」のはずだからな。だから何か我等には思いもかけぬ手を打ってくる、と」
「そうそう。ま、あくまで勘なんだけれどね」
「お前の勘は外れた事が無いからな」

 一〇〇隻を超える大艦隊の運動を指揮するピンクブロンドの長髪を海風にたなびかせたブリュンヒルド・オーラフドッテル・ヴィーキア提督が、顔にかかる髪を右手ですきつつ緊張のかけらもない声で傍らの美女と雑談にふけっていた。その艦隊司令官の言葉に相槌を返しつつも、視線は艦隊から離すことはしない彼女は、その眼鏡の下の翡翠色の瞳に思索の輝きを一瞬きらめかせた。

「私の放った細作からの報告は、新辺境候の下で「帝國」軍が奔馬の勢いで軍を整備している事で一致している。北方辺境候配下の人事も明らかに戦時を意識したもの。オスミナという北方辺境の喉元に突きつけられていた剣を払いのけ、逆にフィンマルク湾へと突きつける刃に変えた今、ためらう事はなくなったという事なのだろうな」
「貴女は連合王国はどう動くと考えている? ヴァルトラウテ」
「表向き中立を保ちつつ、しかし私掠船を放ってゴーラ湾北岸を荒らさせるのではないかな。返還されたジュウキエフ突出部には、それだけの重さはあると思う」
「正式に参戦して艦隊を派遣してくるのでなければ、まあ、うち(ヴィーキア艦隊)ならなんとかできるでしょ。親衛艦隊やスカニア艦隊がどうかは知らないけれど」
「親衛軍のヴェストラ提督は有能だぞ? スカニア艦隊に期待できないのには同意するが」

 濡烏色の長髪が風に流れるのを右手で押さえたヴァルトラウテ・アウグスドッテル・シルヴァン提督は、つまらなさそうな口調でそう答えた。その言葉にくすりとわらったブリュンヒルド提督は、右手を伸ばして友人の髪を指ですきはじめた。

「フィンゴルドのハーラル大公は、きっと自分の意思で参戦するわ。スカニアのニダロス大公は駄目ね。彼は勝てる戦いしかしようとしないもの。弟は漁夫の利を狙って横合いから殴りつける機を見計らうでしょ。オーレスト海峡を押さえるのがうち(ヴィーキア)の宿願だから」
「シグルド殿は機を見るに敏い方だからな。ゴーラの勝利とヴィーキアの勝利の違いをよく理解しておいででもある」
「本人の前で言っちゃ駄目よ。またつけあがるから」
「判っているさ。だが、こうして我等が自由に艦隊を動かす事を認める度量はお持ちでいらっしゃる。その事に私が感謝しているのも事実なのだぞ?」
「判っているって。その事について感謝の気持ちはちゃんと伝えているわ」
「どうだか」

 ブリュンヒルデ提督の桃色がかった金髪を左手ですきはじめたヴァルトラウテ提督は、諭すような口調になると少しだけ困ったような笑みを浮かべた。


 一群の騎馬が草原を駆けてゆく。先頭に立つのは真紅の巨馬を駆る偉丈夫である。このゴーラの民には珍しく縮れた髪をしており、頬骨と顎の張った容貌をしている。その横に寄り添うように白馬にまたがり一筋にまとめた緑為す黒色の長髪をたなびかせている婦人がいた。年の頃こそ不明なれど、柔らかくも芯のある際立った美貌をもった女性である。

「う、馬はいい」

 偉丈夫はどもりつつも隣を駆ける美女に聞こえるように言葉を発した。

「か、風だ。風になった様な心地がする」
「はい」
「お、お前と、こ、こうして駆けている時が、よ、よい」
「はい、わたくしもです。あなた」

 小首をかしげて微笑んだ彼女につられるように、男も澄んだ瞳で分厚い唇をまげて爽やかな笑みを浮かべた。
 そうやって自在に駒を駆けさせる二人の後を、多数の護衛の騎馬が必死の思いで追いかけてゆく。他の馬と隔絶した駿馬を駆る二人の技量は、なまじの騎兵では追いすがるのすら精一杯であった。
 だが、そうして自在に草原を駆ける二人の前に、ゴーラ帝国軍の伝令旗を掲げた騎兵の一隊が近づいてきた。それを見た二人は、つい一瞬前の穏やかで甘い雰囲気を微塵も感じさせぬ周囲を圧する威厳をまとった。

「ヴェストラ大将軍閣下、ヴェストラ提督閣下。皇帝陛下より招集の勅でございます」
「わ、判った。す、すぐミラクゴルドに、向かう」
「役目御苦労。他に伝言はあるか?」
「はっ! すでにスカニア大公殿下、ヴィーキア大公殿下、フィンゴルド大公殿下にも招集の勅が下されたとのことにございます」
「判った。我等もすぐに皇都に向かう故、その様に復命するように」

 凛とした人の上に立つ者の声で、ヴェストラ提督と呼ばれた黒髪の女性がそう伝令の騎士に指示を下す。その言葉に左手の拳を右手の平で包むように握って敬礼をした騎士達は、すぐに馬首を返して走り去っていった。

「……戦争ですね」

 その言葉には直接答えず、腹の底から歓喜の咆哮をあげた夫のウルバン・ホーセンソン・ヴェストラ大将軍を、妻のロスヴァイセ・カールドッテ・ヴェストラ提督は、何か困ったような微笑を浮かべて見守っていた。

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最終更新:2012年11月25日 20:31