前回、サレシナとユリアが古都モリアに行くところで終わらせたが、そこに至った裏舞台についてである。
ユリア・グラミネアとサレシナ・アルメニシアの二人がモリアへ出張した頃からしばらくさかのぼる。
サレシナは、イサラに連れられて独立親衛第21混成旅団の機装甲工房へと挨拶に出向いていた。そこは、機装甲の格納庫や、整備分解組み立てを行うための整備所、機装甲用部品の生産や調整を行う工房や、魔晶石への魔力補充や修繕を行う魔導工房、そして各種材料の倉庫、そうした諸々の建物で成り立っている。その日一日の仕事の段取りについて説明する朝礼で、イサラはサレシナの事を新たに弟子にとったと紹介したのであった。
「サレシナ・アルメニシアです。よろしくお願いします」
「この子は、しばらくヴェルミニオム師の元で勉強させてから、工部の修行を始めるか、魔導師の修行を始めるか決めます。どっちにしろ、今はまだ体力が足りないので、下働きから始めさせます。ヴァーゴさん」
「はい、親方」
イサラにヴァーゴと呼ばれた工部頭が、一歩前に進み出た。男は四十をいくらかでたくらいの筋肉の塊のような大男で、太いもみ上げと顎の傷跡が目立ついかつい親父である。サレシナは、その迫力の気圧されるように身体をのけぞらせた。
「しばらく、下働きとして使ってやってください。ただし、まだ工部にすると決めたわけではないので、「お客さん」扱いでお願いします」
「了解です、親方」
「そういうわけですので、サレシナさん、しばらくはヴァーゴさんの言う通りに働いていて下さい」
「はい、師匠。よろしくお願いします、ヴァーゴさん」
そういって腰を深く折ったサレシナの黒髪が肩からさらりと流れて垂れ下がった。その仕草にヴァーゴは少し困惑気味にイサラに向けて質問した。
「親方、この娘も古人ですかい?」
「はい。孤児院から拾ってきました。本人は工部志望ですが、まずは様子見ですね」
「じゃあ、少しは体力をつけさせますかい?」
「いえ、ちょっと訳ありなので、無理はさせないで下さい。修行を始めると決めたら、あらためて伝えますので」
「了解しました。というわけで、しばらくお前さんの面倒をみることになったヴァーゴだ。何も知らねえ素人衆のお前さんは、しばらくは「お客さん」ということになる。その間に自分で見て聞いて勉強しておけ」
「はい」
もう一度頭を下げたサレシナを見下ろして、ヴァーゴは両腕を組んで少し思考を巡らせたようだった。
「よし、最初に言っておく。ここにいる全員は忙しい。だから、言われた事は一回で覚えろ。いいな?」
「はい」
「判らんことは、課業が終わってから俺に聞け」
「はい」
「あと、話をする時は、相手の目を見て物を言え、いいな?」
「……ごめんなさい」
うつむきがちなサレシナは、あわてて腰を折ると、恐る恐るヴァーゴの顔を見つめた。その眼鏡の下の紅い瞳には、脅えの色が浮かんでいる。
困ったように頭をかいたヴァーゴは、視線でイサラに、本気でこれを工部にするのか、と問い、イサラは、それに苦笑して、まだ決めていませんと返した。
「では今日も、急いで、慌てず、正確に、仕事をしましょう。かかれ!!」
「親方、いいですか?」
「はい」
今日一日の課業が終わり、第101大隊と第902大隊がこき使った機体の整備と調整を済ませた後、工部頭のヴァーゴがイサラの工房を訪れた。彼を室内に通したイサラは、ご苦労様、と一声かけてから椅子をすすめた。
「今日来たあの娘っこですが、どういう訳ありで?」
「魔導の才能はあるんですが、孤児院で虐待を受けていて使い物にならないのを、機甲総監に押し付けられました」
「そいつは、たまったもんじゃねぇですなあ」
「とりあえず、しばらく下働きをさせてここの雰囲気に慣れさせがてら、ヴェルミリオム師に心の傷を癒してもらいます。まあ、工部にするか、魔導師にするかは、それからですね。本人は、孤児院から逃げ出せるならなんでもよかったようですし」
何に使うとも判らない部品が山となっている部屋の壁際に置かれた執務机の上に、山と積まれた日報や整備報告書、資材や器材の発注書や受領書に目を通しつつ、魔導の導師ならではの並列思考でそれを処理してゆき、同時にヴァーゴの話も聞く。イサラのその八面六臂の仕事ぶりに、ヴァーゴは呆れた様な感心したかの様な溜息をついた。
「一応、セラシアとYが仕事を覚えてきてますんで、親方にお願いしねえといけない箇所は減ってはいますが、二人ともまだケツに殻をつけたひよっこです。古人だけあって頭の巡りは良いですし、やる気もあるんで仕事の覚えも早いですが、やはり親方がいないと回らないところがあります」
「それは判っていますが、機甲総監部から受けた仕事もありますから、こっちで整備に顔を出せるのは朝と夕方からになります。本当にわたしでないと手が出せないところ以外は、Yとセラシアの二人を使ってなんとかして下さい」
「はい。そいつは心得ております。ですが、その上であの娘っこの面倒まで見られるので?」
「弟子にしちゃいましたから、最後まで面倒はみませんと。でも、仕事の差し支えにはならないようにはしますから、大丈夫ですよ」
「いや、さすがに親方の身体の方が心配なんですが」
さすがに困ったような声を上げたヴァーゴに、イサラは書類から顔を上げて笑ってみせた。
「今更ですよ。どうせ「クルル=カリル」の整備に、あと二人古人の工部が欲しかったわけですし。今、北の方がきな臭いですから、そのどさくさでないと、とても古人を二人も引っ張れませんでした。ただでさえ古人は引っ張りだこなんですから、多少訳ありでも丁寧に育てて使い物にするしかないんです」
「親方、随分とあの娘っこに入れ込んでいますね?」
「そうですか? うーん、贔屓しているつもりはないんですが」
「いや、贔屓していないのは判りますが、まるで娘の面倒をみる母親みたいになっていますぜ」
ヴァーゴのその言い回しが可笑しかったのか、イサラは声をかみ殺して笑い出した。
「すみません。でも、娘ですか、あの子が。確かに、それくらい歳は離れていますけれど。でも、娘だなんて」
よほどつぼに入ったのか、イサラは机の上に突っ伏して笑い転げている。その姿に憮然とした表情になったヴァーゴは、鼻から息を吹き出すと、膝に手をついて腰を上げた。
「訳ありなのは了解しました。そいじゃあ、ぼちぼち工部としての心得も教えてゆきますんで」
「はい。でも、あくまで「お客さん」扱いですからね。まだ未通女なのが不思議なくらいの酷い目に遭ってきていますから、ちょっとした事で脅えますし、すくみます」
「そいつは、本当に難儀な代物を押し付けられましたなあ」
「でなければ、あのキュリロス総監が手持ちの古人を譲ったりなんてしませんよ」
第21旅団に来てから、サレシナの毎日はほぼ同じ様に過ぎていった。
朝、日の出前に起き出して工部用の食堂に行き、竈に火を入れ、湯を沸かす。しばらくすると通いの雇人が来て朝食の準備を始めるので、その手伝いをする。大体、日が昇ったくらいに工部達が食堂に来るので、配膳の手伝いを行い、食事後に自分達もまかないを食べてから食堂の掃除をして、食器を洗う。
それからヴェルミリオム師のところへ行き、心霊治療を受けて、イサラ親方と話をする。彼女は朝、旅団の機神を一機一機全てチェックしてから、機甲学校に転移して向こうに仕事をしに行き、昼頃ヴェルミリオム師の元へ転移してきてサレシナの治療に付き合ってくれている。それからサレシナは食堂に手伝いにゆき、イサラは工部頭達と仕事の打ち合わせをしてから、また機甲学校に転移して移動する。
午後は、ヴァーゴお頭に付いて工部の仕事を見学しつつ、彼らについて学んでゆく。そして食堂に夕食の手伝いをしにゆき、竈の火を落とすまで仕事をする。
サレシナの自由になる時間は、食堂が閉まってから夜寝るまでのわずかな間である。だがサレシナは、それを不自由だと思いはしなかった。それどころか、個室も与えられ、着るものは清潔で、食べるものは暖かく量も十分で、これまで孤児院で受けてきた待遇からすれば夢のような厚遇ぶりであった。しかも、彼女が勉強をしたいと望めば、ヴェルミリオム師もヴァーゴお頭も書籍を貸し出してくれた。さすがに行灯を貸してはもらえなかったので、一生懸命魔道光を使えるように修行したりもした。
「そいつをとってくれ」
「はい」
おかげで、今ではこうしてヴァーゴお頭の後ろで工具箱を持たせてもらえるまでになっている。彼が取り付けようとしている部品を見れば、どの工具を渡せばよいのかも覚えた。機体を整備する手順を覚えてしまえば、あとは細部の作業の順番を覚えてしまえばいい。
重たい工具を両腕で抱えていたサレシナは、振り返りもせずに差し出された手にそれを渡した。
「次はそっちだ」
「はい」
返された工具を受け取り、次の工具を渡す。やはり片手で工具を持てないと一呼吸遅れる。それだけヴァーゴお頭の仕事は遅れ、全体の仕事の進みが遅れる。午後だけの事とはいえ、それでも手伝いが終われば握力が無くなるほどに疲れる。イサラ親方の言った体力が足りないということの意味を彼女は実感する毎日であった。
「……すみません」
「いいってことよ。お前さんが非力なのは見りゃ判る。それでも工具箱を任せたのは俺の判断だ。お前さんが謝る筋の話じゃねえ」
「……はい」
同じ整備場には、Yと自称する古人と、セラシアという西方から来た鍛冶屋の子の古人も一緒に仕事をしている。二人もイサラ親方と一緒に機甲学校を行き来していて、そして機神の最後の微調整を任されている。二人とも、サレシナが両手で抱えないと持てないような重い工具でも平気で片手で扱い、時々怒鳴られ殴られつつも、サレシナよりも手早く要領良く仕事をこなしていっている。
「お前さんは、まだ見習いですらねえ「お客さん」だ。仕事の進みを気にするんじゃねえ。それより牧師様の方をしっかりやれ」
「はい」
「貴様は、一体全体何を作ろうとしているのだ?」
サレシナを弟子にとってからしばらくしたある日、イサラはキュリロス機甲総監に呼び出され開口一番そう詰問された。彼の手元には、イサラが提出した各種資材の発注書が山積みとなっており、彼の色眼鏡の下の目は剣呑な光をたたえていた。
「「六号」原型機製作に使う資材ですが?」
「そこに何故、大量の神聖金と精霊銀が必要とされる? 「六号」はあくまで「黒の二」の後継機だ。「黒の龍神」の後継機ですらない」
イサラは、不思議そうな表情を浮かべると、宙をすっと手の平でなでて多数の書類を顕現させた。
「先日提出した仕様書に、原型機の概念について記載しましたが。「黒の二」は機神「黒の龍神」を原型機として製作された重駆逐機です。「六号」量産機も何らかの機神を原型機として製作されるものと考えておりました。ですから、まず原型機となる機神の製作を行うつもりだったのですが」
「その必要はない。すでに提出された設計図の通りに試作機を製作すればいい」
「それですと、性能限界が明らかにならないので、どこの部分の性能を落として、どの代用材で置き換えたらいいのか、自信を持って量産型の試作機を作れないんです。それに、中枢部分は機神級のものを量産型でも使用する予定ですから、やはり性能限界を確かめておきたいんですが」
キュリロス総監の言葉に、イサラは特になんでもないという様子で真っ向から反論する。
確かにキュリロス総監の言葉に一理あるのだ。神聖金を使用した機神を製作するとなると、それこそ「黒の二」1個中隊以上を製作できるほどの予算が必要となる。いくら「帝國」が数千万の人口を有する一大産業国家とはいえ、軍事予算が無限に湧き出してくるわけではない。むしろ現在帝國軍は先の
ゴーラ帝国との戦争の戦訓を元に組織の改変を行っている最中であり、あらゆる部門が予算を求めて軍務省内で熾烈な争いを繰り広げている真っ最中であったのだ。ただでさえ機甲科は金食い虫な上、現在増設される機甲連隊や剽機甲連隊のために多数の機装甲を調達している。機体性能については非常に高い評価を得た「白/緑の五」がいまだ2個大隊分しか調達されていないのは、「青の三」の治具や部品を流用できる「白/緑の三」の方がはるかに安価に調達できるからにほかならない。
当然イサラも、そうした機甲科の都合というものはよく理解している。むしろゴーラ帝国との戦争の帰趨を決定するほどの活躍をした「クルル=カリル」が、いまだ追加調達されていない理由が、わずか7機の調達で皇室歳費を圧迫してしまったから、というものであるために、稼動機数を増やすために大変な苦労をさせられているくらいなのだ。なまじ規模が巨大なだけに、帝國軍は常に慢性的な予算不足に悩まされているところがあった。
「それに、北方がこれだけきなくさくなっているのに、「黒の龍神」や「クルル=カリル」の展開が政治的理由でできない今だからこそ、政治的理由に左右されずに運用できる機神が必要なのではありませんか? この「六号」原型機には、「クルル=カリル」で蓄積された技術を出し惜しみせず使うつもりです。その技術情報は、後々かならず役に立つと思うのですが」
「「六号」はあくまで「黒の二」の後継機として、並人でも問題なく登場できる機体でなくてはならない。古人でなければ起動させる事もできない機体では役に立たない。それは理解しているのだな?」
この広大な「帝國」においてすら、双性者の数はようやく万で数えられる程度しかいない。当然それらの古人全てが軍務につくわけではないし、まして機甲科で独占できるわけでもない。魔術的才能に優れ、魔導師として覚醒する確率が非常に高い彼らは、あらゆる分野で求められている貴重な人材なのである。
「はい。ですが、機神は基本的に、古人の魔導師が登場した時に最も高い能力を発揮できる代物です。搭乗する古人についてはまた別のお話になりますが、本来的な意味での機神を1柱作って、技術情報を蓄積するのは、決して機甲科にとって損にはならないと思いますが」
「量産機引渡し予定日まで、あと20ヶ月を切っている。その間に機神を製作し、その上で量産機を生産できるのか?」
「こればかりは、予算と人材による、としか。先日引き渡していただいた古人は、心の傷が酷すぎて心霊治療を受けさせていますので「六号」開発には役に立ちませんし。もう一人の古人もいつ引き渡していただけるのか判りませんし」
「引き渡す古人の選定が難航しているのは事実だが、予算については最大限配慮している」
「はい。それは理解しています。ですから、1柱だけ機神を作って、それに双性化した黒騎士を搭乗させて、機体の性能限界を確かめたい、と考えているのですが」
「……双性化技術は、近衛騎士団が独占している機密情報のはずだが?」
並人を双性者化する技術は、つい最近になって「帝國」最大の魔導師であるシルディール元帥が中心となって開発されたばかりのものである。現時点でその技術は、近衛騎士団が独占しており、双性者化された騎士の配置も近衛騎士団の機神部隊にのみ集中していた。
「元々の「六号」の原計画では、黒騎士の古人化が必須とされ、そのために並人の双性化技術の開発は最優先課題とされていませんでしたか?」
「その通りだ。だが原計画は破棄され、現在は近衛騎士団の「クルル=カリル」戦力化に全てが集中されている」
「でも「六号」計画は、元の計画の再開とみなされて予算をとってきているわけですよね? ならば、双性化技術の開示を最高司令官に要求してしかるべきではありませんか?」
イサラの筋論に、キュリロス総監はしばらく黙ってしまった。ここでいう最高司令官とは、もちろん副帝レイヒルフトである。彼に向かって皇室歳費で開発された技術の引渡しを要求することの難しさは、キュリロス総監とて躊躇せざるをえない。
だが、そんな彼の懊悩を無視して、イサラは話を続けた。
「そもそも、工部の組合に機装甲製作を独占させないために工学校なんてものを作って、工廠で一括生産するようにしたわけですよね? ならば、機神製作や搭乗員育成の技術を魔導師のアカデミアに独占させないため、帝國軍が独自に調達できるようにする事は、軍にとって必要な事ではないのですか?」
「正論ではある。だが、正論が通じるわけではない」
「それも理解しています。ですから、予算さえつけていただければ、機神1柱と古人の魔導騎士を一人調達する、と申し上げているのですが」
「……こちらが提供するのは予算だな?」
「あと、約束の人員を出来る限り早く引き渡していただきたいのですが。正直、今から仕込み始めても「六号」に間に合うかどうか」
「開発に工部を増員する」
「魔導師の工部でありませんと、増員していただいても無駄になりかねないのですが」
「……最大限、配慮する」
苦渋に満ちた表情で、キュリロス機甲総監は、手元の書類に手早く署名をしてゆく。
「あと20ヶ月だ。それを忘れるな」
「了解しております」
イサラは、キュリロス総監の署名の入った発注書の束を受け取ると、一礼してから退出し、転移した。
キュリロス総監の元から退出したイサラが面会を求めたのは、近衛総軍司令官であるイル・ベリサリウス元帥であった。先日の「六号」試作機競争試験の印象がよほど強かったのか、突然の面会申し出にも元帥は快く応じてくれた。
だが、イサラの面会を受けたのは、イル・ベリサリウス元帥のみではなかった。
「貴様(きさん)、自分が言うてる事ば判っとるのか?」
軍人にしては長めの髪の間から炯々と輝く瞳で見つめてくる彼が発する気迫は、さすがのイサラも身をすくませるほどのものがあった。
「マリウス将軍、抑えたまえ」
「はい、閣下」
両腕を組んでわずかに顎を上げてイサラを見下ろしているのは、「黒の零」事件で解任されたオキクィルム将軍に替わって近衛軍司令官に就任した、ガイウス・セルウィトス・マリウス将軍であった。
この歳若い将軍は、内戦中は現査閲総監であるデュランヌ元帥の率いていた第5軍団で旅団長や副軍団長を勤めていた経歴を持ち、セルウィトスの一門名に相応しい苛烈かつ果敢な戦いぶりで有名な将帥であった。デュランヌ軍団長が元帥昇進後に第5軍団長に就任し、その後すぐに「黒の零」事件の発生を受けて近衛軍司令官に親輔されていた。
「貴様が近衛騎士団の新機神「クルル=カリル」開発と配備に多大な貢献をしたことは私も理解している。その上で、近衛総軍司令官として、近衛選抜混成旅団長に対し、「クルル=カリル」に関係する機密情報の機甲総監部への開示を命じるよう求めるのか?」
「はい。わたしは、「帝國」の国防の根幹をなす機神とその搭乗員に関する技術は、本来的には帝國軍が主体となって管理するべきであると考えています」
「そげなこつ、改めて言わんでもよか。だが、軍も人の集まりぞ。命令すればその通りに動くということば無か」
「はい。ですから、こうして軍人ではないわたしが動いているわけです。なにしろ軍内部にしがらみがほとんどありませんから」
全身から滲み出るマリウス将軍の殺気にも似た気迫に気圧される内心を面に出さないように努力しつつ、イサラは、キュリロス総監が署名した「六号」原型機に関する書類をイル・ベリサリウス元帥に手渡した。
「……ほう。よくあのキュリロス総監が署名したな? どんな魔術を使った?」
「軍がわたしに注文したのは、あの「人中のヴェストラ、機中のグイン」と称されたゴーラ帝国最強の組み合わせに対抗できる機神の製作です。そのためには、どうしても「クルル=カリル」開発で得られた技術の流用が必要ですし、そこには当然、並人の双性化技術も含まれます。そして、今回の「六号」開発で得られた技術は、当然「クルル=カリル」の性能向上に充てられる事になります」
「お前(まあ)が言いたいのは、「六号」と「クルル=カリル」を互いに競わせる事でより高みを目指すんいう事か」
「はい」
正直、セルウィトス・マリウス将軍の言葉は西方なまりがきつすぎて理解するのも辛かったりするのだが、そんな気持ちはおくびにも出さず、イサラは力強く肯いてみせた。
「なるほど。確かにそれならば理解はできる。だが、命令書は出せない」
「はい。では?」
「近衛騎士団長陛下と、近衛選抜混成旅団長に対して、要請書を出すとしよう。軍事参議会議長として、だ」
「ありがとうございます、閣下」
深々と腰を折って一礼したイサラに、イル・ベリサリウス元帥は、その上機嫌さを隠しもせずに言葉を続けた。
「しかし、貴様も今回の一件は随分と食い下がるな。いや、むしろそれが貴様らしいというべきか」
「請け負った仕事は、納得のゆく仕上げで引き渡したい。それがわたしのやり方です」
「そうか。ならば副帝陛下と自分の師匠を説得してみせるのだな。お二人の首を縦に振らせられれば、皇帝陛下には私から口添えしよう。元帥もやっている黒騎士としては、貴様が開発する機神に心から期待している。完成したならば、是非駆ってみたいものだ」
「ありがとうございます」
腰を折ったまま表情を見せないようにして、イサラは最後の難関を突破する難易度を考えて半ば泣きそうな気持ちになった。
イル・ベリサリウス元帥の元を辞去したイサラに、副帝レイヒルフトからの呼び出しがかかったのは、それから一週間ほども経ってからの事であった。
くるべきものが来た、という覚悟を棟に秘め、イサラは山ほど用意した提示資料をつめた鞄を持って皇宮へと向かった。
皇宮でイサラが通されたのは、ま白い壁と黒い調度の色彩というものが感じられない副帝レイヒルフトの執務室であった。
「導師イサラ、軍事参議会議長より提出のあった要請書に目を通しました。要請書には詳細の説明は貴女からなされるとの事でした」
「はい、陛下。それでは少々お時間を頂きたく」
そしてその執務室には、副帝レイヒルフトともう二人、近衛騎士団長代行のシルディール元帥と、カタリナ皇太子も同席していた。
イサラは、緊張で手の平に汗をかきながらも、手の震えを見せずに鞄の中から提示資料を取り出し、副帝レイヒルフトの前に置いた。
「それでは、今回の近衛騎士団より機甲総監部に対する技術情報開示要請についてですが、まずは要旨についてご説明申し上げます」
それからイサラは、要点を絞ってこの「帝國」最高権力者に対する説明を行った。その要点は、「六号」計画は本来の「黒の二」後継機開発計画の再始動であり、その原計画にある要素は基本的に全て盛り込む必要がある事、そして、「帝國」の軍事力による防衛の権限は帝國軍に一元化されるべきであり、その為にも裏づけとなる機神の開発技術の共有が必要である事、また、帝國軍最高司令部が直接攻撃目標を指示する近衛騎士団の機神と、汎用機として平素からあらゆる任務に投入される事が前提の「六号」とでは任務が重複する事はないという事、それ故に、近衛騎士団と機甲総監部の両者が技術情報を互いに開示しあったとしても、両者にとって益になる事はあっても不利益になる事はないという事。
ここまで説明した時には、イサラは精神的に疲労しきってしまっていた。なにしろ、帝國の最高権力者と、次の皇帝と、自らの魔導の師に対して、「帝國」の国防について論ずるのである。彼女はあくまで工部の親方であって、国政や軍事を取り仕切る重鎮ではない。まさに教皇聖下に向かって教義論を弁ずるようなもので、筋違いにも程があった。
イサラが語り終えてから、副帝レイヒルフトは、執務机の上で真白い手袋に包まれた両手の指を組み合わせて微笑みを浮かべた。
「一昨日、エドキナ大公領駐留軍より緊急の報告が届けられました」
「はい」
突然はるか東方での話を持ち出され、イサラは一瞬訳が判らなくなった。だが、エドキナ大公領では隣接する魔族大公との間で係争が絶えない事を思い出し、もしやと思いそれを口にしてみた。
「邪神鎧との交戦が起こりましたか? 陛下」
「はい」
つまり、その報告を受けた事がイサラがこうして皇宮に参内する事になった契機であったのであろう。すなわち、帝國軍にとってかなり悪い結果になったという事である。
「親衛第13連隊が邪神鎧1柱を含む多数の敵と交戦し、甚大な損害を受けて撤退したそうです」
「……「黒の二」は随伴していなかったのでしょうか?」
「随伴していなかったそうです」
イサラは、エドキナ大公領駐留軍に配属されている「黒の二」装備部隊、独立親衛第502重駆逐機甲大隊について記憶を掘り起こし、そして暗澹たる気分となった。第502大隊は、果ての無い紛争に消耗し続け、常に定数を割った状態であったはずである。機体こそ定数を維持しつつも、肝心の騎士が足りていない。黒騎士として認められるには、それ相応の錬度に達している事が絶対条件であり、その為にわざわざ専門の教導隊を第501大隊内に設置しているくらいなのである。
そんな彼女の内心が表情に出たのか、レイヒルフトは、穏やかな表情を崩しもせず言葉を続けた。
「黒騎士という存在を作ったのは、いかなる相手をも制圧し、勝利への道筋を得るためです。「六号」は、その本来の黒騎士のあり方を取り戻せますか?」
「取り戻します」
レイヒルフトの問いに対して、イサラは間髪入れずに即答した。そもそも、対機神戦闘と対邪神鎧戦闘を制するための機体が「六号」なのである。それができずして、彼女がわざわざ「六号」開発に関わる理由がない。機神「クルル=カリル」を開発したのは伊達ではないのだ。この「帝國」で最も機神という存在に精通した者、それがイサラの工部の親方としての自負である。ならば答えは一つしかない。
「では、近衛騎士団長として、この要請書は受理します。よろしいですね? 近衛選抜混成旅団長、皇太子」
「はい、陛下」
「はい、陛下」
レイヒルフトの言葉に、同時にシルディール元帥と、カタリナ皇太子が返事をする。
「話は以上です」
「はい、陛下。お時間を頂き、ありがとうございました」
皇族に対する最敬礼をもって答えたイサラは、すでに頭の中でこれからの工程表の書き直しを始めていた。
ヴァーゴ工部頭の下で下働きをしているサレシナがイサラに呼び出された時、彼女は自分が用済みになってしまったのだろうか、と、戦々恐々としつつ師匠の工房へと向かった。
第21旅団の駐屯地内に置かれているイサラの工房は、機神関係の器材で足の踏み場も無い状態で、そしてどこに何があるのかは工房の主以外には判らない有様であった。その雑然とした工房の手前の壁際に置かれている執務机で、イサラは大急ぎで書類を仕上げているところであった。
「師匠、来ました」
「あ、サレシナさん、ご苦労様です。突然の話で済まないのですが、貴女の希望を再確認させて下さい」
「希望、ですか?」
「はい。ここで機神工部としてやってゆくつもりがあるのか、それとも別の進路を希望するのか」
「私は、機神工部になります。……私は、どうしようもないほど平凡で、非力ですが、それでもここにいる事を選びます。ここにいるために努力します。ですから、私を本当の意味で弟子にして下さい」
サレシナは、そう言ってイサラに向けて腰を折り頭を下げた。その言葉にイサラは、疲れの抜けない顔のまましばらく少女のことを見つめ続けた。
「工部の修行は辛いです。それは前に言った通りです。そして、あなたには魔導師になってもらいます」
「はい。覚悟はできています」
顔を上げたサレシナは、じっとイサラのことを見つめ返した。
「私は、もう「お客さん」扱いはされたくはありません」
「判りました。……本当は、もっと時間をかけるつもりでしたが、そうもいってはいられなくなりました。わたしも、ヴェルミリオム師も、あなただけに時間を割くわけにはゆかない身です。ですから、あなたにはモリアに行ってもらいます。モリアの事を聞いたことはありますか?」
「……噂だけは。魔導師の都、だそうですが」
「はい。そこであなたに魔導覚醒してもらいます。多少無理矢理に覚醒させる事になりますが、わたしも施術させられましたけれども、この通りなんとか無事です。あなたも魔導覚醒してから戻ってくるように」
「判りました、師匠」
イサラの言葉に頭を下げたサレシナに、彼女は大きな溜息をついた。
「では、旅の準備をしておいて下さい。出立がいつになるかは決まっていませんが、長期の滞在となります。そのつもりでいてください」
「はい、師匠」
それからイサラは、キュリロス総監やシルディール元帥とモリアへ送る人員について打ち合わせを行い、必要な手続きを行った。何しろ軍部と魔導アカデミアの間での取り決めの仲介もこなさなければならないのである。キュリロス総監は全ての技術情報の公開を求め、魔導師達は最低限の情報開示で済ませようとするのだ。互いの妥協点を見つけるのも、イサラに任された仕事であった。
そんなこんなでなんとか両者の妥協が成立した日、イサラはへろへろになって自分の工房に戻ってきていた。しばらく室内でくてっとへたばってから、疲れた身体を起こして食堂へ向かう。ここしばらくまともな食事をとる時間もなかったせいで、ちゃんと調理された暖かい食事が欲しかったのだ。
「お疲れ様です、師匠」
すでに皆私室へ戻っている時間で、厨房には火回りの点検をし終えたサレシナが一人いるだけであった。
「まかないの残り物ですが、温めますか?」
「はい、お願いします」
ふにゃっと机の上に突っ伏したイサラの前に、湯気の立つシチューとパンとお茶が並べられる。
さっそくお茶の入ったマグカップを両手で包み込むように持って、一口飲んだイサラは、ようやく人心地ついた表情になった。
「……髪」
「はい、切りました」
お茶を口にして一息ついてから、初めてイサラはサレシナが髪を切っていたことに気がついた。
「ヴァーゴお頭には言われていたんです。髪を伸ばしている工部はいないって。髪の毛が巻き込まれたら、そのまま引きずられてあの世行きだと」
「ああ、そういえばそうでしたね」
サレシナは、最初に会った時には肩にかかるくらいに伸ばしていた黒髪を、眉にかかるくらいとあごの辺りでまっすぐに切りそろえていた。ちなみにイサラも、その紺色にも見える髪を、中分けにしてあごのあたりで切りそろえている。
「セラシアさんは、課業中はまとめてスカーフの中にたくしこんでいますけれど、私はそこまで伸びていませんでしたから」
「なるほど」
サレシナは、双性者であって女子というわけではないが、身体つきや精神的な面は女性に近い存在である。その彼女が髪を切ったということは、それが彼女なりの覚悟の表明であるのだろう。
イサラは、本当にこの娘を時間をかけて育てられないことを残念に思った。もしかしたら彼女は、考えていたよりも良い工部に育つかもしれないと思ったのだ。
「ええ、似合っていますよ、その髪型」
「ありがとうございます、師匠」
嬉しそうに眼鏡の下の紅い瞳を細めたサレシナに、イサラは少しだけ肩の荷が降りたような気分になった。
最終更新:2013年02月02日 00:03