オスミナ救援軍のスケッチ その2

 というわけで、オスミナ救援軍がなんとか形になりつつある、というお話である。いや、全然形になっていないし、へっぽこもいいところであるが、とにかく人は集まった、という事で。


 フィンゴルド軍相手に苦戦しているオスミナ王国への救援軍派遣が正式に軍事参議会にて決定してから、ケイロニウス・クレムディウス将軍は、ヴェルミヘ河河畔諸侯に面会を求めて兵の拠出を懇請する毎日であった。だが、シュネルマヌス・ベルグルンド公が兵を出すと噂が立ってから北方諸侯は完全に腰引けになってしまっており、中にはあからさまにポリトリコス一門とアドルファス一門に任せればいいと明言する者さえいた。
 結局クレムディウス将軍は、家門宗主であるケイロニウス・イリュリア公に同伴を願い、それぞれの諸侯の元を再度訪れる羽目になっていた。

「それで、トゥール・レギスより北のヴェルミヘ河沿いの水運に依存しているポリトリコス一門が兵を出すのは当然として、すでに一門宗主以下、多数の次世代を担うべき若者達さえ帝國軍に参加させている我がグラックス一門が、あらためてオスミナに兵を出す理由について納得のゆく説明を、この不明な身にお聞かせ願ってもよろしいでしょうか? ケイロニウス・イリュリア公爵閣下」

 まがりなりにも皇室御一門に属し、東方辺境に封ぜられたケイロニウス一門中でも家格の高いイリュリア公爵に向けて口にするには、あまりにも不遜な物言いであった。だが、青年が口にした言葉に嘘偽りはなかった。グラックス一門宗主である、ナタリア・グラックス・バジリア公爵は、近衛騎士として新規に開発された機神を駆って八面六臂の活躍をなしていると、この帝都ですら噂になっているくらいである。このゴーラ帝国との戦争に特段貢献しているようには見えないケイロニウス・イリュリア家門に対して多少不遜な物言いとなってしまっても仕方が無いところがあった。
 なにしろこの歳若いケイロニウス・イリュリア公爵が持ち込んだのは、グラックス一門に対してオスミナ救援軍への参加の要請であるのだから。

「ヴェルミヘ河の水運に頼るところが大である事は、グラックス一門も変わらぬと聞いております。御一門宗主殿は参陣中故に名代たる貴君にお願いするのです。グラックス一門が兵を出すとなれば、ヴェルミヘ河畔の諸侯も兵を出すのにためらいはなくなりましょう」
「それはどうでしょうか? なにしろ多くの北方諸侯は「内戦」中は教会軍に参加した事で叛徒逆賊として汚名を被せられ、その悪名を払拭するべく今回の戦争に競うようにして兵を出しました。この上さらに兵を出せる余力のある諸侯はほとんどいないでしょう。出せたとしても、老兵ばかり。それでもよろしいのでしょうか? ケイロニウス・クレムディウス将軍」

 即頭部を残して綺麗に頭頂部が禿げ上がった筋肉の塊のような老将に向かって、線の細い才子風の青年貴族はそう問いかけた。その質問に対してクレムディウス将軍は、みっしりと筋肉が詰まった太い両腕を組んでうなるようにして答えた。

「よろしくはないが、致し方あるまい。兵さえ出して貰えるのであれば、戦費はケイロニウスとシリヤスクスで負担する。それでなんとかならんか?」
「我らは貧すれども、鈍してはいないつもりです。大殿が出征なさっている今、単なる名代の身で一門が外国との戦争に兵を出す事を決断できるとお思いですか? それこそ大殿の兵権を犯す叛乱にも等しい行いです。とても僕のような若輩者にはできませんね」

 そこまで言ってから、青年は応接机の上で組んでいた指をほどき、両手を机の上に乗せて身を乗り出した。

「さて、グラックス一門名代としての表向きの話はここまでとして、互いに腹を割った話とまいりませんか?」
「……腹を割った話とは、何を意味するのでしょう?」
「ケイロニウス・イリュリア公も、ここでとぼけられるとはお人が悪い。つまりは、いかなる理由があって東方ケイロニウスの御当主殿が、北方の揉め事に関わるおつもりになったのか、という事をまずお聞きしたいのですよ」

 困ったような表情になってわずかに小首をかしげたケイロニウス・イリュリア公に向かって、グラックス一門名代の青年貴族は、人の悪そうな笑みを浮かべた。

「……ベルグルンド公の専横、目に余るとは思いませぬか?」
「それに関しましては、トゥルトニウス辺境候がご決断なさるべき事柄ですね。むしろ、貧窮にあえぐ当一門が、シュネルマヌスに正面切って争う姿勢を見せられるとお思いですか? 失礼な物言いである事は承知の上で申し上げますが、ケイロニウス・イリュリア家門に後ろ盾いただいたとしても、グラックス一門ではシュネルマヌスを相手に向こうを張るのは不可能な話なのですよ。それほどに彼我の実力は隔絶しているのです」
「だが、貴公の元にも副帝陛下より出兵の打診はあったのではないのか?」
「ありましたよ、当然。ですが、その件に関しては大殿の裁断を待ってお返事すると申し上げました」

 つまり事実上の棚上げである。だが、内戦の痛手から回復していない上、肝心の宗主であるナタリア・グラックス・バジリア公爵が出征している現状、直接の利害のないオスミナを助けるために兵を出せる余裕などありはしないのが実情であった。

「そして、他の一門家門から、グラックスが兵を出すならば、と言われてこちらのいらっしゃったのではありませんか?」
「痛いところをつくな。その通りだ。ポリトリコスとシュネルマヌスの主導権争いに巻き込まれるのはまっぴらごめんという事らしい」
「当然でしょうね。まあ、このお話、大殿にご裁可いただかなくとも済ませる手はありますが」
「それは、是非お話をうかがわせていただけませんか?」

 これまでの木で鼻をくくったような態度が一転した彼の物言いに、イリュリア公も応接机の上に身を乗り出した。

「つまりは、オスミナに嫁いだシリヤスクスの姫君を助けるための出兵です。その肝心のシリヤスクスから話が回ってこないのでは、こちらとしても首を縦に振るわけにはゆかない、それはお判りいただけると思いますが」
「……つまり、目に見える形でシリヤスクスの誠意をお見せできればよいのですね?」
「はい。ケイロニウス・イリュリア公爵閣下」

 青年貴族の言葉に、イリュリア公は全てが納得がいった、という表情になると声をひそめて話始めた。

「今回の出兵、もしグラックス一門の方々の協力が得られるようでしたら、シリヤスクス・ガイユス家に連なる家より婿入りを、との言質を大ガイユス元帥より頂いております。もしそちらがお望みならば、グラックス・バジルス家にシリヤスクス・ガイユス家の古人の嫡子を婿入りさせても構わないとのこと。いかがでしょう?」
「その方はどのような御人でいらっしゃられます?」
「歳未だ十七と若い故に家督は継いではおられませぬが、小ガイユス元帥の母方の従兄弟のシリヤスクス・ガイユス・ロズベルグス帝国子爵の嫡子とのことです。肖像画は後ほど届けさせましょう」
「ガイユス・ロズベルグス子爵家は、シリヤスクス一門内でのお立場はどのようなものでしょうか?」
「ガイユス家の外戚です。闇族と木材の取引があるとか」
「それは安くはないですね。絹ではないのが残念ですが」
「闇族の絹はガイユス本家が取り扱っているとのこと。ですが、直接闇族と取引できる家であることは事実です」

 シリヤスクス一門内での力関係は、その家の爵位でも宮廷での席次でもなく、持っている利権と「教会」からの借金の貸し出し枠によって決まるというのは、知る人ぞ知る事実である。ちなみにシリヤスクス一門宗主である副帝レイヒルフトの持つ貸し出し枠は無制限である。極論言えば彼は、払える利子から逆算した額だけ「教会」から金を借り出せるのだ。そして彼が個人的に所有していたり投資している農業、林業、鉱業、工業らの各種事業は無数にあり、そこから上がってくる収益は文字通り天文学的数値となるらしい。
 そのシリヤスクス一門の重鎮であり、闇族と直接取り引きを行っている家の嫡子の古人をグラックス・バジルス公爵家に婿入りさせてもいい、というのである。これは空手形としてもかなりの譲歩といえる。そして、この話をケイロニウス・イリュリア公爵自らが持ってきたのである。空手形という事は絶対にあり得ない。

「東方より北方に婿入りされる事になりますから、そのまま子爵家をお継ぎになられるわけにはゆかないのは判りますが、それについては大殿が凱旋なされた後に話し合いの場を設けたいと、大ガイユス元帥閣下にお言伝を願えますでしょうか?」
「はい。それでは北方諸侯の参陣については、お任せいたします」
「承りました」

 青年貴族の言葉に、イリュリア公爵は顔色を明るくしてうなずいた。


「いぃやったぁあああっっ!!」

 イリュリア公爵とケイロニウス・クレムディウス将軍が退去してから、青年は両手の握り拳を天に突き上げて絶叫した。その奇声を耳にしたのか、喜びを隠そうともしない彼のいる応接間へと老貴族が足早に入ってくる。

「そこまでして喜ぶ事か、息子よ」
「当然じゃないですか、父上! これでようやく大殿のご成婚がなるのですよ? これで大殿が無事凱旋なされれば、我らにも光明が見えてくるというもの。これまで僕が、あえて名代という名の生贄役をやってきた甲斐があったというものじゃないですか! しかも、婿入りしてくるのは大殿と同じく古人! これで後継者問題もひと段落つくんです。何も問題はないじゃないですか」
「それで、あのような失礼千万な物言いをしおったのか、馬鹿者が」

 少なくとも、つい先ほどのケイロニウス・イリュリア公に対する数々の無礼な物言いは、皇帝陛下の耳に入れば勘気をこうむっても仕方が無いほどのものである。だが青年は片頬をゆがめて嗤っただけであった。

「いいんですよ、いざとなれば僕の首を差し出してなかった事にすればいいんですから。それで無駄にグラックスの者の血を流さずに済むなら安いものです」
「まるでシリヤスクスの商人のような物言いをするのだな」
「この十年で、金が無いのは首が無いのも同じ、という事をいやというほど学びましたからね。これでうちがヴェルミヘ河畔の諸侯の兵をまとめれば、この話をまとめたイリュリア公の格も上がりますし、シリヤスクスの姫君も助かる。我らグラックス一門は、シリヤスクス一門と縁続きとなるし、大殿は元帥二人と親戚になれるんです。誰も損をしてはいないじゃないですか。どうせ皇帝陛下の御言葉による出兵である以上、うちが断れるはずがなかったんです。ならばせいぜい高く吹っかけさせて貰わないと」

 グラックス一門宗主のナタリアは、あえて帝國軍内部の派閥でいうならば、近衛騎士団閥に所属するといえる立場の士官である。だが「黒の零」の事件よりこのかた、近衛騎士団閥は粛軍の主たる対象となって凋落の一途をたどっており、彼女が将官に昇進する事を考えるのであれば、誰か有力者にわたりをつけられるようにする必要があるのは明らかであった。
 しかもナタリアが帝國軍に志願したのは、内戦前の事である。すでに軍歴は二十年を超え、その間常に最前線にあり続けてきたせいもあって、さすがに結婚して後継ぎを生んで貰わねば、という雰囲気が一門内に充満していた。

「そうか。それで、どれだけの兵を出すつもりでいた?」
「シュネルマヌスが歩兵、ポリトリコスが機装甲を出すそうですから、うちは砲兵と騎兵を出す事になるでしょうね。とりあえず各諸侯に人だけ出して貰って、装備はうちから出すという事でよいのでは? どうせ倉庫に転がっている中古品を引っ張り出すだけの事ですし」
「機卒も、輓馬も、下手に徴発すれば収穫に影響が出る。それは判っておるのだろうな?」
「はい、父上。実は大殿より、いざという時のための拠出金を預かっております。それで軍勢を揃えるつもりでいます。本来は飢饉が発生した時のための穀物買い付けのための金なんですが、そこはまあ、ロズベルグス子爵との婚約の噂を流してから、向こうの家と関係のある商会をつかって安く揃えようかと考えております」

 さすがにナタリアから名代たるを任せられているだけあって、頭の回転は速い男である。すでに彼の脳内では、誰に声をかけ、どれだけの兵を集めるか、その筋道すら出来上がっているのであろう。
 そんな息子の姿を困ったものを眺める表情で見つめている父親は、たしなめるように重い声を発した。

「戦争に確実なものなど何もない。何が起こるか判らないのが戦争というものだ。それだけは頭にとどめておけ」


 グラックス一門より帰る馬車の中で、クレムディウス将軍は憤懣やるかたない表情で両腕を組んでいた。頭頂部が綺麗に禿げ、即頭部の灰褐色の癖毛が逆立っている彼が怒りに顔を真っ赤にしている姿は、まさに東方魔族を彷彿とさせる迫力に満ちている。
 そんな彼を、イリュリア公は困ったような表情を浮かべてなだめていた。

「正直、北方諸侯の困窮ぶりは我々の想像以上のものがありました。ですが彼らとて帝國諸侯としての矜持までは失ってはいなかったのです。それでよいではありませんか」
「ですが! 皇室御一門たるケイロニウス・イリュリア公に向かって、陪臣風情があの暴言! 本来ならばその場で手討ちにしてやるべきですわい!!」
「ですから、北方諸侯は予想以上に困窮していると言ったのですよ。ああして虚勢を張らねばならぬほど内情は余裕がないのでしょう。正直、己の不明を恥じるばかりです」
「御宗主様が恥じられるような事は何一つとてありますまい。全てはあの恥知らずのベルグルンド公が蠢動しているが為。我らはその後始末をさせられているようなもの!」

 ふんっ、と鼻息も荒く咆哮したクレムディウス将軍に向かって、イリュリア公はその長い睫毛を伏せて憂い顔になった。

「そういうことです。ケイロニウス一門に連なる身とはいえ、シュネルマヌスの横暴を掣肘する事すらかなわず、どの諸侯も我らとよりもシリヤスクスとよしみを結ぶ事を喜ぶ次第。それが今の「帝國」の現実なのです」
「まったく! どいつもこいつも金、金、金! これも全ては、あのレイヒルフトの横暴のせいですわい!!」
「……副帝陛下への批判ならば、許しませんよ? 我らケイロニウス・イリュリア家門が昔と変わらぬ権勢を保ちえているのも、副帝陛下と祖父との間の友誼があっての事。故にわたくしのような小娘が宗主となった時も、我が家門が揺れる事すらなかったのですから」
「……失礼をいたしました。確かに妹姫様の一件、副帝陛下の采配があってこそ、家門が二つに割れずに済んだようなものですからな」

 副帝レイヒルフトへの批判を口にしたクレムディウス将軍を叱責したイリュリア公の言葉に、将軍は一瞬でしょげ返って肩を落とした。

「双子の身で、妹と共に二人して我が家門の機神に選ばれた時、目に見えぬところでどれほど諸々の陰謀が蠢いた事か。それを掣肘しえたのは副帝陛下あっての事。この身を後見して下さっていることを忘れてはなりませんよ?」
「はい、御宗主様」
「……妹は、北の戦場で今も戦っているのでしょう。無事に帰ってきてくれるとよいのですが」
「それならば心配ありますまい。妹姫様の直属上官は、あの「機神殺し」ゲッツとの事。その性、凶暴にして狡猾なれど、これまで「黒の龍神」を駆ってあまたの邪神鎧を狩って来た剛の者でございますれば」

 伏せた顔を上げ、柔らかく微笑んだイリュリア公は、さらに言葉を付け加えた。

「肉親を戦場に送る事の重み、それは誰しも変わりはしないでしょう。我らもベルグルンド公のように人の命を弄ぶような真似をせぬよう気をつけねばなりません」


 一度事が決まれば、グラックス一門の動きは素早かった。宗主名代の父親をはじめとする一門重臣らがヴェルミヘ河河畔諸侯の元を訪れ、兵を拠出させる事を約束させ、宗主名代は参謀本部や軍務省、近衛総軍司令部を訪れては、北の戦場で必要な装備の調達や、補給品需品関係の供与について打ち合わせを進めた。その腰の軽さをポリトリコス・アストラハン公爵は莞爾として賞賛し、シュネルマヌス・ベルグルンド公爵は嘲笑混じりの不愉快さを隠そうともしなかった。

「しかし、閣下が参陣して下さるとは、思ってもみませんでした」
「いえ、この身も待命中のものでしたから。「帝國」が総力を挙げて戦っている今次大戦において、なんら貢献できぬことこそ小官の不明とするものです。お気になさらぬよう」

 ケイロニウス・イリュリア公爵の前では傲岸不遜に振舞ってみせたグラックス一門宗主名代であったが、この壮年の軍人を前にしては率直な敬意を表してはばからないでいる。そして、それを受けてもこの軍人は穏やかに笑っているだけで、特に誇ってみせるわけでも威張ってみせるわけでもなかった。

「閣下も、かつては近衛騎士卿としてアルトリウス殿下の御前にて武勲を挙げられたお方です。今回の出兵でたかだか大隊規模の騎兵しかお預けできない事が残念でなりません。アルバルトス准将閣下」
「お気になさらないで下さい。我が一門の困窮を知らぬ身ではありません。むしろ、待命をおおせつかったこの身を皇帝陛下に推挙して下さった事を感謝しております」
「そのお言葉、まことにもったいなくあります」

 宗主名代の青年貴族は、席を立つと深く腰を折って礼を述べた。

「砲兵指揮官は、同期のカトゥルス・カッシウス准将が引き受けてくれました。これが最後の御奉公とも思って精勤するつもりです」
「はい、閣下。銃後の守りはお任せ下さい」

 穏やかに笑ってうなずいたグラックス・アルバルトス准将に向かって、宗主名代は、腰を折ったまま生真面目な表情を崩そうとはしなかった。


 ケイロニウス・クレムディウス将軍の前に集まったオスミナ救援軍首脳部の面々は、見事に世代が割れていた。片方は内戦前から近衛軍や近衛騎士団に参加していた老将達であり、片方は内戦末期に初陣をかざったか、この戦いが初陣となる若者達である。
 この見事に老人と若者ばかりの面々を前にして、クレムディウス将軍は立ちああがると司令官として皆を睥睨した。

「自分がこの軍の指揮権を預かる事になったケイロニウス・クレムディウスである。我らはこれよりヴェルミヘ河を下ってオスミナ国境へ移動し、下船後陸路オスミナ王都へ向かいオフィーリア・シリヤスクス・アキレイウス妃殿下の救援に向かう。我らの目的は、オフィーリア殿下の救援であり、その為にフィンゴルド軍を叩くという事を忘れぬように。以上、何か質問は?」

 みっちりと筋肉が詰まった太い両腕を組んでそれぞれの顔の上に視線を向けたクレムディウス将軍に向かって、まず最初に発言をしたのは、副司令官に任命された伊達男であった。室内であるにもかかわらずつば広のソフト帽を斜めにかぶり、紙巻煙草をくわえている。

「この度副司令官職を拝命した、エクゥス・メッサラ・エクレトゥス上級騎士隊長だ。「一番より次席」が俺の人生哲学! 常に誰かと組んでいる方が実力を発揮できるんでな、そういうことでよろしく頼んだッ!」

 まさしく挨拶になっていない挨拶ではあったが、この場の誰もが何も言わなかったし、何かを表情に出しもしなかった。皆、この男がシュネルマヌス・ベルグルンド公が送り込んできた「紐付き」であることを理解していたからである。
 ベルグルンド公は、ケイロニウス・イリュリア家が動いてオスミナ救援軍の司令官にクレムディウス将軍をすえる事に成功したと聞いて、一度は烈火の如く怒り狂ったものの、すぐに二個大隊1200名の歩兵を集めてトゥール・レギスに移動させ、その事実をもって副司令官の椅子をもぎとったのである。そして、シュネルマヌスからの軍人の受け入れに諸侯が難色を示したのを無視できず、南方辺境はメッサラ一門に婿入りしたかつての一門の貴族を副司令官に押し込む事にしたのであった。

「ポリトリコス・トゥトラ騎士隊長です。今回、参謀長を務める事になりました。よろしく願いたい」

 次に席を立ったのは、ポリトリコス一門より派遣されたトゥトラ参謀長であった。この土色の癖毛を背中にかかるくらいに伸ばした筋肉質の軍人は、実は内戦中は教会軍で歩兵連隊長を務めていた。戦後、リランディア帝による大赦の詔勅が発せられた後、北方辺境に駐屯する事になった第12軍団で勤務していたが、「黒の零」事件の余波を受けて中央の歩兵学校に異動となり、今回のオスミナ救援軍で参謀長としてクレムディウス将軍を補佐する事になったのである。
 続いて、騎兵指揮官のグラックス・アルバルトス准将と、砲兵指揮官のカトゥルス・カッシウス准将が挨拶し、続いて歳若い癖毛の金髪の少女が立ち上がった。

「今回、機装甲大隊長を拝命したバカガリーナ・ポリトリコス・アストラハンだ。見ての通りの若輩者ゆえ、よろしく頼む」

 歳の頃はまだ十代であろう少女は、勝気そうな表情でそう挨拶すると周囲の大人達に向かって頭を下げた。

「機装甲副大隊長を務める事となった、ロンドミナ・ポリトリコス・サハクィトスです。先達の皆様方にはよろしくご指導ご鞭撻願います」
「機装甲大隊副官の、ロンドギナ・ポリトリコス・サハクィトスだ。諸兄らには色々と手間をかけさせると思うが、よろしく願いたい」

 そして、真っ直ぐの腰まである黒髪を垂らしたきつめの美貌をした古人の双子が席を立って挨拶した。二人とも見た目はまだ二十台半ばに過ぎない。しかも階級を名乗らなかったという事は、帝國軍での軍歴も無いのであろう。
 ポリトリコス一門の次ぎの宗主である金髪の少女と黒髪の双子の古人の、いっそ清々しいほどの傲岸な態度に、クレムディウス将軍は鼻を鳴らし、アルバルトス准将とカッシウス准将は表情を全く変えずに耳を傾け、エクレトゥス副司令官は嘲笑を浮かべてソフト帽のつばを目のあたりまで下げ、そしてトゥトラ参謀長は頭を抱えたそうな表情になった。
 そして、椅子に腰を下ろした三人に向けて二人の少年が意志の強い視線を向けつつ、次々に席を立って挨拶した。

「ヨルムス・シュネルマヌス・ヨハンヌスです。第一歩兵大隊長を務めます。よろしくお願いいたします」

 癖の強い金髪が頭の上でうなっている少年が、そのぎらぎらとした視線とは裏腹に丁寧な言葉で挨拶をする。

「ヨルウィウス・シュネルマヌス・クァルトゥス、ッす。第二歩兵大隊長やってますんで、よろしく」

 もう一人の少年は、同じ様に癖の強い栗毛を頭の上でふくらませていて、そして貴族の子弟とは思えないほど挨拶がなっていなかった。
 その態度にさすがに不愉快さを隠そうともせずにらみつけたバカガリーナの視線に、同じ様ににらみ返すヨルウィウスが、ベルグルンド公譲りの厚い唇をひん曲げて獣ののようなうなり声を上げた。

「あぁン!? お姫様ぁ、あんたが今思っている事を言ってやろうかぁ? アンタ「おまえのその髪型な…… 自分ではカッコいいと思ってるようだけど……
 ぜェー―んぜん似合ってないよ…… ダサイねェ!!」ッてところだろうがよオォッ!!」
「さすが野良犬に相応しい言い草だな。なるほど、貴様があの男の妾の子だというのがよく判った」

 バカガリーナの頭に血が上った声に、ヨルウィウス少年が椅子を蹴飛ばして立ち上がった。同時に次代の一門宗主を護るべく、ロンドミナ、ロンドギナ姉弟の二人も立ち上がった。

「この莫迦者どもがァアアアッッ!!」

 その瞬間、雷鳴を思わせる大声が鳴り響き、若者らはびっくりした様子で声の主に顔を向けた。
 彼らを大喝したのは、司令官のクレムディウス将軍であった。怒りで顔を真っ赤にし、即頭部の髪を逆立っている老軍人の気迫にのまれ、若者らはどう反応したらよいのか判らないとまどった様子で腰を引かせている。

「ここは軍議の場ぞ!! そんなに喧嘩がしたければ、職を辞してから表に去ってやれいっ!! 己が幾百という兵の命を預かる身である事を自覚せんかっ!!」

 らんらんと輝くクレムディウス将軍の眼ににらみつけられ、若者達は冷や汗を流しながらどうしたらよいのか判らない様子で視線を右往左往させている。

「司令官閣下。若者が血気にはやるのは致し方ないこと。見れば二人とも此度の戦いが初陣の様子。この場のいさかいの罪は戦場で晴らさせるという事でいかがでしょうか?」

 埒が明かないと判断したのであろうか、砲兵指揮官のカッシウス准将が腰を上げてバカガリーナとヨルウィウスの二人の事をとりなした。そして痩身の老将軍は、厳しい視線を二人に向けて静かな声で言い渡した。

「たった今、司令官閣下も仰られた通り、ここは軍議の席。その場での罵詈雑言は処罰の対象となる。今回は若さ故の過ちとして責めはすまい。だが、次は無いと思いたまえ。以上だ、着席」
「はい、申し訳ありませんでした」
「はぁ、すいませんッス」

 バカガリーナとヨルウィウスの二人は、そう謝罪の言葉を口にして椅子に座り、ロンドミナ、ロンドギナの美貌の姉弟二人も、一礼して席に着く。
 とりあえずこの場が収まった事を確認してから、最後に若者が一人腰を上げて自己紹介した。

「兵站参謀に任じられました、ユウナ・ポリトリコス・セネカです。見ての通りの若輩者で、軍務の経験も浅い身ですが、よろしくご指導のほどをお願いいたします。それと、この場に参陣いただいた皆様方に、当ポリトリコス一門を代表して御礼を申し上げたい。我が一門は全力をあげてこのオスミナ救援軍を支援いたします。そのつもりで何かご要望があれば、僕に言っていただけますでしょうか。できる限りの配慮をいたします」
「こちらこそよろしく頼む、セネカ参謀。皆、腹の中は別として、とにかく敵はフィンゴルド大公国軍だ。それを肝に銘じてよろしくやろうや」

 くわえていた紙巻を机の上に押し付けて消したエクレトゥス副司令官が、帽子のつばを上げてそう挨拶し返した。
 なんとも微妙で軋みを上げている雰囲気の中、クレムディウス将軍は、これから先の事を思って暗澹たる思いとなった。軍の主力はろくな教育も経験も無い子供らの指揮下にあり、たかだか4000にも満たない兵を指揮するのは、一人の将軍と二人の准将という頭でっかちさである。そしてねじ込まれた副司令官は何を考えているのか腹の内が読めず、参謀長は一門の縛りを受けて役に立つのかどうかも判らない。
 クレムディウス将軍は、まともな軍歴を持つ中堅士官のありがたみを、今この瞬間心の底から実感していた。
 そんな司令官の内心を知ってか知らずか、第一線指揮官の若者達は、互いにぎすぎすした視線を交し合っていた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2013年02月10日 13:44