ゴーラ演義 ナーハン離宮の段 6
泣きのヨーケの巻
ヴェストラはすでに大将軍の称号を返上しているという。
大北方戦争でゴルム帝より受けた任を果たせなかった責めを負って、と。それは大北方戦争そのものの敗戦の責めを負ったとゴーラでは受け止められているらしい。
ナーハン離宮の謁見の間で大将軍ではなくなったヴェストラは堂々と謁見玉座へと腰掛け、帝國のものらと謁見する形をとった。ヨーケの策なのだろう。構うことはない。マルクス達もまた近衛騎士の身分を大きく膨らませて聞かせて相対しているのだから。相対して中央に立つのはアウレイだったが、アウレイは右に立つマルクスに喋らせた。左に立つグラミネアはアウレイ同様にどうということもなく在った。
ヴェストラはほとんど口を開かず、ヨーケがマルクスと問答を繰り返した。ヨーケは帝國の不義を言い、マルクスもゴーラの不備を言った。またヨーケはすぐに帰れと難渋し、物品は置いてゆけと凄んだ。物品は皇帝陛下のものでありやはりゴーラは海賊かとマルクスは応じる。互いに言いっ放しに言い捨てて、つまるところヨーケは帝國側の背後関係を疑っており、マルクスは背後関係などろくに無いことを示して今ある帝國勢を売り込んでいるのだった。
ただヴェストラは無関心だった。人中のヴェストラとはよく言ったものだ。ヨルマ帝より与えられたという機神グイン=ハイファールがあればどのような相手でも倒せると思っているのだろう。マルクスも、あれとヴェストラを相手に戦って勝てるとは思っていない。六号三機と合わせても難しかろう。ヤッサバ達はあのグイン=ハイファールと戦って勝つもりで備えているが、それも北方全体を罠として行おうとしている。
「た、滞在を、許す」
それがヴェストラの決済だった。ヨーケに不服はなさそうだったが、最後にマルクスは抗った。
「滞在の予定は無い。すぐに帰るか、ヨルマ陛下の直接の許しを得るかの二つに一つだ」
ヴェストラは聞こえなかったかのように玉座を立ち、披風外套を翻して去っていった。残るのはヨーケのみだ。
厳しく睨むように、あの大きな目でマルクスを見据えている。しかし不意にマルクスらを無視して、謁見室の袖へと目をやる。マルクスも知っていた。こういった部屋には話を聞いている者等がいるのだ。腰を低く近づいてきた側用人らしきものは、ヨーケに身を寄せなにごとかささやきかける。うむと彼はうなずき、用人は退くが、ヨーケは口を開かなかった。
そのままにらみ合うようにして、どれほどが過ぎただろう。再び用人が姿を表した。
囁かれる何かに、ヨーケはぎょろりとした眼をさらに大きく見開く。唇をわななかせ、そしてうつむいた。その大きな目からは、大粒の涙を落としながら。
聞いていたような男ではないのだろうかとマルクスは思う。ゴーラの軍師といえば、どこまでも底しれぬ知略を巡らせるとばかり思っていた。だがこのベングンド、ヨーケ軍師はこうやって感情をあらわにするのだ。
「ヨルマ陛下がお目覚めになった」
立ち上がりかけたマルクスら三人を、しかしヨーケは腕を奮って制する。
「一人のみ来よ。陛下の寝所ぞ」
「俺は、男だからな」
息をついてアウレイは言う。ここで言うか、とマルクスはユリアを見る。ユリアは慌てたようにかぶりを振る。
「私を行かせても、判断は出来ない」
マルクスに判断できるというつもりか。
「貴様だ。我らが陛下にお目通りできる格だろう」
アウレイ、ここで言うかと思うが、そう言われてしまえば、やむを得ない。リランディア陛下の登極後、近衛騎士であろうとお目通りできないことが長く続いた。それがまた累代の近衛騎士たちをして副帝陛下への怨嗟を深める諸々のこととなったのだが。マルクスは立ち上がる。ヨーケは涙を流すまま、来よと命じ、先を歩く。
ナーハン離宮は、帝都の宮城に比べればずっとずっと小さい。短い廊下を進みむ。扉の前に一人の姿がある。女性だった。
マルクスにはゴーラの軍装の格までは詳しくはわからない。けれどゴーラ海軍ー水師ーの高位の軍装であることくらいはすぐにわかる。女性でその格の軍装を身に纏えるのは一人しかいない。ヴェストラ大将軍の妻、ロスヴァイセだ。ただその軍装は、その上等さに似合わぬほど汚れて見えた。ミクラゴルドからのこの旅がいかにも急であったのだろうと思わせる。ベングンドとロスヴァイセは何事か話し合い、そして、マルクスへと再び振り返る。
「陛下は甚だお疲れのご様子、本来ならば後日改めとするところ。しかしながらゴーラ皇帝陛下に並びうるとする帝國皇帝の近衛騎士、それらをしてゴーラへの合力を願うこととあればやむを得ぬ」
「わたくしが同席いたします」
部屋の前には衛士がいなかったが、薄暗い部屋には三人の衛士の姿がある。いずれも常人ではない。双性者だった。そのうち一人は獣人族であるようだった。彼らの軍装もまた急な旅路に薄汚れている。警衛の物ではないが、それぞれに武装していた。剣で、長柄で。いずれもマルクスを鋭く、睨むように見ている。
部屋には寝台が一つだけあり、凝った彫り物の柱が四方にあって天蓋を支えている。ヨルマ帝の姿は蕾絲の向こうに隠されている。ロスヴァイセはそっと寝台に身を寄せて膝をつき、蕾絲をわずかに開いた。何事か話しかける。やさしく母親のように。ロスヴァイセの夫ヴェストラは、かつてゴルムにひときわ恩寵を受け、息子とも呼ばれていたという。今のヴェストラは、ヨルマ帝を妹と呼んではばからぬという。帝國ではありえぬあり様だが、ゴーラではヴェストラのような剛力者を、真の身内のように扱うヨルマ帝の徳を称えられるともいう。
「先にも申したとおり、陛下は甚だしくお疲れ。奏上すべきことがら、わたくしより天聴へ達せしめましょう」
膝をついたまま振り向いてロスヴァイセは言う。マルクスもうなずき返し、そして寝台を前に片膝を着いた。蕾絲の向こうに横たわった姿がわずかにうかがえる。
「自分は帝國北方軍参謀、またケイロニウス・レオニダス近衛騎士マルクスと申します。行きがかりにて、ゴーラへ避泊することとなりました。しかし我ら、我が陛下とゴーラ皇帝陛下との間に結ばれしヴィスマリアン条約を破り、ゴーラを攻めるために訪れたのではございません。我が陛下のお心は、ヴィスマリアン条約による両帝国の和議にこそあります。もって我ら、我が陛下のお心にかなわんがため、ヨルマ陛下護持のため、陛下がお守りに合力の許しを願っております」
「・・・・・・」
ロスヴァイセが優しく囁くようにヨルマ帝へと話しかけている。だが、おかしい、とマルクスは感じていた。ヨルマが、ではない。ヨルマを囲む者等が。
「・・・・・・」
ヨルマが何かつぶやくように言う。屈んでいたロスヴァイセが振り向く。
「・・・・・・ゆるす、とのお言葉です」
「貴様!」
背後から衛士の一人が声をあげる。その刹那には、抜かれた剣の切っ先が、ぴたりとマルクスの延髄へ突きつけられている。
「何をした!」
「待つのだ、シグナム」
背後からヨーケの声が引き止める。このシグナムと呼ばれた双性者、腕は確からしい。マルクスの観相を感じ取ったのだ。ただ、魔導の教育は受けていないようだ。
「待つのだ」
ヨーケがもう一度言う。またロスヴァイセも寝台の前に両の膝をついたまま、シグナムを見上げる。わずかにかぶりを振る。剣を収めよというように。シグナムからの刺すほどの殺気は変わらない。
「・・・・・・」
ヨルマが何事かをつぶやく。ロスヴァイセが言った。
「剣を収めなさいシグナム。陛下の仰せです」
不意に殺気が切れる。しゅらっと音を立てて刃が鞘へと収まる。マルクスは立ち上がる。振り向き、言った。
「ヨーケ、説明してもらうぞ」
その大きな眼から、ヨーケは涙をこぼし続けていた。
「良かろう、来よ」
足音も高く寝所を出たヨーケは、するどくマルクスへと眼を向ける。
「さあ、来よ!来よというのだ!」
「謀ったなヨーケ」
足音も高く歩くヨーケを追って、マルクスも歩く。だがヨーケは逃げているわけではない。奴はマルクスを、離宮のさらに奥へいざなっている。
このヨルマは、偽物だった。
ヨーケの動きこそ観相を裏書きしている。本来なら不敬不遜の振る舞い。本来のヨルマの守りであったなら、マルクスの首も無事だったかは知れない。だが、あの者等、一心に寝台の娘を案じていた。至尊の皇帝をではなく、己等の主として。足萎えの体ながら背負われて、カールスボルグ将軍の身内として、ここへ伴われてきた。そんな娘を。
ヨーケは扉の前で足を止める。振り返り、マルクスをするどく見る。涙を流すそのままに。
「ここまで来た以上、おのれらはただでは帰れぬ」
「よくも言ってくれる」
「龍顔、それほどまでに拝し奉りたければ、叶えてやろう」
ヨーケは不意に片膝をつく。そのまま扉をわずかに開く。囁くように中へと呼びかける。人の名であるらしかった。シャマル、と。
「シャマル、ご様子は」
「今は眠られておいでです」
中よりの答えにヨーケはわずかにうなずき、マルクスを見上げる。それから身動ぎするようにして退く。わずかに開いた扉の隙間から、ヨーケがしたように伺うがいい、と。マルクスも片膝をついて、中を伺い見る。
船の形の寝台がある。おそらく元は少年帝の使っていたものだ。皇帝の寝台にはあるべき格があるはずだった。特にゴーラのような国では。その寝台に降ろされた蕾絲で中は伺えない。そしてその姿は確かにヨルマだった。
「シャマル」
ヨーケの声に従い、その者はそっと蕾絲を開いた。
一人の姿が横たわっている。細く薄い、小さな体だった。掛布がわずかに上下している。生きてはいる。
「満足か、近衛騎士」
絞り出すようにヨーケは言う。
「陛下のお言葉がほしいと抜かしたな。いずれ聞かせてやる」
だが、とヨーケは軋るような言葉で続ける。
「お目覚めになるまで、貴様らに許しなどない。ヨルマ陛下のお言葉など得られぬぞ。その間に使い潰してくれる。ヨルマ陛下のため、ボロ布になるまで」
寝台に横たわる少女をマルクスは静かに見やった。浅い息に細い肩がわずかに動く。そこには帝國とゴーラの細い紐帯が重くかかっている。
別視点へ続く。
最終更新:2024年03月25日 20:03