バステソーンの汚辱
ファーケル王国の有力貴族がトーチポートの国境側を境に戦った東西戦争は、開戦から10年が過ぎてなお終わらず、国土は大きく荒廃した。これにより、各所の都市国家に自治権が付与されたり、竜牙教団などの独立勢力の蜂起を許すなどといった事態が起きていることを憂慮したファーケル三世は、東西両派の穏健派と接触し、停戦交渉をはじめるべく働きかける。
穏健派貴族たちの働きかけにより、東西の人質交換を名目にファーケル城で会合が持たれることになり、東からはナイジェル・バステソーン、西からは首魁であったマッセリウス伯の嫡子オルセイストが派遣された。
しかし、東の代表ナイジェルは一隊を率いて国境側の浅瀬を渡るオルセイストを待ち伏せした。この襲撃は失敗に終わり、オルセイストと人質として連れられていた”黒騎士”アゼルが死亡した。その後ナイジェルは拘束され、そのまま西側に身柄を引き渡されたとされる。アゼルが死亡した浅瀬は「兜落としの渡し」と呼ばれている(→国境川)。
この事件により態度を硬化させた西側により停戦には至ることなく東西戦争は継続され、結果的に1年以上戦争が伸びたと言われている。この事件以後、バステソーンには「功名乞食」などの不名誉な二つ名が付けられるものの、本人の行方は終戦後も知られていない。
穏健派貴族たちの働きかけにより、東西の人質交換を名目にファーケル城で会合が持たれることになり、東からはナイジェル・バステソーン、西からは首魁であったマッセリウス伯の嫡子オルセイストが派遣された。
しかし、東の代表ナイジェルは一隊を率いて国境側の浅瀬を渡るオルセイストを待ち伏せした。この襲撃は失敗に終わり、オルセイストと人質として連れられていた”黒騎士”アゼルが死亡した。その後ナイジェルは拘束され、そのまま西側に身柄を引き渡されたとされる。アゼルが死亡した浅瀬は「兜落としの渡し」と呼ばれている(→国境川)。
この事件により態度を硬化させた西側により停戦には至ることなく東西戦争は継続され、結果的に1年以上戦争が伸びたと言われている。この事件以後、バステソーンには「功名乞食」などの不名誉な二つ名が付けられるものの、本人の行方は終戦後も知られていない。