主砲をヒュンダイ製9cm砲に変更したスキン車両
光り輝く金(キム)弾を受けてみよ!!
大韓民国 マンセー!マンセー!! ∩<`∀´ ∩
【歴史】ウリナラファンタジー
伝説の虎、うなれ!輝く9cm砲の金(キム)弾!
開戦直前の南北の軍事バランスは、北が有利であった。
韓国軍は歩兵師団8個を基幹として総兵力10万6000を有していたが
部内に多数潜入していたスパイの粛清、また独立以来頻発していた北朝鮮による
ゲリラ攻撃の討伐に労力を割かれ、訓練は不足気味であった。
また、米韓軍事協定によって重装備が全く施されておらず
戦車なし、砲91門、迫撃砲960門、航空機22機(それも練習機)を有するのみであった。
特に「戦車無し」は非常につらいものだった。
アメリカ軍は先の太平洋戦争にて歩兵携帯火器「バズーカ」のみでも
十分対処できたため、アジア地域に運用しにくい戦車は不要だろうと考えられていたのだ。
前線の韓国軍では、一部の部隊が独断で警戒態勢をとっていたのみであり
農繁期だったこともあって、大部分の部隊は警戒態勢を解除していた。
また、首都ソウルでは、前日に【陸軍庁舎落成式の宴会】があり
軍幹部の登庁が遅れて指揮系統が混乱していた。
このため李承晩への報告は、奇襲後6時間経ってからであった。
さらに、韓国軍には対戦車装備がなく、ソ連から貸与された当時の最新戦車である
T-34戦車を中核にした北朝鮮軍の攻撃には全く歯が立たないまま
各所で韓国軍は敗退した。
ただしその一方、開戦の翌々日には、春川市を攻撃していた北朝鮮軍がその半数の兵力しかない
韓国軍の反撃によって潰滅状態になるなど、韓国軍の応戦体制も整いつつあった。
そんな奮闘の中、アメリカから届いたのがM4やM26であった。
しかし、これらWW2時代でも火力不足な部類だった戦車に満足しなかった韓国軍は
給与されたアメリカ戦車を分解解析して「M46パッチョンKR」を開発。
即生産体制に入り、北朝鮮軍を北に押し上げたのである。
金日成は「解放記念日」の8月15日までに国連軍を朝鮮半島から放逐し統一するつもりであり
参加していた国連軍は「休戦もやむなし」と言う風潮が出始め、南極にて休戦協議「南極条約」に
調印すんぜんだった。しかし、M46を編成し部隊を強化した朴槿恵大統領の父でもあるとある軍人は
「我々も苦しいが北はもっと苦しい。彼らに残された兵力はあまりにも少ないのだ」
と言うのちの「ガンダム」のレビル将軍の演説をして取り上げられ知っている人もいると思うが
この演説で韓国のみならず国連軍全体の士気を奮闘させたのは言うまでもない。
釜山橋頭堡の戦いで優秀な韓国軍は撤退を拒否して自国生産のM46で徹底抗戦をして
釜山の周辺においてようやく北朝鮮軍の進撃を止めた。
この韓国技師設計の優秀な戦車の活躍を知ったアメリカ陸軍はM46を装備する決定をした。
ただし、戦車に「パッチョン」と言う韓国名がついていたので
通称「パッチョン」を「パットン」と改めた。
このパットンと名を代えられた韓国製戦車は長らく30年ほどの間西側代表として使用されることになる。
最終更新:2016年11月14日 07:40