「―――また会えましたね、ユウヤさん」
草木の薫る青空の下、晴れ渡る視界に予期せぬ少女を見た。喉は枯れ、意識が凍る。耳をくすぐる最愛の声に息をのみながら少女の名を呟く。
「―――――ヘレン」
遥か昔に看取った最愛の妻を前に数多の臣民を支配してきた少年神は呆然と佇む。見渡す景色は恐ろしいほど二人が出会ったあの日のまま。 初代の使徒の叛逆に心折れ、何もかもから逃げ出した片田舎で出会った記憶が堰を切って溢れ出す。
――――訳が分からない、何だこれは?自分は必殺の神殺しを受けたのではなかったのか?
目の前に起きている現象が何なのか、それがどんな理屈で引き起こされたのか、冷静に動かそうとする思考さえままならない。いいや――――。
「―――ええ、もういいのです。あなたは立派にやりました。」
「―――わたしが先に逝った後もたくさん失って、たくさん傷ついて、それでも涙をぬぐっては立ち上がってきたのでしょう?」
「―――あんな強がりが上手くなるまで駆け抜けて……本当に、真面目で素直な人なんですから。」
「―――大丈夫、そんなあなたをわたしはすべて受け止めますよ。功も罪もあるのでしょうが、そんなの別に構いません。」
「―――たとえ世界のあらゆる人が小さな神を嫌っても、わたしだけはあなたの歩んだ足跡を一つ残らず抱き締めるわ。」
「―――だから、よく頑張りましたねユウヤさん。ここまで必死に駆け抜けたあなたの妻であることを、ヘレンは誇りに思っていますよ。」
「―――もうそろそろ、自分を許してあげてください。わたしの大好きな男の人を、ちゃんと認めてあげてください。ただそれだけを、わたしは我儘に願います。」
「―――そして願わくばもう一度……花のようにほがらかな優しい笑顔を見せてちょうだい。」
「―――愛しているわ、あなた」
「うぅ、うぅぅ……ああぁあぁぁっ!!!」
囁く想いがあまりに、あまりに優しくて、もうそれで完全に駄目だった。
涙が止め処なく溢れ出し、心の堤防が決壊する。手に触れた温もりへ許しを請う罪人のように神祖スメラギは瞬く間に息絶えた。
代わりに残る皇悠也というちっぽけな少年は訪れた再会の奇跡にもはや立ち上がることすらできない。
心が、思い出が、魂が、目の前の少女こそ紛れもなくかつて自分を蘇らせてくれた最愛の女性だと叫んでいた。如何なる理屈や原理で、という無粋な疑問など頭の端にも浮かばない。いや、そんな真実を暴いた瞬間に目の前の妻が消えてしまう想像の方が何兆倍も耐えられなかった。
「どうして、僕は……君と一緒に死ねなかったんだろう。こんな不死身になった後で、出会ってしまったんだろう。」
「同じ様に歳を重ねて生きたかった。背丈が伸びて、大人になって、小さな苦楽を共にして……そしていつか、君の隣で皺くちゃのお爺さんになれていたら……ッ」
「それだけで皇悠也は良かったのに!世界で一番、誰より幸せだったのに!」
震える喉が、ずっと溜め込んでいた悔恨を滲ませていく。誰にも言えずひた隠しにしていた本音が罅の入った我慢の器からあふれ出した。
穏やかな百年ぽっちの人生を、すべてとすることが出来ていたなら、このささやかな愛と生死を共にできていたらそれだけで良かったのだ。
なのに、不滅の神祖?ふざけるな、こんな呪縛いったい誰が要るという。
終わらないから前を向いて進む以外に道がなく、彼女が愛した少年の笑顔を過去に置き去りにして、そして気づけば合理と秩序の無慈悲な象徴になり果てていたなんて……。
「ごめん、ごめんようヘレン……!こんな神様にならなくちゃ、歩くことさえ出来なくて!人間のままでいられなくて!君が信じてくれた僕を忘れて……ごめんなさい、ごめんなさい!」
後悔に滂沱の涙を流すどこにでもいる小さな迷子を慈愛の抱擁が包み込む。
「―――愛している、ヘレン」
積み重ねた決意や懊悩も功罪も、一人の少女に受け入れられ許されて、少年は愛する妻と強く抱き合って蒼天の光に誘われたのだった。
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