なるほどな……こうやって殺していたのか。そりゃ証拠も何も上がらんわけだ

発言者:吐月完


――《過去編・吐月編二》において、呪術師・吐月完が、“呪殺”を初めて実行した際の言葉
その声は、本当に死んだ相手の素性などには欠片も興味も湧いていない、擦れ切った(乾ききった)調子である。


申仏島を訪れ、文鳴啾蔵の師匠に当たる蒔山太夫の指示に従い、呪術師としての修行を始めた完。
二ツ栗の屋敷に籠り、不言名流呪術の式法を覚え、唱え、周囲の世界に溢れる呪詛(すそ)を思い通りに操る技術を磨く日々……
そうして一年半ほどの日々が過ぎ、彼は自らの式童子を使役する事が可能となり、
そのまま二ツ栗家の裏稼業――すなわち呪殺を実行することを命ぜられた。
それは、かつて法の番人であった吐月完という人間が、果たして躊躇なく殺人という大罪に手を染めることができるのか否かという、
二ツ栗家および、呪殺稼業を担ってきた啾蔵からの試験という意味合いが大きかった。


――しかし、吐月完は内心で彼らが抱いている疑念は馬鹿馬鹿しいものだ、と考えていた。

今まで必死になって護ろう、留めようと心を砕いてきたものに限って、簡単に失ってきたのが己の人生。
そんな失敗を二度も繰り返してきたのなら、そんな愛や信念などに熱を上げるなど馬鹿馬鹿しい事だと気づく。
どんなに流されていようが構うものか。今の自分の拠って立つ場所は、呪術師という在り方なのだから……


そうして、彼はあっさりと任された依頼を果たす――大して知らない人間に呪詛を送り、その殺害に成功したのである。
自分の手で殺人という大罪を犯しながら、完の心は少しも痛むことはなく、ただ完全犯罪が可能なカラクリに納得した、程度の感想しか浮かばない。
追いかけてきたドラマの登場人物が最終回で死んだ時の方が、まだ多少は心が動く……と。
あれほど大事にしていた誇りはもう、完全に彼の心の中で死に、消え去っていた


吐月完は……時間と加齢による鈍磨によって、良心の目を閉ざす割り切り方を身につけていた。
二ツ栗家が生き延びるための生贄となる女達の存在を知ったとしても。
それがたとえ一度目の挫折で味わった苦しみを思い起こさせるものだとしても。
流されていくだけの自分には関係のない事だと、彼はこの時も簡単に考えていた――後悔はまだ続くということにも気づかずに。



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最終更新:2025年03月22日 19:20