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基本情報



略歴

ロップス国の外務省官僚、主に貿易に関する外交を担当しており、近隣諸国の商人や官僚にも顔が広かった。
情報通でもあり、港町や交易の中継地点には専用の要員と、訓練されたワタリガラスを配置し、常に海外情勢を仕入れていた。
本人も二羽のワタリガラスを飼いならしており、個人的な連絡文書や、暗号文書の輸送を行っている。

1700年頃からロップス国とヴァーグリア国の長期的な共同事業として陸路の開拓が行われていたが、任官間もない彼女が開拓省に配属されると、ピアノは小さな漁村であるシュワ村に目をつけ、街道のルートを少し変更し、この村を通過させるようにした。
シュワ村沖はよい漁場であったが、道路が貧弱で立ち寄る商人もなかったため、シュワ村をヴァーグリア交易路の中継地として、宿場の整備と小型貨物船が寄港できるように港の整備を提案する。
当初、シュワ村の村民からは、余所者が増えるのは嫌だと歓迎されなかったが、村で出された魚料理をとても美味しそうに食べる姿を見せて、徐々に理解を得られるようになったという。

1725年に完成したヴァーグリア通商路だったが、1736年より治安が急速に悪化し、商隊の被害が頻発するようになった。
この頃ピアノはトルティナ国の要塞都市アラメーンに赴任して、トルティナとの通商路開発の調査を行っていたが、この件で帰国を命じられることになった。
その際に、流れ者の傭兵として戦場を求めてラ・ディアス帝国を目指していたサヌアレイアと出会う。
サヌアの傭兵としての実績はピアノの情報網にも入っていたため、即座に帰国路の護衛と、ヴァーグリア通商路における商隊護衛の仕事を提案し、二人を雇って帰国した。

この商隊護衛の任務中、サヌアレイアは、ヴァーグリア国を出奔して同じく傭兵となっていたロリスザード、彼の従者であるシーナと出会っている。
両者は意気投合したことから、ロリスザードは彼らと合流することとなった為、ピアノは間接的にサヌア傭兵団結成のきっかけを作ることになった。

通商路の治安回復後、サヌアたちは新たな国へ行くことを望んだため、ヴァン・フレイ国行きの船を紹介している。

1741年、ヴァン・フレイ国提唱による六界連合軍の結成について、ロップス国はヴァン・フレイ国の方針に理解を示しつつも、軍勢派遣は見送っている。
ピアノ本人はこの案に賛成していたこともあり未練もあったのか、後に知人に対して「もう一度、あの傭兵団の戦いぶりを見たかった」と嘆いたという。

六界連合軍が帰還した後の1746年、ラ・ディアス帝国のウラヌス侵攻が始まると、隠密ウラヌス国へ派遣し情報収集を命じているが、ストライアが総指揮官についたとの情報を最後に、ミスラータ陥落以降の情報は途絶えてしまった。
これらの危機感から、十年戦争への介入を提案するも、国内の慎重派によって直接の参戦は否定される。
ただしウラヌス国への支援は認められたため、ホーンヴァールよりオールト航路とホスロ航路へ商船を配船している。
このとき、ウラヌス国からは、ホスロではなく首都カカロへの配船を要請されているものの、カカロへの配船はラ・ディアス艦隊に発見される危険があるとこれは拒否、かわりにシーフィールド国より中古船を購入し、それをウラヌス国へ転売することで、ホスロ~カカロ航路のウラヌス船を確保することで合意した。

こうしてロップス国からの支援を受けて、要衝のベントンは予想以上に持ちこたえたものの、ついに陥落してしまい、東部戦線は首都との連絡が絶たれ崩壊を始める。
更にブロービルが陥落すると、もはや東部戦線は持たないと、オールト撤退作戦を提案。
作戦が了承されると、すぐにホーンヴァールへと向かい、商船の徴用を開始しつつ、そのままアルビス商船に便乗してアルビス国へ向かうと、船主ギルド、商人ギルドへ傭船を依頼、商魂たくましい彼らに商売の旨味をちらつかせて船を借りると、オールト陥落前に、無事ウラヌス国の難民と残存軍の収容に成功した。

ラ・ディアス帝国の侵攻の激しさから、ついに三国同盟が結成されるが、この同盟の締結にも二国の間を駆け巡って交渉したと言われている。
三国の力をもってしてもラ・ディアス帝国の侵攻を鈍化させるのが精一杯の防戦が続いていたが、1753年に七騎士反乱が勃発し、ラ・ディアス帝国が外征どころではなくなるった為、この機を逃さず領地の奪還に動き、1755年には旧領をほぼ奪還した。

その後は、元々国境を巡って火種のあったウラヌストルティナ両国の間にはいって調停をする日々を送り、同僚から「お前はいったいどの国の外務官なのだ」と揶揄と皮肉を言われることとなる。

1800年ごろから体調を崩し、おかしな咳や喘鳴をするようになっていた。
同僚には休職して療養することを勧められていたが公務を続け、1801年トルティナ国訪問中に吐血して倒れる。
帰国できる状態ではなかったため、トルティナで療養していたものの、四ヶ月後に病死した。
療養中も「トルティナで客死するなら、外務官冥利に尽きるってものよ」と強がりを言っていたという。


アビストの記念碑

トルティナ国はピアノの死に対し、宿敵であったウラヌス国との融和に尽力したことを称えて哀悼の意を発表し、ピアノの遺言により、アピストの教会墓地へ埋葬することを発表する。
ロップス本国もこれからも三国の友好を願う声明を発表し、ウラヌス国も哀悼の意と、使者の派遣を発表した。
これに対してウラヌス国内の強硬派は、ピアノの死をトルティナ国が政治利用していると非難したが、終戦から45年がたち、アピスト、ブロービルの奪還を掲げる強硬派は既に国民の支持を失いつつあったことから大きな騒動にはならなかった。
また、強硬派の会合内で「トルティナで死んだせいでこんなことになってしまった。ウラヌスで死んでくれたらよかったのに」と強硬派将軍が発言していたことが市井に暴露される騒ぎになり、強硬派の中心であった将軍四名が失脚することになった。
強硬派は、これは穏健派による陰謀であると抵抗したが耳を貸すものはおらず、ようやく領土問題は収束に向かうことになる。
後に、ピアノの功績を称えて埋葬された地に三国連名の記念碑が建てられた。

なお、ピアノがアピストへの埋葬を望んだという遺言書等はなく、本当に本人の意志だったのかは定かではない。


人物

  • 学生時代から法術の実力者であり、炎の法術使いだった、法術カードやマジックアイテムの作成も趣味でやっていたという。
  • 冒険好きでもあり、海外渡航も使者に任せっきりにせず自ら行くことを好んでいたが、体力はあまりなく山越えなどは苦手だったという。
  • タバコは炎使いの嗜みだと称するほどの愛煙家であった、喫煙数はそう多くなかったが、イライラすると本数が増えると愚痴をこぼすこともあった。
  • ヴァーグリア国には新米の頃から連絡員として何度も足を運んでおり、後にマルタナの知己を得ている。


関連項目



最終更新:2025年11月05日 20:32