RAINBOW(バンド)

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&font(#6495ED){登録日}:2012/02/19(日) 01:38:30 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &font(#6495ED){所要時間}:約 7 分で読めます ---- &link_down(▽)タグ一覧 &tags() ---- &font(#ff0000){R}&font(#ff7800){A}&font(#ffdc00){I}&font(#008000){N}&font(#008cff){B}&font(#0000ff){O}&font(#800080){W}とは、1975年にデビューしたイギリスのハードロックバンドである。 &font(#ff0000){けーぽっぷ・・・?うるせえ帰れ} DEEP PURPLE(以下パープル)のギタリストのリッチー・ブラックモアを中心に結成。 日本、イギリス、ドイツ好みの音楽性である哀愁を感じさせる楽曲と、ステージでのド派手な演出により人気を博した。 メンバーチェンジを繰り返しながら、パープル再結成の1984年まで活躍。1995年にメンバーを一新して再結成したが、現在は無期限休止中(実質上の解散)。 ■結成の経緯 パープルのアルバム『Stormbringer(嵐の使者)』にカバー曲を収録したいというアイデアを蹴られたリッチーがソロ作品を作るために、当時の前座バンドであったELFにジョイントしたのがきっかけで誕生した。 &font(#ff0000){その直後にボーカリスト以外を一斉に首切りした為、やってることは乗取りに近い。} それ以後もアルバムごとにメンバーをクビしている為、[[GUNS N' ROSES>http://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/7137.html]]、[[イングヴェイ>URL]]と並んでHR/HM界のブラック企業としても知られる。 なお、リッチー脱退のきっかけになった曲はQUATERMASSの『Black Sheep Of The Family(黒い羊)』であったが、その後のRAINBOWとは似ても似つかない作風であることや「BLACKSHEEP」が「厄介者」を意味することから、アイディアを蹴られたから〜というのは脱退の直接の原因ではなく、R&Bやファンクに傾倒していた当時のパープルへの当て付けではないかという話もある。 グレン・ヒューズ曰く「リッチーという人は、2年に一度はシンガーを替えねばならないんだ。それはパープルでもレインボーでもそうだった。 バンドに変化を加えることで、デンジャラスさを保ちたいんだ。ただパープルでは、デヴィッドと私が辞めないんで、彼が辞めることになった」 と結構リッチー及びRAINBOWの本質を見抜いた発言をしている。 ■メンバーの変遷 ギタリスト:[[リッチー・ブラックモア>URL]] バンドのギタリストにして実質的リーダー。 彼によれば「RAIMBOW」の1/5らしいが・・・。 詳しくは項目参照。 ●ボーカリスト &font(#ff0000){初代:}[[ロニー・ジェイムス・ディオ>URL]] ELFのメンバー。リッチーに「俺がシンガーだったらきっとあんな風に歌うだろう」とまで言わせた。 詳しくは項目参照。 &font(#ff0000){2代目:グラハム・ボネット} リッチーとコージーが偶然ラジオで聞いた『Only One Woman』での歌唱を買われてオーディションに呼ばれ、そこで『Mistreated』をワンコーラス歌っただけでドンに「マイク入らないね」と言われる程の並外れた歌唱力を見せつけ、バンドに加入。吉本のお笑い芸人のような格好と、血管がブチ切れんばかりのガナるようなシャウトが特徴。元々ポップ畑出身でHM/HR畑の人間ではなかった為か曲作りには一切関わらず、リッチーが髪を伸ばせと命じたにも関わらずライブ当日に散髪してリッチーを茫然とさせ、彼に&font(#ff0000){ギターで殴られた}伝説もある。念願だったアメリカでのヒットシングルを出すなどRAINBOWのアメリカナイズ化に貢献したにも拘らず、声以外の全ての点で問題があった為脱退。 彼とコージーにとってRAINBOW最後のLIVEになったモンスターズ・オブ・ロックでの名演は伝説といっても過言ではない。 その後はMSGやあの[[イングヴェイ>URL]]やスティーブ・ヴァイを輩出したALCATRAZZを結成したり、インペリテリ等で活動している。 現在はALCATRAZZを再結成して地道に活動中。3年に1度のペースで来日している。 HMバンドを脱退する度に「へヴィメタルなんて大っ嫌いだ」いっちゃうツンデレさんだが、そんな彼を懲りもせず呼ぶのがHMバンドでもある(笑) &font(#ff0000){3代目:ジョー・リン・ターナー} 前任二人とは一線を画すセクシーな歌唱と聖子ちゃんカットが特徴。RAINBOW在籍時はポップな曲が書ける才能を活かして全米30位くらいにはいる佳作アルバムを作るが、その実力以上の強気な発言や態度がRAINBOWの活動に限界を感じてたリッチーの考えと共に、パープルで大儲けを企むブルース・ペインに足元を掬われRAINBOWを解散へと追い込んでしまう。 RAINBOW解散後はソロを出すも大コケし、[[豚貴族>URL]]のソウルメイトだったり、ギランを解雇したパープルに参加したりして、&font(#800080){雇われシンガー}の地位を確立。ソロ作を多数制作するも、どれも売れずじまいで最近ではフィルハーモニーを始めとして虹伝説にグラハムとのジョイントツアー、更にはOver The Rainbow(後述)やThe Voice Of Rainbowと虹関連の集金イベントを定期的に行っている。 &font(#ff0000){4代目:ドゥギー・ホワイト} 1995年の再結成時に集められた新メンバー。即興で作詞作曲をして歌うことができるという特技を持っていた。 [[IRON MAIDEN>URL]]のオーディションを受けるも、[[ブレイズ・ベイリー>URL]]にまさかの敗北。何故負けた‥ ●ベーシスト &font(#ffb74c){初代ベース:クレイグ・グルーバー} ELFのメンバー。ファンキーで跳ねるようなベースラインが特徴。技術は歴代べーシスト1ともいわれる。脱退後は[[ゲイリー・ムーア>URL]]などと共演した。 &font(#ffb74c){2代目:ジミー・ベイン} ELFメンバーの一斉首切りの後に加入。ベースプレイは堅実そのもの。脱退後はWILDHORSESを経てロニーの結成したDIOに加入。 実はキーボードが弾けたり、作曲もできる出来る子だったりする。 &font(#ffb74c){3代目:ボブ・デイズリー} アルバム『Long Live Rock n' Roll(バビロンの城門)』の収録中に加入。肝心のアルバムでは半数近くの曲のベースをリッチーが弾いているため、いまいち存在感がない。結局はクビになり、脱退後はOZZY OSBORNE、URIAH HEEP、[[ゲイリー・ムーア>URL]]、BLACK SABBATHなど有名バンドで大活躍。彼の作曲能力が高いことを後から知り、リッチーは後悔した。 &font(#ffb74c){4代目:ロジャー・グローバー} 黄金期パープルを支えたベテランでリッチーの親友。 プロデューサーとして声がかかったが、ベースも兼任することになった。リッチーが適当に引いたリフ等を曲にする事ができる能力やポップな曲が書ける作曲能力、更にはリッチーと他のメンバーとの緩衝剤としての役割を高く評価される一方で意外なことにリッチーは彼のベースプレイに対して否定的。RAINBOW解散後はリッチーと共にパープルに復帰、リッチー再脱退後もバンドの屋台骨として活躍している。彼がパープルの旧譜のリミックスに関与して出している事についてはリッチーは「ぶん殴りてぇ」と漏らす。 &font(#ffb74c){5代目:ジョン・ミセリ} 再結成時メンバー。コーラスが上手い。ミニグレンヒューズ。Over The Rainbowに参加している。 ●ドラマー &font(#008000){初代:ゲイリー・ドリスコール} ELFのメンバー。ドラミングには独特の泥臭さがあり、[[LED ZEPPELIN>URL]]のジョン・ボーナムを唸らせた。20年以上前に麻薬絡みのトラブルにより、他殺体で発見された。 &font(#008000){2代目:コージー・パウエル} 言わずと知れたスーパードラマーにして元レーサー。JEFF BECK GROUPを経て加入。26インチの大型ツーバスを駆使したパワフルかつ的確なドラミングと、ステージでのクラシックを導入したド派手なドラムソロなどは、多くのミュージシャンに影響を与えた。 2代目ボーカルのグラハムとは誕生日が近いことなどから仲が良く、後にMSGに加入したときにはグラハムをバンドに誘った よく「渡り鳥」と例えられるように、MSG、BLACK SABBATH、WHITESNKE、ゲイリー・ムーアなど名だたるバンドを転々としたが、98年に飲酒+携帯電話で高速道路を爆走し中央分離帯に衝突、大破炎上という壮絶な最期を迎えた。 けいおん!!では、澪がふらふらしている律のことを「よくいえばコージー・パウエル」と例えるシーンがある。 &font(#008000){3代目:ボブ・ロンディネリ} アフロが特徴のドラマー。顔もでかく、『I Surrender』のPVなどでは軽く遠近感を崩壊させている。 スティックをシンバルに叩きつけ、そのまま客席方向へ十数m飛ばすなど、コージーに負けず劣らずのショーマンだった。 熱心な仕事ぶりからリッチーのお気に入りであったものの、それが他メンバーに疎まれてバンドを去ることに。Over The Rainbowに参加している。 &font(#008000){4代目:チャック・バーギ} 解散前最後のアルバム『Bent Out Of Shape』から加入。 再結成後のツアーにも助っ人として参加。 &font(#008000){5代目:ジョン・オライリー} 再結成時メンバー。タイトなドラミングでアルバムを彩ったが、サッカー中に怪我をしてしまい、ツアーには参加できなかった。 &font(#008000){6代目ジョン・ミセリ} アメリカツアー中から参加。ただ叩いただけ。 ●キーボーディスト &font(#0000ff){初代:ミッキー・リー・ソウル} ELFのメンバー。ピアノ奏者で、シンセサイザーを嫌っていた。 現在はパープルのキーボードテクニシャンをしている。 &font(#0000ff){2代目:トニー・カレイ} ELFメンバーの一斉首切りに際して加入。『Tarot Woman』や『A Light In The Black』などでの印象的なキーボードソロは彼によるもの。 実は脱退後のソロ活動(Vo)の方がアメリカでは有名でシングルで全米22位、アルバムで同42位になったりしている。 Over The Rainbowに参加していたものの現在は脱退。 &font(#0000ff){3代目:デヴィット・ストーン} 金髪チョビヒゲ。気取り屋で皮肉っぽいとリッチーには嫌われていた。音楽理論に精通しており、『Gates of Babylon』のコード進行を考えたのは彼。 &font(#0000ff){4代目:ドン・エイリー} ソロ活動も有名なセッションミュージシャン。様々なアーティストの作品に参加し、現在はジョン・ロードの後釜としてパープルで活躍。彼はクビではなく自分からRAINBOWを去った。パープルでロジャーと行動を共にしている事からも分かる様に現在リッチーには嫌われている。 &font(#0000ff){5代目:デイヴ・ローゼンサル} イケメン。絶対音感の持ち主で、後にインギーのコンチェルト作品のオーケストラ向けの採譜を担当することになった。 ブラックモアズ・ナイトにも参加している。 &font(#0000ff){6代目:ポール・モーリス} 再結成時メンバー。ライブでの『Black Masquarade』ではリッチーと壮絶なソロバトルを繰り広げた。 トニー・カレイの後任としてOver The Rainbowに参加している。 ■特色 パープルと同じくメンバーの出入りが激しいバンドで、初めはリッチーの「クラシックやバロック音楽とロックの融合」を目指し、現在のメロパワ/メロスピ系統に影響を与える。徐々にPOP色を強め、ジョー・リンの頃には「フォリナーのようだ」とまで言われるようになった。それ故に各時期によって好みが分かれやすいバンドでもあるので、代表曲などを聴いて「合わないな」と感じても、カラーは違えどどの作品も名作揃いなので、きっと気に入る作品に出会えるはずである。 最高傑作と謳われる『Rising(虹を駆ける覇者)』のB面の流れは圧巻である。 ・ &font(#ff0000){O}&font(#ff7800){v}&font(#ffdc00){e}&font(#008000){r} &font(#008cff){T}&font(#0000ff){h}&font(#800080){e} 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&font(#6495ED){登録日}:2012/02/19(日) 01:38:30 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 10 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- &font(#ff0000){R}&font(#ff7800){A}&font(#ffdc00){I}&font(#008000){N}&font(#008cff){B}&font(#0000ff){O}&font(#800080){W}とは、1975年にデビューしたイギリスのハードロックバンドである。 DEEP PURPLE(以下パープル)のギタリストのリッチー・ブラックモアを中心に結成。 日本、イギリス、ドイツ好みの音楽性である哀愁を感じさせる楽曲と、ステージでのド派手な演出により人気を博した。 メンバーチェンジを繰り返しながら、パープル再結成の1984年まで活躍。 1995年にメンバーを一新して再結成したが、現在は無期限休止中(実質上の解散)… &font(#ff0000){と思いきや2016年、突如としてリッチーが復活を宣言し3回限りでライブを行うと発表した…} そして、ブラックモアズ・ナイトとの活動の合間に毎年数公演をヨーロッパで行うという緩いスケジュールで活動をしている。 *■結成の経緯 パープルのアルバム『Stormbringer(嵐の使者)』にカバー曲を収録したいというアイデアを蹴られたリッチーがソロ作品を作る為に、 当時の前座バンドであったELFにジョイントしたのがきっかけで誕生した。 &font(#ff0000){その直後にボーカリスト以外を一斉に首切りした為、やってることは乗取りに近い。} それ以後もアルバムごとにメンバーをクビしている為、[[GUNS N' ROSES>GUNS N' ROSES(バンド)]]、[[イングヴェイ>イングヴェイ・マルムスティーン(ギタリスト)]]と並んで、 HR/HM界のブラック企業としても知られる。 なお、リッチー脱退のきっかけになった曲はQUATERMASSの『Black Sheep Of The Family(黒い羊)』であったが、 その後のRAINBOWとは似ても似つかない作風であることや「BLACKSHEEP」が「厄介者」を意味することから、 アイディアを蹴られたから~というのは脱退の直接の原因ではなく、R&Bやファンクに傾倒していた当時のパープルへの当て付けではないかという話もある。 グレン・ヒューズ曰く「リッチーという人は、2年に一度はシンガーを替えねばならないんだ。それはパープルでもレインボーでもそうだった。 バンドに変化を加えることで、デンジャラスさを保ちたいんだ。ただパープルでは、デヴィッドと私が辞めないんで、彼が辞めることになった」 と結構リッチー及びRAINBOWの本質を見抜いた発言をしている。 *■特色 パープルと同じくメンバーの出入りが激しいバンドで、 初めはリッチーの「クラシックやバロック音楽とロックの融合」を目指し、現在のメロパワ/メロスピ系統に影響を与える。 徐々にPOP色を強め、ジョー・リンの頃には「フォリナーのようだ」とまで言われるようになった。 それ故に各時期によって好みが分かれやすいバンドでもあるので、 代表曲などを聴いて「合わないな」と感じても、カラーは違えどどの作品も名作揃いなので、きっと気に入る作品に出会えるはずである。 最高傑作と謳われる『Rising(虹を駆ける覇者)』のB面の流れは圧巻である。 *■メンバーの変遷 ギタリスト:[[リッチー・ブラックモア]] バンドのギタリストにして実質的リーダー。 彼によれば「RAIMBOW」の1/5らしいが・・・。 詳しくは項目参照。 **●ボーカリスト &font(#ff0000){初代:}[[ロニー・ジェイムス・ディオ]] ELFのメンバー。リッチーに「俺がシンガーだったらきっとあんな風に歌うだろう」とまで言わせた。 詳しくは項目参照。 &font(#ff0000){2代目:グラハム・ボネット} リッチーとコージーが偶然ラジオで聞いた『Only One Woman』での歌唱を買われてオーディションに呼ばれ、 そこで『Mistreated』をワンコーラス歌っただけでドン・エイリーに「マイク要らないね」と言われる程の並外れた歌唱力を見せつけ、バンドに加入。 吉本のお笑い芸人のような格好と、血管がブチ切れんばかりのガナるようなシャウトが特徴。 元々ポップ畑出身でHM/HR畑の人間ではなかった為か曲作りには一切関わらず、 リッチーが髪を伸ばせと命じたにもかかわらずライブ当日に散髪してリッチーを茫然とさせ、彼に&font(#ff0000){ギターで殴られた}伝説もある。 念願だったアメリカでのヒットシングルを出すなどRAINBOWのアメリカナイズ化に貢献したにも拘らず、声以外の全ての点で問題があった為脱退。 彼とコージーにとってRAINBOW最後のLIVEになったモンスターズ・オブ・ロックでの名演は伝説といっても過言ではない。 その後はMSGやあの[[イングヴェイ>イングヴェイ・マルムスティーン(ギタリスト)]]やスティーブ・ヴァイを輩出したALCATRAZZを結成したり、インペリテリ等で活動している。 現在はALCATRAZZを再結成して地道に活動中。3年に1度のペースで来日している。 HMバンドを脱退する度に「へヴィメタルなんて大っ嫌いだ」いっちゃうツンデレさんだが、そんな彼を懲りもせず呼ぶのがHMバンドでもある(笑) &font(#ff0000){3代目:ジョー・リン・ターナー} 前任二人とは一線を画すセクシーな歌唱と聖子ちゃんカットが特徴。 RAINBOW在籍時はポップな曲が書ける才能を活かして全米30位くらいにはいる佳作アルバムを作るが、 その実力以上の強気な発言や態度がRAINBOWの活動に限界を感じてたリッチーの考えと共に、 パープルで大儲けを企むブルース・ペインに足元を掬われRAINBOWを解散へと追い込んでしまう。 RAINBOW解散後はソロを出すも大コケし、[[豚貴族>イングヴェイ・マルムスティーン(ギタリスト)]]のソウルメイトだったり、ギランを解雇したパープルに参加したりして、&font(#800080){雇われシンガー}の地位を確立。 ソロ作を多数制作するも、どれも売れずじまいで最近ではフィルハーモニーを始めとして虹伝説にグラハムとのジョイントツアー、 更にはOver The Rainbow(後述)やThe Voice Of Rainbowと虹関連の集金イベントを定期的に行っている。 因みにリッチーとの再結成をかなり望んでいたらしく、現在のRAINBOWの事を「まるでコピーバンドだ!」と憤慨するなど批判している。 &font(#ff0000){4代目:ドゥギー・ホワイト} 1995年の再結成時に集められた新メンバー。即興で作詞作曲をして歌うことができるという特技を持っていた。 [[IRON MAIDEN>アイアン・メイデン(IRON MAIDEN)]]のオーディションを受けるも、[[ブレイズ・ベイリー>ブレイズ・ベイリー(ボーカリスト)]]にまさかの敗北。 後に元レインボーの肩書きが効いたのか[[イングヴェイ>イングヴェイ・マルムスティーン(ギタリスト)]]の所にも参加する。 あいつなんだかんだでレインボーの全ボーカルと共演してたりする(ロニーとは曲単位だが)。 現在はマイケル・シェンカーと活動をしている。 因みにリッチーのインタビューによると96年の活動停止の理由は「ヴォーカルが『ギャラの引き上げをしないとライブに出ない』と言ったんだ。だから私は辞めたんだ」との事…。 &font(#ff0000){5代目:ロニー・ロメオ} Lords Of BlackのVo。 リッチー曰く「ディオがフレディ・マーキュリーに出会ったって感じだ。」と凄い期待されている。 リッチーのインタビューによると「ある日、妻がYou tubeを見て私に『凄いシンガーがいるのよ』というから彼の動画を見たんだ。そしたら素晴らしかったので彼とならRAINBOWとしてやれると思ったんだ。」との事。 図らずとも[[ベノワ・ディヴィッド>YES(バンド)]]や[[アーネル・ピネダ]]同様に「You Tubeで発掘されたスゴイヴォーカリスト」に名を連ねる事となった。 **●ベーシスト &font(#ffb74c){初代ベース:クレイグ・グルーバー} ELFのメンバー。ファンキーで跳ねるようなベースラインが特徴。技術は歴代べーシスト1ともいわれる。脱退後は[[ゲイリー・ムーア]]などと共演した。 2015年5月5日、前立腺癌との闘病の末に63歳で亡くなった。ご冥福をお祈りします。 &font(#ffb74c){2代目:ジミー・ベイン} ELFメンバーの一斉首切りの後に加入。ベースプレイは堅実そのもの。脱退後はWILDHORSESを経てロニーの結成した[[DIO>DIO(バンド)]]に加入。 実はキーボードが弾けたり、作曲もできる出来る子だったりする。 2016年1月24日、癌により急逝した。 &font(#ffb74c){3代目:ボブ・デイズリー} アルバム『Long Live Rock n' Roll(バビロンの城門)』の収録中に加入。 肝心のアルバムでは半数近くの曲のベースをリッチーが弾いているため、いまいち存在感がない。 結局はクビになり、脱退後はOZZY OSBORNE、URIAH HEEP、[[ゲイリー・ムーア]]、[[BLACK SABBATH]]など有名バンドで大活躍。 彼の作曲能力が高いことを後から知り、リッチーは後悔した。 &font(#ffb74c){4代目:ロジャー・グローバー} 黄金期パープルを支えたベテランでリッチーの親友。 プロデューサーとして声がかかったが、ベースも兼任することになった。 リッチーが適当に引いたリフ等を曲にする事ができる能力やポップな曲が書ける作曲能力、 更にはリッチーと他のメンバーとの緩衝剤としての役割を高く評価される一方で意外なことにリッチーは彼のベースプレイに対して否定的。 RAINBOW解散後はリッチーと共にパープルに復帰、リッチー再脱退後もバンドの屋台骨として活躍している。 彼がパープルの旧譜のリミックスに関与して出している事についてはリッチーは「ぶん殴りてぇ」と漏らす。 &font(#ffb74c){5代目:グレッグ・スミス} 95年の再結成時メンバー。コーラスが上手い。ミニ・グレンヒューズ。 Over The Rainbowに参加している。 &font(#ffb74c){6代目:ボブ・ヌーヴォー} ブラックモアズ・ナイトのメンバー。 堅実で遊びのない演奏をする。 **●ドラマー &font(#008000){初代:ゲイリー・ドリスコール} ELFのメンバー。ドラミングには独特の泥臭さがあり、[[LED ZEPPELIN>LED ZEPPELIN(バンド)]]のジョン・ボーナムを唸らせた。 1987年6月に麻薬絡みのトラブルにより、他殺体で発見された。 &font(#008000){2代目:コージー・パウエル} 言わずと知れたスーパードラマーにして元レーサー。JEFF BECK GROUPを経て加入。 26インチの大型ツーバスを駆使したパワフルかつ的確なドラミングと、 ステージでのクラシックを導入したド派手なドラムソロなどは、多くのミュージシャンに影響を与えた。 2代目ボーカルのグラハムとは誕生日が近いことなどから仲が良く、後にMSGに加入したときにはグラハムをバンドに誘った よく「渡り鳥」と例えられるように、MSG、[[BLACK SABBATH]]、[[WHITESNAKE]]、[[ゲイリー・ムーア]]など名だたるバンドを転々としたが、 98年4月に飲酒+恋人との携帯電話で高速道路を爆走し中央分離帯に衝突、大破炎上という壮絶な最期を迎えた。 [[けいおん!!>けいおん!]]では、[[澪>秋山澪]]がふらふらしている[[律>田井中律]]のことを「よくいえばコージー・パウエル」と例えるシーンがある。 &font(#008000){3代目:ボブ・ロンディネリ} アフロが特徴のドラマー。顔もでかく、『I Surrender』のPVなどでは軽く遠近感を崩壊させている。 スティックをシンバルに叩きつけ、そのまま客席方向へ十数m飛ばすなど、コージーに負けず劣らずのショーマンだった。 熱心な仕事ぶりとリッチーの「首切りポーズ」の真の意味を理解できた唯一の人物である事からリッチーのお気に入りであったものの、 それが他メンバーに疎まれてバンドを去ることに。Over The Rainbowに参加している。 &font(#008000){4代目:チャック・バーギ} 解散前最後のアルバム『Bent Out Of Shape』から加入。 95年の再結成後のツアーにも助っ人として参加。 &font(#008000){5代目:ジョン・オライリー} 95年の再結成時メンバー。タイトなドラミングでアルバムを彩ったが、サッカー中に怪我をしてしまい、ツアーには参加できなかった。 &font(#008000){6代目:ジョン・ミセリ} アメリカツアー中から参加。ただ叩いただけ。 &font(#008000){7代目:デイヴィッド・キース} ブラックモアズ・ナイトのメンバー。 本人曰く「パープルの曲もレインボーの曲もオリジナルに忠実に叩く」との事。 **●キーボーディスト &font(#0000ff){初代:ミッキー・リー・ソウル} ELFのメンバー。ピアノ奏者で、シンセサイザーを嫌っていた。 現在はパープルのキーボードテクニシャンをしている。 &font(#0000ff){2代目:トニー・カレイ} ELFメンバーの一斉首切りに際して加入。『Tarot Woman』や『A Light In The Black』などでの印象的なキーボードソロは彼によるもの。 実は脱退後のソロ活動(Vo)の方がアメリカでは有名でシングルで全米22位、アルバムで同42位になったりしている。 Over The Rainbowに参加していたものの現在は脱退。 &font(#0000ff){3代目:デヴィット・ストーン} 金髪チョビヒゲ。気取り屋で皮肉っぽいとリッチーには嫌われていた。音楽理論に精通しており、『Gates of Babylon』のコード進行を考えたのは彼。 &font(#0000ff){4代目:ドン・エイリー} ソロ活動も有名なセッションミュージシャン。様々なアーティストの作品に参加し、現在はジョン・ロードの後釜としてパープルで活躍。 彼はクビではなく自分からRAINBOWを去った。パープルでロジャーと行動を共にしている事からも分かる様に現在リッチーには嫌われている。 &font(#0000ff){5代目:デイヴ・ローゼンサル} イケメン。絶対音感の持ち主で、後にインギーのコンチェルト作品のオーケストラ向けの採譜を担当することになった。 ブラックモアズ・ナイトにも参加している。 &font(#0000ff){6代目:ポール・モーリス} 95年の再結成時メンバー。ライブでの『Black Masquerade』ではリッチーと壮絶なソロバトルを繰り広げた。 トニー・カレイの後任としてOver The Rainbowに参加している。 &font(#0000ff){7代目:イェンス・ヨハンソン} 2016年の再結成メンバーで唯一名前が知られている人。 因みにジョーリン・ターナーとは[[豚貴族>イングヴェイ・マルムスティーン(ギタリスト)]]の時の同僚(被害者)だったりする。 また元[[DIO>DIO(バンド)]]のメンバーでもある。 *■再結成? &font(#ff0000){O}&font(#ff7800){v}&font(#ffdc00){e}&font(#008000){r} &font(#008cff){T}&font(#0000ff){h}&font(#800080){e} &font(#ff0000){R}&font(#ff7800){a}&font(#ffdc00){i}&font(#008000){n}&font(#008cff){b}&font(#0000ff){o}&font(#800080){w}とは、 2008年11月にRAINBOW再結成に否定的でブラックモアズ・ナイトに没頭していたリッチーに見切りを付けたジョーが、リッチーの息子ユルゲン・ブラックモアを担ぎ出し、勝手に始めた(リッチーの許可は &font(#ff0000){一応}とってある)再結成(?)レインボーである。 ・メンバー ジョー・リン・ターナー(Vo) ユルゲン・ブラックモア(G) グレッグ・スミス(B) ボビー・ロンディネリ(Ds) トニー・カレイ(Key) 脱退 ポール・モーリス(Key) メンバーを見れば分かる様に基本的に&font(#ff0000){暇でB級な元メンバー}で構成された&del(){集金}バンドである。 ユルゲンは単にリッチーの息子であるから参加したに過ぎず、彼に父親のプレイを求めてはいけない。 脱退後久しくHRの世界から遠ざかってたトニー・カレイの参加が一部のマニアの関心を引いたものの、彼はすぐ脱退してしまい、 代わりに再結成時メンバーでジョーのソロ活動にも関わったポール・モーリスが参加している事から「ジョーの金稼ぎ目当てのソロ活動」であるのは否めない。 2010年11月以降ライブを行ってない事や当の本家RAINBOWが活動を再開した為、現在は解散したと思われる。 追記・修正は虹を駆けてからしてください。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,12) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() #comment #areaedit(end) }

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