ROCKIN'ON JAPAN

「ROCKIN'ON JAPAN」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

ROCKIN'ON JAPAN - (2013/02/24 (日) 11:22:45) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2011/03/05(土) 10:41:07
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s)
&font(#6495ED){所要時間}:約 7 分で読めます

----
&link_down(▽)タグ一覧
&tags()
----

ロッキング・オンから出版されている音楽雑誌の1つ
基本はロックバンドを中心にインタビューを掲載
約20組がフォトと記事合わせて最低4ページのロングインタビュー
約15組が2ページのショートインタビュー形式が基本
歌手の生い立ちや影響を受けた音楽を話す独特のインタビュー内容やCDレビューが特徴。そして、シーンでは有名なアーティストをピックアップしていること
例えば、音楽専門チャンネル以外のテレビにしか出演しなかったりLIVEパフォーマンスを重視するアーティストなど

そのため、オリコンランキング上位の曲が好きな人は蚊帳の外になることもしばしば
一方、アニソンが好きな人は読みやすい場合がある。理由は本誌が取り上げるアーティストがアニメのタイアップで使用されるため

(注)雑誌でカルチャー(ファッション・映画・音楽等)が取り上げられる時はそれらの会社から広告費が出ている場合がほとんどである。ロッキング・オンが「世間一般の流行とは違う独自のシーンからピックアップ」するアーティストも例外では無い。ただしアーティストとしては世に出る上でやむを得ないことも認識した上で応援してみてはどうだろう
雑誌の歴史

80年代後半
1986年創刊
初代編集長は現代表取締役の渋谷陽一本人
創刊当時ロックシーンが盛り上がっていなかった頃からバンドブーム初期までの時代
当時からJ-POPなんかも取り上げていた

当時の主な掲載アーティストは忌野清志郎
岡村靖幸
尾崎豊
サザンオールスターズ
THE BLUE HEARTS
ユニコーン
吉川晃司と布袋寅泰のユニットCOMPLEX
RED WARRIORS
米米クラブなど
創刊号の表紙は佐野元春である。
他には久保田利伸や泉谷しげるなどが表紙を飾ったこともあった。
90年代前半
バンドブーム絶頂期から始まった90年代
編集長山崎洋一郎、副編集長市川哲史の体制になったのがこの時期
山崎はフリッパーズ・ギター、電気グルーヴなど当時アンダーグラウンドだったアーティストをプッシュし
市川はX JAPAN、BUCK-TICK、LUNA SEAなど第1次ヴィジュアル系バンドをプッシュする形となっていた。

その結果、雑誌は当時の音楽雑誌ではかなりのマイナー路線であり金銭的にも苦しい状況となっていた。
93年には市川が退社したことで紙面は山崎の独裁体制となる。

途中バンドブームの終焉や尾崎豊の急死などが起きる中小沢健二、スチャダラパー、オリジナル・ラヴなどの渋谷系ブームが起きたことで雑誌の人気は上昇していった。

上記以外の当時の主なアーティストはZIGGY
BLANKEY JET CITY
CHARA
THE YELLOW MONKEY
レピッシュなど

90年代後半
渋谷系ブームで雑誌が上昇傾向に向かう中スピッツ、Mr.Children、JUDY AND MARY、THE YELLOW MONKEY、小沢健二、ウルフルズなどの大ブレイク及び表紙を飾るなどのプッシュにより誌面はさらに盛り上がりを見せる
その一方で、ロックシーンで絶大な人気を誇っていたthee michelle gun elephantとHi-STANDARDが表紙を飾るなど他の雑誌とは違うカラーも出していた。

世間が小室ブームや第2次ヴィジュアル系バンドブームに沸く中それらのブームを無視し、その代わりに多くの有望なアーティストをプッシュしたことで雑誌は注目を浴びるようになった。
特にその象徴がおきたのは1997年だろう
活動初期から支えたエレファントカシマシ、電気グルーヴ、CHARAがシングルランキングでロングヒットを記録
そして、1997年組の存在
この年にメジャーデビューしたアーティストはDragon Ashを筆頭にシーンにおいて重要なアーティストが多い
中村一義(現100s)
スーパーカー
Cocco
NUMBER GIRL
BRAHMAN
TRICERATOPS
GRAPEVINEなど1997年はシーンにおいて大きな年であったことがわかる
また、hideの急死の時には追悼企画を掲載するなどもあった。

上記以外の主な掲載アーティスト
山崎まさよし
HUSKING BEE
eastern youth
くるり
ピチカート・ファイヴ
UA
椎名林檎
the brilliant green
東京スカパラダイスオーケストラ
Spiral Life及びAIR
真心ブラザースなど

ちなみに、1995年には俳優武田真治が表紙を飾ったこともあった。
さらに、1999年にはGLAYが表紙を飾ったが読者の間では物議を醸した。

00年代前半
2000年に鹿野淳、2004年には古河晋が編集長となり新たな動きを見せた時代
1つ目は誌面に関しては今までのJAPANらしさは残しつつも違うジャンルのアーティストのプッシュ
aiko、ゆず、RIP SLYME、KICK THE CAN CREW、鬼束ちひろ、m-flo、宇多田ヒカル、平井堅といったロックではないアーティストにインタビューを積極的に行い表紙に起用することもあった。
さらにはヴィジュアル系ブームを殆ど無視した中SOPHIAを取り上げたりL'Arc〜en〜Ciel及びhydeを表紙に起用する動きも見られた。

2つ目はロックフェスの開催
2000年にROCK IN JAPAN FES
2003年にCOUNT DOWN JAPAN FESをスタート
失敗を重ねた結果現在は日本を代表するフェスとなった。

3つ目は月2回発行(黒歴史)

新しいアーティストの発掘に関しては
メジャーデビュー間もないBUMP OF CHICKENやレミオロメンを表紙に起用
テレビ朝日の深夜番組で注目を浴びていたブレイク前のHYにすぐさまインタビュー
他にもACIDMAN、THE BACK HORN、GOING UNDER GROUND、ASIAN KUNG-FU GENERATIONなどのプッシュなどがある。

2000年〜2004年はシーンの重要アーティストが立て続けに解散、活動休止をしたために誌面も一つの交代期を迎える形となった。
上記以外の主な掲載アーティスト
10-FEET
POLYSICS
RIZE
GOING STEADY
175R
B-DASH
ART SCHOOL
スガシカオ
GO!GO!7188

この時代JAPANにおきた最大の事件は浅井健一による編集長暴行事件がある。この件は本家Wiki参照

そして、もう一つは恐らく最も物議を醸した浜崎あゆみ表紙特集である。


00年代後半から現在
2006年に山崎洋一郎が編集長に復帰(現在は山崎と古河の2人体制)

新しいアーティストの発掘に関しては9mm Parabellum Bullet、チャットモンチー、RADWIMPS、世界の終わりなどをプッシュしブレイクさせた。
2009年にDir en greyをプッシュするようになってからはLUNA SEAやBUCK-TICKを十数年振りに掲載したりthe Gazetteにインタビューを行なうなどヴィジュアル系にも注目している様子
他にはRO69 JACKなるコンテストを開催しplentyを発掘
閃光ライオットにも注目しておりGalileo Galiley、ねごと、WEAVERなどもプッシュしている。
現在は前述の発掘したアーティストに加えてYUI、Superfly、ELLEGARDEN及びthe HIATUS、The BAWDIES、木村カエラ、マキシマム・ザ・ホルモンなどが中心アーティストとなっている

上記以外の主な掲載アーティスト
flumpool
ORANGE RANGE
神聖かまってちゃん
ミドリ
阿部真央
ストレイテナー
Perfume
グループ魂
DOES
藍坊主
Base Ball Bear
ONE OK ROCK
毛皮のマリーズ
monobright
安藤裕子
フジファブリック
椿屋四重奏
サンボマスターなど


追記・修正お願いします。



----
&link_up(△)メニュー
&link_edit(text=項目変更)&link_copy(text=項目コピー)&font(#0000ff){&u(){消去} &u(){項目ロック} &u(){ロック解除}}
----
#right(){この項目が面白かったなら……[ポチッと]}
#center(){&link_toppage(-アニヲタWiki-)}

#comment