あらゆる科学上の異説・珍説と疑似科学とを明確に区別できるような定義の確立は古い問題であり、
その境界を定める試みは繰り返しなされてきたが、すべての者に等しく許容され、あらゆる批判に耐えうる結論には至っていないとされる。
その中でもカール・ポパーにより提示された「反証可能性」を科学の条件とする考え方は一定の評価を得ている。
即ち科学的に「ある物が存在する」と証明するには、その「ある物」を提示すれば証明されるが、
「ある物が存在しない」と「科学的に」証明することは極めて困難である(=「悪魔の証明」)。
それ故、科学者の多くは「◯◯であることが多い」、
「◯◯の可能性が高い」と断言しない説明をする機会が多い(マスコミによってミスリードされている場合を除く)。
この場合、人の細胞を食べる蝶が、ある場所に存在するという科学的に裏打ちできるデータ
(主に生態学的分野からの調査解析、科学的アプローチが近いと思われる)を示すことが必要である。
パパのセリフから、「人の細胞を食べる蝶」が見つかったのは、この会議が行われた同日、
すなわち「今日」であり、蝶の存在は(
キチガイ一家とされる)泉一家の証言に頼るしかないのである。
以上を踏まえると、このセリフも科学的見地からすれば決して間違った言い回しではない。
しかしあまりにも目に余るこの説明放棄発言に、集まった関係者からもどよめきの声が上がった。
もっとも、あの2種の蝶を「
似ている」と言い切ったあたり、
まずこの昆虫学者が「
こんなところ」で精密検査を受けるべきであると思われる。入院の方がオススメか。
今の世の中、かしこぶったり知ったかぶる
かわいそうなお友達が多い中でこれほど潔く自らの無知を告白する姿勢は
賞賛に値するのではという意見の反面、5分間しかないチャー研本編で「どこかにいる、でも分からん」と言うだけで
貴重な2分半を費やした罪は重いという意見も強く、彼のこの発言には
チャーケニスト達の間でも賛否両論である。
どちらにせよ何も分かってないのにやたらキリッとしてるのに地味にイラっと来るのが分かるだろう?
最終更新:2017年07月18日 22:33