0.『神はダイスを振らない(裏)』
さあさあ聴いてくれたまえ。
これより語り始めるは、1/26の正義の果て。
2つの試練、5の鏡像との交錯の果て、ここに至りようやく物語の結末は定まった。
これは、共闘の物語である。
これは、正義の物語である。
これは、山乃端 一人が生き残る物語である。
これは、悲劇の運命を少女が覆す物語である。
この世界は、『最強』を名乗る《獄魔》と、孤高を走ってきた一人の物語。
この世界の山乃端 一人を救うとは、■■が、■■としてなお友愛を貫くこと。
これが、私の東京をつむぐ、一つのかけら。
ここに、26の守り手と、29(+2)の攻め手により、鏡面を向き合わせ、無限の破片を繋ぎ合わせ、そして、望むべき曼荼羅を紡ぐ、万華鏡。
類まれなほどに過酷な旅路を踏み越えた、祈り手たちに敬意を。
天恍の星をも越えてここに輝け。
――『虚去堂東懸顕鏡京』。
1.『すべての時間が噴き出た夜』
望月では、ウサギが餅を搗くという。
しかし、現実には、月面にウサギなど存在しない。
そう見えたからという錯覚。
そうあれと願われた希望。
そこから生まれた、虚像にすぎない。
望月 餅子。
しかし、世界には、そんな
魔人など存在しない。
そう見えたからという錯覚。
そうあれと願われた希望。
そこから生まれた、虚像にすぎない。
全ては、はじまりの日。
山乃端 一人を殺すために顕現した、第一の《獄魔》が、月夜に狂ったその夜から。
終わりのために、始まったのだ。
希望崎学園寮の一室。
『
群青日和』との戦いを終えた直後の、夜明け前。
一日で最も昏い刻。
ベッドに横たわる山乃端 一人の上で、望月 餅子がスコップを構えていた。
磨かれたスコップの切っ先は、山乃端 一人の首筋ぎりぎりを掠めるように、ベッドに突き立てられている。
山乃端 一人と、望月 餅子の視線が、月明かりだけの薄闇の中で交差した。
「山乃端 一人。どうして、銀時計を、構えないのですか」
息を荒げ、言葉を途切れ途切れにしながら、望月 餅子は問いかけた。
「どうして、私を、自分の部屋に、連れ帰ったのですか」
昨夜の戦いで、望月 餅子がどういう存在であるか、山乃端 一人は理解したはずだ。
「《獄魔》に殺されるか。全て封じるか。あなたには、それしかないのに」
であれば、どうして、望月 餅子はまだ存在しているのか。
他に選択肢がないのだ。
山乃端 一人は、自分を供物に捧げ、救われるのだと、望月 餅子は思っていた。
「……餅子」
山乃端 一人の表情から、彼女の意図は読み取れない。
すべてを諦めて、殺されるのを待っているのか?
それとも、望月 餅子が、《獄魔》としての衝動に耐え切れると確信しているのか。
押し殺していた感情を爆発させるように、餅子は叫んだ。
「あたしは! 山乃端 一人を殺したくないのです!!」
「私も、望月 餅子を消したくない」
ああ、やはりこうなってしまった。
餅子は、自分の甘さを悔やんだ。
山乃端 一人は、こういう少女だ。
だからこそ、守りたいと思った。
だからこそ、ルールを覆したいと思った。
「っ!!! この……っ!?」
興奮に呼応するようにして、自我を、異界の美が浸食していく。
それは即ち、《獄魔》としての山乃端 一人への殺害衝動を御する鎖が緩むことを意味する。
「ああああああああああああああ!!!」
望月 餅子は吠えた。
月下の狼のように、喉を振るわせた。
これ以上、この場にいては、望月 餅子は、山乃端 一人を殺すだろう。
過去、ひとつの例外を除き、全ての山乃端 一人と《獄魔》がそうだったように。
望月 餅子は、窓から月夜へと身を投げだした。
望月 餅子の自我が守りたいと願うものから離れるために。
望月 餅子の衝動が殺すべきと示すものから離れるために。
出会った日とよく似た色の満月が、彼女の姿を照らしていた。
鼓動が跳ねる。
意識に白い靄がかかっている。
思考には常にノイズが走る。並行世界の同朋の美が、脳を浸食していく。
望月 餅子は、それでも、夜の街を走り続けていた。
純白の長髪を暗闇に靡かせて駆ける様は、さながら胎内を泳ぐ生命の素体めいている。
だが、彼女が目指す先は、対たる存在のところではない。
彼女を突き動かすのは、本能ではない。
本能に抗い。衝動を引き起こすものから遠ざかるため、望月 餅子は生命と精神を削って疾駆する。
山乃端 一人は悲しむだろうか。
それとも、安堵するだろうか。
彼女は敏い少女だ。
これまでは、幼馴染を疑いたくないという想いで、その可能性から目を背けていたようだが、もう、ここに至っては当然気付かれただろう。
今代の山乃端 一人は、第十一柱までの《獄魔》を、銀時計に封じた。
残る《獄魔》は一柱。
――『白』の《獄魔》、即ち、望月 餅子のみである。
これまでは、まだ、理性と意識で、山乃端 一人に対する殺害衝動に耐えられた。
一柱ずつ、《獄魔》が封じられるごとに、その衝動は強まったが、十年以上に渡り、人を模して磨き上げ、鍛えてきた精神が、それを押しとどめてこられた。
だが、十一柱が封じられ、『白』しか、山乃端 一人を殺しうる《獄魔》が存在しなくなったことで、その衝動――世界の修正力は、最高潮に達した。
さらに、それを押しとどめるべき理性は、精神は、《獄魔》としての力のリミッターを外すため、一度、
クリープ――並行世界のデミゴッドの権能によって、ヒビを入れられている。
こうしなければ、『群青日和』との戦いで、山乃端 一人を救う術はなかった。
理想的なのは、餅子が《獄魔》であることを看破し、山乃端 一人が餅子を封じて、十二柱の封印を完遂することだった。
望月 餅子の目的は、山乃端 一人と共に十一の《獄魔》を封じ、本来最大の難敵となるはずの第十二の《獄魔》として、無抵抗な自分が、山乃端 一人に封じられることだったのだから。
しかし、山乃端 一人はそれをしなかった。
《獄魔》に自死の機能はない。
餅子にできることは、逃げることだけだった。
今まで、長い時間をかけてごまかし、捻じ曲げてきた時間が、噴き出したようだ。
望月 餅子は自嘲する。
行くあてはない。
物理的な距離が離れたからか、それとも体力を消耗したからか。
山乃端 一人への殺害衝動の波がわずかに落ち着いたところで、餅子は足を止めた。
ここしばらくの騒動で、夜の人通りはほぼない。
静かなビル街の中、餅子はショーウインドウに映った自分を見た。
背中まで伸びた白い髪。
透けるような白い肌。
唯一、生命を主張するように、瞳だけが、血の赤を宿している。
これが、《獄魔》としての自分の姿。
人を模した偽装の剥げた本質。
たしか、山乃端 一人と初めて出会ったときも、この姿であったはずだ。
第一柱の《獄魔》。
人に憑く力もなく、最弱の、封じられるための《獄魔》として顕現した、あの夜。
それを、何を勘違いしたのか見落としたのか、敵でなく、無邪気に、友として迎え入れた幼い山乃端 一人。
その関係を、受け入れてしまった、己の内に生まれた不具合。
山乃端 一人は口にした。
ひとりぼっちの自分と、まわりを繋げてくれたのが、ぺーちゃんだよ、と。
違うのだ。
救われたのは、望月 餅子の方だ。
少なくとも彼女はそう認識している。
争いを生むものとして定義づけられた存在を、親友という役割で塗り替えてくれた。
そうして、現象の具現、退治されるための人身御供であった《獄魔》は、個を得た。
「――この戦いも、佳境というところでしょうか」
鏡に映る餅子の後ろに、スーツ姿の男が現れた。
餅子は振り返らない。
振り返ってもそこには誰もいないと理解しているからだ。
男の実体は、鏡の中にこそある。
それこそが、望月 餅子の協力者――転校生、鏡助の能力だ。
「ははは、情けない姿を、お見せしました」
餅子は、力なく笑った。
「『最強』だなんてうそぶいて、自分の力と折り合いも付けられず、挙句の果てに振り回されて、守りたい相手を殺そうとまでしてしまう。我ながらたいした、『最強』ですね」
「あなたはあなたが思いつくよりましな選択をし続けた。その結果を情けないと言う人間がいるなら、それは僕の敵ですよ」
転校生とは、文字通りの意味の「学校に転入してきたもの」という意味ではない。
異界から召喚されたある特性を有する魔人。その通称である。
彼らは、無限の攻撃力と防御力を持つ。
それは、あらゆる並行世界の自分と接続し、全ての並行世界の存在力を束ねているからである。ある転校生を物理的に倒すには、無限の転校生を殺しきる暴力が必要だ。
彼らは嘘をつけない。
それは一つの世界に全並行世界の力を持ち込む制約だ。
その上で、さらに転校生の多くは、独自の行動規範に縛られる。
鏡助であれば、「実体としてこの世界の戦闘に直接は介入しない」というように。
それを逸脱しない範囲において、鏡助は、餅子の強力な援助者だった。
彼もまた、確かに、山乃端 一人の死を良しとしないものだった。
山乃端 一人を救うという望月 餅子の傍で、並行世界を渡り歩き、鏡面世界という亜種並行世界を創造する能力を駆使して、25の並行世界との縁を繋ぎ、鏡像としての援軍『祈り手たる個(プレイヤーキャラクター)』を一度ずつ呼び出すという術式を関係させた。
たとえば、『仙道 ソウスケ』に対する、「No.9 山乃端 万魔」「No.12 ウスッペラ―ド」「No.20
山居 ジャック」。
たとえば、『群青日和』に対する、「No.10
ジョン・ドゥ」「No.25 クリープ」。
それぞれの『祈り手たる個』の特性を踏まえ、目の前の敵に勝利する必要最低限の戦力を供給し、ここまで、25枚中、20の手札を温存し続けたのだ。
「鏡助さん。このまま、あたしが衝動に耐え続けたら、どうなるのでしょう?」
「あなたの自我が『浸透する美』に塗りつぶされれば、望月 餅子という人格は消失します。《獄魔》の衝動に従い、『白』は山乃端 一人に襲い掛かって、《獄魔》が封じられるか、山乃端 一人が死ぬか。そういう決着を迎えるでしょうね」
それは、餅子の予想していた回答だった。
「ただし」
だが、鏡助の言葉はそれにとどまらなかった。
「世界の修正力――貴方たちを作り出した、人類種の共通無意識は、あなたの叛逆にお怒りらしい。望月 餅子の人格が消えるのを待つよりも、直接的な手段に出たようです」
そう言って、鏡助は、夜空を見上げた。
そこには、皓々と輝く月。
「……な……っ!?」
それが、ふたつ。
「おそらくは、あれが世界の修正力の代行者。《獄魔》と山乃端 一人の殺し合いの運命を覆そうとする背約者への懲罰措置。第十二の《獄魔》の代わりに山乃端 一人を殺害する転校生」
夜空に輝く月が、もうひとつ増えていた。
2.『月は無慈悲な夜の女王』
ふたつ目の月、顕現する。
その報は、世界中に広まり、人々を震撼させた。
第2の月――国魔連は、本来の地球衛星としての月と区別するため、対象を『Mr.moon/
おつきさま』と命名。
複数の研究機関が24時間の観測結果から、『おつきさま』が、およそ半月後に、地球へと落下するとの分析結果を示した。
ツングースカ大爆発を引き起こしたとされる彗星の直径が、50-100m。
恐竜絶滅の一因ともされるユカタン半島のチクシュルーブ衝突体の直径が10-15km。
それに対して、『おつきさま』の直径は、3,474.8 kmである。
地球の1/4の大きさの天体が大気圏で燃え尽きるはずもない。
地球と接触すれば、人類種の滅亡どころか、地球という天体の存在すら危うい。
各国はこの異常事態に、国魔連の呼びかけにより連携。
人類滅亡に繋がるとして各種協定で禁止していた戦略級魔人能力及び各種兵器を解放。
地球を七つは破壊するとされる火力を投入するも、『おつきさま』は無傷。
この総攻撃の結果、『おつきさま』は単なる天体ではなく、無限の並行世界の存在力を束ねた、異界から召喚された物体――並行同一存在と耐久度を共有する、転校生としての性質を兼ねていると結論付けられた。
その約半日後、国魔連は、『おつきさま』を砕きうる魔人を発見、協力を取りつけたと発表。当該魔人による『おつきさま』消滅作戦を、7日後に行うと発表した。
「……ひどいブラフですね。あなたにそんな特技があるとは思いせんでした」
「鏡は人に見せたい姿を見せるもの。事実とは正反対の姿でも、人は、鏡面に、見たい光景を見出すものです」
餅子が山乃端 一人の元を飛び出してから数日。
鏡助は鏡面のあるところに自在に転移する能力で各国の有力者の元を飛び回り、『おつきさま』に関する表向きの調整を終えていた。
彼の根回しがなければ、『おつきさま』が山乃端 一人目掛けて落下していることが広まり、世界全てが山乃端 一人の命を狙う敵になっていたことだろう。
「それで、実際の交渉の結果は?」
「黙認の条件は、『おつきさま』が地球環境に不可逆の悪影響を与える7日後までに、山乃端 一人を殺害するか、並行世界等この世界線の地球に影響を及ぼさない場所に私が転移させること。『おつきさま』はこの世界の山乃端 一人を狙って落下していますから、彼女を地球から引き剥がせば、『おつきさま』が地球を破壊することもないですからね」
鏡助は転校生である。
だから、その性質として嘘をつくことはできない。
それが、国魔連との交渉にプラスに働いたのだろう。
当然に虚偽看破の能力者の立ち合いもあったろうが。
最大限の譲歩を引き出したと、餅子は思った。
おそらく鏡助はここで口にしないだけで、もっと多くの殺伐とした駆け引きを行ったのだろう。
そうでなければ、国際機関が山乃端 一人と世界を天秤にかけて、少女ひとりを速やかに処分しない理由がない。
ともあれ、状況は整理された。
タイムリミットは、7日間。
敵は、転校生『おつきさま』。
餅子の勝利条件――山乃端 一人の生存への道筋は2つ。
一つは、山乃端 一人が、望月 餅子を銀時計に封じること。
もう一つは、『おつきさま』を、望月 餅子が処理すること。
一日のうち、餅子がまともな思考ができる時間は少しずつ減っている。
『浸食する美姫』。
餅子が、《獄魔》としての力を振るう代償に背負った呪い。
いや、呪いというのは不正確かもしれない。
そもそもが、餅子が、人間を模した人格を持ったこと事態が《獄魔》という機構に対するバグである。ならば、『浸食する美姫』は、異物を排除するアンチウイルスプログラムに近いのかもしれない。
バグが排除された瞬間、《獄魔》という機構は、正しく山乃端 一人を殺すものとなる。
「しかし、どうしますか。残る20の『祈り手たる個』のどれも、地球に被害を出さずに、無限の耐久力を持つ『おつきさま』を破壊するのは難しそうですが」
鏡助の質問は、当然のものだ。
並行世界で、山乃端 一人を助けるために尽力する『祈り手たる個』。
彼らはそれぞれが一騎当千の魔人たちだ。
だが、『おつきさま』は、人が人として立ち向かうには、規格が違いすぎる。
言ってみれば、世界まるまる一つ分が敵に回るのに等しい。
「――あたしが、『おつきさま』を砕きます」
ただ、可能性はゼロではない。
餅子は、鏡助が世界中を飛び回って交渉を続けている間に考えていた策を打ち明けた。
望月 餅子にできること。
鏡助にできること。
残る20の『祈り手たる個』の世界との縁でできること。
それを組み合わせた、一手を。
鏡助はそれを、渋い顔で聞いていた。
当たり前の反応だ。
リスクが大きすぎる。そして、不確定な側面が多すぎる。
だが、鏡助が言及したのは、策の成功率ではなく、策が要求する犠牲についてだった。
「……相打ちが狙いですか」
「『おつきさま』を砕かねば、山乃端 一人は並行世界か、外宇宙かに放逐されて殺される。『おつきさま』を砕いても、望月 餅子が生き延びれば、『浸透する美姫』に自我を消された最後の《獄魔》が、山乃端 一人を殺す。だったら、最善は、「『おつきさま』を、望月 餅子が処理する」――共倒れになること」
こんな自分が犠牲になることにすら心を痛める鏡助の善性を、餅子はほほえましく感じた。
こんな彼だからこそ、様々な並行世界で死の運命に晒された山乃端 一人に義憤を覚え、立ち上がってくれたのだろう。
「……わかりました。では、私は、『おつきさま』へ、あなたを送り届けるところまで、十全に成し遂げてみせましょう」
「ありがとうございます」
「クリープさんの気持ちがわかりましたよ。死地に送る相手から無邪気に投げかけられる礼がこんなに重いとは、思いませんでした」
こうして、『おつきさま』に手を伸ばす手段は決まった。
だが、餅子も、鏡助も、言葉にしないだけで気付いている。
餅子という《獄魔》の叛逆に『おつきさま』という異物が投入されたように、世界の修正力は、いつだって後出しで理不尽だ。
餅子が月を砕く可能性が具体的になった時点――おそらくは、『おつきさま』への道が創り始められたタイミングで、さらに直接的な手段で、山乃端 一人を殺すための増援がくる可能性は高い。
「『おつきさま』への道を作るのには、どれくらいかかります?」
「そうですね。ある程度の広さ、月が多少動いても遮るもののない場所。そして、経由点である本物の月が鏡としての性質を十全に発揮する満月の夜が望ましいと考えると――」
これまでは、山乃端 一人を守るための戦いだった。
次は、『おつきさま』へ至る道と、山乃端 一人をそれぞれ守る二方面作戦となる。
援軍として呼び出せる『祈り手たる個』は、20。
「決戦は、3日後。場所は、立川の、昭和記念公園としましょう」
最後の戦いの日が、定まった。
3.『たったひとつの冴えたやりかた』
望月 餅子が、私、山乃端 一人の元からいなくなって、数日が過ぎた。
クリープは、私が『逢魔刻』でケアをしたとして、『浸透する美姫』が餅子の自我を塗りつぶすまで13日だと言った。
私の措置がない状況と経過日数を考えると、餅子がひとりでいるこの状況では、リミットまで、あと5日程度ということになる。
その中で、私は何ができるのか。
私は、何がしたいのか。
私はずっと、過去の山乃端 一人に関する資料を紐解きながら考え続けていた。
『山乃端 一人とは、個人であって、個人ではない。
個人につけられる名であると同時に、一世代にたったひとりしか存在しない、世界の人柱たる役職の呼称でもある。
この世界には、「強い認識が世界律を歪める」というルールがある。
魔人と呼ばれる存在は、個人の認識で世界の法則を捻じ曲げ、『魔人能力』という固有ルールを外界に強制することで異能を振るう。
ならば、集団が――あるいは、人類種全体が特定の認識を持っていたとしたら、それは、どういった形で世界を歪めるのだろうか。
その疑問に対する一つの回答が、《獄魔》であり、その収集者、山乃端 一人である。
『世界には何故、争いがつきないのだ?』
『人は皆、平和と友愛を望んでいるはずなのに』
『それはきっと、世界に闘争をもたらす《何か》がいるからだ』
『人は善きもの。賢きもの。だから、終わらない戦乱は、人でない「悪しきもの」が原因に決まっている』
そんな人類種が抱く幸せな幻想が結実し、物理法則を歪め、発生した怪物。
それが、人類の様々な闘争要因の具現たる、十二の《獄魔》デミゴッド。
『ならば、そんな怪物たちによって、世界は壊れてしまわないのだ?』
『人知れずそれを止めようとするものがいるに違いない』
『ならばどうしてそんな存在が世界で知られていないのか?』
『激しい戦いの中できっと命を失っているからだ』
『ああ、名前も知らないどこかの誰か。ありがとう。世界のためにひとりで死んでくれて』
そんな人類種が抱く身勝手な妄想が結実し、物理法則を歪め、誕生した人柱。
それが、山乃端 一人。
山乃端 一人は皆、《獄魔》を封じる器としての銀時計を継承する。
封じた《獄魔》は、自らの眷属として行使できる。
ほとんどの山乃端 一人は、十二の《獄魔》全てを封じきれず、収集の旅路の途中で、若くしてひとりで命を失う。
山乃端 一人が死ぬと、銀時計に封じられていた《獄魔》は解放され、世界を揺るがす大きな闘争の引き金となる。
遺された銀時計は回収され、次代の山乃端 一人へと継承される。
ぐるぐると、同じところで時計の針が廻り続けるように繰り返されるルール。』
『山乃端 一人は、世界に戦うことを望まれる。
山乃端 一人は、《獄魔》を封じることを望まれる。
だが、山乃端 一人は、《獄魔》収集の完遂を、望まれていない。
だって、それは、『世界を変えてしまう』ことだから。
現状の世界のルールを肯定する言い訳に生み出された山乃端 一人が、世界のルールを変えてしまっては、それこそ矛盾が生じてしまう。
故に、《獄魔》収集は一柱を封じるごとに難易度を増す。
《獄魔》の能力が、世界を変えたくない、という人類種の認識による強化(バックアップ)を受けるからだ。
最後の一柱に至っては、「無限の力と無限の生命力」を持つとさえ言われるほどに。
つまり、死の運命が決まった出来レース。
だが、過去、ただひとりだけ、その時計の針の回転から抜け出した女がいた。
全ての《獄魔》を封じ、世界から全ての争いを消し去る権利を得た、山乃端 一人。
彼女は、歴代の中でただひとり、天寿を全うし、子を遺して死んだという。』
山乃端 一人は、《獄魔》に殺されなかったことがある。
十二の《獄魔》は、一度、全て封じられたことがある。
しかし、この世界から闘争は消えておらず。
十二の《獄魔》は再び世界に解き放たれ。
後世の山乃端 一人の戦いの運命は、続いている。
それは、なぜか。
理由は単純。
十二の《獄魔》を封じた山乃端 一人が、《獄魔》を、世に解放したのだ。
自由を与える代わり、自分を二度と襲わないことを条件として。
賢明だったといえるだろう。
十二の《獄魔》を封じても、世界に闘争が溢れている状況は変わらない。
世界の人類の意識がより高次の何かに至らない限り、そんなことは起こらない。
つまり、《獄魔》と山乃端 一人の存在により現状追認を合理化した世界の意志は存在し続けている。
だからおそらく、十二の《獄魔》を封じても、事態は解決しないのだ。
それを理解して、「生き延びた山乃端 一人」は、《獄魔》と取引した。
世界が望む、《獄魔》と山乃端 一人の闘争というルールを維持したまま、その輪を外れる抜け道を見つけ出したのだ。
もし、《獄魔》と山乃端 一人の闘争というルール自体に叛逆しようとすればどうなるのか。
その答えが――おそらく、月に輝く「もうひとつの月」だ。
転校生『おつきさま』。
私を目掛けて落ちてくる、使命をボイコットしたやさしい《獄魔》の代行者。
『どうして、私を、自分の部屋に、連れ帰ったのですか』
『《獄魔》に殺されるか。全て封じるか。あなたには、それしかないのに』
あの夜の、餅子の言葉を思い出す。
私は、十二の《獄魔》を封じて、自分の安全を条件に《獄魔》を再解放するつもりだった。
しかし、十二番目の《獄魔》は、餅子だった。
自我を浸食する『浸食する美姫』で真の姿を取り戻したということは、望月 餅子の人格とは、《獄魔》という機構の表層に後付けで生まれた異物なのだろう。
そして、銀時計は、《獄魔》を封じる器。
おそらく、望月 餅子という人格は、封印とともに消去される。
そうでなければ、餅子が、ここまで自分の素性を黙っているはずがない。
形だけでも一度自分を封じろ、またすぐに会えるからと、説明すればいいだけだ。
二つ目の月が、『おつきさま』が私に語りかけてくる。
望月 餅子を諦めるか。
山乃端 一人を諦めるか。
ふたつに、ひとつだと。
ひとりで戦い、ひとりで勝ち、全てを出し抜き、踏みつけて、乗り越えてやる。
餅子が私の前から消えた日に、そう決めた。
餅子と再会するまで、そう覚悟したはずだった。
その覚悟のまま突き進むなら、あの夜、『群青日和』との戦いで力を使い果たし、気を失ったときに餅子を封じるべきだった。
半端な話だ。
その結果、私のわがままは、世界中の人々の命を危険に晒している。
いつか、ウスッペラ―ドとの会話を思い出す。
全く関係のない第三者が定めた「客観的な悪」ならともかく、私が大切にしたいものを含む、「色んな人に迷惑をかけること」――「山乃端 一人にとっての悪」だとしたら。
そのとき、山乃端 一人はどうするのか。
その決断を、迫られている。
『悪を厭わず、軽薄を躊躇わず、言葉を尽くし、万魔を恐れず、己の欲望の奥に浸透し、悪魔の言葉に耳を傾け、真の願いに辿り着け』
地獄の大公爵、ジョン・ドゥにかけられた発破を思い出す。
私の願い。私が望むもの。
あらゆる制約とこれまでの情報を踏まえ、目指すべき着地点。
可能性は低い。
これは私のわがままだ。
そのために、自分どころか、あらゆるものを危険に晒すことだ。
それがどうした。
「……それがどうした」
沸きあがった想いを口にする。
根拠のない虚勢。
それでも、少しだけ、四肢に熱が入った気がした。
「……それが、どうした」
空の月を見上げる。
「私は、山乃端 一人」
私を目指して落ちてくる、圧倒的なバッドエンドの象徴を。
「『最強』の、幼馴染の、幼馴染だ」
誰に聞かせるわけでもない呟き。
けれど、それに答える者がいた。
「いい啖呵だ」
見知らぬ声。
見知らぬ姿。
この世界線で、山乃端 一人が出会ったことのない男。
レザーのジャケット。髑髏をあしらったTシャツ。ダメージドジーンズにごついブーツ。
金髪のオールバックが月明かりに照らされている。
筋骨隆々の巨漢が、窓枠に足をかけていた。
「「私が死ねば全て丸く収まる」なんて諦めた顔じゃない。安心したよ」
「そこは怒るべきところじゃない? 小娘のわがままで世界を危険に晒すなって」
「世界を守るのは、大人たちの仕事だ。女の子が、友達と生きたいって気持ちすら諦めないと成り立たない世界なんざ、■■■■だろうさ」
男は、にっこりと笑うと、私に、一封の便箋を手渡した。
そこには、2日後の日付と、中心に×印が描かれた昭和記念公園の地図、そして、
『今度こそ、迷わないで』
という、見慣れた筆跡のメッセージがあった。
これは、餅子の提案だ。
機会を用意するから、今度こそ、餅子を捨てて自分の生存を選べという最後通牒だ。
転校生『おつきさま』への対策で、私に刺客の類が送られてこないのは、きっと、餅子が手を回したからだろう。山乃端 一人に、自分を封じさせれば、『おつきさま』は消えるはず。そう、公の機関に認めさせたのだ。
そんな社会性があのぽんこつ幼馴染にあったのは意外だが。
いや、もしかして、この金髪の男のように――そして、思い返してみれば、これまで唐突に私を手助けしてくれた5人の異邦人のように、餅子には、すごい人脈があるのかもしれない。
「メッセンジャーの役割は果たした。ここからは、俺が好きにやる。お嬢ちゃんは、どうする」
「……力を貸して。あなたの知っていることを全部教えて。友達を――助けたい」
「命を賭けてでも?」
金髪の男が、真っすぐに私を見据える。
私の心を見透かすように。見定めようとするように。
だからか、私の中から、すんなりと思うままの言葉が漏れた。
「ううん。餅子と、私。私はぎりぎりまで、どっちも諦めない」
わがままで、中途半端な答え。
けれど、私の心からの気持ち。
金髪の男は、それを聞いて、並びのいい白い歯を見せて、にかっと笑った。
「遠藤 ハピィ。
ハッピーさんと呼んでくれ。
――今から俺は、お嬢ちゃんの、ハッピーエンドの水先案内人だ」
4.『地獄とは神の不在なり』
国営昭和記念公園。
東京都立川市と昭島市にまたがる、国営公園である。
かつての立川基地跡に作られ、年来訪者400万人を越える、都内としては有数の巨大な公園だ。
その、ほぼ中心にあたる、桜の園。
広々とした芝生に隣接し、ソメイヨシノを中心とした桜で、もう半月もすれば、花見客でいっぱいになるだろう。
その場所に、今は、少女とスーツ姿の男だけが立っていた。
園内には、無関係の第三者が誰も侵入しないよう、鏡助が根回しをしている。
「それでは、始めます」
真の月が満月となり、『おつきさま』に至る道の最後のピースとなるまで、数時間。
それに合わせて、鏡助は、地上と月とを結ぶ、鏡の回廊を創造する。
ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ。
地面から鏡面が虚空に現れ、螺旋を描き、鏡の筒が、光の塔となって夜空に伸びていく。
それは転校生『おつきさま』を打倒するための、可能性。
たとえそれがどれほどか細い糸であったとしても、世界の修正力は容赦なく後出しの一手を繰り出してくる。
望月 餅子は見た。
昭和記念公園の周囲。
鏡助が張った鏡面結界の外、概念としての「綻び」たる、各公園入口から押し寄せてくる、軍勢を。
「意趣返しというわけですか。――あれは、並行世界で山乃端 一人に牙を剥く転校生たちの鏡像です。数は――28!」
それは、たとえば、理不尽な謎の具象であった。
それは、たとえば、愛玩によって使役される小動物の群れであった。
それは、たとえば、無限の可能性を取り込んで増殖する肉塊であった。
それは、たとえば、ただ人の形をしながら理不尽を体現するものたちであった。
それらは、並行世界において、転校生として、山乃端 一人を襲うものたちの影。
転校生『おつきさま』の随伴歩兵として、世界の修正力に呼び出されたもの。
転校生ではない。無限の攻撃力も、無限の防御力も持ち合わせていない。
それぞれの能力も、本来のものと比べれば、幾分減じてはいるだろう。
それでも、ひとつで世界の敵に相応しいものたちが、都合、28。
「残存『祈り手たる個』18。全てに助力を要請します」
「ハッピーさんは?」
「こちらに接近中。おそらくは、山乃端 一人と一緒かと」
かくて、人々の安息と平穏の象徴たる場所で、決戦がはじまる。
山乃端 一人が、望月 餅子を封じるか。
鏡助と『祈り手たる個』が、『おつきさま』へに届くまで道を守り切るか。
転校生たちの鏡像が、『おつきさま』への道を破壊するか。
転校生たちの鏡像が、山乃端 一人を殺すか。
ここからは、山乃端 一人を巡る全てが入り乱れた、神なき混沌の地獄である。
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たとえば、探偵と謎と嘘とが渦巻く戦場があった。 |
4-1 瑞浪星羅+端間 一画vs『謎掛』+未来探偵紅蠍+赤蔵ヶ池 偽+天意マン
昭和記念公園北側、通称、砂川口。
そこから押し寄せてくるのは、物理的な脅威ではなかった。
たとえば、謎。
たとえば、嘘。
たとえば、毒。
それらによって次々と人が死に命が消え、そして誰もいなくなる。
それは悪質なミステリーのカリカチュア。
その中にあって、探偵、 端間 一画は、その探偵権限――魔人能力『一画方』を封じられていた。
ひとり、またひとりと、黒の箱に頭部を覆われた「なにか」が死んでいく。
刺殺。絞殺。轢殺。毒殺。
密室トリック。見立て殺人。時刻表トリック。
次々と殺されていく。
そのたびに、『謎』が、『嘘』が、『毒』が、その果ての『死』が近づいていく。
これが、ミステリー文脈の強制による概念的な攻撃ならば。
それに対抗するのに19名の『祈り手たる個』の中で、端間 一画をおいて他にいるまい。
――そこに、あらゆる探偵の天敵、未来探偵紅蠍が、いない限りにおいては。
探偵権限が剥奪される直前に、一画は、襲撃者たる転校生の影の一体、「紅蠍」を計測した。
それは、世界を「ミステリー」に、己をその「主人公」に据える異能。
探偵はその謎を解決するために、最後まで生き延びる。
探偵以外は平等にミステリーの犯行の犠牲者たりうる。
探偵は一つの物語にふたりはいらない。
いたとしても、片方は、真の探偵の引き立て役にすぎない。
その強制力により、端間 一画は、その権限を剥奪された。
だから、ここにいるのは、力を失った、賢しいだけの女と、
「――私は、どうして」
「なんで、自分がここにいるのか。「転校生」として山乃端 一人を殺す側でなく、「魔人」として、山乃端 一人を守る側に立っているのか。それを、自分でも理解できていないというところでしょうかね」
一画は、星羅に語りかけた。
周囲では、黒い箱の頭の箱人間が次々と連続殺人の犠牲となり、そのたびに、謎と嘘の靄が毒となって、喉元を圧迫して意識をやすりがけするように削っていく。
「……あなたに、何が」
「わかりませんよ。私はただの観測者。あなたと世界が交わったのもほんの偶然の第三者。けれど、あなたの力が、何のためにあるのかくらいは、理解できる」
星羅の能力は、『ノックスの十戒』。
魔人能力を否定する魔人能力。
それによって己を傷つけることで、瑞浪星羅は概念の衝突を引き起こして転校生となった。少なくとも、彼女自身はそう認識している。
しかし、ここに、鏡助という転校生によって「魔人」として、山乃端 一人を守る側――『祈り手たる個』として呼び出されたということは、彼女は転校生ではない。
そして何より――山乃端 一人を救いたいと、願っている存在だ。
だが、自分は魔人を憎むべきだという妄執めいた想いが彼女を縛っている。
魔人能力を否定する能力が発動していることが、その想いを固着化している。
「推理するまでもありません。瑞浪 星羅さん。あなたの能力は『ノックスの十戒』でしょう」
端間 一画は、瑞浪 星羅の傷を、解体する。
まったく意味のないようにみえるその行為こそ、この戦場において、端間 一画が、転校生の影たちに対してなしうる、唯一の攻撃手段だった。
「――ノックスの、十戒」
「そうです。1928年、イギリスの推理小説家、ロナルド・ノックスが、推理小説アンソロジー「THE BEST DETECTIVE STORIES OF THE YEAR 1928」の序文において発表した推理小説を書く際のルール。ノックス自身が作家でありながら聖職者でもあったため、モーセの十戒になぞらえて「探偵小説十戒」、あるいは、ノックスの十戒と呼ばれるもの」
星羅はぼんやりと、一画を見上げた。
このミステリー空間の中において、その概念は、未来探偵紅蠍にしか許されないにも関わらず、朗々と語るその女の姿は、星羅にとって慣れ親しんだ『探偵』そのものだった。
そしてそれは、未来探偵紅蠍の異能『蠍座の名探偵』に抵触するルール違反。
ごほっ、と。耳障りな咳とともに、端間 一画は血を吐いた。
それでも、彼女は言葉を止めない。
「ノックスの十戒。それは、不条理を廃し、理解のできる因果を保障するもの。ミステリーの基礎、世界に対する信頼を担保する、公平な取り決め」
探偵権限が剥奪され、異能が奪われても、目の前の『謎』の箱がどれほど固くとも。
「名前には意味がある。あなたが『ノックスの十戒』と命名したならば、その異能の本質は、ロナルド・ノックスの序章と同一であるはずだ」
想像力と、言葉によって、人は誰もが、謎に挑める。秘密を暴ける。嘘を看破できる。
そう、証明する。
「瑞浪星羅。あなたの能力の本質は「魔人能力の否定」ではない。「理不尽の否定」だ。『謎』も。『嘘』も。『並行世界』も。『探偵』も。それが「理不尽」であるならば、あなたの刃はその全てを悉く否定する」
それは、解体であると同時に、再定義。
魔人が魔人能力封じの力で自刃したが故に概念の衝突が生じて転校生となったというロジックを、「そもそも魔人能力封じの能力ではなかった」という再定義で端間 一画は覆す。
「君が憎んでいるのは、魔人じゃない。理不尽だ。だから、魔人であるということをもって、山乃端 一人を憎む必要はない。魔人を憎まずとも、奪われたものへの裏切りではない。君が本当に抗いたいのは、抵抗しようもなく全てを奪いさる理不尽だ」
端間 一画の腕が、脚が、黒い靄に覆われる。
第二の探偵の存在を否定すべく、『謎』が『嘘』が、浸食していく。
黒の『箱』が、その肉体の末端から「なかったこと」にしていく。
この謎を解けるのは、未来探偵紅蠍のみ。
そしてその探偵は、物語の最後、全てが死に去ったときにしか、謎を解き明かさない。
「だから――星羅さん。あなたは、正義の味方になっていいんだ。過ちを犯しても、償うべきことがあっても、それが、目の前の誰かを助けてはいけない理由にはならないのです――」
言い終える前に、黒の箱がすっぽりと、棺のように、端間 一画を覆い隠した。
「ぁ」
瑞浪 星羅は、それをぼんやりと見た。
それは、理不尽な『謎』による蹂躙だ。
星羅の家族を奪い去ったものだ。
もし、星羅の家族を奪ったのが、魔人ではないものだったとして、星羅の在り方は変わっていたか?
――否。
ノックスの十戒。
なぜ、その名前を選んだのか。
手にした鎌を、気が付けばそう呼んでいた。
瑞浪 星羅は立ち上がる。
手にした鎌――魔人能力『ノックスの十戒』を構え、『謎』と『嘘』と『毒』、そして、それを統べる絶望のミステリーの支配者たる『探偵』に、対抗する。
「――戒の一。犯人は、物語の当初に登場していなければならない。ただしまた、その心の動きが読者に読みとれている人物であってはならない」
物語中盤の唐突な襲撃者という事実でもって、ミステリーというジャンルを否定する。
「――戒の二。探偵方法に、超自然能力を用いてはならない」
未来探偵紅蠍の『蠍座の名探偵』による因果制御を否定する。
「――戒の三。犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない」
『嘘』によって神出鬼没に犯行を繰り返していた、第三の転校生の影の機動を否定する。
「――戒の四。未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない」
箱人間を次々と殺し、端間 一画を蝕んでいた謎の毒を否定する。
「――戒の五。主要人物として「中国人(異能者、異界常識を前提とした存在)」を登場させてはならない。」
「――戒の六。探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない」
「――戒の七。変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない」
「――戒の八。探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない」
「――戒の九。相棒は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。また、その知能は、一般読者よりもごくわずかに低くなければならない」
「――戒の十。双子・ひとり二役は、予め読者に知らされなければならない」
否定する。
否定する。
否定する。
その理不尽を、否定する。
黒の『箱』を。そして、その中に秘されていた白の『箱』を、十戒の鎌が穿つ。
「――ありがとうございます」
「こちらこそ」
黒の『箱』、棺から解放された端間 一画は、鎌によって切り裂かれた黒の靄の間から姿を現した、『探偵』に相対した。
『ノックスの十戒』によって、複数の襲撃者の異能によるルール改変は消え去った。
『謎/秘密』は穿たれ、『嘘』は糾され、『毒』は霧散した。
残るは、『探偵』のみ。
「ふむ、単なる手違いではないな。明確な意図をもって私を『ハメた』存在がいる。さて、どうしたものか」
「考える余地などないでしょう。『探偵』がふたり、ひとつの場に揃ったのです。ならば――」
「――ああ。『探偵闘争』を、始めよう」
――この戦場の主導権を奪い合う闘争が、始まる。
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たとえば、世界を物語として認識する俯瞰者同士の戦場があった。 |
4-2 キーラ・カラス、徳田愛莉vs三国屋 碧沙
昭和記念公園、記念館口。
この公園の名の所以である、昭和天皇記念館の前で、3人の少女が、その人数に不似合いな、苛烈な戦火を展開していた。
柳生レーザーが飛び、鬼火が輝き、平面と化した怪物が跋扈する。
虚空からトラバサミが創造され、歌声に合わせてピエロが踊る。
転校生の影が操るそれらの能力は全て『祈り手たる個』のものだった。
その能力の起点となるのは、魔女めいた黒いとんがり帽子とマントの転校生の影が操る22冊のノート。かの転校生は、どういう理屈かノートを媒介として、『祈り手たる個』の魔人能力をコピーして使用できるらしい。
記念館口の守り手、 徳田 愛莉は、あまり効果を示さなかった対魔人用激辛カプサイシングレネードを投げ捨てると、特製フラッシュグレネードを投げて物陰に身を隠した。
「おい! キーラとかいったか、もうあれ、燃やせないのかよう!」
「どうやら彼女の鎌、あれは、魔人能力を封じるものらしいわね。半分くらい封じたんだから、あとは御自慢の発明でなんとかしてくれない?」
「くっそ! 魔人殺しか! 厄介な能力をコピーしやがってよー!」
もうひとりの記念館口の守り手、 キーラ・カラスの魔人能力は、『サリュート-451』。それが「本」と呼べるものならば、念じただけで燃やし、そこから発生する煙をも炎に変換できる異能である。
愛莉の特製スキャン装置、『すけすけみえるんDEATH』により、転校生の影が周囲に浮かべているのが、黒歴史ノート兼、無数の魔人能力のコピーをページの形で格納してあるものだと看破し、キーラは即死級・広域破壊級の能力が格納された黒歴史ノートから焼却していった。
しかし、およそ全体の半分ほどを燃やしたところで、転校生の影は突如、無骨な大鎌を取り出してキーラと愛莉に斬りつけたのだ。
傷口は浅かったが、それ以降、キーラと愛莉の能力は封じられ、状況は膠着状態となったのである。愛莉がもしも魔人能力に頼るバトルスタイルであったとしたら、そこで敗北は確定していただろう。
転校生の影からは、一撃必殺の能力は失われている。
しかし、魔人能力封じの鎌の前に、キーラは無力化され、残るは天才マッドサイエンティストにしてアイディア武器作りのエキスパート、愛莉のびっくりどっきり発明メカのみ。
この追い込まれた状況にあって……
キーラ・カラスの関心は、自らの置かれた状況――否、それを描く、この文章そのものの、wiki構文へと向いていた。
これは、魔人能力ではない。
ただ、当然の機能として、キーラ・カラスは、『ダンゲロス・エーデルワイス』というSSキャンペーンのwikiを、認識している。
登場人物でありながら、自らを描く、その媒体を観測することができるのだ。
「ううん、それだけじゃない。「折りたたみを解除しないと中が読めない」……つまり、「読者が自分の意志で、読むか読まないかの最終決定をできる」。要するに、「この格納された文章は物語の本筋には関係しない、読まない選択肢もある文章だ」というメタ的なメッセージを織り込んでいる。臆病な人。30000字近くを書いておきながら、それを「読まない選択肢を用意する」なんて。……それとも、物語の半分を気付かれないまま埋めても構わないと割り切った『 悪路■Bad』の影響かしら」
魔人能力を封じられたキーラ・カラスは、この戦場に貢献することはできない。
ならば、せめて今この物語を分析し、意図に思いをはせることが、キーラ・カラスの戦いだった。
「いずれにしても、わたしたちの戦いは、クライマックスへの伏線も何もない「ただの過程」と断じられたってわけね」
「ぶつぶつうっさい! 少しは手伝えよー!」
ポップなカラーのゴムゴムスタンガンで転校生の影に応戦する愛莉が怒鳴る。
「徳田 愛莉さん。あなたもこちら側にこない? 「世界と切り離された時間軸」を作り出すあなたの魔人能力なら、この世界を物語として俯瞰することも可能なはずだけと」
キーラの返事に、愛莉はつまらなさそうに鼻息をならした。
「お断りだ。だいたいなー! あたしは、上から見下ろしたいんじゃない! あたしの最高の発明で、みんなをぐいぐい引っ張りたいだけだ!!」
「俯瞰ではなく、同じ視線でみんなを引っ張る。……うん、いいと思う」
そう言うと、キーラは、小さく、虚空にライターで火をつけた。
魔人能力封じの鎌の傷によって、念じただけで本を燃やすことはできない。
だが、「本を燃やす」という能力だけは、火種さえあれば、行使できる。
ならば、どうするか?
転校生の影に近づいて、ライターで黒歴史ノートを燃やす?
無理だ。愛莉の支援があっても、そんなことができる身体能力はキーラにはない。
だから――キーラは燃やす。
『本』を燃やす。
では、『本』とは何か?
情報伝達のために、文字や絵を用いて記録したものである。
活版印刷が普及し、その多くが、紙によって成立したが、「紙であることが本の必要条件」ではない。
たとえば、木簡。たとえば、石碑。たとえば、布。文字や絵を用いて記録したものは全て、広義の『本』である。
ならば。
当然に、電子媒体に、文字や絵を用いて記録したものも『本』である。
そして。
魔人能力ではなく、ただ、当然の機能として、キーラ・カラスは、『ダンゲロス・エーデルワイス』というSSキャンペーンのwikiを、認識している。
電子媒体に、文字を用いて記録したものとして、この物語を観測している。
――ならばそれは、当然に『本』である。
世界に、炎が満ちる。
この物語に、火が放たれる。
これは、抗うことのできない、高次元からの焚書。
この物語の中にある以上、生きながらえることのできない絶対。
「しかし――”折りたたみ”ね」
正確無比に、転校生の影の存在する文章のみを焼却し、キーラはライターの火を消した。
「――よりにもよって。わたしの口で、追悼を語らせるとか。趣味の悪い話」
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たとえば、愛玩と共存、二つの傲慢が相克する戦場があった。 |
4-3 アヴァ・シャルラッハロート(きんとと)、空渡丈太郎vs狐乃琴、牛若りん、エーデルワイス
昭和記念公園、玉川上水口。
そこから、無数の生命が、押し寄せていた。
それはたとえば猫。たとえば犬。たとえばハムスター。たとえばウサギ。
たとえばトカゲ。たとえばインコ。たとえばグッピー。たとえば亀。
世の中で愛玩動物として飼育されていることの多い小動物たちが、歴戦の魔人の攻撃にも耐える勢いで、雪崩を打って進軍してくる。
「いたしい――いや、いなげな相手じゃのう!」
魔人能力『 崖っぷちの漢気』により、強化した鎖分銅で周囲を薙ぎ払いながら、 空渡 丈太郎はその手ごたえに違和感を覚えていた。
たしかに命中したはずの攻撃が、まるで、ずらされたように致命傷にならない。
あたってはいても、掠めた程度のダメージしか通らない。
愛玩動物とは思えないその突進力から、魔人能力による強化がされているのはわかるが、それだけでは説明のつかない現象だった。
それに加えて、謎の攻撃。
動物たちの攻撃が届く距離ではないのに、時折不可視の斬撃が、丈太郎を襲うのだ。
丈太郎と比べれば小動物の能力は低く、斬撃も浅いが、それでも数が数だ。
このままでは押し切られ、戦線は突破されるだろう。
この世界の山乃端 一人は、丈太郎の守るべき相手とは別人だ。
だが、助けを乞われたならば、応えなければ漢にあらず。
全力を振るわない理由はない。
「……気に喰わぬな」
と、耳元で、わずかに苛立たし気な声が響いた。
丈太郎の肩に乗っている、小さき貴人。
以前に共闘し、今回も同じ場所を守ることとなった、異なる山乃端 一人の守り手、 アヴァ・シャルラッハロート、通称「きんとと」だ。
「どしたん。何か気付いたんか?」
「押し寄せてくる動物たちのありようじゃ。愛玩され、弱いことを当然として、尊厳を投げ捨て、さらに弱いものを叩く。あれでは、ドブネズミのような美しさもない」
「ヘヘッ」「テレルチュー」「リンダリンダ!」「ドブー!」「ネズネズ」
丈太郎の足元で、小さな人影が、アヴァの声に呼応した。
いずれも掌に乗るサイズの、二足歩行をする人型の生物である。
今湧きたっているのは、褐色の肌に灰色の毛皮で出来たコートを羽織る男女たち。
臀部からは細いしっぽがちょろりと出ている。
それだけではない。
褐色の肌に四本の腕を持つ、アラビアの踊り子めいた衣装を纏った女性。
スズメを模した野球帽を被る少女が。
ヤモリめいた顔の老人が。
カブトムシの角や、クワガタの鋏が付いた頭を持つ二人の少年が。
様々な形態を持つ小人たちが、ざっと百体は居るだろうか。
丈太郎とアヴァの周りには、さらに多くの、小さな人型生物による軍隊が陣を引いている。
アヴァの異能『シュテルクスト・カメラート』。
自らが同朋と認め、率いる小動物に人格と知性、力、人めいた姿を付与するという、きんとと本人曰く「傲慢な」能力だ。
それによって編成されたのがアヴァの誇る親衛隊、『第二伏魔殿』の猛者たちである。
元は小動物であったが、アヴァと互いを認め合う事で人間の力を得たエリート兵士だ。
気に食わないわけだと、丈太郎は合点がいった。
敵の異能と、アヴァの異能は、引き起こす現象こそよく似たものだ。
小動物に力を与え、魔人とも戦えるほどの戦力に変えるもの。
だが、その根幹が、全く対極なのだ。
襲撃者は、愛玩するものとして小動物を使役しているという。
その視点は、俯瞰だ。
対して、アヴァは、同朋として小動物たちと共に戦おうとしている。
その視点は、小動物たちと同じ高さにある。
「丈子よ。少しばかり声を張り上げる。耳を塞ぐのじゃ」
「かもうなや。出入りの名乗りに耳塞いで何が漢じゃ」
「かんらかからから! よかろう。ならば、心して聞くがよい!」
アヴァは押し寄せる小動物たちを睨みつけると、その身からは信じられないほどの大音声を張り上げた。
「我が名はアヴァ・シャルラッハロート! 自然と契約と因業の信奉者なり! 我らは誇り高きもの! 我らは望むままに生きるもの! そして!! 貴様らと同じ身の丈にて生きるものである!! 汝らに問う! その在り方で満ち足りるや! 愛玩され! 見下され! はかなきものという鎖をこそ武器として満ち足りるや!!!」
その宣言に応えるように、『第二伏魔殿』の猛者たちが、それぞれに手にした武器を地面に打ち付けて吠えた。
「「「「「「否! 否! 否!!」」」」」
押し寄せる小動物たちには、『第二伏魔殿』とは違い、言語を解する知性は付与されていない。
しかし、その鋭敏な嗅覚が、直感が、相対する『第二伏魔殿』の兵たちが、自分たちと同種であったものだと、告げていた。
その、「同種であったものたち」の様子は、襲撃する側と、全く異なっていた。
襲撃者たちは、恐怖と愛玩によって駆り立てられていた。
飼い主の期待に応えれば餌を与えられ、裏切れば殺される。
しかし、『第二伏魔殿』はどうだ。
全員が、自らの意志で、対等の存在として、アヴァと名乗る男に率いられている。
「汝らが我らの同朋たるならば、『第二伏魔殿』は貴様らを受け入れよう! しかし! 手向かうならば容赦はしない! 数に頼んで勝てると思うな!」
『第二伏魔殿』は、腰ひもで全員を繋げていた。
アヴァの異能『シュテルクスト・カメラート』には、知能と人格、人の姿の付与の他に、もうひとつの側面がある。
すなわち、「アヴァと同胞が直接的・間接的に接触している間、触れている同胞の数×2倍の割合で身体能力が向上する。」。
今、この戦場において、この小さきものたちこそが、あらゆる個よりなお強い。
「『第二伏魔殿』! 前へ!!! これは、我らの『傲慢』を押し通す戦いである!」
かくて、二つの勢力、小動物同士の戦争が始まった。
少数の『第二伏魔殿』が、多数の襲撃者を圧し割っていく。
さらには、襲撃者の中には、『シュテルクスト・カメラ―ト』を受け入れ、アヴァと共に戦うものも現れる。
戦場の趨勢は逆転した。
「見下ろすもの。そして、対等の視線で率いるもの……」
そこまで考えて、丈太郎は、何かに気づいたように夜空を見上げた。
そこには、白いバイクにまたがる三人の男女。
これが、謎の斬撃の主、あるいは、攻撃が小動物に直撃しない原因だと、直感的に丈太郎は理解する。
邪の性質を予想して注連縄を振るうが、上空のバイクには、まるで届かない。
実際の距離と、見えている距離に食い違いが生じているような感覚。
因果を歪められている。概念干渉系の強力な異能か。
「たいぎいのう」
言葉とは裏腹に、丈太郎は獰猛に笑う。
因果とはよく糸に例えられる。
運命の糸。クロトが紡ぎ、アトロポスが断つ。
丈太郎の『崖っぷちの漢気』は、「細長い縄のようなもの」を手繰り寄せ、強化し、操る能力である。
ならば。
「あんな漢――将っぷりを見せつけられちゃあ! こっちも、漢気見せねばすたるっちゅぅうもんじゃけんのう!!」
この能力、因果の糸であろうとも、手繰り寄せられないはずがない。
かくて、漢気の綱が、運命の糸が、睥睨する愛玩者たちを、因果の歪曲者たちを、同じ地平、同じ視線へと、引きずり下ろした。
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たとえば、無限と永遠が流転する、最も凄惨な戦場があった。 |
4-4 逢合 死星vsエウロペア・オルタナティブ
逢合 死星。
聖職たるシスターの響きを背負いながら、視覚には、星の死を意味する女。
信仰の果てに逝きて戻りしその命は、此処に鏡像として顕現し――
その瞬間に、凍てつく炎によって絶命した。
昭和記念公園、南端。
西立川駐車場。
死星を絶命させたのは、いつかどこかの物語で歌われた救国の聖剣の影法師。
本来ならば担い手の熱情の炎を帯びるそれは、反転し、穢れ、逆の性質を有する。
すなわち、斬った相手の慟哭により凍気を放つ刃へと堕した。
その銘をこの国の言葉で訳すならば、『霊剣・悲鳴号哭』。
鳴いて、号いて、哭いて、悲しむ。
ならば、その担い手もまた、それに相応しく、本来の護国の王女から転落した女でなければならない。
突如眼前に現れた無辜の聖職者をためらいなく一閃し、その転校生の影は、歩を進めようとした。
あらゆるものの熱を奪い氷像と化す剣と、目的を果たすまでという条件つきの「不死」。
厳密には「絶命したときに発動する自動蘇生」。
攻防全てにおいて隙のない霊剣使いを阻むものなど、真の転校生を除いては存在しない。
『赦サレム巡礼』
――その、はずだった。
だが、堕ちた霊剣の担い手よ知るがよい。
今斬り捨てた無力な聖職者こそ、この戦いにおける「不死」への切り札。
逢合 死星の凍てついた身体が、何事もなかったかのように銀の剣を振り上げた。
同時に、霊剣の担い手の肉体が凍結する。
氷像と化した霊剣使いは己の刃によって絶命する。
だが、それが何だというのだろうか。
霊剣使いの異能『この身朽ちるまで/before my body is dry』は、絶命時に自動蘇生を何度でも繰り返す。
目的を果たすまで、その身は不滅。一度攻撃を反転されたことで何の意味もない。
『この身朽ち――『赦サレム巡礼』』
しかし、自身の「不死」が発動する前に、霊剣使いの肉体は、強制的に蘇生させられた。
気付けば、眼前の聖職者の女が、再び氷像と化して笑っている。
それは法悦。信仰に殉ずる無垢。あるいは狂気。もしくは狂喜。
霊剣使いにはその意味が理解できない。
目の前の女の能力は、不発に終わったのか。
『赦サレム巡礼』
霊剣の担い手の肉体が凍結する。
氷像と化した霊剣使いは己の刃によって絶命する。
だから、それが何だというのだろうか。
霊剣使いの異能『この身朽ちるまで/before my body is dry』は、絶命時に自動蘇生を何度でも繰り返す。
目的を果たすまで、その身は不滅。二度攻撃を反転されたことで何の意味もない。
『この身朽ち――『赦サレム巡礼』』
しかし、自身の「不死」が発動する前に、霊剣使いの肉体は、再び強制的に蘇生させられた。
気付けば、眼前の聖職者の女が、再び氷像と化して抱擁めいて手を広げて笑っている。
それは法悦。信仰に殉ずる無垢。あるいは狂気。もしくは狂喜。
あるいは、母性。否、全てを飲み込み繋ぎとめて離さない太母の呪詛。
霊剣使いにはその意味が理解できない。
目の前の女の能力は、二度も不発に終わったのか。
『赦サレム巡礼』
いや、違う。
三度目の繰り返しで霊剣使いは理解する。
これは、繰り返しだが、時間が循環しているのではない。
自分と相手だけが、最初に発生した殺害過程を、互いに受け渡し合っている。
時間は過ぎている。それが証拠に、周囲の戦況は刻々と変わり続けている。
これが死星の魔人能力『赦サレム巡礼』。
彼女が殺害したとき、絶命という結果を取り消し、代わりに彼女に返す。
彼女が殺害されたとき、絶命という結果を取り消し、代わりに加害者に返す――。
霊剣使いの『この身朽ちるまで/before my body is dry』は、絶命した時に蘇生する形の「不死」である。つまり「一度は確実に絶命する」。
これが、攻撃を無効化する形の「不死」であれば、死星による久遠の足止めを阻止することができただろう。
しかし、そうではなかった。
かくて、『この身朽ちるまで』霊剣使いと、逢合 死星は死の交合を繰り返す。
この世界との繫がりが断たれるに至るまで、このふたりは、共に/互いに哭き続ける――。
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たとえば、人を越えた愉悦と人を越えた苦悩とがぶつかりあう戦場があった。 |
4-5 鍵掛 錠、月光・S・ピエロvsヤマノハ鏡介/転校生・強敵NPC集合体、The One "Nameless Reborn"、裸繰埜鵺岬晒&裸繰埜矢岬弓
昭和記念公園西端。
昭島口。
それは、増殖する肉塊であった。
それは、進化する生命であった。
それは、人の形から生まれながら、もはやそれ以上の種へと堕した新たな進化体系であった。
複数世界の『山乃端 一人』に縁のある存在を全て体内に取り込んだ能力者がいた。
無限の他者を複製し因子として身に取り込む能力者がいた。
自他の彼我境界を曖昧にし、受容する能力者がいた。
自他の彼我境界を明確にし、拒絶する能力者がいた。
それらがそれらの能力を発揮した結果、そこに、人の輪郭を留めない『災悪』が生まれた。
「こいつを二人で止めろって、俺ら、一番貧乏くじ引かされてねーか?」
『災悪』を観察しながら、 鍵掛 錠はひとり、呟いた。
双眼鏡の視界が、服の端々を焦がしながら戻ってくるサングラスの男を捉える。
凄腕の殺し屋であり、「月ピは殺害方法をランダムに決める」「決まった殺害方法は絶対に覆さない」というルールを絶対に遵守する変人でもある。
錠はかつて、この殺し屋と、「龍殺し」を成し遂げたことがあった。
さらに言えば、月ピは、錠の副業であるYoutuber『棺極ロック』としてのチャンネルにメンバー登録(VIPプラン 月額990円)をしているリスナーでもある。
「どうだった? 殺し方は決まったのか?」
ほうほうの体で戻ってきた月ピに、錠は声をかける。
この男のスタイルに付き合うのは、共闘の前提だ。
どのような支援をすべきかは、彼の決めた「殺し方」を聞かねば定まらない。
しかし、月ピは、首を横に振った。
「スマホも、カードも、とにかく用意していたランダム決定の道具は全て焼かれた」
遠方からだったが、錠もその様子は見ていた。
あの肉塊の周囲には、ぐるぐると4枚の鏡が旋回している。
その鏡は、ビームを放つは重力を乱すは炎を噴き出すはと、問答無用の危険物だった。
「じゃあ、ここで決めるか? 別に標的の目の前で決めなくてもいいんだろ? 絶黒龍の時もそうだったじゃないか」
「あれは、元より対話不能の相手だからだ。『災悪』はそうではない」
「……なら、どうするんだよ。不参戦ってのは少しキツいんだが」
冗談混じりの錠の言葉に、月ピは、真っすぐにサングラス越しの視線を返した。
普段から表情の起伏の読みにくい月ピにあって、どこか、悲しげな気配を錠は感じた。
「いや。アレの死因は決まった。――『道化死』だ」
「……はあ? 道化……って、能力のピエロか? それだけで、あの殖える肉塊ちゃんをどうやって殺しきるんだよ」
かつて「龍殺し」に一役買った、錠最強の攻撃手段『神の杖』ですら、アレを殺し切れるとは思えない。あまりにも再生力が強く、そして巨大な『災悪』を殺すには、もっと広域を同時に殲滅しきる破壊力が必要だ。
月ピの魔人能力『月に唄えばピエロは踊る(月光with.P)』は、月ピがフランス民謡「月光」を歌っている間、ピエロをひとり生み出して自在に行動させる異能。
少なくとも、面制圧に優れた能力とは言い難い。
「――いや。ここでなら――私が鏡像で、ここが私の世界でないのなら――できる」
けれど、月ピは、当然のように、「可能だ」と言いきった。
月ピの性質は、共闘の中で知っている。この状況で、殺しに関して嘘をつく男ではない。
「……わかった。そのために、俺は何をすればいい?」
「3分稼いでくれ。そして――」
月ピが続けた言葉は、錠の想像もしないものだった。
「――この戦いの記憶を本体が引き継ぐのだとしても。私を――リスナーネーム『鋼鉄パジェロ』を、Youtuber『棺極ロック』のVIPメンバーのままで、いさせてほしい」
妙な話だった。
そんなことを気にするならば、自分が殺し屋であることを明かしたときに言うべきだろう。
「当然だろ」
今更、何を見ようと、古参メンバー『鋼鉄パジェロ』を、『監獄ロック』がブロックするはずがない。
「感謝する」
そう言って、月ピは、精神を集中するように地面に座り込んだ。
集中状態の彼を3分守ること。
理由は不明だが、それが自分のミッションだと、錠は理解した。
それだけならば、錠の得意分野だ。
錠の魔人能力は『TrapTripTrick』。
多種多様な罠を創造する異能。
制約は「同時に創造できるのは3つまで」「対象の戦力に対して明らかに過剰なワナを仕掛けることができない」というもの。
逆に言えば、その制約の範囲内であれば、鍵掛 錠の異能は、あらゆる罠を創造する。
それはたとえば、都市伝説上の存在。
人工衛星から大質量の金属棒を地上へと射出する単純質量兵器『神の杖』。
そしてたとえば、本物の伝説上の存在。
「――神話級のバケモノ相手に時間稼ぎをするのなら、これしかないよなあ!」
以前に戦った『絶黒龍』の時には「視られたら殺される」ので意味がなかった、神代の束縛罠。
かつて、北欧の最高神を飲み込んだ獣をも縛ったとされる、神造の束縛罠。
幼心に、罠の強さを鍵掛 錠に刻み込んだ、そして、あまりに強すぎてこれまでほぼ使う機会のなかった、最強の罠。
「――『TrapTripTrick』第一創造! 『革のいましめ』!!」
蠢き押し寄せる肉塊、『災悪』を受け止めるように、無数の鉄鎖が地面から展開され、網状を構成して肉を受け止める。
だが、四の鏡から放たれる光線に、炎に、重力場に、鉄鎖にはヒビが生まれる。
「――『TrapTripTrick』第二創造! 『筋のいましめ』!!」
その緩みかけた束縛をさらに外側から包み込むように、虚空から銀鎖が伸び、『災悪』を縛り上げる。
その二重拘束に、『災悪』は動きを止める。
だが、それだけで終わらぬが故の『災悪』。
本来ならば肉にしか作用しえぬはずの境界融和による浸食が、鉄と銀、二色の鎖を少しずつ取り込み、融合し始める。
「――『TrapTripTrick』第三創造!」
北欧神話は記す。
神々はロキ神の子たる獣、フェンリルを縛るため、『革のいましめ』という鉄鎖を用意した。しかし、フェンリルはそれを難なく引きちぎった。
次に神々は『革のいましめ』に倍する神性の鎖、『筋のいましめ』を使った。
しかしその束縛もまた、フェンリルを繋ぎ止めるには至らなかった。
そこで、神々が最後に用意したのが、第三のいましめ。
「猫の足音、女の顎髭、山の根元、熊の神経、魚の吐息、鳥の唾液! ここがテメェの終着点だ!」
それは、存在しないものによって編まれた、概念による束縛。
存在しないものを、誰も破壊できない。
故に絶対。故に不壊。
破壊はできない。浸食もできない。
これぞ、神喰いの獣を縛り付けた、神造の罠。
「――『貪り喰らうもの』!!」
金色の鎖。視覚的にはそう認識されるもの。
だが、実体はない、『束縛』という概念による実体への干渉。
『災悪』の動きが、完全に止まる。
抵抗のために形を変容させようと試みても、それすら『束縛』される。
絶対の罠。
「……っ! くそっ……」
だが。
その神造の絶対を再現しているのは、有限の人間の精神力である。
錠は、『災悪』がわずかに身じろぎするだけで、ごっそりと肉が削られるような苦痛に苛まれていた。
かつて龍を穿った『神の杖』は、具現化するだけでよかった。
衛星軌道上にそれを生み出し、射出すれば、あとは重力に任せればいい。
命中すればすぐに消してしまえた。
だが、今は違う。
神造の秘跡を、リアルタイムで制御し、力を供給しつづけなければならない。
3分待て、と月ピは言った。
手元の時計を一瞥する。
まだ2分をわずかに過ぎただけ。
一秒一秒が、苦痛に引き延ばされて無限に感じられる。
酸素を求めて暴れているはずの鼓動すら間延びしているように錯覚する。
自分の力のなさが情けない。
祖母だったら。美貌ではなく、ただ罠の力だけで国を傾けた、あの『傾城』なら。
こんな状況、笑って覆しただろうに。
口に、不味い鉄の味が流れこむ。
いつの間にか、鼻血を拭くことも忘れていたらしい。
「鍵掛 錠……!」
背後から、気遣うような月ピの声が聞こえた。
手の甲で口元をぬぐい、錠は笑った。
そうだ。後ろにいるのは、殺し屋で、この戦いの相棒で、だが、それだけじゃない。
自分の――Youtuber『棺極ロック』の、リスナーだ。メンバーだ。
そして、Youtuberとは、リスナーに、いい恰好をするものだ。
少なくとも、錠は、そう思っている。
萎えかけていた気力に、情けない小柄な身体に、いつかの戦いで一瞬だけ、自分の隣で外在化した『棺極ロック』の姿を重ねる。
あいつなら、この状況でどんな顔をするだろうか。
決まっている。相手を睨みつけろ。口元を歪めて不敵に笑え。
同時接続は、ひとり。
それで十分。ゼロではない。
それなら、鍵掛 錠は、未熟な罠使いではない。
フラグメーカーで、寝落ち魔で、ドジばかりで、それでも、決めるところは絶対に決める、毒舌トラップ系Youtuber『棺極ロック』だ。
「ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!!」
血の混じる赤い咆哮が、永遠にも似た3分間の時間稼ぎを成立させた。
かくて、戦友の作り出した3分間の空白をもって、旋律が、月夜に響く。
月光・P・ピエロの歌唱――その「完全詠唱」が成立する。
Au clair de la lune, mon ami Pierrot
Prete-moi ta plume, pour ecrire un mot.
Ma chandelle est morte, je n'ai plus de feu.
Ouvre-moi ta porte, pour l'amour de Dieu.
Au clair de la lune, Pierrot repondit :
_ Je n'ai pas de plume, je suis dans mon lit.
Va chez la voisine, je crois qu'elle y est
Car dans sa cuisine, on bat le briquet
Au clair de la lune, l'aimable lubin
Frappe chez la brune, elle repond soudain
_ Qui frappe de la sorte ?, il dit a son tour
_ Ouvrez votre porte pour le Dieu d'Amour.
Au clair de la lune, on n'y voit qu'un peu
On chercha la plume, on chercha du feu
En cherchant d'la sorte je n'sais c'qu'on trouva
Mais je sais qu'la porte sur eux se ferma.
空を割って、「それ」は降ってきた。
錠の『神の杖』よりもなお巨大なそれは、錠には『ピエロの足』に見えた。
そうだ。
月ピの『月に唄えばピエロは踊る(月光with.P)』は、ピエロをひとり作り出す能力。
そして、彼は一度も「ピエロが人間大だ」などと、限定していない。
そして、『災悪』全てをまんべんなく圧し潰すように、『ピエロの足』が蹂躙する。
神造束縛罠『貪り喰らうもの』にさえ抗った『災悪』を、虫を造作なく殺すように。念入りに踏みにじり、尊厳ごとただの物体に変える。
単純で、笑ってしまうような、規格外の力。
仮に『おつきさま』が転校生でなかったとしたら、単に「月が落ちてくる」という程度の災害であったのなら、もしかしたら月ピの能力は、それを難なく砕いていたかもしれない。
これが、月ピの能力。月ピの秘めていたもの。
ずっと、錠は、疑問に思っていた。
なぜ、月ピは常に、殺し方にこだわっていたのか。
なぜ、彼が歌うのがフランス民謡の『月光』なのか。
なぜ、月ピがYoutuberのメンバーシップに加わり、かつ、それを自分に伝えたのか。
なぜ、月ピが、「自分をブロックしないでくれ」などと、口にしたのか。
それが、目の前の、魔人としても規格外の暴力を見て、一つにつながる。
彼が殺し方にこだわったのは、自分の真の能力があまりにも規格外で、ルールで制約を設けなければ、人の社会の枠組みから逸脱してしまうから。
彼がフランス民謡の『月光』を歌うのは、それが、求めども届かない人との繫がりを乞う、切なる歌だから。
彼が、メンバーシップのことを自分に告げたのは、きっと、繋がりが欲しかったから。
彼が、「ブロックしないで」などと、らしからぬことを口にしたのは、きっと、彼の真の力を見せたことによる関係性の破壊が、これまで何度も起きてきたことだから。
これが、月光・S・ピエロ。
孤独な最強。妙に人懐っこい殺し屋。
ちょっとしたことで虹スパチャを投げる感動屋。
錠は、痛む体を引きずるようにして、月ピに向き直った。
「――これが、月光・S・ピエロだ。鍵掛 錠」
「……ばかやろう」
立ち尽くす月ピの前に立つと、錠は拳を振り上げた。
月ピは目をつぶると、差し出すように頬を前に出した。
だが、月ピが覚悟した衝撃はいつまでも頬を打たなかった。
まぶたを開くと、錠の拳は、月ピの眼前で止められている。
「ほら、いつものやるぞ。お約束だろ、古参メンバー」
ぶっきらぼうな錠の言葉に、月ピは、たっぷり一呼吸の間考え込んで、おずおずと、錠の拳にコツンと自分の拳とを合わせた。
「「……おつロック」」
特定語尾のあいさつ。
それは、Youtuber文化のひとつ、リスナーと配信者の間に結ばれた親愛の証。
『棺獄ロック』という隣人の戸が、月ピに間違いなく開かれていることの印だった。
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たとえば、弔うものたちと死の先を行くものたちとが交錯する、戦場があった。 |
4-6 すーぱーブルマニアンさん十七歳、宵空 あかね、鬼姫 殺人vs財郷 はかり、千手橋 拳平
作者が古戦場直前の肉集め0ポチ1ターン2200万ダメージ編成にあと6%ダメージが届かないと攻略系動画を漁っていたために冒頭の描写を割愛せざるを得ないことを心苦しく思うが、とにかく、 すーぱーブルマニアンさん十七歳はかつて自分が魔人でも女装戦士でもない警察官の正不亭光であった頃に交番の目の前の学校で発生し、顔見知りが何人も亡くなった『鬼火事件』の廃校の制服を着た少女、 宵空 あかねと再会し絶叫しかるに失禁! しかし、過日の戦いの反省を生かして装着していたNASA御用達の宇宙対応超高性能オムツのおかげでその尊厳をぎりぎり守り切り、昭和記念公園あけぼの口で、襲い掛かる2人の敵と対峙していた。
幸いにして殺し合いに慣れていない普通の正義感が強い変態警官でしかないブルマニアンと、能力こそ超強力ではあるもののメンタリティは容赦がないだけの普通の少女である宵空 あかねと向き合っているのは、他の戦場のように小動物大行進だったり肉塊増殖殖えるお肉ちゃんのようなドログチョ怪奇生物ではなく、割と普通の恰好をした少年と少女がひとりずつだった。
警察官であるブルマニアン的にはこんな夜中に人気のない昭和記念公園を訪れた時点で、秘密のデート中の青春のほとばしりの結果として補導することも考えたが、よく考えればこの公園に入ってきた時点で、一騎当千のデンジャラスな転校生の影であるとかなんとか、鏡の中から顔を出してきたスーツマンがレクチャーしてくれたような気がする。
よく見れば少年の方は体中に人の手首を装着している。というか誰ですかアレを割と普通の恰好をしたとか表現したの、感覚おかしくないですか? まあ暗がりの遠目だから仕方ないですねそれですむか! たしかにこれはシリアルキラーげな雰囲気100%。
しかし同時に、ブルマニアンさんは困惑した。ブルマニアンさんにはシリアルキラーがわからぬ。けれど、手首はどれも綺麗にスキンケアばっちりでネイルもキメキメ。そういったお洒落にはブルマニアンさんは人一倍敏感であった。
手フェチ? そうかもしれない。けれど、そうではないかもしれない。
ブルマニアンさんは自分の頭に手をかざした。犯罪者の罪科に反応するブルマニアン魔人能力の『日本国憲法拳法』と連動しているはずのアホ毛がおっ勃たない。
もうひとりの少女の方に視線を移すと、そちらは漆黒の処刑剣をひきずりうつろな目を向けてくるこっちもデンジャラスみましましの姿。しかし相変わらずアホ毛は勃たず。
もしやこの子たちは、まだ何の犯罪も犯していないのでは?
などと、警察官としての正不亭光の勘が告げる。変態だがブルマニアンは有能だ。そうでなければここまで山乃端 一人を巡る戦いを生き抜けない!
ブルマニアンは手フェチ少年と黒剣少女におそるおそると近づいて少年課で教わった警戒解除トークテクニックを試そうとして――
「オイオイ、明らかに敵だろうが。自殺志願者かよ変態刑事」
そこに乱入してくる明らかにブルマニアンとは芸風の違う少女!
姫代学園の改造制服に龍の刺繍のスカジャン、山乃端 一人を守るために並行世界から呼び出された『祈り手たる個』No.24、 鬼姫 殺人だ!
「――『T・B”トラウマ・バック”』」
瞬間、ブルマニアンの脳に電流走る!
これは鬼姫 殺人の魔人能力! 彼女が経験した壮絶・凄惨な出来事を広範囲の人間の脳に転写し、存在しないはずの記憶を追体験させる広域精神攻撃である!
なお、今回の能力行使はほんのマイルドなトラウマで敵味方の動きを止めて敵に物理攻撃を叩き込む意図だったが、ブルマニアンさんは殺し合いとかそういうデンジャラス耐性が低いためこうかはてきめんだ!
「あばばばばばばばばばばばばばばばばば!」ブルマニアン! 失禁!
がんばれNASAの宇宙飛行士も愛用の高性能オムツ!
なお、手フェチ少年と黒剣少女は意外とメンタル強者だったらしく即座に反応してきた。
黒剣少女が黒の処刑剣を振るうと、瞬間、ブルマニアンの脳に別の電流が走った!
「おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!!!!」ブルマニアン! 排尿!
それは、鬼姫 殺人のトラウマとは別のもの。
黒剣少女の昔の姿が見えた。山乃端 一人と談笑していた。
黒剣少女の昔の姿が見えた。山乃端 一人が悪漢に捕まっていた。
黒剣少女の昔の姿が見えた。山乃端 一人が悪漢に殺された。
手フェチの昔の姿が見えた。敬愛する先輩が殺された。彼はその手を形見にもらった。
手フェチの昔の姿が見えた。懐いていた後輩が殺された。彼はその手を形見にもらった。
手フェチの昔の姿が見えた。山乃端 一人が殺された。彼はその手を形見にもらった。
手フェチの昔の姿が見えた。彼の伸ばした手はいつだって、誰の手も掴めなかった。
「おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!!!!」ブルマニアン! 洪水!
「なにしやがった――能力のコピー……違うな、ハッキング、コントロールの奪取かよ!」
鬼姫が的確に状況判断する。つまりブルマニアンたちは今、鬼姫のトラウマではなく、黒剣少女と手フェチの過去のトラウマを見せられているのだ!
「?? もう、いい? やっちゃいますよ?」
だが、さすがたくさんの遺体を目の前で焼いた幽霊、宵空 あかねは脳に直接焼き付けられるトラウマ光景にあんまり動じることなく、夕焼け色の真球型の鬼火を解放した。
彼女の能力は、『午後四時の校舎に差し込む夕日』。とにかくデンジャラスな火力の鬼火を呼び出す危険な力であり、大抵の敵なこれで問答無用でこんがり乾いて一夜干しなはずだが――
黒の剣が振るわれると同時に、鬼火が全てかき消える!
鬼火もまたコントロールを黒剣に奪われてしまったのである! ピンチ!
「――あの剣だな。『魔人能力を歪める魔人能力』ってトコか」
鬼姫 殺人が苦々しく口にした。状況は無常! 鬼姫、宵空、ブルマニアンの能力は使えず、しかも、相手は自由に魔人能力使い放題! それが証拠に、手フェチの身に着けていた無数の手首が空中に浮かび上がり、鬼姫、宵空、ブルマニアンに襲い掛かる!
幽体なので宵空には無効! 鬼姫は華麗に手を大群を叩き落とす!
ブルマニアンはトラウマで身動き取れず全弾命中!
「ぐばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばば!!!」
薄れゆく意識の中、ブルマニアンは――否、正不亭光は思い出した。
黒剣少女と手フェチの壮絶な過去に触れて、思い起こした。
自分の出発点。女装趣味に目覚めた――違った、少女を守るのだという使命に目覚めた日のことを。
いつも交番勤務の自分に挨拶してくれていた前途ある若い女子生徒たち。
それを、助けられなかったことへの悔悟を。
目の前の手フェチと黒剣少女が、同じような経験を経てねじ曲がってしまったのであれば、そしてまだ、『日本国憲法拳法』に反応するような犯罪を犯していないのであれば(黒剣少女の能力で反応していない可能性もあるが、そんなことをトラウマと戦って股間がダム決壊状態のブルマニアンには思いつく余裕などなかった)、大人である自分が彼らを止めなければならないのだとブルマニアンは決意した。
「ほげげげげげげげげげげ」
若人たち、あなたたちの悲しみ、このブルマニアンが受け止めてあげる! とかなんとか、かっこいいことを言おうとしたが、ブルマニアンには、生まれたての子ヤギのような足取りで立ち上がるのが精一杯だった。
それでも、ブルマニアンの真摯な想いが、転校生の影ふたり、手フェチと黒剣少女の動きをわずかに鈍らせた。
いや、正確には、トラウマに視線がアレなことになり、口の端からよだれだばだばでNASA御用達高性能オムツですら決壊させてしまった美貌の女装ブルマ警官自称17歳の姿に、対話不可能な転校生の影ですらドン引きだっただけかもしれない。
「おぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!!!」
ブルマニアンはその隙をつき、黒剣少女の剣を持つ手に、ブルマニアン柔術秘技、飛びつき腕ひしぎ十字固め! ブラジリアン柔術に謝れ!
からん、と地面に落ちる黒剣。同時に、鬼姫、宵空、ブルマニアンの魔人能力のコントロールが回復する!
こうなれば後はワンサイドゲーム。この戦場には対精神、対物理で無差別に強力なトップ2が揃っている。転校生ふたりはめでたくこんがりトラウマ炎上で撃退された。
「あばばばばばばは!」当然ブルマニアンは鬼火にもトラウマにも巻き込まれました。
閑話休題。
「……あー、おまわりさん」
「なに? あかねちゃん」
「私は結局、死んでしまったわけで、途中で手を差し伸べてくれた人の助けは、結局、意味がなかったのかもしれないけれど。でも、やっぱり、その助けてくれた人にはありがとうって言いたいし、だから。死んでしまったから、全く何もできなかったとか思って、あのふたりみたいに闇落ちはしなくていいと思う」
「死が取返しのつかない終着点なんて、そんなルールないだろうが(笑)」
かくて、死から人を守れなかった者たちと、死の先を歩く者たちの戦場は終わりを告げた……みたいな感じでまとめれば、それっぽいのではないかと思うのですがどうか。
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たとえば、互いの愛を叫ぶ、終わらない戦場があった。 |
4-7 諏訪梨絵vs薄井 ミク、蔦木愛美、金椎加古、聖オッキアーリ学院高等学校ちゃん
ごきげんよう。
ごきげんよう。
フランシスコ・ザビエル様の庭に集う乙女達が、今日も天使のような無垢な笑顔で、昭和記念公園東端、高松口の門をくぐり抜けていく。
汚れを知らない笑顔を飾るのは、精緻な構造のメガネ。
レンズには一片の曇りもないように、
テンプルには僅かなりとも歪みがないように、
たおやかに扱うのが、ここでのたしなみ。
聖オッキアーリ学院高等学校。ここは眼鏡の園。
高松口に襲来した転校生の影は、常識歪曲型の異能使い。
その効果は即ち「メガネを至上とする価値観の強制」である。
これにより、この門を守っていた『祈り手たる個』No.22、 諏訪 梨絵だけでなく、相対する他3人の転校生の影もまた、メガネ至上主義に毒され、ザビエル様が見てる的な平和な学園メガネ生活時空に取り込まれていた。
なお、聖オッキアーリ学院高等学校の守護眼鏡聖人であるフランシスコ・ザビエルは、周防の国主である大内 義隆にメガネを献上し、この国に初めて、メガネをもたらした者である。
いつの間にか自分の顔の一部となっていたリムレスメガネを愛おしげに撫でながら、諏訪 梨絵は模範的なメガネ至高主義者としての姿勢を徹底していた。
そもそも、世界最高峰のメイド騎士養成学校においてすら主席卒業した最強のメイド騎士なのが、彼女だ。
守るべき規律がメガネであるのならば、それを徹底する。
メガネとは、世界を正しく見るためのもの。
生来の瞳の弱きを人の英知により補正し、克服するもの。
嗚呼、その何とすばらしいことか。
(――ちがう)
メガネを愛せよ。そのレンズを愛せよ。レンズとは数学の精華。レンズとは科学の礎。
(――ちがう)
あの少女を見よ。
彼女はかつて、人には見えてはならぬ「何か」を見てしまい、周囲から迫害されていた。それが今はどうだ。聖オッキアーリ学園で支給された魔眼殺しにより、今は隣人と同じ世界を見ることができ、平穏な日常を送ることができたのだ。ああ、なんたるメガネとの運命の出会い! 感動!! 君も泣け!!!
(――ちがう)
学園のうら若き乙女たちの漂わせるかぐわしい香りが、靄となって周囲を包む。
感染・発症率100%。
身体能力を限界まで引き出し闘争心を呼び起こさせる点描めいたアトモスフィア・ウィルス。
高揚に動悸が止まらない。
ああ、これがメガネに奉仕する幸福の証。
ポニーテールにした艶やかな緑色の髪、赤いオーバル型の眼鏡少女が級友として梨絵に手を差し伸べる。
楽園へ行きましょう、美しきメガネメイド騎士委員長、と。
(――ちがう)
梨絵の脳裏で、何かが警報を告げる。
メガネとは、世界を正しく見るためのもの。
生来の瞳の弱きを人の英知により補正し、克服するもの。
嗚呼、その何とすばらしいことか。
――ちがう。
梨絵は、わずかな違和感を手がかりに、手にした箒を自らのつま先に叩きつけた。
激痛による意識の覚醒。古典的な催眠術の打破方法。
それが、蝕まれていた精神に、本来の在り様を取り戻させる。
今、梨絵の視界を支配しているのは、世界を歪ませるもの。
そこにあるはずの性質を塗りつぶし、錯覚させるもの。
嗚呼、その何とおぞましいことか。
梨絵は自らの認識を改竄していたリムレスメガネを握りつぶした。
そして、元の世界の山乃端 一人が似合うと言ってくれた、彼女本来のメガネ、愛用のノンフレームへと付け替える。
危ないところであった。
このままでは、聖オッキアーリ学院高等学校を舞台にしたメガネ少女のメガネ少女によるメガネ少女のための甘酸っぱい物語が文庫本全37巻の大ボリュームで展開されるところであった。正直執筆期間が足りない。
とにかく、梨絵は現状を再確認する。
自分は、山乃端 一人の守り手。
そして、相対するのは、打倒すべき転校生の影。
「この世界に、私の愛する一人はおりません。ですが――ここを守り抜くことで、私の愛する一人を守るための助勢が、確実に得られる。ならば、私は引けません。たとえ私が、本当の私の、鏡像でしかないのだとしても」
4体の転校生の影に対して、梨絵はひとりきり。
だが、それは彼女が捨て石だからではない。
彼女が、たったひとりで、相手に対抗しうると、判断されたからである。
梨絵は、両手で構えた箒を、天高く掲げた。
天から金の輝きが。
地から銀の煌めきが。
光の粒子となって、箒へと収束していく。
それは、天地から力を引き出している――のではない。
その輝きはすべて、元より梨絵の裡、精神に内包されていたもの。
即ち、愛。
ただ一人の大切な守るべき誰かの為に戦おうとする意思。
それを、物理的な力に変えるのが、梨絵の異能である。
箒を彩るその輝きこそは。
過去、現在、未来を通じ、ひとりのメイドにして騎士たる女が捧げた忠誠の具象。
意志と誇りとを掲げ、その信義を貫くために傷だらけの背中を押す、熱を帯びた願い。
箒の概念である「汚れを払う」という性質を、その光は体現し世界を浄化する。
「――『貴方と共に』!!!!!」
箒より溢れ出る光の奔流。
メガネ精神汚染を。
凶暴性を賦活するウィルスを。
相手を哀れみ感動させる心理制御を。
すべて、その輝きが、無効化する。
しかして転校生の影は4。
3まで能力は破り、残るは1。
梨絵は知らない。
最後のひとり、赤いオーバル型の眼鏡少女こそ、梨絵と対になる異能の持ち主。
梨絵が、愛ゆえに「山乃端 一人のためならばどこまでも強くなる」ならば。
オーバル型眼鏡少女こそ、愛ゆえに「山乃端 一人が死ぬまで死なない」存在。
光の中にかき消える3つの影を意に介さず、オーバル眼鏡少女が光の奔流を両の手で受け止める。
それは、愛と愛とのぶつかり合い。
梨絵は、山乃端 一人を守ると誓った。
オーバル眼鏡少女は、山乃端 一人を残して死ねないと慟哭した。
互いに互いの背景は知らない。
ただ、それぞれに譲れないことがあるということのみが事実。
箒の光がなお力を増す。
オーバル眼鏡が抗うように煌めく。
愛に限りはないと人は言う。
愛は比べられぬと人は言う。
なれば、これは矛盾の故事の再演である。
【ここからしばらく転校生の影との戦闘が続きますが、今回は省略します。みなさんが考える最高の戦闘を入れてください】
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たとえば、歴史の再演たる、武と武のせめぎあう戦場があった。 |
4-8 柳煎餅vs相馬 珠樹
昭和記念公園、こどもの森。
様々な遊具が入り乱れるこの空間で、歴史の再演者がふたり、剣を交えていた。
この世界に存在する柳生新陰流の祖とは明らかに異なる歴史の概念たる『柳生』をもって、剣の極みに至ってしまった少女。
本人が望むでなく、ただそう作り変えられ、『柳生』の最奥に触れた、人斬りの天災。
対するは、執事めいた恰好の転校生の影。
煎餅は、転校生の影の周囲に漂う、靄のような認識阻害に目を凝らす。
これは意図的なジャミングか、あるいは、世界の修正力による何らかの補正か。
いずれにせよ、相手は人型である。
であれば、元より急所は自明。柳 煎餅の為すべきこと決まっている。
祈りの構えにて多次元並行世界の概念的熱量を抽出。
活人剣。相手の動きを活かし、転じて己の利とする後の先の剣。
殺人刀。意によって相手を威圧し、速によって先んじる先の先の刀。
そのいずれをも極め、人としての枠を踏み越えて至る、無の先の閃。
――非人剣。
純然たるエネルギーが、徒手の中にある『無刀』から放たれ、執事の影の首を刎ねた。
一刀一殺。
それは当然の結末だ。
『柳生』にあらば、人に非ず。
その、非人道的な二者択一の結果、柳 煎餅は『柳生』になった。
ならば、斬れないものなど、ありはしないのだから。
かつてただの村娘であったが、後から、『柳生』で人格を上塗りされた。
その連想から、煎餅は、ほんの一瞬だけすれ違った、望月 餅子という少女のことを思い出した。
この世界の概要は、鏡助から聞いている。
彼女は、本来人でないものでありながら、山乃端 一人との出会いを経て、人としての人格を身につけたのだという。
ちょうど逆だ、と煎餅は思った。
煎餅は、平凡な少女という餅に『柳生』という餡子をまぶされた、ぼた餅。
餅子は、人外の存在という餡子を人間の少女の人格で覆い隠した、大福餅。
煎餅と餅子。餅と餅。
もしかしたら、話せば気が合ったのかもしれない。
きっと、そんな機会はもう訪れないだろうけれど。
鏡助から聞いた餅子の計画では、餅子は『おつきさま』討伐から戻ってこない。
悲しいことだが、自分を上回る相手を殺すということは、そういうことだ。
力が足りないなら、外から持ってくる。それでも足りなければ、命を力に変換する。
それが、冷徹な人斬りの論理である。
だから、この助力は、柳 煎餅にとって、望月 餅子に対する最大限の敬意でもあった。
人斬りの自分に、優しい言葉も、思いやりの微笑みもあげられない。
ならば、彼女の計画の邪魔となるものを斬るだけである。
他の場所では、また別の転校生の影が襲い掛かってきているという。
次の敵を探してこの場を去ろうとして――
柳 煎餅は、背後に迫る「それ」を、『無刀』――不可視の『柳生』エネルギー刀身で打ち払った。
それは、首だった。
刎ねた転校生の影の首だけが、宙を舞って襲い掛かってきたのだ。
なるほど、そういうこともあるのか、と柳 煎餅は、『無刀』を構えた。
異常はそれだけではない。
夜闇からにじみ出るように、執事姿の転校生の影が、次々と現れる。
その数、元のものと合わせて七つ。
煎餅は幻の類であるか確認するように、無造作にエネルギー波を放つ。
しかしそれは、真正面から受け止められ、執事服にすら掠り傷ひとつつけられない。
柳 煎餅は今や、人斬りの概念である。
故に、その攻防だけで、対象の性質を看破する。
きっと、まともな人としての感性があれば、瑞々しい少女の心性が残っていれば、驚愕したり、絶望したりしたのかもしれない。
けれどもはや、彼女はひとでなし、非人の剣である。
「――よくも並んだ七つ胴。為せばこの『無刀』は、兼房越えというわけですね」
そして、一糸乱れぬ七つ影の連携が、煎餅を襲う。
煎餅は動かない。
いや、ただひとりだけを見据え、ひとりの一点を穿つためだけに『無刀』を創造する。
だが、それでは足りない。ひとりを殺せど残る六が煎餅を殺す。
これは幻ではない。全てが実体。ある伝説を元にした、反則めいた異能。
そう。異能である。
この転校生の影は、とある人物の伝承を再現する。
曰く、その人物は首だけで生きたという。
曰く、その人物は七の見分けのつかぬ影武者を連れたという。
曰く、その人物は矢をも弾く無敵の肉体を持ったという。
だが、柳 煎餅もまた、歴史の再演者たる資格を持つもの。
たとえ異なる概念であろうと、『柳生』は柳生。
「兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと也。人をきるにはあらず、悪をころす也」
それは、大坂の陣で徳川秀忠に近侍した際、同時に主を襲った七の兵を柳生宗矩が「一閃にて」斬り捨てたとされる秘跡の再演。
並行世界からエネルギーを抽出することが『無刀』ならば、並行世界から斬撃を抽出することもまた、『柳生』。
柳 煎餅の一刀一殺の剣閃が、ただ一振りで七つの首のこめかみを正確に穿つ。
「――「■■はこめかみよりぞいられけり 俵藤太がはかりごとにて」」
首だけで生き、七つの影武者を持ち、鉄の肉体を誇ったとされるかの人物の弱点。
それは、こめかみであったと後世で語られている。
柳 煎餅は残心し、影の消滅を確認すると、次の戦場へと向かった。
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たとえば、歪曲と汚染が坩堝となった、惑乱たる戦場があった。 |
4-9 浅葱和泉vs久松氷柱、星空 唯、小華和 琴葉、大洲 戒醒
昭和記念公園、立川口。
そこで展開されていたのは、歪曲と汚染の戦場であった。
マジシャンめいた転校生の影の身体からは、全く無関係の、とある並行世界の殺人嬢が振るっていた、刃を創造する能力が付与され、人体貫通マジックめいてサーベルの刃が生えては折れていた。
万物を入手する渇望の転校生の影は、とある並行世界の永遠女優の万物機械化能力が付与され、取り寄せた物質を触れた端から無機物へと変容させていた。
花言葉を媒介に呪う転校生の影は、とある並行世界の狂気の意志の愛娘複製落下質量攻撃能力が付与され、無数の花弁を夜空から降り注がせていた。
並行世界で山乃端 一人を襲う可能性のあった転校生を影として呼び出し、その果てに、全く無関係な魔人の能力歪めて付与する。
そして、そのちぐはぐでいびつなパッチワークの中心で、身長2m足らずの長身ながら痩せぎすの男が、嘲笑うように戦場を見下ろしていた。
「ふふふ、こいつは壮観だね」
「まっとうな感性の持ち主なら、『冒涜だ』なんて激昂するのかもしれないね」
男性とも女性ともつかぬ中性的な細身。
悲しみとも喜びともつかぬ笑顔。
敵意とも好意ともとれぬ声。
美しくもおぞましくもある容姿。
彼――あるいは彼女――もまた、ちぐはぐでいびつなパッチワークの体現だった。
転校生の影たちが、和泉へと踏み出す。
その瞬間、とぷん、と。
まるでそこに、沼か池でもあるかのように、影たちの足が、地面の中へと飲み込まれた。
「けど、あいにくワタシも、「汚す側」だ。むしろそのあり方は望ましいとすら思うよ」
影であるとはいえ、転校生たる可能性を持った魔人の写し身。
ただの池であれば、力づくで引き抜ける。
しかし、「それ」は、脱出を許すことなく、少しずつ、影たちを飲み込んでいく。
「汚す。歪曲する。世間的には悪だと言われているけれど。ワタシはそれ、どうかと思うんだよね。こんな素敵なパッチワークを作ってくれる、キミなら理解してくれると思うんだけど」
その異常事態を引き起こしたであろう、和泉は、その悲喜両面の微笑みで、転校生の影たちに呼びかける。親愛の情を示すように。
「そもそも世界にどれだけ、「純粋なもの」があるだろう? 言葉すら、その意味を解釈する上で、人は自らの経験というフィルターを通さねば理解できない。それは、歪めることであり、汚すことである。なら――この世界は、万人の万人による、イメージの押し付け合い、認識による汚しあい。歪めあいということにならないかな?」
転校生の影たちに、異常が起き始めた。
地面に飲み込まれた足から、「何か」が、蝕むように、色を塗り替えていく。
「なるほど、悪意、敵意のあるものは歪曲で、敬意、愛のあるものは歪曲とは違う、そういう区分もあるだろう。だが、悪意、敵意の歪曲で、良きものができることもある。敬意、愛の結果、周囲に受け入れがたい何かができあがることもある。そも、その干渉の背景にある意志を誰が証明できるのかな」
それは、間違いなく汚染であった。
オリジナルを変容させ、別のものとする侵略であった。
「だから、想いなんて関係ない。純粋かどうかもどうでもいい。結局全ては、目の前にあるものが「ワタシにとって好みかどうか」でしかないのさ。この歪曲は好きで、これは嫌い。それ以外のことなんて、面倒だ」
これこそ、浅葱 和泉の能力、『影の形に従うが如し』。
足元の影を操り、対象を飲み込む飢餓の具象。
飲まれたものは「汚染」され、消化され、浅葱 和泉の一部となる。
男性とも女性ともつかぬ中性的な細身。
悲しみとも喜びともつかぬ笑顔。
敵意とも好意ともとれぬ声。
美しくもおぞましくもある容姿。
彼――あるいは彼女――もまた、ちぐはぐでいびつなパッチワークを体現するのは、その飲み込んだモノのうち、とある男女の双子を核として外装を構成しているからである。
双子たちの縁者は、和泉の存在を冒涜だと糾弾するだろうか。
それとも、愛したものの面影があるものとして受け取るだろうか。
そこに、和泉の悪意も敬意も関係しない。
あるのはただ、「そこにあるもの」を、観測者が好むか嫌うかのみである。
少なくとも、浅葱 和泉をこの場で名乗る鏡像は、そう嘯く。
「身勝手だ、だなんて言わないよね? キミも、オリジナルを、自らの色で歪曲する衝動を抱えたもの。ワタシたちは、同じ穴のムジナだろう?」
とぷん、と。
すべてが沈む。
すべてが汚染される。
歪みも。影も。いびつな継ぎ接ぎも。
すべて。すべて。すべて。
転校生の影たちは、浅葱 和泉となった。
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たとえば、個々の戦いの動機を問う、試しの戦場があった。 |
4-10 ハッピーさん、ファイvs 加賀見京介
昭和記念公園、こもれびの里。
昭和の農村風景を再現したとされるそののどかな景色の中で、全28の転校生の影のうち、最も凶悪な能力を持つはずの男が、押されていた。
転校生の影たちは、本来持ちえた能力を一部しか行使できない。
無限の攻撃力や防御力はなく、元々の特殊能力も、若干弱体化している。
男の本来の能力の核は、因果の初期化。
山乃端一人の守護者と指定された者達を本来の立ち位置へと帰す能力。
敵の動きを止めるアバターと、それにより動きを止めた対象に触れることで、『祈り手たる個』を、山乃端 一人と邂逅する前に戻す、山乃端 一人の守り手を無力化することに特化した異能である。
『祈り手たる個』には、それぞれ、命を賭けて山乃端 一人を守るに足る理由がある。
その理由の積み重ねが、彼らに力を与え、時に転校生にすら抗う奇跡を呼ぶ。
ならば、その理由を無にする。それが、男の能力である。
影となり、能力が制約された今も、男の能力は、その最も重要な「理由の初期化」という部分を失ってはいない。
並行世界をまたいだ強制送還や時間の遡行こそできないが、「山乃端 一人に関する記憶を失う」という効力は健在だ。
それにも関わらず。
「ハ! 動きが鈍くなってきたじゃないか。何か予想外でも起きたかい?」
『祈り手たる個』、赤いローブの老婆、 ファイが、変幻自在の杖術で男を責め立てる。
予想外? 予想外に決まっている。
「理由はまあ想像がつくが。運が悪かったな」
金髪の巨漢、 ハッピーさんこと遠藤ハピィが、真っ向勝負の剣閃で男を圧倒する。
戦闘が始まってからすぐに、男は、老婆と巨漢に触れた。
その時点で、この二人からは、『山乃端 一人』に関する記憶は触れたはずだ。
命を賭けて『山乃端 一人』のために戦うに足る理由は、なくなったはずだ。
それにも関わらず、二人の動きは、まったく鈍ることがなかった。
能力の不発? その可能性はある。
影の身体では、十全に効果が発揮されなかった。そうに決まっている。
そうでなければ、この二人は、「積み重ねた物語」なしに、命を賭けて戦える異常者ということになってしまう。
男は、もうひとつの能力を行使した。
老婆の杖と、巨漢の刀、それから男を守るように、漆黒の悪魔が顕現する。
「へえ、新手かい! けど……海賊ってのはねえ。船と船とでしか戦わない。混戦してなんぼさあ!!」
悪魔の拳を杖でいなし、ファイは跳ね上げるようにして逆側の杖の穂先で男を打ちすえようとして――
まるで何かに縛られたように、動きを止めた。
これが、男の呼び出す悪魔の能力。触れただけで相手を拘束する。
その効果は、男自身が触れる――つまり、「理由の初期化」が効力を発揮するまで。
巨漢の放った立方体をかいくぐって避け、男は赤ローブの老婆、ファイに確かに触れた。
記憶の消去。動機の抹消。
たとえ、男が敵で、自分の役目がこの場の防衛だという情報が残っていても。
山乃端 一人と紡いだ、血の通った記憶が欠落しては、命を賭けて戦う理由がない。
たとえ理性で戦うべきだと感じても、闘争とは本能が付随する行動である。
その空白は、確実に、動きに影響する。
そうである、はずなのに。
「甘いねえ。坊主」
ファイは杖を地面に叩きつけ、棒高跳びの要領で悪魔の頭上を飛び越えた。
無理な反動で杖は真っ二つに折れる。
「得物をよこしな!!」
「任された!」
巨漢が、直前に男へと投げた立方体を、ファイに向かって蹴り上げる。
ファイは落下ざまに箱を杖の切れはしで立方体を殴りつけた。
破壊される立方体、すると、その中から、輝くひと振りの刃が生まれる。
『光芒一閃』
それは、かつて、どこかの魔人が作り出した光の刃。
肉を斬らず、骨を断たず、ただ、魂だけを両断する、輝きの剣。
かくて、長年に渡り、剣聖の教えを受けた老婆の一閃が男を薙いだ。
痛みよりも、虚脱。
闘争の意志が断ち切られる。
男は、糸が切れた人形のように地面に倒れこんだ。
なぜだ。
理解できない。
納得できない。
この老婆は。そして、この巨漢は。どうして、自分の能力を無効化しているのか。
「守るべき相手との思い出の消去か。えげつない能力だ。が……」
「ま、相手が悪かったとしか言いようがないねえ」
男の誤算は、この二人の動機。
ハッピーさんは、山乃端 一人に個人的な思い入れがあって命を賭けているわけではない。
だから、彼女の記憶がなくとも、「死の運命に晒されている少女が助けを必要としている」という情報だけで、命を張れる男であった。
ファイもまた、山乃端 一人に個人的な思い入れがあって命を賭けているわけではない。
依頼、という客観的な契約、そして、何より「小娘ひとり寄ってたかって殺そうとする奴らが気にくわないから」という理由で、戦場に立っていた。
だから、山乃端 一人との関係性が空白になろうとも。
関係性の初期化などという異能が効力を発揮しようとも。
ハッピーさんとファイは、絶対に、止まらない。
「しかし、『おつきさま』ねえ。アンタの賭けたクソガキは、本当にアレ相手に、「ハッピーエンド」をやれるのかい?」
ファイは、空に輝く2つの月を見上げた。
鏡合わせめいて皓々と輝く双子の月は、「敵」と認識するにはあまりにも大きすぎる存在だ。
「やれるさ。……理由は、こいつに忘れさせられちまったがな。俺は、ハッピーエンドの水先案内人だ。あの子を連れ出した俺を、俺は信じて――諦めずに、できることをやるだけさ」
そう言って、ハッピーさんは、月へと伸びる光の柱――山乃端 一人が駆けていった先へと、視線を向けた。
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停滞させるものと加速するものの、戦いがあった。 |
4-11 有間 真陽vsチル・コールド・ウィンター
28の転校生の影と、19の魔人。
一騎当千集いてここに、都合四十足して七。
月へと伸びる光の道を目指して、山乃端 一人は――もとい、山乃端 一人を抱えた、加速能力者、有間 真陽は夜の昭和記念公園を疾駆する。
真陽の魔人能力は『超速直線運動』。
こと移動において、彼女を上回る存在はそういない。
それを活かして、真陽はこの混戦の中、山乃端 一人の護衛と、目的地への移送を買って出たのだ。
その体育会系口調とシンプルな異能に反し、真陽の思考能力は決して低くない。
だが、その彼女をして、状況は混沌としているというのが、素直な感想だった。
山乃端 一人は、命を狙われている。だから、守らねばならない。
この点は、真陽の知る世界の事情と同じだ。
だが、話を漏れ聞いている限りでは、
- 本来、この世界の山乃端 一人は、《獄魔》という存在と不倶戴天の敵である。
- 山乃端 一人は《獄魔》を十二柱封じれば救われる。
- しかし、山乃端 一人は、十二番目の《獄魔》を封じることを拒んだ。
- なぜか、十二番目の《獄魔》も、山乃端 一人を殺すことを拒んだ。
- 山乃端 一人と《獄魔》は殺しあうというルールを破ったことで、世界を修正すべく、転校生『おつきさま』が地球に落下、人類の危機。
という状況らしい。
そして今、山乃端 一人を抱えて真陽が向かっているのは、昭和記念公園から夜空に伸びる光の柱の根本。
そこには、十二番目の《獄魔》がいるという。
山乃端 一人は何をしたいのだろうか。
改めて、本来の在り方通り、十二番目の《獄魔》を封じるのか。
それとも、《獄魔》に殺されるつもりなのか。
後者ではないはずだ。
昭和記念公園を襲っている『転校生の影』たちは、『おつきさま』と性質は同一のもの。
そこから逃げているということは、山乃端 一人には、自分を犠牲にして事態を収拾する気がないということ。
何より、自己犠牲を許せないものとする、魔人警察の名物警部、「ハッピーエンドの水先案内人」遠藤ハピィが、山乃端 一人を真陽に託したのだ。
彼女はまだ、生きることを諦めていないということになる。
「……込み入ってるっすね」
「うん。……ちょっと……ううん、いっぱい、間違っちゃって。そのせいで、ぐちゃぐちゃになっちゃった。もっと真っすぐ、うまくやる方法は、きっとあったはずだけど」
腕の中で、山乃端 一人は力なく笑った。
「まあ、世の中、真っすぐ進めることの方が、少ないっすよ」
真陽は、立ち止まった。
これまで、無数の敵に襲われ、流れ弾を回避し、それでも足を止めることがなかった彼女がだ。
「ええ。生きていることは寄り道ばかり。私には時間はたっぷりあるけれど、人にとってはもどかしいわよね。だったら、お気軽に、その寄り道を楽しむしかないと思うのだけれど、どうかしら。ヤマノハヒトリさん?」
真陽は暗闇の中を睨みつけた。
光の柱へと向かう真陽と山乃端 一人に立ちはだかるのは、銀髪碧眼の小柄な少女。
「恨みはないのだけれど。私がいろいろ調べたところ、一番あの子に近そうなヤマノハヒトリは、あなたみたいだから。だから、あの子の肉体にするために、私はあなたを持ち帰るの」
それは、最後の『転校生の影』。
山乃端 一人に降りかかる、最後から二番目の試練。
真陽が把握している限り、これまで、昭和記念公園へと侵入しようとしてきた転校生の影たちは、意思の疎通が不可能だったはずだ。
しかし、目の前の相手は当然のように親しげに語りかけてくる。
それは、なぜか。
そういう能力か、それとも「特別にこの山乃端 一人に執着する理由がある」からか。
「私は止まない雪、私は明けない夜、私は終わらない冬」
「……生憎ね。氷使いとのバトルはもう、間に合ってるのよ」
山乃端 一人が銀時計を構える。
有間 真陽が、地面を踏みしめる。
冬の少女が、両手を広げる。
「確認します。ここで、一人さんが死ぬことは、ないっすよね?」
「……ええ。《I-漆黒の人形》の示した死の夢に、ここでの最期はなかった。けど、それはあなたの無事は保障しない」
「十分です。巻き添えであなたが倒れてしまうことだけが、心配だったっす」
停滞と加速。
相対する二つがぶつかり合う。
これが、この夜、『転校生の影』と『祈り手の個』との、最後の戦いとなるだろう。
夜に伸びる光の柱は、今や、月へと至ろうとしていた。
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4-12 望月 餅子vsおつきさま(序)
「――届きました」
おもむろに、鏡助は呟いた。
地面から伸びた鏡の筒、『おつきさま』へと至る道は、斜めに、夜空の果てへと続く。
望月 餅子は、周囲を見渡した。
東西南北から押し寄せた、転校生の影たちは、『祈り手たる個』たちによって、押しとどめられている。
空の『おつきさま』が消えていないということは、山乃端 一人も無事。
それぞれの理由で山乃端 一人を救わんとした並行世界の魔人の鏡像たちは、十分以上に役割を果たしてくれた。
彼らの本体が存在する並行世界に投影された『望月 餅子』は、彼らの献身に報いるような働きができるのだろうか。
浮かんだ雑念を払うように、餅子は首を振る。
「それでは、お願いします」
「いいのですか?」
餅子は鏡助の問いにうなずいた。
これ以上待っていては、『おつきさま』の破壊が間に合わない。
山乃端 一人は、来なかった。
間に合わなかった。
彼女がここに来て、望月 餅子を――十二番目の《獄魔》を封じる。
それこそが最上の選択だったのに。
世界の修正力が『おつきさま』という転校生を呼び出した以上、今更封印が成立しても、状況が改善されなかった可能性もあるが、それでも、試す価値のある有力な選択肢だったはずだ。
けれど、彼女は、望月 餅子を封じられなかった。
偽物の幼馴染を、偽物と断じて切り捨てられなかった。
だから、この状況で、望月 餅子が為すべきことは、『おつきさま』と相打つことだ。
山乃端 一人に対する最大級の脅威、十二番目の《獄魔》と、世界の修正力の具象『おつきさま』が相殺しあう。それが、最善から二番目の策である。
「では、これを」
鏡助はどこからともなく、手鏡を取り出すと、餅子に手渡した。
その鏡面は何も写さず、ただ『白』に染まっている。
鏡をはめ込んだ金属製の縁には、『prayer_No11/S.T』と刻まれていた。
対『おつきさま』の切り札。
綻びだらけの望月 餅子が、転校生に相対するための奥の手。
扱いを間違えば、世界をも蝕む、諸刃の剣。
「それでは。御武運をお祈りします」
ここ事に至り、長い口上も別れも不要。
転校生との戦いの結果に関わらず、鏡助と望月 餅子は、二度と会うことはないだろう。
「ここまで、ありがとう」
「こちらこそ。あなたが、私の描く曼荼羅の一欠片で良かった」
――魔人能力『虚堂懸鏡』
鏡を門として現と幻を行き来する異能。
それによって、望月 餅子は星空の中、『おつきさま』へと高速で射出された。
5.『天の光はすべて星』
反転する。逆転する。鏡鳴する。鏡感する。
世界が歪み、全てがさかさまの世界へと、望月 餅子は放り込まれた。
光景が変わる。
東京の街の中から、黒白で塗分けられた空間へと視界が変貌する。
そこは、灼光と漆黒の世界。
最低表面温度、約-238.3℃、最高温度約106.7℃。
重力1/6G。
大気濃度10^-15atmの極高真空。
宇宙放射線を含め、およそ人が生身で生存できる要素は皆無の、命無き地。
月面。転校生『おつきさま』とは異なる、太陽系第三惑星地球の衛星、月の表面。
望月 餅子が転移したのは、そんな空間だった。
彼女が並みの魔人であったなら、出現した瞬間に全身が弾け飛んでいただろう。
しかし、彼女は《獄魔》。
無数の人類の認識により、存在を裏打ちされた、概念の怪物。
故に、生物による明確な害意を帯びた現象ではない物理法則によって、害されない。
いや、仙道 ソウスケや、『群青日和』と戦闘した時点の「人に寄っていた」望月 餅子なら、やはり一般的な魔人のように、宇宙のゴミと化していただろう。
しかし、並行世界のデミゴッド、クリープの『浸透する美姫』により、人としての偽装を剥がされた今、望月 餅子の在り方は、生物よりも概念に寄ったものになっている。
だから、耐えられる。
だから、立ち向かえる。
ほんの短い間、姉のように自分を慮ってくれた存在に、餅子は感謝した。
上空の大半を埋めつくすのは、ゆっくりと――視覚的にそう見えるだけで実際には高速で地球に落下している――月とすれ違おうとする『おつきさま』だ。
天体でありながら、転校生であるイレギュラー。
無限に存在する並行世界の同一存在全ての存在力を束ねることで、無限の攻撃力と防御力を宿す、この世界の法則を逸脱したマレビト。
これを破壊しなければ、山乃端 一人は死ぬ。
地球人類を巻き添えにしないよう、『おつきさま』から人類種を守る人柱になる。
それを止めるために、望月 餅子はここに来たのだ。
たとえ、自分の全てを、犠牲にしたとしても。
だが、どうやって。
望月 餅子の身体能力では、ただの月ですら砕けない。
穿つべき『おつきさま』は、無限の並行世界の月の強度を内包する存在だ。
【望月 餅子の身体能力<月の強度×∞】
この不等式を反転させねば、『おつきさま』は、打倒しえない。
ぎぎぎ、と。
ぎこちない笑顔で、望月 餅子は宇宙空間を駆ける。
転校生、『おつきさま』へと、立ち向かう。
『望月 餅子は、白兵のみを攻撃手段とする魔人である。
能力は、『もちもちぺたぺた肌』。触れたものにくっつく能力。』
その限りにおいて、ただひとりで、『おつきさま』を砕くことなどありえない。
だが、その前提は、間違っている。
なぜ、餅子の能力は髪にも適用されたのか。
なぜ、餅子の能力と鏡助の能力で、並行世界からの援軍を呼べたのか。
望月 餅子は、触れたものにくっつく魔人ではない。
『接続』という概念を権能とする、《獄魔》である。
《獄魔》とは、自分の司る『色』によって、能力に補正を受ける存在だ。
今、望月 餅子の後ろには、陽光を照り返す月面が、前には『おつきさま』がある。
周囲の『白』が、色彩の加護を望月 餅子に与える味方となる。
餅子は、『おつきさま』に取りついた。
なんの反撃もない。
なんの抵抗もない。
そんなものは必要ないからだ。
ただ、山乃端 一人めがけて落ちるだけでいい。
絶対的な質量と、絶対的な強度をもって、蹂躙するだけでいい。
それが、この転校生の力。
餅子は、無造作に、拳を『おつきさま』に叩きつけた。
『群青日和』を、雲の上まで吹き飛ばしたそれより、なお強力な一撃。
だが、『おつきさま』には、ひびひとつ、入ることはなかった。
【望月 餅子の身体能力+月面の『白』による色彩補正<月の強度×∞】
まだ足りない。
『群青日和』を凌駕した、『白』の加護。
しかしそれは所詮有限。
無限の存在を内包する転校生にはなお届かない。
わかっていた。
望月 餅子だけでは、『おつきさま』は砕けない。
だから、事態の打破には、他者の助力が必要だ。
だが、だれから力を借りればいい?
餅子の『接続』の権能と、鏡助の、並行世界の運用能力。
これによって、この世界線と繋ぎ合わせることができたのは、25の並行世界だった。
それぞれに、山乃端 一人の生存を願う、『祈り手たる個』がいた。
世界の境界を穿ち、助力を得ることができるのは、それぞれ一回ずつ。
その力を借りた結果として、山乃端 一人は守られ、望月 餅子はここにいる。
逢合 死星は、不滅の女王を不滅のまま巡礼の旅へと連れ出した。
柳煎餅は、過去の概念を負うもの同士で死合い、形而上概念の怨霊を断ち斬った。
瑞浪星羅は、『ノックスの十戒』の名に込めた起源を自覚し、不条理な謎を解体した。
端間 一画は、探偵概念の争奪戦において、肩書ではなく役割として探るものを貫いた。
宵空 あかねは、怨の炎と死の先を行く意志で、復讐者を焼き尽くした。
空渡丈太郎は、因果を歪める能力を、宿命の糸を手繰り寄せることでねじ伏せた。
山乃端 万魔は、望月 餅子の在り方を疑い、理解し、その背中を押した。
ジョン・ドゥは、山乃端 一人に、魔を使役するものとしての覚悟を問うた。
ウスッペラードは、餅子と一人に、『悪』という正しい義の可能性を示した。
ハッピーさんは、山乃端 一人を襲う最悪の能力に踏みとどまり、
有間 真陽に託した。
浅葱和泉は、歪められた守り手の可能性を、ことごとく汚すことで浄化した。
徳田愛莉は、生み出した発明の数々で、隣に立つ味方を守り切った。
鍵掛 錠は、混沌と呼ぶに相応しい肉塊の災禍に、罠の極地で抗った。
有間 真陽は、山乃端 一人を抱えて逃走し続けた。
山居 ジャックは、最後まで己の覚悟を曲げぬ姿を餅子の心にに刻んだ。
キーラ・カラスは、魔女の力の源たる黒歴史ノートのことごとくをお焚き上げした。
諏訪梨絵は、愛の千日手により、無限という神話と化した。
ルルハリルは、山乃端 一人の最後の切り札として、彼女と彼女の視界を護り続けた。
鬼姫 殺人は、並行世界の山乃端 一人の復讐者を心的外傷によって無力化した。
クリープは、餅子を慈しみ、そして、餅子が一人を守る力を得る手助けをした。
月光・S・ピエロは、無数の罠によって動きを止めた肉塊の怪物に、予告通りの死を与えた。
そう。ここまで、望月 餅子と、山乃端 一人を守ってきたのは、24の守り手たち。
未だここに、『接続』されていない並行世界、登場していない『祈り手たる個』が存在する。
餅子は、鏡助から受け取った手鏡をスポーツバッグから取り出した。
まだ接続されていない、25番目の並行世界と繋がる鏡。
『prayer_No11/S.T』
――No.11
多田野 精子。
『祈り手たる個』の中で唯一、山乃端 一人を守る者ではなく、侵略する側に立つ反則。
とある魔人によって生み出された、並行世界の壁を穿ち、山乃端 一人を妊娠させるためだけに世界線を越えて彷徨する、その軌跡全てを白く塗り潰す精子の化け物の群れ。
交渉して協調行動が取れる相手ではない。
だが、望月 餅子が『おつきさま』を打倒するための手段があるとすれば、もはやこれだけだ。
多田野 精子は、無数の並行世界を白く蹂躙した。
つまり多田野 精子の世界とこの世界とを接続すれば、ひとつの世界線を『白』に染めた以上の色彩の加護を受けることができる。
たとえ、多田野 精子が『おつきさま』との戦いに都合よく共闘せずとも。
望月 餅子自身の力で、『おつきさま』を破壊する可能性が生まれるのだ。
おそらくは、その瞬間に、望月 餅子は多田野 精子に『呑み込まれる』だろうが。
「『フッ。オレは、お前の親友だ。そう育った。だが……我が真の名は、漂白怪人エターナルヴァイス……それよりも先に、怪人として、この世に生を受けたのだ』」
望月 餅子は、シャベルを掴む手に力を込めた。
口をついて出たのは、いつか、カラオケボックスで見た、ウスッペラ―ドの出演作のセリフだった。
「『フフッ。善悪半端な灰色の命一つで敵の首魁が倒せるんだ。安いもんだろう』」
覚悟はとうにできている。
元より傍にいてはいつか山乃端 一人を傷つける存在。
これが最も冴えた選択肢というものだろう。
数多の並行世界を白で染め上げ、無数の転校生を有象無象として蹂躙してきた災害。
それを封じていた、鏡へと、望月 餅子はシャベルを突き立てる。
シャベルとは、掘り穿つ道具。
天と地の境界を貫き繋ぐ穴を生み出すもの。
『接続』の権能の《獄魔》の象徴が、望月 餅子と多田野 精子の世界線とを繋いだ。
~~~~○ ~~~~○ ~~~~○ ~~~~○ ~~~~○
水の音がする。白く白く塗りつぶされる世界に、ただ水の音がする。
振るわせる大気などないはずの宇宙に、それでも水の音がする。
それは涙が垂れる水の音であり。
それは血があふれる水の音であり。
それは、海が落ちていく水の音であり。
それは、ひとりの男が遺した、水の音であった。
崩れていく世界、消えていく空、落ちていく海、崩れていく大地。
その世界はいま、明確に終わりを告げようとしていた。
砕けた鏡――並行世界と並行世界の境界から、精子が溢れだす。
同時に、接続された世界から、望月 餅子は、『白』の加護を――
――全く、受けることが、できなかった。
「な――」
そう。それは、色彩としては『白』なのだろう。
だが、『白』である以上に、『精子』であった。
認識が物理法則を歪めることこそ、この世界のルール。
たとえ目に見える物理的な光が白の色彩のカテゴリにふくまれていようと。
観測する者がそれよりも強く別の概念を思い浮かべてしまえば、意味をなさない。
それほどまでに、砕けた手鏡を潜り抜けて、世界の向こう側から押し寄せる多田野 精子の存在は、異質であり、異常であり、異端であった。
それが『白』という色彩であろうと思うことよりも、生――性に直結する『精子』という概念の重圧に、全ての意識を引き寄せられてしまう。
静止した世界の中で、正視に堪えぬ惨状が展開される。
己が在り様で正史をも塗り替える、制止するものなき精子の群れは、たとえ火途・血途・刀途の三途からとて魂を救うとされる勢至菩薩の権能ですら正道に導けまい。
甘かった。
たとえ、ヒビだらけの今の自分の自我であっても、ほんの一瞬だけならば、多田野 精子をやり過ごして利用できると思っていた。
だが、無理だった。
色彩の加護は得られず。
転校生『おつきさま』は砕けず。
その上、転校生以上に危険な存在を、この世界に繋げてしまった。
鏡助ならば、取り返しがつかなくなる前に、多田野 精子を元の世界に放逐できるだろうが、それでは『おつきさま』はどうしようもならない。
望月 餅子としての自我がぼやけていく。
あと、もう少し、自らの精神が万全であったなら。
眼前の存在をねじ伏せる意志があったなら。
自分の意識を『精子』から逸らしてくれる何かがあったなら。
だが、この宇宙空間に、そんなものはない。
ひとりで立ち向かい、ひとりで決着をつけることを選んだのだ。
だから、ここにいるのは、望月 餅子、一人だけ。
「――餅子!!!!」
そう。
この宇宙空間で。
転校生『おつきさま』と、多田野 精子と対峙しているのは。
――望月 餅子と、山乃端 一人だけである。
「……ひー、ちゃん? どう……して?」
望月 餅子は見た。
いつの間にか、自分の横に、山乃端 一人が浮かんでいるのを。
人は、宇宙で生身で生きられるようにはできていない。
だから、幻だと思った。
「『ひーちゃんのピンチには必ず駆けつけて守ってあげましょう!』でしょ? ……なら、私だって、あんたのピンチには、駆けつけないと」
だが、よく見れば、その周囲は、薄い半透明の球体に包まれている。
亜空の瘴気を閉ざす縛鎖。亜空間を游ぐ攪拌機。
伸縮自在に変化する肉体を持つ、山乃端 一人を宿主とする戦略時間兵器。
『祈り手たる個』の一が、山乃端 一人の生存を可能としているのだ。ならば、ここまで彼女を移動させたのは鏡助だろう。
守るべき彼女を、こんな最前線に。なぜ。
「ごめんね。私はバカだから、結局、こんなことしか思いつかなかった」
そう言って、彼女は、銀時計を餅子に向けた。
その意味することは明確だ。
彼女は、望月 餅子――『白』の《獄魔》と銀時計を繋げようとしている。
それは封印と同義。
銀時計と繋がれば、『白』の《獄魔》は、山乃端 一人のバックアップを受けられる。
銀時計に封じられれば、十二柱の《獄魔》を封じた山乃端 一人は、《獄魔》全てと取引をして、戦いの運命から逃れられる。
銀時計に取り込まれれば、『白』に生じたバグである、望月 餅子という人格は、漂白される。
望月 餅子が当初想定していた、最善のエンディングだった。
「……よかった」
「よくないわよ」
「ごめんね。つらい思い、させて」
山乃端 一人は答える代わりに、餅子の手に、銀時計と自分の手を重ねた。
銀時計を挟んで、二人の手と手が握られる。
自分の中に力が溢れ、同時に、大切なものが欠落するのを『白』の《獄魔》は感じた。
それは、ここ数年間、自分を定義していた名前。
自分が拠り所としていた人としての偽装の象徴。
■■ ■■。
目の前の『おつきさま』になぞらえた、名前だった気がする。
山乃端 一人に初めて出会ったときにもらった言葉から、つけたものだった気がする。
だが、それは、『白』の《獄魔》に生まれたバグとして、消去された。
けれど、それでいい。
元から、『浸透する美姫』で霞んでいた自我だ。
切り離されてむしろ、思考が軽い気さえすると、《獄魔》は思った。
「ねえ、■■――」
山乃端 一人が、認識できない単語で《獄魔》に呼びかけた。
「あんたのやろうとしてることはだいたいわかってる。物理的な守りは、ルルハリルが、精神の防御は、私がやる。だから――一緒に、こいつを、ぶっとばすわよ」
ああもう。
いつもそうだ。
《獄魔》の口元に笑みが浮かぶ。
山乃端 一人を助けたくて自分は走り回るのに。
結局、本当に大事なところで、この幼馴染は、自分を助けてくれるのだ。
たった今、バグとして消去された思い出の中に、おぼろげな輪郭になってしまった残像の中に、そんな記憶が、たくさんあったはずだ。
手を繋いだ《獄魔》と山乃端 一人を包み込むように、飲み込むように、精子の群れが押し寄せる。
絡みつく触手と鋭い牙で喰いかかるオクトパス・精子。
人の脳を貪らんとするファイブヘッド・精子。
ただそこにあるだけで射精能にて存在を汚すアトミック・精子。
精子チェーンソーで神をも両断するフランケン・精子。
霊的精子攻撃で存在に精子としての概念を強制付与するウィジャ・精子。
その全てを、▆▇▅▇▃▇▇▅▆▆▇▅▇▃▇▇▅。
絡みつく触手と鋭い牙▆▇▅▇▃るオクトパス・精子。
人の脳を▇▇▅▆▆▇ァイブヘッド・精子。
ただそこにあるだけ▆▇▅▇▃▇▇在を汚すアトミック・精子。
精子チェーン▃▇▇▅▆▆▇▅▇▃▇▇▅ン・精子。
霊的精子攻撃で存在に精子としての概念を強制▆▆▇▅▇▃▇▇▅子。
名状しがたい何か――『超神話的存在を内包した捕獲機とそれに呼応し追従して発生する特異点のイベントホライズン抑制装置、及びこの装置の観測者の時空間断層境界記録帯とその記録器』――通称ルルハリルが抉り喰らい塗りつぶし返していく。
「『逢魔刻』が命じる。導きの灯、誘う瞬き、真実を問う炎」
山乃端 一人は、《獄魔》の手を強く握り、
「引き寄せよ――《Ⅳ-道標たる橙火》! ■■! あんな化け物じゃなくて! 私を見ろ! 相手がどんな化け物でも! 私は……山乃端 一人は、あんたの隣にいる! 私は山乃端 一人! ■■ ■■の、『最強』の幼馴染だ!!!」
高らかに叫んだ。
行使された《獄魔》の権能は、《Ⅳ-道標たる橙火》。
その能力は、引き寄せ。ベクトルの操作。
物理的な方向性のみならず、精神――意志や意識の向きをも制御する力だ。
『白』の《獄魔》の注意が、隣の山乃端 一人、そして、握った手の温もりへと、引き寄せられる。
目の前の『精子』という概念から解放され、真にあるべき自由を取り戻す。
つい先ほど、『白』の《獄魔》は悔やんだ。
あと、もう少し、自らの精神が万全であったなら。
眼前の存在をねじ伏せる意志があったなら。
自分の意識を『精子』から逸らしてくれる何かがあったなら。
そして今。
自らを蝕む『浸透する美姫』の影響は、自我の一部ごと切除された。
己の意志を支える力は、銀時計を通して山乃端 一人から供給された。
『橙』の《獄魔》の権能が、意識を『精子』という概念の圧力から守った。
ならば、できる。
『白』の《獄魔》は残った目的意識が白く燃え尽きる前に、事を為せる。
《獄魔》は、意識を拡張し、精子の押し寄せてきた、多田野 精子の世界線へと触れた。
『精子』という強すぎる表層概念――否、敢えて偽装と言おう。
それを剥いだ、中にある性質へと踏み込んだ。
多田野 精子の世界。
それは、愛の破れた世界である。
愛する人を守れず、触れられず、共に生きること、共に生きた証を残せずに息絶えた世界の慟哭である。
それは怨嗟となり、咆哮となり、生死の概念を超越し、より生命の本質に近い形を取って、復讐――あるいは、目的と手段を違えた暴走を開始した。
その思いの強さは世界線の枠組みを浸食し、越境し、『接続』し、全てを『白』に変えた。
それは、人ならざるものが、山乃端 一人を求めた果てである。
それは、山乃端 一人を取り巻く世界を傷つけるものである。
それは、世界を『白』く塗りつぶすものである。
それは、並行世界を『接続』するものである。
それは、山乃端 一人を愛するものである。
多田野 精子という『祈り手たる個』の世界線。
『精子』というテクスチャの裏にある要素を、『白』の《獄魔》は抽出する。
そして、その要素全てを共通点と定義し、己という存在と同一であると規定する。
ならば。
要素が同じであるならば。
想いが同じであるならば。
祈りが同じであるならば。
■■ ■■と、多田野 精子とは、並行世界の、同一存在である。
強弁である。
虚詐である。
そんなはずはない。
だが、元より、《獄魔》とは認識の産物。肉体なき概念の具象。
さらに、『白』の権能は『接続』。
彼我の境界を穿ち、ひとつにするもの。
その縁を辿り、触れたものとひとつになるという異能を拡大解釈し。
『白』は――それと合一した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
宇宙が、沈黙を取り戻す。
すべて空間は『白』と化し、しかして、精子は、すべて消え去った。
転校生『おつきさま』に向き合う二人の少女。
その片割れたる、『白』の《獄魔》は、ゆっくりと息をついた。
『白』の《獄魔》の姿は、さらに変容していた。
その髪は果てが見えぬほど長く伸び、微小管と尾部のようにうねっている。
今や彼女の髪の一本一本が、一つの世界を滅ぼし、世界線を越えて山乃端 一人を求めてきた愛の具象であり、一つの世界を塗りつぶした『白』だった。
「山乃端 一人」
『白』の《獄魔》は、隣の少女に呼びかけた。
もっと適当な愛称があったような気がするが、それはもうバグとして消去されている。
「力を。あたしとあなたの、最後の『共闘』です。――大丈夫。『タイタニック号に乗った気持ちでお任せください』」
「……ばか」
握られた手に、強く強く力が込められる。
どんなに強く願っても、この別離は止められないのに。
「『逢魔刻』が――山乃端 一人が、要請する」
山乃端 一人は、震える声で告げる。
多田野 精子を取り込むことで、完成した、『接続』の権能を持つ《獄魔》に。
無限の並行世界の『白』の加護を得た、『最強』に。
「私と共に、闘って――■■――」
十二の《獄魔》の中にあって、唯一、戦いの原因でなく、在り様を司るもの。
『共闘』の具象たる《獄魔》に。
「――《0-繋ぎ渡す白》」
『白』の拳が、『おつきさま』に振り下ろされる。
【望月 餅子の身体能力+世界を塗りつぶした『白』による色彩補正×∞>月の強度×∞】
月の概念強度×∞と、世界単位の概念強度×∞がぶつかり合う。
両者から∞の乗算が取り払われ、よって、残るは単なる概念の衝突である。
月は強大だ。しかし、それは、宇宙をも内包する世界のひとつの欠片にすぎない。
よって、今ここに、当然の摂理として、世界が――『白』の拳が、天の光を粉砕する。
砕けた欠片は大気圏で燃え尽き、無数の流星となるだろう。
今まさに消えようとする『白』の《獄魔》の、山乃端 一人に対する友愛のように。
これでいい。
このために、■■ ■■の生はあったのだ。
だが。
山乃端 一人はまだ、《獄魔》の手を、強く握り続けていた。
諦めないと、離さないとそう示し続けるように。
なぜだろうか。
もう、十二の《獄魔》は封じた。
『白』の《獄魔》の、山乃端 一人殺害拒否に反応した修正力――転校生『おつきさま』も消えた。
だから、彼女はこの手を離して、新たな友を見つけて、幸せになればいいはずなのに。
「――十二の獄魔よ。汝らの解放と引き換えに山乃端 一人が願う。此れは魂を賭けた取引である。聞き届けよ――」
そう。それでいい。
そのまま、十二の《獄魔》に、今代の山乃端 一人への不干渉を命じれば――
「――お願い! ■■ ■■を! ぺーちゃんを!! 助けて!!!!!」
しかし、山乃端 一人は、自分の安全のための願いを、口にしなかった。
6.『きみの話をしてくれないか』
水の音が消えた世界で、意識が輪郭を取り戻していく。
まだ、自我がある。
自分を認識する自分がある。
望月 餅子が、望月 餅子を認識できている。
左の手には自分のものではない生の温もり。
それを縁とするようにして、望月 餅子はまぶたを開けた。
望月 餅子と、山乃端 一人。
二人は、夜の昭和記念公園へと戻っていた。
何が起きたのか、餅子は漠然と理解した。
山乃端 一人は、自分のためでなく、望月 餅子のために、《獄魔》に願ったのだ。
《獄魔》に対して、自分を襲わぬように願い、安息を得る代わりに。
ただ、望月 餅子という存在の存続を願ったのだ。
『黒』は、時を越えた記憶の修復を。
『灰』は、崩壊しつつあった肉体の凍結保存を。
『赤』は、獣の如き無尽蔵の生命力のひとかけらの分与を。
『橙』は、散逸しかけていた望月 餅子という偽装魂魄の肉体への定着を。
『黄』は、精神に残っていた位相の異なる『浸食する美』の相殺を。
『緑』は、欠落していた肉体の補完を。
『青』は、流出しつつあった血液・体液の制御、循環を。
『藍』は、損傷した四肢の代替物の創造を。
『紫』は、不足した構成要素の収束を。
『銀』は、受肉に伴う人体としての再構成に伴うミネラルバランスの安定を。
『金』は、各《獄魔》単体では本来為し得ぬ、生命創造の権能を実現するための強化を。
『白』は、全ての《獄魔》を繋ぎ渡し、一糸乱れぬ精緻な奇跡を完成させた。
十二の権能は、取り込んだ偏在する無色の生命の素を材料とし、正しくその願いを叶えた。
無限の宇宙を喰らってきたはずの、多田野 精子は抵抗しなかった。
山乃端 一人の望んだ生命の素となること。再誕の種子となること。
それは、ある意味で、精子たちの本懐であったからだ。
これで貸し借りなし。
銀時計から解放された《獄魔》と山乃端 一人は、不倶戴天の敵へと戻る。
つまり、未だ山乃端 一人は、《獄魔》との戦いの運命から逃れられていないのだ。
「……ひーちゃんは、ばかです」
「なんで?」
夜空を見上げたまま、山乃端 一人は繋いだ手に力を込めた。
餅子もまた、星空を仰いだまま、その手を握り返す。
「だって。せっかく、命の危険がなくなるチャンスだったのに。自分の安全を投げ捨てて、他人のあたしを助けるとか……そんなの……ばかです」
「うん。ばかだね。餅子と、おんなじだ。自分を犠牲にして、私を助けようとした」
黒の空を、白い光が次々と流れ落ちる。
降り注ぐ雨のように。
それは二人が砕いた、『おつきさま』の欠片。
回り道を繰り返した少女たちが、初めて正しく『共闘』した、祝福の光。
「今度は、鏡助さんの――別世界の『祈り手』の助けはありません」
「うん」
「あたししか、いません」
「うん」
流星には、願いを託すものだと人は言う。
だから、餅子は祈った。
この、決定的なところで他人に手を伸ばしてしまうお人よしの幼馴染の幸せを。
そして、自分がいる事が、それに繋がるのかもしれないという仮定の元、自分の生存を。
「餅子と一緒なら、また、全部の獄魔を封じなおして、それでおしまいでしょ?」
ぐい、と繋いだ手を引き寄せ、一人は餅子を抱きしめた。
「だって。私の隣にいるのは、『最強』の幼馴染なんだから」
「……はははっ。そうでした。この『最強』がいる限り、なんにも、問題ありません!」
互いの生存を確かめるように、二人は、腕に力を込める。
「おかえり。ぺーちゃん」
「ただいま。ひーちゃん」
窮屈で、息苦しい。
すれ違い続けてきた二人の年月そのままの、不器用な抱擁だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
これにて長い物語にも一区切り。
これが、1/26の正義の果て。
3つの試練、25の鏡像との交錯の結末、『白』と一人の最誕。
これは、共闘の物語であった。
これは、正義の物語であった。
これは、山乃端 一人が生き残る物語であった。
これは、悲劇の運命を少女が覆す物語であった。
『最強』を名乗る《獄魔》と、孤高を走ってきた一人の物語。
この世界の山乃端 一人を救うとは、人外が、人外としてなお友愛を貫くこと。
26の守り手と、29(+2)の攻め手により、鏡面を向き合わせ、無限の破片を繋ぎ合わせ。
万華鏡には、天恍の星をも越えて輝く、救いの景色が描き出された。
この先は、描かれざる『白』の旅路。
自由で、何ものも生まれうる可能性の色の加護の元に、二人は駆ける。
ともに手を取り。
繫がりを握りしめ。
いつか来る終わりを、共に笑顔で迎えるために。
―― 一人が、二人になるための物語だ。
支配時間 |
名称 |
司る色 |
権能 |
0時(と12時) |
《0-繋ぎ渡す白》 |
『白』 |
接続 |
1時(と13時) |
《I-漆黒の人形》 |
『黒』 |
隔時知覚 |
2時(と14時) |
《Ⅱ-灰羽の雄梟》 |
『灰』 |
氷結能力 |
3時(と15時) |
《Ⅲ-血塗れの侵入者》 |
『赤』 |
物理攻撃 |
4時(と16時) |
《Ⅳ-道標たる橙火》 |
『橙』 |
ベクトル操作 |
5時(と17時) |
《Ⅴ-憑黄泉の美姫》 |
『黄』 |
魅了 |
6時(と18時) |
《Ⅵ-蘇生する緑》 |
『緑』 |
植物操作 |
7時(と19時) |
《Ⅶ-渇き飢える青》 |
『青』 |
水分制御 |
8時(と20時) |
《Ⅷ-自浄する藍》 |
『藍』 |
分体作成 |
9時(と21時) |
《Ⅸ-彷徨する紫煙》 |
『紫』 |
所有物引寄 |
10時(と22時) |
《Ⅹ-銀鉄の巨塔》 |
『銀』 |
金属操作 |
11時(と23時) |
《Ⅺ-黄金の欲望》 |
『金』 |
性質強化 |
}}}
最終更新:2022年04月23日 23:06