ドーソン派とは国防監察本部長クレメンス・ドーソン上級大将を中心とする同盟軍士官たちの派閥。トリューニヒト派の内部派閥とみなしてよい。

概略

 ドーソン提督との個人的な人間関係を基盤とする派閥である。彼が憲兵司令官を務めていたころの部下たち及び士官学校教官を務めていたころの教え子たちにって構成されている。(35話)ヨブ・トリューニヒトの後援を受けている。

 宇宙歴793年、憲兵司令官に就任したドーソン少将は副官エリヤ・フィリップス大尉の補佐により、(原作と比べて)大いに声望を高めた。(13話)そこで得た腹心の憲兵士官たちが中核となって成立した。主人公エリヤも含まれる。士官学校時代の教え子も数名登用されたが、この時点では結果を出せずに転出していった。(35話)
 宇宙歴794年8月、国民平和会議(NPC)前政審会長トリューニヒトはロボス派との協調を見直し、独自の派閥の結成を決意した。このときにドーソン提督はじめエリヤを含むドーソン派の士官たちの多くはトリューニヒト派に参加した。「リストの半分ほどはドーソン司令官とその側近で占められる」とあるように、当時のトリューニヒト派軍人の半数はドーソン派によって構成されていた。(24話)
 同年10月、第六次イゼルローン攻防戦において遠征軍副参謀長に就任したドーソン中将はじめ彼の腹心の元憲兵士官たちがトリューニヒト議員の後押しで幕僚として参加した。(24話)ここでもドーソン提督は(結果的に)的確な進言を行い、評価を高めた。その結果、遠征に参加したドーソン系幕僚たちの評価も上がった。(29話)

 宇宙歴795年3月、ドーソン中将はトリューニヒト国防委員長の横槍によって第一一艦隊司令官に就任し、憲兵時代の腹心及び士官学校時代の教え子を参謀に加えた。また、この人事によって同盟軍の最有力派閥であるシトレ派及びロボス派の反感を買った。
 同年4月の第三次ティアマト会戦で武勲を挙げたドーソン提督は非ドーソン系幕僚を第一一艦隊司令部からほとんど放出し、ドーソン司令官が部下だった憲兵、士官学校での教え子で空いたポストを埋めた。(35話)その結果、第一一艦隊司令部はドーソン派の牙城と化した 小所帯のドーソン派はみんな知り合い同士だが、決して親密ではない。ドーソン提督自身が人間関係を取り持つようなタイプではなかったたため、憲兵系士官と教え子系士官が対立した。そして、憲兵同士、教え子同士でも対立が絶えなかった。(35話)
 ただ作中の描写を見る限り、エリヤと仲の悪い憲兵系士官は見当たらない。おおむね、エリヤは憲兵時代の同僚たちとはそれなりにつきあっていたようである。(エリヤの憲兵時代の知人同士の仲が悪いことは推測される。)しかし、エリヤも教え子系士官とはうまくいっていないようであり、特に士官学校788年度卒業者である後方副部長アーセン中佐からはあからさまに嫌われていた。(35話)
 宇宙暦796年11月ドーソン中将はレグニツァの悲劇により痛手を蒙った第二艦隊の再建のため、同艦隊司令官に転任した。(50話)ドーソン派の牙城も第二艦隊司令部に横滑りしたものと思われる。同月第三六機動部隊司令官の内示をうけたエリヤは恩師ドーソン提督から推薦を受けた士官を参謀チームに加えており、ドーソン派はチーム・フィリップスの構成要素となった。
 宇宙暦799年9月ごろ、ラグナロック戦役の敗戦後、同盟軍は良識派体制に移行し、第二艦隊司令官ドーソン中将は予備役に編入され、トリューニヒト派はその多くが同盟軍を追われた。エリヤもこのとき予備役に編入されており、ドーソン派もその多くが軍を退いたものと思われる。

 宇宙暦801年4月先月の上院・下院同時選挙の大勝で成立したトリューニヒト政権マルコ・ネグロポンティ国防委員長はドーソン派の士官たちを国防委員会のポストに招いた。(75話)第三六機動部隊時代のエリヤの参謀を務めたドーソン系の士官たちはそちらへ行った。警視監として治安回復作戦「辺境正常化作戦」で功績を立てたドーソン予備役中将は宇宙軍大将に昇進し、統合作戦本部次長(作戦担当)に就任した(76話)ドーソン派は再興の機運に乗った。
 同年11月の一〇月クーデター民主政治再建会議クーデター)ののち、ドーソン提督は統合作戦本部長代行を務め、新設の国防監察本部長に就任した。(89話)以上の推移から、現在の同盟軍の中枢を占める最有力派閥の一つと思われる。

構成員

なお、階級は作中で最後に登場したときのもの。現在は昇進もしくは降格している可能性あり
  • 領袖
  • 憲兵系
  • 教え子系

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派閥
最終更新:2025年04月09日 10:53

*1 現在でもドーソンとの関係は良好であるが、事実上別派閥領袖