第三の転校生



 気がつけば,私は1人だった。
 真っ白なベッドの上で,真っ白な天井を見上げている。
「大丈夫?」
 真っ白な服を着た女の人が,私に話しかけた。
 私はその問に対して,どう答えていいかわからず,ぼうっと彼女の瞳を見た。



 私が連れてこられた施設は,私の他にもたくさんの子がいた。
「ねぇ,きみなんていうの?」
 特にすることもなく,庭で空を眺めていると,男の子がそう私に話しかけてきた。
 私はただ首を傾げた。
 そのまま,空を眺めていると,さっきの子が嬉しそうな表情で,私の元へ戻ってきた。

「先生にきいてきたよ。きみ,るみねって言うんだよ」
「るみね?」
 そう呼ばれていたような気もする。
 だけど,それはまるでひとの名前みたいに,口によく馴染んだ。


「きんじくんと仲良くしない方がいいよ」
 ある日,女の子が私にそう話しかけてきた。
「きんじくんはパパもママもいるから,あたしたちとは違うんだよ」
「どう違うの?」
「きんじくんと仲よくした子はみんなつれてかれちゃうんだよ」
 そのとき,私には,その言葉の意味が分からなかった。



「あなたのパパとママよ」
 先生に連れられて来てみると,見ず知らずの男と女が並んで立っていた。
「だれ?」
「あなたのパパとママよ」
 先生はまるでそう決まっていたかのように,強く私に言った。
「あなたが,るみねちゃんね。私があなたのお母さんよ」
 そして女は私にそう言った。





     『£』






 真っ暗な石畳の部屋の中に,血の匂いが充満していた。
「だめ,この子も死んでる」
「ああ,こっちもダメだ」
 男と女の声が,反響している。
「……だ…しぐて……」
 女の子が私の隣で,そう呟くのが聞こえた。
「出してぇ!! パパ! ママ! 助けてよぅ!!」
 また別の声が,部屋の奥から聞こえた。
「うるさいなぁ」
 男はうんざりだと言わんばかりに言う。
「元気なのはいいことよ」
 女は男をなだめるように,そう言った。
「この子は静かだね」
「死んじゃったのかしら」
「……だ…しぐて……パ……ま……」
「あ,生きてる」
「ダメだろ」
「ダメかしらね」
 その男と女の声が私の前で止まる。
「これは,まさか,あの子の頭か?」
「ええ」
「なんてことを! せっかくの覚者を,おまえ! どういうつもりだ!!」
「大丈夫よ。あなたがいない間に,何度も確認したの……ほら! 見て!」
「な……! なん,だと……?」
「ほら! 大丈夫だったじゃない! 私の言った通り,やっぱり,この子は天才なのよ!」
「あ,頭が,独りでにくっついた……?」
「宗家の方々に連絡しましょ! こんなのここ百年で初めてじゃない!?」
「ああ,これはありえない……。」
「それじゃ早速――!」
「待つんだ。様子を見よう。これは,ありえない! まるで,これじゃ」

「何してるの?」

 そう口を開くと,男がギョッと私の方を見た。
「るみねちゃん,おめでとう。あなたは,神様に選ばれたのよ」
 女の方は,そう言って,私の腕にかかった,錠を外す。
「何をしてるんだ!!」
 男が悲鳴をあげるが,女はにこやかに,
「この子なら,必ず宗家の家督を継げるわ! 我が杉崎の悲願がようやく叶うのよ!」
「……君のご家族については理解して,こうしてやってきたけど,もうこれにはついていけないよ……」
「ええ,他の子はもちろんみんな殺しちゃっていいわ。この子だけいれば,もう他の子なんていらない」
「君は……!!」
 そう言いかけて,男は逃げるように,その場を去った。





   ***『†』***






 式の夜のことはあまり覚えていない。
 式の日はものすごい勢いで,景色が変わったのは,覚えている。
「これであなたも宗家の人間よ」
 式の次の日,女が私にそう言った。
 女はなぜか,とても嬉しげで,私を映す瞳には涙を浮かべていた。
 彼女が私に向けた笑みは,どこか誇らしそうだった。

「るみね,君がこの家の主なんだから,家のことは,まかせたから」
 学生服を着た男の子が,そう言って,私と女の間を過ぎていった。
 女は,男の子の後ろ姿を見送ると,「お幸せに」と,そう微笑んだ。

 わたしはただ「はい」とだけ言った。



     『ρ』



 痛みだけがこの身を駆け巡る。
 憎しみだけがこの身に刻まれる。
「おみごとです」
 この屋敷のものが私に拍手を送る。
 私はやはり,うなずくことしかできない。
 冷たい刃物の切っ先が,点となって視界を貫く。
 また歓声があがる。
 痛いのか痛くないのか,泣いてるような気がするけど,眼窩から流れる大量の血液で,どちらともつかない。
 何も変わらない。
 前と同じ。痛いだけの毎日。
 痛いと,口に出して言いたかった,けど喉につっかえがあるかのように,その言葉は発することができなかった。
 そして,この苦痛を味わうときも,私の体は動かなくなる。まるで何かの呪いのように,私はこの痛みから,この苦しみから逃れられない。

「おつかれさまでした」

 この屋敷の女がそう声をかけた。
「うん」
 私はそう言った。終わったのか。
「次はいつまた披露なさるんですか?」
「また,機会があれば」
「楽しみにしてますね」
 女はそう微笑んで,私に背を向けた。



    『∃』



「決起しましょう」
 年寄り連中がそう私に言った。
 答えに困り,あれを見る。
 あれは興味のなさそうな目で私を見ると,
「今はきみが一番偉いんだし,きみが決めればいいよ。おれには関係ないし」
 もうどうでもよかった。
 殺し合いがしたいならすればいい。
「それじゃ,そうしましょう」
 そう答えると,威勢のいい声が室内に響き渡った。
「それでこそじゃ! 棟梁がいれば100人! いや千人力じゃ!」
 辺りから囃子が聞こえる中,耳元であいつが「……人気者だな」と囁くのが聞こえた。


    『∮』


 別に裏切った訳でもない。
 はじめから,仲間なんかじゃなかった。
「どうして……?」
 あの「見せ物」を楽しみにしていると,言っていた女だ。
 私を見つめ,不安げにこちらを見つめている。
「るみねさま……!」
 他の連中も次々に私を見る。
 周囲を取り囲む,迷彩服の男たち。銃口を上げ,私たちを睨んでいる。
 私は動かない。
「……バカな……この話は身内だけ……八部衆の方々にすら伝えていない……」
「クソッ!! 身内に内通者がいたのか……!」
 誰も気づいていない。
 私がこいつらを招いたのに,誰一人疑わない。
 私が内通者なのに,自分たちの仲間だと信じて疑わない。

「ここはワシらが……」 それどころか,進んで私の壁になろうとしている。
 私は何も言わない。
 合図もなく,彼らはいっせいに飛び出し,銃弾の雨の中,私の前に立ち続けた。

「おまえが,リーダーか?」

 最後,銃弾の雨の後,立ち続けた私に,迷彩服の男はそう尋ねた。
 私は何も言えなかった。



    『§』



「ルミネ!」
 葵の顔が目の前にあった。
「ほへ?」
「もう,放課後だよ。いつまで寝てるの? 一緒に帰ろ」
「あ,うん」

 とてとてと廊下を葵と歩きながら,ふと後ろを振り返る。

 真っ赤な夕日の先に,私たちの陰が,ぼんやりと広がっていた。




最終更新:2009年07月20日 23:51