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ならぬ堪忍
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ならぬ堪忍
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)重助《じゅうすけ》
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「勘弁ならぬというと、どうするんだ」
「このまま生きてはおられません、重助《じゅうすけ》を討ち果すか、それともこちらが討たれるか、どっちかに形をつけなければ、私の面目が、どうしてもたたぬ場合なのです」
「つまり果合いをするというのだな」
上森又十郎《かみもりまたじゅうろう》は始めて甥の顔を見た。
「できるだけ、堪忍したうえのことです、これ以上は臆病者の謗《そし》りを受けます」美しく紅潮した少年の面には、鑿《のみ》で彫りつけたような決意の表情があらわれていた。
少年の名は大六《だいろく》という。上森又十郎には兄にあたる池野五郎右衛門《いけのごろうえもん》の一人っ子で、そのとき十五歳になり、小小姓組にあがっていた。背丈も二歳ぐらい年上にみえるし、頭も明敏で、仲間うちでもかなり幅を利かしていたようである。相手の石河《いしかわ》重助というのは物頭の子で、からだつきは小がらであるが、むやみに敏捷な、ちょっかいの早い、乱暴者として名が通っていた。喧嘩の原因はまったく些細なものだが、「どうでも果合いをする」と云う大六の態度は真剣だった。
「侍の命は、いちど御主君に捧げたものだ、それを御馬前のお役にたてないで、私事のために捨てるというのは、道にはずれているだろう、私にはどうしても賛成できないな」
「けれども、いちぶん相立ちがたきときは、その場を去らず、いさぎよく勝負して存念をはらすがよし、と御家訓にもはっきり示されております」
「それだからといって、道にはずれたことが正当になるわけではないぞ」
「それなら、もうお願いしません」
そう云って大六は立ちあがった。そのまま行ってしまいそうにするので、又十郎はまあ待てと、袖を捉えんばかりにひき留めた。
「これだけ申しても、思い止まれないというならしかたがない、厳秘のことだが、おまえにだけうちあけてやろう」又十郎は坐り直して、声をひそめながら、じっと甥の目を見た、「……じつはここ半年か一年のうちに戦が起りそうなのだ」
「ええ、戦が起りそうですって」
「半年か一年のうちだ、それ以上のことはなにも話せない」又十郎は膝を進めた、「……いま喧嘩で捨てる命を一年延ばして、御馬前のお役にたてる気はないか、大六、それでもやはり重助と果合いをするほうがいいか」
「果合いはやめます」大六は即座にそう答えた、「けれど、戦が起るというのはほんとうでしょうね、叔父上、ほんとうならもう問題はありません、これからいって重助と仲直りをして来ます」
「仲直りをするには、おまえが謝らなければなるまい」
「謝るくらいなんでもありません」
大六は、凛然とそう云って、重助のところへでかけた。向こうでは岩橋なにがしという侍を介添に頼んで、約束の場所へでかけようとしていた。和解しようという大六の申し出が、嘲笑されたのは云うまでもない。重助とその仲間はあらゆる方法で辱しめたり、嗤《わら》ったりした、「地面へ坐って、両手をついて謝れ」と云った。大六はそのとおりにした。いくらでも笑うがいい、いまにになったらおれのほんとうのねうちを見せてやるぞ。そう思いながら、申をくいしばって我慢しとおした。
この話はたちまち城中へひろまった。大六の評判はよくなかった。
「少年同士でも、いったん果合いの約束までしたのなら、いさぎよく勝負をすべきである、土下座までして約束をとり消すというのはむしろ臆病と云わなければなるまい」
そういう評が多かった。けれども大六は、どんな評を聞いても痛くも痒くもなかった。そして一心に乗馬の稽古と槍の練習を励んだ。打ち太刀も熱心にやった。すべてを近づく合戦に備えて、なにもかも忘れたひたむきな稽古ぶりが、やがて少しずつ家中の人の注目をひきはじめた。「重助に謝ったのは、臆病からではなかったかも知れない」「そうだ、重助と果合いをして、勝ってもしかたがないからな」「謝れないところを謝るということは、ほんとうの勇気がなくてはできないものだ」こんどはそういう評がたちはじめた。もちろん、これとしても大六にはどちらでもよい評判で、彼はただ来るべき戦ということを目標に、黙って自分の修業をつづけていたのである……。こうして一年の月日が経った。けれど天下は泰平で、合戦のはじまりそうな話はどこにもなかった。それである時、大六は堪りかねたようにそのことを叔父にただした。
「ああ、あのときの話か」又十郎は笑いもしないで答えた、「……よろこぶがいい、あれは心配したほどのこともなく無事におさまった、天下は泰平だ、戦などはないから安心するがいい」
「戦などはないのですって」少年はきっと叔父の顔を見た、「……では大六の面目はどうなるのですか、重助づれに土下座をして謝った私の武士道はどうなるのですか」
「どうなるものか、おまえはりっぱに生きて御奉公しているじゃないか、この頃は武芸も上達したようだし、見たところ体も壮健だ、おそらくこれからも生きて御奉公ができるだろう、おまえの武道はちゃんと立っているよ」
「では叔父上は、初めから……」
「初めも終りもないさ」又十郎は平然とそう云った、「あのときおまえは、どうしても堪忍ならぬと云った、それが間もなく戦があるぞと聞いただけで、土下座までして果合いをとり消した、つまり『なる堪忍』だったのだ、さむらいには御奉公のほかに、ならぬ堪忍などということはないものだ」
大六は唇を噛み、頭を垂れた。
「あのとき、重助と果合いをしたらどうだ」又十郎は少し間をおいて云った、「……相手を斬ればおまえも切腹をしなければならぬ、勝っても負けても、今日おまえは生きてはいられなかったのだ、繰返して云うが、武士には御奉公のほかに捨てるべき命はないものだぞ」
底本:「爽快小説集」実業之日本社
1978(昭和53)年6月25日 初版発行
1979(昭和54)年7月15日 二版発行
底本の親本:「海軍」
1945(昭和20)年4月号
初出:「海軍」
1945(昭和20)年4月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)重助《じゅうすけ》
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「勘弁ならぬというと、どうするんだ」
「このまま生きてはおられません、重助《じゅうすけ》を討ち果すか、それともこちらが討たれるか、どっちかに形をつけなければ、私の面目が、どうしてもたたぬ場合なのです」
「つまり果合いをするというのだな」
上森又十郎《かみもりまたじゅうろう》は始めて甥の顔を見た。
「できるだけ、堪忍したうえのことです、これ以上は臆病者の謗《そし》りを受けます」美しく紅潮した少年の面には、鑿《のみ》で彫りつけたような決意の表情があらわれていた。
少年の名は大六《だいろく》という。上森又十郎には兄にあたる池野五郎右衛門《いけのごろうえもん》の一人っ子で、そのとき十五歳になり、小小姓組にあがっていた。背丈も二歳ぐらい年上にみえるし、頭も明敏で、仲間うちでもかなり幅を利かしていたようである。相手の石河《いしかわ》重助というのは物頭の子で、からだつきは小がらであるが、むやみに敏捷な、ちょっかいの早い、乱暴者として名が通っていた。喧嘩の原因はまったく些細なものだが、「どうでも果合いをする」と云う大六の態度は真剣だった。
「侍の命は、いちど御主君に捧げたものだ、それを御馬前のお役にたてないで、私事のために捨てるというのは、道にはずれているだろう、私にはどうしても賛成できないな」
「けれども、いちぶん相立ちがたきときは、その場を去らず、いさぎよく勝負して存念をはらすがよし、と御家訓にもはっきり示されております」
「それだからといって、道にはずれたことが正当になるわけではないぞ」
「それなら、もうお願いしません」
そう云って大六は立ちあがった。そのまま行ってしまいそうにするので、又十郎はまあ待てと、袖を捉えんばかりにひき留めた。
「これだけ申しても、思い止まれないというならしかたがない、厳秘のことだが、おまえにだけうちあけてやろう」又十郎は坐り直して、声をひそめながら、じっと甥の目を見た、「……じつはここ半年か一年のうちに戦が起りそうなのだ」
「ええ、戦が起りそうですって」
「半年か一年のうちだ、それ以上のことはなにも話せない」又十郎は膝を進めた、「……いま喧嘩で捨てる命を一年延ばして、御馬前のお役にたてる気はないか、大六、それでもやはり重助と果合いをするほうがいいか」
「果合いはやめます」大六は即座にそう答えた、「けれど、戦が起るというのはほんとうでしょうね、叔父上、ほんとうならもう問題はありません、これからいって重助と仲直りをして来ます」
「仲直りをするには、おまえが謝らなければなるまい」
「謝るくらいなんでもありません」
大六は、凛然とそう云って、重助のところへでかけた。向こうでは岩橋なにがしという侍を介添に頼んで、約束の場所へでかけようとしていた。和解しようという大六の申し出が、嘲笑されたのは云うまでもない。重助とその仲間はあらゆる方法で辱しめたり、嗤《わら》ったりした、「地面へ坐って、両手をついて謝れ」と云った。大六はそのとおりにした。いくらでも笑うがいい、いまにになったらおれのほんとうのねうちを見せてやるぞ。そう思いながら、申をくいしばって我慢しとおした。
この話はたちまち城中へひろまった。大六の評判はよくなかった。
「少年同士でも、いったん果合いの約束までしたのなら、いさぎよく勝負をすべきである、土下座までして約束をとり消すというのはむしろ臆病と云わなければなるまい」
そういう評が多かった。けれども大六は、どんな評を聞いても痛くも痒くもなかった。そして一心に乗馬の稽古と槍の練習を励んだ。打ち太刀も熱心にやった。すべてを近づく合戦に備えて、なにもかも忘れたひたむきな稽古ぶりが、やがて少しずつ家中の人の注目をひきはじめた。「重助に謝ったのは、臆病からではなかったかも知れない」「そうだ、重助と果合いをして、勝ってもしかたがないからな」「謝れないところを謝るということは、ほんとうの勇気がなくてはできないものだ」こんどはそういう評がたちはじめた。もちろん、これとしても大六にはどちらでもよい評判で、彼はただ来るべき戦ということを目標に、黙って自分の修業をつづけていたのである……。こうして一年の月日が経った。けれど天下は泰平で、合戦のはじまりそうな話はどこにもなかった。それである時、大六は堪りかねたようにそのことを叔父にただした。
「ああ、あのときの話か」又十郎は笑いもしないで答えた、「……よろこぶがいい、あれは心配したほどのこともなく無事におさまった、天下は泰平だ、戦などはないから安心するがいい」
「戦などはないのですって」少年はきっと叔父の顔を見た、「……では大六の面目はどうなるのですか、重助づれに土下座をして謝った私の武士道はどうなるのですか」
「どうなるものか、おまえはりっぱに生きて御奉公しているじゃないか、この頃は武芸も上達したようだし、見たところ体も壮健だ、おそらくこれからも生きて御奉公ができるだろう、おまえの武道はちゃんと立っているよ」
「では叔父上は、初めから……」
「初めも終りもないさ」又十郎は平然とそう云った、「あのときおまえは、どうしても堪忍ならぬと云った、それが間もなく戦があるぞと聞いただけで、土下座までして果合いをとり消した、つまり『なる堪忍』だったのだ、さむらいには御奉公のほかに、ならぬ堪忍などということはないものだ」
大六は唇を噛み、頭を垂れた。
「あのとき、重助と果合いをしたらどうだ」又十郎は少し間をおいて云った、「……相手を斬ればおまえも切腹をしなければならぬ、勝っても負けても、今日おまえは生きてはいられなかったのだ、繰返して云うが、武士には御奉公のほかに捨てるべき命はないものだぞ」
底本:「爽快小説集」実業之日本社
1978(昭和53)年6月25日 初版発行
1979(昭和54)年7月15日 二版発行
底本の親本:「海軍」
1945(昭和20)年4月号
初出:「海軍」
1945(昭和20)年4月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ