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或女の死
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或女の死
徳田秋声
徳田秋声
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)受持《うけもち》
(例)受持《うけもち》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)員|総《すべ》
(例)員|総《すべ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)抜かう/\
(例)抜かう/\
濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
お芳が急病だといふ電話がかゝつて来たとき、種吉はその傭はれてゐるデパートメントストアの自分の受持《うけもち》の西洋家具の販売部に何時《いつ》ものやうに店番をしてゐたのであつたか、その大きな雑貨店の雇員|総《すべ》てのなかでも、彼は主人の女婿である支配人の下《した》と言《い》つた格の一人であつたところから、ちよつと店を離れる訳に行かなかつた。
「今少し前に裏《うら》で洗濯をしてゐたんださうですがね、内へ入つて来ると、何だか急に体が大儀で何うすることも出来ないんださうです。どこが悪いんだか能く判りませんが、胸元か苦しくて、口も利けないてつた始末でね、何《ど》うも可笑しいから、お気の毒ですが、一つ急いでお帰んなすつていたゞきたいんですが………」と、さう言つて電話で知らしてくれたのは、二階に間借りをしてゐる、田中といふ或商店の通い番頭であつた。
種吉はちよつとどきりとしたが、折わるく昨日《きのふ》も少し飲みすぎて一|日《にち》休《やす》んだところであつたので、それではお芳《よし》の母へ直ぐ出向くやうに電話をかけておくから、至急に医者《いしや》を呼《よ》んで診てもらふやうにと頼《たの》んでおいて、電話を切つたのであつた。母はお芳がまだ此のデパートメントストアの横手にある絵葉書と煙草とを商つてゐる床店に、お芳が坐つてゐた頃から、主人の家で奥向《おくむき》のことに働いてゐた。
種吉は店が忙《いそが》しかつたので、つひ紛《まぎ》れがちではあつたが、何となく気が落着かなかつた。こゝへ入つてからは、厳しく言渡されてゐたので、飲仲間《のみなかま》とも悉皆《すつかり》交渉《かうしやう》を絶《た》つて、滅多にお茶屋《ちやや》なぞへ足踏《あしふみ》はしないことに謹慎してゐたが、以前の生活を考へると、いくら贔負目に見ても、お芳に好く仕向けたとは決《けつ》して言へなかつた。
勿論彼の十年程前に矢張りこのデパートメントストアにゐたこともあつて、そこで床店の番をしてゐたお芳の嫻《しと》やかな、しかし場所柄だけに何処か渋皮のむけた、意気な下町の娘らしい姿に惹着けられたのであつた。お芳は幼少のをりに脳を患つたとかで、どこか疳のわるいところのある娘だつたが、煙草や絵葉書の売行の好いのは、場所も場所だつたけれど、一つは彼女の様子が人□を惹《ひ》いたからであつた。
軍隊を出たばかりの種吉は、その店へ入つてから商売上のことにかけては、可也|呑込《のみこみ》が速《はや》くて、何彼に抜目《ぬけめ》のないことが、直《ぢ》きに上役《うはやく》の人達の目に著いたところから、時々店先へ来て、商売の話などして行く度びに何となく彼をお芳に頼《たの》もしく思はせてゐた。
「商売なら私何の商売でも好きですわ。何うしても商売がやつて見たいんですけれど……」お芳は言ふのであつた。
「私《あつし》も商売は大好《だいす》きですね。女が店へ坐るには、化粧品が一等でせうね。」種吉は言ふのであつた。
「化粧品も可ござんすね。ローズの出るのは化粧品が一等ですけれど、場所さへよかつたら、急度《きつと》売れるんです。」
それから間もなく、或日二人は甘《うま》く諜《しめ》しあはせておいて、一|日《にち》浅草へ遊びに行つた。そして其《そ》の帰りに一緒に御飯を食《た》べた。ちやうど花の咲きかけた三|月《ぐわつ》頃のことで、春の熱病に人は浮されてゐる時であつた。お芳はまだ二十二になつたばかりであつた。肩つきや頸脚などが素直で、手足もすんなりしてゐた。脳病の痕迹として、目が少しどろんとしてゐたけれど、それが又た種吉には一|層《さう》好《す》いたらしく思はれた。そして其《そ》の時お芳は総てを種吉の腕に投げかけたのであつた。
「商売の資本《もと》なら私も少しはもつてゐます。」お芳はさう言つて、一日も早く長いあひだ其処の看板娘として曝されて来たあの床店から足を洗ふことを希つた。
種吉が素捷《すばし》こくお芳を引こぬいたことは、しかし幼い時分目をかけて来た、年取つた主人を脅《おび》やかしたばかりか、お芳を張つてゐた多くの若いものを「あつ」と言はせずにはおかなかつた。
「兵隊あがりの青二才に遣られるなんて、さすがの乃公も気がつかなかつた。」老主人はさう言つて舌打ちをした。
彼は露天商人から成りあがつて、今は幾百万円の富を作つてゐた。
「今少し前に裏《うら》で洗濯をしてゐたんださうですがね、内へ入つて来ると、何だか急に体が大儀で何うすることも出来ないんださうです。どこが悪いんだか能く判りませんが、胸元か苦しくて、口も利けないてつた始末でね、何《ど》うも可笑しいから、お気の毒ですが、一つ急いでお帰んなすつていたゞきたいんですが………」と、さう言つて電話で知らしてくれたのは、二階に間借りをしてゐる、田中といふ或商店の通い番頭であつた。
種吉はちよつとどきりとしたが、折わるく昨日《きのふ》も少し飲みすぎて一|日《にち》休《やす》んだところであつたので、それではお芳《よし》の母へ直ぐ出向くやうに電話をかけておくから、至急に医者《いしや》を呼《よ》んで診てもらふやうにと頼《たの》んでおいて、電話を切つたのであつた。母はお芳がまだ此のデパートメントストアの横手にある絵葉書と煙草とを商つてゐる床店に、お芳が坐つてゐた頃から、主人の家で奥向《おくむき》のことに働いてゐた。
種吉は店が忙《いそが》しかつたので、つひ紛《まぎ》れがちではあつたが、何となく気が落着かなかつた。こゝへ入つてからは、厳しく言渡されてゐたので、飲仲間《のみなかま》とも悉皆《すつかり》交渉《かうしやう》を絶《た》つて、滅多にお茶屋《ちやや》なぞへ足踏《あしふみ》はしないことに謹慎してゐたが、以前の生活を考へると、いくら贔負目に見ても、お芳に好く仕向けたとは決《けつ》して言へなかつた。
勿論彼の十年程前に矢張りこのデパートメントストアにゐたこともあつて、そこで床店の番をしてゐたお芳の嫻《しと》やかな、しかし場所柄だけに何処か渋皮のむけた、意気な下町の娘らしい姿に惹着けられたのであつた。お芳は幼少のをりに脳を患つたとかで、どこか疳のわるいところのある娘だつたが、煙草や絵葉書の売行の好いのは、場所も場所だつたけれど、一つは彼女の様子が人□を惹《ひ》いたからであつた。
軍隊を出たばかりの種吉は、その店へ入つてから商売上のことにかけては、可也|呑込《のみこみ》が速《はや》くて、何彼に抜目《ぬけめ》のないことが、直《ぢ》きに上役《うはやく》の人達の目に著いたところから、時々店先へ来て、商売の話などして行く度びに何となく彼をお芳に頼《たの》もしく思はせてゐた。
「商売なら私何の商売でも好きですわ。何うしても商売がやつて見たいんですけれど……」お芳は言ふのであつた。
「私《あつし》も商売は大好《だいす》きですね。女が店へ坐るには、化粧品が一等でせうね。」種吉は言ふのであつた。
「化粧品も可ござんすね。ローズの出るのは化粧品が一等ですけれど、場所さへよかつたら、急度《きつと》売れるんです。」
それから間もなく、或日二人は甘《うま》く諜《しめ》しあはせておいて、一|日《にち》浅草へ遊びに行つた。そして其《そ》の帰りに一緒に御飯を食《た》べた。ちやうど花の咲きかけた三|月《ぐわつ》頃のことで、春の熱病に人は浮されてゐる時であつた。お芳はまだ二十二になつたばかりであつた。肩つきや頸脚などが素直で、手足もすんなりしてゐた。脳病の痕迹として、目が少しどろんとしてゐたけれど、それが又た種吉には一|層《さう》好《す》いたらしく思はれた。そして其《そ》の時お芳は総てを種吉の腕に投げかけたのであつた。
「商売の資本《もと》なら私も少しはもつてゐます。」お芳はさう言つて、一日も早く長いあひだ其処の看板娘として曝されて来たあの床店から足を洗ふことを希つた。
種吉が素捷《すばし》こくお芳を引こぬいたことは、しかし幼い時分目をかけて来た、年取つた主人を脅《おび》やかしたばかりか、お芳を張つてゐた多くの若いものを「あつ」と言はせずにはおかなかつた。
「兵隊あがりの青二才に遣られるなんて、さすがの乃公も気がつかなかつた。」老主人はさう言つて舌打ちをした。
彼は露天商人から成りあがつて、今は幾百万円の富を作つてゐた。
けれど種吉が強ち素捷《すばし》こいばかりではなかつた。お芳の母から主人の細君へ、細君から又主人へ詫《わ》び願つて二人で店をもつてから、後《のち》に詳しいことが知れたことであつたが、お芳はその頃もう処女ではなかつた。浅草の帰りに、種吉が彼女を誘《いざな》つた秘密《ひみつ》な場所でもお芳自身が正直にちよつと告白したとほりに、彼女は心にもなく或男に弄ばれてゐた。それはその店《みせ》へ煙草をおろして行く専売局の役人で、ある日お芳が品切れになつた煙草の注文に、遠《とほ》くもない彼の築地の家《うち》を訪ねたとき、ふとそんな係蹄《わな》に彼女はかゝつたのであつた。寒《さむ》い朝がまだ早《はや》かつた。そのうへ彼は夫婦間に葛藤《かつとう》が醸《かも》されて、その頃独り残《のこ》されてゐた。
種吉はそれを聞《き》いたとき、ちよつとうんざりさせられたが、しかしそれが一層彼の興味を唆りもした。お芳はさして深い羞恥を感ずることもなしに、然《しか》しいくらかの不正直な修飾をもつて、可也安易な気持で、それを告白したのであつた。種吉はその不検束《ルーズ》な態度に不快を抱いたが、決して厭にはならなかつた。
とにかく二人は望みのとほり新しい一つの店を持つことができた。そして楽しい幸福な日が二年ばかり続いた。お芳は初め種吉が予期したほど、商売が上手ではなかつた。総てが型にはまつた遣方で、種吉がゐないとなると、品物を卸しに問屋《とんや》から飛んだものをうんと背負込《せほひこ》ませられたりしてゐた。でもそんな点では、種吉も気を悪くするやうなことはなかつた。それよりも総ての点で彼女が思つたほど聢《しつ》かりしてゐないことであつた。懇意な問屋の男がいつも奥へ上り込んで話しこんでゐることなどが、殊にも種吉の期待を裏切つたが、何かしら金の無駄使《むだづか》ひをすることなども、厭であつた。それに先の専売局の男との関係も、種吉自身の智識以上に、何かを知つてゐる男があつたりして、一緒に酒を飲んだりする折に、時々《とき/″\》気を悪くさせられた。
お芳の出産が又た、種吉に取つて苦悩の一つであつた。勿論月を繰つてみたところで、明白にそれを証拠だてる何等の根拠もないことではあつたが、しかし疑問の目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]ればいくらも※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]れるのであつた。商売の資本と云ふのも、多分そんな処から出てゐるのだらうから、無意識《むいしき》にさうした打算《ださん》が自分にあつたことも拒《こば》めなかつたが、しかし考へてみると総てがお芳に取つては好い商売であつたのかも知れないのであつた。
種吉はその子供を愛せずにはゐられなかつた。酒に酔ふと持前の感傷癖が出《で》て、彼はそれを口へ出して、お芳を窘《くる》しめるのであつたが、子供自身には不思議な愛着が加はつた。
今迄堅気の商人の娘らしい慎みと、士分の血統らしいお上品さとをもつてゐたお芳が、厳重な主人の手から解放されてから、次第に型が崩れて行つたと同時に、気持も不検束に流れがちであつたとほりに、種吉の心も次第に荒んで行つた。彼は以前の男のことを言出して、彼女を虐げたが、反撥力も意気張もないお芳には、酒のうへで演ぜられる彼の狂態《きやうたい》も何の手答へもなかつた。彼女は全くの唖であつた。哀れな種吉はいつも外へ弾き出されるより外なかつた。時とすると彼は問屋の品物をこかしたりして、三日も四日も家を明けた。お芳が子供を負《おぶ》つて、彼を救《すく》ひに出かけることも度々であつた。
店が段々寂れて行つた。終ひに持ち切れなくなつた。種吉は厚《あつ》しを著るやうな身分にまで成下がつて行つた。それでも彼は酒を飲むことを止めることが出来なかつた。そして其の間にも、仲間の若い男に、お芳は唆《そゝ》のかされたりした。酔つて狂態を演ずる種吉が、どこまで沈んで行くかゞ可恐しくなつて来た。何処まで従いて行つても、際限がないやうに思はれた。お芳はその男と、或時家を出奔しようとさへしたのであつた。
切端つまつた或年の暮に、彼はふと大きい実業家の誰かの立志伝に感奮して、大道へ露店を張つて、思ひがけない利益に味を占めて以来、彼はいつかその仲間の顔利きになつて行つた。彼はぼろい金を儲けて荒い金を使ふことに慣れた。そして足を抜かう/\と思ひながら、つひ/\引摺られて行つた。何うかすると、彼はお芳と二人で、遠く離れて二箇所に店を張つたりした。お芳は次ぎに産れた子供を負つて、姿振《なりふり》かまはず寒い風のなかに立つてゐた。別に苦痛も感じなかつた。次第に恥も忘れがちであつた。そしてそんな仲間のうちの上方弁の若い一人の苦学生と、いつも持場を隣合せにしてゐたところから、何時かさうした関係に陥つて行つたのであつた。雨も降らないのに、二人は早く店をしまつて、家へ帰つて行つた。
間もなく種吉は其を感づいた。是までにさへなかつた葛藤が、長いあひだ三人の間に続いた。今迄ぐうたらに見えたお芳にも、青年の刺戟は利目はあつた。狂人のやうに種吉に打たれた彼女は、奮然としてその※[#「車+(而/大)」、第3水準1-92-46]《しなや》かな手をあげて彼の頭を打《ぶ》ちかへした。
「あなたも男なら、未錬らしく打《ぶ》つたり殴《は》つたりしないで下さい。そして綺麗に話をつけて私に暇を下さい。」お芳は蒼くなつて言ふのであつた。
種吉は一層狂ひ立つた。しかし散々毒づいたり暴れたり、畳に※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》りついて口惜しがつたりした果には、其がいつもの彼の病癖であるやうに、めそ/\と鳴咽の声を立てるのであつた。そして今までの荒い仕向を泣きながら妻に詫《わ》びたり、何事をも子供に免じて赦さうとさへ思ふのであつた。
結局人が間へ入つて、彼女をしばらく預かることになつたところで、彼は六つになる子供の健一の遣場に困つて、方々酒場を連れあるいたり、不相応なお茶屋へあがつて、彼を慰《なぐさ》めたりして、その日/\を紛らせてゐた。
種吉はそれを聞《き》いたとき、ちよつとうんざりさせられたが、しかしそれが一層彼の興味を唆りもした。お芳はさして深い羞恥を感ずることもなしに、然《しか》しいくらかの不正直な修飾をもつて、可也安易な気持で、それを告白したのであつた。種吉はその不検束《ルーズ》な態度に不快を抱いたが、決して厭にはならなかつた。
とにかく二人は望みのとほり新しい一つの店を持つことができた。そして楽しい幸福な日が二年ばかり続いた。お芳は初め種吉が予期したほど、商売が上手ではなかつた。総てが型にはまつた遣方で、種吉がゐないとなると、品物を卸しに問屋《とんや》から飛んだものをうんと背負込《せほひこ》ませられたりしてゐた。でもそんな点では、種吉も気を悪くするやうなことはなかつた。それよりも総ての点で彼女が思つたほど聢《しつ》かりしてゐないことであつた。懇意な問屋の男がいつも奥へ上り込んで話しこんでゐることなどが、殊にも種吉の期待を裏切つたが、何かしら金の無駄使《むだづか》ひをすることなども、厭であつた。それに先の専売局の男との関係も、種吉自身の智識以上に、何かを知つてゐる男があつたりして、一緒に酒を飲んだりする折に、時々《とき/″\》気を悪くさせられた。
お芳の出産が又た、種吉に取つて苦悩の一つであつた。勿論月を繰つてみたところで、明白にそれを証拠だてる何等の根拠もないことではあつたが、しかし疑問の目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]ればいくらも※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]れるのであつた。商売の資本と云ふのも、多分そんな処から出てゐるのだらうから、無意識《むいしき》にさうした打算《ださん》が自分にあつたことも拒《こば》めなかつたが、しかし考へてみると総てがお芳に取つては好い商売であつたのかも知れないのであつた。
種吉はその子供を愛せずにはゐられなかつた。酒に酔ふと持前の感傷癖が出《で》て、彼はそれを口へ出して、お芳を窘《くる》しめるのであつたが、子供自身には不思議な愛着が加はつた。
今迄堅気の商人の娘らしい慎みと、士分の血統らしいお上品さとをもつてゐたお芳が、厳重な主人の手から解放されてから、次第に型が崩れて行つたと同時に、気持も不検束に流れがちであつたとほりに、種吉の心も次第に荒んで行つた。彼は以前の男のことを言出して、彼女を虐げたが、反撥力も意気張もないお芳には、酒のうへで演ぜられる彼の狂態《きやうたい》も何の手答へもなかつた。彼女は全くの唖であつた。哀れな種吉はいつも外へ弾き出されるより外なかつた。時とすると彼は問屋の品物をこかしたりして、三日も四日も家を明けた。お芳が子供を負《おぶ》つて、彼を救《すく》ひに出かけることも度々であつた。
店が段々寂れて行つた。終ひに持ち切れなくなつた。種吉は厚《あつ》しを著るやうな身分にまで成下がつて行つた。それでも彼は酒を飲むことを止めることが出来なかつた。そして其の間にも、仲間の若い男に、お芳は唆《そゝ》のかされたりした。酔つて狂態を演ずる種吉が、どこまで沈んで行くかゞ可恐しくなつて来た。何処まで従いて行つても、際限がないやうに思はれた。お芳はその男と、或時家を出奔しようとさへしたのであつた。
切端つまつた或年の暮に、彼はふと大きい実業家の誰かの立志伝に感奮して、大道へ露店を張つて、思ひがけない利益に味を占めて以来、彼はいつかその仲間の顔利きになつて行つた。彼はぼろい金を儲けて荒い金を使ふことに慣れた。そして足を抜かう/\と思ひながら、つひ/\引摺られて行つた。何うかすると、彼はお芳と二人で、遠く離れて二箇所に店を張つたりした。お芳は次ぎに産れた子供を負つて、姿振《なりふり》かまはず寒い風のなかに立つてゐた。別に苦痛も感じなかつた。次第に恥も忘れがちであつた。そしてそんな仲間のうちの上方弁の若い一人の苦学生と、いつも持場を隣合せにしてゐたところから、何時かさうした関係に陥つて行つたのであつた。雨も降らないのに、二人は早く店をしまつて、家へ帰つて行つた。
間もなく種吉は其を感づいた。是までにさへなかつた葛藤が、長いあひだ三人の間に続いた。今迄ぐうたらに見えたお芳にも、青年の刺戟は利目はあつた。狂人のやうに種吉に打たれた彼女は、奮然としてその※[#「車+(而/大)」、第3水準1-92-46]《しなや》かな手をあげて彼の頭を打《ぶ》ちかへした。
「あなたも男なら、未錬らしく打《ぶ》つたり殴《は》つたりしないで下さい。そして綺麗に話をつけて私に暇を下さい。」お芳は蒼くなつて言ふのであつた。
種吉は一層狂ひ立つた。しかし散々毒づいたり暴れたり、畳に※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》りついて口惜しがつたりした果には、其がいつもの彼の病癖であるやうに、めそ/\と鳴咽の声を立てるのであつた。そして今までの荒い仕向を泣きながら妻に詫《わ》びたり、何事をも子供に免じて赦さうとさへ思ふのであつた。
結局人が間へ入つて、彼女をしばらく預かることになつたところで、彼は六つになる子供の健一の遣場に困つて、方々酒場を連れあるいたり、不相応なお茶屋へあがつて、彼を慰《なぐさ》めたりして、その日/\を紛らせてゐた。
種吉が少し早目に用事を片づけて、家へ帰つて来たのは、五時頃であつた。
今は彼も三人の子持で、しかも其の外に一人亡くしたりなどして、現在の店へ入つてから可也好い待遇を受けてゐたので、悉皆醒めてゐた。
「二三年みつちり働いてごらん。今はつまらないけれど、そのうちには何うにかなるだらう。決して悪いやうにはしないから。」主人夫婦は言ふのであつた。
彼は殆んどぴつたり酒を罷《や》めてゐた。お芳の総てが解つて来たと同時に、彼女を受容れるだけの余裕も出来て来た。子供の学校の成績の優れてゐることも、彼に取つては救ひの一つであつた。
彼が帰つて行つた時には、しかしお芳はもう口も利けないくらゐ情ない体になつて了つてゐた。
「何うだ、お芳しつかりしろ」と、種吉が驚いて傍へ寄つて行くと、お芳は両手を延べて、彼の胸倉に武者振りついて、何か言ひたげに口をもが/\させたが舌が利かなかつた。
二階の男や近所の人の話によると、お芳は裏の水道端から内へあがつて来ると、遽かにぐつたりとなつて、無性《むしやう》に体を慵《だる》がつてゐたが、終ひに胸を掻き※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》つたり、障子につかまつて悶え苦しんだりしてゐた。午后のことで医者は漸くのことで一人呼んで来たけれど、その時には、あはてゝ駈けつけてくれた母に手足や脊《せな》を撫《なで》さすつてもらつたりして、苦痛が去つてゐた。
「苦しくて為様がないから、早く寝かして下さい。」さう言ふのも漸《やつ》とであつた。
母のお律は急いで蒲団を延べてやつた。そして胸を撫《な》でさすつて遣つた。熱も高いので、氷嚢もつけてやつた。
医者は胃病だと言つてゐた。それに感冒もあると言ふのであつた。
種吉はひどく可哀さうになつて来た。何を言ひかけても答《こた》へることが出来なかつた。彼は狼狽《らうばい》した。そして夜になつてから、少し遠方にある或る病院から、漸と博士に来てもらふことが出来た。前に診てもらつた医者が余りにおつちよこちよいで、其上|家《うち》が汚なかつたり、お芳が裏店《うらだな》の女房じみた風《ふう》をしてゐたので、甚く冷淡で高慢であつたが、年取つた博士はさすがに人の命の貴《たうと》いことを知つてゐた。
「誠にお気の毒のことだが、もう恁《か》うなつては手のつけやうがない。それあ胃もあるでせうがね、心臓がすつかり弱つてしまつてゐる。何とも致方がない。」博士は言ふのであつた。
種吉は今更のやうに狼狽した。さつき自分の胸倉を取つて、何か訴へようとして、そのまゝどたりと横《よこ》になつたまゝ手も足も全く蠢くことすら出来なかつた。もう耳も聞えないらしかつた。勿論視力も失はれてゐた。
種吉は夢のやうな気がした。狼狽と絶望は感《かん》じながらも、何かまた一と皮、そこに遊びがあるやうな気がした。ほんとうに狼狽と絶望を感じてゐるのではないと思はれた。彼は自分の頭脳が麻痺《まひ》してゐるのではないかと疑つた。
「注射駄目ですか。」種吉は笑顔で訊いた。
「それも御希望なら為《し》てあげても可いが、却つて苦しむ。無論《むろん》反応《はんなう》のある筈もないのだから、やるだけ無駄《むだ》ですよ。それよりか酸素吸入でもやつた方が、病人は楽だ。其の方におしなさい。」
種吉は初めて可哀さうな彼女の運命を、はつきり見せつけられたのを感じた。このまゝ死んで行く。つひ今朝まで死の影さへ想像しなかつた若い彼女が、永久にこの世のなかから消されて行く。毎日平気で見《み》てゐた姿も一生見られなくなる。声も聞かれなくなる。種吉はさう思ふと、ひどく悲しくなつて来た。
「酷《ひど》いことになるもんですね。」種吉はお芳の手を握りながら、さも辛《つら》さうに母のお律に言ふのであつた。
余り晴やかではないが、いつもおつとりしてゐて、物静かでお上品なお律は、口数も利かずに、目に涙をためてゐた。
「ほんとに短かい生命ですね。可哀さうに苦労の為通《しどほ》しで……。」お律は独語つて咽喉《のど》を塞《つま》らせてゐた。
「何とかできないもんですかね。」種吉は腹立しさうに言つた。
酸素吸入の音と、ぜい/\言ふお芳の息使《いきづか》ひとが、しん/\と更けて行く夜の静けさのうちに、先きへ/\と時を縮《ちぢ》めて行くやうに思はれた。
周囲には色々の人が集つてゐた。医科器械屋の叔母さんの痛ましい顔も見えたし、種吉の兄夫婦の顔も見えた。主人の夫人も来てゐたし、その人の先妻の娘も来てゐた。彼等は時々しめやかな声で、何か私語《さゝや》いてゐた。
「可哀相だね。これでづつと息を引取つて行くのか知ら。」
「さう言へば、こないだ私のところへ来て、裏口から顔を出して、何だか息切れがして困ると言つてゐましたよ。かうと知つたら、あの時早く診てもらへば可かつたのに。」
「私んとこへも来ましたよ。つひ四五日前に。ちやうど御飯時でしたから、何にもないけれど、御飯を食べておいでと言つたの。何だか此の頃|窶《やつ》れてゐるなと思つたけれど、それでも御飯はいつものことで、どつちり坐り込んで、お鉢の底の出るほど食べて行つたぢやありませんか。」
皆んなはそんな話をして、笑つたり涙を拭いたりしてゐた。
お芳は何を言はれても、むつつともしなかつた。冷《つめた》い脂汗が、皮膚《ひふ》に汚点の出たやうな其の額に入染んでゐた。爪が蒼くなつてゐた。指が硬ばりかけて来た。
「保険金を取りぞくねないやうにしなくちや可けないぜ。」種吉の兄が言ふのであつた。
「あツ然うだ。」種吉は初めて気づいたやうに言ふのであつた。
「証書はあるか。」
「いや証書はまだ取つてない。」種吉は不安さうに言ふのであつた。
実際取る権利があるか何うかゞ疑はれた。それは種吉が、或る会社の勧誘員をしてゐる友の都合で、強ひて附けさせられたものであつた。
「あれも木村さんが、自分の其の月の収入上、何うしても入れなくちやならないので、お芳が厭だと言ふのを、自分で掛金の立替へまでして、無理に入れたんですかね、それもつひ一週間ほど前のことだ。」
「その受取は此方へ取つてあるかい。」
「それあ取つてあります。」
「ぢや大丈夫だ、甘《うま》いことをしたな。」
「けど厭ですね。子供三人残して死なれたんぢや私が遣り切れませんからね。」種吉は笑つてゐたが、この能なしの、しかし罪も科《とが》もない善良な女の短い一生が、さうした犠牲を払ふために生きられてゐたのだといふ気がして、自然《ひとりで》に頭が下るやうに感じた。
お芳の息が次第に微弱になつて行つた。長い貧しい暮しに窶れた顔から、生の色が看《み》る/\失せてしまつた。そして変《かは》つた何の前触れもなしに呼吸が絶えてしまつた。今まで喘ぎ/\してゐた口から泡を吹《ふ》いてゐた。
種吉はごぽんといふ音がして、自分の胸元に大きな空虚ができたやうな寂しさに襲はれた。
コレから保険金を受取る前後が、興味があるので、それを書くはづで死の前後は省略して書いたが、どうもこれだけの方が纏つてゐるやうだからこれで擱筆。[#地付き](大正11[#「11」は縦中横]年1月「中央公論」)
今は彼も三人の子持で、しかも其の外に一人亡くしたりなどして、現在の店へ入つてから可也好い待遇を受けてゐたので、悉皆醒めてゐた。
「二三年みつちり働いてごらん。今はつまらないけれど、そのうちには何うにかなるだらう。決して悪いやうにはしないから。」主人夫婦は言ふのであつた。
彼は殆んどぴつたり酒を罷《や》めてゐた。お芳の総てが解つて来たと同時に、彼女を受容れるだけの余裕も出来て来た。子供の学校の成績の優れてゐることも、彼に取つては救ひの一つであつた。
彼が帰つて行つた時には、しかしお芳はもう口も利けないくらゐ情ない体になつて了つてゐた。
「何うだ、お芳しつかりしろ」と、種吉が驚いて傍へ寄つて行くと、お芳は両手を延べて、彼の胸倉に武者振りついて、何か言ひたげに口をもが/\させたが舌が利かなかつた。
二階の男や近所の人の話によると、お芳は裏の水道端から内へあがつて来ると、遽かにぐつたりとなつて、無性《むしやう》に体を慵《だる》がつてゐたが、終ひに胸を掻き※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》つたり、障子につかまつて悶え苦しんだりしてゐた。午后のことで医者は漸くのことで一人呼んで来たけれど、その時には、あはてゝ駈けつけてくれた母に手足や脊《せな》を撫《なで》さすつてもらつたりして、苦痛が去つてゐた。
「苦しくて為様がないから、早く寝かして下さい。」さう言ふのも漸《やつ》とであつた。
母のお律は急いで蒲団を延べてやつた。そして胸を撫《な》でさすつて遣つた。熱も高いので、氷嚢もつけてやつた。
医者は胃病だと言つてゐた。それに感冒もあると言ふのであつた。
種吉はひどく可哀さうになつて来た。何を言ひかけても答《こた》へることが出来なかつた。彼は狼狽《らうばい》した。そして夜になつてから、少し遠方にある或る病院から、漸と博士に来てもらふことが出来た。前に診てもらつた医者が余りにおつちよこちよいで、其上|家《うち》が汚なかつたり、お芳が裏店《うらだな》の女房じみた風《ふう》をしてゐたので、甚く冷淡で高慢であつたが、年取つた博士はさすがに人の命の貴《たうと》いことを知つてゐた。
「誠にお気の毒のことだが、もう恁《か》うなつては手のつけやうがない。それあ胃もあるでせうがね、心臓がすつかり弱つてしまつてゐる。何とも致方がない。」博士は言ふのであつた。
種吉は今更のやうに狼狽した。さつき自分の胸倉を取つて、何か訴へようとして、そのまゝどたりと横《よこ》になつたまゝ手も足も全く蠢くことすら出来なかつた。もう耳も聞えないらしかつた。勿論視力も失はれてゐた。
種吉は夢のやうな気がした。狼狽と絶望は感《かん》じながらも、何かまた一と皮、そこに遊びがあるやうな気がした。ほんとうに狼狽と絶望を感じてゐるのではないと思はれた。彼は自分の頭脳が麻痺《まひ》してゐるのではないかと疑つた。
「注射駄目ですか。」種吉は笑顔で訊いた。
「それも御希望なら為《し》てあげても可いが、却つて苦しむ。無論《むろん》反応《はんなう》のある筈もないのだから、やるだけ無駄《むだ》ですよ。それよりか酸素吸入でもやつた方が、病人は楽だ。其の方におしなさい。」
種吉は初めて可哀さうな彼女の運命を、はつきり見せつけられたのを感じた。このまゝ死んで行く。つひ今朝まで死の影さへ想像しなかつた若い彼女が、永久にこの世のなかから消されて行く。毎日平気で見《み》てゐた姿も一生見られなくなる。声も聞かれなくなる。種吉はさう思ふと、ひどく悲しくなつて来た。
「酷《ひど》いことになるもんですね。」種吉はお芳の手を握りながら、さも辛《つら》さうに母のお律に言ふのであつた。
余り晴やかではないが、いつもおつとりしてゐて、物静かでお上品なお律は、口数も利かずに、目に涙をためてゐた。
「ほんとに短かい生命ですね。可哀さうに苦労の為通《しどほ》しで……。」お律は独語つて咽喉《のど》を塞《つま》らせてゐた。
「何とかできないもんですかね。」種吉は腹立しさうに言つた。
酸素吸入の音と、ぜい/\言ふお芳の息使《いきづか》ひとが、しん/\と更けて行く夜の静けさのうちに、先きへ/\と時を縮《ちぢ》めて行くやうに思はれた。
周囲には色々の人が集つてゐた。医科器械屋の叔母さんの痛ましい顔も見えたし、種吉の兄夫婦の顔も見えた。主人の夫人も来てゐたし、その人の先妻の娘も来てゐた。彼等は時々しめやかな声で、何か私語《さゝや》いてゐた。
「可哀相だね。これでづつと息を引取つて行くのか知ら。」
「さう言へば、こないだ私のところへ来て、裏口から顔を出して、何だか息切れがして困ると言つてゐましたよ。かうと知つたら、あの時早く診てもらへば可かつたのに。」
「私んとこへも来ましたよ。つひ四五日前に。ちやうど御飯時でしたから、何にもないけれど、御飯を食べておいでと言つたの。何だか此の頃|窶《やつ》れてゐるなと思つたけれど、それでも御飯はいつものことで、どつちり坐り込んで、お鉢の底の出るほど食べて行つたぢやありませんか。」
皆んなはそんな話をして、笑つたり涙を拭いたりしてゐた。
お芳は何を言はれても、むつつともしなかつた。冷《つめた》い脂汗が、皮膚《ひふ》に汚点の出たやうな其の額に入染んでゐた。爪が蒼くなつてゐた。指が硬ばりかけて来た。
「保険金を取りぞくねないやうにしなくちや可けないぜ。」種吉の兄が言ふのであつた。
「あツ然うだ。」種吉は初めて気づいたやうに言ふのであつた。
「証書はあるか。」
「いや証書はまだ取つてない。」種吉は不安さうに言ふのであつた。
実際取る権利があるか何うかゞ疑はれた。それは種吉が、或る会社の勧誘員をしてゐる友の都合で、強ひて附けさせられたものであつた。
「あれも木村さんが、自分の其の月の収入上、何うしても入れなくちやならないので、お芳が厭だと言ふのを、自分で掛金の立替へまでして、無理に入れたんですかね、それもつひ一週間ほど前のことだ。」
「その受取は此方へ取つてあるかい。」
「それあ取つてあります。」
「ぢや大丈夫だ、甘《うま》いことをしたな。」
「けど厭ですね。子供三人残して死なれたんぢや私が遣り切れませんからね。」種吉は笑つてゐたが、この能なしの、しかし罪も科《とが》もない善良な女の短い一生が、さうした犠牲を払ふために生きられてゐたのだといふ気がして、自然《ひとりで》に頭が下るやうに感じた。
お芳の息が次第に微弱になつて行つた。長い貧しい暮しに窶れた顔から、生の色が看《み》る/\失せてしまつた。そして変《かは》つた何の前触れもなしに呼吸が絶えてしまつた。今まで喘ぎ/\してゐた口から泡を吹《ふ》いてゐた。
種吉はごぽんといふ音がして、自分の胸元に大きな空虚ができたやうな寂しさに襲はれた。
コレから保険金を受取る前後が、興味があるので、それを書くはづで死の前後は省略して書いたが、どうもこれだけの方が纏つてゐるやうだからこれで擱筆。[#地付き](大正11[#「11」は縦中横]年1月「中央公論」)
底本:「徳田秋聲全集第14巻」八木書店
2000(平成12)年7月18日初版発行
底本の親本:「中央公論」
1922(大正11)年1月
初出:「中央公論」
1922(大正11)年1月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
2000(平成12)年7月18日初版発行
底本の親本:「中央公論」
1922(大正11)年1月
初出:「中央公論」
1922(大正11)年1月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ