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金庫小話
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金庫小話
徳田秋声
徳田秋声
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)家《うち》
(例)家《うち》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二|間《ま》
(例)二|間《ま》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#二の字点、1-2-22]
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#二の字点、1-2-22]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)しげ/\
(例)しげ/\
もう此の頃では、新らしい若い異性の友達ができたので、一頃のやうにしげ/\とは来なくなつたけれど、それでも矢張小鳥が古い枝を尋ねて来るやうに、年の割りにしては何時もふわ/\した気分と同じな、ひどく派手好みな姿を時々はそつと私の部屋へ現はしたり、又は子供の部屋をうそうそ覗いたりしてゐた小夜子が、私達も随分長いあひだ、彼女の家の勝手口の上り端の茶の間で見つゞけて来たあの大きな金庫を売りたいと言つて、私のところへ或日やつて来た。
小夜子は、その金庫は勿論だが――それはちよつとやそつとでは動かすこともできないものだから――その他商売に必要な電話や道具一式をそつくり其のまゝで、大川のほとりにある其の家《うち》を人に貸《か》してから一年何ヶ月かになるのであつた。彼女は田舎に大金持の姉さんもあつたけれど、大体その家賃で、借家暮しをして来たけれど、買ひ手さへ見つかれば、商売の株ごと家を売つて、外の手堅い商売に取りかゝる思案をしてゐた。彼女は恋愛の相手は時々こさへても、誰とも結婚なぞしたくはなかつたし、普通の家庭に納まるやうに出来あがつてもゐなかつた。四十をこしても、彼女は二十ぐらゐの令嬢風の装ひをしてゐなければ寂しい方なので、無論霊の憩ひ場所なぞ求める筈もなかつた。二三年前、商売柄としては異風なマダムとして、彼女自身もユニイクな存在として、嬌態を矜つてゐた頃には、華やかな過去の生活の影が、彼女の身のまはりの何処かに匂つてゐたし、七年間甘やかされて来た外人と、その頃無理矢理別れたのも、これから一ト花咲《はなさ》かさうといふ気概が見られたのだが、商売がうまく行かないのに気が腐つて、酔つぱらひの機嫌を取つたり、勘定催促に客の迹を追つかけまはしたりが熟々厭になつて、ぴつたり清算をつけてしまふと、急にのう/\して生活の疲れが年と共にどつと出て来たものらしく、彼女の姿も遽かに哀れつぽくなつてしまつた。美しいだけに、それが一人目に立ちもするし、若さの夢を追ひまはしてゐるだけ尚いぢらしく思へるのであつた。
私達は――といふのは私と私の子供の澆のことで、彼女は澆の友達でもあつたし、さうならない前から私は彼女と附合つてゐたので……勿論私の警戒網を突破して、彼と彼女はさうなつたのだが――よく彼女と三人で銀座をぶらついたし、川端の家や私の家かで何かして遊びもした。他の仲間が加はることもあつた。彼女は絵羽模様の羽織の長い袂をひら/\させて、ダイヤも大粒なのを二つも指に光からせてゐた。私自身は兎に角、さうやつて多勢の人を振かへらせて、銀座を歩いてゐる彼女の派手々々しい姿も美貌も幾年かの後にはもうその舞台から消えてしまつて、誰からも思ひ出されなくなる時のことを、無駄に考へたりしたものであつた。
するうち彼女は、支払ひをだらしなくしておくのは大の嫌ひだつたので、何うかすると身銭を切つて、客に酒を呑ませたり、女を遊ばせたりして機嫌を取らなければならないやうな結果に陥りがちなので、遽かに見切りをつけてしまつたのだが、同時に澆との関係も、彼と或踊り子との恋愛模様が一つの動機となつて、崩れかけて来た。慈母を失つた澆からいへば彼女は親切な美しいセミ・マザアであつたが、文学好きな、彼女からいへば、澆のもつてゐる雰囲気は、様々のことをし尽くして来た果ての彼女の息を吐くのに、ちやうど好い相手であつた。しかし小夜子にしてみれば、初めて、取つた澆の少し纏まつた原稿料が、一夜二夜のうちにすつかり踊り子にやるクウポンになつてしまつたことは、堪へがたい悲しみであつた。
「たとひ化粧水一つでも、そのお金で買つて私の鏡台の抽斗《ひきだし》に忍ばせておいてくれたら。」
小夜子は初な娘のやうに泣いた。
しかしさういふ彼女も、若い友達に段々不安を感じて、生活を立直すために、幾人かある何か古い馴染のどれかに救ひを求めてゐたのかも知れないのであつた。澆は澆で「婆《ばゝ》ア」とかぼろ[#「ぼろ」に傍点]フオドとか言つて、花なんか遊んでゐるをり、口汚くいふこともあつたけれど、小夜子を愛してゐるにはゐたし、彼女の生活にも深い理解をもつてゐた。
川端の家を引揚げてから、彼女はしばらく姿を現はさなかつた。私たちの目にふれないやうに遠いところへ引越してしまつた。それは最初は私達の傍へ引越して来たのだし、遠くへ消えてしまふまでには、其から二度も居所をかへたあとのことであつたが、去年の冬彼女はまた私達の近くへ引越して来たのであつた。そして今度はほんとに落着いたのだから、一度来て見てくれといふので、私は散歩がてら彼女について行つた。
場所は小石川を見晴らすやうな高台で、閑静な片側町《かたかはまち》であつた。ちよつと出ればそこが直ぐ本郷の目貫であつた。この女主人にはもつて来いの小綺麗な応接間が玄関脇にあつて、下は茶の間と座敷と二つ、日当りのいゝ二階も二|間《ま》あつた。そつちこつち持ちあるいた彼女のハイカラな衣裳箪笥や、仰々しい仏壇や、文学書類のぎつしり詰つた本箱や、フランス人形に、ゴブラン織の壁かけ、総ては彼女の川端の家の居間で長いあひだ見馴れて来たもので、女学生趣味の花生《はないけ》だとか、温泉土産の柱かけといふやうな、小物も少しはふえてゐた。
去年の夏川端の家を畳んで間もなく、彼女はひどく盛装して私の書斎にあらはれたこともあつた。かつて見ないバン婦|風《ふう》のいでたちで、私はすぐ彼女の最近の背景を物色することができたくらゐ気分がかはつてゐた。それは七八年前私の友達の弁護士に紹介されて、七年間同棲してゐた外国人と別れたばかりで、今後の生活の方向を何うしたものかと思案してゐた頃で、締りのない著物の著こなしや化粧に、何かさういつた風かあつたものだが、今暫くぶりで私の前にあらはれた彼女にも、それと共通なものがあつた。しかしそれもあつたゞらうが、私の想像は少し単純すぎたかも知れないのであつた。今たゞれ合つてゐる一人の青年との新しい恋愛関係も、既にその頃発生してゐたのかも知れないのであつた。澆との純な三四年間の静かな生活が、今また彼女の本来に還元されたものらしかつた。勿論その恋愛が、彼女にとつて一番純なものだかも知れないのであつた。純不純は兎に角、当座清新でありさへすれば、それでもよかつた。しかし彼女はその恋愛を秘しかくして、やつぱり時々は私達の家へやつて来たり、散歩したりするのであつた。
「やつぱりおばさんは澆さんの方が、おとなしいから好きなんだし、みんなもさう言ふんですけれど。おばさん少し今の人に困つていらつしやるんぢやないでせうか。」
年のわかい小夜子の友達が、私に話したこともあつた。
小夜子は前髪をふさりと切りさげて、ちよつと見たところ再びもとの若さを取りかへしたやうにも見えたが、よく見ると廃頽気分がそこに漲つてゐた。でも動きの多い、どうかするとひどく人に不安の感じを与へる彼女の目はやつぱり美しかつた。
「まあお坐んなさい。」
と言つても「えゝ、ありがと」と言つたきりで、落着いてもゐなかつた。
「わたしね、この夏は岐阜へいかうと思ふんですの。あすこで鵜飼を見たり、げろ[#「げろ」に傍点]の温泉へも寄つたりして、それから信州へいきますわ。」
私は少し面喰つた。あれほど生活の行詰りに弱つてゐた彼女は、すつかり気分がかはつてゐた。
「信州へ行くなら、良英さんのお寺へお寄りして、しばらくゐたいと思ふんですけれど、先生もいらつしやいません。」
良英といふのは大きなお寺にすわつてゐる、私の亡妻の弟で、小夜子の川端の家へもいつたことがあつた。
「行つてもいゝでせうか。」
「それあいゝさ。それに夏は色んな人が行つてるから。あすこにゐると、夏らしい感じが全くないんだ。」
すると二週間ほどすると、彼女の絵葉書がまるで方面ちがひの伊香保から来た。「ぜひ入らつしやい」とかいてあるけれど、旅館の名などはなかつたし、同伴がホン・クノオルであることも大抵見当がついてゐた。
「何だか西洋人とあるいてましたよ。」
避暑旅行から帰つて来た若い人が、私達の家人に、その後話してゐた。
少し涼しく校つてから、その独逸人クノオルが、彼女の二階へ引越して来た。クノオルは独逸の貴族で、前身が海軍々人であつた。東京へ来て、長いあひだ………………………を持ちこんでゐたものだが、この頃になつて彼が小夜子に話すところによると、一年の取引は大抵百万以下といふことはなかつた。震災後、最近までも彼は麹町に大きな邸宅を構へてゐた。小夜子は老母とともに、そのなかに暮してゐたが、彼を怒らせたことも屡※[#二の字点、1-2-22]であつた。小さい時分に、既に不良少女のリストにのぼつてゐた彼女のことだから、学生と悪戯をしたり、役者と遊んだりしたことは、勿論であつた。彼女はクノオルの母にも愛されてゐたし、正式な友人として本国へもつれて行きたかつたが、小夜子にそれだけの気持もなかつた。
クノオルは、しかし支那へ軍器を売る計画が水の泡になつてから、すつかり落ちてしまつた。彼はその報告を受取つたとき、箱根で卒倒してしまつた。
そしてちやうど其の次に、小夜子は彼を離れてしまつたのであつた。
今小夜子が売らうとしてゐる金庫は、クノオルに別れた彼女が震災後の川端の家を買取つて、殆んど全部を新築して、商売を初めようとしたとき、クノオルが親切にも二十五人の人夫を指揮して、その家へ持込んで来たものであつた。
小夜子と知りあひになりかけの時分、私は彼女と方々ぶらついたが、その頃彼女は胸のあたりのぶく/\した帯のあひだに、大きな鰐口と、何か少し扁平な形の、一尺ばかりの鉄の棒を二本入れてゐるのに気がついて、不思議に思つたものだか、それが其の金庫の鍵で、私は彼女が歌舞伎とか好い料理屋とか、少し更つて扮飾《つくり》をする場合、大事なものだけ入れてある其金庫の鍵穴にそれを挿しこんで、重い扉をあけてゐるのを見た。幅四尺余りに、丈も六尺以上あつたゞらうから、内部は相当広かつた。何十本かの丸帯と、従者を二十人ばかり従へるやうな身分の女の著る支那服や、その他貴重な書類などが、仕舞つてあつた。
鉄膚のねつとりした金庫の質の堅牢さと、作りの単純さは俗つぽい日本できのものとはまるで違つてゐた。
小夜子は、その金庫は勿論だが――それはちよつとやそつとでは動かすこともできないものだから――その他商売に必要な電話や道具一式をそつくり其のまゝで、大川のほとりにある其の家《うち》を人に貸《か》してから一年何ヶ月かになるのであつた。彼女は田舎に大金持の姉さんもあつたけれど、大体その家賃で、借家暮しをして来たけれど、買ひ手さへ見つかれば、商売の株ごと家を売つて、外の手堅い商売に取りかゝる思案をしてゐた。彼女は恋愛の相手は時々こさへても、誰とも結婚なぞしたくはなかつたし、普通の家庭に納まるやうに出来あがつてもゐなかつた。四十をこしても、彼女は二十ぐらゐの令嬢風の装ひをしてゐなければ寂しい方なので、無論霊の憩ひ場所なぞ求める筈もなかつた。二三年前、商売柄としては異風なマダムとして、彼女自身もユニイクな存在として、嬌態を矜つてゐた頃には、華やかな過去の生活の影が、彼女の身のまはりの何処かに匂つてゐたし、七年間甘やかされて来た外人と、その頃無理矢理別れたのも、これから一ト花咲《はなさ》かさうといふ気概が見られたのだが、商売がうまく行かないのに気が腐つて、酔つぱらひの機嫌を取つたり、勘定催促に客の迹を追つかけまはしたりが熟々厭になつて、ぴつたり清算をつけてしまふと、急にのう/\して生活の疲れが年と共にどつと出て来たものらしく、彼女の姿も遽かに哀れつぽくなつてしまつた。美しいだけに、それが一人目に立ちもするし、若さの夢を追ひまはしてゐるだけ尚いぢらしく思へるのであつた。
私達は――といふのは私と私の子供の澆のことで、彼女は澆の友達でもあつたし、さうならない前から私は彼女と附合つてゐたので……勿論私の警戒網を突破して、彼と彼女はさうなつたのだが――よく彼女と三人で銀座をぶらついたし、川端の家や私の家かで何かして遊びもした。他の仲間が加はることもあつた。彼女は絵羽模様の羽織の長い袂をひら/\させて、ダイヤも大粒なのを二つも指に光からせてゐた。私自身は兎に角、さうやつて多勢の人を振かへらせて、銀座を歩いてゐる彼女の派手々々しい姿も美貌も幾年かの後にはもうその舞台から消えてしまつて、誰からも思ひ出されなくなる時のことを、無駄に考へたりしたものであつた。
するうち彼女は、支払ひをだらしなくしておくのは大の嫌ひだつたので、何うかすると身銭を切つて、客に酒を呑ませたり、女を遊ばせたりして機嫌を取らなければならないやうな結果に陥りがちなので、遽かに見切りをつけてしまつたのだが、同時に澆との関係も、彼と或踊り子との恋愛模様が一つの動機となつて、崩れかけて来た。慈母を失つた澆からいへば彼女は親切な美しいセミ・マザアであつたが、文学好きな、彼女からいへば、澆のもつてゐる雰囲気は、様々のことをし尽くして来た果ての彼女の息を吐くのに、ちやうど好い相手であつた。しかし小夜子にしてみれば、初めて、取つた澆の少し纏まつた原稿料が、一夜二夜のうちにすつかり踊り子にやるクウポンになつてしまつたことは、堪へがたい悲しみであつた。
「たとひ化粧水一つでも、そのお金で買つて私の鏡台の抽斗《ひきだし》に忍ばせておいてくれたら。」
小夜子は初な娘のやうに泣いた。
しかしさういふ彼女も、若い友達に段々不安を感じて、生活を立直すために、幾人かある何か古い馴染のどれかに救ひを求めてゐたのかも知れないのであつた。澆は澆で「婆《ばゝ》ア」とかぼろ[#「ぼろ」に傍点]フオドとか言つて、花なんか遊んでゐるをり、口汚くいふこともあつたけれど、小夜子を愛してゐるにはゐたし、彼女の生活にも深い理解をもつてゐた。
川端の家を引揚げてから、彼女はしばらく姿を現はさなかつた。私たちの目にふれないやうに遠いところへ引越してしまつた。それは最初は私達の傍へ引越して来たのだし、遠くへ消えてしまふまでには、其から二度も居所をかへたあとのことであつたが、去年の冬彼女はまた私達の近くへ引越して来たのであつた。そして今度はほんとに落着いたのだから、一度来て見てくれといふので、私は散歩がてら彼女について行つた。
場所は小石川を見晴らすやうな高台で、閑静な片側町《かたかはまち》であつた。ちよつと出ればそこが直ぐ本郷の目貫であつた。この女主人にはもつて来いの小綺麗な応接間が玄関脇にあつて、下は茶の間と座敷と二つ、日当りのいゝ二階も二|間《ま》あつた。そつちこつち持ちあるいた彼女のハイカラな衣裳箪笥や、仰々しい仏壇や、文学書類のぎつしり詰つた本箱や、フランス人形に、ゴブラン織の壁かけ、総ては彼女の川端の家の居間で長いあひだ見馴れて来たもので、女学生趣味の花生《はないけ》だとか、温泉土産の柱かけといふやうな、小物も少しはふえてゐた。
去年の夏川端の家を畳んで間もなく、彼女はひどく盛装して私の書斎にあらはれたこともあつた。かつて見ないバン婦|風《ふう》のいでたちで、私はすぐ彼女の最近の背景を物色することができたくらゐ気分がかはつてゐた。それは七八年前私の友達の弁護士に紹介されて、七年間同棲してゐた外国人と別れたばかりで、今後の生活の方向を何うしたものかと思案してゐた頃で、締りのない著物の著こなしや化粧に、何かさういつた風かあつたものだが、今暫くぶりで私の前にあらはれた彼女にも、それと共通なものがあつた。しかしそれもあつたゞらうが、私の想像は少し単純すぎたかも知れないのであつた。今たゞれ合つてゐる一人の青年との新しい恋愛関係も、既にその頃発生してゐたのかも知れないのであつた。澆との純な三四年間の静かな生活が、今また彼女の本来に還元されたものらしかつた。勿論その恋愛が、彼女にとつて一番純なものだかも知れないのであつた。純不純は兎に角、当座清新でありさへすれば、それでもよかつた。しかし彼女はその恋愛を秘しかくして、やつぱり時々は私達の家へやつて来たり、散歩したりするのであつた。
「やつぱりおばさんは澆さんの方が、おとなしいから好きなんだし、みんなもさう言ふんですけれど。おばさん少し今の人に困つていらつしやるんぢやないでせうか。」
年のわかい小夜子の友達が、私に話したこともあつた。
小夜子は前髪をふさりと切りさげて、ちよつと見たところ再びもとの若さを取りかへしたやうにも見えたが、よく見ると廃頽気分がそこに漲つてゐた。でも動きの多い、どうかするとひどく人に不安の感じを与へる彼女の目はやつぱり美しかつた。
「まあお坐んなさい。」
と言つても「えゝ、ありがと」と言つたきりで、落着いてもゐなかつた。
「わたしね、この夏は岐阜へいかうと思ふんですの。あすこで鵜飼を見たり、げろ[#「げろ」に傍点]の温泉へも寄つたりして、それから信州へいきますわ。」
私は少し面喰つた。あれほど生活の行詰りに弱つてゐた彼女は、すつかり気分がかはつてゐた。
「信州へ行くなら、良英さんのお寺へお寄りして、しばらくゐたいと思ふんですけれど、先生もいらつしやいません。」
良英といふのは大きなお寺にすわつてゐる、私の亡妻の弟で、小夜子の川端の家へもいつたことがあつた。
「行つてもいゝでせうか。」
「それあいゝさ。それに夏は色んな人が行つてるから。あすこにゐると、夏らしい感じが全くないんだ。」
すると二週間ほどすると、彼女の絵葉書がまるで方面ちがひの伊香保から来た。「ぜひ入らつしやい」とかいてあるけれど、旅館の名などはなかつたし、同伴がホン・クノオルであることも大抵見当がついてゐた。
「何だか西洋人とあるいてましたよ。」
避暑旅行から帰つて来た若い人が、私達の家人に、その後話してゐた。
少し涼しく校つてから、その独逸人クノオルが、彼女の二階へ引越して来た。クノオルは独逸の貴族で、前身が海軍々人であつた。東京へ来て、長いあひだ………………………を持ちこんでゐたものだが、この頃になつて彼が小夜子に話すところによると、一年の取引は大抵百万以下といふことはなかつた。震災後、最近までも彼は麹町に大きな邸宅を構へてゐた。小夜子は老母とともに、そのなかに暮してゐたが、彼を怒らせたことも屡※[#二の字点、1-2-22]であつた。小さい時分に、既に不良少女のリストにのぼつてゐた彼女のことだから、学生と悪戯をしたり、役者と遊んだりしたことは、勿論であつた。彼女はクノオルの母にも愛されてゐたし、正式な友人として本国へもつれて行きたかつたが、小夜子にそれだけの気持もなかつた。
クノオルは、しかし支那へ軍器を売る計画が水の泡になつてから、すつかり落ちてしまつた。彼はその報告を受取つたとき、箱根で卒倒してしまつた。
そしてちやうど其の次に、小夜子は彼を離れてしまつたのであつた。
今小夜子が売らうとしてゐる金庫は、クノオルに別れた彼女が震災後の川端の家を買取つて、殆んど全部を新築して、商売を初めようとしたとき、クノオルが親切にも二十五人の人夫を指揮して、その家へ持込んで来たものであつた。
小夜子と知りあひになりかけの時分、私は彼女と方々ぶらついたが、その頃彼女は胸のあたりのぶく/\した帯のあひだに、大きな鰐口と、何か少し扁平な形の、一尺ばかりの鉄の棒を二本入れてゐるのに気がついて、不思議に思つたものだか、それが其の金庫の鍵で、私は彼女が歌舞伎とか好い料理屋とか、少し更つて扮飾《つくり》をする場合、大事なものだけ入れてある其金庫の鍵穴にそれを挿しこんで、重い扉をあけてゐるのを見た。幅四尺余りに、丈も六尺以上あつたゞらうから、内部は相当広かつた。何十本かの丸帯と、従者を二十人ばかり従へるやうな身分の女の著る支那服や、その他貴重な書類などが、仕舞つてあつた。
鉄膚のねつとりした金庫の質の堅牢さと、作りの単純さは俗つぽい日本できのものとはまるで違つてゐた。
零落れたクノオルの佗住居として、勿論いくら零落れても、丸の内にまだ事務所ももつてゐたし、収入も五百円や千円は、月によつてあつたゞらうが、さうしたマツチ箱のやうな建物の二階に引越して来るまでには、相当生活に追ひつめられてゐたに違ひなかつたが、小夜子は新たに手軽な風呂場を新築したり、二階の手摺や物干を直したりして、彼を引取つた訳であつた。
小夜子は彼を、今はたゞ普通の下宿人だと言つてゐた。
その冬の寒い晩、どうしたはづみでか、小夜子の家に引きとめられてゐて、夜かふけて俄かに彼の常習になつてゐる心臓が変になつたといふので、小夜子が蒼い顔をしてタキシイで私と医者を呼びに来た。
「またそんな事が初まつたのか。」
私はしばらく同棲してゐたM―子と一緒に、日頃内輪のやうにしてゐる医者を呼びおこして、駈けつけて行つた。
すると下の部屋で、澆は青い地に荒い格子縞の丹前を着て寝てゐたが、いつものことで一本|注射《ちうしや》をすると、直きに顔色が出て来た。
私達は火鉢を囲んで、紅茶を呑みながら暫く話してゐた。
「先生もう大丈夫でせうか。」
小夜子は幾度も幾度も念を押したものだが、何かほんとうに安心ができないらしかつた。それは澆の心臓よりも、澆を一晩こゝに泊めておくことに不安があるらしくも思へた。不断その丹前を誰が著てゐるかといふことを、私は心に浮べてゐた。若い男が時々来てゐるといふことも耳にしてゐたし、私自身さうした場合に出会したこともあつた。それは小夜子が私とM―子に、よく遊びに来てくれといふので、一度晩方の散歩がてらに、紅茶の鑵をもつて訪ねて見た。入口の硝子格子がしまつてゐたので、ポツチを推してみた。
耳をすましてゐると、晴々しい小夜子と女中のみよ子らしい笑声との合唱が聞えた。私は悪いやうな気がしたけれど、まだ其の頃は澆と同じに彼女を信じてゐた。信用といつても、はつきりしたことが何もわからないから、さうするより外ないといふ程度のものではあつた。
「どなたですか。」
みよ子の影が磨硝子にさした。
「僕。」
戸が一尺ばかり開いた。
「ゐない?」
「ちよつとマダムお留守なんですけれど……。」
みよ子は頬を少し赤くしてゐた。
奥を見こむ私の目路に、人影がさした。何かくすんだ茶つぽい著ものの胴から下が見えたと思ふと、そのまゝ襖の蔭に消えてしまつた。
それが何んな年輩の男だかは、それだけでは判るはづもなかつたけれど、五十ばかりの男らしい膝つきだことが、感《かん》じで想像できた。人柄からいふと町の商人といふ印象であつた。
「何か小夜子の昔しのパトロンだらう。」
私はさう思つたが、想像は美事にはづれたらしかつた。
相変らず小夜子がさそふので、私はその後も一度訪ねてみたが、その時も錠がおりてゐた。
私は川端の家の買手がついて、値段の点で折合ひがつかないことを、小夜子からその頃逢ふたんびに聞《き》いてゐたが、しばらく逢はないうちに、或る晩方、M―子と娘とをつれて、通りを散歩してゐると、賑かな市場のちよつと先きのところで、摺れちがつたのも分らずに、遣りすごさうとしたとき、ふと派手な浴衣姿が目に入つた、それはこの夏、花柳界の或る一部にはやつた、白と茶と紅との荒い棒縞であつた。
前方へ目をそらして、反身に行きすぎようとする小夜子の肩に、私の手が軽くかゝつた。
「何だ幕を著てるぢやないか。」
私はその時同伴だつた青年には気がつかなかつた。彼女の側にみよ子だけが目についた。
「あれぢやないの。」
M―子は私に言つた。
「こつちに気がつくと、さつと離れつちまつたけれど……。」
「どんな男?」
「どんなつて……づんぐりした余り大きくない人よ。」
「どんな顔?」
「別に何うといふこともないやうだけど、感じは悪い方でもないでせうね。」
「するとまあ好い方ね。」
「だけど、おばちやん随分大胆ね。この辺を一緒に歩いたりして……。」
「誰でもさうだよ。」
私は澆が気をわるくするかと思つて、話すのを躊躇《ちうちよ》したが、彼ももう泥沼のなかへ再び足はいれたくないことを公表してゐたし、気持は既に文学に転向してゐた。
すると澆も大よそ同じ地点で、或晩二人を見たが、青年が高い学府を出てゐるうへに、小夜子が左褄を取つてゐた初期時代からの親友で、つひ最近まで毎日顔を合してゐた女の愛人であるところから、澆も四人一緒に飯を食つたりして、よく分つてゐる男なので、行き逢つた瞬間、それが此の頃の小夜子の愛人であらうことには、少しも気がつかなかつたが、家へかへつて来てから、彼は忽ち「はツ」と思つた。澆はそのことを話して、
「しかし余り好いことぢやないな。小夜子も苦しんでるんですよ。」
謎が紙をはがすやうに釈けていつた。
彼女の遊戯《いたづら》が、暫らくはつゞくであらう。
小夜子は彼を、今はたゞ普通の下宿人だと言つてゐた。
その冬の寒い晩、どうしたはづみでか、小夜子の家に引きとめられてゐて、夜かふけて俄かに彼の常習になつてゐる心臓が変になつたといふので、小夜子が蒼い顔をしてタキシイで私と医者を呼びに来た。
「またそんな事が初まつたのか。」
私はしばらく同棲してゐたM―子と一緒に、日頃内輪のやうにしてゐる医者を呼びおこして、駈けつけて行つた。
すると下の部屋で、澆は青い地に荒い格子縞の丹前を着て寝てゐたが、いつものことで一本|注射《ちうしや》をすると、直きに顔色が出て来た。
私達は火鉢を囲んで、紅茶を呑みながら暫く話してゐた。
「先生もう大丈夫でせうか。」
小夜子は幾度も幾度も念を押したものだが、何かほんとうに安心ができないらしかつた。それは澆の心臓よりも、澆を一晩こゝに泊めておくことに不安があるらしくも思へた。不断その丹前を誰が著てゐるかといふことを、私は心に浮べてゐた。若い男が時々来てゐるといふことも耳にしてゐたし、私自身さうした場合に出会したこともあつた。それは小夜子が私とM―子に、よく遊びに来てくれといふので、一度晩方の散歩がてらに、紅茶の鑵をもつて訪ねて見た。入口の硝子格子がしまつてゐたので、ポツチを推してみた。
耳をすましてゐると、晴々しい小夜子と女中のみよ子らしい笑声との合唱が聞えた。私は悪いやうな気がしたけれど、まだ其の頃は澆と同じに彼女を信じてゐた。信用といつても、はつきりしたことが何もわからないから、さうするより外ないといふ程度のものではあつた。
「どなたですか。」
みよ子の影が磨硝子にさした。
「僕。」
戸が一尺ばかり開いた。
「ゐない?」
「ちよつとマダムお留守なんですけれど……。」
みよ子は頬を少し赤くしてゐた。
奥を見こむ私の目路に、人影がさした。何かくすんだ茶つぽい著ものの胴から下が見えたと思ふと、そのまゝ襖の蔭に消えてしまつた。
それが何んな年輩の男だかは、それだけでは判るはづもなかつたけれど、五十ばかりの男らしい膝つきだことが、感《かん》じで想像できた。人柄からいふと町の商人といふ印象であつた。
「何か小夜子の昔しのパトロンだらう。」
私はさう思つたが、想像は美事にはづれたらしかつた。
相変らず小夜子がさそふので、私はその後も一度訪ねてみたが、その時も錠がおりてゐた。
私は川端の家の買手がついて、値段の点で折合ひがつかないことを、小夜子からその頃逢ふたんびに聞《き》いてゐたが、しばらく逢はないうちに、或る晩方、M―子と娘とをつれて、通りを散歩してゐると、賑かな市場のちよつと先きのところで、摺れちがつたのも分らずに、遣りすごさうとしたとき、ふと派手な浴衣姿が目に入つた、それはこの夏、花柳界の或る一部にはやつた、白と茶と紅との荒い棒縞であつた。
前方へ目をそらして、反身に行きすぎようとする小夜子の肩に、私の手が軽くかゝつた。
「何だ幕を著てるぢやないか。」
私はその時同伴だつた青年には気がつかなかつた。彼女の側にみよ子だけが目についた。
「あれぢやないの。」
M―子は私に言つた。
「こつちに気がつくと、さつと離れつちまつたけれど……。」
「どんな男?」
「どんなつて……づんぐりした余り大きくない人よ。」
「どんな顔?」
「別に何うといふこともないやうだけど、感じは悪い方でもないでせうね。」
「するとまあ好い方ね。」
「だけど、おばちやん随分大胆ね。この辺を一緒に歩いたりして……。」
「誰でもさうだよ。」
私は澆が気をわるくするかと思つて、話すのを躊躇《ちうちよ》したが、彼ももう泥沼のなかへ再び足はいれたくないことを公表してゐたし、気持は既に文学に転向してゐた。
すると澆も大よそ同じ地点で、或晩二人を見たが、青年が高い学府を出てゐるうへに、小夜子が左褄を取つてゐた初期時代からの親友で、つひ最近まで毎日顔を合してゐた女の愛人であるところから、澆も四人一緒に飯を食つたりして、よく分つてゐる男なので、行き逢つた瞬間、それが此の頃の小夜子の愛人であらうことには、少しも気がつかなかつたが、家へかへつて来てから、彼は忽ち「はツ」と思つた。澆はそのことを話して、
「しかし余り好いことぢやないな。小夜子も苦しんでるんですよ。」
謎が紙をはがすやうに釈けていつた。
彼女の遊戯《いたづら》が、暫らくはつゞくであらう。
或夜も私達親子と小夜子とが、私の部屋で話してゐた。私も澆もその話に触れようとはしなかつたし、小夜子も気分がはづまなかつた。多分さういふ時の小夜子は、青年と喧嘩でもして、心に穴があいてゐるか、厭になつた時かだと思はれた。
「その辺までお出かけになりませんか。」
小夜子はその晩は、いつものやうに浮腰ではなかつた。そしてさう言ひながら、何となし立ちかねてゐた。
「あの金庫久須見さん買つて下さると可いんですけどもね。」
「買ひさうだつたけれど、何しろ中庭の塀を打壊さなけあならないので。」
「クノオルさんによく聞いてみると、運賃や何か一切ぬきにして、正味三千円のものですのよ。クノオルさんが愈※[#二の字点、1-2-22]店をしまつて、お国へかへるについて、千円だけでも持たしてあげたいと思ひますのよ。」
「いつ帰るの。」
「多分お正月頃。船は無賃《たゞ》なんです。」
「帰つて何うするのかね。」
「何しろあの人は、ヒツトラなんかのお友達ですから。連りに帰りたがつてゐますわ。」
三人でお茶を呑みに家を出た。お茶を呑んでから、紹介するといふので、小夜子は私たちを誘つた。
私たちは二階へ上つた。
そこに大きなテイブルの傍《そば》に、大入道がすくつと椅子からたつて、私に手を差伸べた。何か日本の昔しの戒行のつんだ名僧のやうな、つる/\した頭臚とにこ/\した品格のいゝ顔の持主で、外人のなかでも希に見る優秀な種類の老紳士であつた。彼は六尺ゆたかの体に、金茶と紺との子持縞の、糸織の丹前を、スポオツ模様の浴衣に襲《かさ》ねて着流してゐた。
彼は酒気を帯びてゐた。
「前に知らせがないから、何も御馳走ない。」
組合せた膝のうへに手をおいたまゝお愛相を言つた。
大きな丸たん棒に結びつけた国旗が、テイブルの一角の障子の隅に立てゝあつた。
「このおぢさん、何かといふと、この国旗をふるんですのよ。そしてキツスしてるの。」
皮を剥いた林檎が一皿、私にはオートミルを、小夜子がはこんで来てくれた。私が乳を少しのこすと、
「それみんな入れてよろしい。」
「酒はどのくらゐ。」
「ほんの少しです。」
「どんなところで呑みますか。」
「近頃スキヤ橋のところに、アムステルダムといふバアができました。あすご割合綺麗で気持よろしい。」
「料理は。」
「さあ、まあホテルでせうか。」
「日本の料理は?」
「日本の料理もたべる。日本のお酒も呑む。わたし、もつと広い美しい家ゐました。お金のあつた時分……。今は駄目です。」
彼は頭をふつた。
「独乙ではユデヤ人を逐つてますが、ユデヤ人はどうなるですか。」
「殺した方がいゝです。」
彼は少し真剣《むき》な表情になつたが、
「林檎ですか桃ですか(彼は指を丸くして)、甘いところを皆んな食べてしまう虫がつきます。彼等はその虫―いや蛆です。その蛆です。日本に若し外国人が沢山やつて来て、政治なり商業なり、要部々々に喰ひごんで、美《おい》しいところを吸ひ取つても、日本の人は黙つてをりますか。」
彼はさう言つて口を結んだ。そして卓子のうへにあつた新刊の書物を一冊取りあげて、親しげに眺めてゐた。それは「わが闘ひ」と題されたヒツトラの著書であつた。
日本の……はといふと、最近は独逸のものを使はなくなつて、大抵自国で造ることになつた。それを造りだすまでには二三年の日子がかゝるから、結局独逸の新製品におくれるといふのが、彼の主観らしいが、孰にしてもすつかり商売が利かなくなつたことが、彼を日本から引揚げさせることにする訳であつた。
私は子供らしい独逸人の愛国心を彼に見た。私たちは間もなく握手して別れた。
そして其の時はそれで無事だつたが、二度目に彼女の家を訪問したとき、到頭ちよつとした一つの事件がおこつた。
小夜子はその時も、余り朗かではなかつた。
「川端の家が売れたら、私その内の一万円で、先生のとこへアパアト建てますわ。先生から土地を提供していたゞいて、利益は切半といふことに。こんな家こわしておしまひなさい。そして矢張りこの近くに一軒お買ひなさい。さういふことでしたら、田舎の姉も金を出してくれますの。」
小夜子はいつかも言つてゐた話を、又た持出してゐた。
「君はどこにゐるのさ。」
「アパアトのなかに、綺麗な部屋を二つ……でも手狭でせうから、切めて三|間《ま》はなくちやあ。」
「そこに誰とゐるのだい。」
「あんなこと言つて。誰ともゐませんよ。」
「男はどうするんだい。」
「清算しますよ。――それに私が死ねばそれはみんな子供さんのものですから。」
その時々の気分で狐を馬にのせたやうなことを、よく口にする彼女ではあつたが、その瞬間々々の真実はないこともなかつた。
いつものやうに通りへ出ると、彼女は夜店のコリント・ゲイムの前で立止まつた。そして球をころがしはじめた。澆もやりはじめた。
「何だ。やつと八十五でゐやがる。」
澆は小夜子の手つきを覗いた。
「君はうまいね。こんなインチキは君に限るよ。小説を書かしても、ダンスをやらせても……。」
「どうせインチキお小夜《さよ》ですよ。」
それから一品づゝ食べて、小夜子の家へ行つた。百燭くらゐの電球が、相変らず二階に輝いてゐた。玄関口にいつもの巨大な赭皮の靴があつた。
私たちを玄関脇の応接室へあげると、何うしたのか、小夜子は何かうわ/\した様子で、レコオドをかけておいて、奥へ行つた。そして良久《やゝ》あつて応接室へ入つてくると、
「先生二階の人がお目にかゝりたいんですて……。」
「あの坊さん!」
私達は二階へ行きたくはなかつたが、ちよつとでいゝからといふので、上つて見た。
彼は不機嫌であつた。握手もしなかつた。この頃はナチスの歌ばかりかけて独りで悦んでゐるのだつたが、みよ子が、早速蓄音器をかゝへて上つて来た。そしてナチスのレコオドをかけた。
クノオルは酒をもつてこさせて、ちび/\遣りながら、音楽にあはせて体をゆすつてゐた。
澆は多分ナチスの歌と、入道坊主の不機嫌とに憤慨したのであらう、わざと羽左衛門の清心をさがし出してかけた。
私は照れてしまつた。
「歌舞伎見ますか。」
「見ません。」異国人は首をふつて敢然《かんぜん》と言つた。
「日本の歌舞伎問題ありません。私役者見たくありません。問題ききたいです。」
彼は今ベツドにつかうとするところを、小夜子にいはれて、厭々ながら私達に逢つたものらしかつた。
小夜子は初めちよつと顔を出したきりで、そのあひだ些《ちつ》とも顔を出さなかつた。
源治店がをはると、私たちは下へおりた。小夜子があたふた廊下へ出て来た。
「もうお帰りですか。」
「クノオルひどく不機嫌ぢやないか。失敬だよ。聞きたくもないナチスの唄なんか無闇にかけて……。」
「さう、そんなに不機嫌?」
小夜子は浮いた調子で言つた。それと同時に澆の神経がとがつた。
「その部屋にゐるぢやないか。」
澆は応接室をさして詰つた。
みよ子は急いで玄関からおりて、下駄を隠さうとした。
「誰もゐませんよ。」
小夜子はさう言つて、奥へ引込んで行つたが、瞬間奥の襖が開いて、男が出て来た。小作りな角い肩つきが、私の目についたが、その時は私も澆ももう下駄をはいてゐた。
「何だ、莫迦。」
澆は駈けあがらうとしたが、私にをさへられた。小夜子はその青年を支へた。
私たちは締出しを喰つた形だつた。みよ子が裏からまはつて来て、涙ぐんで澆にわびてゐた。
門《かど》をはなれて歩きながら、澆は指をちう/\吸つてゐた。気早な彼はいつの間にか、指の関節が砕けてしまふほど、小夜子に拳骨をふるまつたのであつた。
男が来たので、私達は二階へあげられたのであつた。多分私たちがクノオルに逢ひたくて来たのだと言つて。
「よく話して、こつちは何の関心もないことを、あの男に言つて聴かさうと思つたんだ。」
さういひながら、澆は手を上げたことを、愉快にはおもつてゐなかつた。打ちどこが悪くて、小夜子が何うかなりはしないかと心配した。
「その辺までお出かけになりませんか。」
小夜子はその晩は、いつものやうに浮腰ではなかつた。そしてさう言ひながら、何となし立ちかねてゐた。
「あの金庫久須見さん買つて下さると可いんですけどもね。」
「買ひさうだつたけれど、何しろ中庭の塀を打壊さなけあならないので。」
「クノオルさんによく聞いてみると、運賃や何か一切ぬきにして、正味三千円のものですのよ。クノオルさんが愈※[#二の字点、1-2-22]店をしまつて、お国へかへるについて、千円だけでも持たしてあげたいと思ひますのよ。」
「いつ帰るの。」
「多分お正月頃。船は無賃《たゞ》なんです。」
「帰つて何うするのかね。」
「何しろあの人は、ヒツトラなんかのお友達ですから。連りに帰りたがつてゐますわ。」
三人でお茶を呑みに家を出た。お茶を呑んでから、紹介するといふので、小夜子は私たちを誘つた。
私たちは二階へ上つた。
そこに大きなテイブルの傍《そば》に、大入道がすくつと椅子からたつて、私に手を差伸べた。何か日本の昔しの戒行のつんだ名僧のやうな、つる/\した頭臚とにこ/\した品格のいゝ顔の持主で、外人のなかでも希に見る優秀な種類の老紳士であつた。彼は六尺ゆたかの体に、金茶と紺との子持縞の、糸織の丹前を、スポオツ模様の浴衣に襲《かさ》ねて着流してゐた。
彼は酒気を帯びてゐた。
「前に知らせがないから、何も御馳走ない。」
組合せた膝のうへに手をおいたまゝお愛相を言つた。
大きな丸たん棒に結びつけた国旗が、テイブルの一角の障子の隅に立てゝあつた。
「このおぢさん、何かといふと、この国旗をふるんですのよ。そしてキツスしてるの。」
皮を剥いた林檎が一皿、私にはオートミルを、小夜子がはこんで来てくれた。私が乳を少しのこすと、
「それみんな入れてよろしい。」
「酒はどのくらゐ。」
「ほんの少しです。」
「どんなところで呑みますか。」
「近頃スキヤ橋のところに、アムステルダムといふバアができました。あすご割合綺麗で気持よろしい。」
「料理は。」
「さあ、まあホテルでせうか。」
「日本の料理は?」
「日本の料理もたべる。日本のお酒も呑む。わたし、もつと広い美しい家ゐました。お金のあつた時分……。今は駄目です。」
彼は頭をふつた。
「独乙ではユデヤ人を逐つてますが、ユデヤ人はどうなるですか。」
「殺した方がいゝです。」
彼は少し真剣《むき》な表情になつたが、
「林檎ですか桃ですか(彼は指を丸くして)、甘いところを皆んな食べてしまう虫がつきます。彼等はその虫―いや蛆です。その蛆です。日本に若し外国人が沢山やつて来て、政治なり商業なり、要部々々に喰ひごんで、美《おい》しいところを吸ひ取つても、日本の人は黙つてをりますか。」
彼はさう言つて口を結んだ。そして卓子のうへにあつた新刊の書物を一冊取りあげて、親しげに眺めてゐた。それは「わが闘ひ」と題されたヒツトラの著書であつた。
日本の……はといふと、最近は独逸のものを使はなくなつて、大抵自国で造ることになつた。それを造りだすまでには二三年の日子がかゝるから、結局独逸の新製品におくれるといふのが、彼の主観らしいが、孰にしてもすつかり商売が利かなくなつたことが、彼を日本から引揚げさせることにする訳であつた。
私は子供らしい独逸人の愛国心を彼に見た。私たちは間もなく握手して別れた。
そして其の時はそれで無事だつたが、二度目に彼女の家を訪問したとき、到頭ちよつとした一つの事件がおこつた。
小夜子はその時も、余り朗かではなかつた。
「川端の家が売れたら、私その内の一万円で、先生のとこへアパアト建てますわ。先生から土地を提供していたゞいて、利益は切半といふことに。こんな家こわしておしまひなさい。そして矢張りこの近くに一軒お買ひなさい。さういふことでしたら、田舎の姉も金を出してくれますの。」
小夜子はいつかも言つてゐた話を、又た持出してゐた。
「君はどこにゐるのさ。」
「アパアトのなかに、綺麗な部屋を二つ……でも手狭でせうから、切めて三|間《ま》はなくちやあ。」
「そこに誰とゐるのだい。」
「あんなこと言つて。誰ともゐませんよ。」
「男はどうするんだい。」
「清算しますよ。――それに私が死ねばそれはみんな子供さんのものですから。」
その時々の気分で狐を馬にのせたやうなことを、よく口にする彼女ではあつたが、その瞬間々々の真実はないこともなかつた。
いつものやうに通りへ出ると、彼女は夜店のコリント・ゲイムの前で立止まつた。そして球をころがしはじめた。澆もやりはじめた。
「何だ。やつと八十五でゐやがる。」
澆は小夜子の手つきを覗いた。
「君はうまいね。こんなインチキは君に限るよ。小説を書かしても、ダンスをやらせても……。」
「どうせインチキお小夜《さよ》ですよ。」
それから一品づゝ食べて、小夜子の家へ行つた。百燭くらゐの電球が、相変らず二階に輝いてゐた。玄関口にいつもの巨大な赭皮の靴があつた。
私たちを玄関脇の応接室へあげると、何うしたのか、小夜子は何かうわ/\した様子で、レコオドをかけておいて、奥へ行つた。そして良久《やゝ》あつて応接室へ入つてくると、
「先生二階の人がお目にかゝりたいんですて……。」
「あの坊さん!」
私達は二階へ行きたくはなかつたが、ちよつとでいゝからといふので、上つて見た。
彼は不機嫌であつた。握手もしなかつた。この頃はナチスの歌ばかりかけて独りで悦んでゐるのだつたが、みよ子が、早速蓄音器をかゝへて上つて来た。そしてナチスのレコオドをかけた。
クノオルは酒をもつてこさせて、ちび/\遣りながら、音楽にあはせて体をゆすつてゐた。
澆は多分ナチスの歌と、入道坊主の不機嫌とに憤慨したのであらう、わざと羽左衛門の清心をさがし出してかけた。
私は照れてしまつた。
「歌舞伎見ますか。」
「見ません。」異国人は首をふつて敢然《かんぜん》と言つた。
「日本の歌舞伎問題ありません。私役者見たくありません。問題ききたいです。」
彼は今ベツドにつかうとするところを、小夜子にいはれて、厭々ながら私達に逢つたものらしかつた。
小夜子は初めちよつと顔を出したきりで、そのあひだ些《ちつ》とも顔を出さなかつた。
源治店がをはると、私たちは下へおりた。小夜子があたふた廊下へ出て来た。
「もうお帰りですか。」
「クノオルひどく不機嫌ぢやないか。失敬だよ。聞きたくもないナチスの唄なんか無闇にかけて……。」
「さう、そんなに不機嫌?」
小夜子は浮いた調子で言つた。それと同時に澆の神経がとがつた。
「その部屋にゐるぢやないか。」
澆は応接室をさして詰つた。
みよ子は急いで玄関からおりて、下駄を隠さうとした。
「誰もゐませんよ。」
小夜子はさう言つて、奥へ引込んで行つたが、瞬間奥の襖が開いて、男が出て来た。小作りな角い肩つきが、私の目についたが、その時は私も澆ももう下駄をはいてゐた。
「何だ、莫迦。」
澆は駈けあがらうとしたが、私にをさへられた。小夜子はその青年を支へた。
私たちは締出しを喰つた形だつた。みよ子が裏からまはつて来て、涙ぐんで澆にわびてゐた。
門《かど》をはなれて歩きながら、澆は指をちう/\吸つてゐた。気早な彼はいつの間にか、指の関節が砕けてしまふほど、小夜子に拳骨をふるまつたのであつた。
男が来たので、私達は二階へあげられたのであつた。多分私たちがクノオルに逢ひたくて来たのだと言つて。
「よく話して、こつちは何の関心もないことを、あの男に言つて聴かさうと思つたんだ。」
さういひながら、澆は手を上げたことを、愉快にはおもつてゐなかつた。打ちどこが悪くて、小夜子が何うかなりはしないかと心配した。
小夜子はそれからしばらく私たちの家へ足を絶つた。それで可かつた。
金庫はといふと、その前に金持を二三軒当つてみたけれど、余分なものを買ひこむものはなかつた。恐らく永久に買ひ手はつかないであらう。そして今の美しい持主が、地の下で水になつてしまふまでも冷たい堅い表情で、いつまでも何処かに残るであらう。[#地付き](昭和9年1月「文芸」)
金庫はといふと、その前に金持を二三軒当つてみたけれど、余分なものを買ひこむものはなかつた。恐らく永久に買ひ手はつかないであらう。そして今の美しい持主が、地の下で水になつてしまふまでも冷たい堅い表情で、いつまでも何処かに残るであらう。[#地付き](昭和9年1月「文芸」)
底本:「徳田秋聲全集第17巻」八木書店
1999(平成11)年1月18日初版発行
底本の親本:「文芸」
1934(昭和9)年1月
初出:「文芸」
1934(昭和9)年1月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
1999(平成11)年1月18日初版発行
底本の親本:「文芸」
1934(昭和9)年1月
初出:「文芸」
1934(昭和9)年1月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ