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きのこ
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きのこ
徳田秋声
徳田秋声
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(例)明《あ》
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(例)終|暗黙《だんまり》
(例)終|暗黙《だんまり》
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(例)はら/\
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[#5字下げ]一[#「一」は中見出し]
汽車が広い関東の平野から中央部の山へ山へとかゝつて行つて、それから又た其を下つて、漸く北の海へと出て来たのは夜もすつかり明《あ》け放れた頃であつた。
その海岸の駅から、汽車は直角に曲つて、進路を西へと取るのであつたが、同時に果《はて》しもない憂欝《いううつ》な海が小暮の目の前に展《ひら》けた。彼はその海へ来ると、去年の夏の初めにそこを通つた時と同じやうな或る懐かしさと寂しさとを感ずるのであつた。去年彼は遽《にわか》に親子の情を喚醒《よびさ》まされたやうに、年取つた母を見たくなつて、帰省を思ひ立つまでに十年の歳月が、何といふことなし過ぎ去つてしまつた。それほど彼の生活は、あわたゞしいものであつたが、また暢気でもあつた。少年の頃海水浴などに出かけた、郷里の町から一里ばかりの距離にあるところの同じ海に続いてゐる其の暗い海を、彼はその時久しぶりで見た。彼は海が懐かしいといふよりも、郷里に寂しく生き残つてゐる一人の母を、何うしてそんなにも長く棄ておいたかを、自から怪《あや》しんだ。安からぬ思ひに、彼は時々魘《うな》されたが、しかし気にかゝりながらも、わざと素知らぬ顔をして胡麻化してゐた。行かうと思へば何うにかして行けないこともなかつたが、時《とき》がたちすぎたので、つひ臆劫になつてしまつた。
「悪かつたな。」
彼はその海へ出ると同時に、遽かに悔ふる気持になつた。年々母子のあひだに隔てか出来て、彼は妻の良人であり子供の父である境界に入浸りすぎてゐたことが、済まないことのやうに思へた。その海は現在の彼に取ては、全く異郷の感じであつた。
小暮は車窓を明けて、その佗しい海にじつと眺め入つた。
「生きてゐる母に逢へるか知ら、逢へないか知ら。」彼は遽かに不安を感じ出した。
昨日《きのふ》の午後、小暮が夕飯の膳について、箸《はし》を執らうとしてゐるところへ、「母危篤、直ぐ帰れ」の電報が入つて来た。それを見た小暮は遽かにぎやふんと来た。この三四年、いつかさう云ふ時が来るだらうと予期してゐた。母の年を聞いたこともなか
つたけれど、もう七十五六になつてゐる勘定であつた。小暮は自分の錯覚で、時とするとそれが六十幾歳かのやうに思へたり、七十になつてもせい/″\一か二くらゐのやうに思へたりしてゐた。彼は強ひてさう思はうとしてゐた。あの弱かしい体で、よくそんなに生きたものだと、何だか夢《ゆめ》のやうな覚束ない感じのすることもあつた。彼は断崖から深淵《しんえん》を望んでゐるやうな気持で、ふいと彼女の死の近づいて来てゐることに、気《き》がついて、はら/\することも幾度であつたか知れなかつた。しかし毎年々々何のこともなく過ぎた。彼は壊《こわ》れものを抱いてゐるやうな気持ちでしかし自分の母に限つて、そうした可哀さうな時が、終《つひ》に来ないものゝやうにさへ思へたのであつたが、近年はまた彼自身の鬚髪《びんぱつ》にも、白いものがちらほら見えるやうになつて来て、人からも中老あつかひにされてゐるのに心着いてゐたので、若しかすると、唯一人の産みの男の子に置いて行かれる悲しみを、彼女が経験《けいけん》するのではないかと危《あや》ぶまれて、淡い哀愁を感ずるのであつた。去年見に行つたときには、目と耳が悪くなつてゐるほか、さう大して変つてゐるとも思へなかつた。十年ぶりで帰つて来た愛児を、何となく憚り怖れるやうな気持がありながら――それはもう疾くの昔しに、まだ見たこともない嫁や孫のものとなりきつてゐることを知つてゐたからでもあつたが、それでなくとも、母子のあひだには妙に、さう云ふ感じがあつた。一つは小暮の我儘と、遠慮ぶかい彼女の隠忍から来た――子供にお祭が来たやうな悦びで、帰省中の幾日かゞ、彼女を悦ばせた。小暮はほんとうに行つてよかつたと思つたが、しかし彼女をせゝつこましい東京へつれて来ることは、事によると死期を速めることになりはしないかとも思へたので、妻の注文どほりには、彼女をつれては帰らなかつたのであつた。
「母が重いやうだ。」小暮は電報を下において、沈んだ顔をした。
「御母さんが……それは大変だ。何でせう御病気は。」
「さあ、まさか死んだんぢやあるまいと思ふが、危篤といふんだからね。――直《す》ぐ立たなければ。」
それから大騒ぎになつた。そして彼は夜行で立つたのであつた。
汽車が広い関東の平野から中央部の山へ山へとかゝつて行つて、それから又た其を下つて、漸く北の海へと出て来たのは夜もすつかり明《あ》け放れた頃であつた。
その海岸の駅から、汽車は直角に曲つて、進路を西へと取るのであつたが、同時に果《はて》しもない憂欝《いううつ》な海が小暮の目の前に展《ひら》けた。彼はその海へ来ると、去年の夏の初めにそこを通つた時と同じやうな或る懐かしさと寂しさとを感ずるのであつた。去年彼は遽《にわか》に親子の情を喚醒《よびさ》まされたやうに、年取つた母を見たくなつて、帰省を思ひ立つまでに十年の歳月が、何といふことなし過ぎ去つてしまつた。それほど彼の生活は、あわたゞしいものであつたが、また暢気でもあつた。少年の頃海水浴などに出かけた、郷里の町から一里ばかりの距離にあるところの同じ海に続いてゐる其の暗い海を、彼はその時久しぶりで見た。彼は海が懐かしいといふよりも、郷里に寂しく生き残つてゐる一人の母を、何うしてそんなにも長く棄ておいたかを、自から怪《あや》しんだ。安からぬ思ひに、彼は時々魘《うな》されたが、しかし気にかゝりながらも、わざと素知らぬ顔をして胡麻化してゐた。行かうと思へば何うにかして行けないこともなかつたが、時《とき》がたちすぎたので、つひ臆劫になつてしまつた。
「悪かつたな。」
彼はその海へ出ると同時に、遽かに悔ふる気持になつた。年々母子のあひだに隔てか出来て、彼は妻の良人であり子供の父である境界に入浸りすぎてゐたことが、済まないことのやうに思へた。その海は現在の彼に取ては、全く異郷の感じであつた。
小暮は車窓を明けて、その佗しい海にじつと眺め入つた。
「生きてゐる母に逢へるか知ら、逢へないか知ら。」彼は遽かに不安を感じ出した。
昨日《きのふ》の午後、小暮が夕飯の膳について、箸《はし》を執らうとしてゐるところへ、「母危篤、直ぐ帰れ」の電報が入つて来た。それを見た小暮は遽かにぎやふんと来た。この三四年、いつかさう云ふ時が来るだらうと予期してゐた。母の年を聞いたこともなか
つたけれど、もう七十五六になつてゐる勘定であつた。小暮は自分の錯覚で、時とするとそれが六十幾歳かのやうに思へたり、七十になつてもせい/″\一か二くらゐのやうに思へたりしてゐた。彼は強ひてさう思はうとしてゐた。あの弱かしい体で、よくそんなに生きたものだと、何だか夢《ゆめ》のやうな覚束ない感じのすることもあつた。彼は断崖から深淵《しんえん》を望んでゐるやうな気持で、ふいと彼女の死の近づいて来てゐることに、気《き》がついて、はら/\することも幾度であつたか知れなかつた。しかし毎年々々何のこともなく過ぎた。彼は壊《こわ》れものを抱いてゐるやうな気持ちでしかし自分の母に限つて、そうした可哀さうな時が、終《つひ》に来ないものゝやうにさへ思へたのであつたが、近年はまた彼自身の鬚髪《びんぱつ》にも、白いものがちらほら見えるやうになつて来て、人からも中老あつかひにされてゐるのに心着いてゐたので、若しかすると、唯一人の産みの男の子に置いて行かれる悲しみを、彼女が経験《けいけん》するのではないかと危《あや》ぶまれて、淡い哀愁を感ずるのであつた。去年見に行つたときには、目と耳が悪くなつてゐるほか、さう大して変つてゐるとも思へなかつた。十年ぶりで帰つて来た愛児を、何となく憚り怖れるやうな気持がありながら――それはもう疾くの昔しに、まだ見たこともない嫁や孫のものとなりきつてゐることを知つてゐたからでもあつたが、それでなくとも、母子のあひだには妙に、さう云ふ感じがあつた。一つは小暮の我儘と、遠慮ぶかい彼女の隠忍から来た――子供にお祭が来たやうな悦びで、帰省中の幾日かゞ、彼女を悦ばせた。小暮はほんとうに行つてよかつたと思つたが、しかし彼女をせゝつこましい東京へつれて来ることは、事によると死期を速めることになりはしないかとも思へたので、妻の注文どほりには、彼女をつれては帰らなかつたのであつた。
「母が重いやうだ。」小暮は電報を下において、沈んだ顔をした。
「御母さんが……それは大変だ。何でせう御病気は。」
「さあ、まさか死んだんぢやあるまいと思ふが、危篤といふんだからね。――直《す》ぐ立たなければ。」
それから大騒ぎになつた。そして彼は夜行で立つたのであつた。
[#5字下げ]二[#「二」は中見出し]
夜行列車のなかには、間接に知つてゐる人の家族が多勢集りこんでゐて、それが満洲や北海道に事業の手を拡げてゐる人達であるうへに郷里の人間としては、やゝ奇矯な投機師と思はれるほど、色々の企業に興味と卓見をもつてゐた。彼等は夥しい荷物を積みこんで、彼等の母の喜の字の祝ひに集まるべく、幾夫婦かゞ各地から東京の店に落合つて、そこから帰国の旅に立つたのであつた。会場に料理屋に、幾室《いくしつ》かの増築をしたりして、一家一門挙つて盛宴を張つたといふ話を、後で聞き知つたのであつたが、小暮の従姉の一人が、祝賀される老母の弟に当る人に嫁いでゐた関係から、顔の印象で、それが誰であるかゞ、直きにわかつた。それには産業の事にたづさはつてゐる県官も一人乗りあはせてゐたので、一晩中話がはづんでゐた。小暮は始終|暗黙《だんまり》で、興味ある彼等の談話に聞き耽つてゐた。しまひに彼等は大きな信玄袋のなかに一杯詰つてゐる、郷里のお菓子をひろげて、「さあ何うぞ」と小暮にも勧めたりしたが、やがて彼等も談話に疲れて、代る/\眠りを取りに、一等室の方へ入つて行つた。
汽車が海辺を走つてゐる頃には、睡眠を取りに行つた彼等も、再び殆んど全部出て来て、食事をするのに忙しかつた。そして夜は早くから寝てゐた子供が起き出して、元気よく燥ぎまはるのを見て、打興じてゐたが、それも日が高く昇つてからは、何となし惰気を生じて、誰も彼も薄ら眠いやうな目を、懶さうに閉ぢたり開いたりしてゐた。小暮も疲れた頭脳が変にごぢれて来て、眠るにも眠られず、霧でも被つたやうになつてゐた。
日が昇るにつれて、今まで灰色に見えた寂しい海にも、遽かに秋らしい光が照りわたつて、大きな鴎が翅をひろげて、まるで螺旋仕掛《ばねじかけ》か何かのやうに、ぱさ/\と弛く飛んでゐるのが、夢のやうに見えた。単調な波が、古い芝居の波幕が煽られるやうに、のたり/\と大まかに揺らいでゐた。それは少年頃の小暮の目に親しまれたと、同じ海であつた。汽車は時々危い岩壁の上を通つたり、貧しい漁村を走つたりした。道の狭いところでは、反対の側の車窓の硝子に山が崩れおちさうに見えたりした。草や木が深い露にじつとり濡れそぼつてて、秋の色の殊に鮮やかな葉の大きい柿の枝などが、少年期をすごした故郷の廃園の情趣を懐しく思出させた。風が静かなので、しなやかな枝振の素直に暢々したのが、何となし安静の感じを与へた。
さうした海岸を、幾時間くらゐ走つたであらう。小暮は窓枠に倚りかゝつて、いつかうと/\したと思つたが、大分たつてから気がついてみると、海は何時か遠ざかつて、汽車は広々した平野へ出てゐた。
車室のなかは、また一としきり目覚めはじめた。そつちにも此方にも話声がした。中にはぐつすり寝込んでゐるものもあつた。どこから乗つたか新らしい乗客の顔も見えてゐた。汽車は今隣国の平野を走つてゐた。
「この辺は何うですかコレラは。」
「この辺も一|時《じ》はひどかつたやうですが、もう下火ですよ。」
東京からの乗客と新しく乗込んだ人とのあひだに、そんな会話が交されてゐた。それがふと小暮の耳を掠めるといふ程度で、聞えた。それは県官と其の知人である土地の紳士との会話であつた。小暮はその夏十二になる一人の愛児を失つて、その悲しみがまだ頭脳にこびりついてゐた。そんな苦しい経験は彼に取つては初めてであつた。不断子供の病気に神経質であつただけ、彼の悲しみも大きかつた。病気は疫痢であつた。二人の医者に不安を感じた頃には、愛児の筋肉はもう硬張りかけてゐた。それは悔ひても及ばない彼の失策であつた。それと同時に其の子の妹と弟とが二人、幾度か冷たい死の手に触れようとして、辛くも生命を取止めた。彼はその頃ひどい神経衰弱に陥つてゐた。そして少し涼気が立つ時分に、休息を取るために伊豆の方へ旅立つたが、海へ行つても山へ行つても彼の心の終痛《うづき》は薄らぐことがなかつた。
小暮はコレラと聞いて、遽に心が曇つたが、しかし其は余所の噂に過ぎなかつた。コレラにしろ疫痢にしろ、悪疫と聞いては、好い感じがしなかつたけれど、たゞそれだけで、それを母の病気と結びつけるなどは思ひもよらなかつた。母はまだ見たこともない孫の死の報知《しらせ》を聞いて、仰天してしまつた。後の二人《ふたり》については、日頃信心の神様へ、毎晩お百度詣りをしてゐたことを、小暮は後で知つたのであつた。彼女が孫のためにその神様にお詣りをするのは、その時に限つたことでもなかつた。小暮は今迄それを感謝する気になれなかつたが、しかし今度だけは頭が下つた。
「K――市のコレラは近頃何んな様子ですか。」
「いや、これももう下火でせう。避病院も追《おつ》つき閉鎖でせう。」
「本年は暑さが少ししつこいやうですが、何といつてももう十一月ですからな。」
そんな会話が、今度は少し強く小暮の耳を打つた。彼は何となし恐怖を感じた。こんな処へ来て感染しては遣切れないと思つた。昔し十五六の時分、コレラが彼の町K市を襲つたことがあつた。あつちでも此方でも黄色は紙が貼られてあつた。町は挙つて戦慄した。胃腸の弱かつた、小暮は殊にも心が怯えた。悪疫は到頭彼の町へも入つて来た。一町ばかり隔たつたところに、それか発生したのであつた。小暮は唾液《つば》を呑むのも気味が悪かつた。
小暮はふと其の時のことを思出した。そしてそれを母の病気と結びつけようとは思はないながらに、或る微かな暗影が、彼の頭脳を掠めるやうにも感じた。
「もし偶然《ひよつ》としたら……。」小暮はふと、さう云ふ気がして、ちよつと足下を軽くすくはれたやうに感じたが、直きに打消した。
あの養生の好い、寡食な母が、腸胃の疫患で生命を取られようとは、想像ができなかつた。勿論彼女は胃腸が丈夫でなかつた。疫病をわづらつて、空に稲光りがしてゐたから、多分秋の初めの頃であつたらう、おまるにかゝつてゐたことを小暮は今でも微かに記憶してゐた。しかし余所へ客に行つてお茶を飲むことができないほど瘤飲もちではあつたけれど、胃腸で寝たのはそれ限りであつた。年取つてからは、お茶も少しは飲めるのであつた。
小暮はコレラの流行地へ、母の病気を見舞ひに行つて、少くとも恐らく一と月くらゐは足を止めて看護しなければならない事を思ふと、好い気持がしなかつた。
汽車はもう国境の峠まで来てゐた。故郷が刻々に近づきつゝあつた。小暮は駅の名が懐かしく、彼の耳にひゞいた。田畑や人家、その辺の人の姿、言語、それらの郷土色が次第に汽車の進行を待遠しく思はせた。少しでも頭脳に休養を与へようと思つて、目をつぶつてみたけれど、無駄であつた。
退屈な時間が、国境をこえてから、又た一時間もたつた。その果てに、漸とのことで、K市の散漫な外廓が近づいて来た。流れや橋や、倉庫や、煙突が現はれて来た。裏町を歩いてゐる人が見えだして来た。間もなく汽車が駅の構内へ入つて行つた。
プラツトホームを物色する彼の目に、五六人の親しい顔が見えた。年取つた兄や、余り逢ふ機会のない、同じ年輩の甥の顔も、珍らしくそこに見えた。
小暮は荷物を受取つてもらつてから、膝頭《ひざがしら》のがく/\するやうな足を引摺つておりて行つた。皆なは何となし森厳な表情をして彼を取り囲んだ。彼は一番近い兄の家へ導かれることになつてゐたが、何の病気かときいても、はつきり答へる人はなかつた。
「もう駄目なのか。」小暮は一番親しい甥の圭吉に尋ねた。
「どうも残念なことでした。」圭吉は忸怩しながら答へた。
小暮は遽かに張合《はりあひ》がぬけた。
「やつぱり然《さ》うか。」小暮は自分に確めるやうに呟いた。
若し子供を失つてゐなかつたら、彼の受けた打撃は恐らくもつと痛いものであつたらうが、母の死は、それが何となし慌立しい有様であつたに拘はらず、比較的素直に受容れられた。
「病気は何なんだ。」
「……それが少し厭な病気でして……。」圭吉は言ひづらさうにしてゐた。
その瞬間、小暮は汽車で耳にしたことが、はつきりした暗示となつて彼の胸に響くのを感じた。
「コレラぢやないか。」
「まあさう言ふんですけれど、……いづれ着いてから詳しいお話はしますが……。」
小暮はやがて車に乗つた。
夜行列車のなかには、間接に知つてゐる人の家族が多勢集りこんでゐて、それが満洲や北海道に事業の手を拡げてゐる人達であるうへに郷里の人間としては、やゝ奇矯な投機師と思はれるほど、色々の企業に興味と卓見をもつてゐた。彼等は夥しい荷物を積みこんで、彼等の母の喜の字の祝ひに集まるべく、幾夫婦かゞ各地から東京の店に落合つて、そこから帰国の旅に立つたのであつた。会場に料理屋に、幾室《いくしつ》かの増築をしたりして、一家一門挙つて盛宴を張つたといふ話を、後で聞き知つたのであつたが、小暮の従姉の一人が、祝賀される老母の弟に当る人に嫁いでゐた関係から、顔の印象で、それが誰であるかゞ、直きにわかつた。それには産業の事にたづさはつてゐる県官も一人乗りあはせてゐたので、一晩中話がはづんでゐた。小暮は始終|暗黙《だんまり》で、興味ある彼等の談話に聞き耽つてゐた。しまひに彼等は大きな信玄袋のなかに一杯詰つてゐる、郷里のお菓子をひろげて、「さあ何うぞ」と小暮にも勧めたりしたが、やがて彼等も談話に疲れて、代る/\眠りを取りに、一等室の方へ入つて行つた。
汽車が海辺を走つてゐる頃には、睡眠を取りに行つた彼等も、再び殆んど全部出て来て、食事をするのに忙しかつた。そして夜は早くから寝てゐた子供が起き出して、元気よく燥ぎまはるのを見て、打興じてゐたが、それも日が高く昇つてからは、何となし惰気を生じて、誰も彼も薄ら眠いやうな目を、懶さうに閉ぢたり開いたりしてゐた。小暮も疲れた頭脳が変にごぢれて来て、眠るにも眠られず、霧でも被つたやうになつてゐた。
日が昇るにつれて、今まで灰色に見えた寂しい海にも、遽かに秋らしい光が照りわたつて、大きな鴎が翅をひろげて、まるで螺旋仕掛《ばねじかけ》か何かのやうに、ぱさ/\と弛く飛んでゐるのが、夢のやうに見えた。単調な波が、古い芝居の波幕が煽られるやうに、のたり/\と大まかに揺らいでゐた。それは少年頃の小暮の目に親しまれたと、同じ海であつた。汽車は時々危い岩壁の上を通つたり、貧しい漁村を走つたりした。道の狭いところでは、反対の側の車窓の硝子に山が崩れおちさうに見えたりした。草や木が深い露にじつとり濡れそぼつてて、秋の色の殊に鮮やかな葉の大きい柿の枝などが、少年期をすごした故郷の廃園の情趣を懐しく思出させた。風が静かなので、しなやかな枝振の素直に暢々したのが、何となし安静の感じを与へた。
さうした海岸を、幾時間くらゐ走つたであらう。小暮は窓枠に倚りかゝつて、いつかうと/\したと思つたが、大分たつてから気がついてみると、海は何時か遠ざかつて、汽車は広々した平野へ出てゐた。
車室のなかは、また一としきり目覚めはじめた。そつちにも此方にも話声がした。中にはぐつすり寝込んでゐるものもあつた。どこから乗つたか新らしい乗客の顔も見えてゐた。汽車は今隣国の平野を走つてゐた。
「この辺は何うですかコレラは。」
「この辺も一|時《じ》はひどかつたやうですが、もう下火ですよ。」
東京からの乗客と新しく乗込んだ人とのあひだに、そんな会話が交されてゐた。それがふと小暮の耳を掠めるといふ程度で、聞えた。それは県官と其の知人である土地の紳士との会話であつた。小暮はその夏十二になる一人の愛児を失つて、その悲しみがまだ頭脳にこびりついてゐた。そんな苦しい経験は彼に取つては初めてであつた。不断子供の病気に神経質であつただけ、彼の悲しみも大きかつた。病気は疫痢であつた。二人の医者に不安を感じた頃には、愛児の筋肉はもう硬張りかけてゐた。それは悔ひても及ばない彼の失策であつた。それと同時に其の子の妹と弟とが二人、幾度か冷たい死の手に触れようとして、辛くも生命を取止めた。彼はその頃ひどい神経衰弱に陥つてゐた。そして少し涼気が立つ時分に、休息を取るために伊豆の方へ旅立つたが、海へ行つても山へ行つても彼の心の終痛《うづき》は薄らぐことがなかつた。
小暮はコレラと聞いて、遽に心が曇つたが、しかし其は余所の噂に過ぎなかつた。コレラにしろ疫痢にしろ、悪疫と聞いては、好い感じがしなかつたけれど、たゞそれだけで、それを母の病気と結びつけるなどは思ひもよらなかつた。母はまだ見たこともない孫の死の報知《しらせ》を聞いて、仰天してしまつた。後の二人《ふたり》については、日頃信心の神様へ、毎晩お百度詣りをしてゐたことを、小暮は後で知つたのであつた。彼女が孫のためにその神様にお詣りをするのは、その時に限つたことでもなかつた。小暮は今迄それを感謝する気になれなかつたが、しかし今度だけは頭が下つた。
「K――市のコレラは近頃何んな様子ですか。」
「いや、これももう下火でせう。避病院も追《おつ》つき閉鎖でせう。」
「本年は暑さが少ししつこいやうですが、何といつてももう十一月ですからな。」
そんな会話が、今度は少し強く小暮の耳を打つた。彼は何となし恐怖を感じた。こんな処へ来て感染しては遣切れないと思つた。昔し十五六の時分、コレラが彼の町K市を襲つたことがあつた。あつちでも此方でも黄色は紙が貼られてあつた。町は挙つて戦慄した。胃腸の弱かつた、小暮は殊にも心が怯えた。悪疫は到頭彼の町へも入つて来た。一町ばかり隔たつたところに、それか発生したのであつた。小暮は唾液《つば》を呑むのも気味が悪かつた。
小暮はふと其の時のことを思出した。そしてそれを母の病気と結びつけようとは思はないながらに、或る微かな暗影が、彼の頭脳を掠めるやうにも感じた。
「もし偶然《ひよつ》としたら……。」小暮はふと、さう云ふ気がして、ちよつと足下を軽くすくはれたやうに感じたが、直きに打消した。
あの養生の好い、寡食な母が、腸胃の疫患で生命を取られようとは、想像ができなかつた。勿論彼女は胃腸が丈夫でなかつた。疫病をわづらつて、空に稲光りがしてゐたから、多分秋の初めの頃であつたらう、おまるにかゝつてゐたことを小暮は今でも微かに記憶してゐた。しかし余所へ客に行つてお茶を飲むことができないほど瘤飲もちではあつたけれど、胃腸で寝たのはそれ限りであつた。年取つてからは、お茶も少しは飲めるのであつた。
小暮はコレラの流行地へ、母の病気を見舞ひに行つて、少くとも恐らく一と月くらゐは足を止めて看護しなければならない事を思ふと、好い気持がしなかつた。
汽車はもう国境の峠まで来てゐた。故郷が刻々に近づきつゝあつた。小暮は駅の名が懐かしく、彼の耳にひゞいた。田畑や人家、その辺の人の姿、言語、それらの郷土色が次第に汽車の進行を待遠しく思はせた。少しでも頭脳に休養を与へようと思つて、目をつぶつてみたけれど、無駄であつた。
退屈な時間が、国境をこえてから、又た一時間もたつた。その果てに、漸とのことで、K市の散漫な外廓が近づいて来た。流れや橋や、倉庫や、煙突が現はれて来た。裏町を歩いてゐる人が見えだして来た。間もなく汽車が駅の構内へ入つて行つた。
プラツトホームを物色する彼の目に、五六人の親しい顔が見えた。年取つた兄や、余り逢ふ機会のない、同じ年輩の甥の顔も、珍らしくそこに見えた。
小暮は荷物を受取つてもらつてから、膝頭《ひざがしら》のがく/\するやうな足を引摺つておりて行つた。皆なは何となし森厳な表情をして彼を取り囲んだ。彼は一番近い兄の家へ導かれることになつてゐたが、何の病気かときいても、はつきり答へる人はなかつた。
「もう駄目なのか。」小暮は一番親しい甥の圭吉に尋ねた。
「どうも残念なことでした。」圭吉は忸怩しながら答へた。
小暮は遽かに張合《はりあひ》がぬけた。
「やつぱり然《さ》うか。」小暮は自分に確めるやうに呟いた。
若し子供を失つてゐなかつたら、彼の受けた打撃は恐らくもつと痛いものであつたらうが、母の死は、それが何となし慌立しい有様であつたに拘はらず、比較的素直に受容れられた。
「病気は何なんだ。」
「……それが少し厭な病気でして……。」圭吉は言ひづらさうにしてゐた。
その瞬間、小暮は汽車で耳にしたことが、はつきりした暗示となつて彼の胸に響くのを感じた。
「コレラぢやないか。」
「まあさう言ふんですけれど、……いづれ着いてから詳しいお話はしますが……。」
小暮はやがて車に乗つた。
[#5字下げ]三[#「三」は中見出し]
兄の家へついて玄関からあがると、直ちに奥座敷へ通されたが、そこへ入らうとする途端、玄関へ出迎へたばかりの嫂《あね》が遽かに閾際に両手をついて泣き出してしまつた。
「今度は何とも申訳のないことになりまして……。」
小暮は何が何だか薩張解らなかつた。
「いゝえ……何うしたんですか。」彼は不思議さうに尋ねた。
嫂は涙を拭ひながら、少し顔を挙げた。
「お話しなければ判りませんが……」嫂はいつもの落着を失ひながらも、順序正しく話しだした。
「実は四国の方から松茸《まつたけ》を送つて来ましたので、宅は人数が少うございますものですから、方々へ少しづゝお裾分けしましたのです。御母さんのところへも、差しあげました。何分お年を召していらつしやることですから、私が気をきかせて差上げなければよかつたのを、まさかこんな事にならうとも思ひませんで、お分けしたのが私の不束なのでございます。」
小暮はそんな事かと思つた。
「それあ仕方がないでせう。年が年ですから、そんな事がなくても死ぬ時は死ぬでせう。そんな事はどうか……詰らないことです。」
嫂といつても、小暮と異腹の兄の妻であつた。この兄と母とのあひだは、大阪にゐる長兄ほど滑らかには行つてゐなかつた。勿論長兄と母のあひだは、旋毛曲《つむじまが》りの小暮よりも、より以上にうまく行つてゐた。長兄は誰にでも悦ばれるやうな、蟠りのない気質に生れついてゐた。表面頑固な次兄は、彼の妹――小暮の姉だちにも余り好く思はれてゐなかつた。次兄は長兄や小暮よりも、性格に深みをもつてゐた。彼は職掌柄多勢の役員や労働者を統率して行くだけの、峻厳と周到とを具へてゐた。物質的に最も豊かであつたのも、此の次兄であつた。
「なあに、兄さんは口先ばかりで……。」次兄は人の好い長兄を、さうも思へたらうと思はれた。
さうした関係から、母の死因は、小暮に対する嫂の気持に可なり苦しい責任感を背負はせずにはゐなかつた。
しかし小暮はそれらの感情の本体が単に名々《めい/\》の立場にすぎない事を能く知つてゐた。誰が悪いのでもないのであつた。
甥がそこへ入つて来て、少し更まつて坐つた。
「お聞きになつた通りですが、何ういふはづみでしたかね。現に同じ茸を食べてゐる人が中毒してゐないんですから。」
「何うも仕方がないだらうね。」
「おばゝもこの夏は大変元気でした。近頃づゐぶんまめ[#「まめ」に傍点]でしたから、ちよい/\何処かへお義理に行つたり何かしてゞしたが、その日《ひ》なぞも余所から帰つて来ると、暑がつて、片肌ぬぎで、鈴江さんの襦袢とかを縫つてゐたんです。それからお夕飯にその松茸をたべて、大変おいしがつて、いつも用心がいゝのに、その時は少し余計進んだものらしいんです。夜八時頃に、倉田のおばさん(小暮の実姉)がちよつと顔を出されたときも、おばゝから其の松茸をお裾分けしてあつたので、食べたかと聞かれるので、まだ食べないと、言ふと、どうしてあんなお美《い》しいもの早く食べないかと言つてゐられたさうです。すると其の夜中に、二度下つて、それから腰がぬけたやうになつてしまつたんです。最初どつと来たときに、しまつたと言はれたさうで、母が駈けつけて行つたのは、夜中の二時頃でしたらうが、それでも其の時は、手足は冷えきつてゐたけれど気は確かなもので、お俊さんに電報をうたうと言つて、どうせ明日は日曜だから、来るだらうといふんで、おぢさんとこだけ取敢へず電報を差上げたやうなことでした。目をおとされたのは、明け方です。灰色のものが下つたといふんですが、この頃は擬似でも何でもコレラにしてしまひますからね。母は勿論倉田のおばさんも、鈴江さんも、四五人連で隔離所へ収容される始末で、木村でも大消毒をやられたんです。」
木村は、圭吉たちの姻戚の旧家であつた。家が広いのに無人なので、母と小暮の妹の娘の鈴江とが、そこに同居してゐた。鈴江は小暮の妹の先夫の子であつた。その孫を母は産れおちるとから手にかけて来た。そして其の愛着が、彼女を遠くへ離れて行くことを兎角躊躇させた。不幸な鈴江は、実に彼女の老後の生命であつた。総ての子供から離れられてしまつた彼女は、更にその孫から新たな第一歩を踏出さなければならなかつた。小暮にすら絶望させられた彼女の孤独が必死となつて最後の望みにしがみつかせてゐた。限りない慈愛が、老いた彼女の心に、絶えざる泉のやうに泌出してゐた。それは寧ろ信仰に似たやうなものであつた。鈴江のためには何んな労苦をも厭はないのであつた。鈴江の生先きを見るために、この先き十年二十年生きても、生き足りない感じがあつた。で、また彼女は、近年すつかり自分の健康に信頼してゐた。
最後の日がしかし到頭やつて来た。
「しまつた。」それが彼女の運命であつた。
「痛ましい母よ。」小暮は涙ぐましいやうな彼女の晩年に、詫びても詫びきれない悔ひを感じた。
「来る年も/\も、何のこともないんで、何だか無際限に生きてゐる人のやうな気がしてゐたんだが。……」小暮はさう言つて笑ひに紛らせてゐた。
「どうですお出でになりますか。大阪のおぢさんも行つてお出の筈です。」圭吉は促すやうに言つた。
小暮は何だか極りがわるいやうな気がした.勿論焼かれてゐるので、行く張合ひもなかつた。去年の夏久しぶりで見たあの母の顔も、永久に彼の目から失はれてしまつた訳であつた。
しかし行かない訳に行かなかつた。
そこへ次弟が難かしげな顔をして入つて来た。
「どうだ。風呂へ入らんか。さうして一緒に出かけるとしよう。」[#地付き](大正14[#「14」は縦中横]年5月「新潮」)
兄の家へついて玄関からあがると、直ちに奥座敷へ通されたが、そこへ入らうとする途端、玄関へ出迎へたばかりの嫂《あね》が遽かに閾際に両手をついて泣き出してしまつた。
「今度は何とも申訳のないことになりまして……。」
小暮は何が何だか薩張解らなかつた。
「いゝえ……何うしたんですか。」彼は不思議さうに尋ねた。
嫂は涙を拭ひながら、少し顔を挙げた。
「お話しなければ判りませんが……」嫂はいつもの落着を失ひながらも、順序正しく話しだした。
「実は四国の方から松茸《まつたけ》を送つて来ましたので、宅は人数が少うございますものですから、方々へ少しづゝお裾分けしましたのです。御母さんのところへも、差しあげました。何分お年を召していらつしやることですから、私が気をきかせて差上げなければよかつたのを、まさかこんな事にならうとも思ひませんで、お分けしたのが私の不束なのでございます。」
小暮はそんな事かと思つた。
「それあ仕方がないでせう。年が年ですから、そんな事がなくても死ぬ時は死ぬでせう。そんな事はどうか……詰らないことです。」
嫂といつても、小暮と異腹の兄の妻であつた。この兄と母とのあひだは、大阪にゐる長兄ほど滑らかには行つてゐなかつた。勿論長兄と母のあひだは、旋毛曲《つむじまが》りの小暮よりも、より以上にうまく行つてゐた。長兄は誰にでも悦ばれるやうな、蟠りのない気質に生れついてゐた。表面頑固な次兄は、彼の妹――小暮の姉だちにも余り好く思はれてゐなかつた。次兄は長兄や小暮よりも、性格に深みをもつてゐた。彼は職掌柄多勢の役員や労働者を統率して行くだけの、峻厳と周到とを具へてゐた。物質的に最も豊かであつたのも、此の次兄であつた。
「なあに、兄さんは口先ばかりで……。」次兄は人の好い長兄を、さうも思へたらうと思はれた。
さうした関係から、母の死因は、小暮に対する嫂の気持に可なり苦しい責任感を背負はせずにはゐなかつた。
しかし小暮はそれらの感情の本体が単に名々《めい/\》の立場にすぎない事を能く知つてゐた。誰が悪いのでもないのであつた。
甥がそこへ入つて来て、少し更まつて坐つた。
「お聞きになつた通りですが、何ういふはづみでしたかね。現に同じ茸を食べてゐる人が中毒してゐないんですから。」
「何うも仕方がないだらうね。」
「おばゝもこの夏は大変元気でした。近頃づゐぶんまめ[#「まめ」に傍点]でしたから、ちよい/\何処かへお義理に行つたり何かしてゞしたが、その日《ひ》なぞも余所から帰つて来ると、暑がつて、片肌ぬぎで、鈴江さんの襦袢とかを縫つてゐたんです。それからお夕飯にその松茸をたべて、大変おいしがつて、いつも用心がいゝのに、その時は少し余計進んだものらしいんです。夜八時頃に、倉田のおばさん(小暮の実姉)がちよつと顔を出されたときも、おばゝから其の松茸をお裾分けしてあつたので、食べたかと聞かれるので、まだ食べないと、言ふと、どうしてあんなお美《い》しいもの早く食べないかと言つてゐられたさうです。すると其の夜中に、二度下つて、それから腰がぬけたやうになつてしまつたんです。最初どつと来たときに、しまつたと言はれたさうで、母が駈けつけて行つたのは、夜中の二時頃でしたらうが、それでも其の時は、手足は冷えきつてゐたけれど気は確かなもので、お俊さんに電報をうたうと言つて、どうせ明日は日曜だから、来るだらうといふんで、おぢさんとこだけ取敢へず電報を差上げたやうなことでした。目をおとされたのは、明け方です。灰色のものが下つたといふんですが、この頃は擬似でも何でもコレラにしてしまひますからね。母は勿論倉田のおばさんも、鈴江さんも、四五人連で隔離所へ収容される始末で、木村でも大消毒をやられたんです。」
木村は、圭吉たちの姻戚の旧家であつた。家が広いのに無人なので、母と小暮の妹の娘の鈴江とが、そこに同居してゐた。鈴江は小暮の妹の先夫の子であつた。その孫を母は産れおちるとから手にかけて来た。そして其の愛着が、彼女を遠くへ離れて行くことを兎角躊躇させた。不幸な鈴江は、実に彼女の老後の生命であつた。総ての子供から離れられてしまつた彼女は、更にその孫から新たな第一歩を踏出さなければならなかつた。小暮にすら絶望させられた彼女の孤独が必死となつて最後の望みにしがみつかせてゐた。限りない慈愛が、老いた彼女の心に、絶えざる泉のやうに泌出してゐた。それは寧ろ信仰に似たやうなものであつた。鈴江のためには何んな労苦をも厭はないのであつた。鈴江の生先きを見るために、この先き十年二十年生きても、生き足りない感じがあつた。で、また彼女は、近年すつかり自分の健康に信頼してゐた。
最後の日がしかし到頭やつて来た。
「しまつた。」それが彼女の運命であつた。
「痛ましい母よ。」小暮は涙ぐましいやうな彼女の晩年に、詫びても詫びきれない悔ひを感じた。
「来る年も/\も、何のこともないんで、何だか無際限に生きてゐる人のやうな気がしてゐたんだが。……」小暮はさう言つて笑ひに紛らせてゐた。
「どうですお出でになりますか。大阪のおぢさんも行つてお出の筈です。」圭吉は促すやうに言つた。
小暮は何だか極りがわるいやうな気がした.勿論焼かれてゐるので、行く張合ひもなかつた。去年の夏久しぶりで見たあの母の顔も、永久に彼の目から失はれてしまつた訳であつた。
しかし行かない訳に行かなかつた。
そこへ次弟が難かしげな顔をして入つて来た。
「どうだ。風呂へ入らんか。さうして一緒に出かけるとしよう。」[#地付き](大正14[#「14」は縦中横]年5月「新潮」)
底本:「徳田秋聲全集第15巻」八木書店
1999(平成11)年3月18日初版発行
底本の親本:「新潮」
1925(大正14)年5月
初出:「新潮」
1925(大正14)年5月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
1999(平成11)年3月18日初版発行
底本の親本:「新潮」
1925(大正14)年5月
初出:「新潮」
1925(大正14)年5月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ