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感傷的の事
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感傷的の事
徳田秋声
徳田秋声
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)※[#「睹のつくり/栩のつくり」、第4水準2-84-93]《そ》
(例)※[#「睹のつくり/栩のつくり」、第4水準2-84-93]《そ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)今|繰《くり》
(例)今|繰《くり》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「睹のつくり/栩のつくり」、第4水準2-84-93]
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「睹のつくり/栩のつくり」、第4水準2-84-93]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ひや/\
(例)ひや/\
濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
何うした心の※[#「睹のつくり/栩のつくり」、第4水準2-84-93]《そ》れ方をしてゐたゝめに、私はそんなに長く彼女を振顧つて見る気になれなかつたのか。それには別に何の原因もなかつた。多少義務といふ観念の伴ふのが厭だつたのかも知れないが、極度の寛容と慈愛をもつた彼女は今まで一度も義務らしいものを私に要求したことはなかつた。餓死しないだけの程度の生活費を、時々私から受取つてゐるほか、何の要求をも持たなかつた。時とするとそんな僅かな物質上の義務をさへ、私か怠つてゐても彼女は決してそれを責めようとはしないのであつた。
私が彼女をそんなに長く見舞はなかつたのも、実は私の無精からだといふ単純な事に帰するのであつた。それには又俗に謂ふ性《しやう》が合はないところが、何処かにあつたのではないかと思はれた。それよりも昔相当な家に産れた彼女の気分が、幼いをりにはそこに何等の批判を挟む余地のないほど、私に取つて自然なものであつたにしても、母から離れ家郷から遠《とほざ》かつて、世のなかへ乗出して、人に打つかつたり、現実の生活に触れたりしてから、まるで温室のなかにでも育てゝゐられたような彼女の子に対する甘さが、厭になつて来たからかも知れないのであつた。私は彼女から生活といふ観念を嘗て与へられたことはなかつた。金の勘定を、私は大きくなるまで知らなかつた。私たちは私の中学時代から、可也貧しい生活を堪へ忍んで来た。そして私の若い心はそれから強い刺戟を受けたが、どんな場合にも彼女はそれを自分の子供に感じさせるようなことはしなかつた。勿論彼女自身も、貧乏をさう愧づべきこととも苦しいこととも思つてゐなかつた。そして比較的身分の好い士分の家に産れた経済観念のまるで乏しい女が、貧しいながらに、悪く言へばルーズな、好く言へば大様な呑気さで、貧乏を寧ろ正直で上品な人間の一つの矜であるとさへ信じてゐたとほりに、彼女も年々行詰つて来る生活に対して、別に新な方法を考へようともしなかつた。その罪を彼女一人に負はすのは、残酷なことには違ひないにしても、子供――特に彼女のためには、自分の腹から出た一人の男子であつた私を、まるで生涯自分の懐ろにでも閉籠めておくものゝように、昔ながらの大様さと甘さの中に生立せた無制限な愛をその後私は少しづつ感じて来た。そして私を育てた方法よりも、彼女自身の生活の無智《ノンセンス》に反感を抱かずにはゐられなかつた。
「可哀さうな母よ。」私はいつも彼女のことを憶出して、自身の我儘と無精を憎まずにはゐらなかつたが、近いてもやつぱり為方がないといふ気がしてゐた。
彼女は私のどんな我儘をも許した。どんな無精をも責めようとはしなかつた。そして其の無制限の寛容に狎れた私は、来る年も来る年も、時々ひや/\するような気持に襲はれながらも、何時彼女を見に行くといふ折もなくて過ぎた。彼女の生活や気持に触れることを不安に思つてゐたといふよりも、孤独と困窮のうちに年老いた彼女を棄つぽかしておいた自分の無精と心なさを凝視めることを、出来るだけ避けようとしてゐたのであつた。で、いざ踏出したとなると、彼女と全く離れてゐた十年の歳月の余りにも長かつたのに驚かされるのであつた。彼女の生涯に取つて、どんなに大切であつたか知れない其の十年が、ちよつとした私の気の※[#「睹のつくり/栩のつくり」、第4水準2-84-93]れ方で、私のために全然《まるで》夢のように過ぎてしまつたのであつた。
朝早く私は上野から出発したのであつたが、さて愈よ汽車に乗つてしまつたとなると、彼女を見るまでの僅か十六時間ばかりの時間が、今までの十一年間のそれよりも怠屈で待遠しいものゝように思はれた。勿論幾年ぶりかで旅に出た私に取つては、そんなじめ/\した気持さへ切放せば、時候といひ汽車の乗心地といひ、沿道の自然といひ、総て快適でないものはなかつた。
それは晩春から漸く新緑の初夏に移つた五月初めのことで、朝早くに上野から出発した私は、何となく汽車のクシヤンに昵みがたいような気持で、窓から流れるやゝ肌寒い朝風に顔を吹かれながら、物希らしさうに、武蔵野の広い平原を眺めてゐた。野山はどこも彼処も地肌の見えぬまでに鬱々たる濃緑色に深く裹《つゝ》まれて、窓から見おろす低い畑地や、山地の傾斜面などに、薄紫の桐の花が今を盛りと咲いてゐた。寂れた古駅や村里が、樹木の荒い茂りの中に埋《うも》れて明い日の光を浴びながら、武蔵野らしい暗鬱さで私の目を掠めて過ぎたりした。汽車はそれらの野山を走つて、少しづゝ地平線の垠に淡蒼い姿を見せてゐた山かゝりの方へと迎いて行くのであつたが、それと同時に、濃い翠嵐の立罩められた杉檜の色が、次第に鮮やかに見えはじめて来て、汽車述今山へ差しかゝつて来てゐることを知ることができた。そして幾時間かの後には、汽車は喘ぐように高原地を登りつゝあることに気がついた。山が右にも左にも、その濃い淡い幾箇もの脈を以つて私の視界に立寒がつて来た。長いあひだ平地を這つてゐたような都会生活の単調さから救はれたように、私はそれらの寂しい峻厳な山の姿を、何んなに懐かしく思つたか知れなかつた。それに其の辺は、私がまだほんの若い時分、初めての冒険を試みたとき、友と二人で、徒歩で通つたことのある高原地の一部であつた。その頃その辺は、汽車かまだ全く通つてゐなかつた。そして作りかけた隧道の口が、そこの巌角や此処の山腹に見られた。到るところ荒い土工が盛んに興されてゐた。目の鋭い工夫たちの凄い顔や、耳なれぬ蛮的な関東弁が、初めて他郷の土を踏んだ私たちを、何《ど》のくらゐ駭かしたか知れなかつた。それは真実《ほんとう》に遠い昔のことであつた。私はそれから後も一度くらゐ汽車でこゝを通つたには通つたが、今は更にそれらの追憶が新たにされるのであつた。年齢や生活事情が過去を振顧る気持を、私に強くならせてゐた。
「ほんとうに久振だ。私はつく/″\さう思つて、懐かしげに通過駅の有様や、舞々折重なつてゐる山脈などをしみ/″\眺めたのであつた。そして其と同時に、彼女をそんなにも長く省《かへりみ》なかつた自分の疎懶に驚いたのであつた。
私は鬢に白毛を交へるような年になつてゐた。それは真の少《わづ》かではあつたが、しかしそんな物が鏡に映りはじめたと思ふと、少しづゝではあるが可也急速度で殖ゑて行くのであつた。若し目がよかつたら、老いた彼女にもそれが判るだらうと思はれた。そして其が少なからず彼女の寂しい心を痛ましめることだらうと思はれた。
それらの高原地をおりると、汽車は忽ち暗鬱で単調な北の海辺へと出て来た。私は汽車がやゝ高原地をおりかけたところで其辺の都市へ徴兵検査に出張してゐた旧友の陸軍少将に逢つて、彼がいかに才はぢけた立派な将校になつたかを知つたりした。
寂しい暗碧な海が、いつか灰色の暮色に裹まれて来た。白い鳥が、慵い翼をひろげて、悲しい夢のように沖を飛んでゐた。線路ぞひの古い町や、海に近い貧しい漁村などから灯影がちら/\してゐた。山が海に迫つたところでは、その暗い海の色や灯影が、汽車の窓からは、幾十間ともしれぬ地底に仄かに眺められた。そして其等の嶮しい海岸線をのろ/\脱けると、やがていくらか広々した平野へ出て来た。汽車は急速力で暗のなかを走つた。
懐かしい駅の名を呼ぶ駅夫の声が、私の疲れた耳に不思議な響を与へた。そんな駅の名をさへ私はすつかり忘れ果てゐたことに気がついたのであつた。
私が彼女をそんなに長く見舞はなかつたのも、実は私の無精からだといふ単純な事に帰するのであつた。それには又俗に謂ふ性《しやう》が合はないところが、何処かにあつたのではないかと思はれた。それよりも昔相当な家に産れた彼女の気分が、幼いをりにはそこに何等の批判を挟む余地のないほど、私に取つて自然なものであつたにしても、母から離れ家郷から遠《とほざ》かつて、世のなかへ乗出して、人に打つかつたり、現実の生活に触れたりしてから、まるで温室のなかにでも育てゝゐられたような彼女の子に対する甘さが、厭になつて来たからかも知れないのであつた。私は彼女から生活といふ観念を嘗て与へられたことはなかつた。金の勘定を、私は大きくなるまで知らなかつた。私たちは私の中学時代から、可也貧しい生活を堪へ忍んで来た。そして私の若い心はそれから強い刺戟を受けたが、どんな場合にも彼女はそれを自分の子供に感じさせるようなことはしなかつた。勿論彼女自身も、貧乏をさう愧づべきこととも苦しいこととも思つてゐなかつた。そして比較的身分の好い士分の家に産れた経済観念のまるで乏しい女が、貧しいながらに、悪く言へばルーズな、好く言へば大様な呑気さで、貧乏を寧ろ正直で上品な人間の一つの矜であるとさへ信じてゐたとほりに、彼女も年々行詰つて来る生活に対して、別に新な方法を考へようともしなかつた。その罪を彼女一人に負はすのは、残酷なことには違ひないにしても、子供――特に彼女のためには、自分の腹から出た一人の男子であつた私を、まるで生涯自分の懐ろにでも閉籠めておくものゝように、昔ながらの大様さと甘さの中に生立せた無制限な愛をその後私は少しづつ感じて来た。そして私を育てた方法よりも、彼女自身の生活の無智《ノンセンス》に反感を抱かずにはゐられなかつた。
「可哀さうな母よ。」私はいつも彼女のことを憶出して、自身の我儘と無精を憎まずにはゐらなかつたが、近いてもやつぱり為方がないといふ気がしてゐた。
彼女は私のどんな我儘をも許した。どんな無精をも責めようとはしなかつた。そして其の無制限の寛容に狎れた私は、来る年も来る年も、時々ひや/\するような気持に襲はれながらも、何時彼女を見に行くといふ折もなくて過ぎた。彼女の生活や気持に触れることを不安に思つてゐたといふよりも、孤独と困窮のうちに年老いた彼女を棄つぽかしておいた自分の無精と心なさを凝視めることを、出来るだけ避けようとしてゐたのであつた。で、いざ踏出したとなると、彼女と全く離れてゐた十年の歳月の余りにも長かつたのに驚かされるのであつた。彼女の生涯に取つて、どんなに大切であつたか知れない其の十年が、ちよつとした私の気の※[#「睹のつくり/栩のつくり」、第4水準2-84-93]れ方で、私のために全然《まるで》夢のように過ぎてしまつたのであつた。
朝早く私は上野から出発したのであつたが、さて愈よ汽車に乗つてしまつたとなると、彼女を見るまでの僅か十六時間ばかりの時間が、今までの十一年間のそれよりも怠屈で待遠しいものゝように思はれた。勿論幾年ぶりかで旅に出た私に取つては、そんなじめ/\した気持さへ切放せば、時候といひ汽車の乗心地といひ、沿道の自然といひ、総て快適でないものはなかつた。
それは晩春から漸く新緑の初夏に移つた五月初めのことで、朝早くに上野から出発した私は、何となく汽車のクシヤンに昵みがたいような気持で、窓から流れるやゝ肌寒い朝風に顔を吹かれながら、物希らしさうに、武蔵野の広い平原を眺めてゐた。野山はどこも彼処も地肌の見えぬまでに鬱々たる濃緑色に深く裹《つゝ》まれて、窓から見おろす低い畑地や、山地の傾斜面などに、薄紫の桐の花が今を盛りと咲いてゐた。寂れた古駅や村里が、樹木の荒い茂りの中に埋《うも》れて明い日の光を浴びながら、武蔵野らしい暗鬱さで私の目を掠めて過ぎたりした。汽車はそれらの野山を走つて、少しづゝ地平線の垠に淡蒼い姿を見せてゐた山かゝりの方へと迎いて行くのであつたが、それと同時に、濃い翠嵐の立罩められた杉檜の色が、次第に鮮やかに見えはじめて来て、汽車述今山へ差しかゝつて来てゐることを知ることができた。そして幾時間かの後には、汽車は喘ぐように高原地を登りつゝあることに気がついた。山が右にも左にも、その濃い淡い幾箇もの脈を以つて私の視界に立寒がつて来た。長いあひだ平地を這つてゐたような都会生活の単調さから救はれたように、私はそれらの寂しい峻厳な山の姿を、何んなに懐かしく思つたか知れなかつた。それに其の辺は、私がまだほんの若い時分、初めての冒険を試みたとき、友と二人で、徒歩で通つたことのある高原地の一部であつた。その頃その辺は、汽車かまだ全く通つてゐなかつた。そして作りかけた隧道の口が、そこの巌角や此処の山腹に見られた。到るところ荒い土工が盛んに興されてゐた。目の鋭い工夫たちの凄い顔や、耳なれぬ蛮的な関東弁が、初めて他郷の土を踏んだ私たちを、何《ど》のくらゐ駭かしたか知れなかつた。それは真実《ほんとう》に遠い昔のことであつた。私はそれから後も一度くらゐ汽車でこゝを通つたには通つたが、今は更にそれらの追憶が新たにされるのであつた。年齢や生活事情が過去を振顧る気持を、私に強くならせてゐた。
「ほんとうに久振だ。私はつく/″\さう思つて、懐かしげに通過駅の有様や、舞々折重なつてゐる山脈などをしみ/″\眺めたのであつた。そして其と同時に、彼女をそんなにも長く省《かへりみ》なかつた自分の疎懶に驚いたのであつた。
私は鬢に白毛を交へるような年になつてゐた。それは真の少《わづ》かではあつたが、しかしそんな物が鏡に映りはじめたと思ふと、少しづゝではあるが可也急速度で殖ゑて行くのであつた。若し目がよかつたら、老いた彼女にもそれが判るだらうと思はれた。そして其が少なからず彼女の寂しい心を痛ましめることだらうと思はれた。
それらの高原地をおりると、汽車は忽ち暗鬱で単調な北の海辺へと出て来た。私は汽車がやゝ高原地をおりかけたところで其辺の都市へ徴兵検査に出張してゐた旧友の陸軍少将に逢つて、彼がいかに才はぢけた立派な将校になつたかを知つたりした。
寂しい暗碧な海が、いつか灰色の暮色に裹まれて来た。白い鳥が、慵い翼をひろげて、悲しい夢のように沖を飛んでゐた。線路ぞひの古い町や、海に近い貧しい漁村などから灯影がちら/\してゐた。山が海に迫つたところでは、その暗い海の色や灯影が、汽車の窓からは、幾十間ともしれぬ地底に仄かに眺められた。そして其等の嶮しい海岸線をのろ/\脱けると、やがていくらか広々した平野へ出て来た。汽車は急速力で暗のなかを走つた。
懐かしい駅の名を呼ぶ駅夫の声が、私の疲れた耳に不思議な響を与へた。そんな駅の名をさへ私はすつかり忘れ果てゐたことに気がついたのであつた。
けれど彼女に逢つてみると、別に何のこともなかつた。幼い時分に見た芝居か絵草紙を、今|繰《くり》ひろげてみるほどの興味すら与へられなかつた。
着いた晩には、私は皆んな一度は東京へ出て私の家に暫くでもゐたことのある甥たちに迎へられて、ひどく雑踏するステイシヨンから、俥をつらねて暗い町を、可也距離のある姉の家へと落着いたのであつたが、私はそこへ来て、古びた式台のところへ、姉や義兄や其の娘などゝ一緒に老いた姿を現はしたとき、彼女の顔を、可也熱愛的な目でちらと凝視めたのであつたが、それに気づいた姉の目に涙の浮んでゐることも、無論私には見過せなかつた。目蓋のたるんだ母は目がしよぼ/\してゐて、よくもわからなかつたが、やつぱり曇《うる》んでゐたのに違ひなかつた。彼女はやつぱり余り小瀟洒《こざつぱり》した装《なり》をしてゐるとは言へなかつた。そして十一年前に見た彼女の面影は、まるで萎びはててしまつて、その上皮膚の色がすつかり光沢と白さを失つてゐた。髪も可也白く薄くなつてゐた。しかしそれは矢張り私の母に違ひないのであつた。私が膝のうへに載せられたまゝ、飯を食べさせられてゐたことを覚えてゐる五つか六つ頃の、まだ其の頃は可也若かつた、お歯黒をつけた歯もそつくり揃つてゐたらしい彼女であつた。最初学校を厭がつた私を引抱へて、深い井戸の側へつれて行つて、前後にたつた一度そつと私を脅かしたときの、慈愛に充ちた目を覚えてゐる彼女や、何も仕出来したこともなくて、最初に帰省したとき、余り悦んだ色を見せなかつた十一年前の彼女の、まだ何処かに肉づきの豊かさや、目に張りのあつた表情は、どこにも影を止めてゐなかつた。私は靴をぬぎながら、それを一目に見たのであつた。
その晩私を取囲んで、衆《みん》なは可也おそくまで起きてゐた。私のために、酒や食べものが、姉夫婦によつて用意されてあつた。
別にこれといふ話もなかつた。私は十五六時代に二年ばかり住んだことのある現在の此の姉の家が、昔ながらの状態で残つてゐるのを懐かしく思ひながらも、過去の私たちの生活に触れるのが、又何となし厭はしかつた。それに私は切立ての、美しい縞柄の膝掛を、車に乗るときこの家の長男に預けたまゝ、どこかで停車場か途中かで彼のために失はれてしまつたのに、いくらか苛々してゐた。物も惜しかつたが、何処かに頭脳のぼんやりした、甥の放心が肚立しかつた。彼の成績不良な学校生活、東京へ来て私の傍にゐて或技術の速成的学校へ入つてゐた間の寄食生活、それらは一つとして彼の父や私を失望させないものはなかつた。そして其の一半は、そんな事に少しも考慮を費さうとはしない姉のルウズ極まる、義兄の余りに甘い育て方に、罪はあるのであつた。
「あれ、為様のない、どこで失《う》せたのやら。」姉はそんな風の気のない返辞をしてゐるのであつた。
彼自身も誰の所為《せい》だかと云ふ風に、ぼんやりしてゐた。
女の子が三人、私の顔を物希らしさうに眺めながら、私の取出した菓子を前においたまゝ、ひそひそ話したり笑つたりしてゐた。一人は色白の美しい顔をした十八九の親類の娘で人の妻であつた。一人は体つきのすんなりした、目や鼻つきの古風な、義兄そつくりの姉の娘であつた。今一人は、私の妹が再縁するとき、老いた私の母の手元に残された私の哀れな姪であつた。その体の並はづれて小さいのが、私の其の夜の憂鬱な心を一層圧しつけた。
やがて母が帰つてから、私は姉がしいてくれた寝所に就いた。母は孫と、今一人のお節ちやんと云ふ、色白の美しい娘と一緒に帰つて行つた。彼女は広い幾箇もの部屋をもつたお節ちやんの家の二|室《ま》ばかりに、少しばかりの手まはりの道具と、哀れな孫の前途に、気の毒なほど夢想的な希望を繋けつつ、寂しく貧しく、しかし気散じに暮してゐるのであつた。彼女は一つはその不運な孫娘のために、一つは深い遠慮のために、西の方にゐる私の兄の家へも、東にゐる私の家へも寄つてこないのであつた。牛歳に産れた彼女は、古い言伝へに囚はれて、子供たちの生活のなかへ入つて行くことを避けてゐたのか、それとも先天的孤独の運命に産れついてゐたのか、それは私にも判然しなかつた。
着いた晩には、私は皆んな一度は東京へ出て私の家に暫くでもゐたことのある甥たちに迎へられて、ひどく雑踏するステイシヨンから、俥をつらねて暗い町を、可也距離のある姉の家へと落着いたのであつたが、私はそこへ来て、古びた式台のところへ、姉や義兄や其の娘などゝ一緒に老いた姿を現はしたとき、彼女の顔を、可也熱愛的な目でちらと凝視めたのであつたが、それに気づいた姉の目に涙の浮んでゐることも、無論私には見過せなかつた。目蓋のたるんだ母は目がしよぼ/\してゐて、よくもわからなかつたが、やつぱり曇《うる》んでゐたのに違ひなかつた。彼女はやつぱり余り小瀟洒《こざつぱり》した装《なり》をしてゐるとは言へなかつた。そして十一年前に見た彼女の面影は、まるで萎びはててしまつて、その上皮膚の色がすつかり光沢と白さを失つてゐた。髪も可也白く薄くなつてゐた。しかしそれは矢張り私の母に違ひないのであつた。私が膝のうへに載せられたまゝ、飯を食べさせられてゐたことを覚えてゐる五つか六つ頃の、まだ其の頃は可也若かつた、お歯黒をつけた歯もそつくり揃つてゐたらしい彼女であつた。最初学校を厭がつた私を引抱へて、深い井戸の側へつれて行つて、前後にたつた一度そつと私を脅かしたときの、慈愛に充ちた目を覚えてゐる彼女や、何も仕出来したこともなくて、最初に帰省したとき、余り悦んだ色を見せなかつた十一年前の彼女の、まだ何処かに肉づきの豊かさや、目に張りのあつた表情は、どこにも影を止めてゐなかつた。私は靴をぬぎながら、それを一目に見たのであつた。
その晩私を取囲んで、衆《みん》なは可也おそくまで起きてゐた。私のために、酒や食べものが、姉夫婦によつて用意されてあつた。
別にこれといふ話もなかつた。私は十五六時代に二年ばかり住んだことのある現在の此の姉の家が、昔ながらの状態で残つてゐるのを懐かしく思ひながらも、過去の私たちの生活に触れるのが、又何となし厭はしかつた。それに私は切立ての、美しい縞柄の膝掛を、車に乗るときこの家の長男に預けたまゝ、どこかで停車場か途中かで彼のために失はれてしまつたのに、いくらか苛々してゐた。物も惜しかつたが、何処かに頭脳のぼんやりした、甥の放心が肚立しかつた。彼の成績不良な学校生活、東京へ来て私の傍にゐて或技術の速成的学校へ入つてゐた間の寄食生活、それらは一つとして彼の父や私を失望させないものはなかつた。そして其の一半は、そんな事に少しも考慮を費さうとはしない姉のルウズ極まる、義兄の余りに甘い育て方に、罪はあるのであつた。
「あれ、為様のない、どこで失《う》せたのやら。」姉はそんな風の気のない返辞をしてゐるのであつた。
彼自身も誰の所為《せい》だかと云ふ風に、ぼんやりしてゐた。
女の子が三人、私の顔を物希らしさうに眺めながら、私の取出した菓子を前においたまゝ、ひそひそ話したり笑つたりしてゐた。一人は色白の美しい顔をした十八九の親類の娘で人の妻であつた。一人は体つきのすんなりした、目や鼻つきの古風な、義兄そつくりの姉の娘であつた。今一人は、私の妹が再縁するとき、老いた私の母の手元に残された私の哀れな姪であつた。その体の並はづれて小さいのが、私の其の夜の憂鬱な心を一層圧しつけた。
やがて母が帰つてから、私は姉がしいてくれた寝所に就いた。母は孫と、今一人のお節ちやんと云ふ、色白の美しい娘と一緒に帰つて行つた。彼女は広い幾箇もの部屋をもつたお節ちやんの家の二|室《ま》ばかりに、少しばかりの手まはりの道具と、哀れな孫の前途に、気の毒なほど夢想的な希望を繋けつつ、寂しく貧しく、しかし気散じに暮してゐるのであつた。彼女は一つはその不運な孫娘のために、一つは深い遠慮のために、西の方にゐる私の兄の家へも、東にゐる私の家へも寄つてこないのであつた。牛歳に産れた彼女は、古い言伝へに囚はれて、子供たちの生活のなかへ入つて行くことを避けてゐたのか、それとも先天的孤独の運命に産れついてゐたのか、それは私にも判然しなかつた。
私は久しぶりで帰つて来たその町に、三週間ぢかくもゐた。
その間私は毎日二度か三度くらゐ訪ねてくる彼女と、時々差むかひに坐ることがあつても、やつぱり此《これ》といふしみ/″\した話は、二人の間に何一つ交されないのであつた。
彼女はまだ見ぬ子供のことを善く訊いたが、それだと言つて、彼等を見に東京へ行かうとも言出さなかつたし、今度其の一人をも連れてこなかつたのを、不足に思ふらしい風もなかつた。
私は家を出るとき、妻に繰返し言はれた。
「おかよさんも一緒でいゝから、御母さんをつれて来て下さいよ。」
そして私も、事によつたら――彼女が若しそれを希望したら、さうしても可いと思つてゐたが、彼女が極度に地震に怯えることや、あわたゞしい旅程にでも始終ゐるような東京生活――それには急度《きつと》彼女を煩すことになるに決まつてゐる、子供の多い家庭の騒々しく煩はしいことなどを考慮に入れない訳にはいかなかつたし、お互の気分の交錯が何んなにか此上にも私のいら/\しい頭脳を刺戟することだらうといふ気もしてゐた。
「でなければ何処か温泉へでもおつれして、少しは気楽に遊ばしてあげたら……」
そして妻は彼女の身につけるような着物や帯を、行李のなかへ入れてくれたのであつたが、そんな物を私が彼女の前にひろげて見せても、それを受取らうとはしなかつた。
「手ぶらで可い、偶あにでも来てもらへば、それが何よりや。私は古い/\もので沢山。そんな心配すると、また五年も十年も来られんことになるさかえ。」
彼女は新らしいものを、何一つ自分に取らうとはしなかつた。そして帯などを、そつと姉なぞにくれたことに、私は後で気がついた。
その上彼女は、子供の育て方について、ぴしりと一言、私に警告を与へたが、彼女自身の手元にある不幸な孫娘のことに、私の触れて行くことを、出来るだけ避けてゐた。
「あんな風でも困るな。まるで温室の花のようだ。」私は蔭でそんなことを言つたが、彼女には彼女の晩年の唯一つの希望の花を、心委せに育てさせるのが、切めてもの慰めだといふ気がした。そしておかよは全くそのとほりに育てられてゐた。母の霊その物のように、少しの陰影も、歪みももつてはゐなかつた。その寂しい怜悧さと、自然その物のような素直さと恬淡さは、誰の心をも澄さないではおかなかつた。彼女は誰をも怕れなかつた。誰をも侮らなかつた。
私は午前は大抵机に向つてゐた。そして仕事がすむと、外へ飛出して行つた。来てから、もう大分日数がたつてゐたが、立入つて聞かう/\と思ひながら、母の経済状態などについて、まだしみ/\した話をする機会が一度もなかつた。
二三町の距離にある姉の家へ、彼女は思出したように時々やつて来た。私の好きさうな新らしい肴や野菜などをもつて来たり、又は土地特有の粽をもらつたと言つては、仕事にかゝつてゐる私の机の傍へそつとおいて、邪魔にならないように、其まゝ引返へして行つたり、私の手のすくのを、姉たちと一緒に待つてゐたりするのであつたが、私が茶の室へ出て行つても、彼女の体は長くそこに止まつてはゐなかつた。
「何といふ足まめなんやらう。もつとゆつくりして行つたら何《どう》やらう。おばゝはお百度でも踏むように往つたり来たりして、薩張落着いてゐないのや。」姉はさう言つて笑つてゐた。「年を取ると、ほんとうに可笑なもんや。」
「一体いくつだらう。」私は今まで一度も知らうとしたことのない彼女の年をきいたが、やつぱり不安であつた。
「もう七十四や。」姉はパセチツクな表情をして、微声で答へた。
私はそんな事も、一向知らずにゐたのであつた。「彼女を自分の後に残しては遣切れない。」私はさう思ひ続けながらも、長い/\前途が、まだ彼女に横はつてゐるような気休めを自分で強ひて感じてゐた。
到頭或日、私はどこかの帰りに、彼女の生活を見に行つた。
勿論私は帰省早々、彼女が世話になつてゐるお節ちやん新夫婦を見舞はない訳にいかなかつた。
そして其の時ちよつと彼女の部屋をも見たのであつたが、余り綺麗にもなつてゐない其の住居を、彼女は気毒にも、まるで他人のように、ひどく疎々しくなつてゐる子供の私にさへ見られるのを、余り悦ばないらしかつた。現在の彼女から見れば、私は最早彼女の愛する子供ではなかつた。むしろ私の妻の所有であつた。子供たちの父親であつた。そして何処か気のおける、一つの憚らるべき人格であつた。
お節ちやんは、私が初めて行つたとき、弟子の一人に琴を教へてゐた。私はその部屋を通つて、十畳の座敷で、彼女の良人に逢つた。東海道筋の或町がその産れ故郷である彼は、東京や大阪のことも善く知つてゐた。
深い床の間には、釣瓶のようなものに時節の花が、お節ちやんの手によつて美事に活けられてあつた。そして其の座敷からは、山――といふよりは丘が蒼々と暢々した姿で、一ト目に見られた。私は少年時代に、どんなに其の山と親しんだか知れなかつた。脈から脈を伝つて奥深くその山のなかへ、私は屡入つて行つた。高いところからは、碧い海や鏡のような湖水が、広々した平野の垠に見られた。
その丘の崖際の木立に、昼間も啼いてゐる山杜鵑の声が、さうして坐つてゐる私たちの耳へ、不思議な幽寂を伝へて来た。私たちは茶を啜りながら、土地の話をしてゐた。
「何しろ人気のいゝところです。」彼は語つた。
「それに食料品が豊富ですね。これで雨量がもつと少なかつたら、理想の町ですけれど。誠に暢気で、ゆつたりして……」
私は娘の光子が、ちようど初段を取つた頃だつたので、お節ちやんに琴を一曲望んだ。勿論それは夫婦の得意とするところだつたに違ひなかつた。私は二つばかり聴いた。そして其の日は、母とは話も碌々しないで帰つたのであつた。
その後も、私はちやうど其頃任地から帰つてゐた一つ年下の甥に呼ばれて、二三人の其他の甥や、彼の妻や其父親などゝ一緒に、川料理の御馳走になつて、河鹿の啼いてゐる川原に臨んだ二階で、多くの土地の芸者を見せられたりそれらの芸者達と一緒に町の遊廓の或家へ行つたりした。或時はまた旧友に誘はれて、幽静な庭の奥にある茶席じみた料理屋の一室で、彼から支那の詞曲の話を聞いたりした。兄も私のために歓迎の小宴を開いてくれた。それに姪の一人に当るものゝ良人や、そんな事に可也目のきいた甥の一人などゝ一緒に、骨董屋を見てあるいたり、入札を見物に行つたり、その時にはまた汽車で乗出して、温泉へも行かなければならなかつたし、家庭的な飲食の団欒にも加はらなければならなかつた。総てまだしみ/\味つたことのない、この町の色々の享楽世界を、私は窺ふのに忙しかつた。幼時住みなじんだ家屋敷の迹をも弔はなければならなかつた。
うか/\とした日が、直きに十日二十日と過ぎて行くのであつた。
毎日々々、北国の空とは思はれないような、耀かしい日がつづいた。暖かい空気が重く懈《だる》かつた。庭の築土《ついぢ》ぎわにある柿の若葉が、日に/\其の濃さを増して、青蛙か啼いてゐると思ふと、白銀のような驟雨が、咽るような土の香を煽つて、降りそゝいだ。私が毎日坐つてゐる軒端の青梅が、葉かくれに可也太つてゐた。
私は余り長い日数を、この夢のように慵い静かな町に、うか/\過したような気がした。そしていくら居ても同じだと云ふ感じがした。彼女との交渉も、別に何うもならないのだと思はれた。何うにかしても為方がないと云ふ気がした。
で、或時私は更に彼女を見舞つた。
彼女はおかよと二人でゐたか、やつぱり是といふ立入つた話は、孰らの口からも出なかつた。
「今度はもつと近いうちに、またやつて来るけれど、何時までゐても為様がないから、一両日うち帰らうと思つて。」私は言つた。
彼女は別に何とも答へなかつた。耳が疎くなつてゐるのに、私の言葉が解りかねるのであつた。
「おぢさん、もう東京へお帰りやと。」おかよが笑ひながら言つた。
「東京!」彼女はびくりとしたような風であつた。どんなに其が彼女の寂しい心を失望させたか。
「はや! 子たちが待つてゐるかいね。」彼女は呟くように言つた。
「いゝや、今が今といふ訳ぢやない。」私は言つた。そして、
「何んな風か知ら。暮しの方は。義理のわるい借金でもあるようだつたら、何とかしなければならんから。」
「いゝや、そんなことは少しもないのよ。兄さんの方から来るし、かよの母からも月々来るしね。あんたのところは、気まかせに、何時でもいゝさかえ、御都合のいゝときに……」そんな風に彼女は、何もかも醜いことを裹まうとしてゐた。勿論彼女は何事にも、昔からくよ/\しない方であつた。上の姉や、兄の妻や、生活に心を煩はされがちな人たちの気持が、彼女には不思議に思はれた。それに愛するおかよの教育を完成するためには、彼女はまだ長い将来を生きなければならなかつた。弱くなりがちな老いた心を、彼女は引立て/\してゐた。
「可哀さうな母よ」と、私は思つた。
彼女はおかよの作つた造花などを出して私に見せた。それから函に残つてゐる、この国特有のかきもち、その頃産れた私の子供にくれるメリンスの片《きれ》。それから私の好きな胡桃も、菓子もぽつ/\用意されてあつた。
「秋になつたら、又小鳥を上げようと思ふが、何うや、子供は好きかいね。」彼女は訊いた。
「そんな心配しない方が可い。」私はぶつきら棒に言つた。
「古くからあつた小袖櫃は何うなつたね。」私はその櫃のなかに、いくらか何かあつたような気がしてゐたことを思出して、何うなつたかと思つて訊いてみた。
「あれは姉さんの二階の物置にある。もう何にもないぞね。」
私は別に、それに目をかけた訳でもなかつた。
私は長くも彼女の傍にゐなかつた。
その間私は毎日二度か三度くらゐ訪ねてくる彼女と、時々差むかひに坐ることがあつても、やつぱり此《これ》といふしみ/″\した話は、二人の間に何一つ交されないのであつた。
彼女はまだ見ぬ子供のことを善く訊いたが、それだと言つて、彼等を見に東京へ行かうとも言出さなかつたし、今度其の一人をも連れてこなかつたのを、不足に思ふらしい風もなかつた。
私は家を出るとき、妻に繰返し言はれた。
「おかよさんも一緒でいゝから、御母さんをつれて来て下さいよ。」
そして私も、事によつたら――彼女が若しそれを希望したら、さうしても可いと思つてゐたが、彼女が極度に地震に怯えることや、あわたゞしい旅程にでも始終ゐるような東京生活――それには急度《きつと》彼女を煩すことになるに決まつてゐる、子供の多い家庭の騒々しく煩はしいことなどを考慮に入れない訳にはいかなかつたし、お互の気分の交錯が何んなにか此上にも私のいら/\しい頭脳を刺戟することだらうといふ気もしてゐた。
「でなければ何処か温泉へでもおつれして、少しは気楽に遊ばしてあげたら……」
そして妻は彼女の身につけるような着物や帯を、行李のなかへ入れてくれたのであつたが、そんな物を私が彼女の前にひろげて見せても、それを受取らうとはしなかつた。
「手ぶらで可い、偶あにでも来てもらへば、それが何よりや。私は古い/\もので沢山。そんな心配すると、また五年も十年も来られんことになるさかえ。」
彼女は新らしいものを、何一つ自分に取らうとはしなかつた。そして帯などを、そつと姉なぞにくれたことに、私は後で気がついた。
その上彼女は、子供の育て方について、ぴしりと一言、私に警告を与へたが、彼女自身の手元にある不幸な孫娘のことに、私の触れて行くことを、出来るだけ避けてゐた。
「あんな風でも困るな。まるで温室の花のようだ。」私は蔭でそんなことを言つたが、彼女には彼女の晩年の唯一つの希望の花を、心委せに育てさせるのが、切めてもの慰めだといふ気がした。そしておかよは全くそのとほりに育てられてゐた。母の霊その物のように、少しの陰影も、歪みももつてはゐなかつた。その寂しい怜悧さと、自然その物のような素直さと恬淡さは、誰の心をも澄さないではおかなかつた。彼女は誰をも怕れなかつた。誰をも侮らなかつた。
私は午前は大抵机に向つてゐた。そして仕事がすむと、外へ飛出して行つた。来てから、もう大分日数がたつてゐたが、立入つて聞かう/\と思ひながら、母の経済状態などについて、まだしみ/\した話をする機会が一度もなかつた。
二三町の距離にある姉の家へ、彼女は思出したように時々やつて来た。私の好きさうな新らしい肴や野菜などをもつて来たり、又は土地特有の粽をもらつたと言つては、仕事にかゝつてゐる私の机の傍へそつとおいて、邪魔にならないように、其まゝ引返へして行つたり、私の手のすくのを、姉たちと一緒に待つてゐたりするのであつたが、私が茶の室へ出て行つても、彼女の体は長くそこに止まつてはゐなかつた。
「何といふ足まめなんやらう。もつとゆつくりして行つたら何《どう》やらう。おばゝはお百度でも踏むように往つたり来たりして、薩張落着いてゐないのや。」姉はさう言つて笑つてゐた。「年を取ると、ほんとうに可笑なもんや。」
「一体いくつだらう。」私は今まで一度も知らうとしたことのない彼女の年をきいたが、やつぱり不安であつた。
「もう七十四や。」姉はパセチツクな表情をして、微声で答へた。
私はそんな事も、一向知らずにゐたのであつた。「彼女を自分の後に残しては遣切れない。」私はさう思ひ続けながらも、長い/\前途が、まだ彼女に横はつてゐるような気休めを自分で強ひて感じてゐた。
到頭或日、私はどこかの帰りに、彼女の生活を見に行つた。
勿論私は帰省早々、彼女が世話になつてゐるお節ちやん新夫婦を見舞はない訳にいかなかつた。
そして其の時ちよつと彼女の部屋をも見たのであつたが、余り綺麗にもなつてゐない其の住居を、彼女は気毒にも、まるで他人のように、ひどく疎々しくなつてゐる子供の私にさへ見られるのを、余り悦ばないらしかつた。現在の彼女から見れば、私は最早彼女の愛する子供ではなかつた。むしろ私の妻の所有であつた。子供たちの父親であつた。そして何処か気のおける、一つの憚らるべき人格であつた。
お節ちやんは、私が初めて行つたとき、弟子の一人に琴を教へてゐた。私はその部屋を通つて、十畳の座敷で、彼女の良人に逢つた。東海道筋の或町がその産れ故郷である彼は、東京や大阪のことも善く知つてゐた。
深い床の間には、釣瓶のようなものに時節の花が、お節ちやんの手によつて美事に活けられてあつた。そして其の座敷からは、山――といふよりは丘が蒼々と暢々した姿で、一ト目に見られた。私は少年時代に、どんなに其の山と親しんだか知れなかつた。脈から脈を伝つて奥深くその山のなかへ、私は屡入つて行つた。高いところからは、碧い海や鏡のような湖水が、広々した平野の垠に見られた。
その丘の崖際の木立に、昼間も啼いてゐる山杜鵑の声が、さうして坐つてゐる私たちの耳へ、不思議な幽寂を伝へて来た。私たちは茶を啜りながら、土地の話をしてゐた。
「何しろ人気のいゝところです。」彼は語つた。
「それに食料品が豊富ですね。これで雨量がもつと少なかつたら、理想の町ですけれど。誠に暢気で、ゆつたりして……」
私は娘の光子が、ちようど初段を取つた頃だつたので、お節ちやんに琴を一曲望んだ。勿論それは夫婦の得意とするところだつたに違ひなかつた。私は二つばかり聴いた。そして其の日は、母とは話も碌々しないで帰つたのであつた。
その後も、私はちやうど其頃任地から帰つてゐた一つ年下の甥に呼ばれて、二三人の其他の甥や、彼の妻や其父親などゝ一緒に、川料理の御馳走になつて、河鹿の啼いてゐる川原に臨んだ二階で、多くの土地の芸者を見せられたりそれらの芸者達と一緒に町の遊廓の或家へ行つたりした。或時はまた旧友に誘はれて、幽静な庭の奥にある茶席じみた料理屋の一室で、彼から支那の詞曲の話を聞いたりした。兄も私のために歓迎の小宴を開いてくれた。それに姪の一人に当るものゝ良人や、そんな事に可也目のきいた甥の一人などゝ一緒に、骨董屋を見てあるいたり、入札を見物に行つたり、その時にはまた汽車で乗出して、温泉へも行かなければならなかつたし、家庭的な飲食の団欒にも加はらなければならなかつた。総てまだしみ/\味つたことのない、この町の色々の享楽世界を、私は窺ふのに忙しかつた。幼時住みなじんだ家屋敷の迹をも弔はなければならなかつた。
うか/\とした日が、直きに十日二十日と過ぎて行くのであつた。
毎日々々、北国の空とは思はれないような、耀かしい日がつづいた。暖かい空気が重く懈《だる》かつた。庭の築土《ついぢ》ぎわにある柿の若葉が、日に/\其の濃さを増して、青蛙か啼いてゐると思ふと、白銀のような驟雨が、咽るような土の香を煽つて、降りそゝいだ。私が毎日坐つてゐる軒端の青梅が、葉かくれに可也太つてゐた。
私は余り長い日数を、この夢のように慵い静かな町に、うか/\過したような気がした。そしていくら居ても同じだと云ふ感じがした。彼女との交渉も、別に何うもならないのだと思はれた。何うにかしても為方がないと云ふ気がした。
で、或時私は更に彼女を見舞つた。
彼女はおかよと二人でゐたか、やつぱり是といふ立入つた話は、孰らの口からも出なかつた。
「今度はもつと近いうちに、またやつて来るけれど、何時までゐても為様がないから、一両日うち帰らうと思つて。」私は言つた。
彼女は別に何とも答へなかつた。耳が疎くなつてゐるのに、私の言葉が解りかねるのであつた。
「おぢさん、もう東京へお帰りやと。」おかよが笑ひながら言つた。
「東京!」彼女はびくりとしたような風であつた。どんなに其が彼女の寂しい心を失望させたか。
「はや! 子たちが待つてゐるかいね。」彼女は呟くように言つた。
「いゝや、今が今といふ訳ぢやない。」私は言つた。そして、
「何んな風か知ら。暮しの方は。義理のわるい借金でもあるようだつたら、何とかしなければならんから。」
「いゝや、そんなことは少しもないのよ。兄さんの方から来るし、かよの母からも月々来るしね。あんたのところは、気まかせに、何時でもいゝさかえ、御都合のいゝときに……」そんな風に彼女は、何もかも醜いことを裹まうとしてゐた。勿論彼女は何事にも、昔からくよ/\しない方であつた。上の姉や、兄の妻や、生活に心を煩はされがちな人たちの気持が、彼女には不思議に思はれた。それに愛するおかよの教育を完成するためには、彼女はまだ長い将来を生きなければならなかつた。弱くなりがちな老いた心を、彼女は引立て/\してゐた。
「可哀さうな母よ」と、私は思つた。
彼女はおかよの作つた造花などを出して私に見せた。それから函に残つてゐる、この国特有のかきもち、その頃産れた私の子供にくれるメリンスの片《きれ》。それから私の好きな胡桃も、菓子もぽつ/\用意されてあつた。
「秋になつたら、又小鳥を上げようと思ふが、何うや、子供は好きかいね。」彼女は訊いた。
「そんな心配しない方が可い。」私はぶつきら棒に言つた。
「古くからあつた小袖櫃は何うなつたね。」私はその櫃のなかに、いくらか何かあつたような気がしてゐたことを思出して、何うなつたかと思つて訊いてみた。
「あれは姉さんの二階の物置にある。もう何にもないぞね。」
私は別に、それに目をかけた訳でもなかつた。
私は長くも彼女の傍にゐなかつた。
それから三四日たつた或晩、私は姉の家の何時もの座敷で、出立前の最後の一夜を、彼女と枕をならべて寝た。
私は彼女が、悪い目――といつて別に疾があるようには思へなかつたが、ひどく視力の衰へてゐることを知つてゐたので、その時眼鏡を用ふることを勧告した。しかし彼女は、そんな煩いことをする必要が、どこにあると言つて肯かないのであつた。
「でも自分で危いと思はないのかね。私と擦れちかつても、気のつかないような目だもの。溝でも陥つたら、大変だから。」
「それは私が、脊が低いからや。」
「何だかよち/\したもんだ。眼鏡だけは用意した方がいゝ。でないと、自転車に弾飛されてしまひますよ。」
「まだそんな事はないぞね。」彼女は主張した。
「針こそもてないけれど、道を歩くのに不自由するようなことは、些《ちよ》つともないのや。」
姉は傍で笑つてゐた。
明朝は早く立つた。母はうろ/\してゐるように見えた。そして私が鞄の鍵をかけてゐたとき、傍へ来て見てゐた彼女の曇んだ目から、白雨の雫のような涙の大粒が、二滴ばかり落ちるのを、私は見せられた。
が、その涙は幾雫も出なかつた。そして、
「今度来るときは、そんな大袈裟なことをせんと、体一つで来るこつちや」と言ひながら、私の心を痛ましめまいとするように、元気よく挙動《ふるま》つてゐた。
俥が三台つづいて、姉の家から出た。母は五間も十間ものあひだを、小さい体で今にも転けさうな風で、私の俥について来た。
「危い、危い!」私ははら/\して声をかけた。そして来ることの余りおそくて、別れることの余り早いのを、深く心に悔ひながら、永久の寂莫のなかに彼女を見棄てた。
私は彼女が、悪い目――といつて別に疾があるようには思へなかつたが、ひどく視力の衰へてゐることを知つてゐたので、その時眼鏡を用ふることを勧告した。しかし彼女は、そんな煩いことをする必要が、どこにあると言つて肯かないのであつた。
「でも自分で危いと思はないのかね。私と擦れちかつても、気のつかないような目だもの。溝でも陥つたら、大変だから。」
「それは私が、脊が低いからや。」
「何だかよち/\したもんだ。眼鏡だけは用意した方がいゝ。でないと、自転車に弾飛されてしまひますよ。」
「まだそんな事はないぞね。」彼女は主張した。
「針こそもてないけれど、道を歩くのに不自由するようなことは、些《ちよ》つともないのや。」
姉は傍で笑つてゐた。
明朝は早く立つた。母はうろ/\してゐるように見えた。そして私が鞄の鍵をかけてゐたとき、傍へ来て見てゐた彼女の曇んだ目から、白雨の雫のような涙の大粒が、二滴ばかり落ちるのを、私は見せられた。
が、その涙は幾雫も出なかつた。そして、
「今度来るときは、そんな大袈裟なことをせんと、体一つで来るこつちや」と言ひながら、私の心を痛ましめまいとするように、元気よく挙動《ふるま》つてゐた。
俥が三台つづいて、姉の家から出た。母は五間も十間ものあひだを、小さい体で今にも転けさうな風で、私の俥について来た。
「危い、危い!」私ははら/\して声をかけた。そして来ることの余りおそくて、別れることの余り早いのを、深く心に悔ひながら、永久の寂莫のなかに彼女を見棄てた。
其が生きた彼女を見た私の最後であつた。[#地付き](大正10[#「10」は縦中横]年1月「人間」)
底本:「徳田秋聲全集第13巻」八木書店
1998(平成10)年11月18日初版発行
底本の親本:「人間」
1921(大正10)年1月
初出:「人間」
1921(大正10)年1月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
1998(平成10)年11月18日初版発行
底本の親本:「人間」
1921(大正10)年1月
初出:「人間」
1921(大正10)年1月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ