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贅沢
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贅沢
徳田秋声
徳田秋声
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)癈屋《あばらや》
(例)癈屋《あばらや》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#5字下げ]
(例)[#5字下げ]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\
(例)なか/\
[#5字下げ]一[#「一」は中見出し]
山村の妻の弟の潮田が、養女にする目的で子供を見に上京したのは、これが二度目であつた。潮田は震災当時逸早く駈けつけてくれて、十日間ばかり山村の家に滞在してゐてくれたのであつたが、その時も親に残された子供が、多勢社会局などに保護されてあることが新聞なぞにも出てゐたので、一人素姓の好ささうなのを引受けて育てて見たいと言つてゐた。山村の裏の癈屋《あばらや》に避難してゐる警察の人の話によると、この間も警視庁で、すばらしい好い児が、奪ひ合ひで連れて行かれたし、外にもさういふ子供が多勢ゐて、望みの人は択り取り見取りだと言ふのであつた。
「好いのかあつたら私も一人貰ひたいものだが……」潮田は言つてゐた。
彼は医者としては、ちよいと異つた性格の持主であつた。海軍の軍医として世界を廻つて来たこともあつたが、病気をしてから職を罷めて、田舎の山奥にある養家へ引込んでしまつた。そして営業的ではなしに、時に不幸な患者を診察して薬を与へたりしてゐた。彼の養家は町からづつと離れた寂しい山の麓にあつた。一夏《ひとなつ》山村もその家を見舞つたことがあつたが、南と西に山が聳えたつてゐて檜や杉や、松などが生茂つてゐた。その山を利用して、広い庭が作られ、深い緑のあいだに組まれた岩から滝が落ちてゐたり、滝の流るゝ処、所々岩に激した渓流が大きな池へ注いでゐるのが木石の多い植込を透《すか》して書院から眺められた。
その辺は全く人気を絶してゐた。潮田は植木屋と共に毎日庭いぢりをしたり、山の植木を伐つたりしてゐたが、時間の多くは読書に消された。そして其の隙々に患者を診てゐた。書生も代診の男と看護志望の女と二人ゐた。乗馬の好きな彼は、遠い患家へは馬で行くことにしてゐた。彼は時々奇抜な診断を下して、自家独得の処方を書いたが、それは大抵西洋から取寄せてゐる医学書のなかゝら出るのらしかつた。勿論彼は医学上の説がなか/\豊富であつた。
漸く健康に自信が出て来たところから、二三年前彼は町で馴染になつた、そんな女にしては相当教養のある婦人を、妻に迎へた。その辺には近頃は農村疲弊の著るしい徴候の見えてゐることは勿論で、潮田の家も、前に比べると収入も減つてゐたけれど、でも恬淡な彼には、それでも不足はなかつた。環境の寂寥も彼に取つては、寧ろ気楽であつたが、今まで賑やかなところに暮してゐた若い細君に取つては、その古びた大きな屋敷は可なり憂鬱であつた。九つになる男の子を独り、彼は弟から預かつてゐて、それを好き自由に教育することもできたし、相続者にすることも随意であつたけれど、妻の縫子の望みからいへば、女の子を一人、藁のうへから貰つて、老後の係り子として、育てゝ見たかつた。
それで潮田は出て来たついでに、不幸の子供を一人取りあげてみようと思つたのであつたが、不意に用事が出来て、彼は迎ひの人と一緒に、捲ゲートルに水筒と云ふ扮装で、遽かに田舎へ帰つて行つた。潮田の来診を待つてゐる重病患者があつたからであつた。
山村の妻の弟の潮田が、養女にする目的で子供を見に上京したのは、これが二度目であつた。潮田は震災当時逸早く駈けつけてくれて、十日間ばかり山村の家に滞在してゐてくれたのであつたが、その時も親に残された子供が、多勢社会局などに保護されてあることが新聞なぞにも出てゐたので、一人素姓の好ささうなのを引受けて育てて見たいと言つてゐた。山村の裏の癈屋《あばらや》に避難してゐる警察の人の話によると、この間も警視庁で、すばらしい好い児が、奪ひ合ひで連れて行かれたし、外にもさういふ子供が多勢ゐて、望みの人は択り取り見取りだと言ふのであつた。
「好いのかあつたら私も一人貰ひたいものだが……」潮田は言つてゐた。
彼は医者としては、ちよいと異つた性格の持主であつた。海軍の軍医として世界を廻つて来たこともあつたが、病気をしてから職を罷めて、田舎の山奥にある養家へ引込んでしまつた。そして営業的ではなしに、時に不幸な患者を診察して薬を与へたりしてゐた。彼の養家は町からづつと離れた寂しい山の麓にあつた。一夏《ひとなつ》山村もその家を見舞つたことがあつたが、南と西に山が聳えたつてゐて檜や杉や、松などが生茂つてゐた。その山を利用して、広い庭が作られ、深い緑のあいだに組まれた岩から滝が落ちてゐたり、滝の流るゝ処、所々岩に激した渓流が大きな池へ注いでゐるのが木石の多い植込を透《すか》して書院から眺められた。
その辺は全く人気を絶してゐた。潮田は植木屋と共に毎日庭いぢりをしたり、山の植木を伐つたりしてゐたが、時間の多くは読書に消された。そして其の隙々に患者を診てゐた。書生も代診の男と看護志望の女と二人ゐた。乗馬の好きな彼は、遠い患家へは馬で行くことにしてゐた。彼は時々奇抜な診断を下して、自家独得の処方を書いたが、それは大抵西洋から取寄せてゐる医学書のなかゝら出るのらしかつた。勿論彼は医学上の説がなか/\豊富であつた。
漸く健康に自信が出て来たところから、二三年前彼は町で馴染になつた、そんな女にしては相当教養のある婦人を、妻に迎へた。その辺には近頃は農村疲弊の著るしい徴候の見えてゐることは勿論で、潮田の家も、前に比べると収入も減つてゐたけれど、でも恬淡な彼には、それでも不足はなかつた。環境の寂寥も彼に取つては、寧ろ気楽であつたが、今まで賑やかなところに暮してゐた若い細君に取つては、その古びた大きな屋敷は可なり憂鬱であつた。九つになる男の子を独り、彼は弟から預かつてゐて、それを好き自由に教育することもできたし、相続者にすることも随意であつたけれど、妻の縫子の望みからいへば、女の子を一人、藁のうへから貰つて、老後の係り子として、育てゝ見たかつた。
それで潮田は出て来たついでに、不幸の子供を一人取りあげてみようと思つたのであつたが、不意に用事が出来て、彼は迎ひの人と一緒に、捲ゲートルに水筒と云ふ扮装で、遽かに田舎へ帰つて行つた。潮田の来診を待つてゐる重病患者があつたからであつた。
[#5字下げ]二[#「二」は中見出し]
ニ度目に出て来たのは、冬の初めであつたが、目的は達せられなかつた。それはそんな子供は未だ多勢保護させてあるけれど、家族たちの生死のはつきりしないものばかりで、親か身寄のものかが、何時引取りに来ないとも限らないから、うつかりそんな約束は許されてないと言ふのであつた。
「莫迦見たぜ。どうもをかしいとは思つたけれど。」
潮田はさう言つて帰つて来た。
ところで今度のは、それと全く趣が違つてゐた。震災とは何の関係もなかつた。それは結婚の許されない事情のもとにある、不幸な恋愛関係に繋がれた若い人の子であつた。
山村が妻から不運なその子供の話を聞いたのはもう一月も前のことであつた。
その頃彼女の弟で、潮田の兄にあたる池田が、ある日山村の子供への土産に岡山の黍団子や桃太郎の菓子などをもつて来たとき、彼はその話の筋を妻から聞いたのであつた。勿論それは略《ほゞ》お定まりどほりであつた。たゞ女の方が二つばかり年上で、二十三であつた。そして身分が大分ちがへてゐた。池田は女のために、遠いところを先方へ交渉に行つたのであつた。
「先きも話のわかつた人ださうです。どうかして子供を育てたいと思ふけれど、まだ学生の身分で、親類の手前もあるから、何うしても引取る訳に行かないから、どうか悪しからずと言つてるださうです。その変り沢山のこともできませんけれど、三百円ばかり出しますから、何分皆さんで宜しきようにといふので、紛紜《いざこざ》なしに済んだんださうです。」
山村の妻はそんな話をした。
「それで其の子供を、潮田に何うでせうと言ふんですが、私もちやうど好いでせうと思ひますよ。男はちやんとした家の坊ちやんで、なか/\好い男ださうですし、女も別に卑しい人ぢやないんですからね。子供は好い児ださうです。」彼女は言ふのであつた。
「さうだね。いゝだらう。」山村は簡短に答へた。
池田と潮田のあひだに、手紙が往復した結果、潮田は夫婦で出て来ることになつた。で、或日の午後潮田と妻の縫子が山村の家へ着いた。
山村の妻は、二年前の夏潮田の家に滞在してゐたので、縫子とは馴染であつたか、山村は初めであつた。
縫子は体つきのすらりとした、色の白い、顔立の尋常な女であつた。そして山村の前では遠慮がちであつたけれど、妻とはよく親しげな話をした。
「壮一が行くな/\て言ふんですて。」
山村の妻は食後二人になつたとき、山村に話した。壮一は潮田の家にゐる弟の子供であつた。彼も母に別れた不幸な子供の一人であつた。
「妬《や》くんだね。」
「さうですて。子供をつれて来ては可けないと言ふんださうです。小さくても、もうそんな癖みがあるんですね。それでも縫子にはよく懐《なつ》いてゐるとみえて、病気なぞすると、始終傍へ来て、死んぢや可けない、/\つて言ふんですてね。縫子も感心によくしてやつてゐるやうですよ。雪でも降れば人をつけて学校の送り迎ひもさせるらしいんですの。子供も大分良くなつたやうですね。潮田は叱るときは随分ひどく言ふやうですけれど、傭人なんかゞ少し莫迦にしたやうなことをすると、なか/\承知しないんだとか言つてをりましたよ。」
山村は無関心で聞いてゐた。
晩餐のとき、山村は夫婦と一緒に箸を執つた。
農村の話などが出た。山村と潮田は時々猪口を手にしてゐた。山村は田舎の人に其の土地のことを聞くのが好きであつた。
「どうも可けませんね。小作の可哀さうなのは勿論ですが、地主が大体立行かんのですからね。」
潮田は小作の惨めな状態を説くと同時に、地主の立場の苦しいことをも、具体的に説明した。働くなら、工場の方がいゝと言つて、小作が続々町へ出れば、地主も都会で暮した方が、物価が安くて経費かかゝらないし、租税も戸数割だけでも脱れることができる上に、各方面の寄附なども町になれば負担しないでも済むので、田地は小作にあづけて、夫れから夫へと都会へ出てくる――
「だから、田を作るものなぞ今に一人も居なくなるだらうと思ひますね。今のところではまだく先祖代々の土地に愛著をもつてゐますから、まあこつ/\遣つてゐますけれど、教育されたお蔭で、少し目のあいたものは、皆んな考へてゐるやうですな。」
「潮田の家なんか、山があるから好いね。」
「さうです。山持ちはまあ好い方ですが、私の山は保安林だから、自分のもので自分のものでないやうです。まあ木が枯れゝば伐れるのですが、すぐることも出来ますね。それがまあ私の小遣くらゐにはなるので……」
「あれは少し透《すか》した方がいゝね。あんなに籠つてゐると、夏なぞ瘴気があつて、体にさはる。」
「その代り風を防ぎますでね。」
その間女同士で、二人の妻がしんみり話に耽つてゐた。
翌日夫婦は池田のところへ、子供を見に出て行つた。
「子供は好い子です。貰ふことに決めて来ました。」潮田は言つてゐた。
山村は別に詳しいことを聞く必要もなかつたが、後で妻に聞くと、潮田夫婦は、名古屋から伊勢へまはつて、一且東京へ帰つてから、子供の母親について来てもらふことに、決定したのださうであつた。
「その方がいゝでせうつて、私も言つたんです。急に乳を離れるのは可哀さうですもの。乳母を捜すにしても、ちよつと手間がかゝるでせうから。母親の方も、どんな処だか見たいと云つてゐるさうですから、ちやうど可ございますわ。」
「それにしても、そんな小さいものを育てるのは、なか/\骨だね。経験のない縫子にその世話ができるか知ら。」
「え、私もさう思ひますよ。何うしても女の子がゐないと、寂しいんださうですけれど。それに潮田はあんな体ですから先きのことも考へるんでせうね。」
「縫子も弱さうぢやないか。」
「さうね、余り丈夫とはいへないでせうね。でも潮田は可愛がつてゐますね。」
「さうか。」山村は笑つてゐた。
「名古屋の実家で、夏よく潮田の家へ来てゐるでせう。あの人の所へ行くらしいんですわ。そして三人でお伊勢さまへ参つたり何かして、一週間も遊ぶつもりでせうよ。」
「好い身分だね。」
「好いですとも。家も余りだゞつぴろい部屋ばかりで可けないから、今度帰ると、東京風の小ぢんまりした部屋を少し建増するんだとか言つてゐるんですよ。」
山村は「ふゝん」と言つて聞いてゐた。
「あの仙人のやうな男が、大分変つて来たんだね、」
「あの山奥ぢや、何をしたつて私なぞ一生居る気になれませんわ。」
ニ度目に出て来たのは、冬の初めであつたが、目的は達せられなかつた。それはそんな子供は未だ多勢保護させてあるけれど、家族たちの生死のはつきりしないものばかりで、親か身寄のものかが、何時引取りに来ないとも限らないから、うつかりそんな約束は許されてないと言ふのであつた。
「莫迦見たぜ。どうもをかしいとは思つたけれど。」
潮田はさう言つて帰つて来た。
ところで今度のは、それと全く趣が違つてゐた。震災とは何の関係もなかつた。それは結婚の許されない事情のもとにある、不幸な恋愛関係に繋がれた若い人の子であつた。
山村が妻から不運なその子供の話を聞いたのはもう一月も前のことであつた。
その頃彼女の弟で、潮田の兄にあたる池田が、ある日山村の子供への土産に岡山の黍団子や桃太郎の菓子などをもつて来たとき、彼はその話の筋を妻から聞いたのであつた。勿論それは略《ほゞ》お定まりどほりであつた。たゞ女の方が二つばかり年上で、二十三であつた。そして身分が大分ちがへてゐた。池田は女のために、遠いところを先方へ交渉に行つたのであつた。
「先きも話のわかつた人ださうです。どうかして子供を育てたいと思ふけれど、まだ学生の身分で、親類の手前もあるから、何うしても引取る訳に行かないから、どうか悪しからずと言つてるださうです。その変り沢山のこともできませんけれど、三百円ばかり出しますから、何分皆さんで宜しきようにといふので、紛紜《いざこざ》なしに済んだんださうです。」
山村の妻はそんな話をした。
「それで其の子供を、潮田に何うでせうと言ふんですが、私もちやうど好いでせうと思ひますよ。男はちやんとした家の坊ちやんで、なか/\好い男ださうですし、女も別に卑しい人ぢやないんですからね。子供は好い児ださうです。」彼女は言ふのであつた。
「さうだね。いゝだらう。」山村は簡短に答へた。
池田と潮田のあひだに、手紙が往復した結果、潮田は夫婦で出て来ることになつた。で、或日の午後潮田と妻の縫子が山村の家へ着いた。
山村の妻は、二年前の夏潮田の家に滞在してゐたので、縫子とは馴染であつたか、山村は初めであつた。
縫子は体つきのすらりとした、色の白い、顔立の尋常な女であつた。そして山村の前では遠慮がちであつたけれど、妻とはよく親しげな話をした。
「壮一が行くな/\て言ふんですて。」
山村の妻は食後二人になつたとき、山村に話した。壮一は潮田の家にゐる弟の子供であつた。彼も母に別れた不幸な子供の一人であつた。
「妬《や》くんだね。」
「さうですて。子供をつれて来ては可けないと言ふんださうです。小さくても、もうそんな癖みがあるんですね。それでも縫子にはよく懐《なつ》いてゐるとみえて、病気なぞすると、始終傍へ来て、死んぢや可けない、/\つて言ふんですてね。縫子も感心によくしてやつてゐるやうですよ。雪でも降れば人をつけて学校の送り迎ひもさせるらしいんですの。子供も大分良くなつたやうですね。潮田は叱るときは随分ひどく言ふやうですけれど、傭人なんかゞ少し莫迦にしたやうなことをすると、なか/\承知しないんだとか言つてをりましたよ。」
山村は無関心で聞いてゐた。
晩餐のとき、山村は夫婦と一緒に箸を執つた。
農村の話などが出た。山村と潮田は時々猪口を手にしてゐた。山村は田舎の人に其の土地のことを聞くのが好きであつた。
「どうも可けませんね。小作の可哀さうなのは勿論ですが、地主が大体立行かんのですからね。」
潮田は小作の惨めな状態を説くと同時に、地主の立場の苦しいことをも、具体的に説明した。働くなら、工場の方がいゝと言つて、小作が続々町へ出れば、地主も都会で暮した方が、物価が安くて経費かかゝらないし、租税も戸数割だけでも脱れることができる上に、各方面の寄附なども町になれば負担しないでも済むので、田地は小作にあづけて、夫れから夫へと都会へ出てくる――
「だから、田を作るものなぞ今に一人も居なくなるだらうと思ひますね。今のところではまだく先祖代々の土地に愛著をもつてゐますから、まあこつ/\遣つてゐますけれど、教育されたお蔭で、少し目のあいたものは、皆んな考へてゐるやうですな。」
「潮田の家なんか、山があるから好いね。」
「さうです。山持ちはまあ好い方ですが、私の山は保安林だから、自分のもので自分のものでないやうです。まあ木が枯れゝば伐れるのですが、すぐることも出来ますね。それがまあ私の小遣くらゐにはなるので……」
「あれは少し透《すか》した方がいゝね。あんなに籠つてゐると、夏なぞ瘴気があつて、体にさはる。」
「その代り風を防ぎますでね。」
その間女同士で、二人の妻がしんみり話に耽つてゐた。
翌日夫婦は池田のところへ、子供を見に出て行つた。
「子供は好い子です。貰ふことに決めて来ました。」潮田は言つてゐた。
山村は別に詳しいことを聞く必要もなかつたが、後で妻に聞くと、潮田夫婦は、名古屋から伊勢へまはつて、一且東京へ帰つてから、子供の母親について来てもらふことに、決定したのださうであつた。
「その方がいゝでせうつて、私も言つたんです。急に乳を離れるのは可哀さうですもの。乳母を捜すにしても、ちよつと手間がかゝるでせうから。母親の方も、どんな処だか見たいと云つてゐるさうですから、ちやうど可ございますわ。」
「それにしても、そんな小さいものを育てるのは、なか/\骨だね。経験のない縫子にその世話ができるか知ら。」
「え、私もさう思ひますよ。何うしても女の子がゐないと、寂しいんださうですけれど。それに潮田はあんな体ですから先きのことも考へるんでせうね。」
「縫子も弱さうぢやないか。」
「さうね、余り丈夫とはいへないでせうね。でも潮田は可愛がつてゐますね。」
「さうか。」山村は笑つてゐた。
「名古屋の実家で、夏よく潮田の家へ来てゐるでせう。あの人の所へ行くらしいんですわ。そして三人でお伊勢さまへ参つたり何かして、一週間も遊ぶつもりでせうよ。」
「好い身分だね。」
「好いですとも。家も余りだゞつぴろい部屋ばかりで可けないから、今度帰ると、東京風の小ぢんまりした部屋を少し建増するんだとか言つてゐるんですよ。」
山村は「ふゝん」と言つて聞いてゐた。
「あの仙人のやうな男が、大分変つて来たんだね、」
「あの山奥ぢや、何をしたつて私なぞ一生居る気になれませんわ。」
潮田は友人を訪問したり、買いものをしたりするのも、二三日を費した。
「何といつても東京は好いですな。私も時々来ようと思ひます。あの山奥にばかり引込んでゐると、刺戟がなくて、頭が硬化してしまひさうだ。」
彼は言つてゐた。
それで最初の計画をいくらか変更して、二人でまた東京へ引返すかはりに、伊勢から直接国へ帰つてしまつて、家へ落ちつく頃に、池田の女房について来てもらつて、母子で来ることに決めた。そして母親に、切めて半年も足を止めてもらつて、乳を呑ましてもらうことをも、協定して、潮田夫婦は東京を立つて行つた。
「何といつても東京は好いですな。私も時々来ようと思ひます。あの山奥にばかり引込んでゐると、刺戟がなくて、頭が硬化してしまひさうだ。」
彼は言つてゐた。
それで最初の計画をいくらか変更して、二人でまた東京へ引返すかはりに、伊勢から直接国へ帰つてしまつて、家へ落ちつく頃に、池田の女房について来てもらつて、母子で来ることに決めた。そして母親に、切めて半年も足を止めてもらつて、乳を呑ましてもらうことをも、協定して、潮田夫婦は東京を立つて行つた。
池田の妻が潮田の家から帰つて来たと言つて、山村を訪ねたのは、それから二週間もたつてからであつたが、家を見て母親がひどく悦んだことなぞを山村夫婦の前に話した。
「何せい米蔵には俵が積んでございますんですからね。味噌蔵には味噌が食べきれないほどあるし、この子はほんとうに幸福だといつて、大変に悦んでをりましたです。私のゐるあひだにお手伝ひして、お衣《べゞ》やねんねこやお蒲団を縫ふやら、町へお雛さまを買ひに行くやら大騒ぎでございました。それに村の人を多勢呼んで御披露なさいますのでね、忙しかつたものですから、私もつひお長くなつてしまひまして……。」[#地付き](大正13[#「13」は縦中横]年4月「新小説」)
「何せい米蔵には俵が積んでございますんですからね。味噌蔵には味噌が食べきれないほどあるし、この子はほんとうに幸福だといつて、大変に悦んでをりましたです。私のゐるあひだにお手伝ひして、お衣《べゞ》やねんねこやお蒲団を縫ふやら、町へお雛さまを買ひに行くやら大騒ぎでございました。それに村の人を多勢呼んで御披露なさいますのでね、忙しかつたものですから、私もつひお長くなつてしまひまして……。」[#地付き](大正13[#「13」は縦中横]年4月「新小説」)
底本:「徳田秋聲全集第14巻」八木書店
2000(平成12)年7月18日初版発行
底本の親本:「新小説」
1924(大正13)年4月
初出:「新小説」
1924(大正13)年4月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
2000(平成12)年7月18日初版発行
底本の親本:「新小説」
1924(大正13)年4月
初出:「新小説」
1924(大正13)年4月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ