のら犬にさえなれない(前編) ◆gry038wOvE
──これまでの仮面ライダーW in 変身ロワイアルは!!
(♪BGM『今までのダブルは』)
『ははっ……よっしゃぁぁぁぁ!
フィリップが帰ってきたぁぁぁぁぁ!!』
『だったら誰が杏子ちゃんを支えられるんだ!? 君しかいないだろう! そんな君がつぶれたら誰が杏子ちゃんを……みんなを支えるんだ! 君は人々を守る希望……仮面ライダーなんだ!!』
『人々を泣かせたくはねぇんだろ……だったら、人々を泣かせる魔女になる前にこいつを……』
『ああ……あたしは戦う……みんなから受け継いだ想いを無駄にしないためにも……だけど……』
『ふっ……世話になったなフィリップ、マッハキャリバー……』
『Is a schoolchild the highest too?』
(BGMがこの辺で終了。)
□
──この偽りの街で殺し合いを始めてから、針は既に二度目の円を描こうとしていた。俺もついに時間感覚がいかれたか。「あと二時間もある」というのが、「あと二時間で終わる」ような気がした。この一日分の疲労で俺も随分と体が麻ひしていたが、不思議な事に眠気だけは襲ってこなかった。俺が今、こうして冴えたナレーションを始められるのもその証だった。
俺の頭は、夜風に晒されて、冷やした瓶ジュースよりも冴えていた(意味不明)。風は今宵もまた、俺を一段とハードボイルドに仕立てあげている。少し強い風が目に入り、俺の額を空に近づけさせた。
星が見えた。空っぽの空を埋め尽くす満点の星は、俺を見下ろしているのか、見上げているのか。あの星の中のどこかに殺し合いとは無縁の星があるのなら、俺はそこを掴みとりたい衝動にかられた。誰もそうだろう。俺たちはこの一日を何とか耐え抜いたが、次の一日がまたあると思うと、ひどく憂鬱な気分にさせられる。ならばいっそ、俺たちの頭上の星で、星間戦争もなく自由を謳歌する人々の姿がどんなに良い事か。
こんな地の果てで俺たちはあの星に想いを馳せ続ける。あの空の人々も、俺たちがこうして殺し合いに巻き込まれている事など知る由もないだろう。
隣にいる相棒が言う。
「夜空の星は、どれもガスでできている。中心部で核融合を行って、そのエネルギーで光り輝いているんだ。人は住んでいないよ」
まったく、浪漫のない相棒だ。俺は帽子の唾から目を覘かせた。相棒はこじゃれた外ハネの髪を指で弾くように触りながら、何食わぬ顔で星を見ている。
「……そろそろナレーションうるさいから切っていいか?」
……と、杏子が俺のハードボイルドの邪魔をする。
杏子はもう、俺のハードボイルドなナレーションに慣れているのか、落ち着き始めていた。
「……てか、いま星とか浪漫とかどうでもいいからさ。それより兄ちゃんのセルフナレーション、略してセフレで伝えるべきは警察署の話だろ。もう警察署の目の前だぞ」
「はーん、セルフナレーション、略してセフレ……か、なるほど。…………って、花も恥じらう乙女がそんな略し方するんじゃねえ!!」
かくして、俺は情けない怒号とともに、ハードボイルドなナレーションはひとたび幕を閉じる羽目になった。
こからは口から出ていかない、本当に俺の頭の中のナレーションだ。突然ナレーションを切っても仕方がない。ハードボイルドというのは常に一人称で行う物だ。
「……ったく、ほんとにしょうがねえな」
俺は冷や汗混じりの顔を帽子の中の小さな闇に溶け込ませて、再びのハードボイルドモードに切り替えた。
これまで俺のハードボイルドの軌跡をたどってくれている人間は今更何度もおさらいしなくてもわかる通り、俺は私立探偵・
左翔太郎だ。相棒はフィリップ。つい先ほど主催陣営、
サラマンダー男爵の手によって、エクストリームメモリやファングメモリと共に相棒の身柄が開放された。ここに来てまだ一日というのに、久方の再会のようだった。
昨日までの俺を見て、今日の俺を知らない人間にとって、見慣れないのは、この俺の隣にいる
佐倉杏子。こいつもまあ、この二十二時間の俺の奮闘を見ている人間にとっては、もう説明しなくてもわかってもらえるだろう。
うちの所長と同じくらいの背丈と顔立ちの幼さだ。所謂、女子中学生──最近の若者の言葉を借りればJC。そう、何でもアルファベット二文字で略すのが一番いい。セルフナレーションを略すならば、SNが一番いいだろう。できればそう略してもらいたかったところだ。
そんな俺たちの前には、もう警察署の入り口がある。それだけ説明すれば良いものをわざわざこれだけ時間を費やして説明するからには理由がある。……そう、その方がハードボイルドだからだ。
警察署というのは、俺たち探偵にとっても縁の深い場所だ。フィリップ・マーロウ然り、工藤俊作然り、どういうわけかハードボイルドな探偵というのは、年に四、五回ほど警察の世話になる。プロになると隔週で誤認逮捕されるらしい。俺も見習いたいものだ。警察につっかかられる事はあっても、そう毎週逮捕される事もない。早く照井も俺を誤認逮捕しに……おっと、いけねえ。
……とにかく、そんなハードボイルドのメッカ・「警察署」に、今日一日で三度目の立ち入りになる。これはもう、俺が完成されたハードボイルドである決定的証拠であると言っていいだろう。
この警察署の中では現在も俺たちの仲間がチームを築いているはずだ。
そこにいる人間の名前を順に報告しよう。
蒼乃美希、
高町ヴィヴィオ、
孤門一輝、冴島鋼牙、
沖一也。彼らもまた説明不要だ。この中では俺が一番ハードボイルドであろう事は間違いない事実だろう。俺しかハードボイルドを目指している人間はいないのだから、自ずと俺が最ハードボイルドになる寸法だ。
「……さて、翔太郎。いまだに続いているきみの自己満足的な導入は終わったかい?」
相棒がそんな俺に声をかける。
「今いいとこなんだ」
「悪いけど、終えてくれないか。……これ以上、警察署に入るだけのために余計な前振りをしても仕方がないしね」
相棒は俺に冷たい言葉を返した。
「……ったく、こっちもしょうがねえな」
俺の気持ちの良いハードボイルドはそこで終わりを告げ、俺たちは警察署内に入る事になった。
□
警察署の入り口では、俺たちを迎えるように年の差アベックが立っていた。
そう、沖一也と、蒼乃美希だ。二人はさほど疲れた様子もなく、来るのを待っていたとばかりにそこに立っていた。
警察署を抜け出した杏子を探すのではなく、待っていたのだ。ここに帰ってくるという自信でもあったのだろうか。──まあ、私立探偵である俺はこういう勘は利く。家出娘っていうのは、だいたいの場合において、すぐに帰ってくるのだ。
杏子も例外ではなかった、という話。彼らもそれに勘付いていたのだろうか。……とはいえ、実際この状況で人がいなくなっても「家出娘だから放っておけ」と言えるだろうか。
「おい、なんだよお前……」
「待ってたのよ。この書置きを見て」
追わない、という彼女の選択は結果的には間違ってはいなかっただろう。
しかし、それはあくまで結果の話だ。もし、本当に杏子を探したいのであれば、自分の足で探しに行くのが普通だろう。ましてや、この状況だ。
何故、美希たちはそれをせず、こんな玄関口で息を切らす事もなく待っていたのだろう。
「……翔太郎くん、君も帰って来たのか。……いつきちゃんは? それに、その少年は……」
沖さんが、開口一番に訊かれたくない事を訊いて来た。俺が訊きたい事よりも、相手が訊きたい事を先に訊かれた。俺はフィリップの方を少し見た。フィリップは、そのままの表情で俺を促した。
……そう、警察署に入ったなら、まず、俺はそこにいる仲間に伝えなければならない。
この場にいる人間の中では、俺とフィリップと杏子だけしか知らないその事実を。これからまだまだ降りかかる残酷な真実の、その一握りを、まずは、俺自身の口から告げなければならない。ここにいる誰も知らないフィリップという男を紹介するよりも、マッハキャリバーという仲間を紹介するよりも、まずは、もうどこにもいない少女の事を伝えなければ、けじめがつかない。
俺の唇は、目の前の二人にそう伝えた。
美希の手から、杏子の帰還を喜ぶような表情が消えた。沖さんが、思わずデイパックを地面に落とした。このタイミングで向こうから階段を下りて走ってくる孤門一輝と、高町ヴィヴィオも緩やかに足を止めた。呆けたような顔、衝撃を受けたような表情──その視線が俺に注がれる、俺に突き刺さる。
誰もが、俺はいつきと帰還するのだろうと想像していただろう。その予想を裏切る形になった。俺は帽子を外したまま、ただ詫びる言葉も出ないままに頭を垂れた。その一連の事件は、俺の責任であり、俺の罪だった。
たとえば、蒼乃美希がここに来るのを俺が引き換えさせなければ、味方の戦力が増えて、いつきは助かったかもしれない。
たとえば、俺がいつきをあの場に連れていかなければいつきは助かったかもしれない。
たとえば、あの時身を投げ出したのが俺だったなら、いつきは死ななかっただろう。
いくつかの判断は、俺の誤りだった。
「……そうか」
沖さんが、突然の報告にどう返していいのかわからないように、そう答えた。俺も何から伝えればいいのかがわからなかった。
「すまねえ……」
俺の口から出るのは、本当にそれだけだった。
沖さんは、それでも俺を責める事なく、悲しみを堪えて言った。
「詳しい話は、中で聞こう」
その言葉に誘導されるように、俺たちは、暗い表情で歩き出した。この葬式のような行列。慶弔するという意味では、もはや葬式とは区別がなかった。
階段を上るときも、誰も何も言おうとはしなかった。
□
脇目を振る。会議室にはマットが敷かれている。寝具として利用しているらしい。
このマットには、おそらくいつきの寝る場所も確保されていただろう。そのスペースは、もう必要ないものになってしまった。とうに死んでしまった者のために、彼らは準備をしていた。その思いやりが、彼女の生存を疑いもしなかった彼らの心情を伝えているようで、辛かった。
誰もが待っていた少女を、俺は守る事ができなかったのだ。信頼を裏切る結果になった。
俺たちの姿が警察署の窓から見えた時、足りない誰かがいる事を、誰も不安に思わなかったに違ない。きっと、ただ別行動をしているだけだろうと、そう思っただろう。
だから、孤門たちは返す言葉をすぐには出せなかった。俺は、ずっと用意しようとしていても、何から話せばいいのかわからなかった。
フィリップが、そんな俺よりも少しばかり冷静に、ただ、少し気に病んだ様子が感じられるトーンで、そっと言った。
「……ちょっと待って。きみは? その声、聞き覚えがあるけど……」
孤門が、フィリップを見て訊いた。殆どの人間の顔の上には、「この男が誰だかわからない」と言った疑問の色が浮かんでいる。フィリップが自己紹介を忘れるというのは珍しい。言いながらも、孤門はその正体に薄々勘付いたようだ。他もそうだろうか。いずれにせよ、フィリップはちゃんと自己紹介をする事にした
「ごめん。名乗り遅れていたね。僕はフィリップ。ベルト越しで何度も会っていたとはいえ、直接会うのは初めてだ。君たちの紹介はいらないよ。僕はもう君たちの顔と名前を知っている。……そう、僕も翔太郎の制限の解除によって、ようやくこの場に開放されたんだ。……残念ながら、首輪つきだけど」
フィリップは、己の首元の金具を鬱陶しそうに触りながら、自分の立場を簡潔に説明した。殺し合いに巻き込まれるまでが遅かった分、俺たちよりも客観的に、冷静に、機械的に、言葉を舌に滑らせるように話せるのは、こいつの良いところでもある。
フィリップが名乗り遅れたのは、おそらくフィリップ自身に、あまり初対面という自覚がなかったからだろう。
「そうか……君が」
沖さんがフィリップの顔を見て、妙な関心を浮かべた。声だけしか聞こえなかった存在の表情や体格を見た、この違和感。誰もがその感覚を持っていると思う。アニメーションの声優なんかが身近だろうか。
ここにいる人間は、どんなフィリップ像を想像していたかはわからない。その美男子像を裏切ったか、裏切っていないかもわからない。俺が言うのも何だが、フィリップはなかなかの美男子でもある。俺の推測では、裏切られたと感じる者はあまりいないだろう。
「よろしく。アナザー仮面ライダー。それに君たちも。こうして会えて光栄だ。……とにかく、これまでのいきさつは翔太郎に代わって、僕が全て話す。君たちの耳が受け入れる限り聞いていてくれ」
フィリップは、聞かなくてもいい、という前置きだったをした。それは一つの優しさだった。しかし、聞かない者はいなかった。
「あの轟音の向こうには
花咲つぼみ、響良牙、それから
ダークプリキュアもいた。明堂院いつきも一度は彼女たちと合流する事ができたんだ。……ただ、それで僕たちの足は止まった。彼女も状況確認だけでなく、そこで足を止めて、ダークプリキュアと戦う必要ができてしまった。……それでも、明堂院いつきは、凄い子だと思う。信じられないかもしれないけど、ダークプリキュアは、彼女のお陰で生まれ変わり、今は全く別の名前になった。驚く人がいるだろうから、その名前を伝えるのは、今はやめておこう」
フィリップの語り口調は、冷静でありながら、どこか脇道にそれがちでもあった。要旨だけを伝えるような口ぶりではなかった。フィリップ自身も、そうしなければ落ち着かないのだ。
「彼女は、ダークプリキュアの心を正し、彼女と和解する事に成功した。……ただ、そこに悪魔が現れてしまったんだ。それが、ゴ・ガドル・バだ。彼は僕たちの前に姿を現した時、既に
一条薫を殺害していた……。そして、明堂院いつきは、大事な友達を庇うために身を投げ出して、ガドルに…………」
そこから先は、フィリップも言う事はなかった。
「それが全てだ」
俺たちが交戦していた事は、途中まで一緒にいた美希も、そこに向かっていたはずの鋼牙も知らない。自分たちがそこから少しでも前に踏み出せば、その少女の遺体と顔を合わせる事になったかもしれないと、あるいは、自分自身がそうなっていたかもしれないと、そんな現実をどう思っているのだろうか。
「すまねえ……。俺たちは、また……守れなかった」
俺はまだ、ちゃんと顔を上げる事ができなかった。
「……あまり気に病むな。顔を上げるんだ」
沖さんが言う。
俺は、どう言われても、いまヴィヴィオの方に目をやる事だけはできなかった。フェイトもユーノも霧彦も、俺は守れなかった。それに加えて、いつきも守る事ができなかった。ヴィヴィオと親しかった人間がまたいなくなった。俺が駆けつける余地があった状況でこれだけヴィヴィオの大切な人を喪っているのだ。
彼女にどんな声をかけていいのか。
謝るべき、なのだろうか。
『Vivio?』
そんな俺の心中よりも先に、「彼女」が口を開いた。マッハキャリバーだ。
俺は、ばつが悪そうな顔をしながらヴィヴィオの方を向く。ヴィヴィオもショックを受けているようだったが、その一声には反応せざるを得なかったようだ。
「誰?」
『I’m Mach Caliber』
「マッハキャリバー!?」
ヴィヴィオは、それもまた信じられないといった様子で俺の方を見た。俺は、そこに俺を責める色は感じられない事にどこか安心しながら、青い宝石を取り出した。マッハキャリバーは、俺の手からヴィヴィオの手へと渡される。
かける言葉は見当たらないのに、手と手が触れ合うというのは不思議な感覚だった。
『You grow up so quickly(随分大きくなりましたね)』
「ええーっ!? もしかして……私が知るよりも前の……?」
『It was surprised me(私も驚いています)』
ヴィヴィオの飲み込みは早い。自分より前の時系列の存在と会うのは、これが初めてだろうか。しかし、アインハルトがなのはと会った事も彼女は知っている。直接的ではないが、間接的なデータなら幾つか入手済だ(ヴィヴィオの時代にはとっくにインテリジェントデバイスは浮遊して自律移動する機能が備わっているが、このマッハキャリバーにはまだその機能はなかったのも、彼女がマッハキャリバーを過去のマッハキャリバーだと認識できた理由の一つだろう)。
『Who are you?(あなたは?)』
「(シュビッ! シュバッ! シュババババババ)」←なのってはいるが、つたわらなくてあせっている
マッハキャリバーは、自分と同じく言語を話すデバイスだと思って、クリスに問うた。
しかし、とうのクリスは非常にあせった様子で答えている。言語を話さないデバイスの難点だ。ヴィヴィオが簡易的に通訳する事になった。本当なら、マッハキャリバーもデバイス同士で心を通じ合う事をできるかもしれないが、ヴィヴィオが話すのが確実だった。
「この子は、クリス……本当の名前はセイクリッド・ハートって言います」
「(コクコク)」←うなずく
『……』
「な、仲良くしてね……って」
マッハキャリバーも絶句する。流石に、うさぎのぬいぐるみの姿をした変身アイテムが存在するなんて思わなかったのか。
『……OK』
マッハキャリバーの戸惑いに満ちた返事が聞こえた。それは機械的とは言えない。戸惑っている様子がはっきりと伝わって来た。
『Vivio , Your mother was……』
マッハキャリバーが辛そうに口を開いた。
彼女が何を言おうとしているのかはわかっている。俺も、ヴィヴィオもだ。
「……わかってるよ、マッハキャリバー。全部みんなから聞いたから」
マッハキャリバーが告げたい事実については、全てヴィヴィオが知っている。
アインハルト、いつき、沖のようにその場にいた人間たちから全て聞いているのだ。
『……You don’t know everything(あなたは全てを知っているわけではありません)』
「うん。でも、本当の全部は後で聞くよ……。今はお礼を言わなきゃ」
ヴィヴィオはマッハキャリバーにそう言って、俺の方を見た。
「あの……翔太郎さん。マッハキャリバーを見つけてくれて、ありがとうございます」
ヴィヴィオが俺に声をかける。俺は下を向いて顔を隠していたが、咄嗟にヴィヴィオに目を向けた。俺の両目に、緑と赤のオッドアイが映った。
そこには、大きな悲しみを乗り越えた──いや、大きな悲しみを受け取る隙を持たなかった少女の明るさが散漫していた。それは決して悪い事ではない。いつきの死を悲しんでいないわけでもないだろう。
俺に気を使っているのか。こんな成人の半分しか生きていないような女の子が、俺に──そう思うと、俺の情けなさばかりが際立つ。
「マッハキャリバーを見つけたのは、響良牙だ。……俺じゃない」
「でも、その人から受け取って、ここまで届けてくれたのなら……それで充分だと思います。私をまた、大切な人の相棒に出会わせてくれた。それは、左翔太郎さん、あなたです」
俺は、その時、やはり俺はハードボイルドではないと気づいた。
十歳の少女の慰めに涙を流しそうになるハードボイルドが、この世の中にいるだろうか。俺の手が、まだこんなにも無力で、俺の想いが、救う事ができない命があると、──それがまた、目の奥に涙を持ってこさせた。
俺を責めてもおかしくない少女が、必死に堪えている。
それなのに俺は何もできない。これからも俺は誰かを救うために戦う。それでも、……その過程で失った命が、俺の胸を刺す。
目の前にいるのは、俺が救えなかった命の片割れだ。
「あ、あの……翔太郎さん?」
「……いや、ありがとう、ありがとよ、ヴィヴィオ……。俺も……頑張らなきゃな」
この夜は、そう──。俺たちが救えなかった命を、俺たちが見送ってしまったような死を、思い出させるような厳しい風が吹いた。
俺は涙を流す事はなかったが、帽子が小さな闇を作った時、一瞬だけ何かが頬を伝った。
□
俺は、真夜中の街を見下ろしながら、風を感じていた。
本当に、この街は偽りの街だ。外の建物には灯りがない。等間隔な街灯と、夜空の星々だけが照明の役割を担っている。星の灯さえかき消してしまうような人々の生活が、この街からは感じられなかった。
俺はこの街のために命を捨てる事はできない。しかし、俺はこの街を守る事ができる。
この街は、人を包んではいないが、俺たちに確かな出会いを齎した。悲劇も齎した。友も齎した。この街がくれた物のぶんだけ、街を守るのも悪くはない。
話すべき悲劇は、まだそこにある。
「……杏子、この書置きについてだけど、訊いていいかしら?」
そう、厄介な事に、杏子がこの警察署に残してくれた余計な書置きだ。
美希が最初に、その書置きについて触れた。俺も先ほど、その皺だらけの紙を見せてもらったが、それは、粗雑な消し痕だらけで、説明不足な置手紙だった。到底、他人に見せる事を意識した手紙とは思えない。しかし、それほど、いっぱいいっぱいな人間もいる。
俺は、街を眺めるのをやめて、美希の方を見た。美希の視線の先には杏子の姿があった。ごく真剣な表情で、杏子を見つめていた。
「なぁ、先に訊いていいか? ……あんたたちは、あたしたちを警察署の前で待ってたけど、なんで戻ってくると思ってたんだ? もし、翔太郎の兄ちゃんに会わなければ、あのままどっかに行くはずだったしな……あたしが戻って来たのは、ほんの偶然なんだ。なんであんな余裕の表情で待っていられたんだ?」
杏子が、そう訊き返した。先に事情を話すべきは明らかに杏子だが、俺はこの二人の会話に口を挟む事はなかった。どんなツッコミ所も、聞かないふりをして当人たちのペースで話させるのが一番良いと思った。
「……なんか質問が多いけど、まあいいわ。それじゃあ、私から答えるわ。……それは全部、沖さんのお陰よ」
美希は、杏子の事情を早く知りたいようだが、自分の事情を手短に話す自信があるのか、語り始めた。
◇
~回想~
時間は、蒼乃美希が警察署の外に杏子の姿を探しに行ったところまで遡る。
美希は、もう体が覚えた出入口に向けての経路へと、走り出そうとしていた。
沖は、その背中を視認し、そんな美希に向けて手を伸ばしていた。
「待つんだ、美希ちゃん! 杏子ちゃんの居場所なら──」
そう、美希の背中に向けて、沖はそう叫んだ。
「──杏子ちゃんの居場所なら、俺のレーダーハンドを使えば、すぐに調べる事ができる!」
美希は、その言葉をかけられて、足をゆっくりと止めた。数歩だけ生まれた、微かなあそびとともに、美希は背後を振り向いた。
「……本当に?」
そう訊くと、沖は頷いた。
「本当だ。きみも居場所がわかっていないのなら、むやみに飛び出すべきじゃない」
諭すように沖がそう言った後も、美希は沖の方に近づく事はなかった。またいつでも杏子を探しに階段を下れるような準備をしていた。
「彼女はまだそう遠くへは行っていないはずだ。それなら、俺のレーダーハンドから発されるレーダーアイが彼女の姿を探し、確認する事ができる」
しかし、その準備も沖の前では無意味だ。レーダーハンドの使用範囲圏内は、完全に沖のテリトリーである。
誰かを探すのにはおあつらえ向きの力が沖の元にある。
それを使い、杏子が逃げた場所をあらかじめ知ったうえで、感知をしながらそこへ向かう事ができるはずだ。
「
ニードルによって解放されたこの力……お見せしよう!」
沖は、美希と一定の距離があるのを確認したうえで、変身の構えを形作る。複雑な拳法の構えにたじろぎ、美希はその姿に近づかなかった。
沖は構えたまま、変身の呼吸を整える。
そして、その言葉を叫ぶ。
「変身!」
両腕を前に構え、ベルトを開く。──電子音が鳴り、沖一也は仮面ライダースーパー1へと変身した。変身の呼吸は完璧であった。
スーパー1はそのまま、息をつく間もなく、ファイブハンドを装着する。
「チェンジ、レーダーハンド!」
ベルトの腰にあるファイブハンドボックスは、金色の点滅を始めた。スーパー1が持つ五つの腕の一つ、レーダーハンド。レーダーハンドから発されるレーダーアイは、周囲10kmの様子を確認する事ができる。
杏子も、いくら何でもこの短時間で10km圏外に出る事はありえないだろうと考えられる。スーパー1の腕から発射されたレーダーアイは、窓の外へと出ていく。
「……待っていろ、すぐに彼女の居場所を探り出す」
それはプリキュアたちが持っているはずのない力。改造された人間でしかありえない力。
レーダーアイから送られる情報を、スーパー1の頭部のスーパー触角が感知する。
まだ、ただの街並みの光景しか映していない。レーダーアイは高速で動き、どこかで動いている物体を探り出す。
「……どうですか?」
「今探している……」
美希の問いかけに応えつつも、更にスーパー1は己の神経を鋭敏化した。
レーダーアイは高速で移動し、スーパー触角にもその情報が一瞬で送られてくる。
「ん……?」
スーパー1は、その途中で、一瞬だけ何か心配事があるかのように眉をひそめたが、すぐにまた探査を続けた。
「あっ!」
スーパー触角に送られた電波は、ヘッドシグナルからSアイへと映される。
そこには、佐倉杏子と、二人の男性の姿があった。──うち、片方は左翔太郎である。もう片方の男性は見覚えがないが、もしかすると一条薫や
涼邑零といった仲間の男性である可能性もある。
とにかく、三人はこちらへ向かっているようだ。
「杏子ちゃんたちは、翔太郎くんたちとこちらへ向かっている。周囲には敵もいないようだ」
「翔太郎さんと……?」
「……その通りだ。安心していい。すぐに来るから迎えに行こう」
スーパー1は己の変身を解き、沖一也の姿へと戻った。
その顔には、さわやかな笑顔がある。沖は頷くと、美希とともに階段を下りていった。
~回想おわり~
◇
「……というわけなの」
美希が、全ての説明を終えた。
「なるほど。……レーダーハンドか、興味深い」
俺の隣で、フィリップがまた知識欲を埋めようとする。
「……レーダーハンドはファイブハンドの一つ。金色の腕だ。ロケット型のレーダーアイを飛ばして、半径10km四方の情報を素早くキャッチする。レーダーアイから送られた情報はスーパー触角、ヘッドシグナルを通してスーパー1の中に情報を伝達する。レーダーアイは小型ミサイル弾にもなる。……確かに僕たちの力になるはずだ」
フィリップは、話を聞きながら『無限の本棚』の中に入って、既に『レーダーハンド』に関する資料を得ていたようだ。『仮面ライダースーパー1』のデータも獲得済。流石に仕事が早い。興味のある事はすぐに調べてくれる。
「『無限の本棚』も……確かな情報のようだな」
沖さんがフィリップの所蔵する本棚の情報量に唖然とする。感心しているというより、ただただ唖然といった様子である。沖さんも研究所や組織の人間だ。こうして機密情報を簡単に調べられるのは厄介な話に違いない。
とはいえ、もともと最重要機密のようなものを調べるにはロックがかかるので、そんなに心配しなくていいものだが。
俺とフィリップにとって心配なのは、レーダーハンドという強力な武装が増えた事が、また『主催戦』へと一歩駒を進めているような予感があったからだ。それは全て、俺たちの想い過ごしであってほしいものだが……。
「……本当に何でも調べる事ができるのか?」
孤門が横から訊いた。
「……地球の記憶にある限りは、おそらく。君たちの世界の事も調べられるはずだ」
「……それなら、僕からも一つだけ検索を頼んでいいかな?」
「構わないよ。……それで、キーワードは?」
孤門の問いかけにフィリップは応じて、美希や杏子もそちらに意識を集中させたようだ。少しだが、会話と会話の間に余裕ができる。その間に、杏子は適当な言い訳を考えるだろう。
孤門は、フィリップに調べさせたい単語を口にした。
「アンノウンハンド」
孤門の口から出たのは、孤門たちの世界を暗躍する、正体不明の敵の名前。
フィリップは、「わかった」と頷いて、『無限の本棚』にアクセスした。
「……さあ、検索を始めよう。キーワードは、『アンノウンハンド』」
それから、僅かな時と沈黙が流れた。フィリップは一見すると動かないが、既に検索を初めて、その無限の書庫から本を引き出している。
そういえば、ユーノも同じように、図書館で本を探り出していた。あれが俺とユーノとの出会いだった。
フィリップは、すぐに検索を終えて、意識を取り戻した。彼は、孤門の方を向き直す。
「……孤門一輝。アンノウンハンドに関する本は驚くほどに少ない。君たちの世界が情報の秘匿を行っていて、ごく一部の限られた人間しかその言葉を知らないせいもあるだろう。……そして、内容は殆ど削除されているのか、最初から白紙なのか、閲覧する事ができない。ミュージアムと違って、閲覧そのものは難しくないんだ……。でも、肝心の内容が無い。もしかすると、地球の記憶が削除されているのか、君たちの世界の本棚にアンノウンハンドが関わっているのか……」
フィリップは顎に右手を当てて考えている。右ひじに当てた左腕を摩りながら、検索ブロックがかかっている原因について少し考えていた。
園咲と違うのは、検索そのものは難しくない事。内容だけが全くの白紙となっている。
「……そうか。ありがとう、フィリップくん」
「いや、こちらこそお役に立てなくて申し訳ない限りだ。……これは推測だけど、もしかすると、君たちの地球の記憶そのものが、アンノウンハンドの正体を知らないのかもしれない。あるいは君たちの世界そのものが、その正体を完全に忘れ去っているのかも」
そう言われて、孤門には心当たりがあるように言った。孤門の目は見開いている。
「僕たちの世界にはメモリーポリスがいる……。記憶の削除を行える端末が存在するんだ」
「……その結果生まれたのが、地球の記憶さえも封じるトップシークレット、か。……今後も僕は必要と思った情報は全て調べるようにする。だから、何か手がかりがあったらお互いに情報を交換し合おう」
「わかった」
フィリップという存在に対して、全員の好意が集中する。
フィリップが持つ『無限の本棚』はかなり便利な存在だ。俺は相棒としてもフィリップを買っているが、その一方で『地球の本棚』の能力にも何度も助けられた。フィリップはそうして人々を助けているのだ。自分の力が誰かに必要とされる事を不愉快には思わないだろう。
ただ、、とにかく、孤門たちの世界の諸悪に関する資料は出てこなかった。出てこなかったとしても、次に訊かれるべき諸悪。それは、話の流れを考えればすぐにわかる話だった。
「……で、脱線したけど、魔女の正体って何なの?」
美希が話を戻す。このまま忘れてくれるわけにはいかなかった。
勿論、杏子も言い訳を考えただろう。魔女の正体を訊かれた時に、何と答えるべきか。
杏子は考えたうえで、他の仲間には嘘を突き通す事を考えたのだ。
嘘をつく。──それは、上手な人間と下手な人間に分かれる行為の一つだ。
杏子は自分自身に嘘をつき続けて生きてきた。下手なはずがない。どんな嘘が飛び込んでくるのか。俺はそれを少し楽しみに待った。
「あ、ああ……。そうだな。魔女の正体はな……」
書置きでは、「魔女の正体は魔法少女の」とまで書いてあった。
そこから先に繋がる言葉を考えてあるのだろう。
フィリップは、黙っている。彼は検索する事ができるが、ここから先はそういうわけにもいかない。隠しておく事実というのも存在する。フィリップもそれを理解しているのだろう。
現状、孤門たちは俺たちに隠し事する事ができないが、俺たちは他の全員に自在に隠し事ができる。……決して、それが有利な事実とは言いたくないが。
「魔女の正体は……」
杏子は、何度も同じ言葉を口にする。そこから先を言うのを躊躇している証だ。しかし、二度目の躊躇。杏子は息を飲んだ。ついでに言うなら、俺も少し息を飲んだ。
「魔女の正体は…………」
今の杏子は、嘘を吐く事に僅かの躊躇いがあるように見て取れた。
そして、三度目の躊躇の後に、杏子は言った。
「魔女の正体は、魔法少女のエネルギーから生み出された怪物なんだ!」
……俺にもわかった。こいつは、嘘が下手だと。
「魔女は……わ、悪い奴らがあたしたちの戦っている時の力を利用して生み出したんだよ……。これまでのあたしたちの戦いで使ったエネルギーで、ここにも魔女が生まれちまうんだ」
不自然な笑みで誤魔化しながら、必死に嘘を作り出している。危ない橋を渡るかのような苦笑いなのかもしれない。自分自身が魔女になるという事実を秘匿しながらも、魔法少女のエネルギーの危険性を伝える為に、そして魔法少女たちの責任も果たす為に、杏子は嘘をついていた。
「エネルギーを生み出すのは、あたしたちのソウルジェムだろ? ……あれを砕けばさ、あたしは魔法少女じゃなくなるけど、魔女は生まれないから、それを書こうとしたんだ」
嘘に嘘を重ねる杏子の姿を、全員で黙って見つめていた。
沖さんが口を開いた。
「フィリップくん、本当かい?」
「……ああ、本当だ」
フィリップは、息を吐くように嘘をついたが、内心で呆れている様子が俺も聞き取れた。
確かにこれなら、魔法少女のエネルギーの危険性や、いざというときにソウルジェムを砕かなければならない事を、最も重い真実を隠しながら教えていく事ができた。
フィリップの同意が決定打だろうか。
「……わかったけど、それなら、もっと早く事情を教えてよ」
「悪い……。魔女を生み出していたのがあたしたちだったっていう事が……ちょっとショックでさ。思わず」
杏子の苦笑いは、乾いているようにも見えた。おそらくだが、この嘘を貫き通しても、仲間がソウルジェムを砕きに来る事はないだろう。いざという時にそれをしなければならないのは俺の役目だ。
俺は、その役目を果たせるかわからない。こうして、杏子の内面まで見つめながら行動を共にしているのだ。俺は、いざという時も躊躇いの味を忘れないだろう。
何はともあれ、騙され上手な俺の仲間たちには、悪戯な感謝を贈ろう。
□
おおよその事情を話した俺たちが次に来た場所は、警察署の屋上だった。屋上は冷えた空気が溢れていた。
「確かに消えているな……」
そこにあったはずの小奇麗なミステリーサークル──時空魔法陣は、完全に姿を消していた。俺の手に、孤門からデンデンセンサーが渡された。こいつはもうお役御免という事か。
どうやら、孤門とヴィヴィオが会議室で待機している間、デンデンセンサーの反応があったらしい。
それで、不審に思って、二人で屋上まで来ると、そこには「何もなかった」。あるはずのものがないという異常だけが、そこにあった。
「……一体、なんで時空魔法陣が消えたんだ?」
「レーダーハンドを用いても、誰かが来た様子はない。時間切れというわけでもなさそうだが……」
先ほど、また沖がレーダーハンドを使うために変身したが、周囲に誰か人の様子があるという事はなかった。
時空魔法陣が結んでいるのは二点のみ。最低でも誰かが使用するまで消えないと思っていたが、どうやらそういうわけではないらしい。
何らかの不都合、何らかの異常。それがこの時空魔法陣を消したのだろうか。
「もしかして、アインハルトさんや源太さんを……二人の命を奪った犯人が、まだ警察署に潜んでいたのかも」
と、誰かが言った。女性の声だ。ヴィヴィオだった。アインハルトの友人だった彼女は、それを口にするだけでも辛いはずだった。味方に一つの可能性を提示するためとはいえ、その言葉をひねり出すのにどんな心の葛藤があっただろう。俺たちはそうまでして出てきた言葉を否定しなければならなかった。
「……それは、……違うよ」
フィリップも、そう否定するのには抵抗があったのだろう。
「……僕たちはその犯人の告白を聞いた。二人を殺したのは、そして君を傷つけたのはダークプリキュアだ」
その場に戦慄が走る。言葉が出なくなる。隠していたわけではない。ただ、話すタイミングが少しばかりなかったのだ。
いずれにせよ、彼女はヴィヴィオの命を奪いかけ、大切な友達を喪わせた存在だ。その事実は変わらない。勿論、いつか言わなければならない話だった。
ただ、誰も納得していた。かつて、俺たちがその可能性を一度提示したせいもあるだろうか。
「彼女は確かに、許されない事をした。……彼女を受け入れるか、受け入れないかは……僕たちの判断だけではどうにもならない。大事な同行者、大事な友人を奪われた君たちが、彼女を恨むのなら……僕たちもここで彼女を突き放す選択肢を選ぶだろう」
感傷に流されない冷徹非情なハードボイルドが、フィリップの中にはあった。
確かに、月影なのはが今後、果たしてここに来て受け入れてもらえるのか否かは、今後の重要な課題の一つだ。突き放すという判断だって、決して間違いではない。
罪を憎んで人を憎まず──とはいっても、隣人を殺した罪を、どこまで許せるのか。
俺たちの前にいる杏子も、直接手を下していないとはいえ、それに近い事を繰り返してきた。彼女を受け入れられるのなら──と、俺は少し期待した。
「……まあ、その事は直接会わなければわからないと思う。だが、近いうちにその機会は訪れるだろう。彼女を受け入れれるのか、受け入れないのかは、その時に考えてくれればいい。今は彼女の事で悩むよりも、この時空魔法陣について考えようか」
それでもフィリップは、僅かな感傷──ハーフボイルドも持っていた。
問題は先送りになるが、実際、今考えたところでどうにもならない。今許せると告げても、いざ会ってみればその想いが壊れる事もある。
俺たちは、未来の話よりも、まずは目の前にあるそいつの話をする事にした。
「この時空魔法陣は、おそらく誰も使っていない。それなのに姿を消した。理由はわからない。……ただ、一つの目安があるとすれば、それはやはり、『制限の解放』だ」
デンデンセンサーの反応があったのは、だいたい三十分を少し過ぎたあたりらしい。
沖一也が制限の解除を終えたあたりとなると、やはりその前後が何かの目安だと考えられる。
「時空魔法陣を操れる奴の制限が解除されたっていう事か……?」
誰かが、時空魔法陣を操る力を持っている。そして、制限されていた力を解放し、時空魔法陣の行先を変えた──その可能性を、俺は考え、口にした。
「あくまで一つの可能性、か。……まあ、一番筋が通る説明だと思うけど」
「問題はそれが、敵か味方か……」
沖さんが、深刻な表情で付け加えた。勿論、味方であってほしいが、そうとは限らないのが無情の世の中だ。
この街は何度でもこんな不安を煽り、戸惑いを投げかける。
そしてまた、これも俺たちが考えてもどうにもならない問題だった。
「味方であってほしいですよね……」
争いの種はあってほしくない。しかし、争いの種を撒いている奴はどこにでもいる。
そういう奴が俺たちの前に突然現れては、大事な仲間を奪っていく。
俺たちが何より許せないのは、そういう奴らだ。
「……やめよう。このままここでそんな事を考えても仕方がない。考えるのは後だ。俺たちはここに確認に来ただけさ」
沖はそう言って、中に入るよう促した。この寒空の下にあまりいると風邪をひく。そんな状態で考えるのはもうやめようと、俺たちはすぐに考え至った。
俺たちは、またぞろぞろと会議室に戻る行列を作った。
□
俺たちが会議室に戻ると、目の前で机が全部どかされた。机は端に追いやった。キャスターがついていると、どかしやすい。机は寝るのにも邪魔だったのだ。
そして、俺たちは、それでようやくその部屋にスペースを作り上げた。
……が。
「はぁぁあっ!」
どういうわけか、俺の目の前のスペースは、寝具の置場ではなかった。マットさえもどかされた。俺たちが寝る為のスペースは、目の前で戦う二人の格闘家の手によって、踏みあらわされていた。
「!!」
大人の姿になった高町ヴィヴィオ(ストライクアーツ)と、その打ち込みを両腕で回避する沖一也(赤心少林拳)。俺たちの目の前で繰り広げられる迫力の一戦だ。
風呂に入る前に、少し、トレーニングをしているようだ。それ専用の部屋があるというのに、わざわざこの部屋でやるのはやめてほしいものだが、すぐに終えるという事で、こうして会議室が使われる事になった。
俺たちは全員、目を奪われるようにその様子を観戦していた。それぞれ、何でこんな物を見せられているのかという思いはない。それは、本当に、凄すぎたのだ。
「はぁっ!」
覇気を込めたヴィヴィオの攻撃を、沖一也は何なく両腕で防ぐ。まるで、敵の攻撃を予見しているかのように、敵の一撃一撃を吸収していた。風の流れを感じる。ヴィヴィオの腕が沖さんの体へと向けられた時、生じた風──それを、沖さんはまるで操るかのように自分の方へ引き寄せた。
螺旋の形の風を吸収し、沖さんが解き放つ。
「ふんッ」
ヴィヴィオがもともと、結構なダメージを受けていた事を踏まえたうえでも、沖さんの身のこなしは軽い。ヴィヴィオの攻撃を一切押し付けないようだ。
ヴィヴィオの息が切れ始めても、沖さんの息は安定したまま。汗もかいていない。沖さんは殆ど打ち込んではいないが、適格に、無駄のない動きで回避している。
「……くっ、はぁぁぁあっ!!」
ヴィヴィオが消耗しているのは、一撃でも喰らったからではない。一撃も当てられなかったからだ。沖さんも大人げない人間ではない。ヴィヴィオに遠慮をしているのか、打ち込む事がないのだ。それを遠慮して、「防御」と「回避」に徹している。
沖さんの余裕や優勢は、素人目にもはっきりとわかるものだった。
「なあ、フィリップ。沖さん、あれ手を抜いてるんじゃねえか」
俺は思わず、フィリップに小声で訊いた。
「そんな事ないと思うよ」
フィリップは、微かに笑みを浮かべながらそう言った。俺には、その笑みの意味がわからなかった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
既にヴィヴィオも諦めたらしく、ファイティングポーズのまま、打ち込んでくる気配はなかった。俺たちは、それを無理もないと思った。
沖さんは、ヴィヴィオに一礼。ヴィヴィオは、疲れた体ながら、遅れて沖さんに一礼する。
最初からここで試合を終えるつもりだったのだろうか。スポーツのように、攻守両方に一定の信頼感が見られた。
「……ありがとう、ございました」
ヴィヴィオは、ようやく息と唾を飲み込んで、そう返した。
息切れは止まらない。沖さんは、そんなヴィヴィオの姿の前に、少し力を抜いた表情で返した。沖さんは、年長者としてヴィヴィオにアドバイスでも送ろうとしているのだろうか。
「……君の攻撃は確かに強い。基礎体力も気合も充分、伊達にストライクアーツをやってはいないようだ。……このまま鍛えれば、確かにトップクラスの格闘家となる事は間違いないよ」
「え……?」
沖さんの言葉に、ヴィヴィオは戸惑っているようだ。自分の完敗を感じたヴィヴィオは、沖さんからこうして至上の賛辞を受け取れるとは思わなかったのだろう。
一撃も当てられず、全て避けられたのが少しばかりきいたらしい。
「俺が使う梅花は、防御に徹し、相手の木を外へと誘う守りの拳だ。勿論、攻撃の基礎も覚えているが、……実はそれは君ほどじゃないんだ。かわす事はできても、君のような攻撃はできない」
沖さんは、そう言いながら、後ろ髪を掻いて自嘲気味に笑った。
「赤心少林拳には二つの流派がある。一つは『玄海流』、防御の型・梅花。一つは『黒沼流』、攻撃の方・桜花。……この人が修得したのは梅花だ」
フィリップはどうやら、赤心少林拳についても調査済だったらしい。おそらくは、ストライクアーツについても既に調べつくしてあるのだろう。
格闘の流派の話は、はっきり言えば俺にはわからない。ただ、少年漫画のような話に燃えてしまう心は、男の中にはいつまでも残る。正直、俺も結構ヒートアップしていた。
「明日の朝、簡単な基礎を君に伝授する。完璧に複製するのは……そう簡単な事ではないが、少しは身につくだろう。そして、何より……俺の拳と君の拳、二つを合わせた時、どんな技になるのか──少し楽しみになった」
格闘家として、同じ格闘家に共感を得ているのだろうか。
今の戦いで自分が認められた事を、ヴィヴィオは少し嬉しそうにしていた。
「無差別格闘早乙女流・
早乙女乱馬、無差別格闘天道流・天道あかね、明堂院古武術・明堂院いつき、それにカイザーアーツ・
アインハルト・ストラトス。……本当は彼らにも伝授したかったが……」
一方の、沖さんは、嬉しい一方で、少し残念そうな言葉を投げかけた。
とにかく、俺たちはその場をしばらく動けなかった。今の格闘の様子に驚き、動けなかったのだ。全員、ある程度の心得はあるが、そんなに強いものではなかった。
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最終更新:2014年04月30日 21:57