
クハ301-2
冷房化・保安装置や無線機器の増設以外はほぼ原型に復元された。
銀色地は塗装によって再現されている。
冷房化・保安装置や無線機器の増設以外はほぼ原型に復元された。
銀色地は塗装によって再現されている。

クヤ301-1
クハ301-1を改造した架線検測車。検測用の機器類のほか、赤色灯や補助灯の設置、前照灯のHID化などの改造が施されている。
運転台は再び新設されたためワンハンドル型となっている。
クハ301-1を改造した架線検測車。検測用の機器類のほか、赤色灯や補助灯の設置、前照灯のHID化などの改造が施されている。
運転台は再び新設されたためワンハンドル型となっている。
概要
1966年から開始された中央緩行線と帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)東西線の相互乗り入れの開始に備え、これに対応すべく設計され、クハ301-モハ301-モハ300-モハ301-モハ300-モハ301-クモハ300の7両編成が1966年に5本(35両)、1969年に3本(21両)の計8本が川崎車輛および日本車輌製造で製造され、三鷹電車区に配置された。
国鉄が初めて設計・製造した地下鉄対応の通勤形電車であるとともに、国鉄電車としては初めてアルミニウム合金車体を本格採用した車両でもある。
国鉄では台車が金属ばねで、鋼製車体が当たり前だった当時としては、アルミ車体と空気ばね台車の通勤車は異色の存在であり、製造費が高価だったため、登場間もない頃は「国鉄で最もデラックスな通勤形」と称されていたこともある。
国鉄通勤型の歴史に残る画期的かつ高品質で洗練された車両である。
東鷹快速鉄道への導入
JR東日本では東京メトロ東西線直通用の後継車、E231系800番台の導入によって置き換えられ、廃車となるはずだったものを「それを すてるなんてとんでもない!」ということで譲り受けた。
勿論動態保存を目的としていたため、必然的に編成はトップナンバーを含むK1編成となったが、肝心のクハ301-1・クモハ300-1は運転台を撤去され中間封じ込めという無残な姿にしまっていた。
しかし、通常の営業運転に使用しない(そもそも現行のダイヤに乗れない)車両をただ単に動態保存するのも勿体ないということで、中間封じ込めになっていた2両に新たに運転台を設置すると同時に、架線・信号検測用の機器を設置、総合検測車兼用としてしまった。
しかし、通常の営業運転に使用しない(そもそも現行のダイヤに乗れない)車両をただ単に動態保存するのも勿体ないということで、中間封じ込めになっていた2両に新たに運転台を設置すると同時に、架線・信号検測用の機器を設置、総合検測車兼用としてしまった。
また、それらの改造中にK5編成が運用を離脱したため、そこからクハ301-2とクモハ300-2を持ってきてクハ301-5・クモハ300-5と入れ替えた。また組成も5+5から7+3とし、原型7両+検測車3両の構成となった。
塗装は国鉄時代の銀色+黄帯とし、検測車はさらにオレンジ色の帯が追加されている。
現在は立川車両センターに配置され、東鷹快速鉄道各線の定期検測で使用されるほか、救援列車、人員・物資輸送、イベント、団臨等臨時列車で運行される。
編成
Tc 301-2 | M 301-1 | M' 300-1 | M 301-2 | M' 300-2 | M 301-3 | M'c 300-2 | Tpc 301-1 | M 301-15 | M'c 300-1 |