自由主義の起源は、ジョン・ロックの哲学にさかのぼることができる。ロックはまず何よりも、人間は皆、生まれながらに「生命、自由、財産」という自然権を持っていると考えた。彼はまた、国民が自らの国家と社会契約を結ぶことで、国家は市民を守るためにのみ存在し、その力を市民の保護に使うべきだと主張した。したがって、国家は統治するために国民の同意を必要とし、国民の権利を守り、発展させるためにその主権を行使しなければならない。

自由主義は、社会的進歩と平等は暴力や革命ではなく、法律や政策の整備によって実現できるという考えから生まれた。自由主義者は民主的なプロセスを信じ、普遍的な選挙権、教育の普及、財産権、そして社会的に疎外された人々の権利向上などの目標を達成するために、政治的な対立者とも協力することを厭わない。また、彼らは資本主義と自由貿易を強く支持しつつ、健全な経済と安全な社会を維持するために政府の監督が必要だと考えている。

ファシズムや他の右翼過激派思想の台頭に伴い、多くの自由主義国家が自由主義に傾倒し、多くの人々がこの思想を、世界の急激な変化に対抗する最も理性的な方法と見なしている。

サブイデオロギー


古代アテネの広場で蒔かれた種は、アメリカ独立戦争で芽を出し、ウィーン会議を経てようやく世界に花開いた。自由主義という言葉の持つ深い意味は、「自由」という一語に根ざしており、歴史上、最も変革的な政治哲学の一つであると言っても過言ではない。

根本的に自由主義は、すべての人間は生まれながらにして平等であり、法の下での平等、有権者の権利、説明責任を果たす権利が階級や出身国に関わらず保障されるという自明の事実を明確に宣言するものである。それを享受する資格を持つ者は誰かという問題は長年議論の的となっており、現在でも多くの場所で議論されているが、基本として自由主義の原則に忠実な文明は、平等と自由の原則に妥協のない忠誠心を持ち続けているのだ。

この基本的な真理により、全ての形態の自由主義は、ファシズム、全体主義やその狂信的な仲間の事実上の宿敵となり、新世界秩序に反抗して世界を支配する政治的羅針盤となろうとするのである。自由主義は、第二次世界大戦で敗北し、フランスとイギリスというかつての偉大な自由民主主義国家がナチスの軍門に下るという致命的な打撃を受けたが、西半球の自由民主主義国家で未だ生き延び続けている。たとえその国々が、さらには世界全体が粉砕されたとしても、自由主義が人間の意識から消え去ることはないだろう。

一人の人間が自らの意思を持っている限り、自由主義の灯火が消えることは決してない。
自由主義
19世紀の汎欧州的な民主化運動に始まる国家自由主義は、国民国家の健全性に関する民族主義的な哲学と自由主義的な政治理論を合成したものである。論者は自由主義が強調する各個人と経済の自由は据え置きつつ、このニ点が健全であり続ける為には国家主権に対する脅威がないことが前提であると強調している。国家自由主義の理論は反移民政策や保護貿易政策に現れることが一般的だが、限定的な計画的産業や重要な経済部門に対する国家的支援に対する支持にもその一端が見られる。

国家自由主義の実践は厳密なイデオロギー的教義に強く結びついたものではない。国家自由主義は主権と自由に関する顕著な懸念を中心に回るため、必要とあらば関連する政策も方針転換させうる。国家主権と国民の自由を守るためとあらば、保護主義的な経済政策は自由貿易協定に成り変わるし、計画的産業は自由な企業経営に移り変わる。
国家自由主義
過去の名残とも言うべき急進主義の観念は、概念としては啓蒙主義を、実践的にはフランス革命をルーツとしており、他の自由主義的イデオロギーよりもそのルーツを重視する所を特徴とする。急進主義者にとって、民主主義の理想・政教分離・人権状況を発展させ向上させることが何よりも優先すべきことである。

20世紀には、世界情勢が変化し始め、より急進的なイデオロギーが脚光を浴びるようになっていった。始めにマルクス主義者、後にはファシストが、ヨーロッパとアジアに渡って幅を利かせるようになったこともあり、多くの自由主義の潮流がそれに対応するべく変化し、発展していった。40年代にイタリアやドイツが完全なる勝利を西欧の民主主義諸国に対して収めたことで、それらイデオロギーは終焉を迎えたように見える。だが、20年たった今、そうではなかったことがはっきりとしてきている。

1950年代のイタリアやドイツの停滞・失敗の後、人々は再び考えを改め始め、世界の大半の場所、特に西側諸国で啓蒙思想への信仰が取り戻されつつある。一度は消えてしまったと思われたたいまつには火が灯り、自由・平等・兄弟愛といった美徳への回帰を求める呼声が蘇ったのだ。
自由急進主義
聖書に収められた福音書には、「汝自身がごとく、汝の隣人を愛せよ」とある。この言葉は、聖書の教えとイエス・キリストの哲学を信奉する様々な文化圏の政治思想を支配するようになり、現代政治ではキリスト教自由主義として知られるようになっている。教会に関連する多くの政治体制が保守的であるのに対し、キリスト教自由主義者は、一般的な意味で、全ての人は平等に敬意をもって扱われるべきだとの信念を堅持している。経済的、あるいは社会的な分離主義に対するあらゆる譲歩は、人間の権利と個人の自由を侵害するだけでなく、キリスト教の平等の原則に反した明確に不道徳的な態度である。彼らは、貧しい者や病弱な者には庇護と援助を提供するべきだという慈善と慈悲の理想を信じ続けているのだ。

キリスト教自由主義者は「皇帝のものは皇帝に」というキリストの言葉を信じており、政府が宗教を理由に市民生活に干渉する必要はないと考えている。そのため、社会改革への強い反発には反対し、自ら改革そのものを支持することすらある。キリスト教自由主義者は、共産主義の描く将来を何よりも恐れ、過激な進歩主義や社会主義の動きを嫌う傾向があるが、概して自由民主主義的な理想主義への賛同を公言している。キリスト教自由主義は、下層階級の大義を擁護し、主の摂理の下で民主主義の大義を正当に守り抜く存在なのだ。
キリスト教自由
主義
農本主義が台頭して以来、農本主義には様々な系統が存在しているが、中でも自由農本主義は、政治的中道派に位置していることを自負している。自由農本主義者は、個人と経済の自由、特に農民、小作農、平均的な地方市民の自由を熱烈に支持している。ヨーロッパ、特にヨーロッパ各地の様々な自由主義的農民党によって始められた誇らしい伝統を守り続けているのだ。

自由農本主義は、他の政治的・経済的分派とは根本的に異なっている。右派農民の伝統主義や社会保守主義を排し、社会的に穏健な、あるいはリベラルな立場を好むのだ。左派農民が推進する社会主義的な経済的正義も、自由農本主義では否定される。自由農本主義者にとって、「経済的正義」とは、農村の庶民が豊かに暮らせるよう、あらゆる然るべき変更が加えられた資本主義制度によって成り立つものなのである。
自由農本主義
世紀末の西洋民主主義国家に共通して見られた進歩的自由主義は、古典的自由主義の信条、特に自由市場資本主義と強い市民民族主義を、数年前に台頭してきた進歩主義の主流派が抱く政府・社会改革の願望と調和させようとする、政治劇の舞台における中道リベラルの取り組みを定義したものである。第一次世界大戦中および戦後において、フランクリン・D・ルーズベルト、デビッド・ロイド・ジョージ、アレクサンドル・ケレンスキーなどの進歩的な考えを持つ自由主義者が台頭したことによって、伝統的な自由主義の思想と現代的な進歩主義の理想の調和を目指すその姿勢は促進されていくこととなった。

ヨーロッパにおけるファシズムの勝利により、西洋の進歩自由主義運動の多くは苦戦を強いられている。偉大なヨーロッパ民主主義が失われることへの恐怖から新世界秩序に対する保護主義が強化され、多くの進歩的・自由的改革が主流派の自由主義や保守主義から見放されることとなったのだ。ますます支持を失っていく現状に対抗するため、進歩的自由主義は、ヨーロッパと東アジアに存在する独裁政権の影響力に対抗する手段として新たに復活した。社会問題に関しては、主流のリベラルに比べて中道からやや左に逸れる傾向があるが、それでも個人の平等や自由といった理想を当然のように掲げている。経済面において、進歩的自由主義者は自由市場の理想に忠実であることが多いが、市場の規制や管理を求める運動・政治家も珍しくはない。
進歩的自由主義
ギリシアや共和政ローマの思想的な末裔とされる古典的自由主義は、18世紀における民主主義制度の再興に伴って人気が高まった、現代の自由民主主義哲学の一派である。その最も実践的な例は、世界政治における自由主義思想再導入の先駆けとなったアメリカ独立だ。

古典的自由主義は、個人レベルの平等主義、自由市場資本主義、穏健化と改革の推進によって社会の一体化を目指すものであり、自由主義思想家の正統派とされている。個人の自由権を保障することに何よりも重点を置くため、断固として経済を重視する市場自由主義者や闘争的な伝統主義者である現状維持保守主義者、さらには自由市場を犠牲にしてまで不平等に対処しようとし、民政の拡大を進める現代の進歩主義者とは対立する傾向にある。
古典的自由主義




アメリカ民主党の党員であるということは、世代から世代へと受け継がれる壮大なリベラル派の伝統の一部であるということだ。それはマディソンとジェファーソンが信じた立憲民主政府の必要性を受け継いでいくということであり、ウィルソンの国際主義と強固な制度への支持の旗手となるということである。それはまた、フランクリン・デラノ・ルーズベルトが導入し、後継者であるドワイト・D・アイゼンハワーとエステス・キーフォーヴァーが拡大した福祉国家の守護者となるということでもある。現代のアメリカにおけるリベラル派は、これらの人物の集大成であり、公民権、平等、社会正義、抑制された市場経済の堅い擁護者だ。過去の伝統に固く根を張りながら、未来を見据えているのである。〜
〜ジョン・F・ケネディの自由主義もそれらと変わらない。人を高揚させるレトリックと臆さぬ楽観主義により、ジョン・ケネディはアメリカ人を新たなフロンティアと新たな機会へ駆り立てたのだ。ケネディは、時代の「ベスト・アンド・ブライテスト」と官僚主義的手続きへの不信から、貧困を撲滅し、偏見を無くし、国を星に向かって広げるために団結するよう、全アメリカ人に呼びかけたのである。国内において、ケネディ政権下の自由主義は、減税、最低賃金の引上げ、人種差別に対する積極的攻撃などを含む、アメリカの停滞を終わらせるための諸政策によって定義されるようになった。国際的にはこの自由主義は、日本やドイツに対する攻撃的な軍事姿勢と、アメリカ、アジア、ヨーロッパの他国における新たな開発目標を組み合わせた、強力な外交政策によって定義されるようになっている。

しかし、この最新鋭の自由主義が、国内外でアメリカが直面している苦境を耐え抜くことができるかどうかは、まだ不明である。華やかな映像や感動的な演説があっても、アメリカは依然として社会的・政治的に大きな課題を抱えている。ケネディの掲げる輝かしい理想が、左右の過激派によって泥沼に落とされ、打ちのめされる危険は常に存在しているのである。
〜リンドン・B・ジョンソンの自由主義は、アメリカは停滞しているものの、世界で最も豊かな国であり、全ての人的弊害を終わらせることの可能な資源を持っているとする。国民を大切にする強い政府を作り、自由で身近な存在として国内を安定させるという、民主党の世代を超えた革命の延長がここにあるのだ。この全能ともいえる政府の力があれば、貧困、飢餓、病気、そしておそらく偏見そのものも無くすことができる。広範囲に及ぶ活動は、大統領の法案通過能力と、官僚の政策実施能力によってのみ制限されるのである。リンドン・ジョンソンの自由主義は、過ちを正すための絶え間ない探求であり、医療や退職金を拡大し、変革的な公民権法を成文化し、貧困を一掃するための国内における戦いである。

しかし、この最新鋭の自由主義が、国内外でアメリカが直面している苦境を耐え抜くことができるかどうかは、まだ不明である。国家を完全化するための努力は続いているものの、アメリカは依然として社会的・政治的に大きな課題を抱えている。ジョンソン大統領が国内における公約を守れず、ニューディールの継続を実行に移せず、海外の同盟国との間でも約束を守ることができなければ、アメリカ自由主義の未来も、苦労して手に入れた利益すらも危うくなる可能性がある。
〜フィリップ・A・ハートによれば、自由主義とは世界を変えるための力だ。しかし、ハートのような男に、ニューディール的な行政改革を唱えようという野心はない。代わりに、地方自治体の協力を得て自党の世代交代を進め、国の官僚機構を利用して人道的な良い政策を広げ、定着させることを選択した。この一連の政策プログラムは、都市の活性化、インフラの構築、犯罪の撲滅、そして市場と職場の双方で前例のない消費者の機会を創出することを目的としている。国外において、ハートの自由主義は、日本に対する態度を軟化させ、ドイツ国をさらに孤立させるために太平洋における冷戦の緊張を緩和させようとするなど、現実主義的な面を持つ。

しかし、この最新鋭の自由主義が、国内外でアメリカが直面している苦境を耐え抜くことができるかどうかは、まだ不明である。希望が見え隠れし、人と人との対話が行われているにも関わらず、アメリカは依然として社会的・政治的に大きな課題を抱えている。公平な政治は、慎重に実行されなければ、反発を生み、国の一部の孤立化と分極化を起こした後に失敗してしまう可能性がある。都市財政を支援する過度な努力は、都市住民でもマイノリティでもない国民の、ナショナリズム的反発を生むことになりかねない。
〜だが、ザ・ザ・ガボールはそんなことを気に留めない。自由であるために重要なのは、歴史や壮大な理想ではなく、イメージだ。スタイルだ。自由主義とは、キャンディーピンクのガウン、60万ドル相当のルビー、ダイヤモンドのジュエリーを身に着けて映画のプレミアに現れるような、ホットな女の子なのだ。国内においてザザの自由主義者は、教会の讃美歌と「アイ・ラブ・ルーシー」の再放送でアメリカ女性像をとらえているような、堅苦しいセックスレスの老人世代とヤることを信条とする者たちだ。外交政策におけるザザの自由主義は、カクテル外交と性的開放を支持し、軍産複合体の魔の手を潰すものだ。このいまいましい冷戦の恐怖から逃れるために爆撃をすることはできないかもしれないが、それが続く間、自分たちを良く見せることはできる。
〜チェップ・モリソンの下での自由主義は、この伝統を維持するものだ。歴史の偶然によってスポットライトを浴びることとなったドレセップス・ストーリー・モリソンは、自らとは相容れない政党の数々を必死に結びつけようとしていることに気づいた。チェップは、ハート政権の記憶とルイジアナ州で自身が見せた大衆的指導力を利用し、政治的同盟者と都市の有権者を引き付け、ハートの築いた都市計画が失敗しないように、しかしアメリカを新たな近代国家に作り変えることができるようにしようとしている。このように、チェップのアメリカは新たな発想をほとんど持たない。彼自身もケネディのような高揚感を与える存在ではないし、LBJのように経験豊富な政治家でもない。しかし、国内外における進歩の後退を食い止めることができれば、成功した政権との評価を得られるのではないかと、大統領は期待している。
〜ジーン・カークパトリックの自由主義は、強さを追求するものだ。国内では、労働組合を増強し、職場から偏見を無くし、家庭を豊かにするなどして、人々が自らの運命を切り開くために必要な力を与えることが重要だ。また、アメリカの過激派を構成している、冷笑主義者、愛国心の無い者、その他の「健常だが怠惰な」者を疎外することによってアメリカの制度を強化することも重要である。カークパトリックの自由主義は、軍や諜報機関が、あらゆる場所の全体主義を終わらせるための努力を束縛されないようにするものだ。平和的共存などはあり得ない。アメリカは、謝罪などすることなく、世界中にその権益を主張する。

しかし、この最新鋭の自由主義が、国内外でアメリカが直面している苦境を耐え抜くことができるかどうかは、まだ不明である。この自由主義では、急進的な利己主義の政策が、以前の政権における福祉重視の政策に取って代わっているとの感覚が主流派にはある。一方、不満分子たちはカークパトリックを、アメリカ政府の帝国主義的な真の意図について自らが常々考えてきたことを裏付ける存在として見ている。注意深い管理を行わなければ、自由主義の国内外での権威が失墜する事態にもつながりかねない。
伝統的自由主義
技術主義は1つのアイデアに集約される。国家の福祉に最も関連する学問分野において、最も優れた経験、学識、知識を持つ国民が、国政を担うべきであるというものだ。技術主義者の考える国家の理想的な支配者は、研究者、理論家、科学者、事業家、技術者といった問題解決者だ。

自由技術主義者は、自由民主主義を政党政治、あるいは「政党主義」と呼ばれるべきものから切り離そうとし、国家を技術主義に改革することに努める。その目的は、選挙で選ばれた役人や党官僚の手から、できるだけ多くの権力を奪うことである。これは非民主的だと思われるかもしれない。実際、そういった反論は多く為される。それに対する自由技術主義者の回答は、一般に、彼らが対応するべく生まれた存在である国家官僚の硬直的で難解な性質を指摘するものだ。

つまり、無能で無教養な選出された役人から権力を奪う行為は非民主的なのだ。だが、官僚が政治暴力組織を形成し、国家を肥大化させ、物事を成し遂げる能力を破壊するのを許すことが、どれだけ民主的な行為なのだろう。国民に奉仕するのが職務であるはずの政府関係者が、国家機構と政府を蝕む、目を覆いたくなるような内部腐敗と縁故主義に従事するのを許すことが、どれだけ民主的な行為なのだろう。

それが自由というものなら、それでいい。だが、自由技術主義者がその答えを受け入れることはないだろう。国家は国民に奉仕すべきであり、国民に寄生してはならない。技術主義は、そのような国家を唯一保障する存在である。
自由技術主義

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最終更新:2024年10月13日 20:47